strange 公演情報 strange」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
1-19件 / 19件中
  • 満足度★★★★

    まさにストレンジな
    三部構成(ただし、途中休憩なし)。ばらばらと思われる話や出来事が、奇妙な絡まり方でつながっている。
    それに気付いたのは第二部あたりから。

    他の方のコメントにもあるように、少々難解だなあと感じたのだけれど、その世界に身をひたすのがなんだか心地よくて。
    第一部には失踪する(した)人が出てこないので、あれ? 友人が失踪する話じゃなかったの? などとやや混乱したんだけど、諦めずに最後まで観てよかった(笑)。

    楽器も含めて、様々な生の音が楽しかった。
    おりんによく似たあの楽器、シンギングボールっていうんですね、あの音を聴くとちょっと和みます。

    ネタバレBOX

    失踪していた彼が家に戻ったという選択は、彼にとって正解だったのか。
    彼は幸せになれる(なれた)のだろうか。
    この点については解釈が分かれるところだと思うけど、最後にかかった楽曲がYMOの「ポケットが虹でいっぱい」で、ちょっと救われたような気がした。

    それにしても、磯俣さんって何者なんでしょうね。
    組織の人間だったり、東尋坊にいたり。
    うちの会社にも、こっそり生息していたりするのかなー。
  • 満足度★★★

    イメージ
    内容は理解しかねるものであったが身体表現は興味を引くものだった。

    作演さんも何故こういう作品になったのか明確ではないそうなので理解出来なくてしかたないのかもしれない。

  • 満足度

    だまされた
    説明(あらすじ)を読んでいったので、最初その説明文と舞台でやってることがまったく合致しないことに頭を痛めたが、たとえそれをを読んでいかなくても1部が終わった段階で劇場を去りたくなっただろう。「いったいぜんたい何の話なのだこれは?」1部については観劇終了後もこの思いは残存する。果たしてそこには素朴で豊かな太古のパフォーマンスなんぞ立ち現れなかった。

  • 満足度★★★★

    夢の中のような
    無機質さとおちゃらけさの混在した自分探しの旅。

    ネタバレBOX

    キャッツのような、ビールのCMの大人エレベーターのようなシーンもある良く分からない不思議な世界でしたが、漠然と家庭生活に充実感が持てなかった男が、大震災をきっかけにボランティアをすることで自分が変えられると考えて家を出たものの、なぜかふらふらと福井方面に行くなど自分探しの旅をしながら自問自答した結果、結局は劇的な変化が起こるわけでも無いことに思いが至り、普段の生活の中にこそ幸せがあることに気付き帰還する話…、ってとこなのかなあ。

    自分を変えるには相応の活性化エネルギーが必要で、そう簡単なことではありませんね。

    多重人格物は嫌いですが、色々な考えをする自分がいるというのはその通りだと思いました。

    武生、福井、東尋坊の地名が出てきましたが、武生という地名はJRの駅名としては残っていますが、平成の大合併で武生市という名前自体は消えてしまいましたね。残念です。

    ボアンボアンと音のする楽器がいい感じで、高音の綺麗な歌声も素敵でした。
  • 満足度★★★

    理解不能を楽しむ
    名前の通ったごまのはえさんらしく、「表現を追求するぞ!」という若手の気概を感じる、シュールなお芝居でした。

    ネタバレBOX

    民族的な、打楽器の音色やチューブ音が好きでした。
    床に線を描いたり、壁に絵を描いたり、マイクで囁いたり、仮面を使ったりと、小劇場ならではの世界観、抽象的な小空間を表現していました。
    残念なことに全体的に支離滅裂を楽しむというか、話の意味が分からなかったのですが、役者のやる気と実力を感じました。

    第一部の垂直移動編が、とても好きです。
    仮面を効果的に使い、ヘソのない少年の冒険を追います。科学施設とか猫社会とか王だとか悪霊のような老婆の過去とか、夢の世界のようなワクワクする単語と演出がたくさん出できました。
    あの男と老婆の今後が気になります。

