ハムレットマシーン 公演情報 ハムレットマシーン」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/08/29 (金) 16:00

    2018年にフェスティバル絡みで11団体による上演を観て演出によって変えることができる「余白」たっぷりと悟った戯曲、7年ぶりに観る本作は特に今の情勢を取り込んだというか揶揄したというかそういう感じ。
    冒頭で作者ハイナー・ミュラーの生涯などに関するパフォーマンスがあり、時々「今も似た状況があるのでは?」と思ったことも影響しているかも。
    娯楽性とは程遠い作品だが、今後折に触れ様々な演出で観てみたいと改めて思った。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    学生時代挫折した「ハムレットマシーン」を、得地演出でみられる幸福をかみしめる。
    得地演出は、とにかく「今」を活写することに真摯だ
    彼が見せたのは、まさに今の、我々を襲う「マシーン」に対する激怒(rage)である。
    RAGE AGAINST THE MACIHNE
    つまり、そういうことだ。
    この尖った作品が東京にある限り、まだまだ捨てたもんじゃないと、思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2025/08/31 (日) 15:00

    サブテレニアン プロデュース『ハムレットマシーン』(原作 H ミュラー/演出 得地弘基)
    ハムレットマシーンは読んだことがなく、視るのも初めて。なので戯曲や演出のことは比較の術が無い。
    何度もハムレットマシーンが始まり、なので始じまってすらいないのかも知れない演劇。演じられることなく、我々は視ていないのだろうか?
    姦通、媾う、穴を縫えば生まれない、などシェイクスピアを彷彿とさせる台詞に、資本主義への、ガザへの抗議としてのハイル コカコーラ/マクドナルド/ケンタッキーのシュプレヒコール。
    上演され、演者達の手から離れ、観客として受け取れたところはかなり面白かった。
    これまで、お布団の上演は凄く良いと受け取るか、そうではなかったか、そのいずれかなのだけど、この得地さん演出のハムレットマシーンは良かった。面白かった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「ハムレット」及び「ハムレットマシーン」の連続上演というベタのようで余り見なかった企画、サブテレニアン常連の怪優(と思っている)葉月結子出演の「ハムレット」は残念ながら見逃したが、こちらを観劇。何年か前にとある劇団によるアングラっぽい演出で観たが、こちらはお布団・得地氏によるテキレジ・加筆が特徴的な上演となっている。戯曲本を開くと冒頭十数頁程度の戯曲が載り、他は関連の論考や解説でそれなりに分厚い単行本である。そのテキストが、俳優の「動き」(遊び)が作る場面を意味づけるために割り振られ、また日本の今を切り取ったような場面が加筆されている。単純に面白かったし、元が晦渋な代物を「今」を忍ばせる事で「見やすい」舞台となった。ただし本作が「問い」を観客に投げ続ける作品である事からは逃れられぬ、という事も再認識。
    アンディウォーホルのコピー・アートと「何百年、何度も演じ続けられてうんざりのハムレット」というモチーフが似ている、というのは自分の浅薄な連想かも知れぬが、ハイナー・ミュラーはある社会的視点(冷戦時の)をハムレットという存在にこと寄せて提供したものであるらしいので、あまり冗談のレベルで語っちゃならん(一定の社会的視野を帯びておらねばならん)という縛りもあるようで。いずれ「ハムレット・マシーン」が「ハムレット」を解体したように、本作が古典的扱いを受け、解体の俎上に乗せられる日も・・? 等と考えてみた。

