アルカの板
9-States
駅前劇場(東京都)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。日本のどこにでもありそうな話、それを或る漁港(漁協組合)での出来事として描く。いや漁港だけではなく、色々な産業(界)や商店街等といった場所で見聞きするような内容。社会的であり一般的なことが描かれており、身近な問題として捉え易い。ドキュメンタリーとフィクションを行き来するようなドラマ、それをモニターを使った独特な表現が、物語に隠された もしくは伝えたいことを文字にして映し出している。ストレイトプレイ…そこに映像文字を添えること自体 斬新と思うが、それによって考えさせるのが 9-States の特長であり魅力。モニターの文字は短いが、その意味するところを瞬時に理解することは難しい。むしろ場面転換(暗転)時に映るから、その場面で伝えたいことの意。そう思えば理解も深まり、必要な演出と思える。
少しネタバレするが、漁協組合の組合長などが悪役のようにして描かれているが、単純に新旧や保守・革新といった対立ではない。伝統を守ること、保身的になることは人間的な感情、そこに地域活性化といった社会的・経済的な背景を持ち込むことによって夫々の主張の衝突点が鮮明に浮き上がる。そして家族とは、その捉え方にも相違を持ち込み、物語の広がりと深みを感じさせる巧さ。ちなみに、チラシは内容とは逆に ハガキのような小さいもの。
(上演時間2時間5分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、井上家でありスナック「海の星」。壁は、縦や横に平板やレンガ組み。上手奥に ベンチ。下手に スナックのボトル棚やカウンター、腰高スツール。木製の箱を並べてテーブル代わり。天井には裸電球が吊るされている。 9-States公演は作り込んだ舞台で、分かり易く展開する。
印象に残った台詞が「アンタの悪意やアナタの正義に ワタシはビクともしない」。そこに物語の肝が語られているようだ。夫々の主張は、その立場の考えであり思い そして真実である。勿論、個人的なエゴも存在するだろう。
物語は或る漁港で「九海丸」を経営している井上家が舞台。父が海難事故死をして、長女 柚が後を継いで母 花楓、漁師の足立一平・青山豪・真島まひろ と昔ながらの経営をしている。母が病で倒れ、都会で仕事をしている妹の杏子(プログラマー)が帰ってきた。杏子は、AIを駆使し経営改革を訴えるが、柚は漁協組合の補助(金)を受けつつ、今まで通りの経営を主張。漁師もAI等使ったこともないし、新しいことに挑戦することが億劫になっている。表層的には、革新(最新)と保守(伝統)の新旧の主張といったところ。井上家の姉妹や従業員の主張や行動は、その地域の人々の思いを代弁している。それは、同時に 日本のいたる所で見聞きするような光景である。
漁協組合は変化を好まない。今までの運営で大きな間違いがなかったこと。何より組合長が次期市長を目指していることから、新しい事をして失敗したくない。その個人的な保身が井上家の新しい試みを阻止しようと…。公私混同だが補助金の打ち切りをチラつかせといった企み。物語は、AIを使った新しい試みを地域の人々に受け入れてもらい、漁港の発展を目指すが 辞退する者もいる。何が有効な手立てか分からないが、何かに縋りたい。そこに救済の象徴である「ノアの箱舟」と「カルネアデスの板」の究極の選択を組み合わせたドラマにしている。
ダーウィン曰く「・・・唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」などといった理屈を言うわけではないが、失敗を恐れて歩みを止めたら、それはジリ貧の始まり。翻ってみれば、歩み続けることが成功への道。ちなみに当日パンフの 9-States代表の中村太陽 氏のご挨拶を読むと、この公演にはマンネリに対する自戒を込めているような。そして本公演を制作するという試み というか意欲に敬服する。
次回公演も楽しみにしております。
エアスイミング
劇団しゃれこうべ
スタジオしゃれこうべ(東京都)
2025/04/26 (土) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
