末原拓馬の投稿したコメント

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- 風呂屋 様 主宰者の末原拓馬です。投稿ありがとうございました。なんと・・・!あの8人の回にいらっしゃったと言うことは、たぶん僕、あなたがどなたであるかわかります。あの場にいらした方(スタッフを除けば4人です)のお顔はすべて覚えておりますので。 あの回については、いろいろな場所で「半分はスタッフ」と言う風に述べているんです。もちろん、いかにどん底であったかを述べたい話なので、そこで語る人数は少なければ少ない方がいいのですが、客席に8人座っていたのは事実なので、むしろ「4人しかいなかった」と(ある意味、見栄を張って)書きたいところなのですが・・・、事実を曲げるのは良くないと思いまして、今回はしっかり、8人と書きました。 それにしても、あの日は驚きました。前日の予約はお1人、そのお1人が当日の朝の時点ではキャンセルされたのですから!風呂屋さんはじめ、当日券で入ってくださった4人に心から感謝です。あの場に居合わせて下さった事、いつか誇らしく思っていただけたらと、必死で努力して参りました。 コクーンは・・・見栄と言うか、なんつうか、本当に憧れてしまったんですね・・・。困った目標を抱いてしまったものです。どんなに盛況な公演を行う事が出来ても、コクーンに辿り着くまでは一向に焦燥感が消えてくれない。渋谷に行く度になるべく劇場を訪れるようにしていますが、あの場所でおぼんろ公演が行われることを想像すると、血がたぎりながらも、うっとりとしています。 都庁は・・・これも、見栄、と言うか、44ステージを共に寄り添い応援してくださった参加者のみなさまに感謝するための日だったので、どうしても特別な場所を用意したいと思ったのです。身の丈に合わない事も公表した上で、・・・いやぁ・・・がんばりました。パーティー参加費を「言い値」としていたため、とてつもなく予算がかかりましたが、主宰である僕の自腹でまかないました。・・・なんて書くとまるで僕が大金持ちであるようですが、もちろんそんなわけがなく、その後の数ヶ月、大変な暮らしになりました。でも、金額はどうあれ、自分に出来る最大限の金額を使っておもてなししたいと言う思いでした。騒がしい一晩でしたが、とても幸せな時間でした。 などと言う、思いだけが先走る運営をしていたため、あの「流出問題」が起きたのだと考えています。これまで勢いだけでやってきたことのツケが来たのだと、本当に拙い思考で申し訳ないながら、あの時にようやくハッと気が付いた有様でした。サクラのコメントは僕自身は感知していないのですが、好意的な励ましをくださった方からの連絡も確かにありつつ、ひたすら申し訳なく絶望しました。 二度と同じことが起きぬよう劇団体制を変革させる事に半年以上の時間をかけました。身内での運営をやめ、今回の公演では制作会社に運営をお任せすることにしました。大変なご迷惑をおかけしてしまったこと、改めてお詫び申し上げます。 風呂屋さんが僕らを護射撃をしてくださっていたこと、心から感謝しています。「フライヤーをください」と話しかけてくださったこと、覚えております。そのご期待を裏切ってしまったこと、とても申し訳なく、残念に思っています。 小劇場にはたくさんの素敵な劇団があります。おぼんろを嫌いになったからと言って、他の皆様にまで絶望する必要はありません。 本当のことを言えばまた風呂屋さんとお会いできればと思っています。 投稿、ありがとうございました。
2015/03/14 10:08
666 666 主宰の末原です。 厳しいご意見、ありがとうございます。 とても参考になりますし、真摯に受け止めたいと思っています。 なんの疑いも無く、観客が味方であると考えている訳ではないのです。 一人としてファンのいなかった時代、 そもそもを路上演劇から始めた僕にとって、 公演に際して観客はひとりとして用意されているものではなく、 毎日そこでパフォーマンスによって出会い、味方にしなければならないものでした。 それはもちろん、遣り甲斐のある闘いでしたが、 端的に言えば、抱いていたのは、恐怖です。 毎日、緊張でお腹を下しては、街に出ました。 