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この世界は、だれのもの

この世界は、だれのもの

ながめくらしつ

現代座会館(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ながめくらしつの作品を拝見するのは初めてであり、ジャグリングと音楽をメインとするパフォーマンス集団と聞き、また過去作品の映像も見ていたことから、元々期待値は高かった。作品における技術面でのクオリティは、その期待を決して裏切ることはなかった。

ネタバレBOX

「他者への関心」をテーマとする本作では、各人が他の出演者と、ダンスやジャグリングを通して距離を縮めたり広げたりする様が描かれた。それが時に暴力的になったり、慈しみを感じさせたりする表現力からは、技術力の高さだけではなく各パフォーマーの演技力と協調性の高さも窺えた。
特筆したいのは照明と音楽の美しさである。観客との距離が近い劇場でのパフォーマンスは、しばしば観客に閉塞感も感じさせがちであるが、照明は劇場を本来よりも広くかつ幻想的なものに感じさせており、そこに加わるイーガルによる音楽も、それだけでパフォーマンスとして成立する程に観客を惹き込むものであった。
総じて技術力の高い上演であったが、(むしろ各人の技術力の高さゆえか)全体としてまとまりがあったとは言い難い。テーマとなる「他者への関心」についても、深掘りできていたとは言えず、観客の方が寄り添ってようやくテーマが見えてくるものとなっていたと言わざるを得ない。コロナを経て他者という主題について観客もより敏感になっているため、その点についてはより深める必要があっただろう。
したがって、技術力の高さと比較して、作品としてのまとまりに欠ける散漫な印象を受ける公演となっていた。
エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

カリンカ『エアスイミング』は、女性が社会的に囚われている「規範」の窮屈さ、それによる抑圧を見事に具現化した作品になっていた。

ネタバレBOX

シャーロット・ジョーンズによる『エアスイミング』は、1920年代のイギリスを舞台に、「精神異常」という烙印を押された女性2人が、病棟で夢を見ながら生きていく話である。2人が互いをケアしながら、傍目から見れば絶望のどん底で夢を見る様は可憐である。小口ふみかと橘花梨による熱量の高い演技は、最初はお互いに警戒していたがやがて強い絆で結ばれていくシスターフッドを見事に表現していた。
堀越涼による演出は、2人が囚われている病院そしてそれが象徴する堅牢な社会的規範の狭さを観客にも感じさせるものだった。劇場となった小劇場楽園ともよく調和しており、殺風景な病院の浴室が幻想的な夢の世界へと変化する様は見事だった。
他方で、テキストに見られる解放感が今ひとつ感じられなかったのは残念だった。狭い空間でそれを描くのは至難の業であるが、本作品はそれがなくては片手落ちになってしまう。また、夢の世界を本当にただの妄想とするのか、それとも潜在的な未来の姿とするのか、解釈が分かれるところではあるが、そのいずれであるのかを観客にもっとわかりやすく伝えても良かったのではないだろうか。
男女格差や女性の抑圧が問題となっている現代日本社会において『エアスイミング』を取り上げたという点において、その問題意識の持ち方や社会に対する感度の高さが評価に値する。他方で、その問題やテキストの掘り下げはやや不満が残るものとなり、惜しい作品となっていたと言わざるを得ない。
波間

波間

ブルーエゴナク

森下スタジオ(東京都)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

上演される森下スタジオで創作されたことの効果を感じさせる、空間との丁寧な融合が印象的でした。とくに、横長の空間が、光により伸び縮みするさまは、夢とも記憶とも知れないあわいの空気を醸成しています。

ネタバレBOX

そこ(舞台上)に人がいるのにどこか現実感がなく、でも生々しさも顔を覗かせます。それこそ波間のように曖昧模糊としながらも、隙のない緻密さ。この空間の集中力をつくりあげた総合力と胆力が素晴らしかったです。

しかし使われているのは、イスやハンガー掛けなど、おそらく会場施設で手に入りやすいものばかり。その現実的な物体たちも、あわいに溶けていくような、物質としての違和感がなくむしろ曖昧な存在として成立していくのは、組み立てられた動線と、やはり照明を主とした空間の構築にあると思います。

丁寧に編み、計算された人とモノの動き。世界観を全員で作り上げ、こまやかに行き届いていた良さの反面、それゆえか俳優の動きにときに制限があるようにすこし見えてしまうところがあったのは残念に感じもしました。

物語に散りばめられた、自死に至る人物の、手触りのあるエピソード。その人の生活や小さなこだわりが見えることで、いつかのどこかの誰かの死や喪失ではなく、形をもった人間にとっての生と死となっていくようでした。

スモークがたかれているため、事前に飴とマスクが配られた配慮に助かりました。全員に配られているので、飴の袋をあけることにもそこまで罪悪感が強くなかったのもありがたかったです。
べつのほしにいくまえに

べつのほしにいくまえに

趣向

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2024/05/23 (木) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

自助グループのシーンと、シェイクスピア作品の、交差が鮮やかでした。丁寧で控えめでありながら、堅実に大胆に確実に。“ケア”への理解と知識とともに、演劇の知識や技術が折り重なって、安定感のある作品でした。

ネタバレBOX

丁寧な脚本もさることながら、俳優がいずれの方も良かったです。『夏の夜の夢』をはじめシェイクスピア作品の役柄を背負いつつ、そのぶんそれぞれの役割が明確だったのかもしれません。ひとつひとつの台詞を各立場からしっかりと置きつつ、各人の良い面も悪い面も描かれています。
とくに前半と後半で大きく役回りの変わるロビングッドフェロー役の和田華子さんは、軽やかさがありながら、要素の多い物語を安定して繋いでいました。自助会主催者のコーデリア役の梅村綾子さんは、緩急の効いた演技でロビングッドフェローとはまた違う作品の目となります。台詞を確実に置いていく技術の一方で、後半、その繊細な一言で「舞台上と客席を繋いだ」「観客を当事者にした」と思われる場面もありました。作品を跳ねさせ観客を沸かせていた小林春世さん(ティターニア役)の思いきり良い強さや、戸惑いのなかに芯の強さを少しずつ見え隠れさせていくKAKAZUさん(ヒポリタ)など、挙げればきりがないですが全員が個性と役割を持ち魅力的でした。
演技体は違う面々を、ひとつの舞台で入り見だせさせつつわかりやすく見せた演出も安定しています。趣向過去作のなかでも、オノマリコさんの脚本と、扇田拓也さんの演出が良いマッチングだったと思います。

生き方が違うだけで、どこにも悪い人がいない。それぞれにとってのより良いあり方がある。さまざまな立場の人へ行き渡る戯曲そのものが、ケアを丁寧に実践しています。
すでにある枠組み(夏の夜の夢)や、それほど具体的に推敲されるわけではない「互助・共助のための結婚制度」など、現実に対してファンタージに思える要素が大きいけれど、それはそれで良いのだと思います。
余談ですが、隣りの席の観客が、いつ舞台に上がるんじゃないかと思うほどのめり込んでいました。位置的にも仕込みの俳優かと思ったほどです。それほどまでに、客席を当事者として誘う作品だったと思います。特定のテーマによる自助グループという設定もあり、その親和性は観客によるだろうけれど、この舞台に救われ、人生を支えられる人はいるだろうなと心強く思いました。
さるヒト、いるヒト、くる

