Ayana Endoの観てきた!クチコミ一覧

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平穏に不協和音が

平穏に不協和音が

演劇企画集団LondonPANDA

仙台市宮城野区文化センター・パトナシアター(宮城県)

2018/04/04 (水) ~ 2018/04/06 (金)公演終了

満足度★★★★★

想像していた以上に、沢山笑わせてもらいました!あっという間の80分!
あの夫婦の会話内容が、もしも現実に起こってることなら、かなり重い内容かもしれません。
でも、俳優の技量と、脚本・演出の妙、音楽と舞台美術の技巧が組み合わさって、上質なコメディに仕立ててありました。
自分自身の結婚観や性癖と、改めて向き合う良い機会にもなりました。
"interesting"と"funny"のどちらの意味でも面白いお芝居でした!素敵な舞台をありがとうございました。

ネタバレBOX

上演台本の販売はなかったので、それがちょっと残念だった。

序盤で出てきた台詞が、中盤や終盤で出てきていて、まったく意味や響きが違って聞こえたのだ。
そういう変化を文字でも追ってみたかった。

またの機会にぜひ販売して欲しいです。

思い出しつつ書いているので、展開が微妙にちがうかもしれません。

SNSで、息苦しい、という感想をよく目にしたきがする。

個人的には、清潔な舞台美術と空間の広さのおかげか、あまり閉塞感は感じなかった。

フィクションとして楽しめる距離感の舞台のつくりだったように思う。

近頃の話題に乗るつもりはないのだけど、
観劇している間ずっと、まるで土俵のようだなあ、と思いながら、
床に敷かれている真っ白いフローリングをみていた。


第一幕は、よくあるパートナー同士の諍いだな、という印象が強かった。

予定調和な印象を受けたので、話の筋も追いつつ、俳優の技能や演出に注視した見方が出来た。
ああ、先に土俵を降りたのは、女性の方だったのかあ、という印象が残っている。
距離をとる、という言葉のほうが正しいのかもしれない。

会話の押収に合わせて、相手との距離が遠ざかったり縮まったりしていた。
逆に、否定的な言葉を投げかけているのに、体は関心を示してるように見えたりした。

感想を眺めていて「女性の支離滅裂さ」っていう言葉にひっかかりを覚えた。
私が女性だからだろうか。

“一般的”に、女性は右脳、男性は左脳の働きが強い傾向があるらしいと聞いたことがある。

改めて調べてみると、この仮定もちょっと違うみたいだ。右脳が発達しているのか、左脳が発達しているのかは、個人によってちがいがあるようだ。

女性は右脳と左脳をつなぐ脳梁が太いため、左右の信号のやり取りのバランスがよく、両方をうまく使いこなすことができるらしい。
男性の場合は、右脳と左脳をつなぐ脳梁が細いため、役割分担が非常に明確で、どちらかが優位に働いているケースが多いみたいだ。

女性は注意散漫になりやすいが、マルチタスクが得意。
男性は周りが見えなくなりやすいが、集中力がある。
とも言い換えられるかもしれない。

どちらにしろ、感覚的な思考に傾きやすいひとと、論理的な思考に傾きやすいひとがいるらしく、そこに優劣はないとは思うのだけれど、理解出来ないことを「支離滅裂」と一蹴するのは、なんだか、学びの機会を自ら手離している気がしてしまって、勿体ない。


第二幕から、話の内容というか、暴露され始める内容が面白すぎて、ゲラゲラ笑いながら観てしまった。
観劇後に、遠藤が笑うたびに暖まっていた会場の空気が冷える~と言われたが、大河原さんのつくる芝居が面白いのがいけないのよと心底思ったし、嬉しそうに言う笑顔にこっちも苦笑してしまった。

男性が女性用下着を着けるシーンを目の前で見せつけられるという謎の初体験をパトナホールで迎えるとは流石に思ってなかった。
身内の女装姿をみる経験が何度かあり、あれほど萎えるもんはねえと思っていたので、夫がブラジャー付けだしたときの妻のドン引きぶりに共感しつつ観てました。


ブラジャーの付け方は懇切丁寧に演出が入ったらしい。

気になりすぎて終演後のロビーでいの一番に演出家に聞いたら、自信満々に答えてくれた。「あの付け方がぜったい一番面白い」
もうほんとツボでしたあの付け方。
いやいや、しかも、そうつけるんかい!後ろに回すのね?!
几帳面か!と、ブラジャー付けるたびに大笑いしてしまった。

