最新の観てきた!クチコミ一覧

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いつか

いつか

ねこのした

新宿眼科画廊(東京都)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/13 (火)公演終了

満足度★★★★★

無題1934(16-224)
19:30の回(曇)。

時間前会場着、30分前受付ですが、待っていると先に受付をと声をかけていただく。20分前予定通り開場。対面式の客席、入口側と奥、その間に教室(4人分の机といす)。

奥に座ります。

4人は座っている。中学なのか、高校なのか、劇中、一言しか語られない。

学生服、上履き。

19:20前説(50分、定刻開演)、19:30開演〜20:22終演、20:36トーク(競泳水着上野さん)終了。

仮に3年間として、約1,000日。大きくなって振り返ってみるまでは、特別な日などない日々の繰り返し。

今日も明日も...卒業してからも。変わるのは「大人」になってからだといつも先送りする。

でも、寄せては返す波でさえ、少しずつ浸食してゆく力を持っている。

意識しないまま変わってゆく、すべては変化するか忘れてしまうか。

専修大学の演劇は初めてです。こりっちで過去公演をみると「生田キャンパス」とありますね。生田というと「日本女子大学」があり、ここの劇団ピアチェーレをよく観ていました。会場は主に代々木上原でしたが、学園祭の校内公演を観に行ったことがあります。

最初に観たときの主要メンバーは当時3年生で、卒業後ふたりは文学座(演出、俳優)に、ひとりは他の2人とユニットを組んでいろんなことにチャレンジしています。たまたま内容がSFだったので観に行ったのですがとてもよい内容でした。

こちらの公演も特に理由があったのではなく、どうも学生さんらしいというので観に来ました。

自然体の演技、一部、話し(会話)が並行するところがあり、教室の喧騒はこうだったのかな、と思ってみたり。

成長に従い「個」が強まる。「個」なのか「我」なのか。

受付~終演、アフタートークまで大変丁寧な運営でした。

味がしなくなったガムみたいな

味がしなくなったガムみたいな

マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★

細かいところまで設定があれば
着替えについて
劇団員は着替える。主人公は着替えない。彼女は着替えない。
主人公はずぼらだからでもいいが、彼女が着替えないのであれば、劇団員の着替えはいらないと思った。もしくは、彼女に着替えをさせるべき。

音楽について
ゾーマってあれだけいってるのであれば、通常戦闘曲ではなくゾーマ戦の音楽を流すべき。分からない人にとっては一緒であれば、分かる人につっこみを残す方がよくないと思う。

あと、これはDQ3を選んだ弊害なんだけど、
lv99からlv1になれるゲームだから、実際は3年もやってればステータスがMAXという表現がいいのかもしれないのだけど、そのうえでlv99で何をやってるんだろうなっというツッコミ。

ダブルキャスト云々やノルマについては、面白いと思うんだけど
たぶんこれも、わからない人にはダブルキャスト部分がつたわっていないんだろうなっと。

各キャストについて

風俗の子の顔芸はよかった。ただし、やめるから解散しないでのところしか記憶に残っていないかな。


ニートの男性は、顔が常に引きつり気味。メリハリをつけて無表情でタンタンとしゃべりだすとか、気持ち悪さの表現の幅を広げてくれるといいなと思った。成長していってるならなおのこと。

製作の子は、おとなしすぎて物足りないな!

