実演鑑賞
満足度★★★
「友枝昭世の『小塩』」
ネタバレBOX
下京の大野原へ花見に訪れた一行(宝生欣哉、宝生尚哉、宝生朝哉)は、桜の枝を手にした老人(友枝昭世)と出会う。老人は大野原の行幸で伴った在原業平が清和天皇へ入内するまえの藤原高子と契りあった出来事を語り、日が暮れると姿を消す。やがて小塩明神としてこの地に祀られるようになった業平が、在りし日の姿で現れ、かつての日々を懐かしみながら舞う。
友枝昭世は前シテの老人で小首をかしげたところになんとも言えぬ風情が出る。後ジテの業平は、橋掛かりで悲しみのような諦観のような表情を見せたところがあり、序の舞で軽やかさと格式を見せた。
実演鑑賞
満足度★★★★
「ヒリヒリする笑いで身体の尊さを問う」
性や身体を自身で決める権利「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(SRHR)」について扱うという惹句に身構えつつ観はじめたが、次第に肩の力が抜けていく終始笑いの絶えない上演となった。
ネタバレBOX
婦人科のリカバリールームで目覚めたサチコ(吉沢菜央)は、看護師のナスノ(冨岡英香)に体調を気遣われるものの、これからバイト先の社員採用面接で着用するスーツを買いにいくのだと言って聞かない。戸惑うナスノに菓子の箱詰めを渡そうとベッドを出たサチコは、足が緑に変わり尻尾が生えていることに驚愕する。担当医のイシダ(村田天翔)は、サチコの下半身はイグアナになってしまったため、当面の間入院し精密検査を受けろと諭すのだった。
まもなくサチコのパートナーのユキオ(奥山樹生)が見舞いにやってくる。旅行代理店勤務のユキオは、出張のためサチコの入院に立ち合えなかったことを詫びるのだが、二人の会話から、どうやらサチコは堕胎手術を受けたことがじょじょに詳らかになってくる。やがて静岡からやってきたサチコの姉アキコ(尾鷲翔子)が甲斐甲斐しく世話を焼くなか、イシダはサチコが島の病院に転院することが決まったと告げる。怯えるサチコに考える暇は与えられず、あっという間に転院を迎えた日にアキコの運転で港へ向かうサチコ一行だったが、アキコはナスノの制止を振り切り一路逃亡を企ててしまい……
奇抜なアイデアと周到なセリフによって女性の身辺に起きた重大事をコミカルに描く本作は、男性優位社会における女性の生きづらさを鋭く突くヒリヒリした観応えである。サチコは言わずもがなだが、男性医師の言われるがまま他者に合わせることで生きてきたナスノや、妹が実家を飛び出て以来母との関係に悩んできたアキコの爆発、シングルマザーとして生きているサチコのバイト先の同僚ウオズミ(中嶋千歩)の苦悩など、さまざまな背景の女性たちの声を、サラッと重層的に描き出している。管理社会の象徴のようなイシダの自主性のなさや、パートナーの見舞い先でナスノのプライベートを詮索し、幽霊になってもなおサチコを脅かすユキオを観ていて身につまされる思いにもなった。出演者は皆適材適所で観ていて不安を感じなかった。
通りを行き交う人々がなかを見る一面ガラス張りの水性の空間をうまく使い、サチコや女性たちの心情を可視化していた点も評価が高い。ナスノやアキコが強引にピルやみかんをサチコの口に含ませ、眠りにつくところで簡易な照明変化やBGMを流すあたりの抑揚の付け方もうまい。狭い空間を病室や車内、焼肉店などに見立ててスムースに展開することにも成功していた。ジュディ・アンド・マリーや浜崎あゆみなどのヒット曲を巧みに使い、特に後半の女性だけの道中を描いたくだりに作者の眼目があったように思う。ただし病院内の場面が続く前半と逃亡劇の後半のつなげ方がやや牽強付会で、別作品を強引につなげている印象を抱いた。
下半身がイグアナに変わったサチコは肉や酒を食べると体が受け付けず戻してしまう。吐瀉物まみれのなか、それでもサチコが禁じられているタバコを吸い「生きてるー…」と感嘆を漏らす幕切れが今でも目に焼き付いている。
実演鑑賞
満足度★★★★
「素直で可愛らしい篠井英介のブランチ」
現代演劇の女方として唯一無二の存在である篠井英介が、19年ぶり4度目となるブランチを演じた。G2による新訳と演出である。
