旗森の観てきた!クチコミ一覧

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これが戦争だ

これが戦争だ

劇団俳小

ザ・ポケット(東京都)

2023/07/22 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

この劇団と演出家の組合わせでは、かつて『殺し屋ジョー』という秀作を見た。もう、初日前から前売り完売だったガ、声にならない前評判に負けない良い舞台だった。今回はそうはいかなかったようだが、それは多分、戯曲による。
今回は現代戦争の実地報告書のようなルポルタージュ劇だ。カナダの作品で、アフガニスタンでの国連軍とタリバンとの前線にかり出されたカナダの青年男女四人の戦争体験である。ルポルタージュ劇というのは半世紀ほど前のイギリスのフォークランド紛争を描いた『フォークランド・サウンド』(コズミンスキー)あたりがハシリかと思うが、戦争のような規模の大きな世界を扱うにはリアリティの保証にもなって最近ではよく使われる。
しかし、戦争の実態というならアメリカの本には数多いし、その悲惨を多くの国民が実体験した我が国だって負けていない。一頃、世界で最も暮らしやすい平和な国と言われたカナダ人の戦争体験は、外国へ行っての体験であることもあって、今ひとつ切実感がない。
戦闘の前夜の興奮で男女兵士がやってしまうとか、戦場で不意打ちを食って児童を殺してしまったとか、目前の戦闘に動転して救援へり呼び出しに失敗するとか、どうしても只のリポートになってしまう。これではならじと演出者は督励するが、現実戦場となると日本人青年にも基本、体験がない。戯曲も舞台の上もどうしてもきれい事になってしまう。まぁこの結果はやむを得ないと思われるが、その戯曲の範囲で、四人の出演者は、よく頑張っているし、演出も、同じ場面を時間をずらして視点を変えてみるという趣向を生かして面白く見せている。1時間40分。
シライケイタはこの後、座・高円寺の芸術監督を引き受けると言うから、小劇場ならではの芸術監督の新生面を切り開いて欲しい。ここ数年で大分太くなった演劇作家の意欲作を期待している。

犬と独裁者

犬と独裁者

劇団印象-indian elephant-

駅前劇場(東京都)

2023/07/21 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初めて見る劇団だが、もう20年もやっているという。記念公演だ。主催者の鈴木アツトのカンパニーのようで公演数が少ないから見る機会がなかったのか、目立たないようにやってきたのか。作者にこれだけの力量があるなら、もっと注目されるチャンスはあっただろうにとも思う。
スターリン独裁下のソ連の劇作家・ブルガーコフの話である。鈴木アツトは時代の罠に落ち込んだ芸術家の評伝劇をいくつか書いていて、これもその一作だ。芸術家の伝記というのは数々ある名作を引くまでもなく、演劇向きの材料だ。
ソビエトの社旗主義国家という構想は今も人類の忘れがたい夢の一つで、ソ連の夢の後引きになったウクライナ戦争が泥沼化している現在、時宜を得た良い企画である。
物語は、グルジア出身のスターリンが青年時代には現地語で詩を書いていたことを梃子にしている。あの愛に満ちた詩を愛した青年が、社会主義の理想に触れて、なぜ、世紀の殺戮者になったのか。スターリンは、自分の詩を封印してしまう。
舞台では、頭角を顕しはじめたブルガーノフにスターリンの評伝劇を書くようにとモスクワ芸術座から記念公演のために注文が来る。スターリンの詩人性と、脇目も振らず全体主義国家構想への邁進したスターリンが、劇作家の中では融合していかない。作家自身の身辺の前妻と現在の妻との葛藤、飼い犬と劇作家の関係、モスクワ芸術座の見事なまでの忖度ぶりと変節が、巧みな劇作術の中で展開していく。この実話性は一部は聞いたような記憶もあるが、そこはどうでも良い。今の時代につながる現代の芸術家の当面する現代の病癖をドラマにしている。ほどよい前衛性もあって、忘れ去られている後期ソ連時代に現在の後期アメリカ資本主義が重なってくる。知的な構成で、変なキャンペーン性などまるでないところも見事である。戯曲はうまいものだ。
しかし、この作品を生かすには、表面に立つ、演出・演技が戯曲に遠く遙かに及ばない。それでも、一応満席になっていたのはひとえに戯曲の力である。そのほかの点は一つ一つ悪口を言うのは止めるが、この本を、文学座のアトリエで今、旬の女性演出家の手で見られなかったのは残念というしかない。30歳代の若い作家たちはかつての新劇の運動性とは無縁である。劇団運営も演出も得意ではないだろう。この惨憺たる俳優陣にもどう言えば良いか解らなかったのではないだろうか。戯曲を他者に渡すという共同作業が出来るオープンな場を積極的に作ることがこれからの日本演劇の課題だろう。



