旗森の観てきた!クチコミ一覧

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ミュージカル★マーダー・バラッド

ミュージカル★マーダー・バラッド

ホリプロ

天王洲 銀河劇場(東京都)

2016/11/11 (金) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

甘さもある小劇場ミュージカル
ハコが銀河なので大型ミュー-ジカルか、と言うとさにあらず、キャバレーショーの趣もある。話は単純な三角関係で、いい加減と言えばいい加減だが、現在のアメリカ(日本も近いが)の女上位の手前勝手さがよく出ているし、韓国で受けたのはあそこでは子供を抱えて家庭で悶々としている女性が多いからだろう。日本では、銀河のいい椅子で歌上手の四人のミュージカル役者を楽しめる。歌だけのミュージカルと言うと、筋売りに無理があったりして、あまり成功しない(レミゼは成功例)ものだか、これは話は単純のので、ソングは面倒な歌詞もなく、曲もさして難しくなく、皆気持ちよさそうに歌っている。ソロはもちろんだが、合わせて歌うところもうまい。中身はどうでもいい。これだけ面倒なtころを抜いてしまうと、当然時間はみぢかくなって、実尺は80分.こんなものを季節もののすぺっしゃる(たとえばクリスマス特番)で見せてくれる粋な劇場はないかしらん。セットはないしバンドも出演者も4人、リサイタル形式でもできる。活きに感じてやる人はいそうに思うが。パルコのラブレターは名企画だがこれだけやると飽きたよ。

改訂版「埒もなく汚れなく」

改訂版「埒もなく汚れなく」

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

先年、小劇場からは珍しく大竹野正典作品が読売演劇大賞を受賞した。これはその舞台を制作したカンパニーが作者をモデルにした創作劇のの再演。
再演と言うと、初演をなぞったお披露目だったり、役者を派手に入れ替えたり、小屋を大きくしたりするのだが、この再演は主役の二人を初演のママに置きながら、新しい舞台を目指して思い切って整理している。話が昭和期の売れない劇作家の話だから、関西風を生かすと、夫婦善哉のようになってしまいがちで、初演はかなりその味が残っていた。しかし、この再演は作家の水難の事件ドラマや、家庭ドラマの世話物的なところは整理して、夫婦のあり方と、作家の宿命を、最後は山に登ることに託してまとめている。つまりは、物を作る芸術家と、男女、家庭、日々の生活の葛藤に絞ったわけで、よく出来ている.古い話なのに全く新しい。令和の新しい舞台の誕生の第一弾と言っていいだろう。
作・演出は瀬戸山美咲。初演は大竹野一代記のような世話物的な作りであったが、そこを作家の現場として作り直して成功している。しかし、作中人物では東京の制作者は、余分だったと思う。こういう第三者は、セメント会社の社長がうまくかけているからそれで充分コメディリリーフの役割も出来ている。演劇製作者の役割としても、いささか以上に皮相過ぎて笑えない。ここを切ると2時間以内でまとまてよかったと思う。
出演者では、なんといっても西尾友樹、占部房子の小劇場のキングとクイーンが揃って目いっぱい技術の限りを尽くして演じてくれたのが大きい。西尾は受けに回って目立たないが、出処進退見事なものだ。占部は今回の方がむしろガラがあっている。抽象的な役柄をいろいろ工夫して形でも見せようとしている。ほとんど日常性を捨象して、演技と台詞で見せる。それでいて、様式性の欺瞞を毫も感じさせない。俳優にも劇場との相性があって、この二人、二百人くらいまでの劇場だと圧倒的な力を発揮する。読売演劇賞も商業演劇の大劇場の役者だけでなく、小劇場で演劇の魅力を素で伝えるこういう人々に光を当ててほしいものだ。脇ではラッパ屋の福本伸一がさりげなくていい。

桜姫東文章

桜姫東文章

木ノ下歌舞伎

あうるすぽっと(東京都)

