物の所有を学ぶ庭 公演情報 物の所有を学ぶ庭」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★★★

     題名通り、さまざまな“所有”について考えを巡らせられる刺激的なお芝居でした。脚本・演出の山本健介さんは“所有”について広く、深く研究・考察されたのではないでしょうか。セリフにはカール・マルクス著「資本論」の言及もあり、土地、家、物、ヒトといった目で見て手で触れられるものだけでなく、いつの間にか姿を変えている心や、私たちを取り巻く世界そのものについても果敢に探求されていました。

     登場人物らは木々に囲まれた庭のテーブルで会話をします。舞台の周囲は財産なのかゴミなのか判別できない物たちであふれており、客席を分断する通路の先(会場の出入り口方面)には森がある設定です。倉庫のような広い会場の柱を生かし、舞台中央奥には鳥居のような出入り口がありました。文明と自然が混ざり合う空間は、結界が貼られた神妙な聖域、もしくは決して立ち入ってはいけない禁忌の異界のようにも受け取れました。“所有”という概念を問うためにあらゆる境界を曖昧にし、定義不能な間(あわい)において出来事を起こしていく、戯曲の仕掛けが見事だと思います。

     感情を動かさないようにする演技は東京の現代口語の会話劇によく見られるもので、この作品もそのうちの1つに数えられるのではないでしょうか。慈善団体のリーダー仁王役を演じた寺内淳志さんは、感情の変化込みでその場、その瞬間を生きるタイプの演技をされており、澄んだ声もまっすぐに届いて、個人的に好印象でした。

     当日配布のパンフレットの文章が面白く、開場時間が楽しかったです。終演後に戯曲本を購入しました。

    ネタバレBOX

     時代は現在の日本、場所は埼玉。地獄の悪魔に追われて人間界に逃げ込んできた“妖精さん”たちは、人間が吸うと死ぬホウシ(胞子?)が充満する森に住み着きました。“妖精さん”には“所有”の概念がないため、その森に隣接する庭で、慈善団体の人々が人間社会のルールを教えています。まずは女性の“妖精さん”に「チロル」(鶴田理紗)、男性の“妖精さん”に「鈴守」(上村聡)と名付けることから始まりました。現代の移民・難民問題と重なります。名付けという行為そのものが“妖精さん”の文化の破壊ではないかという懸念も示されました。

     女性教師のハリツメ(湯口光穂)は7年前に故郷から失踪しマイナンバーを持っていません。何かと自分の体に触れてくる鈴守との間にほのかな恋が生まれそうな気配あり。慈善団体リーダーの仁王(寺内淳志)は「マイナンバーもゲットできるし僕と結婚しよう」等とハリツメに迫りますが、報われなさそうです。
     この庭は自分の父のものだと主張するクルツ(蒲池柚番)の元夫エムオカ(伊神忠聡)は、致死の森に入り転がる死体の持ち物を採集し、焼却炉で焼いたり、土に埋めたりしています。エムオカの現在の妻ヤノベ(中野あき)は夫を探し求め庭にたどり着きます。男女の三角関係や、持ち主が消え部屋に残された荷物の行方も“所有”の問題提起です。

     皆が集う庭はホウシをまき散らし繁殖する木々に浸食されていきます。北関東から北が日本でなくなり、人間の居住区がどんどんと縮小されるなか、“妖精さん”保護区は法律で広げられていきました。“妖精さん”は定められた区域から出ることが禁止されており、人間の街で見つかると殺されます。慈善団体や庭を提供して“妖精さん”と寄り添おうとする人々がいても、残念ながら、越えられない線を引いて、お互いを隔離するしかないんですね。

     チロルは貨幣という何とでも交換可能な道具を知り、エムオカからお金をもらって街へと出て行きました。欲望をエンジンに法の穴をかいくぐり、容赦なく広まっていくグローバル経済を想起させます。チロルが陶器のカップの“所有”について学んだのがスタバだったことも象徴的です。

     慈善団体のメンバー当麻(善積元)は何にでも意義を唱えたがるシニカルな性格で、仁王に「反対意見ばかり言ってると生きていけない」などと指摘されます。彼の言動から考えされられることが多く、批判精神の重要さが伝わりました。特に私は下記セリフが好きでした。
     当麻:わかったらダメなんだって思ってますけどね。人の気持ちなんてわかったら、終わりだ…… 

     ジエン社といえば同時多発の現代口語会話が特徴のひとつだと思います。今作で特に面白かったのは、違う場所、時間で行われているはずの会話が、同じ空間で、同時に行われることです。するりと会話の相手が変わり、どこで誰と話しているのかをわからなくしたり、話者が突然その場から立ち去ったりします。境界線がない状態を持続させ、空気が変容し続けるのがとてもスリリングでした。庭、森、スタバが重なる場面が楽しかったですね。

