シューマンに関すること 公演情報 シューマンに関すること」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-20件 / 25件中
  • 満足度★★★★★

    虚構と現実の交差の中で
    劇団2度目。

    悲しいお話。

    しかし観劇後の余韻がとても良い。

    一遍の詩のような作品。

    シューマンは詩人だったらしいが、作品自体も詩のようだった。

    最後の交響曲で作品が昇華していくのを感じた。

  • 満足度★★★★★

    音楽への愛情と蘊蓄
    音楽への愛情に満ちあふれた素敵な作品でした。シューマンと小太郎の狂気の連鎖というか繰り返しは怖いくらい。

    ネタバレBOX

    シューマンがブラームスやメンデルスゾーン、ショパンやリストといった音楽家を回想するシーンでは、そういえば、ピアノ曲の最後の名曲は何だっただろう、歌曲の最後の名曲は何だっただろう、交響曲の最後の名曲は何だっただろうと考えてしまいました。

    LUNA SEAネタは、それはそれで何か作品になるといいなあ。
  • 満足度★★★★

    劇構造がシューマンの交響曲のようだ。
     シューマンの物語かと思いきや、シューマンの生まれ変わりと思っている男の物語。そしてそれを小説にしようと思っている作家がいたりして、物語は二重三重の構造を持つ。

     そしてその生まれ代わりと思う男とその男を愛する妻の物語がある。この妻がとてもかわいそうだったが最後に少し救われた。

     役者では作家役の奈良崎まどかと夏樹役の太田亜希が魅力的だった。また個性的社長役の秋定里穂がとてもチャーミングだった。

    ネタバレBOX

     東京イボンヌはクラシックと舞台の融合を目指している劇団。こういうふうに方向性がはっきりしている劇団はいい。

     最後に妻がクララと呼ばれたとき、今までの苦労がすべて解消したような感じがして涙が流れた。

     太田亜希が新人編集者を演じるときと、クララを演じるときでがらっとタイプが変わり、その変化の見事さに感心した。
  • 満足度★★★★

    作り手の愛を感じる
    東京イボンヌ第四回公演は、ついに有名な作曲家シューマンと向かい合うということで興味津々でした。

    シューマンの人生は楽曲同様、多彩で劇的であるので、ネタは豊富だけれどそれだけに一捻り何かがなければ、その他大勢の中に埋もれてしまう危険があります。

    ただ、東京イボンヌが見せてきた劇――練りに練った、しかし決してマニアックに偏らないストーリーと、クラシック音楽が劇を包み込むという独特なスタイル――には、目を見張るべきものがあるので、今回も何かやってくれるはず、という期待がありました。

    私もそこそこクラシック音楽は聴いてはいますが、劇の要所要所で音楽が鳴り出すと、その使われ方に改めて心地良さを感じるのです。

    もちろん知らない曲もありますが、観劇後それらの曲を追いかけるのも楽しみの一つとなるのです。


    今回の「シューマンに関すること」

    一つに絞らせて頂くとすれば、最後、シューマンに忠実なまでに自分の人生をなぞった芦屋小太郎の頭に交響曲第三番「ライン」が流れたところ。

    「ライン」はシューマンが不遇だった一時を経て幸せを感じた頃に作られた曲で、精神病院に入院した芦屋のタクトがこの曲を奏でた時は、一瞬鳥肌が立ちました。

    ここに作り手の思いを特に感じました。
    あの重厚で壮大な第一楽章が鳴り響く中、幕を閉じるのです。

    心地良い余韻を感じました。

    ついに狂って精神病院入院で幕、と聞くと悲劇的に感じるものですが、音楽の力というか効果というか、劇中でも触れているように、シューマンの晩年は哀しいものだったということへのアンチテーゼにもなっていると受け取れました。