さるヒト、いるヒト、くる

ポケット企画

扇谷記念スタジオ・シアターZOO(北海道)

2024/05/03 (金) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

北海道をめぐる歴史や課題にかかわるワードやエピソードが散りばめられている本作。

ネタバレBOX

説明的ではないことに表現としての矜持や生活の手ざわりの重要性を感じる一方で、どこまで誰に伝わるのだろう?という疑問もありました。これは私が北海道で生活してきている人ではないからかもしれません。(ただ、東京でも上演する、ということだったので、ワードをふんわりと知っているけれどその地に実感を持たない観客がもしいるのなら、作品としてどう受け取られるのかの懸念もありました)

北海道やアイヌに関わる言葉や背景以外にも、台本を読んで初めて気づいたことが多くありました。気づかなくても成立していますし、作品を損なうものではありませんが、伝わっている方が面白がれたかも…と思うことも。

ツアー公演を踏まえてだと思いますが、風船などをつかった移動しやすい舞台美術は、明るさと暗さをあわせもち、自然の雰囲気もよく出ていて良かったです。音響も、音量や方向性など意図的に配されていました。全編をとおして、手をかけ頭を悩ませた創作の堅実さを感じました。

上演では、広い道内の同世代の作品との同時上演を企画したり(しかも新作)、トークテーマを「北海道の演劇についてトーク!北海道での生活、アートとの関わり方が作品創作にどんな影響を与えているのかを考えてみます」としたりと、自分達のいる場所、自分達の立つ足元を踏みしめようと感じられる、地に足のついた創作と上演に真摯さと力強さを感じました。
北海道の演劇の未来がとても楽しみです。
天の秤

天の秤

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2024/03/29 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

実際の事件をもとにしているため展開は想像がつくものの、人物の描き方によって、正義とはなにかや、後進を育てる立場のあり方など、ある程度の年齢や立場となった大人の迷いや覚悟が浮き彫りになっていきます。ハイジャックという特異なシチュエーションだからこそ、おそらくだれしもがいつか社会のなかでぶちあたる、育てられるものから、育てるものへの移行の困難が感じられたようでした。

ネタバレBOX

会場となる楽園は、二面舞台でその間に柱があります。今回、アクティングエリアを柱をまたいで奥まで設けたことで、視界の悪さがハイジャックされた機内と重なり、良いストレスとなりました。
緊迫感や人間ドラマなど基本はずっとシリアス。とくに機内は、たった1人でハイジャック犯役として健闘していた杉浦直さんは、なかなかの荷を背負ってのことだったと思いますが、(現実の事件でも)考え方が甘いと言わざるを得ない若者なりの信念には芯が通っていました。地上も右往左往していましたが、日本航空専務役の高橋亮次さんなど、緊迫したままにその頼りなさに頼りなさを感じさせ、かつ客席を沸かせることも何度かあり、私自身もその緩急のおかげで集中し続けられました。

余談ですが、終演後が誘導により1列ずつの退席だったため、待ち時間のあいだに隣席の年配の男性から「よど号って知ってる?」と聞かれました。その、どこかのめり込んだような口調から、リアルタイムでニュースを見聞きしていた方の感想は、また違うのだろうなと、思いました。
(あたらしい)ジュラシックパーク

(あたらしい)ジュラシックパーク

南極

インディペンデントシアターOji(東京都)

2024/03/28 (木) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

段ボールなどで作った小道具は「お、南極ゴジラ!」という感覚にもなり、またそれが良く機能していました。

ネタバレBOX

舞台では、アラの見える小道具はそれが少量であろうとあえてであろうと劇世界を壊すにはじゅうぶんなので、そうならないために、映像やダンスを用いたり、マイムや語りで説明したりという表現はよくあることです。
けれども今作で、いかにも段ボールなどで作ったものたちが成立していたのは、まず物量が多かったという点にあるかなと思います。空間に対して要素が多く視点を散らす美術や、キャラクターを立たせテンポよく展開させる俳優たち、全1,324話のうちの1~4話である設定など、100人キャパの王子小劇場に空間も時間も詰め込んだ、詰め合わせボックスのような世界観のスジが通っており、それが熱量と魅力になっていました。

また、小道具などの手作り感に反して、たとえばシャークウィーク役の瀬安勇志さんが後半姿が変わってからの躍動感ある動きは、世界観への大きな説得力となっていました。

全編とおして、湾田ほんとの成長譚です。それを描き切った胆力と、その一貫性が、要素とキャラクターが多い作品のなかで観客の視点を引っ張っていました。一方で、湾田を主観的に描いていくため、変化やその後がわかりにくいキャラクターがいたり、彼らを振り返らず自分の人生に邁進していく湾田に「その生き方でいいのだろうか」と応援しきれないところもありながら、カタルシスを感じさせる勢いがありました。
更地

更地

ルサンチカ

戸山公園(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/25 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

雨の中での観劇。ときどき人が通りがかり、鳩が横切るなかで、とある夫婦がかつて自宅があった更地にやってきて……。柱だけが立つその場所は、更地というよりも廃墟というきらいもあるけれど、「かつてここに生活があったのだ」という感覚が夫婦の会話とともに立体的になっていきます。

ネタバレBOX

設定は星空の下なので、日中だとやや空々しく感じられてしまうシーンもありましたが、しかし、散らばった舞台美術や小道具の運搬、すべてを覆う白布などによって、空間を広げたり縮めたりし、360度の空間を変える光景は、なにもない空間だからこそダイナミックでした。
布の下からさまざま聞こえる音の仕込みも、空間を立体にしていました。ただ、説明していた部屋の間取りを横切ったりなどして、間取りが崩れるような時には多少混乱する場面も。

演出構成の意欲的な堅実さで、更地の再生と解体がおこなわれていく。物質はいつか形を失っても、人間は再構築していけるという甘やかな希望であったり、それでも自らの意志とは異なり更地にされて/なってしまう現実とに、思いを馳せるのは場所の力もあったでしょうか。
戯曲の設定は初老の夫婦ですが、演じているのはまだ若いふたり。ふたりの作る雰囲気の深さからときどき年老いた夫婦に見える瞬間もありましたが、静かな野外という場所の静謐さもあり、もうすこし夫婦としての関係性や生々しさが観たくもありました。

余談ですが、翌日風邪を引いて熱を出してしまった。この季節の野外公園には念には念を入れて臨むべし…(野外観劇の醍醐味でした)
新ハムレット

新ハムレット

早坂彩 トレモロ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

原作を読んだときの苦悩とバカバカしさが、演じることによって厚みを持った人間としてより深く面白みを感じました。

ネタバレBOX

冒頭の転換。薄い膜のむこうに俳優たちの身体が見えている。その生々しさののち、デフォルメしたコミカルな演技・振る舞いが、人々のフィクション性を高めていきます。とくにポローニヤスを演じるたむらみずほさん、クローヂヤスを演じる太田宏さんの、緩急幅の広さが、シェイクスピア『ハムレット』を下敷きにした太宰治のレーゼドラマ『新ハムレット』の舞台上演という幾層もの構造を演劇的な立体にし、ガーツルード(川田小百合さん)やハムレット(松井壮大さん)の抑えた熱も生々しい。オフィリヤ(瀬戸ゆりかさん)とレヤチーズ(清水いつ鹿さん)のシーンはストレートでありながら言外のやりとりも楽しかったです。
また、語りの男(黒澤多生さん)が登場することでメタフィクションとして成立し、かつ、男以外の個々の役柄に太宰が投影されているように見えてくる…軽やかながらひとつひとつ積み上げていく確実性を見ました。