ストレイト・ライン・クレイジー

ストレイト・ライン・クレイジー

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

内容的には燐光群の今までの演目のような社会問題を扱っているイギリスの作家の翻訳劇である。燐光群40周年の記念公演という。もうそんなに年月がたったのかと感慨もある。
いつもの正邪明白、立場明白の戯曲ではなくて、一頃よく上演されていたインフォメーションドラマ、のタッチである。そういえば、坂手の初期の作品は、よく考え抜いたこの手の作品があったな、ト思い出す。「天皇と接吻」「海の沸点」、多作の作者だからすぐには思い出せないが、フレッシュな視点から現実に発言するドラマだった。しかも見ていて面白い。
今回の作品も、演劇激戦区の英米市場の作品だけに、都市開発問題を扱っていてもなかなか手が込んでいる。ニューヨークの都市計画を強引に推し進めた官僚の功罪を問うドラマである。1920年代後半、大恐慌の前、この官僚(大西孝洋)が、利用できる政治家(川中健次郎)や腹心の部下(秘書、技師・((竹山尚史)大健闘)を、自己の構想のママ使い倒して、平民の幸福のために自動車社会をスムースに実現できるよう近代的な都市計画を実現していく。ここまでが前半で、後半はそれから30年(1950年代後半)。官僚は、下町改革に取り組むが、ヴィレッジの多様な住民の反対に遭って挫折し、腹心たちも離れていく。
関東大震災後の後藤新平の改革はどうだったかと問うようなもので、大都市の住民にはどこでも共通する問題をうまくすくい上げている。最後に、ヴィレッジは現在NYで住むには最高級住宅地になっている、というオチがついている。
大都市住民とその環境整備の公と私を巡って、現在も大きな問題を抱えた都市問題を多角的に扱っており、一つ一つの論点を巡っても、限りない議論が生まれる。そこをあまり一方的な視点に落ちず、また、日本ではよくある人情話に落とし込まず、2時間20分、休憩なしで押し切った。多面的な情報を仕組んだ戯曲のうまさが第一の見所である。
燐光群の俳優たちも初期からの人たちも多くこう言うドラマには慣れていて、ソツはない。しかし、いつも感じることだが、役が見物が楽しめるように膨らまない。必要ないと思っているのかも知れないが、秘書の役なんかもっと面白くやれるのに、と思ってしまう。せっかく森尾舞という技術、ガラ抜群の女優を呼んできているのに、これでは勿体ない。


丹下左膳'23

丹下左膳'23

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2023/07/11 (火) ~ 2023/07/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

おなじみの椿組の夏芝居。今年は酷暑の日に見ることになった。
「丹下左膳」はかつて見た、と思っていたら、なんと四回目の十八番だった。ほとんど過去公演は忘れていたが、今回は大幅に手を入れたらしく一層祝祭劇的なはじけ方だ。忠臣蔵を枠取りに使い、山椒太夫や民間伝説などを組み込んだ丹下左膳物語だが、芝居を見ているだけでは、筋立てはわかりにくく、それよりも、五十人にも及ぶ出演者が、舞台の土間を大きく横切って組まれた太鼓橋の上下で、繰り広げる、大殺陣をうちわを使いながら呆然とみるという結果になった。そこが、年中行事化したこの芝居の値打ちでもある。


チノハテ

チノハテ

Nana Produce

赤坂RED/THEATER(東京都)

2023/07/06 (木) ~ 2023/07/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

江戸時代には巷の事件を元に歌舞伎劇の舞台化が行われたときくが、これはまさに昨今話題のフィリッピン根城の悪党団摘発を芝居にしたキワモノ。なかなかよくできている。
田村孝裕は劇団ONEOR8(いちかばちか)を主宰してもう三十年近い。もう、岸田戯曲賞はとっくに取っていてもおかしくない実績なのだが、小ぶりな素材で変にうまいところがネックになっているのかも知れない。今回は同じような出の寺十吾が俳優として出ている。初めて見るプロデュース集団の製作である。
日本ではみ出した浮浪者(寺十吾)にいい加減な暮らしの女(鶴田真由)を父母に、行き場のない若者三人(松島庄汰 池岡亮介 竹内夢)が兄弟の疑似家族となって、フィリッピンらしき某国山中の抑留所のような小屋(このなんだか解らぬセットはうまい)で、時々見回りに来る現地人(依田啓司、後で実は日本人と解る)の目を盗んで、犯罪団の手先(渋谷康幸)の言うままに違法薬品の運び屋の中継点のような仕事をして辛うじて食っている。危険な仕事で地元住民との軋轢もあるが、一応は家族らしく暮らしている。前半のこの構造が解るまでの、なにやら不思議なチノハテの小屋の生活が、なかば現在の張りのない日々の日常生活と重なるところもあって面白い。後半は、身元が発覚しそうになり逃亡しようとなって、それぞれの身元が明らかになり対立しながらも外部とも戦わなければならなくなり、そこでお互いの本音が明らかになり、結局全員が自滅していく。
スジを書けばこういうことなのだが、この作者らしくその間のどうしようもない人間たちの荒唐無稽に見えるくらしぶりがリアリティを持ってくるところが見所か。
パンフレットを買えば製作意図や作者の意図ももっと明白になるかも知れないが、パンフレットを買えば一万円を超す。それはちょっと高い見物料だ。休憩なしの1時間50分。
入りは平日の昼8割近かった。

ダ・ポンテ

ダ・ポンテ

東宝

東京建物 Brillia HALL(東京都)

