kikiの観てきた!クチコミ一覧

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エダニク

エダニク

ハイリンド

シアター711(東京都)

2018/12/07 (金) ~ 2018/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2018/12/08 (土) 14:00

ハイリンド『エダニク』、めっちゃ面白かった。

脚本は先週観た『逢いにいくの、雨だけど』と同じiakuの横山拓也さん。演出はサスペンデッズの早船聡さん。

カップ焼きそばで始まった物語は、屠畜という仕事とそれぞれの立場による思惑やこだわりにおされるように加速していく。

ユーモアと緊張感に満ちた約90分の濃密な会話劇に、キャストもそれぞれハマり役で素敵だった。

何事にも理由があって欲しい

何事にも理由があって欲しい

小岩崎小企画

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2018/11/22 (木) ~ 2018/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★

4人のキャストによる5つの短編。それぞれにおかしいような切ないような、胸の奥の柔らかいところに届くような、そういう物語。個人的には『物騒な話』が特に面白かった。あと『殴る蹴る』の2人が、抱きしめたいくらい愛しかった。

徒然アルツハイマー

徒然アルツハイマー

演劇企画集団Jr.5(ジュニアファイブ)

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2018/10/31 (水) ~ 2018/11/05 (月)公演終了

満足度★★★★

初めて拝見するユニットで、チラシの印象からもっとウェルメイドな物語を想像していたが、ダメな大人たちの現実と心象が交錯し、観る者の閉塞感と絶望を優しく搦めとる舞台であった。

キャストはそれぞれ魅力的だが、特に父役の中原さんの声と佇まいに惹かれた。

ネタバレBOX

救いのない結末とも思えたけれど不思議に後味がよかったのは、どれだけ罵り合ってもやはり家族は家族なのだと思えたからかもしれない。
ミセスフィクションズ夏の振替上演・上映会

ミセスフィクションズ夏の振替上演・上映会

Mrs.fictions

駅前劇場(東京都)

2018/08/17 (金) ~ 2018/08/20 (月)公演終了

満足度★★★★

4つの短編上演とひとつの長編の上映を拝見。

それぞれ笑いを多めに重ねながら、終わっていくモノや喪ってしまった何かに想いを馳せていくような、繊細で切実な物語たち。

出会えたはずの誰かと別れてしまっても、遙かな遠い未来にまた出会うこともあるかもしれない。

夏の終わりのかすかなさみしさともの憂さがよく似合う公演となった。

延期となった『月がとっても睨むから』についても、きっとかなうはずの約束として、気長に待ちたいと思う。

郷愁の丘ロマントピア

郷愁の丘ロマントピア

ホエイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/01/11 (木) ~ 2018/01/21 (日)公演終了

満足度★★★★

老人たちのやり取りと回想を通して描く夕張の近代史は、ユーモアとペーソスを含んで切なく愛おしい。

炭鉱での過酷な仕事や家族との思い出。過ぎ去った日々は湖の底だけれど、記念碑や町の名前が墓標のように残る。

丁寧な取材を感じさせる細やかなエピソードの数々と、それに血を通わせる作劇の確かさが、沈んでしまった町の風景を観客の胸に残した。

1万円の使いみち

1万円の使いみち

monophonic orchestra

Geki地下Liberty(東京都)

2018/01/13 (土) ~ 2018/01/21 (日)公演終了

満足度★★★★

1万円を届ける旅と1万円を使い切る旅。2組の旅路はそれぞれの後悔や迷いと結びつき、そしてそれをほどいていく。

笑いを交えて描かれる物語の中で、聞き慣れたいくつもの地名や路線名がどこか懐しく優しく響いた。

BALLO~ロミオとジュリエット~

BALLO~ロミオとジュリエット~

CHAiroiPLIN

東京グローブ座(東京都)

2017/12/02 (土) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

いやぁもうホント面白かった!!