長い前説、 賛否が分かれていて、 本人としても、そうだろうな、と思っている部分も多くあります。 もちろん、あれは路上時代の名残で、 「ずっとこれをやってきたんだ」と言う誇りもあるにはあります。 小劇場会でそれぞれのキャリアを積んできた僕らですが、 「ノルマで観客を呼ばないで済む劇団にしよう」、 と考えてこれまで努力してきました。 ひとりひとり、心を込めて参加者に出会ってきたつもりですが、 それがいまでは「内輪」となっていること、 そしてそのことによって、初見の方々が入りにくい公演になり始めていること、 ここ最近になって、多く指摘いただくようになりました。 これに関しても、僕は複雑な思いでいます。 「内輪受けめいた公演が腹立たしい」と言う意味が、僕自身とてもよく分かるからです。 一方で、身内のように応援してくださる方々が多くなったことは、 ただただ感謝をしていて、僕の中に誇らしい気持ちもあります。 かつては路上で誰にも見向きをされず、 泣きながら帰った日もかつてはあったのです。 いろいろなことを考え直す時期に来ているのかもしれないと、 いま、考えています。 個人のい痛々しい演技に関しては、これはただ、いち俳優として高見を望むべく日々の訓練を積んでいく心づもりです。お恥ずかしい限りです。 わざわざご来場いただいたのに楽しい時間を過ごしていただけなかったこと、 申し訳ございませんでした。 「忘れない」と言うそのお言葉の意味をポジティブに覆すことができる日がくるように、 これから切実に努力してゆこうと思います。 ご来場、ありがとうございました。
2014/08/11 13:55
隼 投稿ありがとうございます。 おぼんろ末原拓馬です。すべての投稿にコメントを返すことができないのですが、フと目にすることができたので、お答えしたくコメントします。 すごく鋭いご意見伺うことができて嬉しく思います。 実を言えば、公演一回一回の瞬間動員に関して言えば実のところさほど増えている訳ではなく、今後、動員計画もよく見直していかねばならないと考えているところでもあります。まさしくおっしゃる通り、他力本願でみなさまに助けていただいてここまでくることができたのがむしろ稀で感謝してもし足りないことであると考えています。これからは、広く様々なメディアに向かって露出していくことが必要と言うのは本当にその通りだと考えていて、僕自身、昨年から外部出演や映像の仕事を増やし始めました。それでも、ごく一部の運と実力、それをつかむ努力を積むことができた人間だけが成功をつかむことができる世界だとは承知の上で。 コクーンについてですが、そうなんですよね・・・。まさしく、小劇団の目指す劇場ではないと考えています。そもそもの発端が、演劇を始めて1年にも満たない頃に「このひとが日本一だ」と言う演出家の公演を観たのが、コクーンだったのです。野田秀樹さんでした。続いて、「ここが一番人気のある劇団だ」と言って連れて行かれたのも、コクーン。これは、ナイロン100℃でした。 「バイトをしながら演劇を続けて、30代になったらフェイドアウト」と言うのが多くの演劇人生のあり方だ、と先輩方から聞いたとき、自分もそうなること、アマチュアのままで終わることに恐怖を覚えました。なので、一流になる、と言うことの宣言として「シアターコクーンを目指します!」と心に決め、そして怯んで逃げ出さぬように、有言実行すべく、公言したのでした。 もちろん、まだ演劇界のことさえろくに理解していない頃のことでした。そこから、様々な商業現場も経験し、いろいろと情報をかき集めるにつれ、どう考えても、小劇場の劇団が、「ファンを集めて」シアターコクーンのような劇場に進出することなど極めて前例のないことだと言うことを知りました。遡ってみれば、以前に自分が観た多くの公演も、いわゆる「有名人」が複数人出ていました。それほどに、演劇に観客を動員すると言うことは、難しい時代なのですね。 ああ、これは、とんでもない宣言をしてしまったぞ、と思う一方で、これは成し遂げられたらものすごいことだぞ、と言う気持ちが勝り、今に至っています。現実はどうあれ、作品や思想、現象に人が集まることこそを、僕は芸術に期待している部分があります。それを、証明したい。 ものすごく難しいことも理解はしていて。タレントをキャスティングすることなども勧めていただくことが多くなったのですが、作品には世界を変える力があるんだと、青臭い考えですがひたすらに信じたく努力をしてきました。 これからもっと、もっとよく現実的なことも考えてみます。ご意見いただけて嬉しかったです。 まだまだ未熟な僕らですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。