     浮遊するホウシを吸うと死ぬ森は「風の谷のナウシカ」の腐界のようですね。一度でも森に入って庭に帰ってきた人間(エムオカ、ヤノベ、当麻ら)は、既に死んでいたのかもしれません。最終的には人間社会と森との面積が逆転していくようでした。
     「私的財産制の矛盾と公共の福祉との折り合いのつけ方」「物の来歴は可視化できない」「尊重が伝わっているなら、(身体に)触ってもいい」など、非常に興味深い指摘が多々あり、異なる座組みでの上演も観てみたいと思いました。
  • 満足度★★★★

    ジエン社の特徴の一つに複数の時空間が重なり合い、その中で複数の会話が混線しながら展開する過剰な同時多発会話がある。これまでの作品の多くでは、あり得た別の可能性を描き、あるいは過去/現在/未来を並置して見せるために同時多発会話は用いられてきた。今作ではそこに「所有」というテーマが重ねられ、領有や居住、共存の可能性に関する思索を誘うものになっていた点にジエン社の進化を見た。土地と人をめぐる思考は震災後の日本を描き続けるジエン社がたどり着いた必然であり、排外主義の蔓延する現在の世界に生きる私たちにとっても避けては通れないものだろう。

  • 満足度★★★

    庭の中を散歩するように〈所有〉の境界線を見つけていく気分を味わいながら、登場人物たちと一緒に “物の所有を学ぶ”という趣向は大変面白く感じました。妖精への教育、人物たちのいわくありげな関係、この独特の劇世界のルールと、いろいろな概念が台詞の中で示され続けるので、全部に付いていくのに必死で、それに同時多発の発話も加わり、後半、こちら側の思考を重ねる集中力が少し散漫になりました(答えを一つにしないという狙いかもしれませんが……)。個人的には〈人の所有〉をめぐるくだりが一番面白い主題だと感じました。

  • 満足度★★★★★

    思考の楽しみとその過程で体感した気持ち悪さが後を引いています。

    人間社会を埋め尽くす<概念>を扱う作品は、それほど珍しくはないでしょう。ただ、その多くは、そうしたテーマを取り上げ検証すること自体の新鮮さや性善説的な人間性の肯定に終始していた気がします。この作品が差し出す眺めは、それとは違う刺激に満ちていました。

    舞台は近未来。危険な胞子が飛ぶ魔の森の侵食が徐々に進むなか、人間の居住地域との緩衝地帯となる「庭」では、森からさまよい出てきた「妖精さん」への教育が進められています。教えているのは、人間社会の概念、とりわけ「所有」について。記名は所有を表すのか、無記名で置かれているものは誰のものか、そこからどのくらい距離をとると所有権は消滅するのか……次々と提示される疑問は、やがて「物体」だけでなく「身体」にも及び、さらには(人間関係やコミュニティにまつわる)「帰属/アイデンティティ」といった問題にまで広がっていきます。

    北から侵食してくる森、死に至る胞子といったイメージは、否が応にも、東北と放射能の問題を思い起こさせます。おそらくはもう、人間の居住地の方が狭まっているというのに、人は妖精さんに教育を施そうとしている。そんな不安定な構造は、この作品を単なる思考の実験、シミュレーションではない、「問い」へと深めてもいました。

    同時多発の会話も、(そこにも含意はあるのかもしれませんが)メリハリが効いて聴きやすく、エンターテインメント的。思いのほか間口が広い作品になっていることにも好感を持ちました。

    ネタバレBOX

    中でも身体の所有をめぐる教師と妖精さんとの対話は、奇妙な間がエロティックでもあり、強く印象に残りました。「妖精さん」のどこか地に足のつかない居住まい(演技)は独特のもので、今思えば、「帰属」の揺らぎを表す演出のひとつであったのかもしれませんね。
  • 満足度★★★★★

    会場の使い方、美術、役者陣、音楽どれもとても素敵でした。
    観ているあいだはこちらもずっと色々考え、学ぶ時間でした。

  • 満足度★★★

    劇場の使い方がよかった。テーマ性もよかったが、その分もう少しエンタメ要素で引っ張った方がいい気もした。賑やかすという意味ではなく、最後まで食いつかせるものが最初にあるといい気がした。

  • 満足度★★★★★

    なんか論理回路が舞台上に散らばっているかのようで、台詞や役者の動きが入力信号となり演算された思考が舞台上に表現されていくような感覚
    観ているこっちも思索して、それはまるで数式の解法を求めている時のような楽しさで、心の同期がたまらなかった
    考えて見るとこれは「知っている」を無くしてみる舞台
    名前や命の意味を知らなくてもそれ自体を認識するのと同じで、繋がっているのかわからない言葉や場面を、観客は認識として無理やり頭の中で繋げようとする
    演劇は触れないから結局この作品を知らずに帰って、心の中で認識として結合し作品として咀嚼する。そんな作品

