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その男ホーネット加藤ーある前説師の愛の詩ー

その男ホーネット加藤ーある前説師の愛の詩ー

映像劇団テンアンツ

ABCホール (大阪府)

2025/04/16 (水) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

感想遅くなりました。東京で後半を見て今回大阪で前半を拝見しました。前回も思いましたが、観客を巻き込んだ笑いもあり涙もありとても楽しい、心に染みる時間を過ごしました。また機会があれば拝見したいです。面白かったです。

〈不可能〉の限りで

〈不可能〉の限りで

SPAC・静岡県舞台芸術センター

静岡芸術劇場(静岡県)

2025/04/26 (土) ~ 2025/04/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観てきました。そして静岡で美術館めぐりをして、いま、東京に帰ってきました…。

現代演劇の世界は、2.5次元とか、プロジェクションマッピングとか、そんなテクノロジーの活用によって、ただでさえキラキラした役者たちを一層華やかに照らすのに忙しいも関わらず、今回の作品は極めてローテク、シンプル、ただ、物語は単純ではなかった。慎重に政治性を排除しつつ、人間の集合体のひしめきが生み出す軋んだ世界の、矛盾と混乱と緊張の世界に真っ向から向き合っていて、素直にただただ圧倒された。

ナポレオンはフランス語に不可能という言葉はない(日本語訳では吾輩の辞書に不可能はない)といったらしいけれど、フランス語にもそしてもちろん英語にも不可能の文字はあった…というか、不可能(impossibilis)というラテン語を仕入れて英語に繋いだのはそもそもフランス語のほうだった…これこそナポレオンの言葉の矛盾(苦笑

ネタバレBOX

しかし、ナポレオンが不可能を信じなかったというのは、己の権力の強大さ故でもあった。

舞台上の言語が、最初は英語話者ふたり、フランス語話者ふたりだったのが、途中から、それぞれの役者たちがポルトガル語なども含んだ会話に変遷し、男性が女性の体験を語るなどと変化し始めるのも、そういった皮肉もあるのかも知れない。

世界は主要言語である英語フランス語だけではなく、主要言語ではないポルトガル語なども含んだ世界で構成されていると。

そして不可能という言葉も、ここではそれほどシンプルな意味ではないようでもある。

それは『impossible to survive』のボーダー(境界線=人間がサバイブする限界線)を表すのか、それとも『impossible to imagine』…ジョン・レノンの予想より遥かに悪い、敵意と緊張に満ちたハーモニー(融和)を越えた、比較的平和な世界にいる人たちが想像できない、あるいはその矛盾に気づくとそこでの権力者に睨まれるがゆえにあえて言葉にしない、その世界にいては想像できうる限界を越えた世界なのか…あるいは人類や世界そのものを一つの生命体に見立てて、『impossible to
aware (あるいは、memorize)』というようにして、被害者の全てがあの世か難民キャンプで恐怖によって加害者たちによって支配されて口封じされているため、世界が気づくこともなく、人類史の歴史からも欠落している、という意味なのか…凡てのエピソードが色々な世界や作品を想起させる。

そもそもラテン語のimpossibilisとは、当時の郡、あるいは宮廷の力の及ばないという意味…とするならば、タイトルの意味するところも少しは分かってくるのかも知れない。

ここで舞台上に張られた幕の形作るものが山を表現していること、それがつまり平地の権力、あるいは法律の統治の及ばない場所、すなわちボーダーなのだな、と言うのに気づく。

人々の組織の生み出す秩序のルール(法律とか刑罰)の及ばない、人々の恐怖を煽る権力者とその取り巻きの生み出す恐怖に支配された世界、それが『組織』と表現される赤十字や国境のない医師団の人たち目にする20キロとかの先にある山々。そこは恐怖で人を支配した人たちのせめぎ合いで、自分たちの口封じのために地面の下に埋められて永久に口を封じられた人たちが埋められた場所でもあるのだが…。そして、ここで気になるのが劇の中で赤十字の人たちと思われる人たちが自分たちのことを『組織』と頻繁に表現していること。最初これは一般論として色々な人道支援組織に共感できるようにそのように話ししていたのかと思ったが、やがてどうやらそれよりはむしろ、この物語自体が赤十字などの話ではなく、人間の生み出す『組織』の話であることを暗示しているようだと感じはじめていた。組織自体も神聖なものではなく、そのなかで組織の権力を乱用して悪事を働く変態、犯罪者たちも存在することが暗示されている。これは結末があえて示されていない。組織の性質を知る者にとってはよくわかる話だが、場合によっては犯罪者を告発した人間のほうが逆に犯罪者に仕立て上げられて追い出される場合もあるかも知れない。それが『組織』の恐ろしさでもある。確実な証拠を手に入れない限り、善悪よりも権力の論理でシーソーは動く。組織が暴走して変質している様子は外からはなかなか気づけない。

