公演情報
「土曜日の過ごしかた」の観てきた!クチコミ一覧
実演鑑賞
満足度★★★★
「カレーと村民」からの、本作でニットキャップ3度目となる。一度目は10年前、座高円寺で、パステル色な衣裳で玩具っぽい装置、道具、確か楽器も使っていた。舞台も遊戯的で表現主義(主張より伝え方、風情が主眼)に寄ってて、面白いが「前のめりに観に行く」部類でないな、と。活動歴は1990年代末からと長いが、活動十数年を経た当時のニットキャップは演出が勝っており、芸達者なメンバーも印象的であった。
が・・何年か前にアゴラで観た「カレーと村民」ではがっつり戯曲芝居になっていた。しかも題材は日露戦争後の世相、戦後賠償交渉で「戦利金無し」に国民のブーイング(これを既に発達していた新聞メディアが伝えて「世論」なるものが形成されたあの頃だ)が起きたのは有名だが、その背後に家族(若い男)を戦争に取られた多くの遺族の存在があった事に気付かされるといった真正面な社会派。
同じ現代日本史に題材を採った今作の舞台は戦争体制への移行期、京都で短期間民間人の手で発行された「土曜日」を軸に、次第に息苦しくなって行く世相の変遷を描き出す。1930年代後半。
座高円寺では若干声量が届かず、追いにくい部分はあったが、スタッフ、俳優のレベルは高く、更に今回は演出力を感じさせた。(後で気付いたが今回は作:ごまのはえ、演出は橋本匡史という新進演出家であったようである。)
国民が軍拡路線を望み、やがて彼ら自身が真綿で締め付けられる時代、「押し黙らせられる」時代の空気感をうまく描き出していた。
今の世相は、当時の世相の最良の参照事項である。お上が実力行使に出ずとも民が進んで「お上の手先」となり監視者となり、異質を排除しつつ己は多数派、というか「国そのもの」に同化して安心する「究極のヘタレ」(と私は名付けてしまうが)まで、あと一歩である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/02/28 (土) 14:00
普通、戦前から戦後までを取り扱った作品だと、特に演劇で描く場合は、戦後の登場人物たちのその後はあんまりハッキリと描かないことが多いが、今回の劇では、喫茶店の看板娘でもある白瀬キミと幼馴染で喫茶店の常連客の青年のその後を描いていた。
常連客の青年は南京戦線に招集され、戦後になり、日本に戻ってくるが、以前の青年時と違い中国の南京での過酷にして非情、凄惨、残虐極まる現地の戦争を現場の1日本兵として経験し、心身ともにやられ、トラウマから立ち直れず、折角幼馴染の白瀬キミと夫婦になり、子どもと言うか、赤ちゃんまでいるのに、相当な酒浸りになり、仲間の多くが戦死や病死したりしていった中で自分だけ生きて帰り、病気や怪我もなく無事なことに耐えられず、自分をいつまでも責め続け、現実逃避の為酒浸りになり、赤ちゃんが泣いてるのに対して怒鳴ったりと、DV気質なところもしっかりと描かれており、戦争による影響によって人の性格や態度まで大きく変わってしまう弊害もしっかりと描かれており、戦争が終わったら、人々が民主主義と平和を享受して謳歌すると言ったような描くのではなく、ちゃんと都合の悪い部分と言うか、歴史に葬り去られがちな戦争によるトラウマによって人が変わり、家族や子ども等に暴力的に振る舞うDVといった部分も、丁寧に描いているところに共感出来た。
戦後の、戦中とは大きく変わった日本社会について行けきれない人たちも描いていて、そう簡単には変わり切れない部分、でも戸惑いながらも現実に向き合っていこうとする複雑な心境にリアルを感じた。
太平洋戦争前、日中戦争中から特高の下っ端の役職にいて、喫茶店の常連客だった中年男だった人の弱みに漬込み、自分の出世の為なら手段も選ばないような非情な男だったが、戦後は何にもかにも、噛み付き、批判し倒し、以前と丸っきり態度やスタンスが変わっているように描かれており、こうまで人って変わるものなのかと呆れた。