    東京イボンヌの作る劇には、題材への温かな思いが感じられます。それが今回はシューマンへ存分に向けられていたのです。

    しかし単なる持ち上げではなく、取材した中での結果であることは、シューマンを語る台詞でも実感出来ること。

    シューマンという題材を現代風にアレンジし、よりドラマチックに生かしたことは、劇作の醍醐味ともいえ、作り手の技を感じさせました。

    多少、マニアックなネタもありましたが、そこは飛ばしても、緻密でありながらスッキリする仕上がりだったと思います。

    そして、役者は簡素なセットに耐えうる力を持った人ばかり。

    道具は最小限に、あくまで、人間の表現力で劇を語る。

    第二回公演からこれが顕著になってきている感がありますが、今回はセットは最後の場面以外はそのままで、舞台の前後を別空間と見做しての展開。

    違和感なく観ることが出来たのは、やはり舞台に立つ役者の上手さですね。

    これも東京イボンヌの魅力の一つです。

  • 満足度★★★★

    とても素直に紡がれた物語
    とても素直な語り口で、よくも悪くも、けれんなく物語が綴られていました。

    ネタバレBOX

    音楽との融合というコンセプトもそれなりに機能していたと思います。
    ラストのシンフォニーは、確かにインパクトがありました。

    ただ、逆にけれんのない物語展開に
    観る側が流されてしまう部分もあって・・・。
    前半ですでに、シューマンの世界との二重構造が明らかにされるので、
    物語がその部分から十分に広がっていかない。

    ズルがないというか、実直に組み上げられた物語が
    それ以上の大きさを持ちにくい感じがするのです。
    いろんな歯車がスムーズに回っているのですが
    それらが噛み合う軋みが聞こえてこないというか・・・

    もっと物語にメリハリを付けてもよいし
    もっとけれんを使ってもよい。
    この物語は、実はもっと熱を持ち人間くさく演じられても
    良いような気がするのです。

    発想にはふっと見入ってしまうものがあるし、
    飽きることなく最後まで見終えてしまったのですが、
    物語自体にも、役者のお芝居にも
    もっとたくさんのものを観客に与える要素があるのに
    おしいなぁと感じたことでした。

  • 満足度★★★★

    作品、楽しませて頂きました。
    勝手な想像ですが、四次元に挑まれた作品なのかなぁと思いました。
    これは私のイメージですが、四次元とは走っている列車に似ておりまして、
    車輌の中が三次元、列車の外も含めますと四次元になります。

    今回の作品は、例えるならばカメラが、
    大自然の中を疾走する列車の遠景を捉え、
    車輌の中で繰り広げられる乗客たちの様子を収め、
    車窓から流れる風景を映している、といった感じです。
    私は、過ぎ去った場所やこれから向かう先に思いを馳せながら景色を楽しんでいるような、そんな体験をさせて頂きました。

  • 満足度★★★★

    悲劇の音楽家
    そんな印象が強いシューマンの物語だが、実際はそのシューマンの軌跡を同じように己に投影してしまった芦屋小太郎の物語。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    物語はシューマンの履歴と足跡を紹介し、クララとの恋やシューマンの作曲『幻想曲』、『クライスレリアーナ』、『詩人の恋』なども紹介する。ワタクシにとっては馴染みの曲だ。だからか・・・、生ピアノでの演奏が欲しいところ。

    これらを題材にとある作家が物語を書きたいと考えていたところに、原田夏樹というレポーターが現れる。彼女はシューマンに関することを芦屋小太郎に取材していた。そしてこの芦屋こそがシューマンの生きた軌跡を同じように投影してしまう。芦屋の中では夏樹がクララだった。そうして自分こそがシューマンの生まれ変わりだと自負する芦屋。

    作家は夏樹の取材した話を聞かせてもらう事で、小説を仕上げてしまうが、一方で芦屋家では小太郎がシューマンと同じように精神的に病んでしまう。そうしてセーヌ川ならぬ、多摩川に身を投げるのだ。芦屋の妻の芦屋を慕うセリフが身につまされる。

    しかしだ、、、物語は真面目だけのものか?といったら、そうではない。社長率いる雑誌社の連中がかなりイッチャッテル。社長はもっとイッチャテル!コメディそのもの。イカレタ社長にイカレタ従業員がナイーブなシューマンの真逆の設定でコミカルに描く。だから、それなりに笑いどころはあって真面目だけれど、案外バカバカしいのだった!