2023/02/02 (木) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

本年屈指の話題作の登場である。
木ノ下歌舞伎が岡田利基で桜姫をやる。どうなることか、と芝居ファンは固唾をのむ。
これまでの芝居狂の方々の「見てきた」のように、意外にオーソドックス。いつものようにほぼ満席の劇場だが、いつもはあまり見ない若い男女が多い、これは成河、石橋静河のファンだろうが、こう言う芝居の出来る役者のファンと言うだけあって、場内皆固唾をのんでいるジワが、開幕から続く。こう言う小屋の緊張感は、なかなか味わえない。若い人たちにとっては単に「モノメズラシサ」かもしれないが、モノメズラシサは芝居の出発点だ。
総評から言えば、一番は、この役者二人の大出来が一番だろう。最初の出会いで、成河が桜姫に惹かれてふっと立ち上がるところ、様式化されていない現代演劇の美しさ。最後の桜姫、清玄二人だけになって、ここだけはチェルフィッチュ風の見せ場になるが、振り付けも良いが、二人の役者としての切れも良く素晴らしい幕切れになっている。
演出がメタシアター仕掛けになっていて、それぞれに数役を兼ねる他の役者も全員舞台に出ずっぱり、下座は電子楽器一本で始終音が出ていてこの演者(荒木優光?)も出ずっぱりで、生身と役を往復して大健闘ある。軍助の谷山智宏,変ななまめかしさを見せるお十の安部萌。普通の芝居と全然違う間の作りがうまく、俳優の現実の肉体と役を、距離を持ちながらも往復する意味が、よくわかるように演じられている。たいしたものだ。
本は木ノ下が補綴したものを、岡田が上演台本にしたようだが、とにかく南北の原作に従ってちゃんと七幕まである。大歌舞伎でも見たことのない場があるが、物語はどんどん進む。桜姫は、今は南北の代表作のように言われているが、初演以後はほぼ百年お蔵に入っていたという難物。昭和になってからの復活も、孝夫・玉三郎の京都南座の大当たりまではさして受けていたわけではない。要するに話に「実は」が多すぎて、時代劇というハンディもあって、見物はついて行けないのだ。ここ四十年の名作である。
岡田利基は、その難しさを、チェルフィッチュガ開発した「今から何々をやりまーす」と宣言してから演じるという「三月の五日間」の手法で解決した。舞台中央に縦型のスライド映写のスクリーンがあって、シーンが始まる前に次のシーンの登場人物とあらすじが投影される。そこから周囲に控えた俳優が舞台でその場を演じるのだが、この流れが非常にうまくいった。木ノ下歌舞伎で、よく、始まる前に芝居の予告編と称して、全編の登場人物と見せ場を見せてしまう、という手を使っているが、これがこの複雑怪奇な演目によく似合って
成功している。これを見ていると、ホントは、場の設定だけ出来れば、スジはどうでもいいのではないかとさえ思えてくる。しかも、この上演に関してだけ言えば、このメタシアターの作りともに合っているのだ。期せずして、古典から現代への見事な通路になっている。
岡田利基はパンフでも今作は、古典を現代に翻訳しただけ、といっている。あまり解釈批判を避けて、と言ってもいるが、本人も言うとおり、それは避けられないから、いろいろな意見が出てくるだろう。コクーン歌舞伎の時だってその批評では大げんかがあった。今回は、周到な出来だから、あまり大きな論争は起きそうにはないが、やはり、これは現代の若い世代のトップスター的な演劇人が、難物の古典に取り組んだ成果の一つとして財産にしていきたいものだ。
と書いたところで夕刊が来たので、開いてみたら朝日新聞の夕刊にこの劇評が出ている。全くとんちんかんな劇評で、見てもいない初演時の俳優の心境を元にこの芝居の原点にし、俳優を共演者すべてをなぎ倒す者をよしとし、相対主義が役者の演技をも解体すると断じ、全体を虚無的な芝居ごっこであると結んでいる。他にも短文の中にワケのわからんことを権威に寄りかかって得意そうに言いつのっている!木ノ下も岡田もこの筆者よりは年下だろうが遠慮することはない、反論するなり、からかうなり、言ってやらないとこの貴重なトライアルが無駄なものになってしまう。馬鹿につける薬はないと笑って許すんじゃないよ!

天の敵

天の敵

イキウメ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2017/05/16 (火) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

2時間十五分。奇想天外の話なのに、リアリティもあって飽きない。内容は、すべて、ネタバレになりそうなので書けないので、総評になるが、いつも通り、作者の論理の展開が面白い。非常にうまく最近の健康ブームを取り上げていてそこもうまい。この劇団の俳優も随分うまくなった。村岡もうまくハマって浮いていない。イキウメ、チョコレートケーキ、モダンスイマーズなどの俳優が、ひとつ前のケラ、野田、松尾、三谷の舞台でおなじみだった俳優と対抗できるようになっているのは大いに頼もしい。彼らには「現代」が生きている。スター的な新感線の役者も必要だが、いい舞台を支えるのはこういう何でもできる俳優陣だ。少し辛口を言えば、前川はこういうものは自分の劇団でもう軽々と書けるしボロも出さないのだから、次の大劇場プロデュース作品「プレイヤー」はぜひ大成功してほしい。観客も先に上げた作者に次ぐ大劇場を背負える作者を待望しているのだから。

ネタバレBOX

夜と昼のアイディアはわかりやすいが、もういいんじゃないか。観客はまたか、と思ってしまう。お約束事と思えばいいのだが、それはもう一つ上に行ってから。野田のダジャレと同じだ。
フリムンシスターズ【12月1日(火)と12月2日(水)の大阪公演中止】

フリムンシスターズ【12月1日(火)と12月2日(水)の大阪公演中止】

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2020/10/24 (土) ~ 2020/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