年金の男性は、にたにたしてていい感じです。ただ、ネガティブ部分の演技がもう少し感情あるといいのかな?舞台でどなってくださいのまえあたり、悩んでる感がなかった記憶があります。

彼女役はとてもいい感じの演技でみてて楽しかったです。
ただ、クズ女なので、暴力というよりはメンヘラ感があったほうがいいのかな?演技ではしっかりしてるくせに、誰の子かわからない(=二股以上?)くらい股開いてるんだしね。

スーツの男性はナチュラルで見てて安心してました。


ツッコミどころはあるものの、それなりには楽しめました。
駄文ですが、なんとなく思ったことをつづってみました。

カタナデッドオアアライブ

カタナデッドオアアライブ

AnK

Neuro Cafe(東京都)

2016/09/10 (土) ~ 2016/09/10 (土)公演終了

満足度★★★★★

前回とは真逆の表現の歩み
昔の講釈のごとく、回を重ねて物語を紡いでいく。初回は痛恨の見逃しだったのですが、2回目を観て、紙芝居のような語り口と壁の向こうの平面的な表現の態に、物語が膨らんでいくことに驚愕。それが、今回はまた異なり、まったくちがく質感で物語が刻まれました。

いやぁ、予想とはかなり異なって、でもそのことも含めて、ほんとおもしろかったです。

ネタバレBOX

昼夜2回の公演、
どんなに詰めても20人もはいらないであろうスペース、
その中央の、ラフに扇型に作られた場所で
紡がれる物語は、ちょっと魔法のように思えた。

3人の演者が、語りで物語を紡ぎ、身体の歩みで時間を刻み、所作や、距離や、絶妙な呼吸で、空間に大きさや質感を編み上げていく。
ちょっとした小道具なども使われ、凄く緻密に作られたラフさもあって、観る側に一瞬ごとのシーンが流れ込んでくる。
しかも物語の顛末がちゃんと律儀に残る♪

観終わって、物語のシンプルさと、それを観る側に組み上げるための
多層的な表現の積み上げが、表現としてこの上もなく豊かなものに思えた。

来年初めの4回目で完結だそうですが、こんどはどんな形で作り手が仕掛けてくるのか。
1日限りの公演なのでしょうが、これは見逃せないと緊張感すら感じました。
味がしなくなったガムみたいな

味がしなくなったガムみたいな

マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★

日常の中の非日常
やっぱり、生の舞台演劇を観ると日常の中の非日常を感じられて良い。
いろいろ考えされ、立ち止まって自分の半生を振り返ったり。共感したり、え?と思わされたり。仕事の忙しさに流されている自分の日常。
良い意味でリフレッシュ出来ました。
これからも応援します。
また、呼んで下さい。笑

「米とりんご」

「米とりんご」

KARAS

KARAS APPARATUS(東京都)

2016/09/11 (日) ~ 2016/09/19 (月)公演終了

満足度★★★★★

無題1933(16-223)
20:00の回(曇)

19:45会場着、受付、19:53開場、20:09開演~21:07終演。

アップデイトダンス No.32(2016/2)の再演(No.39)。

鰐川枝里さんのソロ(初日)。

珍しく日曜日スタート。

チラシとは違って全身「黒」。多様な楽曲と共生しているようなダンス。

大きく息を吸い、吐く。

光跡を伴い早く大きく動く振付、ゆっくりと呼吸を整えるような落ち着いた振り、スローテンポからアップテンポへ、艶やか、滑らかな転調。

決してストイックではない。

じっと見つめる1時間。

終演後、お客さんに語りかける爽やかさよ。

T for T

T for T

ぷろじぇくと☆ぷらねっと

nakano f(東京都)

2016/09/06 (火) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★

純愛?ではないような
思っていた感じとは違う ちょっと異質な世界。色々なシチュエーションのはずなのに みんなどこかでつながっているというのが枠を狭くしてしまってるように感じました。 劇中で使われていたお茶を終演後にふるまってくれたようですが残念ながら時間の関係でありつけませんでした。 出来れば芝居の中と同時にふるまってくれたら その場面の受け方も違ったのかも。

時代絵巻AsH 特別公演 『白瓊〜しらぬい〜』

時代絵巻AsH 特別公演 『白瓊〜しらぬい〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2016/09/08 (木) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

涙です・・・
まずは劇場に入って感じたのは 劇団員の皆さんが すがすがしいほど礼儀正しかったこと。それがすでに白虎隊の精神のように感じました。年端もいかぬ少年達の殿を藩を愛する心が切なかったです。この少年達を見ていると藩主の人柄さえも伝わってくるような。観劇出来たことに感謝です。