ネタバレBOX
第二次世界大戦後のアメリカ南部の都市ニューオリンズに、ブランチ(篠井英介)が妹のステラ(松岡依都美)を訪ねやってくる。没落した名家出身のブランチには帰るあてがなく、妹夫婦のもとへ身を寄せることにしたのだ。ブランチの上品ぶった態度にステラの夫スタンリー(田中哲司)は苛立ちを隠せない。新天地で出会ったミッチ(坂本慶介)との生活に希望を見出すブランチだったが、彼女がひた隠してきた暗い過去をスタンリーが暴き……
篠井のブランチはまさに自由自在、水を得た魚といったところで女方が演じている違和感がない。狂気の世界に陥る人物というよりは、元来素直で可愛らしい人物が大きなトラウマを抱え、次第に堕ちていくというところに力点がある。終幕で精神病院に連行される場面も、愁嘆場というよりはブランチが救われていくようにも観えた点が面白い。
田中哲司のスタンリーは野性味というよりも生来の粗暴さがブランチを追い詰め、ステラが魅了されるチャーミングさも併せ持つという独自色を出した。松岡依都美のステラの安定した口跡、坂本慶介のミッチの素朴さなど、主要4名が手堅い充実した上演だった。
実演鑑賞
満足度★★★
「『情』と『理』で仕事を考えるコメディ」
渋沢栄一の『論語と算盤』をもとにした絵本『しごとってなあに?』を題材にした現代劇である。「絵本の劇場カメレオン」のこけら落としとして上演された。開幕前から地元住民と思しき観客が入口に集い、誘導スタッフが丁寧に応対する様子は見ていて心地のいいものだった。
ネタバレBOX
公園でひとり缶ビールをあおっているカナコ(宮本はるか)は、捨てようとしていた領収書を眺めため息をつく。すると「これが1万円やったらなあ」という天の声とともに、ダンボールを敷き長髪をバンダナでまとめた男(三嶋孝弥)が語りかけてくる。男はカナコのビールを「ワシの作ったビール」と自慢するとともに、自分は渋沢栄一であると嘯くのだからいよいよ混乱が極まる。
警戒心を抱き続けるカナコに、男はカナコがいい人ぶろうとするあまりに仕事やプライベートで損をしていると指摘する。図星を突かれたカナコは、じつは先程まで友人と飲んでいたものの内心は楽しくなかったのだと男に愚痴る。やがてその友人ハル(小川晴菜)がカナコを追って姿を現すと、男の怪しい点を理詰めで次々に暴き出す。ハルはその場からカナコを連れ出そうとするものの拒み、そこから日頃の不満が爆発し大喧嘩がはじまってしまう。しかし翌日公園に缶ビールを携え現れたハルは、男にじつはやりたいことを愚直にやっているカナコに嫉妬していたという本心を明けるのだった。
情にもろいカナコと理論派のハルの対照的な二人に対する男の指摘は、社会人生活を送ったものであれば誰しも身につまされることばかりである。絵本では社会や仕事への疑問を渋沢栄一に問うという構成を、渋沢栄一を名乗るがらっぱちなホームレスに問いそれに答えるとした点がユーモラスである。やや教条的になってしまった感は拭えないが、鋭い指摘や高邁な理想が空々しく聞こえず、ときにハッとさせるうまい作劇であった。すっかり男に感化されたカナコとハルが、男の身の回りの世話をしているという幸三(岡田敬弘)と交わすやりとりも、人を食ったようでおもしろい。
ちいさい空間なのでもう少し声のボリュームは絞ったほうがよかったように思うが、出演者は皆作者が腕によりをかけたセリフをうまく響かせていた。終幕以外はほぼ無音の状態で舞台を進行させた英断が活きていたように思う。男を演じた三嶋孝弥は体当たりの怪演ところといったところだが、借りたハンカチをハルに戻そうとするも拒まれ、それをたたむ所作がやけに丁寧で笑いを誘われた。上演中でも客席同士が小声で語らい、子どもたちも熱心に、楽しそうに鑑賞し、こうした客席を許容する空間づくりを実現していた。
実演鑑賞
満足度★★★
「人工知能が抱える孤独」
山本卓卓が作・演出した2015年の作品をの再演である。今回は演出を額田大志が担当し、一部出演者を入れ替えての上演となった。
ネタバレBOX