2023/07/09 (日) ~ 2023/07/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

予習をしていかなかったので、翻訳ミュージカルだとばかり思っていた。しかも、池袋でやるからには内容だけで買ってきた二流の作品ではないかと。
ところが、これは純国産、しかも謙虚にも音楽劇と振っているが、世界的な素材で国産ミュージカルを作ろうという東宝らしい野心のあるトライアウトだった。スタッフ・キャストは東宝が長く目をつけていたスタッフに、東宝ミュージカルを支えてきた優れた若手の実力あるミュージカルの俳優たち(東宝なのにタカラヅカや東宝演劇で看板になる名優をを外している)である。
内容はモーツアルト外伝。松竹の『アマデウス』があるだけにずいぶん損な題材で、しかも才人同士による葛藤というところも似ている。こちらは、劇作家・詩人と作曲家だから、作曲家同士のアマデウスとは異なるが、やはり、モーツアルトあっての素材だから取り上げるには社内でも抵抗があったに違いない。それを押して上演するだけの情熱を感じさせる公演だった。客の勘は鋭い、平日夜の公演でブリリアの一階席ほぼ、満席。
順に行くと。
内容は、イタリアのユダヤ人詩人・作家・ダ・ポンテが当時の芸術の都ウイーンでモーツアルトのオペラの台本を書く『フィガロの結婚、『魔笛』最後に『コシファントッテ』。ほぼ数年だけの交流の中に、ものを書く天才と、作曲する天才との宮廷に生きる男と彼らを巡る女たちとの葛藤が描かれる。モッツアルとはこの後すぐ死んでしまうがダ・ポンテは零落してアメリカへ渡り古書店主で長い余生を生きる。彼の晩年の回想が枠になっている。
作・演出は青木豪。小劇場グリングから出発してそろそろ三十年か、商業演劇も、音楽を使った劇も経験があるはずだが、今回はよく期待に応えている。現代ミュージカルらしい音楽を巧みに使った話の進め方。技術的には音楽から台詞に入るところ。二人の才人のそれぞれのドラマの重ね方など説明的にならずにテンポよく進めていく。残念なところは、肝心の言葉と音楽という二大テーマの葛藤について良いシーンも曲も見つからなかったこと。説明的な群舞のシーンがおざなりになっていること(最初のなくもがなのニューヨークの群舞で、これはいかんのではないかと思った)。原作がテレビ作家だから仕方がないと諦めずにそこは共同で考えてでも良い本ガ出来れば良いのだ。欧米のミュージカルの作者クレジットにはいやになるほど人名が並んでいることがある。作者同士の内輪もめ(があったかどうかは知らないが)は製作者にとっては全くウンザリなのはよく理解できるが、そこは皆大人になって話し合って。この素材を生かして欲しいものだ。ミュージカルの場合は映画と同じで黒沢方式が有効だと思う。
作品の骨格は出来ているのだから、再演ごとに直せば良い。東宝もうまく作れば帝劇でも出来るかも知れないし、輸出も出来るかも知れない。『ベルばら』は西欧では上演できない現実も、今は具体的に考えられる時代になっている。後でも書くが、あまり日本の客ばかりを考えるのでなく世界基準で考えて貰いたい。
小劇場作家をうまく使うのは松竹も同じで、扉座の横内謙介を歌舞伎で使って成功した。想像で言えば、初めて書いたときは横内も歌舞伎など、ろくに見たこともなかったはずだ。金銭的に豊かになった2/5次元でも最近はよく小劇場の作家を起用するが、あまり成功したという話は聞かない。古い歴史のある興行会社には何か独特の勘のようなものと、少しは辛抱するところがあるのだろう。青木もせっかくの機会なのだからここはじっくり取り組んで欲しい。
音楽・笠松泰洋。モーッツアルトがあるのだから苦戦なのは同情するが、健闘している。良い曲と、かつての東宝ミュージカルを引きずったような曲が混在している。ここも、再演出来れば、できるだけ洗って欲しい。古めかしい歌詞に昭和を引きずるようなメロディ進行が重なるところが数カ所あって、そこでかなりゲンナリする。オケはたった六人でやっているとは思わなかった。カーテンコールで解ったが、最近の打ち込み音楽はすごい。
美術は三段重ねのノーセットで奥にオーケストラという布陣。これも少し道具をスライドで出すだけで処理しきっている。衣装は西洋時代物の定番だ。
俳優は海宝直人と平間壮一のモーツアルトとダポンテ。二人とも実力十分、これからのミュージカルを背負う俳優たちである。脇を隙なく固めた助演俳優陣も言うことなしであった。東宝は時に、さらに外れの1010でトライアウトをやるが、このブリリアもつまらない新新作貸し館よりと対アウトを看板にしてはどうだろう。

海戦2023

海戦2023

理性的な変人たち

アルネ543(東京都)