劇場で芝居を観る愉快を、本当に久しぶりに味わった。
松尾スズキのコクーン芸術監督就任第一作。「キレイ」で当てたのはもう二十年も前か。それとは全く違うテイストで、かつての松尾大人計画の味を残しながらも、新しいコクーンの出発を期待させる新作ミュージカルの登場である。新しく、若々しく、心弾む。
何よりもいいのは、現在の状況の中でまったく委縮していない。「いい加減な指示なんかには従わないで自由でいよう」という趣旨の曲もあるが、スタッフもキャストも舞台の上でのびのびとはじけている。そこが今の時期には素晴らしい劇場からの贈り物になった。
舞台の大枠はゲイの信長(皆川猿時)が仕切るショーパブになっていて、物語や人物紹介はほとんど、彼によってされる。正面に舞台に当たる空間があって、そこで芝居もあるし、歌もある。よくある構成舞台なのだが、舞台の色使いや枠取りの美術が素晴らしい。その上の二重にバンド(6名編成)がいる。物語は西新宿の地方の若者が集う吹き溜まりのような地区にあるコンビニとその二階にある従業員の部屋から始まる。そこに住んで、禿のコンビニ店長(オクイジョージ)との情事にふける沖縄出身の売り子(長澤まさみ)、10年前の妹への交通事故でスターの座を追われたかつての大女優(秋山奈津子)と、そのゲイのマネージャー(阿部サダオ)が久しぶりの出演の稽古に臨む話を軸に展開する。物語は一日半なのだが、その間に、登場人物たちの過去がほとんどクライマックスの連続のように歌と芝居で、挿入されるので、展開は波乱万丈、それを追ってもあまり意味はないが、要するに、この三人と彼らを取り巻く現在の社会からこぼれおちたひとびとたちは沖縄言葉で「フリムン」(狂う)にならなければ生きていけないのである。
そのフリムンぶりは、踊りであったり、音楽であったり、時には「後ろからズドン」という曲の物騒な歌の警官の上司殺人だったり、コンビニで売っているコンドームを盗む奴隷労働の現場とか、後ろからやって、と下ネタだったり、伊勢丹のパッケージを衣装にした伊勢丹の上品さを守る会を名乗るやくざ集団だったり、ユタのお告げが現実になったり、半端ないのだが、でたらめに見えながら今の空気をはらんだ統一感があって、素直に観客は乗っていけるのだ。暗くなりがちの話で、松尾スズキの過去の小劇場作品は暗さに居直ったような凄みがあったが今回は、暗さを笑い飛ばして前へ進んでいく。俳優もみな適役。主演の三人は、それぞれ出身は違うが、うまいことでは定評がある何でもできる人たちでその力を十分発揮している。観客も巻き込まれて陽気になる。
それは、脚本だけではない。
この舞台のスタッフはあまり知らない人たちだ。私が記憶していたのは振付の井出茂太くらいで、美術の池田ともゆきも音楽の渡邊祟も知らなかったが、立派に大劇場をこなす。キャストは脇は大人計画が固めているがそれでも中には歌唱力で客席がどよめく妹役の笠松はるのような新星がいる。細部に至るまで華々しいのだ。
私は、オンシアター自由劇場が初めて「上海バンスキング」で博品館劇場へ進出した公演の劇場の熱狂を思い出した。この舞台には劇場とともに時代が動いていく感じがある。なるべく早い機会に再演を期待している。

ミセス・クライン Mrs KLEIN

ミセス・クライン Mrs KLEIN

風姿花伝プロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2020/12/04 (金) ~ 2020/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

女優三人の格闘技のような舞台で、芝居のだいご味をたっぷり味わえる本年屈指の舞台・2時間45分である。イギリスのニコラス・ライトの三十年ほど前の本で、中身は三十年代の終わりにナチに追われてロンドンに逃げ延びてきた精神分析医療の女性研究者の物語である。その精神医療を使っての物語は、時代相と相まってさすがに古めかしく、新聞の片隅の身の上相談レベルだが、その物語に上乗せされた女三人の相克の芝居が見所である。
自らの生き方を科学に託し、わが子の成長すら研究対象とするが、現実には子供たちから離反されていく母・ミセス・クラインを那須佐代子、その娘で、やはり同じ研究者の道に進むが母に反抗しながらも逃れられない娘を伊勢佳世、ドイツから逃れてきたばかりで、生活のためにクラインの助手の仕事を求めるポーラに占部房子。
ミセス・クラインのもとに、息子がハンガリーで落命したという知らせが届く二昼夜の物語である。ストーリーは息子の死因の真相をサスペンス風に追って進むが、芝居の核心はそこにはない。
母国を逃れたユダヤ人の話は数多く書かれているが、この戯曲が面白いのは、登場人物がいずれも科学者で、事件の中で揺れ動く、科学と女の生き方の間のジレンマが克明に描かれることである。登場人物は三人だけとなれば、これはもう役者と演出が勝負どころになるが、細かい演出、無駄のない新鮮な演技で、期待に応えてくれる。学者としても、親としても自尊心を捨てられない那須賀世子、親に反抗するように我が道を行く伊勢佳世。一方ではその人生に疑いを持ち、時に原初的な母と子に戻りながらも、異邦人として異国に生きなければならない人々のある種突っ張った女たちを型通りにならず演じ切る。その親子の鏡になる占部房子もよく物語を支え、最後にミセス・クラインに爆発するところなど見事であった。細かい動きとセリフに埋め尽くされた舞台を演じ切った小劇場の女王たちに拍手。
風姿花伝の小さな舞台だが美術も、衣装もいい。控えめな音楽の選曲も良い。よくわからなかったのは潮騒と海鳥の声らしい音響効果で、舞台がロンドンのハムステッドとなれば、海岸からは遠い。母国からは遠く、との意味かもしれないがそれは少しうがちすぎだろう。。

ネタバレBOX

前年の「終夜」に続く風姿花伝の翻訳劇シリーズだが、座主の那須佐代子と演出の上村総史以外の俳優を変えて、素材に偏らない現代劇を上演しているのには敬意を表する。ことに日本の新劇にありがちな政治劇や、フォーマット(喜劇、とか推理劇とか)優先にならないで、舞台の上で演じられる「現代の」人間像が面白い戯曲を選んでいるのがいい。昨晩はこの事態の中で、小劇場では高めの値段設定だがほぼ満席だった。こういう芝居を観たい客は確実にいる。
パレード

パレード

ホリプロ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2017/05/18 (木) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