開演すると舞台上のスクリーンに断片的に「は」「る」「春」「よ」「夜」「女」などと文字が映し出され、やがて「『春の夜』『女性』『失踪』クリック」と投射される。おそらくコンピュータの学習とインターネットのキーワード検索を可視化したのかと見当をつけながら観続けていくうち、「われらの血がしょうたい」というSNS投稿を残して61歳の女性が失踪した事実が観客に知らされる。やがてバッハの無伴奏チェロソナタの旋律にのって現れた二人(植田崇幸、端栞里)は、なにかに操られるかのような不自由な動きを見せる。二人とも失踪した女性にゆかりのある人物だが行方は知らず、なにかに突き飛ばされるようにして舞台奥へと消えてしまう。そのあと投射された字幕から、この失踪した女性が人工知能「ザマ」に変化したことが示唆される。
以降はザマが存在する世界のある場所で起こる様々な出来事を、5名の俳優が何役か演じ分けながら劇が進行していく。お手伝い(井神沙恵)に言い寄るうさんくさそうな若社長(福原冠)の成功と没落、新居を探す若夫婦(植田崇幸、端栞里)の行く末、浮ついた若い警護たち(植田崇幸、埜本幸良)が不審人物(福原冠)にからむ様……ザマに問いかければ今日の天気や株価がわかり、電源のオンオフからひとりのときの話し相手まで担ってくれて便利である。こうしてザマは長い時間、同じ場所で起こる出来事をかわいた感覚で見つめ続けている。やがてこの場所が解体されると、なんとザマは「4分の0」という擬人化されたもの(端栞里)として姿を表す。当初あきらかに機械的に聞こえた「4分の0」の語りは、やがてとめどない絶叫となって人間たちを圧倒するのだった。
失踪した人物が時間や存在を超越した人工知能になり、時間と存在に固定されている人間の世界に介在し続ける本作を観ていると、常日頃の悲喜こもごもに一喜一憂することがバカバカしく見えて面白い。同時にかわききった視座で人間界に影響をもたらすさまが、まるで己を作り上げた人間たちを凌辱するかのようにも見えて空恐ろしさを覚えた。そして後半に「4分の0」が吐露し続ける叫びは、人工知能のかわきに隠された圧倒的な孤独のように感じられたのである。情報技術が知能の延長であるならば、コンピュータのバグは寂しさや欠落といった人間の感情に由来するのでは、という本作の視座に私は深く思いを馳せることになった。
多彩な出演者たちの演じ分けはどれも見応えがあったが、特に冒頭で滑らかな動きを見せ、ところどころ情けない男性を演じた植田崇幸、「4分の0」の胸の内をこれでもかと連呼した端栞里が印象深い。ただ作品の構造上是非もないが、演技合戦を堪能するというよりは作品を構成するパーツのように見えてしまった点がやや残念である。
三面スクリーンに投射された文字やビジュアルに必要以上に雄弁でない音楽、そして蛍光灯を埋め込んだ木枠のセットを使った硬質な空間づくりも作品に多いに貢献していた。私が観たのが最前列だったからか、舞台上下(かみしも)が特にガラガラに感じられたところがあったため、もう少し小さい空間で観たかった。
実演鑑賞
満足度★★★
「美粧から見える女性の歴史」
数世代にわたる女性たちの歴史を描く二本立ての二人芝居である。
ネタバレBOX
前半は江戸時代の厳格な家庭の母(林田惠子)が娘のキク(中村彩乃)に引眉とお歯黒を伝授する様を描く。鏡を見て戸惑うキクを見ながらかつての自身を想起する母、そして明治期に入りこの習慣が廃れつつあった時代にキクが娘のウメに伝授をためらう様から、四世代にわたる女性を取り巻く環境の変化を描く。
後半の作品は現代が舞台である。化粧道具を勝手に使ったため母(林田惠子)に怒られたカエデ(中村彩乃)は化粧に苦手意識を持つ。常に身だしなみに余念のない母はやがて老いさらばえていく、その様子にやりきれない思いがつのるカエデと孫のモモカら家族たちの葛藤の物語である。
どちらも小品ながら出演者が出ずっぱりで何役か兼ね、限られた演技スペースのなか濃密な芝居をしていて目が離せなかった。出演者が自身の役の状況や心情を説明しながらの進行はややくどかったものの、終演後にはとても長い物語を観終えたような心地になった。
実演鑑賞
満足度★★★
「現代社会をアリの巣に重ねて描く」
第74回東京藝術大学の卒業・修了作品展で実施されたテント公演である。
ネタバレBOX