2023/07/05 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

珍しい企画の上演なので、梅雨の合間の炎天下、西武池袋線に乗って富士見台のビル地下室まで出かけた。異色の点。まず、百年前の築地小劇場初期のオール男性の役の作品を全員女性の俳優で上演する。その女性俳優は、すべて、東京芸術大学で、演劇、音楽、絵画、映像、デザイン、伝統芸能などを学んだ卒業生。だが、現在俳優(演劇)専業者はいない。演出だけは文学座の中堅の生田みゆき、ここのところ良い演出作品が続いている演出のプロ。彼女も芸大大学院の卒業生。グループの名前が「理性的な変人たち」第三回の公演である。
いまも、芸大は日本国中から芸術の抜きん出た才能のある若者が集まる学園であることは誰も否定しないだろう。その若者グループが芸術分野の垣根を越えて演劇をやる。うーむ、なんか面白そう。
「海戦」はもう築地の初演を見た者は生きていないが、記録はある。初演はきっと、第一次大戦時の戦争ヒロイズムに彩られた戦艦の砲塔内の砲手たちの戦場リアリズム劇だったのだろう。今このテキストを選んだのは、いま戦争が世界各地で起こり、日本も無縁ではなくなった時勢に合わせたのだろう。一方、戦闘員(兵)が全員男子だった頃に書かれた本を、現代日本の女性がやる。思い切ったトンガリようだ。これが「理性的な変人たち」の企画か?
劇場のアルネ543は舞台を中に正面と下手に80ほどの客席があるL型の劇場である。ほぼ正方形の狭い舞台を工事現場の金属骨組みで囲んで戦艦の砲塔。囲まれた中は骨組みの間から透けてみえるつくり。四角の窓らしき者がぶら下がっていて、ここから海上や敵情が見える。長い筒で砲を示したり、軍服は着ていないが白い実験室の服を着ていて、それを脱ぎ捨てると戦死したことになる。衣装・小道具を含め現代演劇の小劇場の美術だが、センス良くまとまっていて、さすが芸大の俊英たちの舞台である。
戯曲は戦艦の砲塔の砲手五人の戦闘開始の前夜から、どうやら引き分けに終わったと見える戦闘の終わりまで。それぞれ普通の社会の思い出やら、家族やら、今の砲塔の中の友情とか、このあたりは百年前の本だから、今となればありきたりで、今回は多分大幅にテキストレジして、現代の小劇場作品に仕上げている。幕開き、戦闘前の眠れない夜にちょっと歌ったりする曲が、難しそうなメロディなのに、軽々と歌ったり、見慣れない楽器をちょっといじって聞き慣れないが良い劇伴にするところなど、ここは音楽専攻の芸大生の腕前である。演出は狭い空間に芝居とダンスと混ぜたような複雑な動きと台詞を俳優たちに要求しているが、これも難なくこなしている。台詞も、あまり表現に難しい言葉は少ないが、うまいものだ。リーダー格の砲兵を演じるなど俳優としても十分通用する。
新しい小劇場の上演としても、ユニークなタカラズカとしても、立派にサマになっているのだが、この公演を女性だけでやった意味はよく伝わってこない。ジェンダーをテーマにしているのはうかがえるが、性差をなくせ!というのか、意識するな!というのか、もっと女性の地位を上げろ!といっているのか解らない。それは性差が最もよくわかるセックスのシーンに現われていて、セックスが話題になると、途端にみな男役として役を演じてしまう。
芸大の俊英たちの意味も、表面的にはよく見とれるが、積極的な座組に生きていない。
レパートリーも今までを知らないからなんとも言えないが、いかにも表面的な「海戦」を選んだのは「理性的な変人」とは思えない。もと身近にこのテーマに明確に迫れる作品。例えば、昨年生田が演出した「建築家とアッシリア皇帝」(アラバール)とか、芸術をネタにするなら三好十郎の「炎の人」とかやってみたらどうだろう。
と、書いてもみるが、才能の氾濫を見るのは、良かれ悪しかれ楽しいもので、是非頑張ってほしいものである。


ネタバレBOX

会場で、テキストの築地とこの公演の訂正箇所対照表を200円で売ったいる。ちょっと甘く見て、言い訳なんか聞きたくない、徒かってこなかったが、ちょっと残念。それがあるともっと別のことが書けたかも知れない。
或る女

或る女

演劇企画集団THE・ガジラ

シアター風姿花伝(東京都)

2023/06/30 (金) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

戦前の現代文学はほとんど漱石独り占め、宮沢賢治少々、という状況だが、こんな何度も映画化された素晴らしいファムファタール・モノがあることをすっかり忘れていた。鐘下辰男の脚本は実にうまい。複雑なスジを男(千葉哲也)と女(守屋百子)の流転の悪女モノにまとめ切った。例によって、観客を真っ暗な劇場の別世界へ連れて行き、ドカンドカンと大音響、良いところで宗教音楽で泣かせる、という演出も健在で、二幕3時間。夜の公演だったらバスもなくなって、目白まで歩き、さらにその先は銘々観客のご勝手だが、それでも、芝居好きには是非おすすめの舞台である。客席たった35席。珍しく中年を主に男性客の方が多い。
こう言う劇場環境で、よく千葉哲也付き合った。こういうところはやはり昔のガジラでの縁が生きていた。ガジラには女優がいなかったのがこう言う場合に致命傷になる。
女は三時間ほぼ出ずっぱり、妖婦の多面性を演じるのは誰がやっても難しい。よく頑張り抜いたこの女優さんには酷だけど、ここは、芝居好きはそれぞれご贔屓の女優を思い浮かべて楽しめば良い。それほど、芝居になっているのである(私なら、秋山奈津子)。
原作は五十年ほど前、読んだ記憶があって、文学全集を引っ張り出してみたら、やはり、古色騒然の戦前文学である。芝居で生き返ったのである。こういう戦前文学は大衆文学は時折昼メロの原作になるが、一応文学とされている作品にも今劇化して面白い作品があるかも知れない。ここは鐘下の慧眼に★。後は、こう言う芝居せめて俳優座クラスの劇場公演にグレードアップしてみてみたいモノである。

ブラウン管より愛をこめて-宇宙人と異邦人-(7/29、30 愛知公演)

ブラウン管より愛をこめて-宇宙人と異邦人-(7/29、30 愛知公演)

劇団チョコレートケーキ

シアタートラム(東京都)