100年前のアメリカの南部の冤罪事件を素材にしたミュージカル。と聞いただけで、今どきなんで? と思ったものだが、これがなかなか。最近のロックの犯罪ミュージカルではなく、歌詞に曲がついている(笑)正当なミュージカルスタッフの座組みがよく、ここの所、瞠目するミュージカルがなかった中では出色の出来だ。まず、キャスト。公共劇場との提携で充実している。岡本健一など役不足だろうが、やはりここに岡本がいるのがいい。流石、、齢を感じさせない石丸、堀内。さらにミュージカルを構成する各スタッフの力量をうまくまとめた。大木一本の裸舞台だがここに五色の雪を降らせる趣向は秀逸。ホリゾントの色もたまに変わるのが効果的、部分で使った斜めの照明もいい。これで舞台転換に時間がかからず、テンポもリズムも出て音楽が生きた。衣裳も少女の衣装で一本勝負。オケも台詞との絡みが多いのに、見事なものだ。コーラスの振り付けも無理していないところがいい。すべてをまとめきった新劇団出身の森新太郎に拍手。これで既成の、四季,東宝、ホリプロ、松竹いがいの新しいミュージカルの舞台を楽しめるだろう(これはホリプロも噛んでいるが、これで森の使い方もうまくなるだろう)
企画としては大衆迎合の最近の世相への時宜を得たもの、と言うことだろうが、それは少し買い被りで、今はアメリカでもやっていない旧作をよく掘り出して夫婦愛のミュージカルにして面白く仕上げたことを評価すべきだろう。

パ・ラパパンパン

パ・ラパパンパン

Bunkamura / 大人計画

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2021/11/03 (水) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

コロナに翻弄された一年の終わりを笑いと祈りで締めくくる祝祭劇だ。休憩を入れて、3時間10分。夜の劇場を出ると、町は戸惑いながらもクリスマスを迎えようとしている。その街をパ・ラパパンパンと口ずさみながら家路につける音楽劇である。
こういう観客の心を和ませ癒す舞台は極めて少ない。この劇場はかつて串田和美が芸術監督だった。オンシアター自由劇場を率いて、わが国で初めてのエンタティメントの音楽劇の道を拓いた。その伝統を、同じ小劇場でも、全く違う背景から出てきた松尾スズキが受け継いでいる。本人は意識していないかもしれない。しかし、劇場がその記憶を受け継いでいる。日本の劇場文化の成熟に感動がある。成功に理由はいくつかあるが、第一はこの見えない劇場の力だと思う。
もちろん、個々の作品の良さもある。「パ・ラパパンパン」について言えば、作構成がいい。
主人公は、ろくでもない青春小説しか書けないまま三十歳も半ばになった女流作家(松たか子)だ。担当の編集者(神木隆之介)に持て余されながら新境地のミステリー小説に挑む。この設定の中でスクルージ(小日向文世)が殺された謎を追う「クリスマスキャロル」のミステリー化が図られる。ミステリ内容と上演の季節がぴったりと合う。古典の登場人物たちと、現代の向こう見ずな作家と編集者の気ままなミステリ化とが交錯する。作者はテレビでは第一線だが舞台は珍しい藤本有紀。テレビで培った時代とのテンポの合わせ方がうまい。ダレそうな話を現代の突っ込みを入れながらいいテンポで運んでいって、最後には大団円にもっていく。その大団円もいかにもテレビ的な万人を感動させる納め方なのだが、それがうまく収まる。そこへ主題歌を持ってくるうまさ!
松たか子がいい。三流のダメな作家が、それでもやはり書かなければとなるドラマを、このクリスマスストーリーの中で生き生きと演じている。歌がうまい。主題歌は三回歌われるが、三つのバージョンそれぞれに歌い方を変えていて、ことに、神の声ともいうべき聖歌風に歌い出した時には劇場が吞まれた。(この演目のタイトルは、何のことかと思っていたが、その謎は途芝居の中で明かされ、抜け目なくクライマックスに続いていく)
松だけではない。スクルージの小日向をはじめ古典の人物たちを演じる大人計画のお馴染のメンバーも役を面白く演じてドラマを盛り上げている。
スタッフワークもよく、作曲の渡辺祟は、こういう芝居での音楽の役割をよく心得ている。説明的な音楽はなく、音楽になれば、観客を打つ。美術(装置・衣装)、音響もよかった。
昨年の「フリムンシスターズ」も松尾スズキらしくてよかったが、ここでは劇場芸術監督の演出としていい仕事をしている。

ネタバレBOX

[パ・ラパパンパン」というのは神の声を伝える先導者の太鼓の音である、と劇中説明されるが、見事にそれで締めくくられた。皆神の子になるすばらしいクリスマスの夜だ。
ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら

Kawai Project

こまばアゴラ劇場(東京都)

2016/10/19 (水) ~ 2016/10/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

生き生きしたゴドー
今までのゴドーは基本的には現代絶望型。アー空しいなーと言う基本路線だったが、この芝居は違う。この戯曲が興行としても面白いものだと確信して、観客に見せようとする。それが成功してこの芝居で珍しく一睡もしなかった。演技の中でも特にセリフ術がよく、耳に心地よい。秀逸だった。

SLAPSTICKS

SLAPSTICKS

KERA CROSS

シアタークリエ(東京都)