英語字幕は最前列で見上げると首が疲れるしほとんど観てなかったけど、妻の暴露話のときは役に立った。
いや、そもそも英語字幕を追えるほどの英語力もないのだけれど。

アーアーアー聞こえなーいって耳を塞いで逃げ回る夫の動きが可愛かった。
タイミングよく弾頭ぶち込む妻の潔さに痺れた。
アヤノさんは綺麗だからいいけど、私も容姿に自信があって、割り切ることが出来たなら、男に貢いだり、カラダ売って男から金巻き上げてみたいななんても思った。人目が気になるからやらないと思うけどね。

第三幕は、夫の後輩が死ぬことへの暴露が印象強く残っている。
社会的な死も暗喩してるように感じた。

才能ある後輩を妬む気持ちは誰でもあるし、生意気なら死すら望むのも無理のないことだとも思った。
土俵で闘い続ける以上、相手が土俵から転がり落ちる姿は、見ててスッとすんだろうなあ、と共感をおぼえた。

後輩が落ちたさきは、地獄だったのだろうか。天国だったのだろうか。
まあ、その場の環境の印象なんて、案外コロコロ変わるもんだろうと思う。

私は、私の社会から誰かがいなくなっても、元気でいてくれたら、嬉しいなと思う。
私から離れてしまった誰かも、そう思ってくれてるといいなと思う。

親が仲良いので、結婚もいいなー、と、フツーに考えてたタイプです。
けど、相手が望むなら、どんな形であれ、一緒にいていいとも思ってるんです。

妻、恋人、友達以上恋人未満、友達、その他、ここに書くのは恥ずかしい関係でも。
相手がそれがいいって言うのなら、私の出来る範囲で、その形におさまりたいと思っている。

妻、いや、もうアヤノねえさんと呼びたい。
アヤノねえさんほどのぶっ飛んだ趣向は持ち合わせていないけど、一緒に飲んでみたいなあ、とはすごく思った。
鑑賞するモノの趣味がネジがちょっぴり外れてるとこが好きです。私は見ないんですけどね。
汚い感じのほうのやつはちょっと試し見して、無理……と思ってしまいました。

初婚童貞は自分もめっちゃいいと思いました。
童貞を揶揄する風潮ほんとなくなればいいのに。
初めての相手って嬉しいし、可愛いなあと思いますよ。
経験浅い耳年増未婚処女が言うのも何なんですけど。
この歳で処女ですって言うの恥ずかしいな。未開通です。

こういう話がしたいなと思ってくれたアナタは、いつか飲みにでも誘ってください。
一通り暴露し合ったら、ちょっとだけ距離が近づくかもしれません。

仲睦まじいふたりのやり取りのあとに、あのラストシーンだと、ちょっとショックが大きかったひともいたみたいですね。

個人的にはまあ、かなりフィクションとして観ていたせいか、起こりうる未来だよなあと、冷静にみている自分もいました。
茫然とハッピーバースデーソングを歌う姿に、ちょっと興奮もしていました。
サディズムとマゾヒズム、どちらの趣向からくる興奮なのかは、ちょっと分らなかったんですが。

前向きに楽しむ気分で観ていたせいか、これは、リョースケさんの自立のための過程のワンシーンなのかもしれない、とも思いました。
いつか、3人で笑う姿に出会えるのかもしれない。
こればっかりは、巡りあわせだったり、お互いの譲歩や理解が必要だな、とも思います。

最後に、素敵な夫婦のふたり芝居をみせていただいて、ありがとうございました。
何年かあと、自分の立場が変わった頃に、また触れたいお芝居だなあ、と思いました。
このBARを教会だと思ってる(千秋楽満員御礼、終幕しました!ご感想お待ちしております)

このBARを教会だと思ってる(千秋楽満員御礼、終幕しました!ご感想お待ちしております)

MU

駅前劇場(東京都)

2018/02/21 (水) ~ 2018/02/26 (月)公演終了

満足度★★★★★

その告解をまのあたりにして、私は言葉もなく立ち尽くしてしまった。
この気持ちを誰に打ち明ければいいのか、分らなくなってしまって。
しばらく訪れていない、あのBARのマスターと、話をしたくなりました。


こんなに面白いお芝居がやってるなんて知らなかった。
演劇のメッカである下北沢でお芝居をみたのは、この日が初めてだった。

石巻から東京にやってきて、思いがけず観劇する時間が出来ました。
黒色綺譚カナリア派/コマイぬの芝原弘さんからおすすめしてもらったお芝居でした。
私はまったく前情報も何も知らず、おすすめだよ、と教えてもらったんです。

フライヤーのエメラルドグリーンと、教会とBARというとりあわせに興味をぐっと惹かれてしまいました。
Pityman「ハミングインウォーター」石巻公演で出会った、藤田りんごさんのお芝居もまた観たいなと思ったのが動機のひとつです。