芸人コンティニュー

芸人コンティニュー

スクエア

ABCホール (大阪府)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

千秋楽みました!
活動休止ということではじめてみてきました。まずセットがすごくてびっくり。お話もとても良くて、たくさん笑いました。DVDもほしくなりました。

革命少年

革命少年

劇団レトルト内閣

近鉄アート館(大阪府)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

今年一番!!
言葉で説明するのがとてもむずかしいかど、とにかく圧倒されました。
うまく説明できないので、とにかく騙されたと思って観に行ってほしいけど、昨日で終わってるんですね。もう一度みたいかも。

靴屑の塔

靴屑の塔

Baobab

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/08 (木) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

無題1931(16-220)、1932(16-221)
9/9(金)19:30の回(曇)、18:50会場着、受付(整理番号あり)、19:00開場。19:14前説(アナウンス)、19:35前説2ではなく開演~20:58終演、21:05~21:26トーク終了。

9/11(日)17:00の回(曇)、16:42会場着、開場済み。17:05開演~18:28終演。

Baobabは「-W-(2013/3@ST)」が初めて、少し間があって「Marina bay Sans(2015/6@PRUNUS)」「或いは、熱狂。(2016/3@あうるすぽっと)」。

最初は1回だけのつもりが千秋楽にも観に来ました。2015/10に「PUPAⅡ」を観に行ったときもそう。

空間全体が響く重低音にはなかなか出会えませんが、本公演では武者震いするほどの音量。昔々、ヘヴィメタルバンドの来日公演に行けば耳を劈く大音量に身を浸すことが出来ました。イヤホンではなくカラダで聴く音。

桜美林らしいマシーンのように鋭利で重々しい振付、あるいはふと吐息がもれそうなシーン、色とりどりの(10の)ピースは大きな渦の中でもひとつにまとまることはないのに深い底からイメージが浮かんでは消えてゆくようでした。

よく観ている方(過去公演も含め)に加え、

久津美太地さんは初めてですが照明スタッフにお名前を見つけました。
「ダンスがみたい!18 2016/8@d-倉庫)」「それから(2016/4@眼科画廊)」「ミモザ(2015/11@Deluxe)」「指切った。(2015/4@セッションハウス)」「出口なし(2015/4@d-倉庫)」「Manhattan96 REVUE(2015/2@d-倉庫)」「ダンストライフル(2014/12@d-倉庫)」「おつまみダンスvol.2(2014/11@pit)」他..と多いですね。

福原冠さんは「ハムレット(2014/8@あうるすぽっと)」「ストレンジャー彼女(2012/3@雑遊)」「うさ子のいえ(2011/6@水天宮)」。

直近では、傳川光留さん「ケムリ少年、挿し絵の怪人(2016/6@ここ)」、中村駿さん「「ダンス花 アドバンス(2016/9@セッションハウス)」。

タイムリーパー光源氏

タイムリーパー光源氏

十七戦地(2026年1月31日に解散)

Gallery&Spaceしあん(東京都)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★

コミカル源氏
 柳井氏のシナリオ発想の妙もさることながら話の持って行き方が実に巧みなことは流石である。

ネタバレBOX

而も3名の登場人物それぞれに振られた科白の適確さが、今作を極めてドラマチックなものにしている点で、柳井氏の劇作家としての力量を端的に示しているといえる。
 今回、源氏を扱ったのは「眠る羊」で、平家をベースにしたからであろう。眠る羊で滅びや滅亡へ向かう者たちの危機意識を扱ったのだとしたら、今回は、初心な素振りでしたたかな政治的逞しさ、生き抜く力の狡さを描いたと言えるかも知れない。而もこのように大人びたセンスを持ちながらも、17歳という年齢からくる幼さも併せ持つような光 源氏の道ならぬ恋の深刻な意味を、陰陽道を梃に対比し、タイムリープというコンセプトを接ぎ木することでコミカルに仕立てて楽しませてくれる。古民家ギャラリーを背景に展開される場面、場面は、風情のある庭と相俟って観る者を楽しませてくれる。惜しむらくは、若干、噛んだシーンが多かったこと。
浮足町アンダーグラウンド