抽象的な舞台美術と演出により、演者の目線が変化していく様子により、広くはないアゴラ劇場の空間が伸び縮みしていく。

後半の展開は太宰独自のもので、おそらく当時の世相も反映されているでしょう。戯曲を丁寧に読み込み立体的かつ躍動感を持って上演する力強い安定感を感じました。
雨降りのヌエ

雨降りのヌエ

コトリ会議

扇町ミュージアムキューブ・CUBE05(大阪府)

2024/03/09 (土) ~ 2024/03/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

1か月ロングラン短編集公演。公演、トーク、展示、仕込み……行けば人がいて、なにかしら手づくりの催しがやっている。仕事終わりや休日にちょっと覗ける時間割。熱量と労力満載の、大人の文化祭のようでした。

ネタバレBOX

ひとつひとつの短編には、死んだ人がそこにいる不穏さがあります。けれども、軽やかな台詞による可笑しみと、心地よさも感じるのです。そうしているうちに、他の回に上演している別の短編ももっと見たくなる。そう思えるのは、個々の上演の精度の高さゆえでしょう。全編観ると書き下ろしの関連戯曲がもらえるというのも、作品世界が拡張していくようで楽しい試みでした。

共通する家族の物語ではありますが、それぞれが独立した短編です。上演以外の周辺の企画もふくめ、すべてを網羅することが大変なのが良いなと思いました。どの上演回を見るかで短編の組み合わせが変わったり、全部見た人だけが書き下ろし戯曲をもらえるほか、1ヶ月の公演期間中に毎日更新されていく廊下のイラストなど、足を運んだタイミングによって目にうつるものが変わる。それこそ文化祭だな、と。

どこかで紡がれている誰かの物語に、その期間だけ、扇町に行けば会える。その1か月だけ、とある家族と繋がる扉があく。ゆるやかでSFチックな時空の出現が、作風とも劇団とも合っていて、コトリ会議ならではの世界観を上演を超えて楽しみました。
この世界は、だれのもの

この世界は、だれのもの

ながめくらしつ

現代座会館(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

パフォーマーそれぞれの持つ経験や技術が、ときに机や椅子やボールなどを媒介としながら、互いに行きつ戻りつしていく。それぞれの異なる技術の高さ、有機物と無機物が、同じ板の上で融合していく。……舞台上に在るものの異なる経験と個性がバラバラにならず、相互の関係性の揺れを感じられる時間でした。そこには、音や光の役割が大きくあります。

ネタバレBOX

ピアノの生音は、空間を包むように震えています。音と身体、音と空間の共鳴を感じる瞬間。客席もふくめ、そこに在るものを結んでいく柔らかな網目のような存在となっていました。
光は、空間を深く遠く広げます。薄暗いなか、身体を柔らかく照らしたり、ぎゅっと集約させたり。どこまでも奥行きが続いていそうで、ぽんと体ひとつで闇のなかに投げ出された気持ちになりました。そうなると、自分という個の孤独を意識してしまう瞬間があります。テーマとして事前に書かれている「他者への関心」について思いを馳せました。

パフォーマーたちは、他人のように見えることも、恋人のようにも見えることもあるし、全員が無表情なこともあり無機物と無機物の交錯に見えることもある。ただ、振りによっては意味のあるカタにはまっていて、見る人の生活や価値観によって受け取り方が変わりそうに感じることもありました。
けれども総じて、モノと身体、身体と身体、音と身体の共鳴を、肌で感じる充実した作品でした。
エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

数か月経ってもなお、俳優の細やかな仕草を思い出します。
強く左右に引かれた口もと。遠くの宙を見つめる目じり。バスタブに置かれた指先の緊張。
役者が今そこにいる熱気を思い出します。
今作の感想に、熱演、という言葉をいくつも目にしました。熱演、を辞書で引くと「熱意をもって演じること」というように書いてあります。けれどその言葉以上に「心身ともに熱気を浴びた!」と感じる客席でした。それはもちろん出演者ふたりの俳優としての熱量、どんなシーンも保ち続けられた演じるテンションの高さがあります。なにより俳優ふたりの相互の影響。片方が発し、片方が受け止め、また発する。互いに打ち響き合い、大きなうねりを作っていく。ふたり芝居の醍醐味を感じました。
また、二面舞台でほかの観客や角度を意識してしまう空間の影響や、演出のリズム感もあったように思います。演出の堀越涼さん(あやめ十八番)ならではの音やリズムが、俳優の熱量を促進しているように感じました。

これらの融合により、この座組でのみうまれた『エアスイミング』の舞台空間でした。

ネタバレBOX

もともと戯曲としては複数の解釈があります。入り乱れる2つの世界。それらがいったい何を意味するのか。台詞のスピードとリズム感により、すべてが虚構のように聞こえてくることもあれば、場面やふたりの関係性の変化がわかりにくい部分もありました。
また、本作は1920年代イギリスが舞台であり、設定は実話に基づいています。当時の規範を逸脱したとされ「異常者」と呼ばれ収監されたふたりの女性。変化し続け議論され続けるジェンダーや社会規範の在り方、その表現について、現代の視点で読み解くのは難しいため、当時の背景がなにかしらの方法で示されていたなら、より作品と観客の距離が縮まったのではないかとも思います。
地の塩、海の根

地の塩、海の根

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2024/06/21 (金) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今作、基本的にリーディング公演の形式を採る。