自分では選ばなかったであろう演目だけに、誘ってくれた友だちに感謝。

よく知ってるはずのロミオとジュリエットの物語が、多彩な身体表現と大胆な演出で瑞々しく刺激的な舞台となっていた。

風紋 ~青のはて2017~

風紋 ~青のはて2017~

てがみ座

赤坂RED/THEATER(東京都)

2017/11/09 (木) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

病に倒れ東京から故郷に帰る宮澤賢治が、千人峠の駅舎兼旅籠で過ごした時間。そして過去の友人とのやり取りや死んだ妹への想い。

悪天候に閉じ込められた人々のそれぞれの抱えるものも含め、喪われたのもを想う心情を細やかに描き出していた。

心中天の網島-2017リクリエーション版-

心中天の網島-2017リクリエーション版-

ロームシアター京都

横浜にぎわい座・のげシャーレ(神奈川県)

2017/11/06 (月) ~ 2017/11/18 (土)公演終了

満足度★★★★

心中物をベースに現代的な風景の中で描かれる男女の情としがらみが、糸井さんらしい演出でたっぷりの音楽に乗せた愛と死の物語となっていた。

キャストも粒ぞろいで見ごたえのある舞台だった。

「地獄谷温泉 無明ノ宿」横浜公演

「地獄谷温泉 無明ノ宿」横浜公演

庭劇団ペニノ

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2017/11/04 (土) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

美術の仕掛けや入浴場面など人目を驚かす要素もたくさんあったけれど、そこに言及する以前に言いたいことがあるような気がする。

面白かった……というより、懐かしい遠い記憶のような、あるいは迷い込んだ夢の中の景色のような不思議な体験だった。

ネタバレBOX

物語の舞台は、北陸のどこかにある人里離れた温泉宿。そこに東京からやってきた人形遣いの親子は、誰かに手紙で呼び出されたのだという。

宿には主人はおらず、近隣の者たちが適宜利用しているということで、呼び出したのか誰なのかわからない。帰ろうとしても、唯一の交通手段であるバスのこの日の便は終わってしまった。親子は仕方なく宿に泊まることになるが……。

さびれた宿の玄関、二階建ての客室、温泉の脱衣所、湯殿、という4つのセットが、それぞれ背中合わせのようになっていて、回転するにつれて場面が変わる。

それぞれ細部までこだわった精密さとリアルさ。古びた質感、細かい調度のたぐい。客間の窓の向こうに温泉の入り口が見えたり、木の葉や雪が舞い散る様子が見えたりもする。脱衣所の先にある湯殿からは湯気が上るのが見える。

そう、実際に湯をはった温泉の湯殿など初めて観た。

これまでにも舞台の上で湯浴みや行水の場面を観たことはあったが、何人もの登場人物の入浴の場面をこれほどじっくり描いた舞台を観るのは初めてだ。

そういう美術や演出の緻密さと大胆さはもちろん圧倒的だったが、それ以上に、奇妙なくらいリアルなのに現実感を欠くような、どこへ向かうのか息を詰めて見つめずにいられない物語と、それを成立させるキャスト陣の演技が凄まじかった。

小人症の父親に献身的に、恭しく仕える息子。歳が離れ過ぎているようにも思えて、本当の親子なのか、あるいはいっそ本当に2人とも人間なのか、などと思いつつ観てしまう。

老婆、目の不自由な男、2人の芸妓、三助。それぞれの台詞も仕草も、美術と同様に奇妙なくらい緻密なリアルさで演じられていく。そんな彼らの(劇中で描かれる)欲望は、「生きる」ということと密接に結びついているように感じられた。

淡々と描かれる欲望の切実さに比して、舞台上の裸体はエロティックというよりごく当たり前の人間の営みとして感じられた。

山田マメさんの演じる百福と彼の人形の睦み合いにも似た人形芝居。そこから目をそらす年嵩の芸妓。三助の元へ忍んで行く若い芸妓。

朝の湯殿は、夜更けの欲望の名残とある種の後悔をまといつかせながら、それでも明るい陽射しを感じさせるのだった。

新幹線が通り、変わっていくであろうその土地で、それでも新しい命が生まれ、温泉宿は残り続ける。

そして人形遣いの親子は、今頃どこを旅しているのだろう。
はみだしっ子

はみだしっ子

Studio Life(スタジオライフ)

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/10/20 (金) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