浮足町アンダーグラウンド

大野城まどかぴあ

大野城まどかぴあ(福岡県)

2016/09/10 (土) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度

浮足立ったまま埋もれて
 公演前から、作者の名義交代というトラブルが発生していたことで、どんな出来になっているものやらと危惧していたが、それでも先入観を持たないように、虚心坦懐に観ようと心掛けた。
 しかし実際に舞台上に展開されていたのは、悲惨としか言えない「演劇もどき」でしかなかった。ともかく、ストーリーも台詞も、空回りしまくっている。今、舞台上で何が行われているのか、それが次の展開にどう作用していくのか、それが皆目見えない(「予測が付かなくて面白い」ということではない。芝居から読み取れるはずの「意味」「解釈」が拒絶されているのである)。おそらく、そう感じた観客の方が大半だったろう。
 なぜそんな惨状になってしまったのか。公演パンフレットの池田成志×内藤裕敬の対談を読めば、原因は明白である。詳細はネタバレの部分に書くが、結論だけを述べれば、役者がみな演劇の基礎すら理解しておらず、そのくせ我流の演劇経験だけはあるから「根拠のない自信」はあって、問題を指摘されても改善できずに、「守りに入る」演技しかできなくなる。会話と演技は硬化し、ますます使い物にならなくなる。結局、内藤裕敬は、中島かずきの脚本をこのまま演出することは不可能と判断し、彼らにも演じられる程度のものに改訂せざるを得なかったのだ。そのために、「物語」の部分が大幅に犠牲になってしまったのだ。
 作品の最終的な責任は、演出家にある。その意味では、内藤裕敬と池田成志(内藤が改訂作業に集中している間、実質的な演出は彼が行っている)が、この悲惨な舞台の責を負うべきかもしれない。しかし、糞ったミカンを(取り除くのではなく)腐る前に戻すことが可能なのかどうかを考えてみたらいい。演出家両氏は、負け戦と分かった上での戦いに挑まざるをを得なかったのだ。これを簡単に責めることは、私にはできかねる。
 実は池田と内藤の必死の努力によって、役者たちの演技自体は、これまでの彼らの学芸会演技(簡単に言えば生きた「間」を取れない棒読み演技である)よりもはるかに向上している。しかし、それがこの舞台の限界であった。
 内藤や池田が指摘した九州演劇人の「根拠のない自信」に対する批判は、これまでも再三、行われてきたことだが、彼らはそれが一番痛いところを突かれるがゆえに、一切無視してきた。おそらく、彼らは公演を終えて自分の劇団に戻っても、また学芸会演技に戻ってしまうだろう。既に、この誰の目にも明らかな悲惨な舞台すら、Twitterを見ると彼らの「取り巻き」は絶賛しているのである。もちろん、お世辞でそう言ってるだけなので、どこがどうよかったなんてことは具体的に言えやしない。役者を甘やかして増長させるだけである。そんな「誉め殺し」の環境の中で、今後もマトモな舞台が作れるはずがない。
 本当に役者たちに学習能力があって、演劇の道に進む本気があるのなら、巡演が終了したのち、上京して劇団に入り直すことから始めるだろう。賭けてもいいが、これまで片手間でしか演劇をやって来なかった彼らに、そんな勇気はないと思う。