2023/06/29 (木) ~ 2023/07/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

いつもは制球の良いチョコレートケーキだが、今回は少しフォームを変えて初めての球を投げてみた。残念!大きく球はスライドしてボールだが、いつもストライクとは行かないのが芝居だからがっかりすることはない。斉藤憐はかつて、劇作家は打率1割五分でプロだと言ったがこれはホントだと思う。チョコレートケーキは6割は打っている。
失敗の原因。
ひとつ。もう十分に手慣れたメタシアターの作りにしているが、枠(特撮プロの作り手)も中身(彼らが作る特撮のヒーローモノ)もあやふやすぎて耐久力がない。今まではどちらかに厳然とした公知の歴史的事実があるからどちらへ振っても手応えがあったが、一部のマニアしか知らない子供向けのドラマを軸にしたためにフラフラして、差別というテーマに絞っていけない。
ふたつ。差別という難題にもいろいろあるが、生活感のある民族差別とか、職場差別とか、
こう言う問題は個々のケーススタディになるから軸が定まらない。結局枠もズブズブで、最後に突然監督も差別の一因という意外な条件が出てくるが、ここまで引っ張るのはいかがか、苦し紛れが観客に見えてしまう。なんだかこれでは中都留ドラマだ。
三つ。個人情報は知らぬ顔の時代になったが、古川―日澤のコンビは学生劇団(それもほとんど知られていない大学の)から仲良く続いて秀作を連打してきた珍しいコンビだが、お互いに独立して商業劇場でも仕事も出来るようになった。芝居で食うためには当然の成り行きなのだが、自分の劇団ではもっとこじんまりと、焦らずにやってみてはどうか。
かつて、宮本研も木下順二も、あの秋元松代ですら、結構放送ドラマ(ラジオ・テレビ)をこじんまりとまとめて、それで放送界では大きな賞をて大作家扱いされていた。古川も山本五十六のロンドンなどという難しい材料(中身がなにもなかった)ではなく、日澤も商業劇場の演出では、自己トレーニングになるような仕事をしてみたらどうだろう。組んでいると、やむなく「アルキメデスの大戦」をやらなければならず、これでは休めない。
この作品の監督と作者のようなことにならないように難しい中年期を切り抜けて面白い作品を見せて欲しい。

ネタバレBOX

決め球のつもりかも知れないが、監督がゲイだったというのは、いくら何でも唐突でやり過ぎである。
ある馬の物語

ある馬の物語

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2023/06/21 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

コロナ初期に上演予定だった作品が上演されることになった。演出の白井晃はこの間に世界はずいぶん変わってしまったと述べている。要約すれば、この作品で扱っている大きなテーマは経済格差、人種間の偏見と差別。他者への不寛容。確かに白井の言うとおり、三年前よりそれらは顕在化して今こそ上演の好機とも言えようが、観客側もこれらの問題への受け取り方がより深刻になっている。つまり、芝居を見てる場合じゃないよ。
舞台はびっくりするほどよく出来た音楽劇である。この国立でも、都立でもない「区立」の案配の良い劇場にふさわしいしっかりまとまった舞台である。出演者が良い。成河が主演のまだら馬を熱演し、別所の役立たずの侯爵がそれを受ける。他の出演者も皆歌えるし体もよく動く。工事現場のような作りの美術、金管四本のナマの音楽がいかにも白井らしい舞台の作りで、芸術監督が替わったことを実感させる。舞台と観客の間の緊張感もあって、隅々まで、こうでなくっちゃ、という良い芝居見物になった。しかも、チケットは一万円をかなり割る。休憩20分入りで2時間半。ほぼ満席。

ネタバレBOX

おすすめはちょっと生意気な中学生。きっとはまると思う。。
兎、波を走る

兎、波を走る

NODA・MAP

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2023/06/17 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

野田秀樹二年ぶりの新作はいかにも野田らしい不条理劇だが、劇場の空気はむなしい。
素材は北朝鮮の拉致問題。拉致は日本だけでなく、紛争地域でも、極貧国でも、先進国の一部でも現実にある普遍的問題で、現実の社会問題に伴う雑音に臆することなく演劇の素材に選んだのは、さすが日本を代表する劇作家の見識である。かつて木下順二が果たした役割を担おうとしている。ここは本当に偉い!というしかない。たいしたものである。
作りは不条理劇。その点ではすでにピンターが四十年も前に拉致を素材に『バースディ・パーティ』という作品を書いている。ピンターに比すれば、野田は解りやすくこの問題に入っていく。野田演劇らしいメタシアター作りで、こちらの素材は、不思議の国のアリス。母親(松たか子)アリス(多部未華子)物語の入り口の作者に野田秀樹。物語の受け手側に秋山奈津子と大倉孝二。このあたりの布陣は完璧と言って良い当て書きで、この重苦しい物語がずいぶん見やすくなった。こうして物語の中の兎(高橋一生)や母親の不思議な国でのアリス探しと拉致問題を重ねていく。
タイトルから物語を発想したと野田が言っているが、無垢と無知のウサギが、波に乗るというイメージが不条理劇的でもあって成功している。いつもの言葉遊びも控えめながら健在で『妄想』と『もうそう』なるしかない、を掛けたところなどうまい。
しかし、この作家の久しぶりの現実を直接背景にした全力投球も、作者が言うように『作家の無力をこれほど感じることはない』結果になっている。現実には、場合によっては国家間戦争になりかねない問題が、これほど明らかに提示されても観客には伝わらなかった。一夜のスター俳優を並べた大入りの公演の一つとして二十代の女性を主とした観客のお芝居見物にしかならなかったのは「あーあ」というしかないだろう。
いつもは、最後に何度もカーテンコールで嬉々としてみせる野田も、女性客が立ち上がり拍手しているのに今回は数回で出てこなかった。

点滅する女

点滅する女

ピンク・リバティ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2023/06/14 (水) ~ 2023/06/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