この演目を観るのは四度目。全て劇団が違う。こんな難しい作品によく挑む気になるものだ。それぞれ全く違うやり方で取り組むのでその都度感心する。
今回、場面転換に横開きのカーテン状白シーツを使用、手前と奥の二枚。そのシーツを利用して影絵を投影する。このアイディアは正解。影絵を使えば説明し辛い神話なんかも人形で簡略化、伝え易い。(今回はなかったが月へと飛んで行く二人なんかも絵で見せられる)。
今作はベルセポネーとドーラのエピソードとポルフとドルフのエピソードが交互に語られ、一人二役の二人芝居の戯曲。それを四人の役者に別々に演じさせている。随分実験的な試みだ。この作品の売りそのものを敢えて解体している。成程。
特筆すべきはドーラ役の和泉美春さん。今までと全く違うキャラクターで見事だった。また新しい扉が開かれたのでは。
こんな戯曲に本気で挑む劇団にRespect。
ネタバレBOX
1924年、聖ディンプナ精神病院に収容されたペルセポネー・ベイカー(原島千佳さん)、一日一時間だけ共同作業として他の収容者と階段と風呂場の掃除をさせられる。それ以外に人と接することのない独居房生活。2年前からここにいるドーラ・キットソン(和泉美春さん)が仕事を教えてくれる。
ベルセポネー 上流階級のお嬢様だったが、父の友人であった家庭持ちのレジーと不倫し出産。怒り狂った父親によって産んだ赤子は養子に出され、この病院に棄てられる。原島千佳さん。
ドーラ 男装趣味と葉巻を吸うことが反社会的と見做され、この病院に収容される。兄弟全員徴兵で戦死、生き残った自分への罪悪感を男性的に振る舞うことで律している。和泉美春さん。
ポルフ ベルセポネーが現実逃避として演じるもう一人の自分。金髪のウィッグを被った能天気娘。ハリウッド女優ドリス・デイに夢中で猫を飼いたがる。安田美忍さん。
ドルフ ドーラが演じるもう一人の自分。魔術書を読み漁り、穿頭術で自分の頭の中の苦しみから解放されようと願う。男以上に戦場で活躍した歴史上の女性達を崇拝している。田村祐子さん。
この戯曲には三つ、要となる見せ場がある。ここをどう料理するかが演出家のセンス。
①「エアスイミング」の場面。『Fly Me to the Moon』をバックに二人が踊る。ずっとこの精神病棟に監禁されたままだとしても心と想像力は何処までも自由なんだと高らかに宣言。
②ベルセポネーとドーラがワルツを踊るシーン。レジーとの出会いの再現。
③精神的に限界が来てヒステリックに喚き叫ぶドルフの足を盥の水で綺麗に洗ってあげるポルフ。キリストの弟子への洗足もイメージ。
面白いのはベルセポネーとドーラ、ポルフとドルフが少しずつ同時に舞台上に存在するようになっていく。これを更に推し進めて二人の組み合わせを変えていっても良かった。難しいのはドーラとドルフの違い。そこをクリアしないと別の役者を立てる必然性がない。
遠巻きに見てる
劇団アンパサンド
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2025/04/18 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
岸田戯曲賞の受賞も良い追い風となり、満員の客席で観る劇団アンパサンドの新作公演。会場の熱気もあり、良い環境で上演され、良い環境で観劇できたと思います。ややシュール系とも受け取れる笑いを含んだ作風なので、客席の反応は何よりの支援になるでしょう。
ネタバレBOX
上演時間は約70分ほど。舞台セットの中央に坂道があり、ランニング愛好者たちを中心とした物語。出演俳優たちは皆さん良い存在感を放っていました。中盤から「並行世界」という概念が登場し、現在地と平行世界の境目・繋がりがターニングポイントになります。
安藤さんの作風は割と一貫していて、そこに創作者の強いこだわり、あるいは直感の鋭さを感じます。ある意味で「ここではないどこか」への羨望や、現実への虚無があるのかも(あくまで僕の推測ですが)。かなり昔に聞いた話ですが、シュールコント系を手掛ける作家が「劇の終わり方が最も悩む」と語っていたことを思い出しました。
ウェイトレス
東宝/フジテレビジョン/キョードー東京
日生劇場(東京都)
2025/04/09 (水) ~ 2025/04/30 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