開演前に出演者たちが、マントのような衣装をまといテントを囲むようにして数カ所にわかれ、同じシチュエーションの芝居を続ける。この異様な雰囲気を前に立ち尽くすひとりの青年(初鹿野海雄)がテントのなかに連れ込まれると観客もまた案内され、これは追体験の芝居なのだということがわかる。
テントのなかはアリの巣という設定で働きアリたちの生活を垣間見るわけだが、どうやらアリたちには厳然たる性役割や階層があることが露わになっていく。次第に混迷するアリたちのなかで分裂が起こり、そこにきな臭い現代の社会情勢を重ねて描こうとする意欲がおもしろい。ただし短い上演時間のなかにさまざまな要素を詰め込んだためか、途中から物語の行き着く先が見えにくくなった点は残念である。洒脱で時勢を意識したセリフやテントの特性を活かした演出、卓越した音楽センスが作品に貢献していた。
実演鑑賞
満足度★★★
「なにかを抱えたものたちの葛藤」
イギリスの劇作家キャリル・チャーチルとデイヴィッド・ランが1981年に発表した舞踊を伴った芝居の日本初演である。
ネタバレBOX
上演開始後に客席正面向かって前方の階段から、花嫁衣装のようなレースの白装束(伊藤キム)が降りてくる。両手を広げ上下させたり腰を少しくねらせたりという動きからシャツがはだけ肌が露わになるという、際どくミステリアスな幕開けである。
以降はウサギの皮剝ぎに苦悶するリーナ(荒巻まりの)、洗練された口調で仕事の電話には応対するものの素は南方なまり丸出しのマーシャ(滝沢花野)、父親から男性性を強いられたことにどこかやりきれない思いを抱えているデレク(木口健太)、アルコールにおぼれがちなイヴォンヌ(鹿野真央)、デキるビジネスパーソンを演じているポール(岩崎MARK雄大)、牧師のダン(伊藤キム・二役)、そして目がうつろで感情の起伏が激しいドリーン(西田夏奈子)、以上7名の挿話が断片的に描かれていく。途中で冒頭の白装束や仮面をまとった人物たちがコロスのようにして舞う場面が挟まれる。
話があちらこちらへと飛び、出演者が主だった役以外にも数役兼ねるという入り込んだ構成のため、当初は観続けることに過度の集中を要した。しかしこの作りに慣れていくと、因果や伏線を頼りにしない、ただ目の前で描かれていることに集中することがこの芝居の眼目なのだということが分かった。立場や属性はバラバラだが、登場人物たちは皆なんらかの葛藤を抱えており、なにがそこまで皆を抑圧しているのかということを観客に考えさせる魅惑的な仕掛けが随所に施されていたように思う。
内容の重さに引っ張られたためか全体を通して重苦しく、笑いが起こる場面が盛り上がらなかった点は残念である。また音楽がやや説明的だった点が気になった。
実演鑑賞
満足度★★★
「時空を超えた母娘の物語」
イギリスの劇作家エラ・ヒクソンが2016年に発表した戯曲の日本初演である。坂手洋二率いる燐光群+グッドフェローズのプロデュースで、翻訳は一川華、演出は文学座の水野玲子が手掛けた。
ネタバレBOX
1880年代から2050年代にかけて、五つの世代でイギリスと中東を舞台にしたエネルギー資源の利権に翻弄される人々を描いた物語であるが、いずれの場面でもメイ(森尾舞)とエイミー(柴田美)母娘を中心に据えている点が大きな特徴である。登場人物の関係性が異なる時期と場所で変わることを描いた作品はほかにもあるが、本作は資源争奪に揺れる国際情勢が人びとに与えた影響に焦点を当てている。こう書くとただ政治的であるように思われるが、作者はそこに母娘の愛憎と人びとのままならない性の営みを書き加えた。こうして私は一組の母娘を通して時空を超えた 「公」と「私」の物語を堪能したが、戯曲にはさまざまな要素が詰め込まれており、作品に込められた熱量に反して主題がどこかぼんやりとしたものになっていたようにも思った。
森尾と 柴田のメイ、エイミー母娘はどの場面でもエネルギーに満ち溢れていたが、特にオイルショック期のイギリスで会社を守るために苦渋の決断をする重役と、ボーイフレンドとの逢瀬に耽り反抗的な態度をとる思春期の娘を描いた第三場が印象に残った。ちょっと出るだけだが、円城寺あや演じる石油利権を主張する人物の役がミステリアスである。