    第二部の平面移動編が不快でした。
    元劇団員Lの話ということで、劇団の打ち上げとか、「2011年3月12日」とかの日付の連呼とか、メタな内容です。
    震災日付まで読み上げて3月11日以降のLの行動を追うのですが、あまり震災問題を調べた感じしないし、テレビが震災の話題ばっかりだったとかLの友人から劇団に電話があったとかあくまで徒然とした日常で、だから何が言いたいか、というメッセージ部分が弱かったです。

    赤裸々に言えば、関西震災をネタにした自慰を見せられた気分で、(Lがボランティアに行かなかったからではなく)脚本を書いた人にとって、震災は終わったこと、他人事な事件なんだなぁと透けて見えて哀しくなっていきました。関西だと皆そういう感覚なのかなぁと気持ちが少し重くなりました。

    第三部の直角交差点は、自分の内面を多重人口化したような、内面世界観。
    大自分怪獣の「ほっとけや」と、「ご本人様」いうネーミングが良いなと思いました。

    それぞれの自我の目的が、明快に別れていると、感情移入できそうです。
    もっと自我の戦いを続けて見たいと思いました。

  • 満足度★★★★

    やっぱり不思議な世界・・・
    どこまで理解できたのかわかりませんが、この不思議な世界は実に面白い。サウンド・エフェクトが効いているなー。

  • 満足度★★★★

    音と動きが楽しい♪
    一幕は、寓話的で話も面白く、二幕からストーリーの繋がりがグチャグチャとなり睡魔に襲われ、鳴り物で目を覚まし、三幕目の頃には「こりゃ〜2〜3回観ないと自分的に、この話の解釈は掴めない」と理解する事を諦めながらも、観てて楽しかった。
    一幕のまま進めたら、万人受けするんじゃないかな?

  • 満足度★★★

    身近であるかそうでないか。
    同劇団は初見。
    身体能力・表現力の高い役者さんが揃っているな、と感じた。
    舞台上で楽器を使って効果音を出したりするところも、演出家のきめ細かい采配があってのことだと思う。
    内容については、たぶん好みの分かれるところかと思うが、そのパフォーマンス性だけでも、一見の価値があると感じた。

    ネタバレBOX

    主軸というか、主要な要素に、東日本大震災のことがあった。

    京都を本拠にしていて、震災を実感として体験していない人たちが、震災を直接体験しなかった者として、あの震災とどう向き合ったか、ということが大変に興味深かった。

    また、当然、京都にいてどう震災を見ていたか、が語られるので、京都市内や、そこからアクセスできる近畿や上越の地名が出てくるのだが、東京に住まっていて、関西での居住経験がない私には、どこがどのくらい近くて遠いのか、その感覚がつかめない。

    そのつかめなさが、逆に、舞台上の人物たちの「震災のつかめなさ」とリンクしているようで面白かった。

    隠喩やさまざまなモチーフに、作家の言いたいことを仮託している形式の劇と感じた。
    身体やその他のパフォーマンスが秀逸なので、観ていて感心したが、好みは分かれるところだと思う。
  • 満足度★★★

    初めてです
    今まで同タイプの芝居を観たことがない。(と思う)その点では新鮮だったが難解ではある。考え理解しようとするとまた眠くなるので「感じる」芝居と思うことにした。ごまのはえ氏のイマジネーションの世界を具現化した作品なのかな、という感じ。民族楽器(?)の音は聞いていて気持ちよかったけど。でも次回作も観てみたいよう気がする。不思議だ。

  • よーわからん(笑)
    不思議な物語に笑える部分が盛り込まれ
    鳴りモノ、動きもいいしこの部分はもっと続けて欲しいですね
    当日パンフでなんで物語が割れたか自分でも解らないそうですが
    1・2部を上手く1つに纏めるには1部が広がりすぎだし纏まらないですよ。
    3部にしてもスッと入ってくるモノではありませんが
    ラストシーンには小さい無意識な愛情を感じしました。
    野菜ジュースのペットボトルの新しい使用方法は目からウロコでした。
    東上作品はほぼ観てるし好きな劇団さんですが
    今回は楽しかったけど、良い!と言えるか自分でも未消化なので
    ★評価は放棄させて下さい。

