高知パルプ生コン事件 公演情報 高知パルプ生コン事件」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/11/02 (日) 19:00

    価格4,500円

    11月2日〈日〉19時観劇。

    製紙工場が違法に汚染水を垂れ流した結果、
    市内の川や内湾の環境破壊が進んだ。
    役所や地元メディアは知らん顔。
    そこで、有志が立ち上がる…。

    私自身は高知の出身です。
    この事件については幼い頃から、
    話を聞かされていました。

    今回の上演に当たって、燐光群の方は
    事件のことをとてもよく調査されていました。
    事件の背景や登場人物など、とてもよく分かりました。
    大変勉強になりました。

    ということで、この劇は社会的な内容
    (公害事件を広く世に知らしめる目的)がゆえに、
    芸術的・文学的な要素はまったくありません。
    そういった要素を期待されている方には退屈だと思います。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/11/08 (土) 14:00

    座席1階

    高知市のパルプ工場が引き起こした、廃液による深刻な環境汚染をテーマにした意欲作。タイムリープという演劇しかできない仕掛けを使って、PFASなど現代の汚染問題と共通する視点をわかりやすく提示したのはよかった。

    燐光群の舞台らしく、坂手洋二の丁寧な取材ぶりが物語を支えている。勉強不足でこの高知パルプ生コン事件は知らなかったが、罪になることを認めながら、周辺住民への損害を最小限にする計画を立てて実力行使に出たという事実を知った。警備が緩かった当時の時代背景もあるだろうが、このような人たちがいたことを学べたのはよかった。
    さらに、事件後の経緯や裁判の行方などもきちんと追ったのはいいと思う。ただ、そのために2時間半という長尺になったということもあるが。燐光群にはありがちだが、もっとシャープな作りにしてくれると客席には優しい演劇となるだろう。

    この舞台が示したように、利益追求の企業と行政が住民の生活を破壊する構図は今も同じだ。企業活動は経済的には重要だが、地球を破壊する権利はなく、何より人間や自然の持続可能性を阻害しては元も子もない。このような視点を軽視する米政権とそれに追随する我が国への強烈な意義もうしたてになっている。タイムリーな舞台だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「劇」小劇場での燐光群は初だったが、ちょうど良い空間だったのではないか。スズナリは観客とステージとのベストな距離を与えてくれる劇場だが、横長で客席との距離がより近い方が「台詞を追うのが大変」で脳味噌フル稼働を要求する作品にはきっと良かった。
    社会の重要案件を如何に咀嚼しやすい劇に昇華できるかに、恐らく坂手氏の舞台製作のベクトルは向いているが、坂手流フィクションを成立させるお膳立てのための?情報量は多大なため、二時間に収めた劇の密度は濃く、観劇側も大変だ。
    過去の出来事の解説や土地の名産の紹介といった台詞は、何名かの登場人物に割り振られ、情報を与えるためだけの台詞に「日常会話」という心情の流れを付与しつつの発話の綱渡りがいつも大変そうだな、と思う。
    それはともかく。大量の台詞と格闘する役者を通じて(「台詞に追われてる」感を一瞬も見せずに立ち通せたのは森尾舞、樋尾麻衣子くらい)、絶妙な構成でドラマの感動が生まれる坂手氏の面目躍如と言える作品であった。
    高知の浦戸湾に排水汚染をもたらす公害企業と闘う住民運動がかつてあった。戦後間もないその当時へ、2022年の岡山の台風の最中「ある物」を目撃した父娘を作者はタイムリープさせる。二人の目に映る住民運動の顛末が、現代の環境問題(PFAS)と対峙する覚悟を促す展開が用意されているが、各場面の趣向が中々美味しい。住民運動の中心人物である山崎氏(猪熊恒和)の飄々とした佇まいと含蓄ある発言や行動が、史実をなぞって(恐らく)描かれている。悪臭と健康被害の実態の証言があり、労働運動の現場からの取り組みがあり、その延長で従業員の一人に「風船爆弾」(彼女が戦中体験した)の話も一くさり入る。現代から来た父は暫くの間記憶喪失状態となり、現地住民らと不思議な交流があるが、タイムリープを引き起こした「原因」であろう現代の岡山県のPFAS汚染へもやがて視線が向かう。2022年の大型台風時に櫓に上った二人はダムの上流に放棄された大量のフレコンバックを目撃したが、後日それは完全撤去されていた。父も娘も米国基準の百倍単位のPFAS蓄積が検出される。これらは今現在の当地の現実。殆どメディアに取り上げられないが。太鼓の伴奏で歌を歌い、おもちゃのピアノの伴奏でふるさとを歌う。概して躍動的な場面がちりばめられ暗く沈む事がない。運動を担った人々へのリクエストがそうさせているようでもある。ただ時間の複雑な構成、「仮想の過去」を入れ込む辺りは脳が追いつかず置いてかれそうになる。エンパワーのための演劇。各々の事情で動いていた人物らが最後は皆仲間に見えている。そして現代へと声援を送る姿が焼き付く。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「現代に蘇る環境問題に抵抗した人々の記録」