以下、ネタバレBOXに長文感想あります。

ネタバレBOX

BARでのお話なので、夜公演を観に行くことに決めた。
開場まぎわの駅前劇場へのぼる階段には、お客さんがずらり。
開演してから終演まで、笑い声やすすり泣く声、息をのむ気配が鳴りやまず。
終演後のホワイエでも、高揚した感情のやりとりがおさまらない空気でいっぱいだった。

ほんとうに、思いがけず素敵なお店を教えてもらったような気分。

ひとりで観ていて、胸いっぱいにあふれそうな感情の行き場がなく、ただただそこに立ち尽くしてしまった。

私はあまり酒に強くなく、いつも車で帰るため、ほとんど外で飲まない。
お酒を頼まなくても、カウンターに座らせてくれる地元のBARがあるのだけれど、なんだか、そこに行って、たくさん話がしたくなってしまった。

これから、物語の内容に触れていくのだけれど、なんだか少し気後れしてしまう。
物語に出てくる“告解”――罪の告白、懺悔には、自分の身に染みる内容もふくまれているきがするから。自分の趣味趣向、過去の遍歴まで、感想を詳しく書けば書くほど、あらわになってしまいそうだから。

それでも、ちょっとドキドキするけど、書いていこうと思います。
マスターが持っている、あの、常連客の秘密が書かれた手帳を開いてみるつもりで、読んでくれるとうれしいです。



席の位置によって見方がだいぶ変わる仕組みになっているようで、私は最前列の一番上手側に座っていた。
都合がゆるすなら、別な席を選んで、あと最低でも2回は観てみたいなと感じた。

登場人物の機微や伏線のひとつひとつが音符なのだとしたら
それらが絶妙に五線譜に並べられたきれいな曲のような物語だと思った。
疲れた夜にふと寄り添う優しい音色のようでもあり
波紋が波乱をよび嵐のように心をかきみだす激しさもある。

BARのママ・マルが弾いていた、透き通るようなアコースティックギターの音色のせいかもしれない。

はじかれた弦の音の波がしずかに会場に広がっていき、駅前劇場が、BAR「さざなみ」の雰囲気に包まれていく。



物語に登場するのは19人。
そのうちの1人は、最後まで舞台に登場しない。
とある三軒茶屋のBARでの、いくつかの夜を描いた、群像会話劇だ。

当日パンフレットをみて、登場人物の多さに、全員をちゃんと覚えられるか不安だったけど、物語が進んでいくうちにそれは杞憂に終わる。

出てくる客の誰もが、一癖も二癖もある性格で、ああこのひと、あのひとに似てるかもしれない、という身近さも感じるほど、親近感がわいてしまうのだ。

なかでも印象につよく残ったのが、物語の中心人物のひとりであるユリカだった。
演じるは福永マリカさん。朝ドラに出てきそう、と言ったら安直すぎるけれど。
透明感のある可憐な容姿で、予想外のことばかりやってのける。
真面目がすぎて、極度の完璧主義。情緒不安定ぎみ。パートナーを心配するあまり、彼を追い詰め、帰宅恐怖症に陥らせてしまう。

そんな、すこし歪んだ美人の妹をもつ姉の三恵子。
古市みみさんが演じている。竹を割ったような性格のハードボイルドな女性。冗談とも本気とも取れるキレのいい言葉をキビキビと飛ばすものだから、真面目なことを言っていても、ついつい可笑しくなってしまう。
妹へ厳しく接するが、それは誰よりも妹のことを想っているからだ。

そんなふたりの姉妹が、ユリカの結婚資金の貸し借りについて、カウンターで口論をしている。

カウンターから離れたテーブル席にいるのが、西川康太郎さん扮する、何でも屋の草ちゃん。
飲食街を動いて回り、トイレの詰まりからランプの修理まで、様々な面倒事を請け負う何でも屋。ひょうひょうとした性格で、愛想もいいのでみんなに好かれている。
好みのタイプだった。路地裏で酔いつぶれたら草ちゃんに介抱してほしいななんて思った。

カウンターのなかにはBARのマスター・新島。成川知也さん。
物静かに客の話をきいている。なんだか、その柔らかい雰囲気に、なんでも話したくなってしまいたくなる。

バーのママでもある妻のミュージシャン活動を応援するために、お店を始めたそうなのだが、彼女に対する一途さが微笑ましい。
妻がバンドメンバーの男と飲みにいくのは我慢できるけど、自分が常連客の女性と飲みに行くのは引きとめてほしい、そんなところがいじらしかった。

こんなマスターなら好きになってしまうだろうな、という女性がマル。まるまどかさん。
ギターを弾く姿が綺麗で、性格もさっぱりしている。
ひととひととの適度な距離感がわかっている雰囲気があり、なんとなくふと頼りたくなる、かっこいい女性だ。

