ひび割れの鼓動-hidden world code- 公演情報 ひび割れの鼓動-hidden world code-」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「表現」の源泉を求めた、古代ギリシャへの旅。
    白い布をかけ、色をなくしたシンプルな舞台は儀礼の場のよう。
    その周囲を「俳優」が歩き、時間の旅を始める冒頭から、深い時間の奥行きを感じました。「俳優」と「コロス(ダンサー)」が対置されながら進行する展開のなか、印象に残ったのは、ディデュランボスの祭礼の場面です。その踊りの輪には、盆踊りにも通じる、死者や過ぎ去った時間への思いが表れていました。

    舞台構成、ダンサーたちのキレのある身体……頭脳と視覚を刺激する作品です。断片的で抽象的ながら、不思議なニュアンスを感じさせるイキウメの前川知大さんが執筆したテキストとのコラボレーションも含め、「ダンス」でもない「演劇」でもない、「パフォーミングアーツ」を開発する意欲、意思がそこにはありましたし、その地盤はすでに十分に固められつつあるとも感じます。この魅力的な場が、時には逸脱や混沌も含みつつさらにオーラ、熱量を放つ展開をみたいと思います。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    ギリシア悲劇の「コロス」という存在に着目し、かつて祭りのコロスから俳優が生まれ、時代とともに演劇、俳優、コロスが変容していく──その壮大な人類史と舞台芸術史を見たようでした。
    舞台芸術がまだ今の形ではまったく無かった頃、人間たちの営みの背後に広がる大地、古代ギリシアの野外劇場の周囲に広がる町々、ステージという舞台にあがる人びと……そのような光景が見えるようでした。緻密で静謐。美しくも、なにか覗き込んだら食われるような深淵がある。タイトルは『ひび割れの鼓動』。そこに書かれた英字の『HIDDEN WORLD CODE』をまさに探すような、壮大な時空の旅でした。

    ネタバレBOX

    ギリシア悲劇を丁寧に考察/構築されていて、さらにそれを技術力のある俳優と、身体性の洗練されたダンサーとともに舞台にて表現しようという大胆さと的確さに驚きます。舞台芸術の本質が積み上げられるような、なんと貴重な第一歩だろう、と思います。
    丁寧に組み立てられている反面、同時に、枠組みが際立つような気もしました。その構成が知的好奇心を刺激し、考察が優れているからこそ、頭で見てしまったかもしれません。そこに生身のカラダが躍動する身体表現による爆発力や空間の揺れのようなものを、感じたかったといえば望みすぎかもしれませんが……頭だけでなく五感への刺激がもう少し強ければ、さらに大きな高揚感があっただろうなと思います。

    テキスト・ドラマターグは前川知大さん(イキウメ)。独自の世界観と言葉を持っている方なので、その特色をもう少し感じられたらコラボレーションとして現代的な面白さがあったかなと思いつつ、ダンスと演劇の背景を持つアーティストたちが共に古代ギリシアまで遡り、同じく舞台芸術に携わる者としてその歴史を立ち上げていく壮大な試みには興奮がやみません。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ダンスと演劇を同地平に併置することでその化学反応を見た実験的作品である。

    ネタバレBOX

     ダンサーはダンサー、俳優は俳優として舞台上におり、それぞれの身体がダンス的空間、演劇的空間を担保していたので、両者が交錯した瞬間の舞台上の異質化が体感できて面白かった。アフタートークでも語られていたように、その際観客の目線は演劇とダンスの間で行き来する。舞台上のダンサーあるいは俳優の身体を見ることで、観客の身体にも変化が起こるのが体験として新しかった。何より、出演者の技術が圧倒的に優れていた。川合ロン、平原慎太郎を筆頭にダンサーたちの能力は言うまでもなく、佐藤真弓、薬丸翔もダンサーたちの身体と拮抗する空間を築けていた。この、やや歪でありながら調和を見せた空間は、美しい美術と照明、衣装と音響によって構築されており、スタッフワークの完成度が高かったと評価できる。
     他方で、ダンスと演劇の間を行き来する試みは既に歴史上にあり、この作品の独自性が見いだせたかは今ひとつだった。コロスを描くというテーマと、本作の実験的手法の有機的な結びつきが見えれば、それはダンスあるいは演劇を更新し得るのではないかという予感がした。
  • 実演鑑賞