2014/08/11 13:32
ふじたん ふじたん たくまです!ご来場ありがとうございました! フラッシュの件、なんだかいろいろごめんなさい(><) たくまが曖昧なルールを布いたために。。。。 ぎゃあ ただまあ、積極的に写真を撮ってくれたというのは、七五三の少年よろしく嬉しい気持ちだったりもするから困ったものです。 フラッシュに関しては・・・・ 正直、主宰としては「そこまで考えてなかったぁ・・・」というふがいない状況なのですがm(><)m まあ、【おぼんろ】はみんなでやる遊びであるからして、そういうことなら、次からはフラッシュのないカメラで!と言う新ルール制定しときます!で、いかがでしょう?? ぜひにもう一度ご来場ください! そして、拓馬の前で、オヤジ♪さんと肩組んで写真撮ってください!! けけけ。お待ちしてますからね! とびきりのジョウキゲンをふじたんさんに!
2013/06/06 14:55
- たくまです! どうか怒らないでください(><) そもそも、拓馬がしっかり言っておくべきだったのでした。。。 もう、これは、水に流しましょう~。 うっかりは誰にでもあるし、みんなでやる遊びなんだから、 みんなでこれからルールを決めていけばいいですね! そして、仲直りして!! 本番中の劇場は拓馬にとって唯一の心の癒しどころだから、 みんなニコニコしていてほしいのです☆ 今日も元気に頑張ります!!
2013/06/06 14:48
- なにをおっしゃいますか。迷惑なんかじゃないですよー! ご来場ありがとうございました。 とっても嬉しかったです。 むしろ素敵な思いを込めて演じることができました。 ありがとうございました。 明日もがんばって参ります☆
2012/05/14 00:27
石毛トカゲ 石毛トカゲ コメントありがとうございます! なんだかとても素敵に俺おことを言い表してくださっていて、ただただ、もう嬉しくて感激してしまいました。あまりにかっこいい言葉に便乗するのも照れくさいところなのですが、しかし、どんな場所でも自分たちさえいれば物語が紡げる、というのはまことに、我が理想の状態であったりします。理想が見えたところで、足りない能力や、必要な技術がありありとわかってきている今日この頃でもあるのですが、より一層の努力を積んで、参加者みんなでもっともっと濃密な物語りをすることができるように備えたいと思っています! 演劇って、どこか宗教的な意味合いがあるとは本気で思っていて、そして、宗教って、もろもろスタイルは違えど、どの宗教も言っていることは同じだったりするというようにもおもっていて、だから、仏教の教えとお芝居がリンクするというのも、実はとても言い得ているところなのかもわかりません。 ああ、本当に嬉しいコメントです。 ありがとうございました。 これからも どうぞよろしくお願いします! たくま
2011/11/03 19:35
米櫃 米櫃 ご来場、そしてうれしすぎるコメント、ありがとうございます! まさにまさしく、みんなで創った作品です。「足元の腐葉土のイメージ」は、実は俺も物語の最中に感じていたものでした。不思議・・・・。仕込み日には、ずいぶんとカラッとしたイメージだった劇場内が、千秋楽には、もりであるとか、海であるとか、マーブル状の夢幻の世界におもえたものでした。 推薦いただけたこと、本当に嬉しく思います。お陰様で、公演期間中、続々と「クチコミを聞いて、来てみました」という方にご来場いただくことができて、ああ、本当に心から、うれしかったのでした。どうやって、みなさんに出会うか、常日頃思い悩む我々です。出会いは宝物。心の底からそう思います。 我々一同、これからも必死で物語りをご用意させていただいてお待ちしております。 どうぞ、完成させるべく、今後ともご参加いただければと思います。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに。 たくま