キャストの皆様の歌声が良かったです。
やはり、高畑さん、ソニンさんの高音が素敵でした。
逆光が聞こえる
かるがも団地
新宿シアタートップス(東京都)
2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。かるがも団地 公演、初観劇。前から気になっていたが、機会がなく第10回本公演にしてやっと観た。内容は、今の社会に蔓延る問題を大胆かつ繊細に切り取った力作。現実でも話題になった、演劇界という身近な世界を取り込んでいる。しかし、その世界だけではなく色々な組織や場面で問題視され、マスコミに取り上げられる。いや、そのマスコミでさえ非難されている。
問題は、過去のことと追いやることが出来ず、今になって顕在化する。一昔前であれば 親和性の一環と言われ うやむやになったことが…。説明にある通り「若くして成功を収めつつある脚本家・演出家の不破(ふわ)は、ある日、旧友の仙田(せんだ)と再会する。そして仙田の更生に寄り添いながら、不破は在りし日の記憶に手を伸ばしていく」と。何となく等身大で虚実綯交ぜの物語のようだ。
キャストは、主人公 不破 以外は1人複数役を担い、時代(時間)と環境(状況)を巧みに立ち上げ、過去と現在を行ったり来たりする。一昔前は黙認されて、いや黙殺や隠蔽されていたことが公に。最近になって ようやくクローズアップされてきた社会の問題、それを身近な出来事として描いた好公演。
(上演時間1時間55分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、剥き出しのコンクリートやブロック塀で囲まれ、上手に電柱や配管、下手奥に小さな窓。下手は立入禁止とあるドア。全体的に薄暗く不気味な雰囲気が漂う。この重苦しい感じが、物語に通底する悔悟を表しているよう。
物語は、現在と過去(高校時代)が行ったり来たりして展開する。今では売れっ子演劇人になった不破、その彼のところに高校の友人 仙田が訪ねてくる。仙田は職場の同僚を怪我させ、それが刑事事件となって前科がついた。良かれと思って、職場の後輩を厳しく指導していたが…。一方、不破は新作に取り組んでおり、オーディションで新人 東畑を採用した。彼をベテラン女優の黒嶋が やはり厳しく指導し、稽古に来なくなってしまい、公演が危ぶまれる状況へ。その口調や頻繁なLINEが、東畑を精神的に追い詰めていた。
仙田と黒嶋は、工場や演劇といった 仕事は違うが、相手の技量を高めようとした。しかし 相手からすればハラスメントであり苛めと思う。その思いの線引きは難しい。2人の対応は、不破自身にも関係してくる。実は、黒嶋のマネージャー北杜は不破、仙田と高校の同窓生。不破は 高校の時から目立った存在、自転車で遠距離通学している仙田をサッカー部へ誘ったり、悪ふざけで自転車を隠したりしていた。悪気はなかったが、それを仙田の姉 依子が知るところとなり詰られる。また不破を始め 多くの男子生徒は女子生徒の容姿等を評価(点数化)して差別していた。明らかな女性蔑視。
ハラスメント…自分ではそんな気持はなかったにしても、相手は嫌な思いをした。罪悪感や羞恥心、ハラスメントが思春期の精神に与えたダメージ。心の中で複雑化されたトラウマと本当に起きたことを他者に語ることの難しさ。それぞれの主張は、自分の立場からすれば真実で、譲れないところ。この心の問題と 不破自身の劇作を巧みに繋ぎ、等身大の演劇人としての苦悩をリアルに描いている。それが 同じ作風ばかりでなく、常に新しく斬新なアイデアが求められる世界。舞台制作プロデューサー 四宮の容赦ない要求でもある。公演は、不破という人物のドキュメンタリーとして記録する(番組制作ディレクター白洲)という形で進行する。その意味では劇中劇のようでもある。
現実とも思える情景とフィクション、舞台制作のプロセスと物語を行き来する。そこに役と重なるようなリアルな光景が立ち上がり、観客の心を離さない。至る所で起きている問題(ハラスメント)、いや以前からあったことが明るみになっただけ。過去(高校時代)のことと切り離せない 仕事や人間関係のしがらみ。寛容と関心を装って、そんな遣り切れない思いがヒシヒシと伝わる。なんと示唆に富み、時にダークな可笑しみを覚える作品であろうか。
次回公演も楽しみにしております。
全員犯人、だけど被害者、しかも探偵
Tie Works.