2022/02/03 (木) ~ 2022/02/17 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ケラリーノ・サンドロヴィッチの旧作を若い演出家が戯曲を尊重する以外一切条件なしで商業劇場で上演するクリエのKera Cross の第三弾。
鈴木裕美、河原雅彦に続く三人目の演出者はロロの三浦直之。幕内では接点があったのかもしれないが外見では、今まで縁もゆかりもなさそうな若い小劇場演出家が、この気難しい劇団持ちの劇作家の戯曲にどう対処するか、が今回の見どころだ。演出者とケラとの年齢差・鈴木、同年、河原、六年に比べると三浦は二十四年。思い切った若い演出者起用だ。
今回は更に難しい条件もある。コロナ禍でほとんどの商業劇場はファンチケットを見込めるキャステイングになっている。このキャストでももちろん固定ファンはいるだろうが、券売からキャストに媚びていない。三浦にとってははじめてのキャストと組む。それに、このような長期の全国ツアーを含む商業大劇場・公演は初めての経験だろう。
物語は無声映画からトーキーに移る時代の1930年代のアメリカ・ハリウッド。設定からすべて作り出さなければいけない劇的世界である。この座組で正面から勝負で大丈夫か。
結論から言えば、すべての危惧は見事に回避され、舞台は、楽しく懐かしい青春喜劇に纏まっている。ナイロンの俳優たちだったら粒だって笑いを取るところや独特のケラ喜劇調も生かせただろう。アクロバチックなところはもっとドタバタの面白さが出たに違いない。今回はそういうところはすべてモノクロのホンモノ的な無声映画フィルムに任せ、舞台を勃興期産業(映画)に巻き込まれていく若者たちの青春回顧劇にしている。ケラの戯曲ではいつも照れて隠されている素直な良さが出た。こうしてみると、主人公の助監督(小西遼生・木村達成)をはじめ、大監督(マギー)も、有名女優(荘一帆)も、若手の女優も事件に巻き込まれる不運な喜劇俳優(金田哲)も、ピアノ弾きもみな懸命に青春を生きている。
東宝の商業劇場系の俳優たちが適役を得て生き生きと演じている。演出も、アメリカ映画の初期トーキー喜劇風のスタイルがあって、とても初めての商業演劇とは見えない落ち着きぶりだ。ほとんど音楽には比重をおいていない。
ケラの戯曲だけから出発していて、今までのケラ演出作品とは違う世界になっている。そこがいい。
Kera Crossの企画は東宝とケラのプロダクションでもあるキューブとの共同開発だが、一年一度、五年は続けてほしい。欲を言えば末永く。それがケラリーノサンドロヴィッチと言う稀有な劇作家を日本の演劇財産にしていく確かな道である。さしづめ、まずはケラの初期作品、例えば、ウチハソバヤジャナイとか、カラフルメリイでオハヨを加藤拓也の演出で見て見たいものだ。がんばれ東宝!


ネタバレBOX

残念ながら、これで満席にはなっていなかった。でも私は菊田一夫が初めた頃のこの劇場(芸術座)の惨状をほぼ毎月見ている。客はほとんど同じ大きさの劇場の中通路まで、その上半分にめったに客はいなかった。しかし辛抱して続けているうちに、三益愛子や森光子の大ヒット、夢のロングランも可能になったではないか。そういう興行者の志にも期待しているのだ。
治天ノ君【次回公演は来年5月!】

治天ノ君【次回公演は来年5月!】

劇団チョコレートケーキ

シアタートラム(東京都)

2016/10/27 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

治天ノ君
トラムのベンチ席で二時間半休みなしは拷問かと思っていたが、俳優熱演でこの劇場ではそれがよく見え面白かった。天皇家をホームドラマで見せるという卓抜なアイディアでそれが現代史の根幹にかかわっているところが素晴らしい。もっとも私は政治的テーマにつられないよう、気をつけて見た。どの家でもタブーはあってそれを抱えながら肉親の関係はできていくのだ。そのドラマを的確に見せた脚本と俳優陣、ことに大正天皇夫妻は特にすばらしい。松本紀保のうまさとガラがこのように生かされた舞台は初めてだろう。間違っても肉親の情につられて帝劇なんか出るな!

木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談ー通し上演ー』

木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談ー通し上演ー』

木ノ下歌舞伎

あうるすぽっと(東京都)

2017/05/26 (金) ~ 2017/05/31 (水)公演終了

満足度★★★★★

昼から夜まで6時間と5分、たっぷり四谷怪談を楽しんだ。日本の古典戯曲がこのように現代の劇場で今ここで生きている人たちの手で今の演劇として上演されるのは大きな喜びだ。蜷川の近松心中に劣らない舞台成果で、ここまで新しいスタイルで古典戯曲をかみ砕いたというだけで、すごい。今年の演劇の評価の一つになるだろう。
古典の宿命で、ネタバレで気付いたこともあるが、多分そんなことは制作側は先刻ご承知と思う。まだやることはある。これが最終形などと言わず、今後も時にこの場に戻ってこの舞台を又見せてください。

ネタバレBOX

(構成について)一幕は完ぺきな出来。二幕の穏亡掘は少し焦点を見失っていると感じた。戸板返しからだんまりはあてぇのつなぎもあるので、もっと説明してもいいと思う。三幕は、大歌舞伎が三角屋敷をあまりやらない理由がよくわかった。原作もここはちょっと持て余したか、中だるみだ。丁寧にやるだけの意味がつかめなかった。コクーンなどがやるこの長さの半分くらいでいいのではないかと思う。復讐の動機付けが解ればいいのだから。大詰めへの物語の速度が落ちる。夢の場の「七夕」の童謡は突然西洋の物語が挿入されたようで、観客も戸惑う。三幕はまだ改良できるところがあると思った。
(俳優について)俳優の皆さんは好演だが。伊右衛門は現代の無知な若者風になりすぎていないか。状況からももっと、現実の社会への鬱屈があるのではないか。仲間の若者が暴走族みたいなのも面白いが、ただの無軌道になっていて、こうしなければ社会に組み入れられないドロップアウト寸前の危うさがない。人物はそれぞれよく書かれているが、そこへ俳優の個性が付け加えられないと生きてこない。蘭妖子がたつのは個性があるからで、それは排除しない方がいいと思う。あと二三人個性が出てしまう俳優がいると舞台が華やぐ。
(美術など)大道具は見事な出来だ。この劇場を立体的に使っている。薄墨のだんだらも生きた。小道具も見た目のバランスがよく神経が行き届いていて心地いい。衣裳もいろいろの工夫が楽しい。
音楽はこれも見事だが、一幕の完璧さに比べると次第に疲れてくる。ことに邦楽と洋楽のクラッシクの交錯する後半は、時に違和感を感じる。純邦楽は完全に外した方がよいのではないか、使うとしても大和楽とか。
音響で事分テンポリズムを作っていていいのだが、ヘリの音は効果的ではあるけど、どうしても「ミスサイゴン」を連想してしまう客はいるだろう。それはマイナスになる。
などと、団菊爺みたいになってしまったが、舞台成果としては本当に見事なもので、感服した。
お勢登場