  • 実演鑑賞

    本邦初演したときに見たような気がするがもうしっかりとはが覚えていない。訳が分らなかった、と言うよりは、どういう作りなのか理解できない、と言う気分だけが残っている。東西冷戦の終結期。西側にいると、東側は具体的には破綻しているらしい、と知っては居ても、全否定する根拠もない。新しい思想も持てない。八紘一宇だけは痛い目に遭った記憶が残っていてゴメンとは分っていても、浮かれているうちにバブルがきた。
    我が国民に与えられた束の間の日々だった。そういう日々にマージナルな場の国民は、悩んでいたわけでそれがこの作品だ。今それを見るのは今の我が国民にとっては何らかの教訓にはなるだろう。
    今となっては、この原作が設定した状況は「ハムレット」も「マシーン」もわかりやすいのではないかと思う。
    だが、その原作はかなり変えてあって、「現在」に寄り添っているつもりかも知れないが、そこの手際が上手くなく、ますますわかりにくくなっている。分りよく!というのはこういう昔の芝居を今風に直してやるときの第一歩だろう。新国立も昨年、大仰に昔の東欧作品をやったが、見るも無惨な見当違いの作品になった。キワモノは難しい。今回のテキストはリーディングのようなものだが、それにしても、俳優たちももう少しは表現力がないと、舞台に立っている人もつらいだろう。客席40席弱、満席・出来だった。75分。
    今回は若い人だから全く50年前の壁崩壊前夜は知らないだろう。それはそれで今やるには仕方がないいいのだが、これでわかったつもりになるのは最もまずい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    発表時の1977年では、独裁者にして東側の指導者スターリンの死(1953年)、東側の混乱の中で起こった
    ハンガリー暴動(1956年)、それに続く締め付けの時代を反映した作品なんだろうな……と思うのもつかの間
    映像や台本改変も行って首相の暗殺&国葬から2025年の現在に至るまで、東ドイツから日本までを「架橋」した
    手腕はすごいな、と。

    ネタバレBOX

    PCの立ち上げ画面かゲームのスタート画面を思わせるような、無機質なタッチで作品名を映写した壁面、
    簡単な座席や足場などで構成された舞台に登場した4人が、「これからハムレットマシーンを始めさせて
    いただきます!」のセリフに始まる、「ハムレット」など改変したような言葉を1時間近く何度も繰り返す……

    「ハムレットマシーン」はひとことでいうとそんな作品です。

    しかし、恐ろしいのは世界に何度となく起こった革命を経て、「ハムレット」こと英雄が最後は「ケンタッキー」
    「コカ・コーラ」「マクドナルド」に代表される資本の力に取り込まれて、ただの虐殺や凌辱を行う血も涙もない
    「蝿の王」(=ハムレット・マシーン)に堕ちてしまうことで、

    破局を迎えるたびに劇作品は何事もなかったように最初に戻って、どんなに抵抗しても人殺しの歴史の「やり直し」を
    強いられることでしょう。

    「東ドイツの話でしょ?」「歴史的な話でしょ?」と思ってこっちには関係ないとばかりに客席で見ている我々にも
    作家や演出家が手にする刃は容赦なく向けられていき、包帯グルグル巻きにされた「空虚な王子」ハムレットがあわや
    埋葬される場面では「あれ? これ? あの首相の暗殺を匂わせてね?」と頭をひねり、

    序盤からどんどん一部改変されていくセリフとともに抑圧者へのデモシーンが具体性をもって繰り広げられる場面では、
    「あれ? これって日本のデモっぽくね?」とますます疑念が募り、ある場面での「日の丸演出」でとうとう確信を
    もって「いつの間に日本の話になっちゃったんだよ……!」と恐ろしくなってくること請け合いです。

    セリフは発表当時の世相も考えて、検閲など避けたのか、意味深だけど後世から振り返るとああそういうことね、と
    気付くように書かれているのだけど、一部表現を「ウーバー」「スマホ」などにいじくるだけでまんま2025年にも
    通じてしまうのが息長い作品だなと。きっとそれは発表から50年近くたっても、共産主義と圧殺社会が滅び去っても
    ここで表現されていたことのコアな部分はいまだに生き残ってるってことの証左なんでしょうね。

    「プロンプするね」(さっき調べたら舞台俳優のセリフを助ける補助要員と、AIやコンピューターに指示を与える言葉の
    2つの意味があるそうで、おおっとなった)を最後拒否して、ハムレットを「支配」し虐殺者の役を与えようとする「神?」に
    全員で反逆するような表現があったのエモかった、そして最終場面では人間と機械の差ってどこにあるんだろうと考えてしまった。

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