impossibleのpossibleは力、powerでもある。人々のもたらすpowerとは何なのか?冷静な論理で動くときは、人々の秩序を守るルールとしての法律で無法を縛り、またあるときは人々の攻撃的な気持ちを鼓舞するために恐怖で人々を煽り、組織形態を保ったまま個人の感情を恐怖で殺し、個々の人を機械的な操り人形にして狂信的な集団に変貌させ、狂気的なジェノサイドに導く。その、外からみると道化じみた権力者たちの手法、すなわち矛盾は、物語を観ていると巧妙に隠されている気がする。そういった人たちを実際に見たことがある人は、おそらくすぐに分かるだろう。そうした人間の性質の描写は少し政治的である。ナポレオンがまさにそうである。不可能という言葉はフランス語にあるのに不可能はないと堂々と言い切った、今はただの道化だったが当時は英雄であり恐怖の対象だった。

多くの助成金を得た作品からは、巧妙にそうした人物像の描写が排除されていることが多い気がする。結局のところ僕たちは時代は進んでも同時代的な作品のなかにではなく、シェイクスピアなどの作品のなかにそうした人物像をいまだに見出さなければならないのかも知れない。

現代の世界には、歴史ドラマの虚構のなかにのみ存在する、暴走する市民たちに悩み、落ち着くように説き伏せる徳の高い権力者は存在しない。

物語のなかにふたりの医師により救われた少年が存在する。一人は医師を救い、一人は医師を殺す。

これはよくわかる。

人に救われても、頭がおかしくなるとそれすら無かったことにして平気で救った人を殺すようになるのである。

これは日本でも、殺人に至らないだけでよくある。自分にない力(ここでは人を救う力)を持った、正義と真実が心の中に燃えている人間は、憎悪を煽り、恐怖で人を服従させて組織を操る人間たちにとっては憎悪の対象になるのである。

自分は少年を救うために戦争を一時中断させ、山の中に分け入った人たちが、戦争の小休止のなかで鳥の声を聞いたくだりで、自分も大好きな日本映画『せきれいの曲』を思い出した。『せきれいの曲』は本当に素晴らしい映画なのになぜか全然有名ではない。真実のなかで生きることほどの幸福は人間には存在しない。それは事実である。僕の周りには、嘘で塗り固めて虚言で生きている人たちが大勢いる。これは不幸である。やがて弱い人たちから病んでどこかに行くだけである。

これは本当のことである。

大きな権力を握り、多数派で組織を操ることが人間の幸せではない。

例え狂ってると言われたり、歌う喉を奪われて暴力に晒されたり、時には殺されて山に埋められようと、真実のなかに生きることほどの人生の幸せはない。

これは断言できる。

それゆえに憎悪されるのだ。

この舞台の最初に、演劇で世界は変えられないと言ったが、それは嘘である。

特にコロナ以降でみんな気づいたが、演劇で世界は変わる。ゆえに恐れられるようになってしまった。

舞台の上で、堂々と嘘をつくのは、いくら役者でも無理である。人生や家族との時間を犠牲にして、それでは何も得るものはない。

権力者たちは舞台の上での正直な人間たちを恐れる傾向にある気がする。それは彼らが権力者でもないのに台の上に立ち、利害関係者に忖度することなく、素直に胸の内を吐露する機会があるからだ。

舞台の上に立つと、胸の内にまっすぐな人間とそうでない人間は存在感が違う。それは観客たちにもわかる。

だからこそ、演劇で世界は変えられない、私たちは仕事でこれをやっているとあえて舞台の上で言うのである。一流の役者たちが胸の内そのままに舞台の上で表現すれば、文字通り利害関係者たちに拍手されて虚言を振りまく権力者たちとは役者が違う。裸の王様はたくさんいるのである。それはあまりに圧倒的な違いである。そのことを完全に認識しているので、そのように表明するのであるのだと思う。これは多くの劇団がそう言ったほうがいいと思う。現代は不安定すぎる時代である。役者が本心で表現しているのかどうかは、見ていればわかる。舞台の上で圧倒的な存在感を出して世界の矛盾を示すのは、こっそりと美辞麗句に紛れて吐露するしかないのかもしれない。シェイクスピアのように。シェイクスピアのように当時の権力者を揶揄するだけでなく美辞麗句も混ぜれば、芸術は成立する…。現代の権力者は利益でつながった集団であることが多いため、特にそのように思う。矛盾を暴くのは、難しい…(苦笑