ネタバレBOX

 『浮足町アンダーグラウンド』がどういう物語か。一言で言えば、「ホランド」とは何かを問い質していく物語で、要するにベケットの『ゴドーを待ちながら』の変形である。
 浮足町に唯一残った「浮足炭鉱」の秘密、「ホランド」は初め、戦前に開発された人造採掘人間のことだと提示される。炭鉱買収を目論む三津繩総研の目的も「ホランド」であった。しかし、その秘密を明かされたくない炭鉱の人々は、口々に「ホランド」とは全く別の存在であることを言い出す。曰く、炭鉱に隠された財宝だ、あるいは「ほら吹き」のことで、この町には「ほら祭り」の伝統があるのだ、等々。
 ところが、各人が適当に口にした「ホランド」の「正体」に、それぞれが真実であるかのような「証拠」や「証言」が付随してくるようになる。果たして「ホランド」とは何なのか? 「ホランド」は実在しない。そう結論が出かけたところに、炭鉱の竪穴櫓を破壊して、巨大な「ホランド」が姿を現す――。

 ストーリーをおおざっぱに書けば、こんなところだが、この物語の骨子自体は、中島かずきの原作のままではないかと思う。SF設定が不条理劇へと移行する意欲作と言えるが、これをいつもの中島テイストで、軽妙な会話で繋いでいくものだったのではないかと思う。
 ところが実際の舞台では「軽妙な会話」が微妙に「会話にならない会話」にずらされていた。一人一人の「説明台詞」が異常に長いのである。誰かが一通り、台詞を言い終わらないことには、相手の台詞に移行しない。つまり「受け答え」の回数が、いつもの中島脚本に比べて、極端に減らされているのだ。橋田寿賀子の『渡る世間は鬼ばかり』の長台詞シーンを思い出していただければどんな台詞のやり取りだったか、見当は付くと思う。

 要するに、役者が「台詞の受け答えができない」「会話に自然な間を取ることができない」ことが判明した時点で取られた苦肉の策だということである。
 「ホランド」とは何か? 一人一人の証言が食い違い、その正体が混然としていく展開は、まるで黒澤明『羅生門』(原作:芥川龍之介『藪の中』)を彷彿とさせるが、観客を混乱のままに置いてきぼりをさせないために、脚本の橋本忍と黒澤明は、語り手である杣人、僧侶、下人を用意する。彼らが混迷の意味を整理し、その疑問点を提示する役割を担うことで、観客を放置せずにちゃんと次の展開に導く働きをしているのだ。
 しかし、その「物語」どころか「台詞」を受ける基本的な技術すら、福岡の演劇人にはない。彼らにできることは、今、目の前に与えられた台詞をただ暗唱するだけだ。最低限の「受け」の演技の基礎を教え、鍛えることが時間的な限界だったとすれば、物語の「構造」は犠牲にならざるを得ない。
 おそらく、中島かずきの元のシナリオの中には、混乱の中で正気を保とうとし、懸命にその不条理を解き明かそうと悪戦苦闘する「主人公」がいたはずである。浮足町に巣食う魑魅魍魎に対抗し、彼らの跳梁跋扈を「受けて立つ」キャラクターが存在したはずである。それがスラップスティックを混乱のままで崩壊させず「物語」として成立させるための基本的な方法であるからだ。
 そして、そんな主人公を演じられる役者は誰一人いなかったのだ。

 漫才的なボケツッコミは中島かずきの十八番だが、要所要所でそれを担当していたのは殆ど池田成志である。絶妙の間でツッコむのはプロにしかできない技だが、全ての場面に池田成志が出るわけにもいかない。他の役者にボケツッコミを任せざるを得ないシーンでは、格段にレベルが落ちてしまう(池田が出ていた場面でも、相方の役者が間を外して、池田が「コントってのはなあ!」と素でガックリする場面すらあった)。
 地元の役者の中で、特に演技力のないある俳優は(でも福岡ではそれなりにキャリアがあって巧いと勘違いされている)、特に受けの演技ができず、間を外してばかりで、何度ツッコんでもまるで笑いを取ることができなかった。最後は一人ボケツッコミを三回くらいやらされていたが、それも完全にハズしていた。