お勢登場

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2017/02/10 (金) ~ 2017/02/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

乱歩の悪女ものと言えば、「黒蜥蜴」があまりにも有名で、八重子にあてた三島脚本も随分調子にいい本だったので有名だが、こちら、「お勢登場」のお勢はすっかり忘れ去られた作品になっていた。それもそのはず、乱歩は初めの第一犯罪が行われるところまでで投げ出してしまったのだ。今回はそのお勢を軸に現代版乱歩悪女ものを作ると言う企画だが、以上のようなわけで尺がたりない。そこで、乱歩の有名、中名の短編を集めて、なるほどの明キャスト思った黒木華をお勢に一夜芝居にした。
楽しめた、黒木もいい。こういう芝居はどんどん試みてほしい。しかし・・・
注文を挙げれば、数限りない。ネタバレにもなる。主なものだけネタバレで書かせていただくが、これはぜひ練り上げて再演、再再演をやってほしい。公共劇場だってそれくらいの度量はあっていいだろう。この劇場は「炎」と言う難しい芝居を当たり狂言にした実績もある。おごらず、区役所役員の天下りなどの影響を受けず、芝居好きを堪能させてほしいものだ。

ネタバレBOX

主な注文は二つ。後半、(戯曲で言えば3幕)そこまでは快調だったのに息がが続かなくなった。「二廃人」は無理ではないか。思い切ってカットすれば一人女優のやり場がなくなるが、そこは仕方がない。尺もベンチシートの客席にマッチする。
結局「押絵」(代表作だし名作だから仕方がないが)で落とすなら、前半からもっとうまく埋め込めないか、終わりの方で取ってつけたように兄弟が出てきて由来説明をするのはうまくない。そしてこれはないものねだりに近いが押絵はもっとうまく処理してほしい。押絵が生きていて、女は歳をとらぬというのは作品のキモだはないか。
乱歩は明智対お勢で長編にするつもりだったようで、こういう芝居では、お勢の鏡になる魅力のある男優がいる。今回は黒木以外は女優陣は多くの役をこなして健闘だが、男優陣一役役者が多くて残念だった。
黒木は現代的な悪女になっていて、これはホントに感心した。悪女と言うかむしろ女に共通する「魔性」がある新しい現代悪女が出来そうだ。見たい。
珍しく、ブラッシュアップされたいい再演を見たいと思った。その芽は十分ある。
怪談 牡丹燈籠

怪談 牡丹燈籠

オフィスコットーネ

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2017/07/14 (金) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

牡丹燈籠はもともと話芸だけに物語の筋も趣向も飛躍(意地悪く言えばご都合主義)が多い。歌舞伎脚本が最もよく知られているのだろうが、それでも≪通し≫と言って全部やったのは見たことがない。武士社会の敵討ちとそのお家の従者たちの世話物が二重になっていて、ことにかたき討ちの因縁など複雑に絡んでわかりにくい。怪談はこの二者をつないでいるのだが、幽霊が出る事にテーマがあるわけでもない。ぐちゃぐちゃの人間関係、この世もあの世もありますよ、因果は巡る尾車の…と言うドラマなのだが、今どきそれでは見物は満足しないだろう。
と言うわけで今回の新作、もろもろの牡丹燈籠の種本を渉猟して新しく編んだフジノサツコの脚本。演出は売り出しの森新太郎である。工場(倉?)の改装した小劇場の舞台はノーセット。代わりに横に回転する舞台いっぱいに張られたスクリーンがあって、これが回る間に俳優がその隙間で演技する。と書くと、せせこましいようだが、照明と、大道具操作(回転係)の息が演技とうまくいって、見たことのない抽象舞台を作り出した。スクリーンの奥に俳優が去って照明がすっと動くと闇に溶けるように見える。場数が多い構成が説明なしで次へ行ける(これは功罪あるがそれは後で書く)。衣裳は全員現代衣裳でこれが違和感が全くなかったのはお手柄だが(木下歌舞伎もうまくいった)これにはやはり大道具をスクリーン一つにした大技の力が大きいと思う。
しかし、歌舞伎だとここは武家屋敷、伴蔵うち、船の上、とセットと衣装でハッキリ解るが、これでは、エートここはどこだっけ、だれだっけ、と理解するのに時間がかかる。テンポが速いので飲み込む前に次ぎに行くところもある。これは、原作の筋立てによるところも大きい。この話、歌舞伎でも最近は随分はしょった上にほとんど半分しかやらない。百両降ってくる世話物の部分が面白いので、仇討は添え物になっている。文学座が新劇でやった大西本などは仇討はカットである。今回のフジノ本はよくばりでずいぶん原作を取り込んでいる。構成上、面白そうなところは全部やっちゃえ、という精神だが、やはり人間関係がお客によく呑み込めていないと面白くない。お化けの出る怪談は、いはば、陰の引く話だから、もったいぶった間がないと怖くならない。余り怖くしたくないのかと思ったら、パンフレットでは演出が怖くしたいと書いている。うーんこれは歳のせいか。だが正直、後半話が詰まっていくところは駆け足で見る方も大変である。
そういう辛さも有りながら、この公演が面白かったのはナマの、役者の力だと思う。今回はキャスティングがすごい。80年代後半から現在までの小劇場、初期の東京ボ-ドヴィルの花王おさむから、チョコレートケーキの西尾友樹まで、つかこうへいアり、野田秀樹あり、道学先生にテアトルエコー、シャンプーハットといはば、独立路線を歩んだ小劇場劇団出身者にカブキ大御所の娘・松本紀保を加えた独特の大一座。現代役者名鑑である。彼らをまとめた森の演出力に改めて感服した。先ほどの話をひきとると、役者を見ていると物語の筋はあやふやでも面白いのである。細かく言えばいくらでも注文が出てくる舞台ながら、それをすべて越えて、この公演は成功だった。