一人の嘘つきの道化が百人の正直者の観客を騙すのは無理だけれど、その逆、すなわち一人の正直者の役者が百人の道化の観客たちに矛盾に気づかせるのは可能だと自分は思う。

ピエロがピエロを演じるのは、ピエロが演じた愚かな姿を見せて、虚偽に塗れた強力な自分たちを安心させるためではない。自分たちが真のピエロだと気づくためだと自分は思う。

(補足)
公演終了したのでシンプルだけど考え抜かれて軽量化された旅公演向きの舞台美術について書いてみます。

舞台美術の主なのはシンプルで、重めのコヨーテっぽい色のコットンの布地が後ろの方にかけられていただけでした。

そう、驚くべきことに最初見えてたのは本当にたったそれだけだったのです。

それは、最初はどうやら山々とその岩肌を表しているようで、そこが平地の民の法律、権力の及ぶところの『境界線、ボーダーあるいは限界』を表しているようでした。そしてゲリラたちが絶え間なく銃を撃ち合っているとでもいうように、人や、かつて生命のある人だったが今はもう人ではなくなった死体たちが、石や岩とともに絶え間なく転げ落ちるようなドラムの音が、奥から鳴り響いていました。それは今まさに戦時中とでも告げるように。

それが少しずつ幕が持ち上がり、ドラマーの姿が見えてきます。

姿が見えない間、鳴り響くドラムのサウンドは、音からして生のような重低音はあるが、最初はまさかこんなシンプルなセットと普段着そのものの衣装?の俳優たちで、ドラマーが帯同してドラムも持ち込むなんてわけもないだろうから、たぶん劇場備え付けの素晴らしいドラムンベース的なサウンド・システムで、録音したものをあたかも生のように鳴らしてるだけなのかなと、なんとなく思おうとしていた…が、どう聞いても生に聞こえた…(苦笑)。

それが幕が持ち上がるにつれ、ドラマーの姿が見え、生音であることがわかる…と、ドラムってそんなに重要だったんかな、と思う。

そしてそこはどうやら今まで遠くのように見えていた山々の戦争が人々の生活の上に覆いかぶさってきた現場であるらしいことに気づく。そこでは、戦闘員(ここでは単に銃器携帯者と呼ぶらしいが)だけではなく、無差別に民間人も含めて民族ごとこの世から消し去られようとした末の、不安に怯え家族を亡くした手負いの避難民たちがなんとか逃げ込んだ巨大なキャンプの天幕であり、そこではさらに自分たちの家族を殺した人たちによって管理されており、皆が不安に怯える人々の心臓の鼓動…どうやらそこは1994年のルワンダ。歴史に残る巨大なジェノサイドが勃発した直後だった。

そう、その難民キャンプを管理していたのは、民族抹殺に失敗したものの諦めずに、国連に監視されながら、目の前で殺し損ねた民族を、武力による恐怖によって、被害者たちの口を封じ、永久に自分たちの未遂に終わった途方もない規模の虐殺の事実を歴史の闇に葬ろうとすることを諦めていない、民族抹殺をしようとしたまさに当事者である加害者の民族で構成された政府軍だった。

ドラムの音はその軍隊の銃弾(黙っていないと生命はないと脅すような)、あるいは彼らが騒乱を鎮圧する途中で轢き殺した子どもの母親の泣き声などを示しているようにも見えた。

僕はベトナム戦争によって反戦が盛り上がった音楽の歴史のことを考えていた。その時代は、ビートを刻んで『人を殺してないで正気になろう、扇動者に恐怖を煽られるだけでは権力者の操り人間になるだけである、敵味方関係なく愛し合おう』と夢みたいなことを歌っただけで政治と言われた時代だった。

…ただその夢とは遠く離れた1994年のルワンダの難民キャンプでは、到底制御できないような不安と恐怖と敵意とが複雑に混じり合い、かろうじて1枚の布が戦場で赤十字などの善意で構成された組織の庇護を示し、皆に正気であることをかすかに呼びかけていた。