ネタバレBOX

 さもありなん、兎に角複雑で輻輳的なウクライナの歴史をオーストリア・ハンガリー帝国に支配された時代から紐解いてゆくのだから、その歴史的経緯を既に学んでいなければ理解するだけでも大変なのである。当然通常の公演のように演じていたのでは舞台美術だけでも予算的にも空間的にも完全に破綻してしまうであろうから、今公演がリーディング形式を採ったのは極めてまっとうな判断だ。それにしてもこれだけの内容を150分強の時間を掛けて演じ、途中休憩無しというのは体力的にも可成りキツイ。
 板上は奥にスロープを設え、手前はフラット。客席側に台を設けてあるがこれが遠近を示す際とても上手に用いられて印象的である。
今作のタイトル中に在る『地の塩』は、ポーランドのノーベル文学賞候補作家でもあったユゼフ・ヴィトリンが1935年に発表した未完小説のタイトルであるが、ウクライナで出版された翻訳書はロシア語版のみであった。因みに『海の根』は『地の塩』をポーランド語原書からウクライナ語に翻訳しようとし実際翻訳中の男が黒海に面するクリミヤの地からロシアによって拉致され養子縁組などの候補とされ、ロシア人になるよう洗脳教育を受けていると懸念される息子を思い、ウクライナ独自のアイデンティティーと主体性を確立し独立独歩で歩んで行く根拠となるような内容の小説を書く決意をし、実際に準備を整え書き始めている小説のタイトルである。因みに『地の塩』の翻訳には途中から妻も関わってくる。そして、ほぼ2年ぶりに息子と会う機会が訪れた際会えたのは父のみであった。母は息子を気遣う余り精神を病んでしまったからである。
 ところでウクライナは世界の穀倉地帯として知られその収穫量、品質の高さから現在まで世界各国に輸出されてきた。プーチンが新たな侵略を大々的に始める迄は。ざっと歴史を振り返るだけでもオーストリア・ハンガリー帝国の時代、クリミヤを帝政ロシアがオスマン帝国から分捕り自国領と主張した時代、ソ連の支配下に置かれた時代、フルシチョフの特命によりウクライナ領となった時代等の歴史を踏まえ、例え大本(政治支配の)がウクライナ以外に在ろうともウクライナ在のものはウクライナ独自の生に根付き、生きるとの発想でアイデンティファイしようとする。こういった思考をベースに拉致された子の父が書こうとしている小説のタイトルとして選ばれた名称が『海の根』であり、それは本体が離れた場所に根を張り育っていても離れた場所にもその根を伸ばしそこでも息づいている植物の根を、また民族としてのルーツをも意味していると捉えることができる発想から掴み取られた。
 さて、今作では直接触れられていないものの、農業に携わる農民の特性とは何だろうという問いを立ててみた。天候に左右されるのが農業の基本的条件であるから、観測技術が発達し天気予報の的中率が高くなり信じられるようになるまでは基本的に農業従事者による観天望気が基本になっていたハズである。また農地は農業生産物総ての母体ともいうべきものであるからその土壌は農業生産物にとって地味豊かな物でなければならない。また、受粉や病害虫関連の知識と栽培植物との多様な関係についても深く正しい知識が必要不可欠である。更に種まきや収穫に際しては機械化されるまでは多くの人手を必要としたから農民同士の人的関係は共同作業が能う限りスムースに実行できるようでなければならない。こういった様々な手間暇が懸かる生き方をする以上、軍事等に専門的に関わる時間は乏しいというのが現実であろう。そしてこのような生活実態が農民のアイデンティティーを基礎づけているとするならば、海の根の発想は立派にこのアイデンティティーの上に成立すると考えて良い。実際、ウクライナの穀倉地帯の土の色は黒色であるという。日本でも山陰地方の一部にクロボクと言われる土が堆積している一帯があり、高級農作物の一大産地である。
 実際に演じられる物語の舞台は、『地の塩』では、片腕に障害のある主人公ピョートル・ニェヴァドムスキが鉄道駅舎での雑務要員から応召されて兵士となり従軍してからの話、歳の離れた孤児の娘との内縁関係等が演じられる。因みに『地の塩』初演となった2022年大阪城野音公演では、稽古場がK大S講堂であったこと。この講堂は1937年皇太子誕生(現上皇)を記念して帝大構内に建てられたが1960年代若者造反の時代から反体制イベントのメッカともなり、現在迄K大学生による自主運営が為されている。何はともあれ今作日本上演に関わっていた役者たちがウクライナを旅した際に『地の塩』をウクライナ語に翻訳しようとしていた男と妻に出会い同じ表現する者同士として様々な話をするようになった訳だ。
 クリミヤが中心になるのは、『海の根』を書こうとしている男がクリミヤ在住で、日本から訪れている人物たちと交友し現在のロシアとの関係の中で話が進むという今作の二つの柱のうちの一つを為しているからである。凄い作品であるのだが、観るのに体力、気力のみならず健康を要する。出来れば事前にウクライナの歴史書を読んでおいた方が良かろう。
地の塩、海の根

地の塩、海の根

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2024/06/21 (金) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

身近な社会問題を早速取り上げて、芝居で現実を考える、あるいは現実が芝居を変える、と言う作品を発表してきた坂手洋二の新作は、湯気の出るホットナ戦争がテーマである。
舞台は地政学的には遠い南ロシアのウクライナ。日本人には日常、実感がない国が舞台だが、相手のロシアは、明治以降さまざまな国際関係がある。劇中、ロスケと言っても年齢が上の我々には、その蔑称の意味も、感じも、今の流行りの言葉でいえば共有できるところがあるが、ウクライナの方は、ふつうは、どこ?である。さらに、ウクライナとロシアの中世以来のくんずほずれつの関係となると、劇中、随分かみ砕いて説明されるがニュアンスまではベテランの名手・坂手の手を借りてもほとんど伝わらない。作者は、地の塩という現地作家のロシア語の本を翻訳するという話を軸に、本に書かれた鉄道の踏切警手の庶民の生涯と、現地の演劇祭に招かれた日本の劇団員が話を聞くというメタシアターのかたちをとっているが、その複雑さは想像できても実感のとっかかりがない。一番は国境の国土の争いが、長年の民族、宗教と絡んでいることで、日本ではせいぜい韓国・漢民族との海という明確な国境があっての上での軋轢があるくらいだが、中東に近いスラブ民族圏では争いの基の要因についてもよくわからない。
今上演するには時節をえた狙いとはと言えるが、日本的に解釈しても仕方のない話なので、難しい素材だったなぁ、という感じしか残らない。
そこで結構つまずくので、芝居の中身を味あう余裕がなかった。2時間半。



べつのほしにいくまえに

べつのほしにいくまえに

趣向

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2024/05/23 (木) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

趣向は、2010年に劇作家・オノマリコさんにより設立された演劇ユニット。2023年には俳優の大川翔子さん、前原麻希さんが加入され、劇団化されました。
そんな趣向の『べつのほしにいくまえに』の舞台は少し未来のとある国。結婚率を上げるために政府が新たに打ち出した「互助・共助のための結婚法」。その立案と施行までの道のり、そしてその後を描いた物語です。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

<あらすじ>
物語の舞台でもある「べつの星」は現行の結婚制度に疑問を抱く人々によるコミュニティ。
メンバーは地方紙に勤務するコーデリア(梅村綾子)、専業主夫のボトム(海老根理)、書店で働くヘレナ(大川翔子)、秘書のロビングットフェロー(和田華子)。登場人物の名前がこんな風にシェイクスピア作品のキャラクターから命名されていることも一つのギミックとして活きている。
「べつの星」のメンバーたちには、それぞれパートナーとの関わりや生活がある。コーデリアは同性のパートナーのオフィーリア(納葉)とその子どもと暮らしており、そこに友人のギルデンスターン(多賀名啓太)が居候する4人暮らし。ヘレナには、パートナーとして生きていきたい長年の友人・ハーミア(渡邉とかげ)がいるが、ハーミアにはライサンダー(かとうしんご)という恋人がいる。『べつの星』のメンバーたちは定期的に公民館のような場所に集い、それぞれの立場や経験をもとに意見を交換している。
その会にある日、新たに3名の参加者が集う。妻・ヒポリタ(KAKAZU)を伴って訪れたテセウス(箱田暁史)は、性別や恋愛関係の有無に関わらず、ケア関係にある人間が“結婚”できることになる法律・“互助・共助のための結婚法”を推進している政治家だった。そこに遅れて参加した大学生のジュリエット(松村ひらり)が自己紹介でこう告げる。
「わたし、祖母と結婚したいんです」
ジュリエットは多忙な両親に代わり愛情を注いでくれた祖母のロミオを慕い、施設への入居を反対していた。祖母を一番にケアする権利がほしい。そう望むジュリエットの新たな結婚の形は、もう一人の政治家のティターニア(小林春世)とその秘書・豆の花(前原瑞希)によって、“互助・共助のための結婚法”のプロモーションとなり、ロミオは瞬く間に広告塔になっていく…。