 池田成志にしたところで、稀代の名優、とまではいかない。舞台によっては、役どころを間違えて中途半端な演技に終始することもある。しかし、今回は、舞台上でもリーダーシップを取っているのが彼であることが明白に分かった。他の役者が、懸命に池田成志に追随しているのが分かるのだ。福岡演劇に自分あり、みたいな根拠のない自信を捨てた分だけ、これまでの彼らの舞台に比べれば、まだマシになっていたと言えるだろう。 

 『浮足町アンダーグラウンド』の公演パンフレットは前代未聞だった。
 池田成志と内藤裕敬との二人で、今回の出演役者陣をディスりまくっていて、九州演劇人がいかに演技の基礎も知らないままに「客から金を取れる芝居を作っていないか」を具体的に指摘した資料であり、『浮足町』を批評する上では必読であり、福岡演劇の事情を知る上でも、広く読まれてほしいと思う。
 これを引用するだけで『浮足町』について充分語れるほどなので、批評も必要ないくらいだが、ある程度詳細に説明すれば、福岡の演劇人の最大の欠点は、「関係性を考えていない」点にある。
 演劇のドラマは「関係性」を無視しては成立しない。これは基本中の基本だ。演劇の勉強を少しでも齧ったことがある者なら、誰でも理解しているし、それを舞台で再現することを目的としている。ところが福岡の演劇人は、それを全く知らないまま、舞台に上がっている。そりゃ、学芸会にしかならないのも当然だ。

(前略)
内藤:役を自分に近づけるんだよ、みんな。自分の許容範囲でどうこなすかということを考えている。その方が無難だし、自分がだめだというレッテルを貼られないためにはそうやっていくのをどっかで身に付けてる。今のお前じゃだめなんだよ、今のお前以上でやらないと成立しないんだよ、そこまでいけよってことを言ってるんだけど、まだ…(この対談は8月16日ごろ)。
池田:しかもそうやるためには、内藤さんもいつも言ってるんだけど、人の話を聞かなきゃいけない。たとえばこう押す力が強かったら、強く返される。反作用を利用しないで、自分一人でやってる。それは大基本だけど、今までどうしてきたんだろうって、こっちもイラッと来ちゃう。
内藤:そうやってこなかったら残って来れなかったというのが状況として福岡はあると思うんだよな。ちょっと目立つとかちょっと人と違うとか。結局、だから自分が何をやるかってことばっかり見てて、相手役から何をもらうかってことを見てない。
(中略)
池田:そう。本当は一番面白いのは相手の反応を体験して自分が変わるってこと。そう語ってるけど感応しないんだよね。
内藤:それは稽古中に認識してくるとは思うんだよね。個人差がある。押しなべて全員にダメ出しをして、みんな人のダメ出しも聞いてるんだよ。自分のダメも人のダメも共有している。だけど結局、それでハッと本人が気づくかどうかが問題なのであって、なんぼ言っても気付かないやつはいつまでも気付かないからね。気付けるかどうかが才能なんだよ。
池田:今回ね、こんなに怒るつもりは全くなかったんですけどね。僕は「もう一回」って言われたらなるべく次は変えて演じてて、こう変えても成立するんだとかなるべく見せてる……。
内藤:やってんだけどな(笑)。
(中略)
内藤:「表現すること」と「されてしまうこと」ってあって、今、成志君が必死に言ってるのは、お前らが準備して頭でこねくり回して用意してるっていうのは「表現されている」んだと。表現しようと思ってもなかなか表現できない。自分が表現されてしまう。人前に立ったならば、他者に対して自分が表現されてしまうから、例えば誰かが演説してるの見たら、こいつインチキだとかうさんくせえとか表現されてしまうわけよ。自分ってものが表現されてしまうものならば日常的に俳優として自分を磨いていかなければ、自分は底が浅いとか安直に考えているとかが表現されちゃうよと。
池田:今日も言ってましたよね。「俺よりも優れている人はいっぱいいるんだ」と。でもあまりにも当たり前だから、俺、途中まで聞いて「そんなやついなかった」と言うかと待ってたけど(笑)。
内藤:根拠のない自信で現在があるんですよ。ここまで来れたから。自信は持ってなきゃいけないんだけど、だけど根拠がないわけだから物凄く不安なわけよ。だからこういう企画に応募してきてチャレンジするわけよ。だけどやってみると根拠のない自信の部分を指摘されると逆に守りに入っちゃって、そっから出てこない。一番痛いところだから。
池田:私がこうやっちゃいけないという真面目さがあるのね、九州の役者は。でも真面目って言うより、臆病なだけだとしか俺には思えないけど。
(後略)