不思議な空気のある新人の舞台である。初見の劇団。
ホームドラマに幽霊を出すという手はもうノエル・カワード以来、出尽くした手だし、ホームの事情もよくある話、蛍を最後のクライマックスに持ってくるのも、もう何度も見た芝居の設定なのだが、いつのまにか2時間、持ってしまう。
たぶん、これは舞台の独特のテンポにあるのだと思う。ほとんど従来の序破急の劇的構造による進行に頼ることをしないで、ひとつひとつ確認するように事件が進んでいく。そのテンポに乗ってみているうちに不思議なリアリティが舞台に生まれてくる、この他愛もない世界が、実は「現代の社会の中で失われた家庭」であることが解ってくる。作者はこのことについて劇中で、なくもがなの短い家族論の演説を試みるがそんなモノはなくてもいい。
長い歴史のある演劇の世界では、「はじめて」と言うことは、貴重である。ことにこの作品は、戯曲、とか台詞、役者、美術など具体的、固定的なモノでなく「独特の芝居の空気」
だから、霧散するのも早い。次回を見るのが怖いような公演だった。


ネタバレBOX

野田秀樹も岩松了も前川知大も自分だけの独自の空気を舞台から失わないために、大きなエネルギー、と知恵を使っている。それを見る観客がいるから、彼らは続けられるのだ。作者頑張れ!
仮名手本忠臣蔵

仮名手本忠臣蔵

花組芝居

小劇場B1(東京都)

2023/06/21 (水) ~ 2023/06/27 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★



「仮名手本忠臣蔵全十一段」を一気に見せる、花組芝居ならではの総集編だ。
敵討ちの進行と、それに関わった人々のドラマを90分二本の前後編にまとめて見せる。
すべての段から有名場面はもとより、見栄えの良いところは全部とっている。大歌舞伎でもあまり見ない段まである。それでいて、無理矢理現代ぶっているところや楽屋落ちがない。様式的な統一もあって、きちんとした古典の一つの現代上演になっているところが素晴らしい。花組もまた、木ノ下歌舞伎とは明確に異なるコンセプトで歌舞伎古典に挑み、三十年、これだけの成果を出したことは誇って良いと思う。花組を入り口に古典に親しむようになった、という観客は少なくない。古典の底辺はこうも広がる、ということを、原点を損なわずに現代につなげた功績は大きい。今回もよく出来ている。








樫の木坂 四姉妹

樫の木坂 四姉妹

夏の川企画

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2023/06/15 (木) ~ 2023/06/21 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

夏になると、必ずこの手の反戦・平和路線ドラマを上演するのは旧新劇時代からの日本の演劇風物詩である。懐かしい感じだが、いまいかにプーチンが核を使いそうだといっても、その迫力を失っていることも事実で、かつては何本も量産されていたのに、現在は数少ない。上演あれても、こう言うオーソドックスな型どおりの筋書きにかわって、例えば、チョコレートケーキやパラドックス定数の政治劇では、かなりリアリティのある人民側にたった物語の上に納得できる現代の人間像が描かれている。
だからといって、こう言うドラマを上演する演劇人たちも、この芝居も見るだけで反繊運動に参加した気分になる観客も、批判しようとは思わないが、ファンタジーの世界に酔っているのはいかがかと思う。少しは迫力のある企画を考えた方が良いと思う。政治劇は時代を外すと途端に時代遅れになる。
一夜の芝居としても、結構新劇大劇団のトップクラスの俳優が参加して、演出者も青年座から出ているのに、物足りない。大きく問題点は二つだと思う。まず脚本。十年ほど前に俳優座が上演したという創作劇だが、そのときと今とはずいぶんこのテーマに関する周囲の状況が変わっている。そこがつかみ切れておらず、古いままやっている。きめの細かい作家ではあるが、こう言う素材なら、ウクライナ問題があり、コロナが流行って、政府が国民に何事も平気で強制し、国民が唯々諾々と従うようになった現在が見えないと懐メロになってしまう。俳優は新劇団を代表する劇団のトップ俳優が出ていて、それなりの実力は見せてくれるが台詞回し術だけに止まっている。台詞でいやというほど人物の背景説明しているのに役にリアリテイを持たせる演技の工夫をほとんどしていない。過去のシーンが出てくる必要があるとは思えない。それよりも、もう老年になった三姉妹の生活のリアリティだ。これは演出にも責任がある。ここが第二。話にリアリティを持たせるセット(美術)の工夫もない、例えば、せっかく写真家の第三者を置き、写真という小道具まで言っているのにドラマになっていない。
久しぶりに新百合ヶ丘の小劇場へ行ったが、約6割の入り。ここまできた甲斐があったといえないところが残念。

少女都市からの呼び声

少女都市からの呼び声

新宿梁山泊

花園神社(東京都)

2023/06/11 (日) ~ 2023/06/26 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