【2024年7月11日に「CoRich舞台芸術まつり!2024春」グランプリ発表ページより以下を転載しました】

本作をCoRich舞台芸術まつり!2024春のグランプリ作品に決定する過程にはいくつかの議論があり、その一つにシェイクスピア作品の登場人物に準えた命名は、果たして本作の主題を訴えるにあたって有効的に機能していたか、という議論も持ち上がりました。
原作のその名の人物たちの立場や役割でと本作のそれらが手を繋ぎあっているのか。そういったことを中心に、さながら「べつの星」のメンバーの様に、審査員間で多様な意見を交換し合うことができました。私個人としてはその整合性については特に気にはなりませんでした。私自身がシェイクスピア作品に明るくないという不勉強さもあるかもしれないのですが、それ以前に、全ての命名に綿密な整合性を持たせること=前例に照準を合わせることは、本作の主題において必ずしも必要であるとは言い切れず、ともすれば逆行することでもあるようにも感じたからです。これは最も極端な例かもしれませんが、禁断の愛、悲恋の象徴であるロミオとジュリエットという名前が本作では祖母と孫に当てられていますが、二人は悲しい結末を辿りません。しかし、性別や年齢こそ違うけれど、現行の結婚制度からは異例な、ともすれば一部からは禁断とも言われかねない「ケア婚」を果たそうとする二人に、その命名は実に相応しいとも感じました。新たな結婚の形に法改正が必要なように、この物語を描く上で必要な翻案が凝らされているのだと私は受け取りました。

【ここまで】

本作の素晴らしいところは“互助・共助のための結婚法”という新たな法律とその施行によって、今を生きる人々が何を感じ、考え、喜び、苦しみ、生きているのかを一人ひとりにフォーカスして描き切っている点であったと思います。

誰に心を寄せたか、どのシーンに心を動かされたかは観客によってそれぞれだと思いますが、私が最も心を打たれたのは、広告塔として奔走するジュリエットを傍目にロミオが夜の街を徘徊していた時に結婚生活と自身の存在意義に悩むヒポリタと偶然出会い、会話を交わすシーンでした。孤独を抱え、行き場のない二人が思いもよらぬ形で出会い、心を通わせた瞬間、自分自身もが救われたような心持ちになりました。あの時、拭っても拭っても溢れてくきた涙、その原料が何であったのかは未だにうまく言葉にできずにいるのですが、そうした心の深いところにそっと触れる、奇跡のような瞬間でした。
パートナーがいても、家族がいても、友達がいても、決して拭い去れない孤独を抱えて生きているのが人間なのだと思います。しかし、その孤独な足もとを照らすのもまた人であるということ、人は人によって救われるということ。物語の中の誰かにシンパシーを覚え、心をグッと寄せたその時もまた同じことが起きているのだと改めて思いました。
物語が真夜中である時にカーテンが開き、煌々とした陽光が劇場を満たしたその時、夜であるはずの世界に昼の世界が差し込んだその瞬間は、演劇だからこそ叶う心象風景そのものでした。昼公演と夜公演でまた見え方は異なると思いますが、内の世界にとどまらず、外の世界へと繋がっていく演出もまた、本作において非常に重要な意味を持っていたと感じます。

男女二元論をもとにした結婚制度から進歩しない現代日本において、本作で描かれた世界、「少し未来のとある国」が迎えた円満なラストは、皮肉にもユートピアであるという実感を抱かざるを得ません。
しかし、だけど、そうだとしても、この祈りを少しでも多くの人が持つことで、やっぱり何かは変わるのではないか。“べつのほし”にいかなくても、この星でも、日本でも、愛しあい、信頼しあい、求めあう人々が誰にも制限されたり、抑圧されたり、差別されたり、蹂躙されることなく、温かく幸せな日々を送ることができたら。それぞれが一人きりである「人間」と、一つきりである「人と人との関係」が尊重され、守られたなら。
たとえ今はユートピアだとしても、そんなifを描き続けることでしか浮かび上がらない、この国を「少し未来のとある国」に近づけるためのsurelyな現実があるのではないでしょうか。「おばあちゃんと結婚したい」と言う孫・ジュリエットと、「わたしを助けようとしてくれているのはジュリエットだけ」と言う祖母・ロミオを交互に眺めながら、そんなことを思いました。

『べつのほしにいくまえに』。
劇場を出て、上り道を経て下り道となった坂道を歩きながら、その後に続く言葉を考えていました。
それは、今しがた見たユートピアを少しでも現実に近づけるための思考、祈りを胸に「このほしでできること」を見つめる始まりの時間であったと思います。
さるヒト、いるヒト、くる

さるヒト、いるヒト、くる

ポケット企画

扇谷記念スタジオ・シアターZOO(北海道)

2024/05/03 (金) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

北海道・札幌を拠点に活動する若手劇団ポケット企画。昨年まで学生劇団として活動し、演劇祭や賞レースなどへの積極的な参加を経て、今年からは社会人劇団へ。新たな創作の日々へと乗り出したばかりのポケット企画が本作で目指したのは「今と繋がり、過去を問うこと」ではなったのではないかと感じました。
本公演は、旭川を拠点に活動する演劇集団シベリア基地との同時上演という形式。
北海道内他地域の劇団と積極的に繋がり、ともに舞台芸術を盛り上げる心意気に溢れた企画でした。

当日パンフレットには、2つの団体とその作品詳細はもちろん、ワークショップ情報、本年度のイベントラインナップ、今後の出演情報をカレンダー方式で掲載するなど端々までみっちりと工夫が凝らされており、一目で団体の今と今後、そして、周囲や社会との繋がりにリーチすることができました。また、4日の昼公演は「やさしい回」と銘打って、控え目の音響・照明、ゆとりある客席、上演台本貸し出しなど、観劇アクセシビリティ向上への取り組みも行っていました。こうしたインクルーシブな公演デザインは、演劇やその活動が社会の一部であるという自覚なくしては叶うものではありません。社会人劇団となった1年目から、カンパニーでの公演や取り組みをより外へと拓き、「今と繋がる」その姿勢にいち演劇関係者として敬意を抱きました。

そんな風に「今」と手を繋ぎながら、創作では「過去を問うこと」にも実直に取り組まれたことが伺えました。
『さるヒト、いるヒト、くる』は、「この先も仕事をしながら表現活動を続けると決めた若者」が造形作家のもとに数日滞在するところから物語が始まります。「この先も仕事をしながら表現活動を続けると決めた若者」が社会人劇団一年目のポケット企画の面々であることは早々に察しがつくのですが、この造形作家もまた北海道・恵庭市で暮らす実在の人物(タケナカヒロヒコさん)をモデルにしているそうです。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

森で暮らしながら作家として生きる人と、都市部で仕事をしながら表現活動を続ける人がそれぞれの日々を語り合う中で出てきたこんなセリフがありました。
「何を、どんなことを、考えているの。いま。」
「いま、」
「今」
そうして時は1877年、1899年、1945年と遡り、北海道の歴史、戦争という歴史、その風景が今と並行して語られていきます。このシーンからもわかるように、ポケット企画は本作で自分たちの暮らす場所や現在地から、決して忘れてはならない過去=歴史を問うということを試みたのだと感じました。

