藤田嗣治〜白い暗闇〜 公演情報 藤田嗣治〜白い暗闇〜」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    藤田が27歳でパリに渡るところから猫と裸婦の画家として名を馳せたのち、日本で戦争画に手取り組む際の葛藤などを130分で描く。鈴木アツトさんの作・演出は初めて拝見するけれど、表現者の葛藤と自負を丁重に描いて面白かった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    みました。

  • 映像鑑賞

    満足度★★★★

    「ケストナー」に続き歴史上の人物(芸術家)を戦争との関わりを焦点化して描いた秀作。前作が初見の劇団印象の過去作は見てはいないが「演出家」のユニットという認識は「劇作家」のそれに変った。
    「戦争画」を巡ってのやり取りに後半長い時間が割かれている。
    話は逸れるが・・今ハマってる朝ドラが「花子とアン」(時々思いついたように過去の朝ドラを見る事がある)なのだが、村岡花子の幼少からの人生をじっくり描いていてスパンが長い。「赤毛のアン」はいつ出て来るのかと思いながら見ていたら、殆ど最終段階に、ひそやかに、その英文の本が手渡される。今、それどころではない、戦争の渦中に。ドラマは花子(本名ははな)が甲府の貧しい農家から東京の女学校に上がり、社会人になった頃でもまだ大正時代、社会は徐々にきな臭さを帯びるが、描かれるのはあくまで花子の生活圏のドラマ。時折「社会」の風が姿を見せるのであったが、回も大詰めを迎えた第141回の今は日米戦争真っただ中の1943年。社会(国)は覆っていた布の下から露見した般若の形相でむき出しの暴力性をあらわしている。1930年代後半から強まっていた息苦しさが、息継ぎをする間も与えられず胸が抉られるように苦しい。あと2年もこの時を耐えねばならないのか、と。

    ・・芝居に戻れば、主人公・藤田嗣治が芸術家が食って行けない時代に「戦争画」を書いた、と言ってしまえば実も蓋も無いが、芝居ではこの藤田にそれを書かせるまでに様々な契機を与え、周囲に説得させている。つまり「何故」との問いに単純には答えられない「戦争期」というトンネルを潜った藤田の暗中模索の時間を思うのである。ポツダム宣言受諾後「戦争犯罪」の訴追を予想した、架空の弁明の台に芝居は藤田を立たせる。体制に協力したか否かは、確かに重要であろうが、この作品が描く藤田は果たして何に学べただろうか、とふと思ってしまう。
    コロナの間、いとも簡単に「一色」になり、お上の制限を受け入れ、殆ど感染確率のない不要な「対策」を自らの判断で受け入れるだけならまだしも、他人を非難する行為が(TV出演の医師、専門家の一部さえも)横行した。
    学ぶべき財産である先人の大きな失敗から、何も学んでいない日本の現実を見れば、それに比べて一人の画家の当局への協力が、戦争を「描く」という行為が、何ほどのものだろうというのが実感だ。

    「アン」に戻れば・・(戻る必要もないが)
    花子とは紆余曲折ありつつも常に腹心の友であった蓮子(白蓮、仲間由紀恵)は、愛を貫いて築いた家庭を守る思いばかりでなく、子どもたちのために戦争を終らせねばならないと昔とった杵柄、活動家として動き始める夫にも理解を示し、心の底で結ばれている。その蓮子は「一色に染まる」時代の変化にいち早く違和感を抱き、その事を言葉にする。それに対し、まだその時は「空気に逆らわない事が個人のため(時代がこんなだから)」と信じて周囲を気遣っていた花子は、同じように蓮子に「口にしない」ことを助言するが、既に夫が一度投獄され、現状に甘んじる事こそ子供たちへの裏切りと強く感じている蓮子にとって、「何も言わない・しない」事はあり得ない選択であり、花子に「あなたのような卑怯な生き方はしない」と言わしめる。
    戦争を背景にした生活の細部での理不尽さ(大いなる滑稽さ)を、このドラマでは「静かに」描いている。
    2014年放映というから、「まだ」7年だが、震災・原発事故の記憶がまだ生々しい中、このような真摯にテーマ性と向き合う場面が作れた時代だったのだな、と思う。この後、戦争法案可決、20万人デモが徒労に終わった揺り戻し、安倍政権のやりたい放題(森友、加計、文書偽造(役人忖度によるが圧力はあったのでは)、統計偽造や統計法変更(アベノミクス成功を印象づける)等々)と、個々の案件は個々のものだが「それを許す」面倒臭がりの市民を生み出した。中でも地味で大きな変化は報道に携わる人員の変化だろう。
    蓮子と袂を分かつことになった花子も、譲れない一線を見てある決断をする。
    恐らくドラマは戦争の経過をなぞり、降伏。花子は翻訳を完遂し、広く読まれる事になった「赤毛のアン」の初版本の装幀のアップで終わるのだろう。
    戦争を生きた者にとっては、忘れたい時代であるかも知れない。だが、そこから何かを見つけなければ、踏み締めがいのある足がかりがなければ、望みの持てる未来への期待など湧いてこないのではないか。苦痛を避けたい弱い存在であるが、苦痛の中に希望を見ようとするのも悪くないと思ってみる今日である。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     表現する者が第1に為すべきこと。それは問題提起である。演劇に於いてもアーティストとして演劇に向き合う者なら、この点を疎そかにすべきではない。今作は、そのような立場から書かれ上演された作品と観て良かろう。この勇気ある上演に拍手を送る。