  • 満足度★★★★★

    頭の中がグルングルン
    今回もすげえよ!面白かった♪
    まだ観ていない方、是非!オススメです!!
    でも、初めて芝居を観るという人には厳しいかも…。きっと頭パンクします(;´▽`A

  • 満足度★★★★

    奇想天外ではありましたが、
    シビアな現実を生き抜くために必要な物語でした。

  • 満足度★★★★★

    二度目のニットキャップシアター
    失踪した「男」と残してきた「女」の存在が、とけたり、ぶれたり、ぼやけたり。
    不思議な重力でグワッと持ってかれるような、そんなおかしみや美しさ。
    面白かった。もっとずっと見ていたくなる素敵な100分間。

    2011年4月の日本を、こんなに感覚的に豊かな切り口で、愛らしい強度と立体性を持つ演劇にした、そのちから、「まいりました!」としか言いようがない。

    ニットキャップシアター作品を観るのはこれが二回目。
    演劇の面白さのひとつに、“役者の身体が持つ「換喩力」みたいなもんを使った、いろんなスケールや次元を並列したりねじれの位置に置いたりの遊びによる、「現実」の詩的解体・再構成”的なのがあると思うんだけど、このニットキャップシアターって集団はそこら辺すごい切れ味やってくれちゃうなあって印象。

    役者のちから、空間のちから、クセになってしまいそう。

  • 満足度★★★★★

    とんでもないものをみた
     見事に僕を絶望の淵に叩き込んでくださいましてどうもありがとう。

    ネタバレBOX

     垂直、水平、という二つの方向性に広がっている欠片を、それこそ糸でつないでいくように、半ば強引に物語として救いあげようという試み。その強引さに悪意さえ感じる。

     そうだ、ストーリー的な頑丈で説明的なつじつま合わせなんか、本当はどうでもよくて、僕たちはいつも、日常的な断片や、過去の記憶や、妄想や、そういうなんやかんやのガラクタを、強引に意図でつなぎ合わせて、自分の都合のいいような物語にして、なにかを理解したような気になっている。それでいいじゃないか。という開き直り。

     第1部、垂直移動編は、所謂ところの「ストーリー」編。「物語」パートだ。だけどここで描かれるのはそれこそ「糸」すなわち「意図」的な部分だけで、きわめて恣意的で、記号的な物語だけがそこにある状態が続く。たんに言葉だけがそこにある感じ。

     第2部水平移動編は、現実パート、といった趣。たぶんちょっと違う。実際に作者が体験したと思われる失踪事件等をもとに、物語と交錯しながら、虚と実の間を行ったり来たりする。これだ、この感覚だ、これこそが僕が求めるものなんだ。何一つ確からしいものはない中で確かに、ぎらぎらした本物が、そこにあるように感じた。何かはわからないけれど。

     第3部、直角交差編。前2編に比べれば、やや凡庸で、型にはまった印象。特に、「自分の中のたくさんの自分」が登場する脳内世界、みたいな描き方は、やや陳腐かなあと思わないでもなかった。だが、それを差し引いてもよかった。年を経ても、中学生みたいな鋭くとがった気持ち悪い自意識は、持ち続けたいと思った。最後主人公が壊れたまま終わるかと思ったけど、救いなのか救いじゃないのかよくわからないような、不明確な救いがあって、結局主人公は物語の世界にとらわれて、ちゃんと生きている。現実という物語で主人公を縫いとったのは、奥さんの存在だったのか、どうか。はたして、といったところ。

     仮面をつけた登場人物が4人登場する。仮面の使い方もよいなあと感じた。演じるべきはキャラクターではなくロールなのだ。

     中でも、失踪した男Sの描かれ方が気に入りました。まるでカミュの異邦人のよう。「Strange」というタイトルもそこを意識したのかな、とか深読みしてしまうくらいです。違ったらごめんなさい。

     たいへん刺激を受けました。負けないように頑張ります。
  • 満足度★★★★

    暗い芝居
    面白い。

    ネタバレBOX

    「垂直移動編」…男が老婆に靴の片方を返すって物語をを階層毎に見せる。
    「平面移動編」…男が自分とよく似た放火犯のせいで逃避行する。
    「直角交差編」…「垂直」と「平面」が交わる、男の脳内を描く。