始まってすぐに、思い入れのある原作の懐かしい台詞や場面にまずじんわりした。

わかってるはずの展開なのに、少年たちの心の動きに寄り添うように涙ぐんでしまう。

あの台詞、あの場面、そうだ、あのとき彼はああ言った、そういう記憶が堰を切ったように流れ込んでくる。

それぞれの場面で、歯をくいしばるように何度も読み返した彼らの心のひだが、生身の人間の演じる姿となって現れる。

母に捨てられ、父に疎まれ、大切な人を亡くしながら、それでも生き続けようと思えるのは、大切な仲間を見つけたから。

些細な手違いで離れてしまった仲間との再会に旗を振るアンジーの姿。

原作前半のいくつかのエピソードを約2時間の舞台にまとめ上げた脚本の手腕とキャスト陣の繊細な演技が物語のエッセンスを丁重に紡いで、美しい舞台が立ち上がっていた。

4人の少年たちも、周囲の人々もそれぞれ原作を大切に演じられているように感じられた。特に、グレアムを演じた岩崎さんの声が自分のイメージに合っていて、何度も(ああ!)と思った。

懐かしいような切ないような余韻に浸りながら帰路についた。

舞台版 声優に死す~other side~

舞台版 声優に死す~other side~

劇団ヘロヘロQカムパニー

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2017/10/20 (金) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★

孤独な少女が通うことになった学校は、孤島にあった。たどり着くことさえ困難なその場所で、若者たちは「声優」を目指す。

AIによるアフレコが主流となった近未来に、生身の人間が演じることの意味を模索するヒロインの過去。そして孤島に暗躍する怪しい影が……。

などという物語が進む中、(あ、そうか!)と思った。

開演前に場内に流れていた曲が懐かしいドラマの主題歌だった理由に気がついたのだ。

舞台の設定は近未来だけれど、実は懐かしの大映ドラマ、それも主として1980年代の学園ドラマのテイストなのだ。

ありそうで実は荒唐無稽な設定、むやみにドラマティックな展開、個性的というより変わり者ぞろいの登場人物、仲間同士のややベタな反発や友情、ミステリー要素と家族への情、仲間の死という重い出来事さえ、どこか見覚えがある。

リスペクトもあるだろうけれど、それ以上にパロディの色が濃くて、全編笑いが絶えない。

それらの笑いは確信に満ちて、過去のドラマを知らなくても充分面白いはずだ。

一方で、キャストのほとんどが人気の声優さんたちということで、その背景を活かした笑いもたくそん散りばめられていたようだ。残念ながら最近のアニメに疎いのでなんとなく察するしかなかったが、会場内は大いに盛り上がっていた。

そういうさまざまなネタや笑いを散りばめつつ、物語の骨格はしっかりとしたミステリーであり、そしてその底にあるのは、人を想う気持ちなのだ。

個性の強いキャラクターを演じるキャスト陣のエネルギーが、そういう物語を支えた。

脚本の島田さんは、劇団しゅうくりー夢に長く在籍されていた方で、そのためしゅうくりー夢ファンの自分に取って(ああ!)と思う雰囲気が随所に感じられ、いっそう楽しかった。

いくつもの伏線がピタピタ回収されていく終盤の展開にカタルシスを感じ、夢を追う人々の熱い想いが心地よく胸に残った。

リチャード三世

リチャード三世

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2017/10/17 (火) ~ 2017/10/30 (月)公演終了

満足度★★★★

冒頭。パーティだ……と思ったのは、人々がシャンングラスを手にしていたからだろう。白塗りで談笑する男たちは、皆同じように白いシャツに黒いズボンで、シャツの前をはだけている。サックスを吹く者もいる。

そう書くと陽気な場面のようだが、実際に観ているときはまた違う印象があった。何かが始まりそうな不穏な空気。いや、何が始まるかは知っている。有名な物語だ。なんなら台詞のひとつもそらんじてみせることだってできるだろう。

その有名な物語の最初の台詞を男が口にする。なるほど、彼がリチャードなのだ。

訪れたつかの間の平和に飽き足らず、野心を語る男。ときに片足だけハイヒールを履いて、不具を演じる道化めいた動きも、すらりと立ち上がって女を口説く様子も、自然に目を引かれる熱量がある。

キャストはほとんど男性で、彼らの演じる王妃や元王妃たちが禍々しくてとてもよかった。

手塚さんのアンの独特の存在感と色気とか、植本さん演じるスキンヘッドのエリザベスの肩の辺りのたおやかさとか、今井さんのマーガレットがもうスゴい素敵(←語彙力w)だったこととか。