さて、結婚資金についてやかましく口論する姉妹。
これだけなら、よくある痴話喧嘩の類だなと感じる。

ユリカが店をあとにしたあと、BARに気弱そうな若い女性がやってくる。

ユリカの親友である誠子。志賀聖子さん。
誠子が語り出した“告解”が波紋をよび、このBARにおおきな波乱をもたらすことになる。



【第1章】妹の救済
このエピソードは、基本的にまじめで仄暗い印象がある。
好きな雰囲気だけど、このトーンで物語が続いてしまうと、みていて辛い気持ちにばかりなりそうだった。

しかし、第2章と第3章に出てくる『帰宅拒否組』や『ガールズバーの女の子たち』は、そんな雰囲気をふわっと軽くしてくれた。
笑えるし楽しげなんだけど、少しの棘や伏線も隠れていて、ハッともさせられる。



【第2章】帰宅拒否組
コミカルな展開で、男たちの思い切りのいい振る舞いが面白い。
アルバイトの美嘉をめぐる男たちの悲喜こもごもを描いている。

BARカウンターには、森口美香さん演じる、アルバイトの美嘉。オーダーメイドの帽子屋を営むことを夢見ている。小動物的な愛らしさで、BARに足繁く通う固定ファンもいる。私も、みかちゃんをからかって、慌てちゃうとこ見たいなー、と思いながら眺めていました。

帰宅拒否組ファンそのいち、橋本。橋本恵一郎さん。 「げんしけん」という漫画が私は好きで、その漫画に登場する斑目というキャラに似ていた。お調子者で虚勢を張りがち。リアクションがオーバーすぎて若干うるさい。友達少なそう。でもどこか憎めない。純粋なんだろうなと思う。女性に恐怖心を抱いていて、美嘉にだけは心を開ける。

帰宅拒否組ファンそのに、純。榎本純さん。誰よりも美嘉に前のめりなんだけど、誰よりも美嘉と発展できなさそうな奥手ボーイ。表情や挙動がいちいち面白すぎました。関係ないシーンでもそっちみるとつい笑っちゃいそうになって。応援したくなっちゃう純情男子。

帰宅拒否組ファンそのさん、浜野。浜野隆之さん。紳士的で落ち着いてみえるけれど、年甲斐なく若い子に入れ込んじゃうとこが可愛かった。ライバルに対抗して美嘉と関係をもったと嘘をついちゃうとこ可愛い。バチバチにセックスって言葉がツボに入りすぎてダメでした。

帰宅拒否組ファンそのよん、菅生。菅山望さん。 イケメン眼鏡枠のノリのいいお兄ちゃん。でも、この子はフツーに職場やプライベートでもモテそうだし、美嘉以外にも言い寄ってそうだなあなんて邪推もした。妻帯者だけどみかとキスしちゃう。でも、それ以上先にはいけない小心者なイケメン。

帰宅拒否組が美嘉を振り回してるようでいて、振り回されてるところに、男心の可笑しみを感じた。浮気や不倫、かなわぬ片思いばかりなんだけれど、笑い話としてみれるのがなんだか不思議だった。

バイトを辞めると告げた美嘉が、マスターに秘密を打ち明け始めたとき、もしかして、マスターに恋をしてしまったのかな、なんて一瞬思ったんだけど、予想外の言葉にハッとなった。

彼女は、彼らが向ける好意を、ただただ鏡に反射する光のように返していただけで、彼女から彼らに好意を向けてはいなかったんだろう。自分に自信がなく、彼らの瞳にうつる自分の姿は、都合よく美化された虚像なんじゃないか。そんな不安をずっと抱えていたのかもしれない。



【第3章】現実じゃない方
ガールズバーの女の子たちがはなやかで観ていて楽しかった。
でも、着飾っていて明るいだけじゃなく、それぞれが悩みをもっている。
現実と、そこから逃避する姿に、共感をおぼえつつ観ていた。

カウンターには 岡山誠さん演じる、 アルバイトの岡山崎。恰幅のいいドラマー。美嘉とおなじく、バイトを辞めたい、と相談するシーンから始まる。なんでも、新しく出来た彼女との生活を安定させたいため、正社員の職をさがすという。ただ、優柔不断そうで、ちょっと頼りなさげ。からだは大きいけど、気弱そうで、引っ張ってくれる女の子が似合いそう。

みかん。温井美里さん。メイド服を着たパシられ系最年少女子。一見おとなしそうだけど、現実的で芯の強い面もあった。岡ちゃんの彼女。「若くて可愛いから先輩からの風当たりが強かったけど、岡ちゃんの彼女になったから溜飲がさがったんだよ!」「正社員なんて無理に決まってる!」など、可愛い顔で辛辣な言葉を吐くので面白かった。