    ネタバレBOX


     ユトリロ、モジリアニ、ローランサン、シャガール、キスリングをはじめとするエコール・ド・パリを代表する日本人画家・レオナルド藤田27歳の渡仏から第2次世界大戦終結後までを描く。嗣治の父は陸軍軍医総監になった軍医であるが、本物のアーティストを目指す者らしく国籍も定型も拒否し常に時代と場所の特性を観察吸収し以て己独自の作品世界を構築しようと懸命に生きる嗣治は日本人であることも捨てた。間髪を入れずアーティストとしての抱負を述べる嗣治に対し父の嗣章は「お前は何人か」と鋭い問いを発する。父は、それは一般の人々とは全く異なる世界を生きることだと知っているからであり、大きな仕事を為す者は良くも悪くも社会の代表者となることの意味を知っているからである。然し嗣治の意思は固く、表現することに総てを賭け制作した作品を通して永遠と戦うことを希求する。これは一般人が想像するような甘ったれた世界では無い。全き孤独を知悉しつつ、己の全存在を賭けて、世界を観察解析し、作品に仕上げる為の技術を磨き且つ作品として屹立させることに他ならないからだ。それを実現する為に払う代償は決して小さなものではない。己の孤立と孤高を時の齎す鑢でしかと磨き屹立した物として観る者の眼前に対置することだからである。一般人には、このような人生を選んだ人間の心持ちは理解できない。無論、理解しようともしない。一般人の見るのは単に作家の評判、気にするのは自分の周りの人間が下す己の評判に過ぎない。而もそのような評判の結果は作家に重大な脅威とも名声ともなり得る。殊に日本の同調圧力を原理とする圧迫は、その中心に天皇制に実に良く似た責任回避という名の空虚を置くので日本の一般人が「扇動された」(実際には周囲の目と官憲を恐れて嘘八百を選んだに過ぎないが)時の実際の圧迫とその後それが流行遅れとなった時に主体責任を完全に無視する徹底性に於いて天皇制とその象徴する空虚を根拠とする「論理」は並ぶべき規範を他国には見ないのではないか? 天皇が日本独自の云々と言い張る人々は少なくともそのように考えていると思われる。因みに朝日新聞の住は、帝大時代下町のセツルメントの中心スタッフとして活動していた。ということは東京帝国大学のマルクス主義者学生だったということだと、日本近現代史を多少齧っている者なら誰でも類推する所だ。多門が左翼的な発想を根底に秘めているのも少なくとも左派のイデオロギー、人間観を根底に置いていることは明らかである。これらの開明的思想を知る人物達が、乗り込んでくる占領軍がどのような施策を採るか事前にあれこれ考えるのは必然である。関連資料を燃やそうとする発想もある意味で自然であり、それは己の関与が日本軍政に関わりが深ければ深いほどリアルに考えざるを得ない。この期に及んで敵前逃亡する為には多くの困難が存するし、ましてかつて左翼知識人としてリーダーシップを発揮した住が、己のできる範囲で社会的責任を全うしようとする(絵描きの中から戦犯を出さない)のは当然である。無論、多門の言っていることは現代の我々から見て最も民主的で理想的な意見ではある。然し多門は小物で社会的責任を負うべき責務は住に比べて遥かに少ないのも事実だからこそ、理想的なことが未だ言えた、ということも見逃せない。第1の弟子である山田は戦死してしまったが、大日本帝国臣民から日本国国民になった無責任極まる人々から戦犯容疑者とみられ始めた嗣治は、その重圧からの妄想の中で死んだ兵士達から襲われる己の姿を幻視する。ヘルメットを被っているから顔は良く見えないが銃剣を付けた歩兵銃で襲ってくる彼らに応戦していて倒してしまった兵士からヘルメットが落ちた。その時、嗣治が見た兵の顔は、山田であった。この痛哭! 
     先にも述べた通りアーティストとしての嗣治に対し父の嗣章は「お前は何人か」と鋭い問いを発していた。この一言が意味した所は、実際日本でレオナルド藤田の作品評価を手の平を返す程大きく左右した。然し、その時期が過ぎ去ると嗣治の作品は、その作品の持つ普遍性と普遍的美即ち永遠性によって再び多くのファンを獲得して現在に至っている。
     以上に挙げた総てが、今作が我々に提起した問題群である。この事実を良く噛みしめて反芻したい。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ゲルニカを越える物を描きたい藤田は、軍の策略に乗ってしまい戦争画を描く事に・・・♪
    残念な事は画家の生活観が感じられ無かった事か・・・♪