博品館劇場(東京都)
2025/04/23 (水) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
シリアスなストーリーの行方を想像しながら、アドリブでの笑いもあり、楽しかった。
なだぎさんのアクションが面白い。
アルカの板
9-States
駅前劇場(東京都)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
モニターの文字に共感を持ちながら、9-Statesらしいラストで見ごたえがありました。
笑える部分もあったので重すぎずに楽しめました。
逆光が聞こえる
かるがも団地
新宿シアタートップス(東京都)
2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
遠巻きに見てる
劇団アンパサンド
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2025/04/18 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
西出 結さんの演技/表情が、えも言われなかった。
逆光が聞こえる
かるがも団地
新宿シアタートップス(東京都)
2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
今回、『三ノ輪の三姉妹』に続いて 2回目のかるがも団地。前回の感想が「わちゃわちゃしながら、緩い境界線で転換を適宜スピーディーに挟みながら、ツボは緩く、でもしっかり押さえた会話劇」として「初めて”かるがも団地”を拝見した。『三ノ輪の三姉妹』が、好みの作品だったので、来年5月にもう一度かるがも団地を拝見することとしよう。予定表に書き込んだ」としての今回だったのだけど、今回は一転してハイテンポ!スピードに少し付いていけない気味。我々の世代(昭和真ん中生まれ)ではいじめがほとんど無くて、別にそれを良いとはしないのだけど、生きて来た過去、生きて行く"今"、それぞれの性(さが)、力関係、ヒリヒリと映し出していた。まったく違うテイスト。これは観続けるべき劇団だなと。見定めることなんて出来ないだろうとの予感がしている。劇作家の板場充樹さん、仙田の北原州真さんのお二人の力感の無い抑えた姿、あの100㏈の人でドンキー店長の武田紗保さんのパワー、万引きをした百瀬葉さん、謎の貫禄(抑揚)の宮野風紗音さん、皆さんの演技が印象に強く残りました。
アルカの板
9-States
駅前劇場(東京都)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
勧善懲悪でなく正義と言うより
説明通りの主張のぶつかり合いで
ある漁港の動向が揺れ動く様子を
重厚に濃厚に描いてみせていた
2時間5分の作品
パンフがQRコードでデカくて驚いたのと
紙チラシが全く何処でも
入手出来なかったなぁと
ネタバレBOX
舞台美術は黒をベースに板を貼り付けた
スナック店内を模した空間でした
ノアの方舟とカルネアデスの板を
混ぜ合わせた物語であるとパンフで説明
珍しい事でネットのエッセイも読んでね
とかもあった=読みましょう=
父を亡くした長女が支える漁船団を中心に
母が過労で倒れた事を機に
都会に出ていってた次女が戻り
AIを用いた漁港の再生を巡り
漁業組合とその長や周囲等での
様々な思惑で進んでぶつかりあう
人間たちの物語でした
横暴である漁業組合の組合長も
市長の座を狙うが港を蔑ろにする訳でもなく
極悪人とかの出ない
どこにでもいる市井の人々の話で
全体で大体の展開は読めたけど
個々の動きが読めなく目が離せない進行で
全く眠気等とかは無縁でした
まつり
早稲田大学演劇研究会
早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都)
2025/04/03 (木) ~ 2025/04/07 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
サブカルチャーの詰め合わせ
幸せのかたち
+ new Company
調布市せんがわ劇場(東京都)
2025/04/23 (水) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
コーヒーさんチーム観劇です
Café‘フュージョン’のオープンテラスを舞台に
人々の出会いと別れを見せてく
恋愛群像劇でありました
リアルに飲み物など出して
現実味を出してました
舞台枠場のトコを外の道路風に見せ
面白い舞台美術を作っていた
1時間50分の作品
ネタバレBOX
面白いのが作品時間が
ガラケー主流の時代であり
出演者が皆スマホ持ってない設定でした
子役さん二人も良い味出してましたわ♫
六道追分(ろくどうおいわけ)~第一期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/04/05 (土) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
話は説明通りで導入部ですね
本編は東海道での逃避行と
追跡者の動向が展開する
全席指定の作品
小劇場で観る歌舞伎みたいな感じでした
舞台美術こそ簡易でしたが
演者の衣装等は豪華で見応え十分な
舞台でありました
ネタバレBOX
義賊 鬼アザミの名の由来やら
幕間等に入れる踊りとか
丁寧な時代劇ともいえる
作品に仕上がってました
義賊を追う側も
成功報酬を狙う岡っ引き組と
与力の火付盗賊改組で
コメディ要素も入れながら
カッコよく締めるところは締めて
綺麗に物語を進めていました
六道追分(ろくどうおいわけ)~第一期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/04/05 (土) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
龍チームを観劇。
踊りあり、笑いあり、涙あり…久しぶりに、泣きました。今後も、大いに期待しています!