今井さんは、萬斎版リチャード三世『国盗人』で理智門(リッチモン)を凛々しく演じてらっしゃったので、なおさらインパクトが強かった。

この舞台のマーガレットは「絶望して死ね」という強い呪詛の言葉の代わりに、歌うように呪っていた。いや、ホントに歌っていたのだ。「この世に想いを絶って死ね」と。

高い天井。いくつかの場面で水の降る音。三方に張り巡らされた幕が水しぶきで濡れていく。

王位に就くことを承諾する場面は雨。広場に集まった人々が傘を差している。それを建物の内側から観ている。そこで演じられる、望まれて王位に就くという茶番劇。

ビニール袋に包まれた王座への愛撫がなんかもう生々しくて、エロいなどというより、観ちゃ行けないモノを観ている感じだった。

彼の王座への執着は、野心というより、なんだろう、もう少し切実な何かだったように見えた。

物語の後半を覆いつくすようなリチャードの狂気。手に入れた王位への歪んだ執着。破滅へ向かって物語が加速する……。

陰惨な物語を解体する演出と、物語を牽引する佐々木さんの熱量。悪魔というよりは、かすかに道化めいた哀しみを感じさせるリチャードであった。

ワンピース

ワンピース

松竹

新橋演舞場(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/11/25 (土)公演終了

満足度★★★★★

もう本当に楽しかった!

原作の魅力と、歌舞伎の気持ちいいところと、横内さんらしい作劇の面白さとがあいまって、初演以上にがっつりテンション上がった。

ストーリーのまとめ方は端正でわかりやすいが、演出はド派手だ。

たとえば水を使う場面。本水を使うのは歌舞伎でもときどき拝見するが、この舞台ではなんていうか、ちょっと驚くほどの膨大な量である。

立ち回りをしつつ滝のように勢いよく降り続く水をはね飛ばし、客席に向かって跳ね上げ、キャスト同士が水を掛け合ったりもする。(前方数列の客席には、水よけのビニールシートが配られている)走ってきた兵士たちが水浸しのステージに滑り込んだりもする。実際にはたいへんなことも多いだろうけれど、客席からは本当に楽しそうに見える。

あるいは、2幕の終わりにルフィーが宙乗りをする場面がある。何度も傷つき倒れながら、兄と慕う大切な人を助けるためにまた旅立つ、というシチュエーションだ。

ステージだけでなく場内全体に明るい光が満ち、テーマソングが響き渡る中、我々の頭上を飛びまわるルフィーの表情は明るい。苦難はまだまだ続くだろう、それでも仲間とともに船出する彼の眼には希望しか映っていないのだ。

同時に、たくさんのキャストが客席通路を踊りながら通っていく。観客とハイタッチし、手にしたタンバリンを観客と交換したりしながら。

ほとんどの観客が立ち上がり、頭上のルフィーや通路で踊る人々に手を振る。歌舞伎で、という注釈さえ必要ない、こんなに大勢の人々と一緒にこれほど盛り上がる、祝祭めいた芝居をこれまで観たことがあっただろうか、と考えたりする。

観ていて、歌舞伎というジャンルの懐の深さを感じた。脈々と続く伝統に裏打ちされた技術と人材と様式、そして新しいモノを受け入れる柔軟さで、またひとつ大きな軌跡を産みだした。

横内さんの作品として個人的に好きな作品は他にいくつもあるけれど、多くの人の心を動かしたという点において、しばらくは横内さんについて語るとき「ワンピース歌舞伎の」という形容が外せないだろう。

検察官

検察官

劇団東演

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2017/10/13 (金) ~ 2017/10/17 (火)公演終了

満足度★★★★

冒頭。4人の楽師と指揮者が登場する。ロシア人の俳優が演じる指揮者は、ロシア語でまくしたてたかと思うと、日本語を交えた戯けたトークで観客の笑いを誘う。

そして、着飾った男女が踊りだす華やかなオープニング。

色とりどりのドレスで踊る女たち。街の権力者たちのいかにも俗物めいた描写が笑いを誘う。

かと思うと、「ロシア語がひとことも話せない」と言われる医者をロシア人の役者さんが演じる皮肉とか。

検察官と間違われた若い役人と市長をはじめとする人々の滑稽なやり取りがある種の様式美によって描かれていく。

その様子は、なんていうか、不思議な国のサーカスみたいだった。カラフルで滑稽な馬鹿騒ぎ。印象的な音楽とダンス。躍動感とリズム。独特の陰影。皮肉と哀愁。

初演の記憶よりいっそうパワフルで、3時間近い長尺を飽きる間もなく魅了された。

ブッダ

ブッダ

わらび座

京都府立府民ホールアルティ(京都府)