作風としては、説明台詞も少なく、そのメッセージ性を全面に出す大仰な演出も用いず、日々の暮らしの隙間からふっと入り込むように戦争を描いていました。そのことが、戦争という歴史の上に今の暮らしがあり、今という暮らしが戦争という歴史を含んでいることを静かに、しかし生々しく握らせました。
その風景を見ながら思い出したのは、95歳の祖母もまた「おはよう」から「おやすみ」までの間に折に触れては戦争の話をしていることでした。その度に、祖母にとって戦争は特別なことではないということを思い知らされるようで、本作からもそうした今と地続きにある過去を見つめる眼差しが込められていたように思います。戦争や過去に対する若者たちの戸惑いや迷いがリアリティを以って表されていたことにも実直な姿勢を感じました。

森を模しながらもどこかファンタジックな美術も目を引きました。本作がせんがわ劇場演劇コンクールファイナリスト選出作品でもあることから、持ち運びと転換時間の制約を鑑みて風船が使われていたことも理にかなった美術デザインだと感じました。軽量でポータブルという機能面だけでなく、本作の主題において重要な音響をも担っており、制作面と表現面の両立としても素晴らしいと感じました。

「ポケットに入れて持ち運べる演劇」をテーマに作品を創作しているだけあって、説明過多でなく、押し付けがましくなく、さらに上演時間も短いことで多くの人にとって受け取りやすい作品に仕上がっていました。私自身がアイヌの歴史や文化について理解が及んでいないこともあり、滞在中にスケジュールが許せば白老町のウポポイに行く予定だったのですが、本作を観たことでさらにその気持ちはより強くなりました。
一方で、この題材を描くにはややコンパクトで抽象的にし過ぎた節も感じました。
短編作品としては成立していますし、本作のような作品が観客にとって必要だとも思うのですが、誠実に取り組まれたことがわかるだけあって、他作品や長尺の作品が観てみたいという気持ちにもなりました。
社会における演劇というものの役割や、それに対する自身の姿勢に向き合った作品で、全員が同じ地平から「今」と「過去」を見つめて取り組んでいることが伝わる公演でした。広い意味での地域共生に取り組む姿勢も素晴らしく、この経験を活かして、どうかこれからも「表現活動を続けると決めた若者」でい続けてほしいと思います。
天の秤

天の秤

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2024/03/29 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

家族を母体として劇団活動を続けている風雷紡。2007年の結成以降、津山事件、帝銀事件、あさま山荘事件などの昭和の事件をモチーフに作品作りを行ってきました。本作『天の秤』のモチーフとなっているのは、1970年3月31日に発生した日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件。奇しくも私が観劇した千秋楽は事件が起きた当日でした。
妙な偶然の中で見る、「正義」とはなんたるかを問う物語。細かな取材や資料の参照にあたりながら、事件の真相と深層をともに描き出した作品でした。
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ネタバレBOX

客席と舞台を機内に見立てた美術、離陸アナウンス風の上演諸注意など、開幕前からすでに劇空間が物語に占拠されていることにまず耳目を奪われました。続く内容は事実に忠実に則っており、物語は、赤軍派を名乗る田宮貴麿(杉浦直)らによってハイジャックされた日本航空351便が北朝鮮へ行くことを命じられるところから始まります。
事件の現場である機内と事件の対応に奔走する社内。その2つの軸を往来する形でシーンが展開していき、立場の違いによって正義が歪む様を皮肉に炙り出していました。

機内パートには、田宮以外に機長の石田(祥野獣一)、副操縦士の江崎(北川サトシ)、客室乗務員の神木(秋月はる華)と沖宗(岡田さくら)、植村(吉永雪乃)。社内パートには、日本航空専務の斎藤(高橋亮次)、運輸大臣の橋本(齊藤圭祐)、政務次官の山村(山村鉄平)、客室乗務員指導教官の深澤(下平久美子)。立場や視点の様々な10名の登場人物の抱く恐怖や絶望、迷いや思惑、そして、それぞれ異なる正義の形が描かれていく点が最大の見どころです。人命がかかっているにもかかわらず、社内での権力争いや世間への体裁を優先し、そのジャッジに振り回されるのはいつも現場スタッフで…。こういった構造は現代にも通じる不条理であり、過去の事件ではありますが、組織や国家の闇はいつの世も変わらないのだと痛感したりもしました。

「ハイジャック中の機内」という状況下だけあって、俳優らのお芝居にも緊迫感が走り、また正義を口にする時にはそれぞれ温度も高く、熱演という言葉の似合う作品であったと思います。私が個人的に惹かれたのは、実行犯である田宮に次第に共感を覚えゆく乗務員・沖宗の姿でした。社会運動に刺激されたり、運動者の思想に感化をされる若者の姿は当時の世相を象徴しており、本団体が事件をモチーフに創作するにあたって重要視している「時代に翻弄された人々」をまさに端的に示すシーンであったと思います。

事件の背景や詳細、その当時の時代性を細やかに捉え、真摯に舞台化された作品であったと感じる一方で、それ以上のテーマ性には踏み込んでいない感触を覚えたのも正直なところでした。「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」というセリフは、本作の核心を突いた言葉であると思うのですが、言葉の力に寄り掛かりすぎている印象がありました。言葉の力が素晴らしいだけあって、こうした言葉を暗に示すような劇的な風景をさらに期待してしまったのかもしれません。また、起きていることの情報を正しく伝えようとするあまりに説明台詞が過多になってしまった感も否めず、全編を通じてではないものの一時的に再現VTRを見ているように感じる瞬間もありました。機内に仕立てた空間や俳優の力量を活かして、演劇でなければならなかった演出がもう少し忍ばされていたら、より深層へと潜って行けたのではないかと思います。

しかしながら、風雷紡の実際に起きた事件をモチーフに作劇をするといった試みは、今この瞬間にもあらゆる事柄が風化してしまう現代社会において、非常に意義深いものであると感じます。次はどんな事件をモチーフとするのでしょうか。劇場では、そんな風に今後の団体の展開を楽しみにしているファンの存在感も感じることができ、豊かな時間でした。
(あたらしい)ジュラシックパーク

(あたらしい)ジュラシックパーク

南極

インディペンデントシアターOji(東京都)

2024/03/28 (木) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

平均年齢26歳の南極ゴジラは、演劇をポップカルチャーに押し上げるべく旗揚げされた“ゆかいな劇団”。
『(あたらしい)ジュラシックパーク』は、CoRich舞台芸術まつり!2024春の最終選考対象作品であると同時に、注目の若手劇団が集う佐藤佐吉演劇祭2024参加作品でもあります。
物語の内容は、誰もが知るSF超大作を下敷きに”テクノロジーの暴走“を描くというもの。私が観劇した日の会場は超満席、客席に漂う前のめりなムードから団体に寄せられる期待が沸々と伝わってきました。その様子はこれまでの団体の在り方や創作に対する評価そのものでもあると思います。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