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    印象的な見た目な主人公=レオナール藤田は
    再現しやすかったかなーと
    なかなか画家というものを丁寧に描いてみせていた感のある
    2時間10分の作品 自由席
    コロナ下でもあり座席間隔は開いておるも
    場内は満席状態であって関心度は高い舞台だったとも感想

    アンケートは用紙でミニペン付き
    50kgぐらいの上質紙みたいでしたわ
    ・・・今月はBUNKAMURで超有名画家の作品見たりと
    絵画に関するコトに今作含めて縁があるかしらん(^-^)
    なんか油絵描きたくなってきますね~♪

    ネタバレBOX

    開演前のBGMは波音で
    中途アナウンスなどが入りました

    第1次世界大戦前のフランスで
    自分の画風の方向性を模索するあたりから
    WW2終戦後の戦犯となるやも・・といったところまでを描いた
    時間軸の長い話であった

    自分の想像と現実の戦場では・・との再現での兵士の姿とか
    藤田の画家としての小道具=絵筆とかキャンパスとか
    自分好みの小道具の再現と拘りは大変好みでありました
    号数は小さくも再現作品絵画も出てきたし
    小道具=舞台美術さんに拍手デス

    基本は素舞台にセットとなるベットや机等を配する舞台転換は
    薄明かりの中で行われて作品に合っていたかなーとも

    出入り口なども上手に用いて劇場を広く使った見せ方も好印象でした

    モデル?愛人?として登場の女優さんは色気が~(^-^)でしたわ

    ただ自分的にはラストはフランスに帰化するとこまでーとか思ってたので
    割と中途で終幕となった感が強かったですかねぇ

    友人の藤田偽物話とか
    後半で戦争で亡霊化しての登場など
    脇役さんがインパクト強かったなぁ~とも
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2021/10/28 (木)

    価格4,000円

    28日19時開演回(130分)を拝見。

    1幕10場の舞台、自分には忙しなく感じられたが、ヒトによっては”テンポ良く”と取る向きもあろう。
    なお、2回ほど、場転の最中、出演者が唄を口ずさみながら作業に当たっていたのは、単調さを避ける、という意味合いで好感。

    まだ公演中なので詳細は伏せるが、主人公の藤田嗣治は当然として、藤田を戦争画に導いた朝日新聞記者・住喜代志に強く心惹かれた。

    生死の境にいる兵士たちの魂を、キャンバスの上に永遠に刻み込もうとした画家

    貧富の差なく、全ての国民が平等にお国のために働けると、ある種の理想郷を戦争に見出した新聞記者

    しかし、それぞれの初志とは裏腹に、いつしか時代の狂乱に飲み込まれていった、この2人の(実在の)登場人物。
    もし今も存命だったら、是非、話を伺ってみたい!と願わずにはいられなかった。