『熱狂』『あの記憶の記録』

『熱狂』『あの記憶の記録』

劇団チョコレートケーキ

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/12/07 (木) ~ 2017/12/19 (火)公演終了

満足度★★★★★

「熱狂」を見た。
中身は、ヒットラーの政権奪取までの伝記劇だが、いくつもの視点のある芝居である。
三島は「わが友ヒットラー」を書いたが、これは平成版・古川版である。三島はレーム事件にまとめたが、古川版はそこに至るまで。
まず時事性。今年、芝居がその時代を敏感に反映すると言う事を、これほど知らせてくれた作品はない。また、大衆民主主義を、大衆の側からではなく、権力者の側で正面から描いた作品も珍しい。スローガンでも、あるいは恰好だけでもいい、大衆を熱狂させれば「権力」は奪取できる、と信じる人間と、それを利用する人間たちのドラマである。ヒットラーが総統と呼ばれることや独裁制にこだわったことなど、歴史の文脈の中で丁寧に描かれていて、独裁の構造とドラマがよくわかる。
何も知らない若者の支持層を広げることが最も簡単な支持拡大方法としたナチは、あの時代でも、選挙では過半数を取れなかった。しかし、ナチは結局,暴力で政権を奪う。同じことは起きないだろうが、「同じようなこと」は起きる。現にアメリカで起きていることは、カタチは違うがセイシンは同じである。日本でもそれは同じだ。この議論は政治論になるし長くキリがないからやめる。芝居では昨年、ケラリーノ・サンドロヴィッチが、別の視点からヒットラーをナンセンス劇にした。キリがないから止める、と言うのはよくないのだが、もう笑うしかない所へ落ちていきかねない。それだけ鋭い時事性がある。
次に戯曲。冒頭、裁判所で有罪の判決を受けながら聴衆を巻き込んでいく「熱狂」から始まり、時事的な背景を織り込みながら、常に形のない、また舞台に乗せることのできない「大衆の熱狂」を描いていく。欲を言えば、最後の政権奪取のあたりが少し駆け足になってしまって大衆の熱狂から遠くなっているのが残念だ。この作家は上手いという点では今、脂の乗った最盛期だ。もう新人ではない。古川は、今年、新劇二劇団に東ドイツを舞台に、ドイツを鏡にわが身を顧みる作品書いている。二十世紀通史が出来そうな勢いだが、それは作者の「今はいくらでも書ける」年齢と言う事もある。過去の劇作家の例を見てもその時期はそんなに長くはない。観客の方から見れば、ドイツはいいから早く「治天の君」に続く作品を書いてほしい。こちらはわが國のことである。年号も変わると言うではないか。それを書ききる作家はそんなにはいない。期待しているのだ。
舞台。演出の日澤は、脚本への寄り添い方がいい。目立たないが巧みに戯曲を持ち上げている。今回は、ナチスを支えた知名人ばかり出てくるのでやりにくかったであろう。三谷幸喜のナチ物のように近くの普通の人が出てきて下世話に通じるシーンがあればわかりやすく出来たのかもしれないが、そこを一人の語り手以外、全く切っているところが、三島に通じる思い切りの良さだ。演出はそこでも頑張った。
俳優はなんといっても、西尾友樹。冒頭のヒットラーの演説は随分フィルムを見たのだろう、見事。やたらに手を振り回すのが常道だが、彼はその時震えている。それでこの作品のテーマ、熱狂へのおののきとおそれがみえた。俳優たちは小劇場中心なので、残念ながら台詞がわかりづらい。初日と言う事もあるだろうが、西尾ですら噛む。発声法から直さないとこの劇場で辛いと,トラムや本多でも無理と言うことになる。地の柄に頼らないで地道なせりふの修練も俳優には必要だ。マイクがよくなったから何とかなるという問題ではない。
作品は10年程前、名もない小スペースで上演したと言うが、今回リニューアルしたという。進境著しい。古川は、前川、中津留、岡田と並んで、平成の代表的な現代ストレートプレイ作家だ。彼らが、再演を繰り返して(中津留はそうでもないが)舞台をシャープにしていくのは、新作疲れから逃れ、エネルギーを温存するためにも、またエネルギーを再生させるためにも賢明な方法だと思う。頑張ってほしい。



3月歌舞伎公演「通し狂言 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」

3月歌舞伎公演「通し狂言 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」

国立劇場

国立劇場 大劇場(東京都)