     真っ黒な空間に、大きな白い布に覆われた大きなステージがあります。よじ登るのに少し苦労するぐらいの高さがあり、パフォーマンスは主にその上で行われます。ステージの周囲にはまばらに、細長い白い棒が数本、刺さっています。棒高跳びの棒のような長さで、白樺の木々のよう。卒塔婆に見えなくもないです。

     白いコートを羽織る俳優2人(薬丸翔と佐藤真弓)は言葉を使います。その他のダンサーたちの衣装は体にややフィットするデザインで、色合いは淡い灰色のグラデーションです。彼らは無言でした。言葉を操る人と体を操る人という2つのグループに分かれているように見えました。

     当日パンフレットに、振付・構成・演出・出演の平原慎太郎さん、テキスト・ドラマターグの前川知大さん(イキウメ)の文章が掲載されており、今作のテーマである「コロス」の解説もありました。顔写真入り、プロフィールありの出演者紹介ページもありがたかったです。

    ※劇場ロビーで制作さんが私の足に気づいて(びっこを引いていた)、移動しやすい席に変更してくださいました。もう…涙出そうだった…。ご親切に感謝いたします。本当にありがとうございました!シアタートラムがもっと好きになりました。

    ネタバレBOX

     6つのチャプター(章)から成る作品で、チャプターごとに題名がついており、字幕表示されます。俳優2人は会話をしているようですが、どこで、何のために、誰に向かって言葉を発しているかが不明瞭なことが多かったです。どこかの曖昧な対象に向かって投げかけられて、そのまま消え入ってしまいそうな言葉が浮かんでいました。相手に向かって話しているように見せかけた独り言のよう。彼らの所在なさげな姿もその印象を強くしていたかもしれません。空間は閉じていないのに、逃げ場のない窮屈さを感じました。

     ダンサーの振付は見た目の美しさを目指すのではなく、互いの存在を確かめ合うために手探りをする過程を、そのまま見せるような印象がありました。俳優とダンサーの存在の仕方が私にはまるで違うように見えており、触れ合ったり、アイコンタクトを取ったりしていても、それぞれが別の世界の住人のままで、この演出の意図しているものが何なのかを探りながら観続けることになりました。

     「chapter 4」のステージの下で踊るデュオ(東海林靖志&高橋真帆)がとても刺激的でした!誘い合っているような、戦っているような…敵か味方か判別のつかない関係性がスリリングでかっこよかったです。高橋真帆さんは視線に力があり表情も豊かで、目が奪われました。

     終盤に入り、俳優に応える形でダンサーがセリフを発した途端、ダンサーたち全員がいわゆる「コロス」に見え始めました。サスペンス・ドラマの謎が解けた瞬間のような高揚感があり、束の間の祝祭ムードも感じました。
     ステージが布に覆われていく様子は何かを葬っているようで、積み重なっていく地層を想像しました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    異なる才能が問う俳優・ダンサー論

    ネタバレBOX


     大きな白布で覆われた正方形に近い舞台は客席に向かい角が向き、背景には10本の棒が配置されている。舞台奥から布をかぶった演者たちが現れ、ゆったりと歩き回りどこかへと消えていく。不可思議な空間から女(佐藤真弓)と男(薬丸翔)が出てきて要領を得ない会話を始める。いわく「私たちはいま、こうして歩いている、普通に。いまさらよちよち歩きはできない」「お酒でも飲まない限り」「そう、お酒でも飲まない限り。よちよち歩きだった頃を覚えている?」「シラフで生きていくにはきびしい世の中になってしまった」。