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/03/08 (木) 14:00

    価格3,000円

    観ながら頭に浮かんだのは「アリマス、アリマセン、ソレワナンデスカ」という沙翁「ハムレット」の名台詞の初期の翻訳。
    所有に限らず「存在する」とは何か?ということまで問うて考えさせる……と言うか観ながらこちらも考えている、な内容はいかにもジエン社。(笑)
    なので劇中人物にとってはタイトル通りだが、観客にとっては「物の所有をきっかけに存在などについて「考えてみよう」な芝居」ではないか? 知的好奇心を刺激されまくり。
    序盤で出てきたペンの所有に関する疑問が終わり近くで再び出てくるので落ち着いた終わり方に感じられるのもイイ。「思索の散歩」でひと巡りして元の場所に戻った、的な?
    以前話題になった哲学書(という表現は適切?)「ソフィーの世界」(未読)もこんな感じなのではないかと、あるいはEテレでたまに放映する「難しそうなことを判りやすく見せる番組」風?などとも思った。

    しかしこの会場、3度目になるが、アムリタ、sons wo:、ジエン社といずれも単にストーリーを語るのではなく、観客の心にナニカを生じさせる、あるいは観客を取り込んで共犯者にするような作品の団体。さて、次にこのじゃじゃ馬会場を使いこなす団体はどこだ?(笑)

  • 満足度★★★★

    「目にみえるもの」と「目にみえないもの」、「教え」と「学び」、「自己」と「他者」の境界、
    「記憶」などについて思いを巡らせた。

    ネタバレBOX

    朽ち果てた母屋、日当りのよい庭、庭の背後に森。
    空間をまるごと使った舞台美術は、静謐で、無言の迫力があった。

    登場人物のなかには、
    長時間労働やパワハラなどが原因で仕事を辞めてしまったり、仕事への意欲を失ってしまったり、
    就職する道を選ばなかったりと、そのことを表立っては言わないものの、
    社会に希望を持つ事が出来ず、生きることをあきらめそうになっているような人々もいた。

    「森」は、社会との接点が弱くなり、社会的に死んでしまった人々が最後に辿りつく場所である、
    というイメージをリアリズム的に捉えると、「樹海」という単語が頭に浮かんだ。
    また、神話的になぞらえると、ダンテの迷いこむ「暗い森」のようだな、ともおもった。

    混沌として絶望的だ、と世界を捉える人々にとって、ある意味では「地獄」とでもいえるような「現在」を、超えるための唯一の希望であった「庭」は「天国」に近い場所であるようにもおもわれた。天国というのは「実存しない」からこそ、幻惑的で、ユートピア的であるともいえる。
    そういった意味で、「庭」というのは、脳のなかに思い描いた潜在意識であり仮想現実であるような、もしくは集合意識が作り出した仮想空間であるのかもしれないとおもった。

    庭で行われる「教え」と「学び」。
    それらは、自己と他者の境界や、「目にみえるもの」と「目にみえないもの」の「所有」について、「認知」し「理解」しあうことを目標としていた。

    「目にみえるもの」というのは、物質的な所有と境界のことで、それは、主に女性の妖精であるチロルが学んでいた。
    「もの」は、「だれ」のものなのか?を知る過程において、
    「リップクリーム」、「母屋」、「森」という、3つの例えで
    ミクロからマクロ的に「個」から「国家」へと、視点をスライドさせるプロセスが鮮やかだった。

    「目にみえないもの」というのは、自他の境界、感情、欲求、関係性などのことで、
    これらは、元国語教師である女性のハリツメ先生と、男性の妖精さんの鈴守が、「学び」あっていた。
    好きだからこそ触れたいという欲求と、「触る」という「動作」と、「行動」と「感情」の相容れなさと、無自覚を装った「嘘」を重ねることが、所有することへの定義であるのかもしれない、とおもわせた。

    妖精さんたちは、話の途中までは、人間ではない何か、ということになっていた。
    それは、「理解できないもの」に対する「恐怖」から来る感覚や感情でもあるのだろうか。たとえばクルツさんの場合、そのほうがおいしいから。という、一方的な価値観を押し付けて、熱々のお茶を出して、妖精さんを困らせたり、
    自身の庭が妖精さんたちの保護区になるということから、妖精さんに対し、敵対心を剥き出しにしていた。しかし、最後の方では、冷めたお茶を妖精さんに出すという風に、相手を尊重し「態度」に変化がみられたというのは、妖精さんたちの存在を受け入れたという証でもあった。

    このように、妖精さんと人間の関係にはフレンドリーシップの形成のような発展的な動きもみられたが、身近であった者同士の関係は、
    ハリツメに想いを寄せる仁王が「結婚」という「形式」を迫ったり、
    クルツがエムオカの「所有」を「捨てた」り、といった
    自己と他者を繫ぐ「形式」の「所有」が「無効化」し、
    永遠にはなればなれになるような、無常さが残った。
    それゆえに、近しい者同士の会話は、
    分断されたモノローグのようで、それぞれの心情が、言霊のように彷徨い、
    記憶が交差する時に、同時多発な不協和音となって響いては消えた。
  • 鑑賞日2018/03/10 (土)