実演鑑賞
満足度★★★★
「厚みのある勘九郎の実盛」
源平合戦の時代に平家方についたもののじつは源氏に思いを寄せている斎藤実盛が、やがて己を討つことになる木曽義仲の出生を助けるという、歴史を予見する皮肉な物語である。
ネタバレBOX
勘九郎の実盛は花道の出から大きく、松緑の瀬尾の釣り合いのとれた爽やかさがまず目を引く。葵御前が産んだのが片腕であると言われ高ぶる瀬尾を諌め講釈をする場面でも、やわらかくも鋭いところがこのひとの持ち味である。瀬尾が奥に入り片腕の母が九郎助の娘小万と知れてから片腕を切りとしたくだりを語る物語は、観客を陶酔させるようなところはまだなくとも体がよく動くうえ発声が安定しているために次第に引き込まれる。これからが楽しみの実盛であった。
松緑の瀬尾が敵役の凄みを利かせ、住処の奥に入るところで茂みに片足を突っ込んだときのポーズが美しい。葵御前が出産してから再度現れて真実を語るモドリに娘の小万と孫の太郎吉への情愛が滴る。周囲の好配役を受けての守田緒兜の太郎吉もまたしどころが多い難役を十分こなして拍手喝采であった。
実演鑑賞
満足度★★★
「戦禍を経てなお息づく映画愛」
福原充則が浅草九劇のこけら落とし公演に書き下ろし第62回岸田國士戯曲賞を受賞した作品を堀越涼が演出した。CoRich舞台芸術!プロデュースによる「名作リメイク」第2弾である。
ネタバレBOX
アジア・太平洋戦争敗戦後の東京で戦時中国策映画を撮っていた杵山康茂(鈴木裕樹)は、戦禍を生き抜いた助監督の今岡昇太(秋本雄基)とともにGHQの許諾を得ないで新しい映画を撮影しようと目論む。闇市で男娼のアザミ(段隆作)に絡まれているときに見つけた、パンパンのふりをしたカツアゲ犯の野田富美子(浜崎香帆)を主役に抜擢し、使い方がわからないにもかかわらずカメラを所持していた石王(金子侑加)とともに、当局の目をかいくぐりながら撮影を続けていく。同時期に新作に取り組んでいたベテラン剣劇俳優の月島右蔵(猪俣三四郎)は、新しい時代に合った新作劇に取り組んでいた。撮影が進むなかで、杵山をはじめとした面々は皆が負った戦争の傷跡の深さがあらわになっていく。
出演者が数役を兼ねさまざまな場面が進行していく込み入った作劇を、6名の出演者がじつに自在に、心から楽しそうに演じていた。特に戦争の酷い経験に屈せず力強く生きる石王をはじめ、撮影所のベテラン女優から杵山の戦争協力を裁く裁判長まで自在に演じ分けた金子侑加が圧巻であった。
いっぱい飾りのちいさな空間にもかかわらず、鏡やキャスター付衣装棚で仕切ることで、じつに広々と感じられた点も収穫である。終盤で石王と杵山の対話のBGMがやや泣かせにかかっているという感もなくはなかったが、照明を含め細部にまで手の込んだスタッフワークも見応えがあった。
実演鑑賞
満足度★★★
「現代に蘇る環境問題に抵抗した人々の記録」
1970年代に高知市で製紙工場の廃水が起こした環境汚染の被害と、それに対抗する人々が排水管に生コンクリートを流し込む実力行使を行った事件を燐光群が舞台化した。
ネタバレBOX
かつてはヴェネツィアや柳橋のような清流が流れていた高知だったが、 工場の廃水で川が汚染され健康被害を訴えるものが後を絶たない。そこに2026年からタイムスリップしてきた少女(永瀬美陽)が、工場の職員の女(円城寺あや)と一緒に働き当地の様子を見聞きする。並行して地元の漁師や運動家たちの動向を俳優たちが兼役してつむいでいく。大規模なセットがないながらこの俳優たちの語り口に聴き応えがあり、往時を思い起こすことができた。そのなかでも森尾舞の語りの雄弁さ、切り替えの見事さに見惚れた。ただ事件の全容がセリフで説明し尽くされた感は拭いがたく、暗転も多いため集中が途切れがちになってしまった点は残念である。
実演鑑賞
満足度★★★
「グダグダに隠れた激しい感情」
ネタバレBOX
ある居酒屋の店長が亡くなり、葬式帰りの部下(二田絢乃、小林駿)が店に集う。皆の留守を守っていた店員(市川フー、佐藤桃子)やもう一人の同僚(浦田かもめ)と話すうち、普段は隠している皆の裏の顔があらわになっていく。このやり取りをzzzpeaker演じる黒服の人物が傍観しときに茶々を入れるのだが、この人物は他の登場人物たちからは見えない。幽霊にも死神にも見える風体が特徴的である。