  • 満足度★★★★

    シューマンのことも分かり…、
    音楽とお芝居の関係がとても良く、作曲家の迫真の演技も怖いくらいで素晴らしかったです。

    ネタバレBOX

    先日、指揮者の沼尻竜典さんが、日本ではシューマンが好きというとちょっと変な顔をされることがあると仰っていましたが、曲はいい曲ばかりでした。交響曲も良かったですね。

    来月、沼尻さんの指揮による交響曲第1番変ロ長調と交響曲第4番ニ短調を聴きに行きます。

    何組もの夫婦関係が描かれていましたが、何かしら問題があり重苦しい雰囲気が漂っていました。

    作曲家の奥さん、最後にクララと呼ばれて良かったですね。

    ところで、何度かビンタのシーンがありましたが、あれはまさにDVです。

    感情が高まり、相手の話をさえぎる手段としてビンタが使われるのでしょうが、もうそろそろ止めませんか。

    強く床を踏むとか、別の表現方法を使う時代だと思うのですが…。
  • 満足度★★★★

    クラシック
    遅くなりましたが、感想を書いておきます。

    ここは、クラシック音楽が舞台で使われるので、すごく和むことが出来ます。

    日頃、クラシック音楽にあまり接しないので、
    芝居という非日常な空間では、イイなぁと思います。

    役者さん達がいいですねぇ。

    特に、今回すごく気になったのが、太田亜希さんでした。明るい雰囲気と健気な可愛らしさが出ていたと思います。


    今回のラストシーン、私は好きです。

  • 満足度★★★★

    狂、
    クラシックの知識がまるでない私にでも、とても美しいと感じた素敵な舞台でした。ロベルト・シューマン、彼にとても興味がわきました。

    ネタバレBOX

    冒頭のシューマンとクララの手紙のやり取りのシーンがとても好きです。
    綺麗な言葉でつづられた文章、どこか、感情を抑えているような。

    そして、芦屋と奥さんの演技にとても心を打たれました。
    あと社長さん。チャイナドレス、お似合いでした。


    ただ、途中私の集中力がちょっと途切れました。
    長いのかな?


    クラシックと舞台の融合、とのことですが「融合」という形で成り立っているかと言われればどうだろう。
    確かに題材はシューマンであるし、曲も流れているけれど。
    このような形を昇華させながら、もっとこの劇団でしかできないようなクラシックの取り入れ方をみつけてほしいと思う。


    スタッフの方々がとても丁寧で好感を持ちました。

    次回も楽しみにしております。
  • 満足度★★★

    タイトル通りでした
    シューマンに関して、よくわかりました。
    文章を媒体とした情報よりも、人の語る話に被せて音楽が流れ、
    作曲時の人間関係、背景などが大変よく理解できました。
    見事にオマージュしてました。

    ネタバレBOX

    所々に入る笑いのポイントも良かったですね。
    やはり登場毎に衣装の変わる(といってもチャイナドレスの色がですが)
    女社長さんが、お気に入りです。
    主役は芦屋小太郎さんでしたが、その奥様と作家さんと記者の。
    女性3人による共演って感じが上手に物語紡いでいきましたね。
    うーむ芦屋さんやカメラマンといい、1年編集長のまるちゃんといい。
    男性陣は情けなかったなー。
    落としどころも、よかったけど。
    作家さんの書き上げた本への評価話や、雑誌の仕上がりに関して。
    情報が少なかったのが残念です。
    本に関しては、アシストの男性との会話を膨らませるとか、
    雑誌に関しては、編集室内でのシーン1つ入れていろいろと、
    落としどころ見せてから、最後の命日の面会で閉めたほうが、
    良かったと思います。
  • 満足度★★★

    今更感想ですが
    芦屋夫妻、作家、夏樹のどれに焦点を合わせていいかわからず、ピンボケしてしまったような印象。
    どれも惹きつけられるキャラクターだっただけに、惜しい。
    個人的には夏樹がよかったのだけど、最後は物語から置いてかれて放置されてしまったしなぁ。