2017/08/26 (土) ~ 2017/08/26 (土)公演終了

満足度★★★★★

再演初日となる京都公演を観てきた。

開演の少し前からほの暗い舞台に人がぽつりぽつりと現れて気怠そうに床を磨き始める。

客席はまだ明るいが、舞台の様子に気づいたのだろう、観客がしだいに静かになっていく。

突然鳴り響く音楽!氾濫する大河!

人々は流され、渦を巻き、そして1人の赤ん坊が生まれる。

そこからの展開を観ながら、そうだった、わかりやすいとはいえない作品だった、と初演を観たときの印象が蘇り、初めてご覧になる方はどんなふうに感じられただろうと気になったりした。

説明めいた台詞もないまま物語は動き出し、登場人物それぞれの過去や想いは鮮烈だけれど断片的で、時間の経過にも飛躍がある。けれど気がつけばそれらはひとつの流れのように、シッダールダの人生を映し出していく。

後半になるともう怒涛の展開だ。目に見えない渦が会場を満たし、理屈を超えて観客を巻き込み押し流していく。

客席の人々は、息を呑むように静まり返って舞台を見つめている。

人々の嘆きや苦しみが渦を巻く終盤の場面はやはり圧巻であった。

説明しきれない衝動や圧倒されるような感覚。そういう変わらない何かを抱えたまま、新しいキャストを迎えて鮮やかに蘇った。

まだ初日らしい硬さもあっただろう。歌やダンスもこの先もっと馴染んでくるような気がする。

しかし初演キャストの安定感と新キャストのエネルギー、そして若々しいアンサンブルの躍動感が、懐かしく同時に新しい『ブッダ』の世界を作り上げていた。

KINJIRO!

KINJIRO!

わらび座

小田原市民会館大ホール(神奈川県)

2017/05/13 (土) ~ 2017/05/13 (土)公演終了

満足度★★★★

二宮金次郎という名前は知っているけれど、そういえばいったいどんなことをした人なのか、少しも知らなかった。

マジメで働き者なのは、少年時代の銅像からイメージするとおりかもしれないし、節約や工夫で財政難にあえぐ家や地域をよみがえらせた、立派な人物であるのは間違いない。

でも、完全無欠の偉人を遠くから仰ぎ見るような舞台ではない。

ラップとムーンウォークで始まり、和太鼓に合わせたヒップホップや民謡もあれば多彩な楽器の生演奏もある。たくさんのダンスや音楽に乗せて描かれるのは、迷ったり悩んだりもする1人の男の人生である。

仕事だって、人間関係だって、うまくいくばかりじゃない。そういう中で、彼が何を思い、何を選び、どこへ向かって歩き続けたのか。

これはたぶん、そういう物語なのだ。

三英花 煙夕空

三英花 煙夕空

あやめ十八番

旧平櫛田中邸アトリエ(東京都)

2017/09/26 (火) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

公演の情報に書いてあったキャストは4人だったが、実際に舞台を観るとそれだけではなかったなぁ、と思う。

音楽を担当なさった吉田さんが2つの役でご活躍だったのと、そして、もうひとりの出演者……とでも言いたいくらい存在感があったのは、「会場」である。

東京公演は、彫刻家のアトリエだった場所で、観客は三方の壁に張り付くように並べられた椅子に座った。

大正8年に建てられた建築物の窓を閉ざした空間に、4人の、いや5人の声がそれぞれ印象的に響いて、何だかずっと昔に観た夢のような、現世と切り離された時間を過ごした。

下町の墓地に近いロケーションも、大きな窓をふさいだその部屋も、演じられる物語にぴったりで、我々は古物商の倉庫の壁の一部にでもなったように成り行きを見守った。

限られた空間に居並ぶ人々は、季節外れの暑さを感じていた。いつ書かれた戯曲なのか、物語の中もそれと同じような蒸し暑さがこもってきて、夕闇に煙の立ちこめる火事の様子さえその家のどこかに隠れて観ていたような錯覚を起こさせる。