2011/11/03 13:51
さとし さとし ご来場、そしてうれしいコメントありがとうございます! ご来場いただいた皆様からいただくご協力で初めて完成する公演、いつもワクワクしながら開幕し、泣きそうなくらいの感謝とともにカーテンコールに行きつきます。なんなのでしょうね、あの、人間が集まるときの、超常的なエネルギー。ゾクゾクします。 前説の長さを、仲間たちに指摘されながら、どうしても、参加者を前にするとしゃべりたいことがあまりにたくさんで、もう、楽しくて楽しくて、ついつい、長話をしてしまう、まったく、「井戸端じゃないんだから!」というほどに饒舌な僕でした。 僕以外の4人の語り部も、本当に素敵だったでしょう?? もう、みんな本当に大好きで、自慢したくて仕方ない自分がいたりもします。全員、僕からみたら大の先輩で、様々な教えを乞うている日常なんです。 これからも、心を込めて物語りを紡いでいきたいと思います。 どうぞまたご参加いただけますと幸いに思います。 キンキラキンのラブをあなたに。 感謝のうちに。 たくま
2011/11/03 13:40
土反 土反 ご来場、そしてコメント、ありがとうございました! いまのようなスタイルになりまでには、様々な経緯があり、たぶん自分にとって大きかったのは路上で延々と一人芝居を続けていたことが大きな要因であるようにもおもうのですが、とにもかくにも、ご来場いただいたみなさまのお顔をしっかり拝見できるので、ステージごとに、とても幸せな気持ちになります。 チケットのシステムも、まさに投げ銭からの進化ですね。けれど、ゆくゆくは劇場公演でも、料金はお帰りの際にいくらでも構わない、後払い形式にしたいなと思っています。。。。 シアターコクーンで後払い、て、とっても素敵なように思います。 なにはともあれ、まだまだクオリティをあげていきたい思いでいっぱいです。 真摯に真摯に、鍛錬を重ねたいと思います。 今後とも、どうぞよろしくお願いします! 心から、 ありがとうございました。 たくま
2011/11/03 13:33
きの きの ご来場、本当にありがとうございました! 小学校の時以来!でも、実際問題、そういうものかもしれません。演劇って、本当はものすごくパワーのある媒体だと思うのに、どうにもこうにも、やはり存在として遠い。 かくいう俺も、大学生になって演劇を始めるまでは、学校の“芸術鑑賞教室”以外では演劇なんて観たことも聞いたこともないような人生でした。 なにかを伝えることができたみたいで、とっても嬉しい気持ちになりました。記憶に残る、感覚に残る、というようであればいいなと心から思っている次第でありまして、書いてくださったような「思い出しゾクゾク」なんて、うれしくて仕方がありません。 これからも、真摯に真摯に活動していきます。 どうか、またご参加いただければ幸いに思います。 キンキラキンのラブをあなたに 感謝のうちに。 たくま
2011/11/03 13:05
土反 土反 うれしいご投稿ありがとうございます! いまやっているスタイル、いつの間にか自分たちのスタイルになったもので、我々は心から信じて行っていますが、いったいみなさまのどのような体験になることができるのか、とても気になっているところだったりもします。ぜひぜひ、ご感想お聞かせいただけると幸いです。 残りステージ数わずかとなったのですが、最後まで全力で突っ走りたいとおもいます! これかrまお、どうぞよろしくお願いします! たくま
2011/10/28 12:41