いちご。真嶋一歌さん。地獄ナースコスプレ。敵に回すとめちゃくちゃ怖いけど、味方だと頼りがいのありすぎる姉御。とにかく登場したときのインパクトと舞台上の存在感がすごい。美人なのに、ふりきれた振る舞いばかりなので思わず吹き出してしまう。いちごねえさんにハグしてほしいなあと羨ましく思った。

もも。加藤なぎささん。のほほんとした癒し系漫画家女子。ゴシック風な魔女のキキをハロウィンのコスプレに選ぶあたりが、漫画描きっぽいなあと思った。ももちゃんの描くクロスワード誌に掲載された4コマ漫画を読みたいと思ったし、たまに新聞や雑誌のクロスワードパズルにはまる自分には劇中のツッコミに対する被ダメージが意外に大きかった。自分のことを美人に描いちゃうとこが可愛い。

ライチ。小島望さん。人妻が白雪姫のコスプレするのはそそるなと思ってみていました。ほかの女の子がわきあいあいとはしゃいでいるシーンで、ひとりぽつんと離れてみていたのが印象的だった。夫の収入が不安定なせいもあるのだろうか、現実に疲れて陰のある表情をしているように思った。ちょっと陰のある人妻が白雪姫のコスプレするのはそそるなと思いました。(2回目)

りんご。藤田りんごさん。なんだかとにかくびっくりした。Pitymanの公演で会った藤田りんごさんは、パートナーとセックスレスの生真面目な姉の役だったから、役の振り幅の違いに驚いた。写真好きで、コスプレにキョンシーを選ぶあたり、めちゃくちゃコアなファンがついてそうだと思った。役作りの裏設定を教えてもらったんだけど、昼間はパティシエをしてる設定らしい。なんだそのギャップある女の子。りんごちゃんのお菓子が好きで昼間のお店に通いつめ、夜はガールズバーで働いてることを知りちょっぴりショックを受けたい。

篤子ママ。久保亜津子さん。ガールズバー「フルーティ」の支配人。篤子様とお呼びしたかったです。人を見る目がものすごくありそうな雰囲気。ただそこに存在するだけで感じるオーラ。どうしてその貫禄で三軒茶屋にガールズバーを開いたのか気になったが、きっと店で働く女の子たちを守るためなんだろうなと思った。ラリパッパ?!って聞き返すのほんと面白い。すっかり成熟した大人の女性かと思いきや、草ちゃんに対する想いでヒステリックに恋い焦がれる姿に、なんだか胸がきゅっとしてしまった。

現実の自分はキツイ、と誰かが言っていた。
誰が言ったのか忘れてしまったのは、皆がハッキリと同意していたからだろうか。

現実「じゃない方」に甘えたり誘惑されたりしながら、かなしくもしたたかに生きている女の子たちが、愛おしいなあ、と思った。



ずっと言及してこなかった、舞台に出てこない登場人物。
ユリカのパートナーである、けいくん。

このふたりの関係が、全編を通して紡がれている。

ユリカとけいくんは結婚生活に向けて断捨離を始める。
ときめくもの以外はすべて捨てる、との約束のもと。

ある日ユリカは、元カノの写真が捨てられていないのに気付く。
ときめくもの以外は捨てなきゃいけないのにどうして?

情緒不安定になったユリカは、元カノの写真と、けいくんの大事にしている蝶の標本を、家のトイレに流してしまう。
それでも気の済まないユリカは、探偵を雇い、けいくんの素行調査を依頼する。
結婚資金として貯めていたお金を、すべて依頼料につぎ込んで。
やがてけいくんは、帰宅恐怖症になるほど、心身ともに追い詰められてしまう。



BARに秘密を抱えてやってきた誠子は、ユリカの親友だ。
親友のユリカのことも、そのパートナーのけいくんのことも、大事に想っていた。
けいくんとは、同じ合唱サークルに所属していた。
日に日に追い詰められていく、けいくんのことを、ずっとそばで見ていた。

誠子はマスターに告解する。
私は、親友のユリカの彼と、けいくんと関係を持ってしまいました。
誠子は涙をこらえながら、すこしずつすこしずつ語っていた。
彼とのささやかな情事。別れ際の淡い期待。親友にたいする複雑な想い。

彼女の告解がとても清らかだったせいで、罪の匂いを感じられなかった。
その清らかさのせいで、彼女の存在が、とても遠くに感じてしまった。



目の前には、草ちゃんとユリカが並んで座っていた。
草ちゃんは、ユリカに依頼されて、けいくんのことを尾行していた。
ユリカが草ちゃんにぽつぽつと想いを語る。
草ちゃんは、気遣うようにユリカに優しくしている。