その空間で、主役の尼子鬼平を演じ島田さんの声が圧するように響く。手を伸ばせば届きそうな距離で。贅沢なことだ。

歳を経て妖怪めいた大蜘蛛と、同じく長い時を経た器物たちと。骨董に取り憑かれた主と妻や娘と。その中で、鬼平の放つ気だけが異質であった。

野心も打算も執着も憎しみも、現世めいた色を放って彼らの中で浮かび上がるように見えた。

盲いたそぶりが生々しい。そういえば所属されている劇団でも盲目の兵士を演じたことがあったはずだ、などと脈絡なく思い出す。

年代物の大壺を演じた村上さんの堂々たる存在感。名刀の贋作を演じた小口さんの感情の振り幅。幽霊絵を演じた金子さんの儚い美しさ。妖怪めいた大蜘蛛を演じた吉田さんの飄々とした風情。

事件を担当する刑事役は、やや道化た吉田さんの動きに他のキャストが声を当てた。傀儡めいた刑事の世俗感は、鬼平とは別の意味で骨董商の屋敷に住む者たちとは異質であった。

吉田さんはその上に、澄んだ音を響かせる木魚ほどの大きさの打楽器やその他名前も知らないようなさまざまな楽器を駆使して、音楽やその他の音を生み出して、この不思議な物語を支えた。

三英花 煙夕空

三英花 煙夕空

あやめ十八番

浄土宗應典院 本堂(大阪府)

2017/10/07 (土) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

大阪での公演は、浄土宗應典院というお寺であった。本堂はホール仕様で、「シアトリカル應典院」と名付けられ、演劇や音楽など様々なジャンルの催しが開催されているとのこと。

会場が変わり、音の響きや照明が変わり、キャストが変わって、東京公演の濃密な仄暗さとはまた違う、エッジの効いた明暗を感じさせる物語となっていた。

硬質な印象を与える音と光。碁盤を模した床の上を人々がうごめく。

大阪公演では島田さんに変わってあやめ十八番主宰の堀越さんが尼子鬼平を演じた。なるほど、演じる人が変わるとこれほど印象が変わるのか、と思った。

古物商の屋敷の中にあって、どこか異質だった尼子鬼平が、ここでは古物たちと同じ匂いを感じさせる。

本堂をイベントホールとして使用するとき、通常はお姿を見えないようにされているご本尊を、この公演では正面に据えての公演であった。碁盤状の床の上で、傀儡であったのは刑事ばかりではあるまい。差し手は誰なのか、因果応報という言葉が刻んだように脳裏に残る。

物語の輪郭が鮮やかに浮かび上がって、なるほど、なるほど、と思う。

ご本尊の見守る中で、妖怪めいた器物たちや人間たちの織りなす運命と皮肉の物語。

東京と大阪、両方でこの作品を観られたのは稀有な経験だったと思う。

カーテン

カーテン

日本のラジオ

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2017/09/30 (土) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

某国の劇場を武装した集団が占拠した。投獄されているらの指導者を解放せよ。要求が聞き入れられなければ人質を巻き添えに自爆する、と声明を出して。

物語は、劇場が占拠された数日後から始まり、制圧される直前に終わる。その間に劇場内で交わされた会話から、彼らの目的やそれぞれの出自、思惑が浮かび上がり、そして……。

ドラマティックなはずの題材を、少人数の会話を中心に淡々と描いた、余白の多い芝居である。観終わった後いつまでもいろいろと考えてしまうのは、そこにこめられていた情報量がとてつもなく多かったからかもしれない。

90分の時間とホールの空間を満たした濃密さと空虚さが、遠い国の歴史を聞かされたような儚さに似た余韻を残した。

ネタバレBOX


会場は三鷹芸術文化センター星のホール。ほんの少し前にも他の作品を観るために訪れた場所だ。

しかし、開場して通されたのはステージの上に組まれた客席だった。目の前には幕。この幕……というよりカーテンが開いたとき物語が始まる、つまり客席を使って芝居をするのだろうということは、座った時点で予想できた。

カーテンのこちら側で、劇団の名物でもある(←)独特の味わいのある主宰の前説。そのあと、カーテンの向こうからも改めて前説らしき声が聞こえ始める。Mrs.fictionsの今村さんだ。15mmなどで聞き慣れた前説の口調であらためて諸注意を……いや、そうではない。気がつけばそれは独立武装戦線「海鳴り」の声明であった。

