物の所有を学ぶ庭 公演情報 The end of company ジエン社「物の所有を学ぶ庭」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    「目にみえるもの」と「目にみえないもの」、「教え」と「学び」、「自己」と「他者」の境界、
    「記憶」などについて思いを巡らせた。

    ネタバレBOX

    朽ち果てた母屋、日当りのよい庭、庭の背後に森。
    空間をまるごと使った舞台美術は、静謐で、無言の迫力があった。

    登場人物のなかには、
    長時間労働やパワハラなどが原因で仕事を辞めてしまったり、仕事への意欲を失ってしまったり、
    就職する道を選ばなかったりと、そのことを表立っては言わないものの、
    社会に希望を持つ事が出来ず、生きることをあきらめそうになっているような人々もいた。

    「森」は、社会との接点が弱くなり、社会的に死んでしまった人々が最後に辿りつく場所である、
    というイメージをリアリズム的に捉えると、「樹海」という単語が頭に浮かんだ。
    また、神話的になぞらえると、ダンテの迷いこむ「暗い森」のようだな、ともおもった。

    混沌として絶望的だ、と世界を捉える人々にとって、ある意味では「地獄」とでもいえるような「現在」を、超えるための唯一の希望であった「庭」は「天国」に近い場所であるようにもおもわれた。天国というのは「実存しない」からこそ、幻惑的で、ユートピア的であるともいえる。
    そういった意味で、「庭」というのは、脳のなかに思い描いた潜在意識であり仮想現実であるような、もしくは集合意識が作り出した仮想空間であるのかもしれないとおもった。

    庭で行われる「教え」と「学び」。
    それらは、自己と他者の境界や、「目にみえるもの」と「目にみえないもの」の「所有」について、「認知」し「理解」しあうことを目標としていた。

    「目にみえるもの」というのは、物質的な所有と境界のことで、それは、主に女性の妖精であるチロルが学んでいた。
    「もの」は、「だれ」のものなのか?を知る過程において、
    「リップクリーム」、「母屋」、「森」という、3つの例えで
    ミクロからマクロ的に「個」から「国家」へと、視点をスライドさせるプロセスが鮮やかだった。

    「目にみえないもの」というのは、自他の境界、感情、欲求、関係性などのことで、
    これらは、元国語教師である女性のハリツメ先生と、男性の妖精さんの鈴守が、「学び」あっていた。
    好きだからこそ触れたいという欲求と、「触る」という「動作」と、「行動」と「感情」の相容れなさと、無自覚を装った「嘘」を重ねることが、所有することへの定義であるのかもしれない、とおもわせた。

    妖精さんたちは、話の途中までは、人間ではない何か、ということになっていた。
    それは、「理解できないもの」に対する「恐怖」から来る感覚や感情でもあるのだろうか。たとえばクルツさんの場合、そのほうがおいしいから。という、一方的な価値観を押し付けて、熱々のお茶を出して、妖精さんを困らせたり、
    自身の庭が妖精さんたちの保護区になるということから、妖精さんに対し、敵対心を剥き出しにしていた。しかし、最後の方では、冷めたお茶を妖精さんに出すという風に、相手を尊重し「態度」に変化がみられたというのは、妖精さんたちの存在を受け入れたという証でもあった。

    このように、妖精さんと人間の関係にはフレンドリーシップの形成のような発展的な動きもみられたが、身近であった者同士の関係は、
    ハリツメに想いを寄せる仁王が「結婚」という「形式」を迫ったり、
    クルツがエムオカの「所有」を「捨てた」り、といった
    自己と他者を繫ぐ「形式」の「所有」が「無効化」し、
    永遠にはなればなれになるような、無常さが残った。
    それゆえに、近しい者同士の会話は、
    分断されたモノローグのようで、それぞれの心情が、言霊のように彷徨い、
    記憶が交差する時に、同時多発な不協和音となって響いては消えた。

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    2018/03/13 01:26

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