満足度★★★★★
めざせ!シアター・コクーン
池袋d倉庫は,本当に,倉庫のようなものだった。この劇団のチラシが,あんまり魅力的だったので,足を伸ばした。「ビョードロ」とは,何だろう。この物語では,「ジョウキゲン」が場面の途中で生れる。この「ジョウキゲン」は,何かを感染させるものらしい。ビョードロの血によって,ワクチンが作られるという。それによって,「ジョウキゲン」は撃退できるのだ。空気感染するほどの影響力を持つにいたって,ガス・マスクのようなものが用意される。これを,ビョードロたちが使う。ガス・マスク使用中の,ビョードロたちは区別がつかない。片方のビョードロには父親がいたようだ。この父親は,頑固オヤジで,救いがない。終盤にはいって,あやまって,自分の息子を殺害してしまう。あわれ!
細菌兵器の存在を擬人化したものなのだろうか。そういう説明をしている例もある。しかし,具体的な説明は十分にはされない。「ビョードロ」「ジョウキゲン」と,頑固オヤジが,狭い倉庫内を,強烈なコスチュームと,スピード感で動き回っている。座布団も持参しているような人はいたが,それ以上に,どこから観たのがいいか疑問。ぼくたちの劇団は,出会い系の劇団なので,まずもって,隣の人とのトラブルを嫌います。まず,隣の人と十分に仲良くなってください。お互いに目と目をあわせて,ことばをかわしましょう。そうすれば,劇が進行して,ひざがぶつかり,足がからんでも,許しあえるでしょう。なるほど,観客は,役者と一心同体みたいなものってことかしら。
劇中の動画・カメラはOKです。ご自由に,ブログにアップしてくださいね。劇団おぼんろ第10回本公演 『ビョードロ~月色の森で抱きよせて~ 』を一人でもいいから,多くの人に紹介してください。動員数が伸びて,いつか『シアター・コクーン』にいけたらなあ。そのために,みなさん応援してください。
なるほどなあ。そうか。がんばっているなあ。じゃ,ちょっと目立つかもしれないが,舞台を壊さない程度に,数枚写真を撮らせていただこう。応援しちゃおう。
ところが,後日,フラッシュをたいたばかがいた,という話になってしまった。げえー。だって,普通のカメラしかない場合,自動フラッシュなんですけど。まずかったすか!
たいへん非常識な行為で,あいた口がふさがらない。こういうばかは,二度と,この劇団を観にくるんじゃない!という手厳しい見解。たしかに,そういわれたら,がっかり。
でも,このコメント者も,少し変ですよね。高姿勢は,まあいいが,ありがちなミスをここぞとばかり鬼の首を取ったようにアゲアシ取りですね。ばかは,どっち,ばーか,というシーンを思い出しました。
象徴的な演劇は,現実逃避に陥るっていうから,演劇を観るときは,なるべく論理的にしっかりしたものを観ている。でも,ときには,感覚的で,感傷的で,美しい,詩的な作品にも引かれる。今回の『ビョードロ~月色の森で抱きよせて~ 』は,その点で,たいへん満足している。また,観たいと思う。しかし,もう来るな!という常連がいるようなので,もう行きません。あとは,がんばって,シアター・コクーンをめざしてください。たいへんご迷惑かけたようで,心からお詫びします。ジョウキゲンのような心優しい存在に,何度も舞台に足を運ぶ人の中には,人のアゲアシばかり取る人もいるのでしょうか。
2013/06/08 06:53
2013/06/07 22:10
2013/06/06 14:55
2013/06/06 06:32
文学には,象徴の言語という考え方がある。赤ずきんちゃん,にしても何にしても,表面的なお話ではなく,何かを現していて,それに作者の意図が隠されていたりすることは多い。
『ビョードロ』の童話は,細菌兵器の愚かな人類の話かもしれない。あるいは,ジョウキゲンは,人の優しさをデフォルメしているもののような気もする。しかし,私が,たった一度ではあるので,十分に確認はできないが,これは,演劇という世界の話かな,と思う結論にいたった。
どういうことかと言うと,作者の意図は別のところにあったのであれば,それはそれ。藤田流で,想像力をはたらかせ,洞察すると,ジョウキゲンは,演劇の魂を象徴するものだ。それは,あちこちに行って,その世界を変えてしまうのだ。やがて,空気感染というような形で,社会をひっくり返すようなことにもなる。だから,為政者は,これをつぶしにかかるのではないか。
『ビョードロ』の血を持って,演劇の魂・タネは,もちろん滅ぼすことはできる。彼ら自身が逆の作品を作ることもできるだろうからだ。しかし,演劇人は,純粋過ぎて,内部分裂を何度も起こす。仲間は,進学した以上,呼びかけ人をおいてきぼりにして,さっさと就職しちまう。裏切り者,ばーか,ばーか。お前こそばーか。そっか,こんな廃れ小屋で,ロックシンガー衣装で,借金を抱えてこの先うまくいくのか。
演劇の子,演劇の魂は,純粋なので,それにいつも笑顔で,輝いているだけだ。さわると,死んでしまうので,近くによることもままならないが,光輝いて僕を導いてくれるのさ。やがて,内紛は,ピークに達し,演劇人だけでなく,支援者の分裂もあり,作風の妖しさに,日本国政府から監視されてしまうのかもしれない。
それにしても,何でここまで,演劇にのめりこむのか。あまりに,強烈に,演劇のあり方を変えると,それは,ある種の新興宗教みたいになっちまう。自分たちは,人間の優しさを布教する新型宗教団体か。いや,そうじゃない。まあ,それでもいい。お金や,地位がなんぼのもんだね。いずれは,人間は死んでいく。おい!おまえら,貴重な時間に何をやってるんだよ。俺たちのでなくても,いい演劇見ろよ。カメラに収まる映画より凄いぞ。
演劇の魂を,呼び起こせ!もう一度,原点から考えよう。