話題の中心にいる人物を舞台に出さずその人物を他の登場人物の対話から浮かび上がらせる芝居は数あれど、本作は葬式後の意気消沈した雰囲気から終電後明け方まで煽るように盃を酌み交わすそのグダグダ具合が群を抜いている。これまで作品を共にしてきた座組ならではであろう。やや冗長すぎる感もなくはなかったが、終盤で店長への秘めた思いから常軌を逸した行動をとる浦田かもめ演じる社員の行動など、随所に見どころがあって飽きることがなかった。
実演鑑賞
満足度★★★
「バディもの感のある『ロミオとジュリエット』」
小劇場で日本語の新しいミュージカルを上演する「ワンアクト・ミュージカル・フェスティバル」の企画でDAWN PROJECT「ロミオ アンド ジュリエット アット ドーン!」を鑑賞した。翻案・脚本・作詞はオノマリコ、演出と振付は小林真梨恵、音楽は後藤浩明である。
ネタバレBOX
タイトルからわかる通りシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を下敷きにしているが、ロミオ(工藤広夢)をカミングアウトできないゲイ男性、ジュリエット(松尾音音)をレズビアンよりのクエスチョニング女性と設定し、二人の邂逅を恋愛ではなく友情に近しいものとして描いたことが本作の大きな特徴である。ここにバイセクシャルでロミオを誘惑し次第に陥れようとするマキューシオ(藤原章寛)や、娘のジュリエットを操り人形のように見ているキャピュレット王(植野葉子)という人間関係を織り込み、SNS社会で噂が噂を呼び次第に若い男女が追い詰められていく過程を歌と音楽で自在に紡いでいた。
出演者は皆達者で見どころも多かったが、やはり主演二人のベランダの二重唱の場面が特に印象に残った。行場のない二人がお互いの一番の理解者を見つけたかのような前向きな感覚が、これまでの「ロミオとジュリエット」にはない新鮮さであった。
実演鑑賞
満足度★★★
「手練れのキャストによる秀逸な会話劇」
ある長寿アニメのアフレコ現場を舞台にしたコメディである。
ネタバレBOX
1960年代末、新人俳優の小山笑子(西出結)は新作アニメ『ぼーっとぼー子』の主役に抜擢される。脇を固める先輩たちの前で萎縮する笑子だったが、周囲の後押しで主役を演じ続け、いつしか『ぼー子』は40年以上にわたり放送が続く国民的長寿作品になるのだった。収録を重ねるなかで結束を深めるキャストたちだったが、年齢や声のイメージなどを理由にひとりまたひとりと去っていき、そんななかでも笑子は頑なにマイクの前に立ち続けるのだった。
上記を大枠に本作は手練れの出演者たちがボケとツッコミの会話を重ねながら展開していく。初日ゆえかところどころセリフにつまる箇所が散見されたが、会場は沸きに沸いていた。包容力があるもののアメリカ帰りゆえところどころおかしな日本語を話すベテラン中島詩子を演じた髙畑遊の大きさ、気取り屋が鼻につくものの家族を養うために不本意ながら成人向けアニメに出演するような藤本康治を演じた東野良平のコメディアンぶりが特に印象深い。
作者が腕によりをかけたセリフとよい座組に恵まれた本作に私が今ひとつ乗り切れなかったのは、シリアスな場面でもボケとツッコミが入るために登場人物の描き方の底が浅く、メリハリの薄さが目についたためである。自信なさげな笑子が他の登場人物のボケにだけは的確にツッコミを入れるという造形も、役の性根とはズレているように見えた。終盤、『ぼー子』のオリジナルキャストのなかで最後にひとり残った笑子が、スタッフに思いの丈をぶつける場面などよくできていただけ残念である。
実演鑑賞
満足度★★★
「規範意識を問う群像劇」
一組の男女の恋愛とも友情ともつかない十余年にわたる交流から、多様な人間関係を提示する秀作である。
ネタバレBOX
地方から上京して東京の大学に入学した永野茉莉(小澤南穂子)はフェミニズム研究会で東京出身の同級生・橋本蒼(小見朋生)と出会う。彼らは先輩の五十嵐明里(川村瑞樹)の導きのもと同じく新入生の松村理子(百瀬葉)とともに日々ジェンダーについて論じ将来を語り合う。次第に親密になる茉莉と蒼は卒業後も同じ集合住宅の隣室同士となるが、ふたりの間には友情とも恋愛ともつかない関係が続いていた。