また、元特高で自分がかつてしたことは反省せず、自分の上司を批判したり、世の中が戦争に向かって突き進んでいく最中に、日本のエリートや知識人、日本のメディアが日本の軍部や政府の方針を明確に批判しなかったから、暴走していき、空襲や原爆をアメリカが落とすことになるんだと言うような無責任極まりない発言をする露骨に下卑て厭らしい、何処か媚びた感じに簡単に転向してしまう風にその元特高の下っ端男を描いており、人ってこうまで居直れるものかと、現代日本における自民議員の裏金議員が選挙で大勝して国民を舐め腐り、開き直る光景と何処か重なって見え、過去の人たちのこととしてだけで片付けられない問題だと感じ、考えさせられてしまった。
自分も、知らぬ間に思考停止していないか、無意識に諦めたりしていないか、この劇を見て、自分の普段の行動や言動を見つめ直す機会となって良かった。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/02/28 (土) 14:00
舞台は戦前の京都の喫茶店です。
当時、京都近辺の喫茶店には『土曜日』という新聞が置かれていました。
発行者は松竹の大部屋俳優であった齋藤雷太郎。
彼は大陸での戦争が激化する時代に、庶民感覚とユーモアを交え、政府に堂々と物申す内容を発信していました。
この京都を舞台として、ほぼ全篇京都弁な上、地域新聞『土曜日』と、『土曜日』が置かれた和洋折衷感がある喫茶店、その喫茶店の店員や女将さん、その店の常連客、『土曜日』に記事を書く人たち、そして特別高等警察(略称特高)を中心とした、軍や政府の中枢中心でなく、市井の人々を中心として、時にコミカルに、時にシリアスに描き、日常が徐々に戦争に侵食されていく過程を丁寧に描いており、戦争に日本が突き進んでいく中でも、そういった人たちの中に日常があったところに重きを置いた劇作品は、ありそうで、あまりなかったので、良いところに目を付けた作品だと感じた。
劇中、地域新聞『土曜日』は、極端な右とか、左の論調に偏るのではなく、純粋な映画評論や、市井の人々が純粋に気になっている芸能人のゴシップ、一部の企業が優遇されて、自分たち市井の人々の方が高い税金を払わされることへの疑問など、市井の人々の生活や興味関心を買う記事が大方を占めていた。
それは、なぜかといえば、思想信条を強く打ち出したり、政府批判を露骨に強めたりすると警視庁官房内の特高に目を付けられるので、新聞の存続の為、芸能人ゴシップや、映画評、等の娯楽を中心とした只のエンタメ紙を装うことで、特高の検閲を上手くかわせるという在り方が、太平洋戦争は始まっていないものの、日中戦争は始まっている中で、日本国内ではある程度の自由がありつつ、徐々に新聞等に対しても弾圧が酷くなる中で、何とか生き残る為の苦肉の策でもあったのかと考えさせられた。
下手すれば、新聞社が潰されるにとどまらず、記者は勿論のこと、新聞に関わる人たちが一斉検挙されたりしかねない時代の空気になっていくなかで、そんななかで自由にものが言える空間作りのために、大部屋俳優の斎藤雷太郎が知恵を絞って、一見するとエンタメ紙のように装うことで難を逃れようとする、こう言った機転を効かせないと新聞が発行できなくなっていっていた当時は、どれだけ自由がなかったのかとも言えるが、ふと現代社会を振り返ると、今の時代が自由かというとそうとも言い難くなってきている状況と、当時の状況が重なって見える場面が何度かあり、薄寒くなった。