    全員がある種の「弱者」である中で、「所有」が語られることの痛ましさが胸を衝く。異なる時間軸の二つの会話が、同じ単語の響きをたよりに同時に発話されることのリズム感の中で、所有と喪失のあわいは曖昧に溶ける。そのうら寂しさをBUoYの会場全体を駆使したセットが表現する。中央に荒んだ庭、左はもっと荒んだドアのはずれてものが散乱した部屋、右側には柱がいくつもたてられ、客席の椅子にはツタが絡まる。本当は何も所有したことはないかもしれないのに、なんで喪失感だけがくっきり残るのだろう。そんなどうしようもない感情のツボをおされて泣きそうになっていた。

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/03/10 (土)

    BUoYって読めない。このバブル感。前に毛皮族の公演を見た時はひどくてこんなところで演劇?見にくいし、なにこの無理矢理感というのが残っていた。
    しかしジエン社はこの空間を十分に活かしきっていた。
    すばらしい。気が向いたらネタバレものちほど書きます。

  • 満足度★★★★★

    ジエン社は初めて観たときから好きになったカンパニーだ。
    刺激的でワクワクさせてくれるし、帰り道にいろいろ考える題材をいつもかならず与えてくれる。
    今回も面白かった!

    (以下、かなりの長文になりましたが、ネタバレBOXヘ)

    ネタバレBOX

    会場に入って驚いた。
    「庭」がそこにあった。たぶんコンクリートむき出しだったり、柱が真ん中にあったりするような会場だと思うのだが、それを上手く利用して庭になっていたのだ。

    「魔界の扉」が開き、日本列島は北のほうから森が浸食し始めている。すでに埼玉の北部は森に覆われてしまった。森に入る人間は胞子によって死んでしまう。扉の中からは追われた(?)妖精と呼ばれる人のようにものたちが出てきた。その妖精たちが町で生活できるようにこの庭で教育をしている。この庭には2人の妖精がいて、女性はチロル、男性は鈴守と名づけられた。

    そんなストーリー。
    「魔界」だの「妖精」だのという言葉が出てくるので勘違いしてしまいそうだが、ファンタジー感はゼロの作品である。
    ジエン社らしい、考えさせられる会話劇だ。

    「森」「胞子」は何かと考えると「北から浸食」「触れると死ぬ」ということから、(これは後々違うと思ったが)「放射能」ではないかとすぐに思ったが、というか「ナウシカ」だよね、とも思った。
    いずれにしても「森」という「自然」のカタチをとりながら、文明の歪みによって生まれた禍々しきモノではないかということが推測できたりした。

    舞台上の設定では、「森」は劇場の「入口」のほうにある。すなわち私たち観客はすべてが「森」からやって来たということなのだ。
    これは「現代文明・文化」にまみれた人々が私たちであり、もう一歩進んで読めば、この「演劇作品」と「私たち」は「庭」で交流(学び)をするということで、舞台側(劇団側)から「教育」を受けようといしている、ということを意味しているようにも受け取れる。

    今回の作品はタイトルのままで、妖精たちが物の「所有」を(この)庭で学んでいる設定。
    数作前ではとんでもなく「同時多発的な会話」が進行していた舞台もあったが、今回も同時多発的ではあったが、かなり整理・抑制されていて、きちんとストーリーがつかめるようになっていた。
    「わかりやすくなった」と、一般的な感覚で言ってもいいと思う。

    ジエン社は、同時多発的な会話などが独特の「危うさ」を生み(それを意図し、表現しているのかどうかは知らないが)、それが彼らの持ち味のひとつであったが、今回はテーマに合わせることでそれが整理されいていたように思う。
    何人かの会話の途中で別の誰かが介在し、その結果、別の時間の出来事(シーン)に移行していることがわかるという仕掛けだ(演劇的なリテラシーがないと理解が難しいかもしれないのだが)。

    こういうシーンがレイヤーのように重なった会話のやり取りの中で印象に残っているのは、会話の相手が別のシーンにすでに移動していて、「私は誰に話しているのか」という台詞が発せられたところだ。この感覚が実は表に見えるテーマ「所有」と関係してくる大切な台詞であったことが後にわかってくる。

    庭では妖精たちに元教師たちが町で生活できるための「教育」をしている。妖精たちに一番欠けているのは「所有」という概念だということで、それについてのやり取りが頻繁に行われる。
    私の持っているペンは誰のものなのか。そのペンに名前が書いてなかったら? そのペンから私が離れていたら? どれくらいの距離が離れていたら? どれくらいの時間そこから離れていたら? どうしてそのペンが私のものなのか? 等々が繰り返される。そして「他人の所有物を触ってはいけないのは、なぜですか」の問い。

    「所有」には「パーソナルスペース」などということも関係してくる。男の妖精・鈴守は、女性の教師に何度ダメなのだと言っても触れてしまう。言葉の接触と肉体の接触の違い。