 役者陣、相当、厳しいダメ出しをされたらしいが、それでも公演までに「間に合った」レベルにまでは達していない。
 同じくパンフレットの「稽古場日誌」では、役者の一人が(これまた30代で経験がないわけではない)、「何でその動きをしたのかと言われます。細かい反応を一から確認していく作業。それが基本なんだなと最近分かり始めた」。なんてことを口にしている。
 こいつ、おんなじことを以前、うちの妻から言われてたはすなんだが、その時もよく分かってなかったようだから、今度もどうせ忘れるだろう。これが「演劇は関係性から生まれる」という基本も理解できていない、福岡の演劇人の実情なのである。

 役者の演技に期待できない「引き算の演出」だから、ある一定以上のレベルには達しようもない。内藤裕敬の演出を批判する気になりにくいのはそのためである。
 福岡の演劇人に、「自浄作用」を求めるのは難しいのだろう。繰り返すが、マトモに演劇を志したいのなら、この不浄の地を離れることだ。福岡にいたって、「取り巻き」の言うことをハイハイと聞いていなけりゃ足を引っ張られる。特に「あの連中」、自分の気に入らないやつらには容赦ないからね。そんなこんなで、福岡はすっかり「福岡演劇村」になっちゃってるんだから。

 これでもう完全に、福岡の演劇はどこも観に行く価値はなくなったと判断した(今回も義理で観に行っただけである)。
 大野城まどかぴあも、地元から演劇の活性化を、なんておこがましいことは考えずに、普通に東京から芝居を招聘するにとどめた方がいいんじゃないか。コンクリートの上に種を撒いても腐るだけである。

注:ネタバレ部分の引用はお避け下さい。パンフレットの詳しい内容を確かめたい人もいるでしょうが、そこはツテを探してください。
『水はけのよい土地』

『水はけのよい土地』

無隣館若手自主企画vol.13 早坂・福嶋企画

アトリエ春風舎(東京都)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/12 (月)公演終了

満足度★★★★

若者とは

既にして恐るべき老人である。
 かつて、リルケは言った。

ネタバレBOX


 苛めを受け、たった独りだった少女に友人ができた。誰にも気付かれない廃屋での冒険や大きな犬が居る為に通れない近道の謎を解明するなどの子供らしい冒険を共有するが、隠れ家のような廃屋に置きっ放しにしたコンパクトは、貸してくれた友人の宝物だった。ひょんなことで喧嘩をした台風の夜、その宝物を探しに行った友人は、足に大けがを負って引っ越してしまった。ところで、友人を傷つけた責任があった少女は、その後数十年の時を経て徘徊するボケ老人となり、かつての廃屋を何度も訪ねようとする。然し、辿り着けない。一方その場所には現在コンビニが建っており、そのコンビニの状況と老婆の幻想とが入れ子細工で描かれるという構成の作品だ。ラスト徘徊を繰り返す老婆が、漸く辿り着いたコンビニは、足に大けがをして転校した友人の店で、苛めを受けていたのは徘徊する己、総てに成功していた若いころの自分は単なる幻想でしかなかったことが明らかになる。ちょっと残酷な童話のような作品だが、若い人が書いている所をみると上に挙げたリルケのフレーズに思い至った。
母と惑星について、および自転する女たちの記録