ぼくは、一見事実やインタビューを並べただけに見えそうなこの舞台のなかに巧妙に隠されてるメッセージは凄いと思った。

この演出家は組織という、オルガニズム(文字通りの人間とはまた別の生命体)の性質を知り抜いているのだと感じた。

その難民キャンプを管理している政府軍は加害者の民族で構成されている。

もし、まだ犯罪を犯していない人たちなら、夢みたいな愛を歌えば、涙を流して落ち着いて正気になり、日々の生活に戻って行くかも知れない。

しかし、民族の恐怖や猜疑心を煽り戦闘的にし、組織的な大量虐殺を扇動した人たちは違う。

彼らは被害者が本当のことを言い、今まで煽られていた同じ民族の人たちからも、今まで自分たちを騙して操って途方もない犯罪民族であると世界から名指しされるようになった原因であると糾弾されることを恐れる。それまでは英雄だったものが一気に大犯罪者へと転落してしまう。巣鴨のように。それはとてつもない恐怖だと思う。

彼らは夢のようなリリックでは動かず、隙があれば自分たちの邪魔になる人々をこの世から消そうとする。それは憎悪ではなく恐怖。

このような人たちに組織を操られた人たちと被害者の難民が一緒になっているというのは極めて危険な状況にある。

本来なら政府組織を暴走させて歴史に残るジェノサイドを行った人たちを一刻も早く刑務所に入れなければならないが、それもできない。

これが非常事態である。

敵が侵入してくるような戦争だけが非常事態ではない。

組織を暴走させて攻撃的にさせる首謀者が野放しになっていまだに組織のトップにいるというのはとても危険なことなのだ。

やがて天幕は風に吹き飛ばされそうに、より高くに持ち上がり、役者たちはそれをつかもうとする。

演劇とはそうしたものなのだ、とようやく気づく。

劇場は布1枚の天幕。

銃弾の雨には無力である。

その天幕が、正気を失った世論や、法律を無力にしようとする暴力的な権力に吹き飛ばされないように背を伸ばしてつかんで、そこにとどめようとする。それが役者たち。

演劇は僕たちに夢を見させて現実逃避させるだけではない。それだけなら、劇場を出たら現実にかき消される夢のまま。

甘くて現実で疲れた心を休ませる舞台ももちろん悪くない、というか凄い必要だが、天幕を掴む舞台も悪くはないと思う。天幕をみんなで掴まないと、すぐ飛ばされてどっかいっちゃうんだから。

正気になろう、そうすればオレオレ詐欺も扇動者も怖くない。

(途中でこいつ、ロックとか言いたくてしょうがないんだろうな、と思われそうだったので我慢して書かなかったなり(台無し))
『裏切り者に愛をこめて』

『裏切り者に愛をこめて』

タクラボ

近鉄アート館(大阪府)

2025/04/25 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

初めて拝見する劇団ですが凄すぎて圧倒されました!!

ヨークシャーたちの空飛ぶ会議

ヨークシャーたちの空飛ぶ会議

ハングリーハンガー企画

APOCシアター(東京都)

2025/04/25 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

鑑賞日2025/04/25 (金) 14:00

とっても笑えるけど、人間という生き物について考えさせられる不思議な作品でした。
若い俳優さんたちの情熱が伝わってきます!

アルカの板

アルカの板

9-States

駅前劇場(東京都)

2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 衰退する地元、分裂し敵対する人間関係、窮すれば???も起こる? 