くれない くれない ご来場と、そして、素敵な投稿いただき、ありがとうございます。 はっきりと数字のお話をしたので、違和感を持たれたのは、当然だと思います。正直に申し上げれば、数字の話と言うのはとてもいやらしくなりがちですし、元来我々芸術家の目指すところは、そんなものとは無縁のところにあるというのは、僕も間違いなく思っているところです。 一時は路上での一人芝居を行っていた僕ですが、そのころは、観客がひとりということがザラにありました。それでも、出会えることの喜びがあまりにも大きく、そのひとりのために、30分間の物語をやり遂げる、そこに僕が感じたのは、卑屈さや劣等感ではもちろんなく、間違いなく、喜びと、誇りでした。路上で、地べたに座ってくださった相手に対し、目を見て、なんなら雑談をしながら、その人用の物語を、その人のために紡ぐ。 これが、僕が演劇のために人生をささげようと考えた原点です。 客入れの時間や、前説、後説で、あそこまで多くの言葉を発するスタイルは、まさしくこういったことの延長として存在しています。我々は、来場してくださったみなさまの顔をほぼ覚えていて、ふてぶてしくも、勝手に、「この方は、俺らの仲間だ・・・・」という気持ちでいます。それは、会場でもお話した通り、あくまでみなさんを“参加者”とみなさせていただきたいということであり、また、みなさんなくしては、我々は物語を紡げない、ということに大きくかかわっています。 こんな僕ですが、一時は「観客なんかいなくても・・・」という方面を模索したこともありました。しかし、どこをどう考えても、僕がしたいのは、誰かの心に何かを贈ることであり、そうすることで、何かを感じていただき、そして、世界を変えてゆくことでした。 数のお話をわざわざさせていただいたのには、そういった意図があります。 生業にしてゆかねばならないという思いはあるものの、まったくと言っていいほど金銭への執着はなく(僕らのスタイルをご覧になっていただければすでにバレているかもわかりませんが)、そんなことよりも、とにかくより多くの人間で集まって、物語りを紡ぎたい、ただただそこに僕のこだわりがあります。物語りは世界を変える。科学文明に翻弄されて、世界が混沌とし、他者への想像力g欠落したこの時代にこそ、本当にそう信じています。シアターコクーンというのは、僕には目安でしかないのは事実です。ある意味では、今のスケールが、一回の公演としては完成形に近いと感じています。では、なぜシアターコクーンという名前を出すか。演劇を始めたころに、「ここが日本の演劇の中枢だよ」と教えられたのが、シアターコクーンだったんです。てっぺんにいきたい!というのも、目的のための目的にもみえてあまり好きではないのですが、「演劇で世界を変えよう」と、ポーズだけではなく本気で信じる以上、その水準には到達したいと思っています。 演劇を始めた時期に先輩たちが、「演劇に力なんてない」というお話をしてくださいました。演劇は古典芸能であり、存在を継続させることにこそ意味があるのであり、演じる側のために、存在するのだと。 それを聞いて僕は、少なくとも僕がやりたいのは、そういうことではないと感じました。丁寧に丁寧に、真摯に物語を紡いで、体験していただくことで、必ずや演劇はエネルギーやパワーを得る。そうすれば、映画やテレビに負けない潜在能力が、必ずや演劇にはある。そこに賭けて、全力で今夜を叫ぼうと思います。 “物語りスタイル”を広めたいというのは、本気です。そこに賛同いただける方がいらっしゃるならば、おの旗は僕がどうにか離さずに掴むから、一緒に歩んではいただけないか。そのような思いです。それは数字とは無縁の旅ではありますが、とにかく歩いてゆく道しるべとして、シアターコクーン、5万人というものを、設定させていただいました。そして、こう有言してしまったからには、もはや背水の陣。ぜったいに、実行するまでは逃げられないぞと言う、自らへの発破でもあるのです。 長々と書いてしまいました。 どうか、伝わって欲しいという思いです。 どんなに数を目指しても、僕らは変わりませんし、 変われません。 貧乏劇団のまま、数万人に増殖した“参加者”とともに日本の中枢に乗り込む。 そういう、いまだかつてない姿を夢に抱いて。 これからも真摯に、全身全霊を懸けて物語を紡いでいきます。 また会える日を、楽しみにしております。 もし万が一、僕がブルジョワにでもなって様子がおかしくなっておりましたら、 どうぞパカシと頭をはたきにいらしてください。 この文章は、そのときのための、誓約書となります。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに たくま
2011/10/25 12:00