アルカの板
9-States
駅前劇場(東京都)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白かったです。
分かり易いストーリーの中に、共感できる台詞や考えさせられる事が詰まっていました。
役者さん達は個性豊かな登場人物を好演していて、とても良かったです。
笑いあり涙ありの、素敵な舞台でした。
エキセントリックフェローズ
ゼータクチク&ACTACTION by TEAM HANDY
新宿眼科画廊(東京都)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
客席数が非常に少なくて驚かされた。面白くなくはないが、真面目に観るようなものではなく、上演前の告知の通り、気安く、寝転んで観るのがちょうど良いくらいの、お気楽な芝居。
その男ホーネット加藤ーある前説師の愛の詩ー
映像劇団テンアンツ
ABCホール (大阪府)
2025/04/16 (水) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
感想遅くなりました。東京で後半を見て今回大阪で前半を拝見しました。前回も思いましたが、観客を巻き込んだ笑いもあり涙もありとても楽しい、心に染みる時間を過ごしました。また機会があれば拝見したいです。面白かったです。
〈不可能〉の限りで
SPAC・静岡県舞台芸術センター
静岡芸術劇場(静岡県)
2025/04/26 (土) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観てきました。そして静岡で美術館めぐりをして、いま、東京に帰ってきました…。
現代演劇の世界は、2.5次元とか、プロジェクションマッピングとか、そんなテクノロジーの活用によって、ただでさえキラキラした役者たちを一層華やかに照らすのに忙しいも関わらず、今回の作品は極めてローテク、シンプル、ただ、物語は単純ではなかった。慎重に政治性を排除しつつ、人間の集合体のひしめきが生み出す軋んだ世界の、矛盾と混乱と緊張の世界に真っ向から向き合っていて、素直にただただ圧倒された。
ナポレオンはフランス語に不可能という言葉はない(日本語訳では吾輩の辞書に不可能はない)といったらしいけれど、フランス語にもそしてもちろん英語にも不可能の文字はあった…というか、不可能(impossibilis)というラテン語を仕入れて英語に繋いだのはそもそもフランス語のほうだった…これこそナポレオンの言葉の矛盾(苦笑
ネタバレBOX
しかし、ナポレオンが不可能を信じなかったというのは、己の権力の強大さ故でもあった。
舞台上の言語が、最初は英語話者ふたり、フランス語話者ふたりだったのが、途中から、それぞれの役者たちがポルトガル語なども含んだ会話に変遷し、男性が女性の体験を語るなどと変化し始めるのも、そういった皮肉もあるのかも知れない。
世界は主要言語である英語フランス語だけではなく、主要言語ではないポルトガル語なども含んだ世界で構成されていると。
そして不可能という言葉も、ここではそれほどシンプルな意味ではないようでもある。
それは『impossible to survive』のボーダー(境界線=人間がサバイブする限界線)を表すのか、それとも『impossible to imagine』…ジョン・レノンの予想より遥かに悪い、敵意と緊張に満ちたハーモニー(融和)を越えた、比較的平和な世界にいる人たちが想像できない、あるいはその矛盾に気づくとそこでの権力者に睨まれるがゆえにあえて言葉にしない、その世界にいては想像できうる限界を越えた世界なのか…あるいは人類や世界そのものを一つの生命体に見立てて、『impossible to
aware (あるいは、memorize)』というようにして、被害者の全てがあの世か難民キャンプで恐怖によって加害者たちによって支配されて口封じされているため、世界が気づくこともなく、人類史の歴史からも欠落している、という意味なのか…凡てのエピソードが色々な世界や作品を想起させる。