    ネタバレBOX

    【配役(*は実在の人物)】
    *藤田嗣治(ふじた・つぐはる)…間瀬英正(ませ・ひでまさ)さん
    ナタリア(娼婦)…廣田明代さん(ひょっとして千歳烏山のアトリエでお見かけしたかも?)
    村中青次(後輩の画家→嗣治の内心を反映した”幻影”)…泉正太郎さん
    ユーリャン(モデル)…灘波愛さん
    *藤田君代(嗣治の最後の妻)…山村茉梨乃さん(実物の君代さんの写真に感じがそっくりなのにビックリ!)
    多門土郎(たもん・つちろう、小説家志望)…杉林志保さん
    *山田秋平(嗣治の内弟子)…片村仁彦(かたむら・きみひこ)さん
    *住喜代志(すみ・きよし、朝日新聞記者、美術ジャーナリスト)…二條正士(にじょう・まさし)さん
    藤田 嗣章(嗣治の父。軍医)…井上一馬さん
    陸軍兵士1…伊藤大貴さん
    陸軍兵士2…浦嶋建太さん
    陸軍兵士3…堀慎太郎さん
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2021/10/27 (水) 19:00

    135分。休憩なし。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    藤田嗣治(間瀬英正)の、世に出たい野心と自己宣伝、画力、茶目っ気と憎めない可愛げがいい。フランス語もできない不遇の渡仏当初から、パリ画壇で認められ、帰国して戦争画で国民の喝采を浴びるまで。「北斎のような大波に飲み込まれる」様を現前する興味深い2時間10分だった。トレードマークのおかっぱ頭が、50代になると白髪交じりに、日米開戦後は刈り上げの73分けに、と髪型の変化で年齢と時代を描いていた。

    パリ時代は娼婦でモデルで恋人のナタリア(廣田明代)との出会いと別れを軸に、「乳白色の肌」誕生秘話(多分フィクション)も描く。
    パリの後輩日本人画家村中青次(泉正太郎)が、ニセ藤田を語っていい思いをするという展開は面白い。

    朝日新聞の記者住喜代志(二条正士)が「大衆は戦争を見たいんだ」と、藤田が「裸婦と猫の画家の自分には合わない」としぶるのに「ノモンハン事件」の絵を聖戦美術展に出品させる。藤田は時々現れる村中との対話で、戦争画で得る名声への期待と、自分が自分でなくなるような不安を示す。

    脇役たちも的確に選ばれた人物配置で、物語を膨らませていた。短期のパリ滞在で、控えめな和服女性からわがままな女優のように変わってしまう4度目の妻君代(山村芙梨乃)、絵が下手で下男のようにこき使われる「一番弟子」の山田秋平(片山仁彦)、戦争体制に批判的な、敗戦後は藤田の戦争協力の責任も「あったことをなかったコトにはできない」と指摘する多聞土郎=つちろう(小柄で活発な女優の杉林志保)。藤田の父嗣章(井上一馬)が軍医で、軍医総監にまでなったと走らなかった。
    人物相関図はこちら
    https://twitter.com/inzou/status/1452959920727355393/photo/2

    ネタバレBOX

    藤田の戦争「協力」をどう見るか。敗戦後、戦争責任を指摘する声や、手のひらを返したように冷たい画家たちに対し、「俺は画家だ」「(「アッツ島玉砕」で)誰もつかめなかった底知れない闇を俺は初めて掴んだんだ」と自分の絵への自負を語る。藤田の意識としては自分は画家として求めに応えただけというものだったろう。

    ちなみに帰国後の藤田のアトリエに、時々現れる村中は、藤田の分身である。そしてアトリエに銃剣を抱えた戦場の兵士たちが幻出する。

    藤田は「これが罪と言うなら、罪を見てくれ」と最後繰り返す。ここに作者の評価は凝縮されている。軍部から依頼を受け、戦時下の日本で評価された絵ではあるが、そうした歴史的文脈を超えて絵自体は「100年も1000年も残る」ものだと。たしかに絵自体を見ると、その力に圧倒される。単純に戦争美化、日本軍美化と言えないような気がしてくる(そこが絵のレトリックかもしれないのだが)。あらためて藤田嗣治は実に複雑な存在であることを考えさせられた

このページのQRコードです。

拡大