    「所有」を巡るいくつかのエピソードが出てくる。「庭」を所有していると主張しているクルツという女性。彼女は「自分の庭」ということを根拠にして「ここで出すお茶は熱くなくてはならない」と言い続ける。「所有」の概念はそうした行動に関する「規制」のようなものも含むのだ。
    また、別れた男・エムオカを探しに来る女性は、付き合うという「所有」が頭から離れず、「きちんと別れる」ことを求め、さらにその象徴としての2人の住まいに残る2人の「所有していた」荷物のあり方についても繰り返し語る。

    そこで思うのは、「この庭で誰が(所有を)学んでいるのか?」ということなのだ。
    つまり教えている教師たちが一番「所有」について学んでいるのではないか、ということ。
    妖精(特に女の妖精・チロルから)の「なぜ」「なぜ」「なぜ」の繰り返しによって、教師たちは深く考えることになる。

    実は台詞にもそれがあった。すなわち教師・ハリツメから発せられる「考えてみよう」という、妖精に向けられた問いだ。その問いは、実は延々と「妖精の側から発せられていた」ということなのだ。

    さらに言えば、当然、我々観客も「人生」というモノまで含めて「所有」についてあらゆる角度から考えさせられている(学んでいる)。

    そして男の妖精・鈴守からは「所有」から発展した「人と人との距離(感)」を学んでいるのではないか。「空気」とかも含めて。
    「パーソナルスペース」を超えてきてしまう鈴守。そして「言葉(会話)」によるコミュニケーションについても、それは関係してくる。社会に出るための教育をしている元教師が「自分は社会不適合者」であると吐露したりする。
    「ウソでなければつきあえない」みたいな展開になってきたときに、「ああジエン社だ!」と思ったのだが(笑)。

    このように「異文化」が触れあうときに、「文化を伝える」という構造が浮かび上がってくる。

    「これって何かに似ているな」と思った人も多いのではないだろうか。
    昨年公開の映画『メッセージ』だ。ざっくりそのストーリーを紹介すると、異星人が地球を訪れる。主人公である言語学者が彼らの言葉を理解する。「言葉を理解する」とはその言葉で考えることができる、ということであり、それには「文化の理解」が不可欠。それによって主人公は異星人たちの時間の概念を獲得する。

    この作品の中でも「妖精たちは自分たちの言語を持っているのではないか」「異星人たちの文化(文明)」という台詞がそれにつながる。
    それがラストシーンにもつながっていく。

    妖精たちは2人だけでいるときに「歌」を歌っている。それによって「交信」しているようなシーンもあった。
    「歌」が彼らの「言葉(のようなもの)」ではないのか。
    つまり、ラストで元教師のハリツメが「その歌を歌った(言葉を獲得した)」ということは、妖精たちの「文化を理解した」のではないかということなのだ。
    彼女はそれにより「すべてを知った」のではないかということ。

    そう考えると森に入ると胞子によって人は死んでいるのではない、ということが考えられる。したがって「胞子」は「放射能」のメタファーなどではないではないか。そんな気がする。
    森に入って死んだ人々は、自分の持ち物をすべて捨てていく。衣服も脱いで死んでいく。
    それは「所有」を捨てた最後の姿ではないのか。モノだけでなくすべてを捨ててしまった。「命」までも。
    森の深くに入っては戻ってくる、エムオカが死んでいないのも彼がアッチ側の人だからなのかもしれない。

    しかし、それ(所有の概念を捨てること)は理解の一部ではないか、ということもある。一部しか理解できてないものは「所有を捨てて」「死」に至るのだが、すべてを理解した者はそうはならない。
    それがハリツメが見せたラストであり、本当にすべてを理解した者の姿ではないかと思うのだ。
    つまり、ハリツメは時間を掛けて「チロル」と「鈴守」によって「教育」されていたのだから、きちんとすべてが理解できた。単に森に入って行く人々とはそこが違うのだ

    ここで面白いのは町に出たチロルが逆に町(私たちの社会)に浸食されているところだ。
    すでにコートなどを着込んでいるし。ミイラ取りがミイラになったというところか(笑)。

    2つの異文化が接触して、どちらかにどちらかが変わるのではなく、互いが互いに影響・浸食していく。つまり新たな文化の誕生を描いているのが、この作品ではないのか、とも思ったのだ。
    思えば、日本もペリーに「開国シナサーイ」と言われてからこっち、西洋文明・文化を取り入れて独自の文化を作り上げてきたように。
    なので、エムオカが鈴守が蒔いた種を育てようとするのは、そうして「新しい文化・文明」の誕生・育成を彼(ら)が行っていくという姿なのであろう。後ろの席の人は見えなかったかもしれないが、エムオカが水をやると土の中から芽らしきものが姿を現していた。それがハリツメやチロルなのかもしれない。

    役者は妖精・チロルを演じた鶴田理紗さんと同じく妖精・鈴守を演じた上村聡さんの自然さがとても良かった。
    元教師・ハリツメを演じた湯口光穂さんのちょっとした緊迫感の表情もいい。同じく元教師・当麻さんはやっぱり「ジエン社だなあ」と思わせてくれる。クルツを演じた蒲池柚番さんの頑なさもいい。