あるとき明里は仕事でフリーカメラマンの湯原千尋(飯尾朋花)と出会い親密な仲に発展する。しかしこのことが蒼との仲に綻びを生んでしまい――己を強く責めた明里はやがて皆の前から姿を消してしまうのだった。
セクシュアリティについて多くを学び深く配慮したうえで制作したのであろう本作を観ていて、規範意識にあるときは救われあるときはがんじがらめにされてしまう人間の割り切れなさを痛切に感じた。茉莉と蒼のクアロマンティック・カップル以外にも、さまざまな性自認と性的志向の登場人物が織りなす秀逸な群像劇であった。その分やや図式的で説明的になってしまった感は否めず、特に終盤で明里の主導のもと皆が胸の内を語り合うセッションの場面と以降の語りはやや盛り込みすぎに思えた。
出演者は皆健闘しており、特に思ったことは口に出さないと気がすまない多動気味な茉莉を演じた小澤南穂子の表情の豊かさに強く惹かれた。また松村理子は、陽気でズケズケと茉莉と蒼の仲を詮索する神経の図太さと、自身もレズビアンとして葛藤する繊細さを併せ持つ百瀬葉を、俊敏な体のキレととともにチャーミングに演じていて印象に残った。
実演鑑賞
満足度★★★
「情報操作の恐怖をコミカルに描く」
第二次大戦下の大本営発表に翻弄される軍部と市井のひとびとを、計算されつくした会話で重層的かつコミカルに描く2019年初演の再演である。
ネタバレBOX
1944年12月の海軍報道部の執務室では、代田中佐(津和野諒)と報道班員たちが日本海軍の本来の損害数と誤魔化した数の差に落胆しつつ、この事実をどのようにして公にすべきか苦悶している。語尾や言い回しを工夫するなどの小細工を繰り返しているその様がおかしくもから恐ろしい。損害が大きければ作戦部から報告許可がおりず、さりとて事実とは異なる数を報告しようものなら軍務局がそれを許そうとしない。こうした海軍内のゴタゴタに目をつけた正義の新聞記者上川(鍛治本大樹)や陸軍の高櫛中佐(高木健)からの介入で、発表までの混乱は極まるばかりである。
はたして正しい内容の戦果報告がなされるのかという一連の顛末を観ていると、当局が情報操作をする昨今の政治状況を思わず想起してしまう。国立公文書館収蔵の一次資料を用いた歴史劇というだけあって厚みがあり思わず見入ってしまう場面も多かった。ただ中盤以降で結末がある程度見えてきて図式的に感じる弊はあったように思う。時折挟まれる市井のひとびとの淡い恋模様は、それでひとつの物語として成立しそうでやや盛り込みすぎに思えてしまった。思い切って軍部の描写にだけ絞って描いてもよかったのではないだろうか。
実演鑑賞
満足度★★★★
「21年ぶりに生まれ変わった傑作」
木村錦花の原作をもとに2001年に初演され05年に5代目勘九郎改め18代目勘三郎襲名披露で再演された、野田秀樹作・演出の話題作の三演である。今回は当代勘九郎が勘三郎が演じた守山辰二を継承した。
ネタバレBOX
赤穂浪士の討ち入りの報に湧く粟津の国の城内で、研屋から侍になった守山辰二(勘九郎)はひとり討ち入りがいかに愚かであるかと喧伝して皆から総スカンを喰らっている。家老の平井市郎右衛門(幸四郎)にさんざんやり込められ大恥をかいた辰二は夜更けに職人仲間の協力をあおぎからくり人形の仕掛け(片岡亀蔵)で市郎右衛門を驚かすのだが、その勢いで市郎右衛門が死んでしまう。その場から逃げた辰二の後を追う市郎右衛門の息子九市郎(染五郎)と才次郎(勘太郎)は、たどり着いた道後温泉の宿で偶然にも辰二を見つけるが、辰二は言葉巧みに平井兄弟こそわが仇と皆を言いくるめていた。敵討ちを巡るドタバタのなかで浮かび上がってくるのは、現代に通じる大衆心理の恐ろしさである。