     二人は、立ったまま不規則に手足を動かしては止める動作を繰り返すもの(川合ロン、東海林靖志、高橋真帆、平原慎太郎、町田妙子、渡辺はるか)の回りを歩いている。やがて舞台上にいる全員で円陣を組み、あたかも民族舞踊のように軽やかに舞いながら手を叩いてリズムを刻み始める。これは主神デュオニソスに捧げられた合唱抒情詩「デュドゥランボス」。現代に諦観する言葉と古代への憧憬を表すかのような動きを交えた重層的な幕開けは、古代ギリシャ劇に着想を得たという『ひび割れの鼓動』の作品世界を端的に示した。

     本作は振付・構成・演出の平原慎太郎とテキスト・ドラマターグの前川知大の共同作業によって生まれた。第一の魅力はコンテンポラリーダンス界と現代演劇界の才能が生み出す独特な作品世界である。稽古はまず平原の振付をもとにダンサーたちと動きを決め、それを確認した前川がテキストを書き、それをもとに新たな場面を創作するという流れで進められたという(3月26日夜公演のアフタートークより)。OrganWorksの先鋭的かつ静謐な作品世界と平易な言葉で超現実を描く前川の劇作が、古代ギリシャ劇という要でうまく合わさったものだと感心した。

     先述の通り本作では俳優とダンサーが同じ舞台に上がっている。そのため互いの方法論の差異が浮かびあがってきたところもまた興味深いと感じた。正確だが無機的な印象のするダンサーの身体に対し、運動能力では劣るものの持ち味で優れているのが俳優の身体だということがよく分かった。台詞を伝えるための俳優の発声はダンサーたちが時折発する唸り声とは明らかに異質なものであった。俳優とダンサーがもう少し大胆に絡んだり、ダンサーが積極的に台詞を発したり、俳優が踊ったりしても面白いかもとは思ったが、互いの領域に対する敬意には好感を持った。

     全6章で構成される本作では、冒頭のいずこかを歩き回る男女の対話や、「彼はボクです」とドッペルゲンガーを見た男の告白、死者を感じる女が「この世界は死にあふれているが、死人は口なし」とランプ片手に闇を彷徨する様子などを経て、冒頭のデュドゥランボスへと回帰する。中盤、舞台下で転げ回るようにして回転するダンサーのムーブメントには手に汗握った。

     個々には面白い場面はあったし目論見は興味深いが、観終えたあと「私はいまなにを観たのか、ダンスか、それとも演劇か」とポカンとした気持ちになった。とはいえ平原が『HOMO』で描いた「人類最後の日」のようなスケールの大きさを感じる歴史観に満足を覚えた。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「新たな舞踊を呼び起こす感覚を得た。」と、プログラム巻頭に記されているが、いつも予想もつかない世界観を提示され興奮し続ける
    平原ワールド。
    今回はまた俳優の台詞演劇とダンスの
    一体化が余りに馴染み絡み合い、しかし領域は分け合っての匠みなシーンに釘付け。課題のコロスの存在が明瞭な蠢きに展開している。

    3.12月KAAT初公演から予定の各地公演が出来ず、ようやく再演された待望の舞台。
    いつも進化する平原ワールド。
    再考され、研ぎ、削ぎ、洗練…益々の進化に興奮冷めやらぬ公演だった。
    意味深いテーマ毎の一呼吸で、より鮮明に組立てがなされたような体感。