    妖精の鈴守の命名は「なんとかだけど日本的名前にした」みたいな台詞があったと思うが、その「なんとか」の部分を聞き逃してしまったのが悔しいし、気になっている。

    どうでもいいことだが、終演後、ドリンクチケットを無駄にするのももったいないので、2階のカフェでお茶を注文した。やけどするほど熱かった(私は妖精ではないので普通に熱すぎたのだと思う)ので、妖精気分を味わった。熱すぎて味がわからないので念のため聞いたら「普通の緑茶です」とのこと。緑茶でこの温度はどうかなと思いつつ、会場を後にした。
  • 満足度★★★★

    タイトルで語られている主題と格闘し続ける時間。
    配慮と優しさと残酷な事実が溢れる時間。
    堪らなく愛おしく見える人々の一生懸命な時間。

    とてつもなく好みな作品でした。素敵な時間をありがとう。

この公演に関するtwitter

初日1週間前から「団体名」と「公演タイトル」を含むツイートを自動表示します。
(ツイート取得対象にするテキストは公演情報編集ページで設定できます。)

  1. 観ながら頭に浮かんだのは「アリマス、アリマセン、ソレワナンデスカ」という沙翁「ハムレット」の名台詞の初期の翻訳。 所有に限らず「存在する」とは… https://t.co/4anMYcdcEn end of company ジエン社 #The #物の所有を学ぶ庭 #舞台 #演劇

    約6年前

  2. ジエン社の「物の所有の学ぶ庭」、いろんな所有のカタチがあって最後いなくなってもそばにいて消えないこと、あなたに幸せになってほしいことが書かれていて泣いてしまったな…

    約6年前

  3. 身体は出来事を担えない。にもかかわらず、演劇は、どいうわけか出来事を感情という重さにして上演空間で分有させたがる。そうではない、別の演劇表現への信頼が生まれつつあると思えた最近の観劇体験がある。「流刑地エウロパ」がそうだったし「物の所有を学ぶ庭」がそうだったし、

    約6年前

  4. ジエン社の所有をめぐる上演を見ながら考えていたのは、ある重みの分担・共有からの離別だった。リアルさという既存の価値を担うことからの解放の契機を準備する演劇の可能性。

    約6年前

  5. つい先日までは、ジエン社の「物の所有を学ぶ庭」推しだった俺。 現在はキ上の空論の「おかえりのないまち。色のない」推しの俺← ジエン社も評判が評判を呼び後半客入りが伸びたとのこと、キ上の空論も間違いないよ、今ならまだチケット獲れるとのこと18日まで吉祥寺シアターにて是非に!!

    約6年前

  6. ジエン社、範宙遊泳と見て、やはりここにもある共通する身体性があって、見ながらふと「インターフェイス」という言葉が浮かんだ。特に前半。俳優の感覚に入っていけそうなギリギリのラインで、いつもそこをかわされるような感じがする。

    約6年前

  7. ジエン社「物の所有を学ぶ庭」 無事に幕を下ろす事が出来ました。会場まで足を運び、観に来て下さった皆様、関係者の皆様、有難うございました。お芝居は終わったけれど、あの庭は、まだ何処かに存在して、登場人物達は、あの庭で必死になって生き… https://t.co/SF2ePgFM0j

    約6年前

  8. 数年前、仙台で、地元の人たちと芝居を作った。職業も年齢も様々だった。その時に小学生だった男の子がジエン社を見にきてくれた。終演後、声かけてくれて。僕よりも大きくなって、かわいい彼女を連れて。東京に出てきて、お芝居やっているとのこと。演劇続けててよかったなと思いました。

    約6年前

  9. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』 無事に全日程終了しました。 お客様、共演者の方、スタッフさん達、BUoYの皆様、そして主催の山本さん本当にありがとうございました。 https://t.co/9nBq0How1I

    約6年前

  10. (75) https://t.co/js8eEwnpOc ビルヒリオ・ピニェーラ圧力とダイヤモンド花田菜々子出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと山野井泰史垂直の記憶ボブ・… https://t.co/ndGmvbMRTM #読書日記

    約6年前

  11. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』おかげさまで満員御礼の中(お立ち見のお客さまも!)無事全日程を終えました。ご来場の皆さま、ありがとうございました! そして出演者、スタッフの皆さま、BUoYチームの皆さまにも感謝を。のびのびとやらせてい… https://t.co/XXdGI46zUn

    約6年前

  12. 昨日はジエン社「物の所有を学ぶ庭」も見た。会場の北千住BoUYが廃虚みたいないい空間。客席と舞台もあいまいで、物語にぴったり。タイトル通りのストーリーなんだけど、考えれるほどにわからなくなる所有というもの。大学の頃コタツやカフェを… https://t.co/ZUifyE7dkt