そもそもラテン語のimpossibilisとは、当時の郡、あるいは宮廷の力の及ばないという意味…とするならば、タイトルの意味するところも少しは分かってくるのかも知れない。
ここで舞台上に張られた幕の形作るものが山を表現していること、それがつまり平地の権力、あるいは法律の統治の及ばない場所、すなわちボーダーなのだな、と言うのに気づく。
人々の組織の生み出す秩序のルール(法律とか刑罰)の及ばない、人々の恐怖を煽る権力者とその取り巻きの生み出す恐怖に支配された世界、それが『組織』と表現される赤十字や国境のない医師団の人たち目にする20キロとかの先にある山々。そこは恐怖で人を支配した人たちのせめぎ合いで、自分たちの口封じのために地面の下に埋められて永久に口を封じられた人たちが埋められた場所でもあるのだが…。そして、ここで気になるのが劇の中で赤十字の人たちと思われる人たちが自分たちのことを『組織』と頻繁に表現していること。最初これは一般論として色々な人道支援組織に共感できるようにそのように話ししていたのかと思ったが、やがてどうやらそれよりはむしろ、この物語自体が赤十字などの話ではなく、人間の生み出す『組織』の話であることを暗示しているようだと感じはじめていた。組織自体も神聖なものではなく、そのなかで組織の権力を乱用して悪事を働く変態、犯罪者たちも存在することが暗示されている。これは結末があえて示されていない。組織の性質を知る者にとってはよくわかる話だが、場合によっては犯罪者を告発した人間のほうが逆に犯罪者に仕立て上げられて追い出される場合もあるかも知れない。それが『組織』の恐ろしさでもある。確実な証拠を手に入れない限り、善悪よりも権力の論理でシーソーは動く。組織が暴走して変質している様子は外からはなかなか気づけない。
impossibleのpossibleは力、powerでもある。人々のもたらすpowerとは何なのか?冷静な論理で動くときは、人々の秩序を守るルールとしての法律で無法を縛り、またあるときは人々の攻撃的な気持ちを鼓舞するために恐怖で人々を煽り、組織形態を保ったまま個人の感情を恐怖で殺し、個々の人を機械的な操り人形にして狂信的な集団に変貌させ、狂気的なジェノサイドに導く。その、外からみると道化じみた権力者たちの手法、すなわち矛盾は、物語を観ていると巧妙に隠されている気がする。そういった人たちを実際に見たことがある人は、おそらくすぐに分かるだろう。そうした人間の性質の描写は少し政治的である。ナポレオンがまさにそうである。不可能という言葉はフランス語にあるのに不可能はないと堂々と言い切った、今はただの道化だったが当時は英雄であり恐怖の対象だった。
多くの助成金を得た作品からは、巧妙にそうした人物像の描写が排除されていることが多い気がする。結局のところ僕たちは時代は進んでも同時代的な作品のなかにではなく、シェイクスピアなどの作品のなかにそうした人物像をいまだに見出さなければならないのかも知れない。
現代の世界には、歴史ドラマの虚構のなかにのみ存在する、暴走する市民たちに悩み、落ち着くように説き伏せる徳の高い権力者は存在しない。
物語のなかにふたりの医師により救われた少年が存在する。一人は医師を救い、一人は医師を殺す。
これはよくわかる。
人に救われても、頭がおかしくなるとそれすら無かったことにして平気で救った人を殺すようになるのである。
これは日本でも、殺人に至らないだけでよくある。自分にない力(ここでは人を救う力)を持った、正義と真実が心の中に燃えている人間は、憎悪を煽り、恐怖で人を服従させて組織を操る人間たちにとっては憎悪の対象になるのである。
自分は少年を救うために戦争を一時中断させ、山の中に分け入った人たちが、戦争の小休止のなかで鳥の声を聞いたくだりで、自分も大好きな日本映画『せきれいの曲』を思い出した。『せきれいの曲』は本当に素晴らしい映画なのになぜか全然有名ではない。真実のなかで生きることほどの幸福は人間には存在しない。それは事実である。僕の周りには、嘘で塗り固めて虚言で生きている人たちが大勢いる。これは不幸である。やがて弱い人たちから病んでどこかに行くだけである。
これは本当のことである。
大きな権力を握り、多数派で組織を操ることが人間の幸せではない。