    大学時の恋人と結婚した男が、妻の精神病もあって、現状を変えるべく震災ボランティアに行こうと決意するも、結局行かずに妻の元に戻る…。

    「直角」で、ご本人様(本人の主意識?)になりすました自分1086(本人の中の意識?)が提督とライトセーバーで戦うとこはウケた。
    そんな自分1086が、老婆と男が親子であったという自分の中の物語とか、ボランティアへ向かいたいんだか向かいたくないんだかな男の意識に気がつく自己発見な話かな。

    お面の奇妙な感じと老婆絡みの昔話な奇妙さ、楽器?や効果音、動きの奇妙さがマッチしてた。それらが男の意識って舞台を演出し盛り上げる。
    作品では直接的な表現は少なく、精神病を抱える妻の夫である男を描くけども実際はかなり重い。それを一見軽快な作品に仕立てた手腕が素晴らしい。話自体は暗いとこから明るいとこへ向かうのかなァってとこで終わるけども(妻の靴の片方を戻す)、「再生」を信じたいなと思った。

    音全般が良かった。「今日も暗い芝居するぞ~」は笑った。
  • 満足度★★★

    劇団の勝ち
    難しくて私の理解力じゃ全容を捉えきれなかった。そもそもテーマのような、伝えたいものみたいなのはなかった、言語化できるようなものじゃないみたいなので大部分の方はよくわからないという感想だと思う。それを面白い、もう一度見てみたいととるかどるか観客の趣向次第。
    様々な楽器や小道具、演出、ダンスパフォーマンスを使ってアートな雰囲気に仕上げている。この作品が傑作が駄作か、わたしには判断できない。しかし、この世界観がわからないのであればあなたのセンス、理解力がないのでは?とでも言いたげな雰囲気さえ漂わせる、そしてそれだけのことを言えるくらい個々の演技力やパフォーマンスは高い説得力のある劇団。その時点で私の負け劇団の勝ちと感じてしまった。

  • 満足度

    興味そそられず。
    ニットキャップシアター初見でした。
    すみません。私には合いませんでした。

    せっかく初見だから、どっぷりはまりこんでみたくて前から2列目で観ましたが、
    なんだか舞台と客席との間にものすごい距離感を感じ、
    のめりこむどころか、、、という感じでした。

    難解で意味がわからない(わかりにくい)のに、目が離せない、
    難解であるからこそ興味をそそられる、
    という舞台は、過去にも多々、観たことがあります。

    でも、正直に申し上げまして、昨夜は、
    もうただ退屈で眠いだけにしか感じませんでした。

    普段、観劇中に眠くなることはまずないんですけど・・・自分でびっくり。
    (私の隣に座られた男性は、完全に寝てましたけど(笑))

  • 満足度★★★★★

    イスタンブールの子どもたち
    今年は青組、グリクル、デスロック、サンプル、地点、伏兵コードなど・・
    最初から印象的な公演を観る機会に恵まれたけれど
    (無名な劇団が少ないのは毎年1~2月は海外のアーティストの来日が続くので自分もそれにつられて・・(苦笑
    個人的には、観ていて一番背筋がゾクゾクする瞬間を感じたのはやっぱり
    ニットキャップシアターかな、と感じた。

    京都のヒラカタ・ノートを観たときから、構成の上手さは感じたけれど
    (・・いや、良く考えると巧みではないけれど、それを観客に納得させるだけの手腕をその頃から持っていた、ということなのかな?
    途中のアゴラのあたりから、イメージの豊潤さが前面に出始めて、
    今回はそれに、シンプルでありながら太い線が
    時間と空間と心の深度とを5次元的に走っているようで

    個人的に感じたテーマ(とでも呼ぶべきものがあるならば
    は、サンプルを思い起こさせ(死と再生
    構成の巧みさ、洗練さはデスロック、
    素材の黒さは伏兵コード、
    軽やかさは地点。

    それでいながら、
    今回はあえて少し色彩を落として(といっても人物の周囲の色彩を落としたということで
    心の闇の中に深く沈みながら、
    アフタートークのごま氏の言葉を借りるなら、
    「河の澱みに漂うボールに、流されながら途中で近づいて、また流れるうちに離れていく」
    ように、被写体となった素材に微かに触れて、
    また水の表面に戻っていくような。