目の前のふたりの姿ばかり見つめてしまった。
ユリカの白い手のなめらかさから、目が離せなかった。

ユリカは、

生きたまま磔にされた蝶のようだ、と思った。

もがいてももがいても彼に打たれた胸の杭が抜けることはなく。
苦しくてどうしようもなくて、死にたくても死にきれずに、
綺麗な姿のままで、どこにも行けずに絶望してる。

ガールズバーで働き始め、自暴自棄になり、酒と薬に溺れてしまう。
汚物を吐いて店の床に撒き散らす。吐瀉物は見たこともないような色をしている。
草ちゃんは必死に介抱しようとするが、痙攣し朦朧となったユリカの口からは、

けいくん、

と、とても切なげなささやきが漏れる。

吐瀉物を喉につまらせ窒息しかけるユリカ。
姉の三恵子が口移しでそれを吸い出し、

「全部飲んだ。」

と振り向いて告げる姿に、愛情って言葉じゃ括りきれない、力強さを感じた。



【第4章】秘密を以って秘密を制す

第1章とおなじく、ユリカと三恵子が並んで座っている。
しかし、座っているのはテーブル席。
『帰宅拒否組』の4人とマスターが、神妙な面持ちでふたりを見つめている。

テーブルのうえには、綺麗な青い蝶の標本が置かれている。
ユリカがかっとなり捨ててしまった、けいくんのコレクションとおなじ標本だ。
帰宅拒否組の4人が手分けして集めてくれたようだった。

マスターと4人が去り、姉妹ふたりきりになるBARの中。

マスターのいないBARのなかで
神父のいない教会のなかのように
ユリカは、しずかに“告解”を始める。

けいくんのことを想いながらも、草ちゃんに甘えてしまったこと。
相手のいる身でも、つい誰かに頼りたくなる夜があること。
けいくんの気持ちも、誠子の気持ちも、少しだけわかったこと。

もうすっかり、けいくんは、家に帰って来てくれないこと。
それでも、会って、謝りたいということ。
集めなおした蝶の標本を返して、謝りたいと。

戻ってくるかな、と、ユリカは三恵子にちいさく訊ねる。
来るよ、と、三恵子はちから強くこたえる。

暗転し、BAR「さざなみ」の扉が閉じる。けいくんは、最後まで姿を見せなかった。



私の目の前には、不安げなユリカと、前を見据える三恵子がふたり並んで座っていて、急にあかりが消えてしまったので、ああ、憎い演出だなあ。と思った。

けいくんが結局戻ってきたのか、ふたりはどうなってゆくのか、あとの想像は観客に委ねられたままだ。
私の頭の中では、ユリカと三恵子が、あのエメラルドグリーンの扉が開くのを、まだじいっと待ち続けているのだ。

根底を流れる物語の波は仄暗い印象をうける。
もしも現実にまのあたりにしたら、それこそ溺れてしまいそうになる。

でも、ふしぎと沢山笑えて、優しい気持ちにもなれたのはなぜなんだろう。
このBARでの出来事が、現実じゃない方の世界だからなんだろうか。

1日中東京のまちを歩き回って、くたくただったはずなんだけど、帰る頃には不思議と気力が湧いてきていた。
どうしようもなくかなしい出来事もユーモアに変えて、不器用にもけんめいに生きる彼らの姿に会えたからかもしれない。

また今度、東京の三軒茶屋にやってきたときは、きっとあのBARの扉を探してしまうんだろうな。
1999

1999

福島県立いわき総合高等学校

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★


1999年。ノストラダムスの大予言が人類を混乱させる時代のさなかに産れた10人の女子高生たち。彼女らの「世界の終り」は絶望と泥と瓦礫にくすんでも、希望に満ち溢れてた。夢を叫び踊り歌うキラキラした笑顔に、笑いながらぼろぼろ泣いてしまった。

ネタバレBOX

その印象的なフライヤーに出会ったのは、シア・トリエ「US」仙台パトナシアターでの公演だったように思う。私の記憶ちがいでなければだが。
そのフライヤーは、8月に行われるいわきアリオスでの卒業公演のことを知らせてくれていた。しかし、気に留めつつも都合がつかず行けず終いだった。

24日土曜日の午前11時頃、東京へ向かう高速バスの中で、土日の予定が突然すべてキャンセルになってしまい、うろたえている自分がいた。
関東にいる友人に連絡をとっていたところ、かなみんこと、青年団の菊池佳南さんが、こまばアゴラ劇場での公演があることを教えてくれた。

初めてのこまばアゴラ。気になっていた作品の東京公演。幸いにも追加公演があった。
アフタートークには、いわ総の生徒たちを率いる齋藤夏菜子さん、いわき総合高校の表現教育の礎を築いた、いしいみちこさんと、作・演であるFAIFAI/三月企画の野上絹代さんが登壇。
渡りに船とばかりに当日券予約の手配をお願いした。