    上下二段となる板の舞台空間に先ずびっくりする。始まる前からの空気感と登場の仕方、また俳優の掛け合いがダンサーの絡みと相まって深みにはまっていく。
    台詞の掛け合う演技と集団コロスのダンスの匠に蠢く動作からの二元性。ダンサーのリアルな立体感のある蠢きと発散からの鎮まり。俳優とダンサーのコンタクト噛み合い方の匠な妙に、まさかの自分も同化したかのような錯覚に引き込まれてしまう。
    俳優とダンサーの出演者が古典演劇誕生の型を予感する衣装や音、照明の組み合わせ、二枚の板空間の舞台に乗じて、
    実に平原ワールドでないと誕生しない出会いの壮大な文化の結合と進化を目の当たりにする。
    ダンサーのあまりにリアリズムの削ぎ落とした洗練された動きに圧倒されながら、俳優の台詞に重なる時の調和はコロスの原点か…平原ワールドの止まらない探求心がたくましい。コロスを軸にしながら、表現者個々への尊厳たる希望の一石を投じている。
    しかもこの世界観には、演技・舞踊の原点、
    神祭りに起因する神聖な空気感をもいざなっていて印象深い。

    台詞の言葉はダンス表現の輪郭を得ることができる。感じたワード…

    よちよち歩きの時のこと覚えてる?
    もう下り坂
    荷物捨てて…
    死人に口なし
    いや生きてる人間に耳がない
    寄り道
    疲れて歩けない
    地下を照らす灯り

    終演後夕陽眩しくも興奮覚めず、
    ワードでフラッシュバックしながら歩いていたら下北沢の混沌街に辿り着き、
    現実に還った…

    いつも新鮮な驚きを与えてくれるダンスの世界観をまた一新。
    研ぎ澄まされたこのワールドにまた身を投じたいと、心が湧くばかりだ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    役者が語る言葉は、自分の内側へと落とし込まれて、自分の経験に戻ってきて、気持ちが忙しくて嬉しくもなる。
    ダンサー、コロスはその他大勢でなく個で、個性で、可愛らしい
    全ては理解できないけど
    没入する時間はしあわせで
    かっこいい。
    また見たい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ひび割れの鼓動
    この作品を鑑賞した直後に、この作品でしか表現し得ない時間感覚に襲われました。この感覚が何だったかを考えながら感想を書きたいと思います。

    まずは、今作品の座組みの概要を振り返りながら考えてみようと思います。

    今作品はOrganWorksに加えてテキストとドラマターグを「太陽」や「獣の柱」を手がけた劇団イキウメの前川知大。音楽を現行シーンで活躍するラッパーのCampanella、C.O.S.A.やシンガーソングライターの折坂悠太などのビートを手がけるRamzaが担当しています。

    つまりは、最先端のダンスミュージック、現代演劇とコンテポラリーダンスという、最先端のアートたちから、2500年前の時代の舞台を、言い換えると、原初の文化を体感させられたような感覚です。まだ、掴みきれていない感じがします。

    このような感覚を想起したのは何故なのか。次は舞台のディティールから考えてみようと思います。

    アンビエントを抑えたループミュージックの要素が強いビート、演者が舞台を回りながら繰り返されるセリフ、ハンドクラップも交えながらトライバルな激しいダンスの3要素が分離せず絡まります。

    しかも、それらが繰り返されていきます。繰り返されることによって、それは振動になり、私たちの意識という地面を揺らしてきます。その地面がひび割れて無意識の感覚が露わになる。それこそがタイトルの「ひび割れの鼓動」が指すことなんじゃないでしょうか。

    つまり、「ひび割れの鼓動」とは、私が鑑賞した直後に体感したこの作品でしか表現し得ない時間感覚の正体であり、やはりこの作品しか持っていない「揺れ(vibes)」なんだと思います。そして、この「揺れ」は原初の文化、この舞台のテーマでもある「コロス」があった時代から存在した感覚なんだと思います。

    長々と書いてしまいましたが、この作品は演劇、音楽とダンスで積み重ねた瞬間が「揺れ」となり、現在から過去と未来を露わにする。
    まさに、時間の引き金の様な作品でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/03/25 (金) 19:00

    昨年秋のKAATで初演された作品の再演。
    作品が熟し、レイヤーとして低音的に鳴っている呪術性が強く出たような印象。箱が変わったことによる照明やサイズ感の違いによる「場」の見え方の違いもあった。勝手に感じ取ったキーワード:九つの命、無限ループ、鬼の召還、異界と冥界との境目、境界域。

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