ネタバレBOX

 今作では上演中に2か所に設置されたモニター画面上に様々なフレーズが表示され、観客への問い掛けが為されるが、この問い掛け内容が中々面白い。上演されている作品そのものが漁師町で衰退の一途を辿る一家と漁協組合との駆け引きを出汁に、伝統と革新、デモデとモダン、家族・共同体とよそ者、敵と味方等々の二元論的対立と各々の根源に在る存在の本質を丁度舞台上にサスを当てるように2つのモニターに表示する観客への問いとして投げかけつつ展開する。一家は事故で亡くなった先代の船長の後を継ぎ何とか細々と操業を続ける長女や乗り組み員、彼女のファンで何くれとなくサポートしてくれる自営農、父の死を観、今迄のやり方では対応できぬと東京へ出、プログラマーとして新たな目で改革を図る妹、漁協組合長というポジションを踏み台にステップアップして市長の座を狙い、副組合長に娘を登用している組合長。漁協内改革派のもう1人の副組合長、彼に憧れ自らも改革派として活動する組合員女性、船長の妻、彼女が体調を崩して入院した病院の医師らがやってくるスナックを舞台に物語は展開する。尺は約2時間。
 物語の詳細は観て頂くとして、サスのように社会の本質的要素をその存在の本質に、或いは二元的対立として照らし出す各フレーズの根底を探り出す旅への誘いこそが今作の深いテーマだと考えられる。タイトルからも明らかなように問題は我らニンゲンが生死を分かつ状況下で如何なる判断をし実行すべきか? ということがそもそもの問いであるからだ。それに応えるには存在とは何か? を考える必要があろう。存在は物質で出来上がっている。この点に異論の有る者は居まい。では物質はどのように出来上がったか? 現時点で我々が知っている物質生成の歴史は宇宙の始原から恒星が誕生して恒星の核反応の進展を通じて水素原子、ヘリウム原子等物質を構成する原子が誕生したことが知られているが、この後の諸過程詳細は自分で調べたまえ。何れにしろ存在そのものが誕生して長い時を経、アミノ酸等、生命の材料となる物が生成された。この後生命が誕生するが生命の3つの特徴は外界と己を隔てる隔壁を持つこと、太陽エネルギー、食物等のエネルギーを用いて代謝を行うこと、そして自らの後代を作ることのできる設計図を己自身の内部に持っていることである。この3つの特性を同時に持つ時、そのものは無機物と区別され生命と呼ばれる。そして生命となった時、生き死にの問題が発生し状況次第で生きるか死ぬかが問題とされることに意味が生じるのである。今作では、様々な利害関係や政治、経済や人間関係の諸々、歴史認識の差等々諸関係の差異及び存在そのものの存否可能性の分岐点に纏わり得る諸問題等がモニター上に表示される訳で、答えは観客個々人が出す他無い。そしてこの実際こそが実存なのである。宇宙の始原迄一先ず考え、翻って我が生に想いを致す。中々面白い趣向ではないか?
がらんどうのしにすとら

がらんどうのしにすとら

‐ヨドミ‐

TACCS1179(東京都)

2025/04/16 (水) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/04/17 (木) 14:00

2021年上演「ポラリス」系列のダークファンタジー。
中盤以降、主要人物たちがエゴをむき出しにすることから「それなりに治まっていた世界」が崩壊するのはいかにも藤丸作品(笑)。
がしかし、主人公の出自(放映中の某ヒーローものを想起(笑))によってこのテの話では「悪役」とされていた側にも感情移入させて自業自得的なことも「悲劇」に仕立てるのは妙案。
あと、演出・演技に照明・装置・衣装も含めて創り出す世界観が絶妙。

柿喰う客『いきなりベッドシーン (表現者工房スペシャル)』

柿喰う客『いきなりベッドシーン (表現者工房スペシャル)』

一般社団法人表現者工房

表現者工房(大阪府)

2025/04/25 (金) ~ 2025/04/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

七味さんがセーラ〜服での一人芝居
見た目無理感は有ったが、内容はディープ
50分をまるでツカ劇みたいに、機関銃みたいにしゃべくりまくり
タイパ コスパは悪いかな…

幸せのかたち

幸せのかたち

+ new Company

調布市せんがわ劇場(東京都)

2025/04/23 (水) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 舞台の設定がちょっと変わっている。1列目だけが斜めに設えられた板の頂角から延びた2辺に平行に置かれた椅子に座るようになっており、2列目以降は通常の劇場内スタイルで客席が組まれているのだ。華4つ☆

ネタバレBOX

 物語はFusionと名付けられたこの喫茶店のオーナー・従業員と顧客たちとの交流譚だが、一風変わったこの店名から気付く人もあるかも知れないが、オーナーが極めておおらかで温かい人柄であり店の奥にあるフラワーガーデンは彼の家に通じているのである。このような構造になっているのは無論偶然ではない。ひととひととの繋がりを通して皆が一緒に関係を紡ぎ一人は他者を、他者たちは独りをフォローし合い辛い時は一緒に、楽しい時は共に、ほっておいて欲しい時にはそっと、でも見捨てずに。強制するでもされるでもなく支え合い交じり合って生きて行こうとの念から成り立っている。結果、来客たちの質も高く客同士も自然と仲良くなる。そんな喫茶店なのである。因みにオーナーは3年前に連れ合いを失くし子供は一男一女、お兄ちゃんは小学生、妹は幼稚園である。お兄ちゃんは優しく良く妹の面倒をみるが母を亡くしたことから学校で何かと気苦労が多いからか欠席が多い。父は出来るだけ子供たちとも遊んでやりたいが仕事で縛られる為、なかなか思うようにはいかない。登場する人物たちは皆、隣に居そうな人々であり大なり小なり皆何らかの悩みを抱え心のどこかに不安や葛藤を抱えて何処か不安定であり時に孤独感に襲われるが、己が何者であるか? 突き詰めて現存在の完全な陥穽の深みに落ち込んでいる訳ではない。即ち完全な孤立存在そのものの形容し難い不如意に陥っている訳ではないということこそが、今作が何度も再演されてきた理由である。現実にこのような空間が存在するか否かではない、登場人物たち総てが等身大で身近に感じられる存在なのだ。そしてこの現実と虚構の狭間こそが演劇空間の意味なのである。
アルカの板