びーだま びーだま ご来場と、コメント、心から、感謝させてください。 「心に残る」それだけを指標に物語りをしてきました。把握できないほどにたくさんのエンターテイメントが巷にあふれて、余韻に浸る間もなく次から次に新たなものが現れては、消え。 しかし、ものの量が増えることは、必ずしも満足度や心の平安を濃密にしてくれるわけではない、それは、この時代を紐解く上では、多く語られていたことでもあるように思います。(我々俳優も、一歩間違えると“売れたい”“有名になりたい”という即物的なモチベーションに陥りがちです) 一表現者として、なによりも、参加してくださった方になにを贈ることができるか、その方の人生において、どれほどの価値ある時間であることができるか、ただただその一点に対して真摯に真摯に、物語りを続けていきたい所存です。 常に、全力で、本気で。 毎日毎ステージ、違った思い出、空気感で、みなさまと対峙することを心がけております。 のこり8ステージとなりましたが、これからも心を込めて紡いでいきたいと思っております。 どうか、見届けていただければと思います。 また会える日を心待ちにしております。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに たくま
2011/10/25 11:27
たけこ たけこ 二度目のご来場、ありがとうございました! リピーター・・・・観劇しながら向かい入れさせていただいています。 元来のずうずうしさをフルに発揮させていただいて、参加者を仲間と思い込む癖のある我々おぼんろ、もちろん、お顔も覚えさせていただいております。 初日よりパワーアップ、というのが許されるのかどうかということはとしもりさんともよく話すことなのですが、いかんとも、5人で創っているわけではないのが厳然たる事実でして、一日につき数十人の参加者の皆様が、この物語を体験してくださり、そして確実に、置き土産をしてくださる。 物語りに深みがまし、パワーが増すのは、必然と言う気がしていたりします。 神聖さは、日々増すばかりです。そして、やはり毎晩、新たな感覚と出会っている。ゾクゾクしながら、声をからして演じる日々です。 本日から折り返しになりますが、真摯に真摯に、紡いでいきたいと思っております。 どうか、31日までじっくりと見届けていただくことができればと思っております。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに。 たくま
2011/10/25 11:14
ハルナナイロ ハルナナイロ ご来場ありがとうございました! コメントありがとうございます。ブログまで、読ませていただきました。 がんばります。うれしいんです、がんばれと言われるの。 必死でやります。 このスタイルについて書いていただけて、とてもうれしく思いました。なにせ、どんなに戦略を立てようとも、参加者と一緒に物語れる本番中にしか、実際のところはわからないところが多々あるのが当然の事実なのです。ましてや、演出家本人が語り手として物語世界にいるため、参加者の意見と言うものに、ものすごく重要な意味合いを感じています。 いかがでしたでしょうか。 おっしゃるとおり、試行錯誤の日々です。もともとは僕が路上で一人芝居をやっていた経験をもとに、いまのようなスタイルがやんわりとできてきました。大道芸と言うのはそもそもが、観客とのコミュニケーションの上に成り立つものでもありますし。その頃もいまのような化粧や衣装で行っていたのですが、大前提、僕はスエハラタクマとしてそこに立っていますし、始まる前には、「このお菓子食べ終わるまでは、ここにいて。あなたがサクラ役になってくれたら、他の人もよってくるんだから!」などと会話をしてから、始めるわけです。もちろん、路上にあるのは、街だけ。語りと身体表現だけで、物語を成立させねばなりません。 この体験は、とても大切なものだったようにおもいます。それまでは、とにかくお金を懸ければいいものが創れて、逆もまた然り、そんな思いに、どことなく縛られていました。いっぽうで、そういう資本的なものが問題になってくるのであれば、すでに売れている劇団には、いかんともしがたく劣るのであり、他に劣っていると自覚しながら表現をするなんて、いったい、なんだそれ。 そういうジレンマがありました。