唐十郎らしい初期の作品だ。
唐十郎もすっかり現代演劇古典の一角を占めるようになって、この唐節満載の舞台にも観客は慣れている。ことに今回は、このテント公演を皮切りに、続いて、渋谷のおしゃれの先端パルコ劇場で、ジャニーズやタカラヅカ、さらにはナイロンの人気者を迎えてひと月(30公演)の公演を控えている。秋にはこの本で劇団新宿梁山泊の新人公演をザ・スズナリでやるという。この興行形態もかつてない挑戦的な試みである。昭和後半以降の劇作家で、小から大まで、どんな劇場でも上演できる作品が描ける作家は数少ない。
赤テントの継承劇団では最大の劇団の首領・金守珍の演出で、続くパルコ公演も、ほとんど脇は同じキャストでやるらしい。他の継承劇団がもっぱら唐作品だけしかやらないのに、新宿梁山泊は、キムの作品をはじめ韓国作品など手数も広く、テントに変わる主劇場・すみだパーク倉もある。今回は始祖の地、新宿花園神社の境内に紫テントを張って夜だけのの16回の公演である。
「少女都市からの呼び声」は初期の唐の奔放な劇的世界がよく現われた作品だ。
主人公の名は、いつもの田口。舞台が開くと田口(六平直政)は原因不明の病で倒れ、緊急手術の手術台の上にいる。緊急手術の結果、田口の腹の中からはふさふさとした女性の髪の毛が摘出される。それは、双子として生まれるはずだった妹、雪子(水島カンナ)が田口の体内で育った髪の毛だった。田口は幻の雪子を探して旅に出る。
さすがに作者だけのことはあって、唐十郎本人の雪子の説明はうまい「男が起きるときだけ起き上がるもろいガラスの少女、自分の変わりに生まれていたかも知れない少女、舞台には、いつも、損阿はかなく美しい妹が潜んでいるのです」。かくして、ガラスの体をもった少女は、満州の荒野をさまよい、オテナの塔を目指した旅する田口の前に清純と淫靡のさまざまな姿で現われる。
満州に君臨するフランケ醜態博士(金守珍)、日本軍の連隊長(風間杜夫)、彼らを支える看護師たちや兵隊、乞食老人が紡ぎ出す幻の世界を縫って蝶の羽を背に一輪車に乗った子供のような島田雅彦(染谷知里)が駆け回る。
話の筋はよくわからない。しかし見ていれば、舞台に引き込まれてしまうのが唐マジックである。奔放なイメージで次々に現われるシーン、言葉の力。何かにとりつかれたような俳優の演技、押し被せるような大音響の音楽。かつての暴力的な力は薄くなっているが、それでも、舞台はテントを圧倒する。
ここには出発点の唐の演劇が残っている。それが、あの、パルコ劇場は移ってどうなるか。一部の俳優が変わるだけで、唐を引き継ぐこの演出が大きく変わるとも思えないが、たのしみではある。


ネタバレBOX

戯曲が手に入りやすい形で出版されている。読むとなるほどとよくわかる。早川書房刊の演劇文庫。
楽園

楽園

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2023/06/08 (木) ~ 2023/06/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

相変わらずの新国立の新人シリーズ。今年の三人は、それぞれすでに実績もある人たちだが、なんとか見られたのは須貝英だけで、後は、新国がお役所、政府筋向けにお茶を濁しただけだった。今回も、選りに選って難しい沖縄問題を扱っている。
「未来を担う」作家も沖縄の官費旅行が出来るなら良いかと引き受けたのかも知れないが、途中でさんざん「センセイ、そこはちょっとご配慮いただいて・・」と言われたのか、なんとも中途半端な出来である。
南方諸島の散村で伝統祭事が行われようとしている。折から村は選挙の真っ最中、村長派と村議会長派が対立し、その家族も祭事に参加している。本土からはテレビの情報番組のクルーが撮影に来ているが、その撮影許可を巡って両派は対立する。ここらあたり、最初はきっとそうではなかったのだろうと思わせるが、やむを得ない。
舞台は祭事に参加した女性だけ七人の舞台で。全員達者なと言うより、うまい人たちが揃ったので、こういう事態にも事を荒立てることなく1時間40分務める。昔、というか五十年前なら、こうはいかなかったろう。
芝居から見えてくるのは、こう言う民間の些事を巡っても、もう誰も責任をとらない、いや、とる体制が全く崩壊してしまっている、それなのに、選挙という表向きは責任を取るシステム自体は事々しく通用している、それに乗ったモノは勝手なことをして傲慢だ、ということである。新国も予算があるからやれば良いというモノではないよと、この若い女性作家は皮肉を言っているのである。
そこはお見事、であった。いつも通り、半分の入り。老人が半分。

R.P.G. ロール・プレーイング・ゲーム

R.P.G. ロール・プレーイング・ゲーム

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2023/06/09 (金) ~ 2023/06/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

宮部みゆきが、現実の小市民の生活に素材をとった市民ミステリの傑作を連打していた頃の代表作の一つ。ことに現実生活から逃亡するためにネット上に疑似家族をつくるというネット社会らしい発想が生きていた。あれからもう二十年もたったかと思うが、現実にはもっと悪質なネット犯罪や世界的規模の金融問題なども起きていていまなお新鮮さを失っていない。ことに、タイトルにもなっているR.P.Gは、演劇で言えば、古くからあるメタシアターの構造がそのまま乗る。
脚本は、原作の面白さに乗って、本当の家族、疑似家族、その枠の上に課せられた犯罪事件の究明、の三つのシチュエーションを攪拌しながら進んでいく。手際はなかなかうまい。
しかし、この脚本を面白く見せるには、やはり、俳優の力量が要る。
全員が同じテンポで、台詞の番が来たら言います、という調子で進むので原作には巧みに織り込まれている出演者のキャラクターがどこまで行っても見えてこない。スジは解るが味気ない。一つのシーンにほんの5秒でも俳優の技を見せるところがあると膨らむのに、この舞台はそういう人間表現の余裕を全部殺してしまっている。もう三十年もやっている劇団というなら俳優指導が第一歩だろう。
ミステリ劇はなかなか面白くできあがらないジャンルだが、こう言うミステリ名作を取り上げることは、めげずにやってほしいところだ。
赤坂レッドの舞台に十五人の出演者で2時間、6割の入り。

ネタバレBOX

最後の犯罪解明は名作「罠」と同じ手だが(そのことは良いが)、脚本にも演技にも周到な気配りがしてある。これは途中でのネタ割りをはじめ乱暴でしかない。
新ハムレット

新ハムレット

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2023/06/06 (火) ~ 2023/06/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