  • 満足度★★★

    クラシックは、やっぱり良い
    ネタバレBOXに書きます。

    ネタバレBOX

    クラシック大好き、クラシックがないと生きていけないわー、な人間なので、とっても楽しみにしてました。
    シューマンの、風景の見えるような美しい音楽も大好きだし。

    「自分はシューマンの生まれ変わりだ」という狂気の中で自分を保っている男、その妻、クララ、作家。
    この設定はすごくドラマチックで好きでした。クララとシューマンのやりとりなんて、ものすごく美しかったし感動しました。
    だからこそ、ここだけにもっと焦点を絞って良かったと思いました。

    編集部の人たちや、夏樹の夫や、作家の担当のキャラクターが薄くて、立ち位置がよく見えなくて、・・・じゃあ不要じゃない?と感じてしまいました。

    あと、せっかく音楽の融合を唱えているのでもっともっと曲を使うと良かったと思います。

    今度は生演奏のあるステージ・・・なんてのを見てみたいなあと勝手に思いました。勝手に期待します。
  • 満足度★★★

    シューマンに関することに関すること
    「君は机たたきについて何も知らない。机はなぁんでも知っているんだよぉ」
    東京イボンヌ『シューマンに関すること』より



    ________



    人間何にキレるって、楽しみにしてた芝居観に行ったら、隣の席の人間が音憚らずに始終盛大に鼻水すすってるのにキレますよ。

    花粉症の時期だから仕方ないのかもしれないけど、1時間30分、知らない女の洟すする音を間近で聴き続けるのが気持ちいいかと言ったら、他は知らないけど私はお世辞にもイヤですよ。



    「ここで私がブチ切れて暴れだしたら、たぶん役者さん達もどうしていいかわからなくて困るだろうな」
    とか思いながら90分、なるべく隣の人から顔を離すように、腰を曲げて拝見いたしました。


    みなさまも鼻水女(男にも)にはお気をつけて。
    ライブハウスとかだったら離れちゃえばいいんだけど、芝居はそうはいかない。



    _________




    以下は東京イボンヌ様が公演した、『シューマンに関すること』のレビューです。

    東京イボンヌは、「前の席で観たほうが面白い舞台を作る劇団」です。

    普段、私は舞台を観に行くと、舞台から近すぎず遠すぎずの席に座ることにしています。
    あまり遠すぎると観客の頭ばかりが見えて舞台の世界に入り込むことができないし、
    かといってあまり近すぎると、役者さんの舞台用の発声や表情が自然体でなく、
    胡散臭いのが諸見えで、それはそれで集中できないからなのです。

    が、イボンヌさんの舞台はできる限り前に座って拝見します。
    なんでか。

    東京イボンヌの演技はなんか自然体っぽくて近くで観ても平気だからなんでしょうね。


    誰一人としていわゆる舞台らしい演技、をしていないのが、この劇団の特徴だと思います。









    『シューマンに関すること』
    作曲者ロベルト・シューマンに憧れ続け、ついには自身をシューマンの生まれ変わりだと思い込んだ日本の音楽家の物語。と、ありていに言ってしまえばそういう話。


    舞台を見終わってから、シューマンの生涯に興味を持ちました。舞台で知ったシューマンに関することがあまりにも面白かったので。
    で、作曲家ロベルト・シューマンのことをネットで調べれば調べるほど、舞台の中で話されなかった興味深い濃いエピソードが数多く残されている事に気付きました。
    それこそ、一つ一つのエピソードがそのまま独立して、各々1つずつ舞台で作れそうなほどに。
    そんな中で必要なシューマンのエピソードをピック・アップし、かつ(誤解を恐れずに言えば)不必要なエピソードをあえて削除し、厳選されたシューマンネタで勝負するイボンヌさんに脱帽。もっと組み込みたい部分もあったのではないかと思うのですが、あんまりシューマンのエピソードを詰め込みすぎて、ただの逸話の集大成みたいな舞台になったらそれは、東京イボンヌの演劇ではなくなってしまう。