いわき総合高校の生徒たちは、演劇の授業を通し、コミュニケーションについて学んでいるという。
演劇をとおしてコミュニケーションの手法や意義について考えることには、ずうっと興味があったのだ。
昨年、仙台で「震災と文学」という講演会の際、平田オリザさんのお話をきく機会があった。そこでも、地方での演劇活動や表現活動を継続する意義について熱心に話してくださったのをよく覚えている。
講演を聞きながら、地方都市に住む者としてとても感銘をうけた。

下北沢の南口から、歩いて駒場まで向かった。賑やかで色鮮やかな街灯りのなかをすこし歩くと、大都会の真ん中とは思えないほどしずかで朴訥とした街並みに出会う。

地元宮城にもありそうな、素朴なまちを歩いているときは、あんなにもあらくれて飛びっきりキュートでいじらしい世界の終りに出会えるなんて、想像もしていなかった。

こまばアゴラ劇場は、たくさんのお客さんで溢れかえっていた。

そこに見知った顔を見つけて、驚きとともに、嬉しくなった。
たなりんこと、演出家の田中圭介さんが、かなみんの隣に座っていたのだ。
コマイぬろく吠えめ「親戚の話」で知り合いになり、昨年仙台にて、演劇企画集団LondonPANDA大河原氏主催のワークショップを受けて以来の再会だった。
ふるさと石巻で出会った演劇人と、東京の劇場で思いがけず再会できるとは、ほんとうに思ってもみなかった。

男子高校生が舞台にあがり、会場いっぱいの観客に向かってマイクで語りかける。
緊張しているのがすごく伝わってきて、おもわず、がんばれ、大丈夫。とぎゅっとこぶしを握る。

もくもくとスモークがたちこみ始め、おどろおどろしいBGM、世紀末を思わせるMCとともに、ノストラダムスが誕生を予言した恐怖の大王たちが姿を現した。

そいつらは、ほんとうにどこにでもいる、可愛らしい女子高生たちだった。
どこにでもいて、どうでもいいことに悩み、やってる悪いことのレベルも低くて、純情で空回ってて好きな彼にアイラビューさえ言えないような、イマドキのJKたちだった。

ほんの数か月前の自分たちの姿を思い返して、
「なんかこの頃、私たちキラキラしてんなー。いまはなんか全然だなー。」
って呟くとことかね。ああそうだよね、高校生の頃って、ちょっと前のことでもそういう風に感じちゃうよね、とも同感しつつ。
「いやいやいや君たちいまもじゅうっっっぶんキラッキラだからね。めっちゃくちゃ輝いてっからね!」と心中でツッコミつつ。

ミュージカルだから、劇中歌があるんです。その劇中歌がね、可愛かったんですよ。
あんまり楽しそうに歌うもんだから、ついついこっちも一緒に踊りたくなっちゃう。
手拍子や合いの手を入れたくなるぐらいでした。
でもごめんね、みんなの名前覚えるテストは赤点取りそうです。あの短時間じゃなかなか覚えられなくて、すげー悔しかったです。もらったパンフ見ながら復習します。

そのなかでも私が気になったのは、血塗られたメガネななみ。
なぜか彼女のことが気になりすぎてつい目で追ってしまう。
ななみが、嘘と偽り震えた声で本当の話を漏らすシーンは、席を立って抱き締めたくなるほどに切なさがありあまりました。

「嘘と本当」のエピソードは、ちょうど自分も高校生の頃に友人と話した記憶がある。
夕暮れの放課後、同級生の友人が急に「自分は嘘つきです。これは本当ですか?」
と質問してきた時がありました。
自分は一頻り考え「本当の嘘つきは自分が嘘つきだなんて言わない」と答えました。
なんでわかったの?!と心底驚いていた友人の可愛らしさは、いまでもよく覚えています。

自分は毎日嘘をついて生きています。

「ごめん、お待たせ、待った?」
「ううん、いま来たとこだよ。」
「冷蔵庫のプリン食べたでしょ?」
「ううん、食べてないよ」

数えきれない小さな嘘も、ここに書けないおっきな嘘も。

でも、本当のことを
嘘だと偽って話しても
嘘になってほしい現実は
嘘になってはくれないんですよね。

海にまつわるシーンは、始まった途端に嗚咽がとまらなくなってしまった。本当にこの季節になると、南風とともにわたしのもとに届く潮の匂いに、感情を揺さぶられてまいってしまう。