    約6年前

  13. 答えは出ないけど出したいな〜と思って延々考えてしまう。とても充実した公演でした。長いようであっという間だった〜〜 ジエン社「物の所有を学ぶ庭」 みなさま、どうもありがとうございました🌱

    約6年前

  14. BASEを更新しました。 ジエン社「物の所有を学ぶ庭」提供楽曲"「 」の作文" CD-Rが買えるようになりました。インスト入り、歌詞カード付きで500円です、是非ご利用ください。 他にも物販にはない商品があります。 https://t.co/Og51gHa2Ng

    約6年前

  15. 【ジエン社第13回公演『ボードゲームと種の起源』への道・16】……というわけで、もし次に作品を作れる機会があれば、こんな話を現時点では考えているが、今は「作品を作れる機会」が、物理的に存在できるのかどうかが、とても大変。お金がなく… https://t.co/unEnOTOwdj

    約6年前

  16. 今週更新された劇団 4 ジエン社 https://t.co/y5vLYcWaGD 最新作「物の所有を学ぶ庭」他8作品の劇評をお読みいただけます #演劇 #舞台 #劇評

    約6年前

  17. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』無事終演致しました。共演者、スタッフはじめ関わって下さった全ての方、そして御来場して下さったお客様に感謝します。千秋楽は立見が出る程の満席で感無量です。稽古も含め本当に楽しくて幸せな時間でした。 ありがとうございました!

    約6年前

  18. ジエン社「物の所有を学ぶ庭」全日程終了致しました。みなみなさま、本当にありがとうございました。BUoYとスタッフのみなさんと足を運んでくださったお客様のおかげで毎日きちんと庭でした。 https://t.co/KzP4BEBiZf

    約6年前

  19. ●お手伝いさん募集● ジエン社では、今後制作をお手伝いいただける方を緩く募集しております。ジエン社の活動に興味のある方、演劇制作の仕事に興味のある方などいらっしゃいましたら「jiensya★… https://t.co/xGBYxNFK1P

    約6年前

  20. まとめを更新しました。「ジエン社第12回公演「物の所有を学ぶ庭」ご感想まとめ」 https://t.co/i4eLpKqK9A

    約6年前

  21. ●ジエン社『物の所有を学ぶ庭』● 昨日、全ステージを無事終演いたしました。ご来場のみなさま、お気遣いいただいた多くのみなさまに、心より感謝申し上げます。ご感想はこちらにまとめております。ぜひ、思ったことを、そのままお聞かせください… https://t.co/Sja3yZtoIS

    約6年前

  22. チェーホフからチロルの秋を通ってからのジエン社、というイメージと理屈の流れなんだろうな…。 https://t.co/nS0Th8uU0Z

    約6年前

  23. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』観てきました。 会話が交錯する等の各地で音が発生するという技法は、初めて演劇を観た人間にとっては正直難解でした。 しかしながら、それぞれの役・シチュエーションに違いはあれ、全ての音がしっかりと届いてくるのは本当にすごいことだと思います。

    約6年前

  24. ジエン社「物の所有を学ぶ庭」終演しました。この作品に関われてよかったとしみじみ噛みしめる穏やかな朝です。山本さん、共演したみなさま、スタッフさま、お疲れさまでした。ありがとうございました。観に来てくれた方の、記憶の隅っこも隅っこのほうにでもそっと居座り続けられたらいいなぁ🌱

    約6年前

  25. ジエン社「物の所有を学ぶ庭」公演終了しました。ご来場いただき誠にありがとうございました。そして、この公演に関わったすべてのみなさま、おつかれさまでした。大変お世話になりました。みなさんとまたご一緒できるようがんばります。また会いま… https://t.co/ocOd3f7V7h

    約6年前

  26. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』コミュニケーションにおける他者の収奪まで射程に捉えた、逍遥する所有論。ひんやりとした世界に生々しい官能性が浮かぶ瞬間がいい。大きな物語を語ってもジエン社は弱いものにいつも優しい。BUoYの地下を活かした美術装置が良かった(懐事情が心配になるほどに)。

    約6年前

  27. 北千住で、ジエン社「物の所有を学ぶ庭」。春の夜の夢。物も土地もパートナーも、所有っていうと何か上から目線だけど、時間と距離が解決してくれるものもあれば、失うものもあるよね。

    約6年前

  28. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』観劇。BUoY北千住の特長を生かした舞台美術と音響の効果で、海岸近くの豪邸の庭がそこに出現。そんな舞台で演じられた妖精さんと元教師の、物の所有についての会話が面白く、その言葉が他の人達の会話に飛んで行くところはとても新鮮で大いに楽しめた。

    約6年前

  29. 物の所有を学ぶ庭 どうせラジカセから劇中歌なるんでしょとか思ってたら、暗転からの大音量。マジで痺れて泣いたよね。 批判もあるけど、僕の中では最高に良かった◎ありがとう◎ありがとう◎