例え狂ってると言われたり、歌う喉を奪われて暴力に晒されたり、時には殺されて山に埋められようと、真実のなかに生きることほどの人生の幸せはない。
これは断言できる。
それゆえに憎悪されるのだ。
この舞台の最初に、演劇で世界は変えられないと言ったが、それは嘘である。
特にコロナ以降でみんな気づいたが、演劇で世界は変わる。ゆえに恐れられるようになってしまった。
舞台の上で、堂々と嘘をつくのは、いくら役者でも無理である。人生や家族との時間を犠牲にして、それでは何も得るものはない。
権力者たちは舞台の上での正直な人間たちを恐れる傾向にある気がする。それは彼らが権力者でもないのに台の上に立ち、利害関係者に忖度することなく、素直に胸の内を吐露する機会があるからだ。
舞台の上に立つと、胸の内にまっすぐな人間とそうでない人間は存在感が違う。それは観客たちにもわかる。
だからこそ、演劇で世界は変えられない、私たちは仕事でこれをやっているとあえて舞台の上で言うのである。一流の役者たちが胸の内そのままに舞台の上で表現すれば、文字通り利害関係者たちに拍手されて虚言を振りまく権力者たちとは役者が違う。裸の王様はたくさんいるのである。それはあまりに圧倒的な違いである。そのことを完全に認識しているので、そのように表明するのであるのだと思う。これは多くの劇団がそう言ったほうがいいと思う。現代は不安定すぎる時代である。役者が本心で表現しているのかどうかは、見ていればわかる。舞台の上で圧倒的な存在感を出して世界の矛盾を示すのは、こっそりと美辞麗句に紛れて吐露するしかないのかもしれない。シェイクスピアのように。シェイクスピアのように当時の権力者を揶揄するだけでなく美辞麗句も混ぜれば、芸術は成立する…。現代の権力者は利益でつながった集団であることが多いため、特にそのように思う。矛盾を暴くのは、難しい…(苦笑
一人の嘘つきの道化が百人の正直者の観客を騙すのは無理だけれど、その逆、すなわち一人の正直者の役者が百人の道化の観客たちに矛盾に気づかせるのは可能だと自分は思う。
ピエロがピエロを演じるのは、ピエロが演じた愚かな姿を見せて、虚偽に塗れた強力な自分たちを安心させるためではない。自分たちが真のピエロだと気づくためだと自分は思う。
(補足)
公演終了したのでシンプルだけど考え抜かれて軽量化された旅公演向きの舞台美術について書いてみます。
舞台美術の主なのはシンプルで、重めのコヨーテっぽい色のコットンの布地が後ろの方にかけられていただけでした。
そう、驚くべきことに最初見えてたのは本当にたったそれだけだったのです。
それは、最初はどうやら山々とその岩肌を表しているようで、そこが平地の民の法律、権力の及ぶところの『境界線、ボーダーあるいは限界』を表しているようでした。そしてゲリラたちが絶え間なく銃を撃ち合っているとでもいうように、人や、かつて生命のある人だったが今はもう人ではなくなった死体たちが、石や岩とともに絶え間なく転げ落ちるようなドラムの音が、奥から鳴り響いていました。それは今まさに戦時中とでも告げるように。
それが少しずつ幕が持ち上がり、ドラマーの姿が見えてきます。
姿が見えない間、鳴り響くドラムのサウンドは、音からして生のような重低音はあるが、最初はまさかこんなシンプルなセットと普段着そのものの衣装?の俳優たちで、ドラマーが帯同してドラムも持ち込むなんてわけもないだろうから、たぶん劇場備え付けの素晴らしいドラムンベース的なサウンド・システムで、録音したものをあたかも生のように鳴らしてるだけなのかなと、なんとなく思おうとしていた…が、どう聞いても生に聞こえた…(苦笑)。
それが幕が持ち上がるにつれ、ドラマーの姿が見え、生音であることがわかる…と、ドラムってそんなに重要だったんかな、と思う。
そしてそこはどうやら今まで遠くのように見えていた山々の戦争が人々の生活の上に覆いかぶさってきた現場であるらしいことに気づく。そこでは、戦闘員(ここでは単に銃器携帯者と呼ぶらしいが)だけではなく、無差別に民間人も含めて民族ごとこの世から消し去られようとした末の、不安に怯え家族を亡くした手負いの避難民たちがなんとか逃げ込んだ巨大なキャンプの天幕であり、そこではさらに自分たちの家族を殺した人たちによって管理されており、皆が不安に怯える人々の心臓の鼓動…どうやらそこは1994年のルワンダ。歴史に残る巨大なジェノサイドが勃発した直後だった。