アルカの板

9-States

駅前劇場(東京都)

2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

難しいテーマで考えさせらえました 二転三転目が離せません

アルカの板

アルカの板

9-States

駅前劇場(東京都)

2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

安定のナインステイツですね^^ たっぷり満喫させてもらいました。プロジェクターに映し出されるフレーズの1つ1つに考えさせられました。話もシンプルでわかりやすく、それでいて人生訓のようなセリフもたたありすばらしかったです。すてきな時間をありがとうございました。

アルカの板

アルカの板

9-States

駅前劇場(東京都)

2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

漁港にて。改革は方舟か泥舟か。反対派がわかりやすく悪い奴なのと、芝居で現せばいいコトをいちいちモニターにテキストで見せるのは、ちと気になるなぁ。

リンス・リピート

リンス・リピート

ホリプロ

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2025/04/17 (木) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/04/24 (木) 19:00

座席1階11列16番

おしゃれなダイニングにアメリカン・ソープドラマみたいな会話劇だなあ。でもなんだか怖いなあ。という不思議な違和感を感じながら観ていたら、感情の爆発から一気に引き込まれました。家族それぞれの正しさがあることを考えてしまいました。もう1回観たいです。

ネタバレBOX

印象に残っているのは、幕から現れた大量のジャケットです。なぜアレを選んだのか? 語り合いたいです。
通夜もなかばを過ぎて

通夜もなかばを過ぎて

ゆく道きた道

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

通夜を通して、過去や人生と向き合う姿を面白可笑しく描いた葬儀劇。物語は誰が亡くなったのか、というミステリーではないが 謎が肝。ひょんなことから棺桶の御扉(みとびら)を閉じてしまい、故人を確認出来ない。クセの強い高齢者8人が現れ、悲劇と喜劇の狭間を彷徨うような物語へ。

現代は、気軽に繋がれるようになったが、それでも繋がりきれない想いを抱えている。葬儀は、故人と何等か関わりがあった人たちが参列するものだが…。市場経済の 見えざる手ではなく、正体不明の故人によって操られるような不思議さ。不思議と言えば、葬送にも関わらず、生きるのは大変だったし と語ることによって<生>を感じるところ。他者を弔い 自らの人生を顧みる。

故人との関わりの手がかりを掴むため、自己紹介などを始める。そこに シニア劇団らしい特長ー役者と役柄が混然となり、どのような人柄でどんな人生を歩んできたか、とぼけたユーモアと哀切が滲み出てくる。
(上演時間1時間15分 休憩なし) 【亀組】 

ネタバレBOX

舞台美術は和室の中央に棺と簡素な祭壇。周りの広い空間は、後々現れる人々=幽霊の動きを確保するため。本来であれば参列者が集まるところであるが、故人は あまりにも高齢のため親戚など誰も来ない。葬儀社の社員2人(ベテランと新人)が右往左往して準備をしているだけ。燈明や線香に火をつけるため、ベテランが場を外す。

客席通路を通って高齢者8人が舞台上へ。新人社員が棺桶の御扉を閉じてしまい、幽霊は実体がないから 扉を開けることも出来ずイライラ。故人は誰なのか 自分との関りは と詮索したくなるが…。そこで思いついたのが自己紹介を通して、故人との繋がりを探ろうというもの。因みに役名(15人)は 変わっている。例えば、間しのぶ(ハザマ シノブ)、燈芯久信(トウシン ヒサノブ)、枢木うめ(クルルギ ウメ)、要金栃世(カナメガネ トチヨ)等、フリガナがないと読めないような名前ばかり。何となく葬儀または霊界に関係していそうな。職業も霊媒師 等がおり、ますます謎めいてくる。どのような人生を過ごしてきたのかを語るが、やはり この世に未練はある。この1人ひとりの語りが肝。シニア劇団らしく、役柄が役者の人生と重なるようで、味わい深さが滲み出てくる。