母と惑星について、および自転する女たちの記録

パルコ・プロデュース

J:COM北九州芸術劇場 中劇場(福岡県)

2016/08/13 (土) ~ 2016/08/14 (日)公演終了

満足度★★★

時節柄客席がガラガラで残念
この作品を見ながら多くの人は自分と母の関係をつい重ね合わせてしまうのではないだろうか。或いは、4人の娘の誰か、或いは母と自分を重ねるかもしれない。
それぞれのキャラクターがはっきりしていて誰かに自分を乗せやすい。
姉妹たちの関係、母との関係を実際の旅で見せていくのも面白いと感じた。
出演者は好きな役者さんばかりで楽しめた。
残念ながら斉藤由貴は少し弱い(若い)と感じた。

BENT ベント

BENT ベント

パルコ・プロデュース

福岡市民会館(福岡県)

2016/08/16 (火) ~ 2016/08/16 (火)公演終了

満足度★★★★

何かに惹かれた
前半はそれほどでもなかった。
しかし後半グイグイと作品に惹かれていく。何がそうさせるのか正直自分でも分からなかった(実際、個人的趣味で言えば全く好きではない)。
やはり、知られざる現実。それも過酷な現実とそれを表現する力強い演技に惹かれていくのだろうかと思った。
スタンディングオベーションが起きたが、納得だ。

浮標(ぶい)

浮標(ぶい)

葛河思潮社

J:COM北九州芸術劇場 大ホール(福岡県)

2016/08/28 (日) ~ 2016/08/28 (日)公演終了

満足度★★★★

長時間を飽きさせない
長時間なので自分の体力が持つだろうか、と不安だった。
しかし、演出で見せてくれた。派手なものは何もないが、目を離すことは出来ない。
空席が多かったことは残念。

浮足町アンダーグラウンド

浮足町アンダーグラウンド

大野城まどかぴあ

大野城まどかぴあ(福岡県)

2016/09/10 (土) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度

何を思えばいいかわからない
特に後半がつまらなかった。
前半は作品の導入部で「ホランド」とは何なのか? と観客に謎を提示するが、後半、その謎が解かれたとは言えない。
勿論、謎が解かれないままの作品もあるが、これはそういった種類の作品ではないと思う。
後半ははっきり言って意味不明。ストーリーなんかどうでもいい、となっていく。見ている方は演じている人々が何をしたいのか、これにいつまで付き合わされるのか、とだんだん嫌気がさしてくる。

役者陣は頑張っていたと思う。演技にそれほど大きな違和感を感じなかった。しかし、機械的な間が多く、生きた間がとても少なかったのは残念だ。


作者降板についてだが、公演前はなぜこんなことが起きたのか色々考えてしまったが、公演を観、パンフを読んだらある程度推察できた(ような気がした)のはなんと言ったらいいのか。
また、作者降板と払い戻しについて周知徹底が今一つされていないように感じたのは残念だった。

Infinity

Infinity

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★

とにかく性善説
内容が…とかテーマが…、演技が…
そんなこと以前に
とにかく”性善説”を貫いた作品。
その姿勢に対して、良い悪い関係なく脱帽。

大切なことに気づかされました。

味がしなくなったガムみたいな

味がしなくなったガムみたいな

マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★

反対なら
題名通り、味がしなくなったガムみたいな=惰性での展開の方がよかった気がします。
劇団運営に対する不満の吐露と本題は全く無関係ですね。

惰性として意識していないものの本当の価値
そんな方向で語って欲しかったです。

学級裁判

学級裁判

自由劇場

シアターD300(神戸大学国際文化学部大講義室)(兵庫県)

2016/09/10 (土) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★

暑かった。
暑くて芝居に集中出来なかった事が残念。
セットが可愛かった。
色もデザインも素敵。

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