最初市井の人々向けのエンタメ紙だった筈が、段段と政府や軍への批判が濃厚な記事なども載り出し、そのうち『土曜日』を置く喫茶店の女将の白瀬ノブが次女の白瀬タカが店の奥にレジスタンスを匿い、無理が祟ったのか次女の白瀬タカが病気になり、それも実は誰の子か分からない子を身籠っていることが分かってきたりで、女将の白瀬ノブは抱えきれなくなり、つい店の常連客の1人で、特高の下っ端に悩みを打ち明けたことから、次女が匿うレジスタンスだけでなく、新聞『土曜日』に関わる人たちが次々に捕まる結果になっていく、そして喫茶店の女将白瀬ノブはこんな筈ではというふうな複雑な気持ちになり、追い詰められていく、そういった日常がふとしたところから、大きく崩れ落ちていく描かれ方が、リアルだった。
『土曜日』に映画評論を載せていた大学教授が、担当の特高刑事に誘導尋問されて、自分の意に反した調書を書かされるあたり、近年話題となっている(昔からあったが)冤罪問題と、かなり重なって見えて、こうやって冤罪って成立するのかと思うとゾッとした。
また、教授に対して、露骨にパワハラ的な態度や言動に出ることはないし、寧ろ表面上はにこやかなのだが、机を叩いたり、決め付けるような発言もなければ、親や家族を引き合いに出して脅すこともしない。
だが、教授とともに、他の特高刑事たちも誘って、気晴らしに鰻屋に行ったりもするが、全額教授の奢りといったところなどで、教授に屈辱を味わわせ、プライドを徐々にズタボロにしていく作戦を取ることで、特高側の意見に誘導していく在り方が、見た目から分かる脅しや威圧よりも高等テクニックなだけに、特高に対する得体の知れない怖さが倍増した。
一般的に私たちが特高をイメージする時の、露骨な暴力的で冷酷非道で、血も涙もない、人間味の欠片もないような人物として、ハッキリと描かないぶん、中身の見えない怖さや威圧を感じ取れた。
特高が、言わば、自分たちとは関係のない人間としてではなく、観ている側も含め、人が持っている弱さや劣等感などの延長線上に出来上がっていく組織だと感じ、被害の立場から、人は加害の立場へもなり買われることを立証している気がして薄寒くなった。
ほぼ全篇京都弁と言うことで、会話が一見すると上品で優雅、優しく聞こえるが、節々に、皮肉や裏があったりと言った風に描かれていて、今でも使われる京都弁と全く一緒ではないものの、京都府民が大阪府民や外部の人で京都府民になろうとする人に対して、表では優しく、裏では冷たく下に見ているといった部分が共通して見える場面もあり、多少誇張して描くことで、結構笑えた。
劇中、韓国仮面劇『マダン』に習ったかのような仮面が大量に出てきて、しかも敢えて無個性で何処か不気味にさえ見える仮面を使っており、その仮面が、喫茶店の付近等に所々顔を出す演出が、何処で誰に見られ、聴かれ、噂されているか分からない、段々と戦争色が濃くなっていく過程、異議を唱え辛い、空気を読み、周りを気にして、皆同質化していく、危険性を暗に描いており、今とも何処か共通した部分を感じ、緊迫感と身に迫るものを感じた。
ハッキリと劇を通して、爆撃の場面こそ描かないものの、徐々に戦争に突き進んで、段々と自由にものが言えなくなり、書けなくなり、派手な服装どころか、爽やかな麦わら帽子1つ被れない状況になっていく過程、気付くと身動き1つ取れなくなっている恐ろしさが、喫茶店の舞台セットが徐々に狭まっていく演出などによって、視覚的にも効果的に観る側にひしひしと伝わってきた。
トークショーでは、劇団チョコレートケーキの古川健さんをゲストに迎えてのトークだったが、劇を観ていて、現代社会の状況とあまりにもリンクした状況に恐怖を覚えた感覚など、私が感じたものと似たような感想を仰っていて、喫茶店のセットが狭まっていくことに関する感想も含めて、私が感じたものと似ている部分が多くあり、劇団チョコレートケーキの古川さん含め、共通して感じた部分も多くあるんだなぁと感慨深くなった。
今、同調圧力等を身に沁みて感じ、生き辛い社会だからこそ、忖度せずに、自由に発言することの大切さを強く感じた。(まぁ、だからといって、SNSで誹謗中傷するのは違うと思うが)