その期待に全力で応えるカラフルPOPな舞台美術とオープニングの演奏がチャーミングで、パワフルで、まさに“ゆかいな劇団”(あるいは“ゆかいな楽隊”)そのものの絵面でした。私の横で観劇していた方が思わず「わあ」と感激の声を漏らしていたのですが、多くの観客が心で同じような歓声をあげたのではないかと思います。
「一体今から何が始まっちゃうの?」
そんな待望に拍車をかける楽しげな音楽で、観客が待ち望む演劇の入り口としてこれほど相応しいオープニングはないのではないかと感じました。一人ひとりから「期待を裏切るものか」という熱気が感じられるエンターテイメントに富んだ幕開けでした。

物語は前述の通り、映画『ジュラシック・パーク』の設定をベースに施設内で恐竜たちの飼育と管理を行う人々の一風変わった仕事模様が描かれるオフィス劇。しかし、主人公・湾田(端栞里)がパークで生まれ育ち、外の世界をほとんど知らないという閉塞感や、いわゆる“しごでき”な同僚たちに劣等感を抱いたり、自身の生き方に疑問や葛藤を覚える様子などからはさりげなくもじわじわと社会的側面も感じることができました。
管理室は、湾田の所属である小型草食恐竜のお部屋と花形部署・大型肉食恐竜のお部屋とがあり、後者の所属で同期であるシャークウィーク(瀬安勇志)は“しごでき”同僚の中でも群を抜いてのエース。設定はこんなにもユニークなのに、同期が集う時の静かなマウント合戦、誰にも本音を漏らせなさそうな雰囲気はひやりとするほどリアル。さらには同部署である微山(こんにち博士)、アルミ(九條えり花)、メガマック(TGW-1996)からの扱われ方や評価も散々な湾田にいつしか感情移入している自分がいて、湾田の存在や振る舞いはコミュニティに馴染めない人々の共感を誘うものであったのだと感じたりもしました。そんな中で唯一、湾田が友人・ドゥドゥ(古田絵夢)と過ごすいわゆるアフター5的シーンは、そのキャラクター性も相まって観客にとっても安息の時間になっているように感じました。
一方でそのことを周囲が嘲笑っていることには「マイノリティの行き場のなさ」を痛感せざるをえず、二人を愛すれば愛するだけ、弱い立場の人間が手を取り合うことがもう少し認められる展開が欲しかったとも思ってしまいました。

外部からの来訪人・セールスマンの中黒(ユガミノーマル)によって、パーク内かき回されるシーン、異質の挿入によってやがて内部の闇が暴かれ、崩壊していく様も起承転結のメリハリを担保する好展開。湾田がSOSを求める相手が決まってAIコーチ(井上耕輔)である無情、人間製造機を使ってコピー人間を研究する浮卵博士(和久井千尋)の存在、彼によって登場した“しごでき”ver湾田ことワンダー(揺楽瑠香)など人間と科学の対決を彷彿させる展開も現代版SF劇の最高潮として効いていました。ラストにかけて、その戦いが、人間臭い純粋な悩みと嘆きによって昇華されていくのも素晴らしかったです。
南極ゴジラにしかできない方法でエンタメ性と社会性を繋げた意欲作である一方で、やや間延びを感じてしまう部分が惜しくも思えました。キャラクターがみんな軽妙洒脱にデザインされていることもあり、個人的にはもう少しハイテンポに展開を紡いだ方が本作のカラーと相性が良かったのではないかと感じたのも正直な感想です。

もう一点、どうしても残念に思ってしまったことが、主演の端栞里さんや魅力的悪役に扮した瀬安勇志さんをはじめ俳優さんたちがあまりにも素敵なのに、当日パンフレットでは役名と顔と俳優名を一致させるのが難しく、チラシを参照しようと思ってもぼやけた写真でスムーズに照合が取れなかったことでした。
小劇場においては俳優の顔写真自体が載っていないパンフレットやチラシも多く、ネット検索すれば辿り着ける情報ではあるのですが、せっかく作ってあったからこそ惜しいと感じました。観客が一次資料のみで知りたい情報にリーチできることは観劇アクセシビリティ向上においても重要であると考えます。また、そのことは団体から参加俳優に向けたリスペクトの表明にもなり得るのではないでしょうか。

南極ゴジラの魅力は圧倒的デザイン力の高さ。グッズなどの周辺アイテムの工夫も含め、企画・制作・創作面の打ち出し方を細やかかつ鮮やかに考え抜くその力は、同世代のみならず世代を越え、群を抜いたものであると改めて感じました。その魅力をそのままに、観客の知りたい情報にもう少し寄り添っていただけたらさらに嬉しく思います。そして、舞台上からは今後も私たち観客のことをゆかいに裏切り続けて下さい。今後の飛躍を楽しみにしています!
更地

更地

ルサンチカ

戸山公園(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/25 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ルサンチカは河合朗さんが主宰し、演出する舞台芸術を制作するカンパニー。
劇団の主宰が作・演出をともに手掛けることが多い中で、「演出」に注力したアーティストによるカンパニーは貴重であると感じます。「過去」の戯曲を上演する形式とその広がりをテーマに据えるとともに、今、そこにいる観客、現代を生きる観客に向かって「過去の言葉を、戯曲をどう扱うか」を問うこと。そういった試みは、観客に新たな気づきをもたらすことにも、忘れてはならない何らかの風化を止めることにも繋がるのではないでしょうか。
私はルサンチカというカンパニーのその姿勢、演劇を通じて社会を見つめる眼差しの深さに強く感銘を受けています。また、CoRich舞台芸術まつり!2024春の一次選考通過の賞金をそのまま観客へと還元する取り組みも素晴らしく、一人の観客としてこの場を借りて感謝を申し上げたいと思います。
そんなルサンチカの新作は、1992年に太田省吾によって初演された『更地』の野外劇。本作を野外劇として上演した前例はあったのだろうか。そう考え、調べたところ特に見つからず、まず驚きました。野外で観ることで戯曲の言葉が広く羽ばたいていくようでもあり、同時に内に向かって濃く浸透していくようでもあり、その光景を非常に意義深く感じたからです。また、上演場所は戸山公園 陸軍戸山学校軍楽隊 野外演奏場跡とあり、まさに文字通り「跡地」。「言葉」と「場」の関係にこだわった公演を体験し、会場選びから演出が始まっているということを改めて感じました。

上演に向けたステートメントにこんな言葉がありました。
【本作は、映画『ゴジラ』の中で、ゴジラが踏み荒らした東京の「更地」から着想を得たと言われています。震災やテロ、戦争など、いつか起こってしまうだろうと思ってはいるものの、それが今日だと誰も考えていないものが、現実には起こり続けています】
是非全文読んでいただきたいのですが、これら言葉を上演前に掲げることもまた社会運動の一つであると私は受け取りました。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

円形の舞台上には所々に雑貨や廃材が転がっていて、感慨深くその風景を見つめる二人の男女の姿や言葉から、それが解体された家の跡地であるということがわかります。円の中で男(御厨亮)と女(永井茉梨奈)がその家での日々を振り返る表情は清々しく、ときにはスパゲティを手で食べ出してみたりと楽しげで、一見重苦しいムードではありません。しかし、時が進むごとにそこはかとない喪失が炙り出されていくようで、例えば自分がもう一人の登場人物としてそこにいたとしても「二人の間に生まれた子どもの不在」について尋ねることは憚れるような。そんな気持ちで、歩んだ日々の凹凸が跡地に刻まれていく様を見つめていました。その瞬間から、舞台は「円形である」という情報ではなく、時を示す、文字通りの舞台装置として機能していくようにも感じました。時の流れは一方向であるにも関わらず、その中で起きることはよくも悪くも過去から現在へと循環を成していること。もっと言えば、同じ流行と過ちを繰り返していくこと。そんな実感を得るようでもありました。