    ネタバレBOX


    あと印象に残ったことと言えば、終わり方が変わったような気がします。

    私が東京イボンヌさんの舞台で知っているのは、今回のものと『ブレス』と『喫茶シャコンヌ』 なのですが、


    『ブレス』の終わりは、

    「ここに来るのは初めて?」
    「当り前だろう」
    (暗転)



    『喫茶シャコンヌ』の終わりは、

    「旅行にでも行かないか?」
    「・・・ああ、(皮肉気味に)新婚旅行」
    「……そうだな」

    (暗転)




    ・・・と、観る者側から見たら、
    「ああ、この舞台が終わっても彼らの会話は続くんだろうな。しかもその会話の流れも大体わかる。この二人は、こう、こう、こうなって、きっとああなるんだろうな」
    と、続きを思わせるような、舞台が終わった後の、登場人物の人生の一手、二手先まで想像できるような終わり方をさせていたのが、今回の舞台は、続きが見えないというか、あのシューマンかぶれは死ぬのか、それとも生きるのか、それさえ見えない終わり方。



    しかも一人の精神病患者が、病院内で丸腰で手を振るだけで大きなオケが流れるという、日常生活ではできない、舞台でしかできない演出でのラスト。



    それが良い、悪いではないのです。
    実際そういう演出をやって舞台の仕切りをうまくしている人は、プロアマ問わず腐るほどいるわけだから。

    ただ、今までの舞台でやっていた、生活臭を愛する感じであった履歴から見て、今作品のラストはイボンヌさんの舞台の演出にしては珍しいなあと思いました。
    まず最初にあの終わり方を決めたのか。それとも、舞台を作ってゆくうちにあの終わり方にすることに決めたのか。イボンヌさんにとっては些細なことなのかもしれない。でも、私的にすごく気になります。


    最後に。
    銀座喇叭さんは三上博史の生まれ変わりだと思う。どえらいかっこいい。
    三上さんはバリバリ生きてるわけですが。
  • 満足度★★★

    構造的には面白くなりそうだったのだが
    雰囲気はよかった。
    演技もなかなかだった。

    しかし、結局伝えたかったこと(見せたかったこと)は何だったのだろう。
    見終えてそれを考えてしまった。

    ネタバレBOX

    自らのピアニスト生命が消えてしまったことから、精神に変調を来し、シューマンの生まれ変わりだという男(芦屋)と、それを支える妻の物語かと思っていたら、彼らからシューマンについて取材する編集者の女性の話が浮かんでくるのだが、その2つの線がどのように交わるのかと言えば、単に小説がかけなくなった女性がアイデアとして使うためだけの設定となってしまったようにしか見えなかった。

    これはどういうことなのだろうか。

    狂ってしまった男からわかるのは、シューマンの半生と同時代に生きた作曲家には誰がいたのかぐらいで、それ以上の、彼ら夫婦の深みはあまり感じられない。

    出演者の一覧には、作家である女性の名前が一番最初にあるということは、彼女がこの物語の主人公であるということなのか。
    とてもそうには見えない。

    不倫体験をリアルに描いたことで脚光を浴びた作家で、今は書けないということだけで、次の作品のテーマが、なぜシューマンなのかがイマイチわからない。

    てっきり、この作家と編集者の女性が狂言回しとなり、シューマンの生まれ変わりだと主張する芦屋とその妻の葛藤が、シューマンの本当の物語とともに、クローズアップされていくのかと思っていたが、単に歴史的事実を台詞でなぞり、いかに自分がシューマンの生まれ変わりなのかと主張するのみ。

    一番疑問だったのは、出版社の人々だ。
    狂った男や書けない作家、病気の夫を抱える編集者という、陰々滅々としたストーリーにひと味加えるための、コメディ的要素なのだろうが、彼らは物語全体にまったく活きてこない。

    せっかく加えたのならば、主たる物語を補強するような何かが必要だったのではないだろうか。
    特に、社長は出るたびに、彼女だけはなぜか衣装替えまでしているのだ(チャイナドレスなのに・ここ笑うところ?)。かなり力のある女優さんだとは思うのだが、これではもったい。