そう、その難民キャンプを管理していたのは、民族抹殺に失敗したものの諦めずに、国連に監視されながら、目の前で殺し損ねた民族を、武力による恐怖によって、被害者たちの口を封じ、永久に自分たちの未遂に終わった途方もない規模の虐殺の事実を歴史の闇に葬ろうとすることを諦めていない、民族抹殺をしようとしたまさに当事者である加害者の民族で構成された政府軍だった。
ドラムの音はその軍隊の銃弾(黙っていないと生命はないと脅すような)、あるいは彼らが騒乱を鎮圧する途中で轢き殺した子どもの母親の泣き声などを示しているようにも見えた。
僕はベトナム戦争によって反戦が盛り上がった音楽の歴史のことを考えていた。その時代は、ビートを刻んで『人を殺してないで正気になろう、扇動者に恐怖を煽られるだけでは権力者の操り人間になるだけである、敵味方関係なく愛し合おう』と夢みたいなことを歌っただけで政治と言われた時代だった。
…ただその夢とは遠く離れた1994年のルワンダの難民キャンプでは、到底制御できないような不安と恐怖と敵意とが複雑に混じり合い、かろうじて1枚の布が戦場で赤十字などの善意で構成された組織の庇護を示し、皆に正気であることをかすかに呼びかけていた。
ぼくは、一見事実やインタビューを並べただけに見えそうなこの舞台のなかに巧妙に隠されてるメッセージは凄いと思った。
この演出家は組織という、オルガニズム(文字通りの人間とはまた別の生命体)の性質を知り抜いているのだと感じた。
その難民キャンプを管理している政府軍は加害者の民族で構成されている。
もし、まだ犯罪を犯していない人たちなら、夢みたいな愛を歌えば、涙を流して落ち着いて正気になり、日々の生活に戻って行くかも知れない。
しかし、民族の恐怖や猜疑心を煽り戦闘的にし、組織的な大量虐殺を扇動した人たちは違う。
彼らは被害者が本当のことを言い、今まで煽られていた同じ民族の人たちからも、今まで自分たちを騙して操って途方もない犯罪民族であると世界から名指しされるようになった原因であると糾弾されることを恐れる。それまでは英雄だったものが一気に大犯罪者へと転落してしまう。巣鴨のように。それはとてつもない恐怖だと思う。
彼らは夢のようなリリックでは動かず、隙があれば自分たちの邪魔になる人々をこの世から消そうとする。それは憎悪ではなく恐怖。
このような人たちに組織を操られた人たちと被害者の難民が一緒になっているというのは極めて危険な状況にある。
本来なら政府組織を暴走させて歴史に残るジェノサイドを行った人たちを一刻も早く刑務所に入れなければならないが、それもできない。
これが非常事態である。
敵が侵入してくるような戦争だけが非常事態ではない。
組織を暴走させて攻撃的にさせる首謀者が野放しになっていまだに組織のトップにいるというのはとても危険なことなのだ。
やがて天幕は風に吹き飛ばされそうに、より高くに持ち上がり、役者たちはそれをつかもうとする。
演劇とはそうしたものなのだ、とようやく気づく。
劇場は布1枚の天幕。
銃弾の雨には無力である。
その天幕が、正気を失った世論や、法律を無力にしようとする暴力的な権力に吹き飛ばされないように背を伸ばしてつかんで、そこにとどめようとする。それが役者たち。
演劇は僕たちに夢を見させて現実逃避させるだけではない。それだけなら、劇場を出たら現実にかき消される夢のまま。
甘くて現実で疲れた心を休ませる舞台ももちろん悪くない、というか凄い必要だが、天幕を掴む舞台も悪くはないと思う。天幕をみんなで掴まないと、すぐ飛ばされてどっかいっちゃうんだから。
正気になろう、そうすればオレオレ詐欺も扇動者も怖くない。
(途中でこいつ、ロックとか言いたくてしょうがないんだろうな、と思われそうだったので我慢して書かなかったなり(台無し))
『裏切り者に愛をこめて』
タクラボ
近鉄アート館(大阪府)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初めて拝見する劇団ですが凄すぎて圧倒されました!!