満足度★★★★★
『親愛なる我が総統』:すばらしい
アウシュヴィッツ強制収容所の所長:ルドルフ・ヘース(ルドルフ・フェルディナント・ヘス)を描いた作品。
ナチス高官のルドルフ・ヘスとは別人物。そのことを知らずに見て、家に帰ってきてびっくり。どおりで見ながらちょっと話が変だなと思った訳だ。無知ですみません。
この劇団は、作品の演劇的な強度も素晴らしいし、同時にこの時代への批評性の強さときたら、突出していると思います。
ルドルフ・ヘスが、連合赤軍の諸氏のようにも、オウム真理教の幹部や教徒のようにも見えた。それは、自分自身も一歩間違えばそうなってしまうのではないかという思いを持ちながら。
ある体制に疑問を持たず、自分のいる場所、その考えや構造に疑いを持たなければ、誰でもが、ルドルフヘスになりうる。
そう思った時、もしかしたら、もはや私はルドルフ・ヘスなのではないかとさえ思った。今の社会体制や価値観に、ある程度の疑問は持っているつもりだが、それでも明らかに無自覚に流されてしまっている自分もいる。
それを強く感じた。
また、ナチスがユダヤ人を迫害する論理は、極めて普遍的な集団の論理なのだということも強く感じた。(歴史的背景から見ても、ユダヤ人差別はナチスに始まったことではない。ヨーロッパ全土で古くからあったものだ。)
自己が正当であると確信したいが為に、自分と違う者を「敵」とみなし、その敵を徹底的に攻撃し、排除する。
そうすることで、自分たちの正当であるという安心を得る。
どこの集団でもよく起こることだ。
日本でも、中国人や朝鮮人を昔から敵とみなし、罵倒することで、自国の正当性を誇示してきた。それは現在まで続いている。
新大久保などで起こっている反韓デモなんて、まさにナチスとそっくりだ。
1時間の芝居の中で、そのようなことがめまぐるしく私の頭を駆け巡った。
素晴らしい舞台でした。ありがとうございました。