21年ぶりの再演による世代交代によって今回は新歌舞伎の古典再演という趣がより強くなった。勘九郎の辰二は父勘三郎に比して口跡がよく身体がよく動くため、大量のセリフを淀みなく発し所狭しと動き回って喧しい。勘三郎のように柔らかさや愛嬌で会場を湧かせるというよりは、戯曲の役柄を深く掘り下げている。ただ終盤で辰二が刀を研ぐ場面で「生きてえよ」と涙声で発するくだりは、やはり年の功なのか勘三郎のほうがより印象深かったように思う。前回までは三津五郎がときに舞台を締め、ときに洒脱に楽しそうに演じていた市郎右衛門は幸四郎である。家老の風格は足りなくとも勘九郎と対等に渡り合う好敵手という絶妙な配役であった。辰二を甘やかすやや間の抜けた奥方萩の江と後半宿屋で辰二に求愛するおよしの七之助は、こちらも初演・再演を担った福助同様にうまく演じ分けながら、特におよしの場面で何度もバック転をして会場を湧かせた。父たちから平井兄弟を受け継いだ染五郎と勘太郎は若々しく、初演・再演にも出演していた扇雀が追い詰められた辰二を諭す僧良観を演じ舞台を締めた。
平井兄弟に斬り殺された辰二が大量の紅葉に囲まれながら「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲を背景に絶命する最後を観ていて、この20数年に起きた出来事に思いを馳せた私は何度も胸が熱くなった。
実演鑑賞
満足度★★★
俳優4名が初めて読む台本をもとにその場で芝居をする人気公演初のミュージカル版である。私は夜公演を鑑賞した。
ネタバレBOX
スクリーンに投写される台本は大阪新世界の串カツ屋を舞台に店の常連や店主親子、看板娘に恋してドローンでやってくる男のやり取りが紡がれていく。執筆者は不明だが上田誠の感触に近いものを感じた。数章ずつ役替りで小松利昌、中山優馬 、五関晃一そしてシルビア・グラブが男女問わず演じ分けていく。進行は林希が担った。
4名が皆白熱した演技合戦を繰り広げるなか、なかでも圧巻はどぎつい関西弁をまくしたてる常連からドローンの効果音までを巧みに演じ分けた小松の器用さである。またグラブの歌唱には客席から拍手喝采であった。即興で巧みなキーボード裁きを見せた鎌田雅人にも惜しみない拍手が送られた。
実演鑑賞
満足度★★★
「挑戦的な語りの形式」
終のすみかが過去に上演した2作品の同時再演企画である。私は2021年初演の『I’ LL BE OKAY』を鑑賞した。
ネタバレBOX
会社員のカキヤは友人のゴトウ夫妻の家に居候しているのだが、なんらかの理由でゴトウが家出してしまい、いまはゴトウの妻ミサキと共同生活を送っている。カキヤは酒癖が悪く財布を失くしたと行きつけのバーテンダーに嘆いたり、後輩に失態現場を写真に撮られたりと情けないばかりである。カキヤは純朴な人物のようでもう5年も彼女がいない。また自らを結婚に向いていないと評したゴトウの不在に、ミサキは他人に打ち明けられないことを抱えているようだ。
以上がカキヤの回想という体裁で観客に語りかけるようにして展開していくのだが、時間軸を入れ替えたうえに大石将弘と高橋あずさ2名の出演者が性別関係なく5名の登場人物を演じ分けながら進行する点が本作の大きな特徴である。思えば日常生活のなかで、たとえば知人の女性の逸話を男性が披露したり、その逆もしかりである。またあるエピソードについて話しているうちに時間軸がめちゃくちゃになることもまたある。いわばこの形式は人間の語りを立体化したようなものかもしれないと得心した。そうできた最大の理由は達者な出演者2名の演じ分けがうまくいっていたことと、役を入れ替えるごとにピアノの演奏が入ることで観客の思考がクリアになったという演出の妙である。ふたりの俳優が同じ役を演じている様子を観つづけているうちに、人間はほんらいとてもよく似ていて、差異などというものはあまりないのではないか、という奇妙な感覚に陥った。
ひとつの役をひとりの俳優が演じ続けないために感情移入はしづらく、どの時点の話なのかがわかりにくくなってしまった感は否めない。しかし終盤の回想で酩酊した大石将弘演じるカキヤが「人妻と同居している」と後輩にまんざらでもない顔で嘯くところで見せた底意地の悪さや、高橋あずさ演じるミサキが抱えた孤独を多弁せず表情で伝えたくだりなどはいちいち印象に残るものであった。カキヤが失くした財布、ミサキが失った夫のゴトウというふたつの不在がなにを意味するかは、観客それぞれによって違うのだろう。