太宰治はせりふがうまいなぁとつくづく思う。テキストは大幅(といっても半分くらいになっている感じだが)にカットされているが、台詞もスジも原作通りである。
演出の五戸真理枝は新人ながら昨年大活躍で、「貴婦人の来訪」も「毛皮のヴィーナス」も面白く見たので大いに期待して観にいった。
舞台は上手から下手にかけて、灰色の長い廊下、下手に行くほど広がっている六体画風。上手中央に玉座が二つ。王(平田満)と王妃(松下由樹)の座である。ハムレットは木村達成、オフィーリア(島崎由香)彼女の父ボローニアス(池田成志)、兄ホレーショー(加藤諒)。原作に起きる事件では、叔父の父親殺しをハムレットが解く、くだり、ハムレットとオフィーリアの恋愛沙汰(遂にオフィーリアは妊娠してしまう)、王権の中の忠誠争い、先王の幽霊の出現の噂(だけで現実には出てこない)、芝居による真相究明など、見ていればどの場のパロディだかはよくわかるが、物語はまったく原作と違う変な方向に進んでいく。
太宰は、ハムレットを素材にその頃の時代風俗で、ないかと建前にこだわる西欧名作をからかってみたかったのだろうが、寝転んで原作を読む限りはなかなか面白い。太宰の各人物に対する突っ込みもさすが言葉がうまいのでで、大笑い。かつて、白石加代子の百物語で「かちかち山」を見て爆笑したことがあったが、声に出して面白い言葉(台詞)なのである。ところが、せっかく戯曲体で書いてあり、五戸の上演用のカットも的確なのだが、いざ、舞台で見るとわざわざ木村の資質を生かそうとラップまで入っているが弾まない。むしろ深刻な家族葛藤劇。見る前は爆笑喜劇になるに違いないと観にいったのに当て外れ、パンフレットを買って読んでみると、皆さんずいぶん真面目にこの作品に取り組んでいらっしゃる。期待の新人演出家も、この作品から人生の教訓を受け取ろうと、下北半島を三里も歩いたと? それはちょっと、と半分しか入って居ない観客席の一人は思った。


『カミの森』『<花鳥風月>短編戯曲セレクション1・2』

『カミの森』『<花鳥風月>短編戯曲セレクション1・2』

ティーファクトリー

座・高円寺1(東京都)

2023/05/31 (水) ~ 2023/06/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

抽象的な世界を芝居にする面白さにかけては、この作家はなかなかうまい。アングラ時代からこの一派は腕を挙げてきて、北村想などから出発して次世代の岩松了、前川知大、新しいところでは、加藤拓也や岡田利規にまで一つの大きな流れを作っている。素材の劇的要素を考えて構成しているので破綻しにくい。
このドラマの主人公は森の中に出家してグループの指導者になっている兄(今井朋彦、ぴったし)と、そこでゾンビ映画の撮影にやってきた弟(配役表がないので不詳・これが兄と対照的でうまい)が、現代の「神」(生きていく指針)を探すという枠取りで、話の展開では映画の中の主人公の父母(この二人もうまいが不詳)のゾンビが出てきたり、殺人事件が起きたり、する。
美術が洒落ているのはいつものことだが、天井から細い電線が伸びている森の木の切り株を散らした裸舞台を森を思わせるカーテンが囲っている。
二時間ちょっとだが、冒頭の抽象論が少しダレる。もっと入っても良いと思うが、硬派に舞台が進んでいくところが若い人を遠ざけているのかも知れない。大人の客が多い。

WE HAPPY FEW

WE HAPPY FEW

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2023/05/20 (土) ~ 2023/06/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

いかにもイギリスの実話ベースらしいウエルメイドプレイである。
第二次大戦中、男優が戦地に出征して、俳優はもとより表方も裏方も手が足りなくなって、家で裁縫編み物をするとされていた女性たちが職場に進出してくる。その実例は今までもいくつもの映画で見てきたが、これは女性だけで劇団を作ってシェイクスピアをはじめさまざまな演目をもって国中を回ろうという移動演劇の劇団が素材になっている。
2004年の初演(イギリス)と言うが、構成は昔のウエルメイドプレイのスタイルで、一幕はその運動が一応の成功を収めるまで、二幕は、その後彼らはどうなったかという物語で、全体としては保守的だったイギリスの女性観の中でジェンダー問題を問うドラマになっている。結局劇団員は7名で活動するのだが、それぞれのエピソードも丁寧で一幕1時間半、十分の休憩で二幕1時間20分。合計3時間。日本だと「紙屋町さくらホテル」のような話なのだが、向こうは苦労はしたろうが戦勝国、こちらは完敗。ひがむわけではないが、ウエストエンドで受けそうな愛国モノの調子もあって、日本人が今見るのはかなりつらい。戦時中のドラマはどうしても戦争の行方が影を落とす。
それはおくとして、登場人物十五人も居る集団劇を観客80名くらいしか入らないこのPitで上演している割には、焦点が定まらない。演出は外部演出の千葉哲也だが、狭いところで健闘しているが、話の流れはよくわかるが、結局女だけの劇団という事実以上の魅力に乏しい(上述の本のせいもある)。俳優も近いところで見ているので、技量の程がよくわかる。全員、自分の役をつかもうと懸命だが、全体に貢献する華のある俳優がいない。これだけ出れば、一人や二人、目立つ俳優がいるものだが、いない。
この劇団は新劇系の中でも、あまり前衛的でもないメジャー系の翻訳劇を取り上げてきたのは評価できるのだが、演出者をいつも借りてくると言うのでは、カラーが定まらない。
日頃稼いでいる吹き替え調になってしまうのもやむを得ない。残念なところだ。


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