    ネタバレBOX

    この物語のラストシーンは、
    ばらばらになった仮面(心)が、奥さんと思われる女性によって、
    紐で一つに結ばれるところから始まっているのだけれど、
    結び合わされた仮面に自分の心を投影するとき、
    仮面の持ち主である主人公の男性が、
    かろうじて蜘蛛の糸のように一本の紐で現実につなぎ合わされると同時に、
    その瞬間、
    ごま氏が想像力の翼を広げて、
    時空と心の距離を飛び越え、
    深淵のなかのこちらの姿を認め、
    また水面に浮上していく姿が見えたような・・(笑


    -----------------------------------------------------

    ごく一般的な感覚として、
    仮面は、自分の心を映す鏡であることは分かってもらえると思います。

    役者の顔じゃなく、仮面をかぶった役者の身体が登場するということは、
    観客の心が仮面に投影されるということです。

    ダンスなどにおいて仮面をかぶるか、かぶらないかというのは、
    非常に重要なファクターで、
    劇などでこのように仮面を非常に巧く使いこなすということは
    非常に稀だし、
    自分ももっとこういう作品を観たいと常々思っていました(苦笑

    ------------------------------------------------------

    この物語は、ごま氏が知り合いの男性が失踪していたときのことを
    想像しながら作ったとのことです。

    自分ではなく、
    他人の心の闇を想像するというのは非常に難しいし、
    根気がいる作業だと思います。

    それを、こんなにも豊潤に
    (色彩豊かというよりかは豊潤と言った方が近いように思う
    形作るというのは非常に素晴らしい。

    京都やその近辺には、
    ギャラリー宮脇(そういえば先週行ってきたばかり)やNOMAといったような、
    心の闇?(分裂とかそういったものをそう呼ぶならば)を傑出した美の一部として
    提示してくれる場所が多いけれど(通常の作家の作品が霞むような
    この舞台作品も、
    溢れる想像力という点においては、それらに全く劣らない(ただ、構成などの面でも通常の作家の遥か上を行っているようで


    あと、ごま氏は今回、ダンスの振付や音楽、能や狂言の要素など、
    色々な要素を取り入れているものの、
    背骨が全くぶれないで豊潤なままでいられるところが素晴らしい。

    そういうえばこの公演を観た後、代官山でトルコのアーティストたちのライブをみたんだけれど、
    そのライブの最後で
    ステージ上のゲストの日本人の女性ダンサーが
    「アルバニア人・・」から読み上げて(トルコ人たちも自分のコトバで読み上げる)
    色んな人種を読み上げて最後に
    「イスタンブールの子供たちは虹のよう」
    と歌っていたのだけれど、
    ああ、なんかこの作品もイスタンブールかもな、と思ったりした(行ったことないんだけど(苦笑



  • 満足度★★★

    épave

     今回32回目の公演になる劇団のようだが、評価するか否かがはっきり別れる劇団ではないだろうか。作・演出を担当している“ごまのはえ”氏は、韜晦を旨としているように感じる。例えば、仮面の使用法では、実在と感じる者に仮面をつけさせるといった具合だ。 
     作品は三部構成になっている。第Ⅰ部が垂直移動編、第Ⅱ部が平面移動編そして第Ⅲ部がⅠ部Ⅱ部の交差する直角交差編である。一応、始まりと終わりがある。然し乍ら、何か強烈に主張したいものやことがあるという具合に、作家は意識していない。いわばépaveとして自らの周りにあるもの・ことに注意を巡らし、納得するか否か、パースペクティブがあるか否かをアプリオリに知った上で行動するという方式を採らないのである。方向性はあるが、取捨選択は情況との関係で決まると言ってよかろう。その分、不確定要素が多く、解釈は多様になる。一方、主張なりテーマなりがハッキリした形を取り難い為、分かり難さが観客の好奇心をそそるのだ。
     今回の公演では、原始的な楽器や唯の箱、チューブなどが人工音と併用されているが、音楽的な広がりや深さは、épaveがépaveとして漂うことに符号していた。

このページのQRコードです。

拡大