死神(上司と新人)が死者を迎えに来ると、クセ強の高齢者が列をなして集まりだす。夜が明けるまでに故人の魂を選び出さなければ、代わりに新人の死神が地獄へ…。新人の死神と8人の高齢者(幽霊)の虚々実々の攻防戦のようなものが始まる。多くの者が、まだこの世に未練があり、何とか現世に戻りたい。思い描いた人生ではないけれど、それでも幸せを求めて必死に生きてきた。そんな姿を想像させるドラマ。葬儀(お別れ)の場における悲喜交々の追憶、それでもコメディだから明るく大らかに展開していく清々しさ。
次回公演も楽しみにしております。
白い輪、あるいは祈り

白い輪、あるいは祈り

東京演劇アンサンブル

俳優座劇場(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/03/21 (金) 19:00

160分。10分の休憩を含む。

逆光が聞こえる

逆光が聞こえる

かるがも団地

新宿シアタートップス(東京都)

2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

かるがも初観劇。19:15開演だった事で観劇が叶った(平日都内の観劇は19時ギリギリだがこの曜日は5分ロスがおりほぼ諦めている)。

さてかるがも団地初の印象は想像していたよりも陰影が濃く、ドラマの密度も濃く魅入らせる舞台であった。
劇団名を認識した数年前から、堅調に公演を打ち、レビュー等からあるぼんやりしたイメージを持っていたが、勝手な推測をしてしまうのだが、従前の舞台より濃さが増しているのでは...。(きめ細かさは変わらず、より深くなったか、深さはあったが凝縮度が増したか。..要は私好みに寄っていた事は間違いなさそうである。)

過去が自分にじわじわと襲いかかる。いや、挨拶に来る。人は罰せられる前に、己の行動や態度の真意に気付かされ、自ずと頭を垂れる。性善説?いやそう生易しい話でない、と言外に言うこの芝居がもたらすカタルシスとは・・。客席を見渡せば若年層すこぶる高い率で驚く。終演後は笑い顔なく押し並べて神妙な表情であった。

遠巻きに見てる

遠巻きに見てる

劇団アンパサンド

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2025/04/18 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三鷹市芸文星のホールと言うと今は名物「城山羊の会」の小屋のイメージが強くあり、リアルな飾り込み美術と奥行き、これを可能にする空間(上も高くて広いので声が吸われる面はあるが)として上質の劇場ではないかと近頃思い始めている。
その城山羊と見紛う美術が、出現していた。屋外。低く落ちた水路の上を渡した短い橋と、ガードレール、電柱を支えるワイヤーの黄色いカバー、車の進入を阻むポール、自販機。橋の向こうは森があり谷底へ下る道が続いている風である。リアルなセットの中でナンセンス、過剰、意識の落差、発想の突飛さ、人間の寄る辺無さ、無法な空気の中に芽生える道義心といった諸々が生起する。アンパサンド最大の特徴である「阿鼻叫喚」へ誘う予期しない設定は、今回もあるが、現象と「絶叫」のリフレイン的なホラーな展開は退潮して、不条理系の会話劇の面が広がっている。城山羊の会を思い出したのはそのために違いないが、城山羊の意地悪な笑いにまでは至らず、絶叫は抑えられており、微妙な高さをふらふらと飛行し、軟着陸した印象。
安藤奎のホラーな世界観が健在であったので、次に何を仕込んで来るのか楽しみにまた観に出かけてしまうんだろうな、と思う。

零れ落ちて、朝

零れ落ちて、朝

世界劇団

三重県文化会館(三重県)

2025/04/12 (土) ~ 2025/04/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

俳優3人の身体表現と舞台美術・装置・音楽・照明の全てが絡み合って迫力のある素晴らしい舞台でした。
昔韓国の知人に、日本人の血の中には暴力性が潜んでいると言われた事をまた思い出しました。

通夜もなかばを過ぎて

通夜もなかばを過ぎて

ゆく道きた道

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

とても魅力的な味わい深い劇でした。

ネタバレBOX

全キャストシニアによる演劇ユニットということで、せりふに重みを感じました。
幸せのかたち

幸せのかたち

+ new Company

調布市せんがわ劇場(東京都)