     1970年代に高知市で製紙工場の廃水が起こした環境汚染の被害と、それに対抗する人々が排水管に生コンクリートを流し込む実力行使を行った事件を燐光群が舞台化した。

    ネタバレBOX

     かつてはヴェネツィアや柳橋のような清流が流れていた高知だったが、 工場の廃水で川が汚染され健康被害を訴えるものが後を絶たない。そこに2026年からタイムスリップしてきた少女(永瀬美陽)が、工場の職員の女(円城寺あや)と一緒に働き当地の様子を見聞きする。並行して地元の漁師や運動家たちの動向を俳優たちが兼役してつむいでいく。大規模なセットがないながらこの俳優たちの語り口に聴き応えがあり、往時を思い起こすことができた。そのなかでも森尾舞の語りの雄弁さ、切り替えの見事さに見惚れた。ただ事件の全容がセリフで説明し尽くされた感は拭いがたく、暗転も多いため集中が途切れがちになってしまった点は残念である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    主演の永瀬美陽(みはる)さんが可愛かった。福永マリカさんに似てるような。ミニスカの登場シーンから惹き付けられる。

    土台はアジプロ演劇(革命の思想を大衆に説く手段としての演劇)だが、驚くことに観客の為にSFをまぶしてある。近未来である2026年からタイムスリップしてしまった永瀬美陽さん。気が付くとそこは1970年(昭和45年)の高知県高知市旭町早朝。高知パルプ工業社で働く円城寺あやさんに保護される。円城寺あやさんは物分かりが良く観客に取って面倒臭い遣り取りをすっ飛ばしてくれるのが有難い。永瀬美陽さんは知っていた。来年、ここで何が起きるのかを。

    1950年に操業を始めた高知パルプ工業社、旭川から江ノ口川へと一日あたり13500tもの亜硫酸系パルプ廃液を垂れ流し続けた。更に江ノ口川から浦戸湾へと流れ込む廃液は生態系を壊滅させる。魚は死に周辺住民は健康被害に苦しんだ。奇形魚、ドブの臭い、どす黒い水、ヘドロの層。浦戸湾で揚がった魚は買い手がつかなくなる。江ノ口川沿いの旅館は余りの悪臭で客は逃げ出し女中は辞めていった。

    記憶喪失の謎の男、大西孝洋氏。夏八木勲と和田良覚を足したような風貌。佐渡旅館の女将、森尾舞さんが面倒を見てやることに。一体彼は何者なのか?

    果たしてこれからここで何が起こるのか?
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    公害闘争の歴史に今も語り継がれる「高知パルプ生コン事件」。
    「浦戸湾を守る会」(=浦戸湾の埋め立て反対の会)の4人が事件を決行。
    郷土の英雄・山崎圭次会長(猪熊恒和氏)。物語のキーマン。オートバイ・メーカーの起業から成功を重ね、工作機械であるフライス盤の開発・製造トップメーカーとなる山崎技研設立へと。
    坂本九郎(川中健次郎氏)事務局長。元公立小学校教員。人望厚く、この事件がなければ市長選にも担がれていた程。
    吉村弘(武山尚史氏)、和太鼓も担当。
    岡田義勝(土屋良太氏)、漁師。
    1971年(昭和46年)6月9日午前4時半頃、旭町電車通りにあった高知パルプ工業社の排水溝マンホール二つをパールでこじ開け、麻袋の土嚢24袋と生コンクリート6.9トンを詰め込んで封鎖。たちまちどくどくと道路に溢れ出した茶色い工場廃液が濁流となり刺激臭を放つ。白いあぶくをブクブクと立てたパルプ廃液の禍々しさ。こんなものを川に海に流していたのか⁉

    TRASHMASTERSみたいなガチガチの台詞の羅列。状況説明を全部台詞で役者に喋らせるのは苛酷だ。西部邁っぽい川中健次郎氏の台詞がかなり危うかった。取材した全てを書き込もうとした脚本は歪で物語としては美しくない。

    円城寺あやさん、高知パルプ工業社の一番の古株。戦時中、風船爆弾を製造させられていた。1954年(昭和29年)、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験によりマグロ漁船に乗っていた婚約者が被爆。

    会長の妻役の樋尾麻衣子さんが銅鑼を鳴らす。

    今作のもう一つの告発が発癌性やホルモン撹乱、免疫低下の影響を持つ有機フッ素化合物PFAS(ピーファス)について。その代表的な種類がPFOS(ピーフォス)とPFOA(ピーフォア)。2023年、人口約1万人の岡山県吉備中央町の水道水が国内最悪レベルに汚染されていることが判明。汚染源は河平ダムの上流に置かれた山中の資材置場、使用済み活性炭の入ったフレコンバック580袋。血液検査を受けた住民達に基準値の7倍以上の汚染が確認された。
    公害は過去の話ではない。人類にとって永遠に続く命題。それを隠蔽強圧し黙らせようとする権力機構とそこで暮らす住民との生存を賭けた闘争。