「なにもかもなくしてみる」という台詞をどう受け取るか、は観客によってそれぞれであると感じます。「更地」という言葉に舞台上を大きく翻った白布を重ね、「まっさらになる状態」や「まっさらにする決意」を彷彿する時はさほどネガティブな印象を持たないですが、「まっさらにせざるを得なかった状態」を思うと、そこにはただただ、喪失や絶望が横たわりました。そんなとき、上演に寄せたステートメントがふと劇世界の風景と重なり、より実感を持っていくように感じました。元旦に起きた能登半島地震、ロシアとウクライナの戦争、そして、今もなお続いているイスラエルからパレスチナへのジェノサイド…そうしたことが今も実際に起きていて、それを知っているにも関わらず、自分には、この場所には、今日には起こらないと潜在的に慢心している。今いる場所が、在りし日の戦争の事実を存分にはらんだ、“陸軍”戸山学校軍楽隊 野外演奏場“跡”にもかかわらず。そんなことをまざまざと握らされました。

一方で、これは野外劇という形式がもたらしてしまう偶然性、否応なく発生するドラマティックさのせいでもあるのですが、鳥たちがさえずるうららかな天気の中に佇みながら、思い出を辿る男女二人があまりに一枚の絵に美しく収まりすぎていて、背景に流れるものが伝わりづらく感じる節もありました。上演に向けた言葉や戯曲の成り立ち、そして今いる跡地がかつてどんな場所であったことなどの情報から得る体感の大きさが、演出にやや勝ってしまっていた。そんな感触が拭いされなかったのも正直なところです。
ただ、だからと言って、上演に寄せたアーティストの思いや意向を削ぐこと、その表明を避けることは、この混沌の現代で芸術表現を行う上で相応しいこととは思えません。「今」にとって必要な「過去」を都度選定しながら、演劇を通じて社会に伝えたいことを見つめること。繰り返しになりますが、ルサンチカというカンパニーのその眼差しに敬意を込めて、これからもその姿勢のまま、さらなる飛躍を遂げられることを期待しています。
新ハムレット

新ハムレット

早坂彩 トレモロ

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

音楽と身体を使って、翻訳劇を独自の技法で作り上げる作劇が特徴であった初期と、戯曲の本質に踏み込んだ緻密な演出スタイルにシフトした中期。そして、それらを経て、今その活動は第三期、「自由に、開いて、場作りを進めるトレモロに突入」と主宰の早坂彩さんは言います。その言葉通り、本作『新ハムレット』はSCOTサマー・シーズン2022と豊岡演劇祭2022で初演、豊岡での滞在制作と利賀山房と出石永楽館での上演を経て、東京と京都の二都市での再演へ。さまざまな場所で上演を重ねることによって、場作りはもちろん作品そのものを広く開いていく果敢な試みが感じられます。

原作は太宰治の『新ハムレット』。シェイクスピアの『ハムレット』を題材に取りつつも、太宰自身の新たな視座を含んだ戯曲風の小説です。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

劇中ではそのことを太宰治本人と思しき男に語らせる形をとっており、男(黒澤多生)の趣と存在感に観客の耳目を引きつけるオープニングが、まさに劇世界と小説世界のゲートを一つに繋げているようで興味深かったです。作者当人がストーリーテラーのような役割を担うこと自体は真新しくなく、むしろ現代口語演劇のある時代のトレンドとしても多くみられる導入だと思うのですが、本作の大きな特徴は作者の奥にさらにもう一人の作者が存在することです。
「シェイクスピアの『ハムレット』について色々思うことがあるから、僕が今からなんやかんや言いながら似た小説を書きますからね」
「戯曲みたいに書いていきますからね!」
という形で小説が始まる手法は批評的で面白く、さらにそれを舞台化するというのは、マトリョーシカのような入れ子構造を繰り返しながら、太宰がもし存命なら一生続きそうな批評バトルを重ねていくような可笑しみも感じました。
太宰治は派手で傍迷惑なその生き様から多くの作品のモチーフやモデルにもなってきましたが、個人的にはそのナルシズムが「芸術家としての美点」にではなく、「人間の可笑しみ」に振り切って表現されている作品ほど本質を突いているような気がしていて、本作はまさにそのことを導入から叶えていたと感じます。
派手におちゃらけるとか、明確に言葉尻を遊ぶだとか、そういった分かりやすい方法ではないにせよ、人間臭さの感じる存在として俳優がそこに立っていたこと、立ち回っていたことに説得力がありました。太宰に見せてあげたかったくらいです。

他にも俳優陣の表現力の高さに本作の本質が支えられていた瞬間は多くありました。
ハムレットの悲壮や葛藤が最大限に表出された松井壮大さんの鬼気迫るお芝居も凄まじく、姿は「ハムレット」であるはずなのに、その精神はどこか太宰の「芸術家としての美点」の方のナルシズム的気配を纏っているような感触もありました。もう少し踏み込んで言うと、太宰が魅せられた死への欲求や自己憐憫をハムレットという人物に映写するように声と身体を駆使して体現されているように私には見えて、その加減に舌を巻きました。
もう一人印象的だったのが、王妃のガーツルードを演じた川田小百合さんでした。川田さんの俳優としての技術力の高さを痛感したのは、自分をモデルとした劇を城内でハムレットらが上演する様子を眺めている時の表情でした。「眺めている」と書きましたが、その様子を実際に眺めてお芝居をしているのではなく、記憶が正しければ、ハムレットらと並列になった状態で表情のみで「眺めている」ことを表現する演出だったのですが、まさに「絶句」の様子を瞳の変化でまざまざと表現されていて、こんなにも静かで激しいお芝居があるものかと驚きました。その激しさの中にもふと太宰の直情さが顔を出すようでもありました。

以上の理由などから、本作はシェイクスピアの『ハムレット』よりも、さらには『新ハムレット』そのものよりも、「『新ハムレット』における太宰の眼差し」を重んじてつくられた批評性の高い作品であることに面白さがあると感じました。ただ、一つ懸念があるとするならば、私個人が日文学科の太宰治ゼミ専攻であったこと。その影響が本作を、太宰サイドへと強引に誘ってしまっている可能性も少なからずあったとも感じます。

本作は舞台芸術における風景としても鮮烈なものを残した作品であったと感じます。
椅子や梯子などの木々を複雑に組み合わせたオブジェ作品のような舞台美術(杉山至)は、ある時は船に、またある時はお城の中に変幻し、劇的な展開を手伝う貴重な装置でもあり、俳優が実際にその上に乗って芝居をすることから直接的な意味合いでは舞台そのものでもあって、本作の支柱として素晴らしい役割を果たしていたと感じました。演劇における忘れられない風景というものは人それぞれにあると思うのですが、本作においてはおそらく多くの人がこのオブジェをセットで思い出すのではないかと感じました。
「自由に、開いて、場作りを進める」。そんなトレモロの新章、早坂さんの挑戦を今後も楽しみにしています。

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