    約6年前

  30. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』@ BUoY

    約6年前

  31. ジエン社「物の所有を学ぶ庭」@BUoY北千住アートセンター “価値””所有””教える”と言ったテーマの本作。ビットコインに張り付く大学生とシェアハウスに住んでいた自分には親近感のある問いだった。 あの庭全体を取り巻いていた、危うさ… https://t.co/e3tNnf8pJY

    約6年前

  32. BUoYでジエン社『物の所有を学ぶ庭』、「妖精さん」がしんどくて頭に入ってこなかった

    約6年前

  33. それにしてもENBUゼミの地味な研究生公演(だったのかな今日のは?)が大評判のジエン社よりずっと好感持って見られたとか、舞台はホンマ、見てみないと分からんわ。

    約6年前

  34. ジエン社『物の所有を学ぶ庭』、一番興奮したのはペンの所有権の所在をめぐるエピソードで、どれくらい所有者の手を離れたら所有権が移転するのかについて素朴な議論が交わされ、占有による取得時効が妖精さんの手にかかれば時間操作系の魔法にも思えてくるという。

    約6年前

  35. ジエン社見た。没落する庭という設定だけではなくて深い部分でチェーホフだと思った。善積くんがとてもいい働きをしていた。

    約6年前

  36. 同時発話を劇団の「武器」として使っていくつもりなのかしらね。それは時間を手っ取り早くワープさせるんだけど、一定の場所に張り付いてないと、なかなか人間の強度が弱いんだよな。まそれも狙いかもね。ふわふわ幽霊みたいだもんねいつもジエン社の人物は。でも結構今回声の強い感じがあったような。

    約6年前

  37. 「所有」という概念がわからない「妖精」が2人いて、これが、やや最近発見されたマレーシアの民族やイトー計劃好きにはチェチェンの民族とかも想起させる。興味を誘う概念にややソフトなファンタジーが導入され、ジエン社独特の同時多発発話さえクリア(許す?)すれば、人物の持つ悩みまで肉薄する。

    約6年前

  38. ジエン社「物の所有を学ぶ庭」、本日までということでもう宣伝にもなりませんが、面白かったっす。作者本介こと(まだその名義で言う俺)山本健介も、「わかりやすいといわれる」と話した時言ってたが、その通りでわかりやすい。そもそもタイトルからしてまんまで、そこがいい。

    約6年前

  39. ジエン社、おもろかったやんけ!

    約6年前

  40. つまりBUoYの可塑性が「スタイルをもつ劇団の借景」として使われてたことが不満なんだな多分僕は。可塑性があるとはいえ空間には空間の息づきというもんがあるのであって、都合よく切り取ったら毀損になると思うんだ。ましてジエン社の主題は「… https://t.co/8ZyfAVekUI

    約6年前

  41. ジエン社「物の所有を学ぶ庭」前に見た時より、演出や台本が分かりやすくなってて、そういう変化も含めて面白かったが、分からないものに対する対話がよかったので扱っている問題についてはもっと突っ込んでもよかったのに、と思った。妖精さん、というので「人類は衰退しました」を思い出した。

    約6年前

  42. 物の所有を学ぶ庭、とても綺麗で印象に残る佳作だった。ジブリ映画を観てるような。もっとたくさんの方に観てほしいな。はるばる北千住まで来た甲斐があった。

    約6年前

  43. ②ジエン社『物の所有を学ぶ庭』/ (計算の内かもしれないけど)流れが速いからズルいと思った。理解しようとすると蹴落とされる感じ。字幕をつけるか、演劇ではなく漫画でやって欲しい内容。

    約6年前

  44. ジエン社。所有に関する議論が尽くせない原因が所有なるものの本質にかかわることなのか、あるいはある一定階級の人しか出てこないために客観性を欠いてるためなのかが、最後まで整理されなかった。おそらく後者だろうと思うんだが(でないと辻褄が… https://t.co/jtZc1PX2bH

    約6年前

  45. ①ジエン社『物の所有を学ぶ庭』 (@ BUoY北千住アートセンター)を観劇してきました。「所有するってどういうこと?」というテーマで哲学対話しているような演劇。 https://t.co/pomernbBjO

    約6年前

  46. BUoYでジエン社。気持ちは分かるが、不徹底な議論と必然に乏しいロハス感が一緒になるとめっちゃ鬱陶しいという印象が強すぎて、ちゃんと鑑賞・読解する気持ちになれませんでした。うちも3度にわたってチロルの秋やってきて知らずにこういうモ… https://t.co/0GtsZ2Z6mq

    約6年前

  47. ジエン社、序盤中盤概念を教えるのが下手だなと思ってて、でも出てくる人が教えるの下手なんだと納得できてもやもやが消えた よかったです、儚くて

    約6年前

  48. 北千住BUoYでジエン社『物の所有を学ぶ庭』楽。 https://t.co/39CSrVNsUx https://t.co/9HbSm8w9cA

    約6年前

  49. ジエン社と小田尚稔を観る3.11。

    約6年前

  50. ではジエン社へ。

    約6年前

このページのQRコードです。

拡大