「海のそばにあって」
「海が見たいなあ」
「海、いま、どうなっているのかな」

そんなセリフが本当にリアルに自分の中に響いてしまって。
当時の彼女らに押し寄せた感情の渦を想うと、どうしようもなくなってしまう。

1999の物語はすすむ。大王の仮面が剥がれた少女たち。
等身大のその姿は、とてもなまなましく、ただそこに存在しているだけでも、ふわっと光を纏っているようだった。

何者かになりたい願望と、何者にもなれないかもしれない不安。
とりとめもない悩みが毎日を支配していて、それでもがむしゃらにひたむきに、どこにでもいる女の子で居続けている。
いつか特別な誰かになれる日を、いつか誰かの特別になれる日を、ぼんやり夢見ながら。

「世界の終り」上演の冒頭。世界のこわれる音がいっぱいに響いた。
“あの日”が頭をよぎったのはもちろんだが、
“いつか来るかもしれない明日”への不安に背筋がひやりとした。

同時に、彼女らの、精神的な拠り所である世界の崩壊を表しているのかもしれない。とも思った。
外の世界に飛び出すことは、とても勇気のいることだ。
旅立ちや新しい挑戦に向かうためには、居心地のよい守られた世界でだけ生きていくことは出来ない。

ああ、でも。
この子たちが、本当に安心して毎日を過ごせる日々が、ずっとずっとずーっと続けばいいのに。
そう願わずにはいられなかった。

この子たちが、安心して夢を語り、前を向いて歩いていけるような。
疲れたらちょっぴり寄りたくなるような。
そんな居場所がずっとあればいいと思った。

ラストシーンのダンス。汗にまみれて踊り回り、夢や希望を叫びながら、笑顔をふりまく少女たち。
いろんな感情がどっと降ってきて、笑っていいのか、泣けばいいのか分らなくて。くしゃくしゃの笑顔でぼろぼろ泣いていたんだと思う。

たなりんが会場にいたからかもしれない。
石巻での多摩美生による「赤鬼」の公演のときの出来事も、思い出していた。
千秋楽公演の直前、本当にすこしだけ、時間が出来た。私はふと思い立って、赤鬼チームに「海を見に行こうか」と提案した。
会場から車を走らせ、雲雀野の浜へと向かった。今現在は、防潮堤の工事が進み、ちがう姿に変わった浜のひとつだ。
浜につくと、みんな一目散に海に駆けて行って、とても無邪気に波にじゃれついているのだ。

なんだか、そうしてはしゃぎ回る彼らの姿と、にこやかに踊りまわる彼女らの姿がふと重なった。

私私私私!私ワタシ私わたし!わたしアタシあたしワタシ!

そうだよ、自分のこと、もっと叫んでいいんだよ。
あなたはアナタしかいないから、もっともっと、あなたの夢にむちゅうになって、アナタの道を走り続けて。そう叫びたくてたまらなかった。

終演後。駒場東大前までの夜道を、ゆっくりゆっくり歩いた。

かなみんが、演劇への想いや、こまばアゴラでの思い出を、隣で語ってくれた。
続けてきたこれまでとこれからを想う熱い気持ちと、
冷静にいまを見据えようとする彼女の言葉の熱量に、頼もしさとうれしさを感じていた。

駅のホームからまたたく星がみえた。
なんだか言葉が出てこなくて、ぼーっと夜空を眺めてしまった。

高校での演劇部時代を経て、彼女らの夢のさきを歩いている俳優と、本当になんでもなく、隣を歩けている。
そんな彼女らに関わる演出家が、本当に嬉しそうに教え子のことを語る横顔を眺めている。
なんだかそんな巡り合わせが不思議でしょうがなくて、こそばゆくもなんとも言えなくて、からだの真ん中があたたかった。
この気持ちをしあわせとよべるなら、そうなのかもしれないと思った。

恐怖の大王たちからは、先の見えないおそれではなく、
ふたたび帰ることのない、いつかのキラキラした想いを、もらったようなきがしている。
いつかまた、舞台上でひらひらと舞う花咲く笑顔に会えることを願っている。

素敵な舞台を、ほんとうにありがとうございました。
「母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ~キャンピングカーで巡る真冬の東北二十都市挨拶周りツアー♨いいか、お前ら事故るなよ、ぜったい事故るなよ!!編~」

「母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ~キャンピングカーで巡る真冬の東北二十都市挨拶周りツアー♨いいか、お前ら事故るなよ、ぜったい事故るなよ!!編~」

MICHInoX(旧・劇団 短距離男道ミサイル)

仙台市宮城野区文化センター・パトナシアター(宮城県)

2017/04/05 (水) ~ 2017/04/06 (木)公演終了

満足度★★★★★

計14公演観劇しました。東北一周旅公演の集大成を魅せてもらいました。これからのご活躍も期待しています!

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