自由に闊達に、発言し、書き、音楽を楽しみ、演劇や映画を自由に誰の目を気にすることもなく観て楽しむことができ、おかしいと思ったことをちゃんと批判出来て、行政府や警察等に弾圧されず、今だったら自衛隊に徴兵されたりしない世界は、こう言った平和、民主主義な社会は常に私たちが今の生活に満足せず、常に行政府の動向に気を付け、些細な異変にも直ぐに声を上げることが大事だと、今回の劇を通して再確認させられた。
実演鑑賞
満足度★★★★
ニットキャップシアターの公演は久しぶりの観劇。昭和11年から戦後までの京都のカフェを舞台にした群像劇、今現在の世相と合わせて、なかなかに考えさせられますね。
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
昭和11~12年頃から戦後迄の世相というか世情を軸に描いた群像劇。公演の魅力は、舞台美術と小道具(マスク)を使って逼迫・閉塞していく状況を視覚的に表し、言葉では表し難い時代の空気感を醸し出す巧さ。時代の「圧」が強まること、それはジワジワと得体の知れない不気味さ、そう感じた時には もう遅いのかもしれない。
京都の喫茶店が舞台。新聞「土曜日」という 今でいうミニコミ(タウン)誌までが不穏な時代に飲み込まれ、自由が殺がれていく怖さ。少しネタバレするが、新聞も発行の都度 検閲を受け問題にならなかったが、全体を通してみれば という具体的な根拠/論拠を示すことなく廃刊に追い込んでいく。この庶民の暮らし向きの変化が、物語のテンポに表れているよう。時局が逼迫する前は、のんびりといった感じだが、軍歌が流れ出征の場面から慌ただしくなる。敢えて時代の空気感と物語のテンポの同期を合わせているよう。この緩急によって時代が動いていることが分かる。
(上演時間2時間10分 休憩なし)
実演鑑賞
満足度★★★
4年前に観た『チェーホフも鳥の名前』が鮮烈でそれからずっと観たかった劇団。その後、こまばアゴラ劇場で演った『カレーと村民』は予定が合わず観れなかった。やっと東京に来てくれて嬉しい。
脚本の「ごまのはえ」氏。味のある特高刑事役でもある。この役を自分に振るか、やるな。
松竹撮影所の売れない大部屋俳優、斎藤雷太郎が発行した週刊新聞型ミニコミ『土曜日』。昭和11年(1936年)から12年(1937年)まで京都の喫茶店や書店に置かれ最大発行部数は7〜8千部。映画や時事ネタ、政治や海外ニュースに読者投稿を知的欲求の強い連中に向けて挑発的に投げ掛けた。その自由な気風が目を付けられ関係者の殆どが特高に検挙されて1年4ヶ月で廃刊。
喫茶デイジーで千田訓子(せんだとしこ)さんがコーヒーを淹れている。当時の器具を使っているのか手間が掛かり美味しそう。旦那が社会主義運動で検挙され死亡、旦那の妹(仲谷萌さん)と自分の妹(山﨑茉由さん)と店を続けている。山谷一也氏が久方振りの来客。東京からやって来た門脇俊輔氏は置いてあった『土曜日』に興味を惹かれ発行人の斎藤雷太郎(西村貴治氏)に会いたがる。ソ連のコミンテルンの呼び掛けから反ファシズム運動「人民戦線」が日本の地下でも活動していた。仲谷萌さんは死んだ兄の組織から仲間を匿って欲しいと頼まれる。
門脇俊輔氏の役は谷口善太郎がモデルか?
牧歌的な『土曜日』の編集会議。どんどん人気が上がり検挙されない程度の体制批判を織り込む。だが時局はそんな冗談すら許さない恐怖と暴力で人を支配する流れに。
山谷一也氏は大平サブローっぽい。
役者が皆個性的。妙な面白さがある。今の時局に訴えるべきことを込めて。
是非観に行って頂きたい。
実演鑑賞
満足度★★★
知らない歴史のことをたくさん教えてくれる。
取り調べのシーンはリアリティある。実際こんな感じだったのかも。
ただ、劇のテンポがゆるい気がした。前半は特に退屈だ。群衆と仮面の演出もあまり功を奏してないように思う。役者の声が小さくて聞こえない箇所が多々あり。