2025/04/23 (水) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

物語は、或る街のCafeを舞台に、何の変哲もない日常が淡々と展開する。2019年にも観劇しており、キャストは変わったが ”幸せ”をテーマに、恋愛模様を温かく、そして切なく といった思いは変わらない。傷つくことを恐れていた心の殻が ゆっくりと溶けていく、そんな優しさと 待つことの希望が…。それを店の従業員 まなみ の主観と常連客で小説家志望の客観を通して描いているような。その可笑しく滋味ある観察眼が妙。

コロナ禍を経て、無関心・不寛容といった風潮が広がった気がしているが、物語は 逆に人との関わりの大切さを、色々な”幸せのかたち”を紡ぐことによって伝える。台詞にある「あなたが幸せでいることが、僕の幸せです」は、一歩引いた相手への気遣い。何となく気弱、遠慮しているような。幸せの捉え方は人それぞれ。例えば、映画「釣りバカ日誌」で、主人公のハマちゃんこと浜崎伝助が プロポーズする言葉ー「僕はあなたを幸せにする自信なんかありません。でも、僕が幸せになる自信はあります」と。

「幸せ」は主観的なもの。人はどんなに愛されようが、裕福で恵まれた環境にいようが、本人が幸せを感じなければ、幸せではない。一方、相手(他人)が幸福かどうかまではどうすることも出来ない。相手を幸せに出来るか分からないが、少なくとも僕が幸せになる、勿論 相手が了承すればの話だが。物語は、泣き笑いといった感情を揺さぶるが、それを音楽と照明によって一層 効果的に演出する。少し気になったのが、前公演に比べメリハリが弱く単調に思えたこと。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 【TEAM Coffee】

ネタバレBOX

セットは、客席に対して斜めに喫茶店内を作る。上手側がテラスになっており、公演のテーマと言えるカランコエの鉢植えが置かれ、その後方に木が植えられている。中央にテーブルと椅子、下手側に店の出入口とカウンターがある。全体が2段ほど高く設えているが、店の周りは1段低くして街路イメージ。後景には豆電球が飾られ 星空イメージ。

物語は店員 まなみ(加藤葉子サン)の観点で展開する。何の変哲もない暮らしの中に幸せがある、そんな足元を見つめた珠玉作。そして常連客 テリー(森原彩夏サン)が小説のネタ探しとして人間観察をしている。
まなみは恋人が海外に行ったきり帰ってこない。それでも彼を信じて待ち続ける。一方そんな彼女に思いを寄せる郵便局員ビンさん、それから大学生の愛やすずの切ない恋愛話、タウンマガジンの編集者等が織り成すヒューマンドラマ。そして店に集う人々を優しく見守る店長、その店長にも辛い思い出が…。

公演に温かみを感じるのは、思いを伝えるのが手紙という手段を用いているところ。インターネット社会では、メールという手軽な手段で伝達できる。送信し一定の時間内に返信がなければ落ち着かなくなり、場合によってはイラッとしたりする。スピードが求められる社会にあって、この公演は待つ=大らかな気持ちでいることの大切さを伝える。一方、近くに恋愛相手がいる場合は、直接 自分の言葉で素直な思い伝える。自分の気持を押し込め蓋をしない。大学生2人のそれぞれの恋愛模様に まなみが実直なアドバイスをするが、それは叶わぬ自分の身の上の裏返し。またラブラブと思われていたカップルが些細なことで喧嘩別れすることに。そこには相手を慮る気持が溢れている。愛、幸せのかたちは人それぞれ違う。
店長は妻に先立たれ、2人の子供(兄・妹)の面倒を見ながら働いている。父に負担をかけないようにしているのか、兄は妹の面倒を見るという建前で小学校に行ったり行かなかったり。この兄・妹が亡き母の思い出であるカランコエの花に水を注す。子供や動物が登場する映画には敵わないと聞くが、この公演も子役の素晴らしい演技が光る。

舞台美術も素晴らしいが、劇中歌や弾き語り 優しく流れる音楽が良い。人物の心情表現としてのスポットライト、暖色彩の諧調照明も心温まる雰囲気を表す。
これら全てが喫茶店フユージョンでの出来事を小説に、その物語を劇中劇にしたような気もするが…。
前回も記したが、カランコエの花言葉...「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」、全てがこの公演に当てはまるような。
次回公演も楽しみにしております。
第82回「a・la・ALA・Live」

第82回「a・la・ALA・Live」

a・la・ALA・Live

座・高円寺2(東京都)

2025/04/23 (水) ~ 2025/04/23 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

みまさんの歌声に震えた〜小ネタもサイコー 楽しかったです!

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