    また、シューマンの曲は、ラストのシーンでは効果的だったが、途中での使い方は、単に曲紹介だけのようであり、せっかくテーマに据えているのであれば、もっと積極的に、かつ印象的に活用すべきだったのではないだろうか。

    つまり、「舞台とクラッシックの融合」を標榜するのであれば、せめてシューマンの数々ある曲とストーリーを融合させるぐらいのことはできたのではないのだろうか。

    シューマンの生まれ変わりという男と妻、編集者の女性とその夫という2つのストーリーを女性小説家が、虚構の中で交錯させるという構造はとても面白く、狂った男の現実と虚構という対比もあるので、この物語はもっと面白くなったのではないかと思った。

    小説家が、小説の主人公芦屋を、シューマンがセーヌ川へ身を投げたように、小説の中で、多摩川へ身を投げさせたような展開、クララと称して現れた女性編集者の姿のような、虚構と現実がない交ぜになったあたりに面白さが潜んでいたように思うのだが。

    唯一救いなのは、ラストで、シューマンが没した日に、芦屋が妻を「クララ」と呼び、芦屋夫婦に希望の光がかすかに射すところぐらいだろうか。そこで交響曲が流れる様子もとてもよかったのだ。
  • 満足度★★★

    想像とは
    ちょっと違ったけど、オマージュとしてはしっかり成り立っていたと思う。

  • 満足度★★★

    あれこれ予習して行きましたので
    観劇された方からの情報もインプットしていたので、戸惑うことなく観ることができました。
    意外とベテランさんの集まった作品でしたね。

  • 満足度★★★

    チラシを見て
    綺麗な作品かと思い観に行きました。知識はないですがクラシックは割と好きなのでシューマンの音楽にも浸りたいと思い観劇。シューマンの人生について描く作品かと思ってましたがちと違いましたね。少し残念。

  • 満足度★★★

    そう取り込みましたかぁ
    シューマンの特集を組むことになった雑誌の新人女性記者・夏樹、シューマンをテーマにした小説のアイデアが出ずに筆が進まない女流作家(=記者と偶然知り合う)、かつてコンクールで優勝し「シューマンの第一人者」と呼ばれたピアニスト・芦屋(=記者の取材相手)の三者を中心に描きながら、そこからシューマンの人生(後半だけなので「半生」か?)が浮き上がってくるシカケ。
    で、芦屋は事故で指が動かなくなりピアノを断念し精神を患っているとか、自分をシューマンの生まれ変わりと思い込むとか、そのあたりで予習が利いてくるワケさ、「そう取り込みましたかぁ」みたいに。
    また、芦屋の様子が劇中事実なのか、それとも夏樹から聞いた話にヒントを得た作家(当日パンフの役名も「作家」のまま)が著している小説の中のフィクションなのか、と疑問を抱かせておいて終盤で「あることないこと書き連ねて…」と響子(芦屋の妻)に言わせて少なくとも全てが事実ではないことを明かすのが上手いし、「(芦屋の)クララになりたくてなれなかった」響子が芦屋から「クララ…」と呼びかけられるラストも切なく美しい。
    暗めの照明の中で流れる台詞がエラく文学っぽくて(笑)「作風が変わった?」と思ったらシューマンからクララへの手紙だったというプロローグもその後の展開を示唆して巧みで、後から振り返ってモロモロ納得。
    そんな中、編集部のシーンはコミカルでメイン部分のどちらかと言えば悲劇気味なトーンをうまく緩和していたな、と。
    対象となる人物を直接描くのではなく、メインとなる別のストーリーを進行させる中にその生涯を練りこむ手法は今年1月のユニークポイントの『シンクロナイズド・ガロア』と通ずるものアリ。

  • 満足度★★★

    高尚な構想
    シューマンに傾倒する元天才ピアニストという着想が面白い。役者も秀逸で、落ち着いた大人の雰囲気。

    話の作り方、というか人物の設定が、「設定」から「人間性」へと練りこまずに、話の筋のための「都合」が優先したかのような行動や台詞が、それがまた一つの芸術に対するオマージュのようでもあり、狙ってやったのなら面白い試みだと思う。

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