他現場に入り、流れるお金の勢いを目の当たりにして腰を抜かすこともたびたびでした。 では自分が観客ならばどうか?というところなのですが、そもそもが貧乏性なのがわるいのか、振り切ってしまって、もはや高級なものを見ても感動できない、というところがあるのも事実でした。絢爛豪華なセットを観ても、やはりハリウッドの3Dのほうが迫力があるように感じてしまい、ましてや、「豆粒」な距離でどんなに叫ばれようとも、傍観者でしかいられない。 その、芸術的な価値は重々理解でいるいっぽうで、それらによって、自分の感性や人生が変わってしまうことは、もしかしてないのではにのだろうか、そう感じたのでした。 (もちろん、一概にそんなことはないのですが) 記憶。 いま、生まれてきてからの記憶を検索してみて、思い出せるもの、それは、観た映画や舞台ではなく、僕にとっては、家族であったい、友人であったりとともに、体験したものごとであったりします。そう、体験です。 この、体験と言うラインにこそ、僕は光明を観ています。 映画、テレビ、音楽、ゲーム。 本当に、おもしろく派手なものは無限にあふれてしまっている。では、心は豊かになったか?というのはよく話されることで、どうも、いろいろな感覚が鈍麻しているなあ、と自ら思うのです。 長々とかいてしまいましたが、 これからも、より体験として根強く感じていただけるよな物語りを繰り返していくことがでいたらと思います。もしよろしければ、一緒に考えていただけたらと思うのです。このスタイルは、全員のものだと思っています。 またお会いできるときには、さらに濃密な物語りをしましょう。 その日を楽しみに。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに。 たくま
2011/10/25 11:05
こぴ こぴ ご来場と、コメント、ありがとうございました。 独特の世界観は、我々(スタッフ含め)語り手たちはお手伝いしたに過ぎず、物語中に見えていた景色は、ひろこさんが想像した世界かも知れません。どんな奇跡だったのでしょうか。伺いたいようにも思います。夢幻の世界。もしもう一度ご来場いただける機会がありましたら、よりはっきりと、その世界をみてみてください。脳の神経は、つかえばできてきありする、と聞いたことがあります。簡単に言うと、普通のひとはカブトムシ10匹がいても、どれがどれだか見分けられませんが、毎日世話をした人間だと、どのカブトムシがどのカブトムシだか、見分けられるようになる、と言うのです。これは、脳の構造が、細分化されたからといいます。 いきなりサイエンスィフィックなことを語ってしまい申し訳ない限りではありますが、想像力や、感覚と言うのも、これと同じ類のことなのだと思います。トレーニング次第で、いくらでもつよくなる。 たとえばこの物語スタイルが日本中、世界中のスタンダードになって、人類がみんな、卓越した想像力をもって生きるようになったとしたら。 なんだか、その時代は、ものすごく素敵な気がしてならないのです。人類はすでに壮年期に入っている、なんていう説もありますが、今一度、自由な発想を手に入れた、キラキラとした我々であれたら素敵だと。 政治も経済も科学もからっきしな僕は、そういう風に、世界を変えていけたらと思っております。 て、ごめんなさい、本当に。 なんだかつらつらと、わけのわからないことを書いてしまいました。 でも、いただいたコメントを読んで、そのようなことを、改めて考えてみました。 これからも、必死で精進してまいります。 どうぞ、よろしくお願いします。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに たくま
2011/10/25 10:38
- ご来場ありがとうございました! 期待していただけることは本当に幸福なこととシメシメしております。見守っていたください。必ずや、どんどんとステップアップしますから。「どんどん」。これは、足音の擬音語なのでしょうか。本リア俳優は足音をたてずに動き回るのがよいとされていますが、僕は地面を踏み鳴らすのが好きだったりします。上品さよりも、スピードが欲しい。どんどん!どんどん! いつの日か、オヤジ♪さんの心の扉をどんどんと叩きますので、どうぞ招き入れていただければ幸いです。 と、なにやら噺家めいた文章になってしまいましたが、これからも真摯に物語を追求してまいりたいと思っております。なにとぞ、見守っていただければ幸いです。 前説についても、更なるブラッシュアップをお約束します。 今後とも、どうぞよろしくお願いします。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに たくま