    「テロではない、義憤に駆られた正当な民衆の実力行使である」と劇中で幾度も念押ししているが、無論これもテロの一つであろう。テロとは追い詰められた弱者の最後の選択肢だからだ。確かにテロだが誰かがやらなければならなかった、と言い切るべき。妙な正当化の方が気持ち悪い。メンバーが三島由紀夫の決起と自決に煽られていることが面白い。人間たった独り、一度きりの人生、全てを賭けてでもやらねばならぬことが自分にもある筈だ。
    事件前夜の山崎圭次会長のTV番組での発言。「我々自身ももっともっと傷付かねば、公害運動に今後新しい展開がないのではないか。」

    ※居眠り客がかなり多かった。最初から寝に来ているような人も。謎。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     華4つ☆(追記後送)

    ネタバレBOX

     開演前には往時の様子が、ラジオニュース放送時のような形で流されている。板上の美術は至ってシンプル。上演はどちらかというと朗読劇的に感じられた。恐らく、作・演出の坂手氏自身がより演劇的手法で表現するより、実際に企業や自治体、日本国家(政治屋及び体制側官僚)、法と対峙しつつ最後迄戦い抜き、実質的勝訴(実際には罰金刑)を勝ち取った人々の態度、主張、理知的戦い方、優れた想像力、実践時の合理性と正確さ、彼らの主張と矛盾しない環境や人間の本質的権利等々に対する見事さ、連携した人々が最後迄共闘し得た内実等を能う限り忠実に再現したかったからだと解釈した。だが、このケースに見られる”成功例”は僥倖と言ってよかろう。此処迄は至らなかったものの、一所懸命に戦い諸々の事情(原爆症による死・闘病等)によって完遂は出来なかった人々の事情、社会的、職業的差からくる周りの人々の反応の差迄を描き、このような成功例が如何に例外的であり最後迄戦い抜いた人々と彼らに実質的エールを送っていた事件被害者や公害を引き起こした企業の第1組合を中心とするメンバーら実際の事情を識り内心臍を嚙んでいた人々の姿をも事実に近い形で知らせ、現実に成功する為に何が必要であり、どのように戦うのが実際に有効かを示す為にこのような表現形態を選んでいるように思われる。
     実際板上に表現されている舞台美術はオープニング時、移動式テーブルを横一列に並べただけの質素なものである。これが場面に応じて移動、組み換えられ時には高台、津波時の避難塔となったりもする。演劇的な設定はタイムスリップものになっている点で、タイムスリッパー2名は2026年からスリップして来たピーファス被害の父と娘の2名。タイムスリップ着時点は同時期、地点はほぼ同じ場所であったもののやや離れた場所であった為、タイムスリップの影響で記憶喪失を起し中々記憶を取り戻すことのできなかった、父・娘(こちらは比較的早く回復)の邂逅は何か月遅れ、父・娘各々が地場で公害に反対するリーダーグループの世話になったり、公害企業で働くことになったりして公害を出す側と周辺住民、反公害の主張とムーブメントの消長等が対比されつつ展開してゆく。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「劇」小劇場でお馴染みの燐光群。この劇場で観るのは初めて! 舞台と一体化し、その世界に参加しているような気持ちになる。「公害」という問題と無縁でいられる人はこの世界にはいない。芝居中、登場人物の抱える痛みに心揺り動かされながら、自分だったらどうするだろう?と何度も考えた。組合でも行動でも、誰かが誘ってくれたらやるかなあ…、でも自分からは動けないだろうなあ…、とか。それぞれの生き様に胸を打たれ、泣きそうになった。みなさんすごくかっこよかった! 胸アツの舞台です。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    開いたばっかりだったからかもしれない、二日目の夜は50席ほどの劇場に6割ほどの入り。内訳は新聞学芸部記者らしき者10名。こちらも名前を知っていり劇界ライター、関係者、学者で10名。有料入場者の一般客は5名いたかどうか。いつも見るときは後半だから前半がこれほど良くないとは思わなかった。20日を超える劇団公演である。
    内容は地方都市の公害垂れ流し問題であるが、さすが時代の変化もあって、昔の新劇団のように、悪玉代官資本家をやっつけろ、善玉無力市民は団結しろ!と口先で言うだけでは見る人はいなくなった。昔と同じく単純化すれば、この構図ハいまも変わりはしないが、次第に芝居も現実を踏まえなければ、となっている。この話の舞台は城下町の地方都市である。攻める者も、攻められる者も江戸時代以来の地方の構図が出来ていた。この実話の高知では、昭和三十年代、六十年も昔だが高知県衆議院全県一区では、必ず、日本共産党は、社会党が苦戦する中で必ず一人の議員を出し続けていた。労働組合も女性運動も強かった。こういう組織系の表向きの動向からは実情は計り知れない。革新系の燐光群は、長く立場を定めて主張のはっきりした作品を作り続けてきた。ここ三十年の中で、このドラマのように何も変わらなかったように見えるが、僅かながら変化は出てきている。昭和百年、これが日本の現実である。これで食える間は喰っていくと良い。そのうちに風向きは変わる。

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