そして幕が開き、現れた光景の異様さに目を引かれる。客席のあちこちに散らばって座っている人々。それぞれオレンジ色の布のようなあるいは頭巾のようなものをかぶっている。その布を取ると物語に登場し、客席のどこかに座ってまた布をかぶると物語の上から一時退場した形になる。

布で顔を覆われている間は、劇場内の人質を表しているのだろう。オレンジの布は某テロ集団が人質にかぶらせていたものに似ている。そして、なぜかキャストの15人より多い人数が顔を覆われて座っていた。

舞台となっているのは架空の某国。本土と島の対立は、単純に都市と地方の対立というだけではなさそうだ。

対する武装集団の中にも島出身者もいれば本土やあるいは異国からきた者もいて、それぞれの出自によって使う言葉が異なっている。本土の言葉、島の言葉、島の辺境の言葉、日本語、それぞれの片言などがあって、もちろん舞台上ではすべて日本語だけれど、敬語や方言めいた言い回しの使い分けで、区別がつくようになっている。

言葉に現れる住民性や彼らの経てきた歴史。

そういう言語の使い分けに気づいたのは舞台が始まってしばらく経ってからだった。最初からその辺りも意識して観たら面白いだろう、というのが2度目を観に行こうと思った最大の理由かもしれない。

何も起こらない芝居だった、という感想を目にした。そういう意味では、出来事の前後や外側(あるいは内側)の「会話」を綴った物語だと言えるかもしれない。非日常の中の日常的な会話を淡々と描写しながら、事件が起こるまでの過程や人々の辿ってきた道を想起させる。

日常的、たとえば、少女が手にしていたアイスキャンディー。バナナ味なのかマンゴー味なのかそれともメロンなのか、それぞれが違う意見を言う。ただチョコミントでないことは確かだ。ミントの刺激を「からい」と表現した島の少女。島ではからいものは好まれない。さきほどの言葉に表れた白黒つけない住民性と食べ物の好みと。

日常的な会話の向こうに見えるもの。

少女は、巫女の末裔であり、三姉妹の末妹である。彼女は、若い同志のひとりに淡い想いを向ける。別の若者は、彼女に少し惹かれている。獄中にいる英雄は、巫女の次女と夫婦となっている。

会話の端々から伺える人間関係。ひとつひとつの会話に、登場人物ひとりひとりのこれまでの人生や想いがのぞく。

長女のおだやかな寛容と、次女の潔癖さ。長女と次女はそれぞれ違うものを見ていたのかもしれない。彼女たちが相手の頭上に手を差し伸べる仕草を人々が自然に受け入れる様子に、島に根付いた信仰が伺える。

奥行きのある人物描写に15人のキャストの魅力が充分に生きた。

それぞれあまりにもハマリ役だったので、終演後のロビーで「宛て書きですか?」と主宰で作・演出の屋代さんに尋ねた。そうではない、どちらかというと演出でキャストの持ち味を取り入れている、というふうな(←正確にはどう表現されたか覚えてないのですが)お答えだったように思う。

武装勢力の全滅、とあらかじめチラシにも書いてあったが、ラストでそれについて言及されるまで実はまったく頭になかった。

序盤で、若者に向かって、お菓子を食べてきたらいい。遠慮することない。どうせもうすぐみんな死ぬんだから。というワダツの巫女の末裔 ソン。

終盤で彼女は、うつろな表情で歩き続けていたグループのリーダーが言う「この世は生きるに値しない」という言葉に、ウゴくんも気づいてしまったか、と呟いて歌い出す。

1度目に観終わった後、この物語に登場していた人物はすべて死んでしまったのかしらと思ったけれど、2度目に観て気づいた。そうじゃない、だってラストシーンで「後から聞いた話によると……」と言ってるじゃないか。生き残った者もいるのだ。でもそれは武装集団の誰かではない。

甘い匂い。甘い……匂い。まもなく催眠ガスが充満する劇場に漂っていたのは、神に捧げられる供物の甘さか、あるいはアイスキャンデーの匂いか。その直後に「みんな死」んでしまう武装勢力。人質のうち、誰が死んで誰が生き残ったのか。

観終わったあとも、そんなことをいつまでも思い続けていた。

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