2011/10/25 10:27
Rezar Rezar ご来場ありがとうございました! ものすごく、ものすごく細かいところまでご覧になっていただけて、本当にうれしく幸せな気分でs。まさか、別演目との衣装の使いまわしまで見破られてしまうとは・・・・ 笑 キンキラキンのラブ、という言葉、まるでコメディに使われるような単語ですが、何度も何度も声に出して、何度も何度も、そのことを考えました。愛や正義や平和は、一昔前に使い古されてしまったのか、俺が生まれてきたころにはずいぶんと、まるで恥ずかしい物体であるような教えられ方をしたものでした。 じゃあ、ラブなんて、いらないの?というと、少なくとも俺らはそうは思わなくって、やっぱり、何歳になろうと、どこにいこうと、どんな時代であろうと、突き詰めれば俺らに必要なのはそれだけであって、それさえあれば生きられるのであって、それがないと不幸な気持ちになるのであって、そして、そして、絶対に、誰もが持ちえるものであるのだという、その結論で.. .諒一はいまでも森の中を彷徨っている。きっと、永遠に、暗い森の中を、鳴き声なのか怒声なのか、笑い声なのかも聞き分けられないような声を漏らしながら、ゆらーり、ゆらーりと、彷徨い続けている。本来、ハッピーになるために物語りをしている自分としては、(ましてや愛するサヒガシさんに)こんなに恐ろしく哀しい役を書いてしまうのは、大きな決心が必要でした。けれど、彼の存在を否定するのでは、それは、21世紀をごまかすことになってしまう。そう考えたのでした。 拓馬が最後に、キンキラキンのラブを見つけることができたのは、みんなのおかげだし、狼少年ズとしては、「三人のうちだれかが幸せになれた御の字だ!」というのは、たぶん本音であって。おぼんろの実生活がそのまま板に上がったような物語だなあ、とおもっています。 すいません、関係ないことまでたくさん書いてしまいました。 折り返しです。 のこり8ステージ。 毎回、ぜんぜん違う感覚を得ながら、ものすごいう旅をしています。 心して、物語って参ります。 また会える日を楽しみに。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブを、あなたに。 たくま
2011/10/25 10:18
エミリー エミリー ご来場、そして素敵な感想、ありがとうございました! 感性豊かにご参加いただけたようで、なんとも幸福な思いを抱いております。水の匂い・・・・感じていただけましたでしょうか。素敵です。そういうお話を聞くと、もっともっと、いろいろな場所に、一緒に行きたいと思います。執筆も稽古も、なんの苦にもならず、はやる思いを抑えるのでやっとなくらい。 舟のシーンなど、昨年にはなかったものを追加するということで、ドキドキしてしまったものですが、印象に残ってくださったようで、勇気をだしてよかったとガッツポーズをしてしまいます。不思議ですよね。昨年度版がある意味完成形だと思っていた時期には、新たな場面を加えるなんて違和感が強かったのに、いまでは、その場面がないことは想像もできないのですから。 いまのこと形態を、しっかり確立していきたいと思っております。 さし当りは、みなさまのお座りいただくお席の座布団を、せめて二倍にはふっくらにさせていただきたく存じます。 これからも、真摯に真摯に、表現の追及に努力を惜しまない心づもりです。 どうぞ、今後とも見守っていただけると幸いに思います。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに たくま
2011/10/25 10:05

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