2017/03/04 (土) ~ 2017/03/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

伊賀越道中双六と言えば、「沼津」しか知らなかった。それが通しでやると、こんなに複雑怪奇な噺だったとは!しかも、今回は「沼津」はないのだ! 鎌倉から始まって、沼津、藤川、伊賀上野と双六のように仇討を軸に、それぞれの家の物語が噛んでくるのだが、この人間関係が入り組んでいる。その複雑さで、歌舞伎様式で表現できる、愛情や悲しみ武闘などが深まるわけで、数年前にこの一場の「岡崎」が読売演劇大賞を得たのもうなずける。役者もバランスよくまとまっている。しかし、初心者にこれをありがたがるように、と言うのは少し酷だろう。そこが歌舞伎と言う古典の難しいところだ。

DISGRACED ディスグレイスト 恥辱

DISGRACED ディスグレイスト 恥辱

パソナグループ

日本特殊陶業市民会館(愛知県)

2016/09/27 (火) ~ 2016/09/27 (火)公演終了

満足度★★★★★

技巧を尽くしたアメリカ現代劇
やはりブロードウエイの力と言うのはすごいものだ。多人種国家のアメリカが抱える人種問題は今や世界的なひろがりがある。現実にその渦の中で戦ってきたアメリカ人の葛藤が、かくもみごとな夫婦の物語となって観客の心を打つ芝居になってしまう。千人の劇場がもつ娯楽作でもある。凄い。
人物造形の見事さ、ストーリー展開のうまさ、たとえば肖像画、とかセットの絵とかの小道具や、俳優たちの衣装など細かいところにも行き届いていて満足する。
これは劇場の席のせいかもしれないが、主演の二人の早いセリフが聞きにくいところがあった。内容の複雑さからかもしれない。しかし、この二人(小日向・秋山)の演技力は、舞台俳優としては一級の出来だ。演出も隙のない栗山節がいい。よくこの芝居を見つけてきた製作にも拍手。いい芝居を観たと素直に感動して家路をたどれた。

勧進帳

勧進帳

木ノ下歌舞伎

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

あいかわらず、つかみがよく、山伏にやつして義経一行が安宅関に至る経緯が面白く説明されて、勧進帳の富樫と弁慶一行の虚虚実実の駆け引きが現代青年版で展開する。ほぼ古典の素材を使いきっている。木下歌舞伎の面白さもよく出ていて、列挙になるが、構成では、四天王と、番卒を二役やることにしたこと。これでこの劇の構造が明らかになった。義経打擲以降は少しテンポがおちるのが残念。さいごの宴会などはもうすこし短くてもいいのではないか。この公演は1時間二十分古典はここ百年、どの公演でも1時間5-7分でやっているが、それは長唄の尺によるものではなくやはりドラマの長さと考えた方がいいのではないか。木下の力があれば、十分この尺に収めることもできたと思う。いつも音楽の使い方は抜群にうまいがこの公演でもラップ調の曲を中盤でうま
く使っていた。特筆は俳優で、弁慶をやった外人俳優のリー5世は関東にいないタイプの外国人で場をさらっていた。また、富樫は柄としては苦しいのに、よく演じている、ただずまいがいいところもこの俳優のいいところだ。KAATの大稽古場。350席が満席の初日だった。次はコクーンの切られ与三だ。これは絶対に成功してほしい。串田と木下。世代を超えて現代劇の現在考えられる最高のコンビだ。期待している。

マシュー・ボーンの「眠れる森の美女」

マシュー・ボーンの「眠れる森の美女」

ホリプロ

東急シアターオーブ(東京都)

2016/09/14 (水) ~ 2016/09/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

世界中で見られるということ
バレエもダンスも詳しいわけではないが、それでも次々に繰り出される情景に引き込まれた。以前この劇場で「トップハット」を見た時もつくづく感じたことだが、このジャンルだけはしばらく日本はイギリスには追いつけそうもない。眠り姫のダンスなどの技術も卓抜なのだろうが、若いダンサーがその役を楽しんでいる(少なくとも観客にそう思わせる)ことが伝わってくる、周囲の出演者も同じ。構成も演出も音楽もすごく解りやすく、しかし下品や幼稚ではない。ときどき、おおっつ!と言う仕掛けがある。
日本のダンスも進歩したが、理屈が先に立って楽しめない。苦虫をかみつぶして踊っていても見る方は楽しくない。楽しいということと笑うということを勘違いしている。マッシュ・ボーンにはそういう偏屈は一切ない。さすが!である。降参。

貴婦人の来訪

貴婦人の来訪

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2022/06/01 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

なかなか出会えないチャーミングな舞台だった。
「貴婦人の来訪」は音楽入りも、ストレートプレイも何度も上演されているが、これはそのどちらでもない独自の舞台に仕上がっている。ポイントを上げると、
まず、3時間(休憩15分含み)の長丁場を従来のお馴染の手法に頼らず、独自のカラーでまとめ上げた演出。戯曲は現代寓話劇として、書かれてから七十年、今なお、ここに描かれている世界は、現代社会の問題点に生々しく触れている寓話劇である。金で正義は買えるか? オペラやミュージカルにもなる大振りの物語は二者択一で話を進める分かりやすさもあるが、原戯曲はそういう単純化された議論の中に登場人物に沿って今の社会に生きる問題を多面的に細かく埋め込んでいる。若い文学座の演出家、五戸真理枝は、リアリズムで詰めていくと矛盾も多いドラマを丁寧に、時に音楽、時に美術の助けも借りて独特のステージングで舞台に乗せていく。その手つきには初めて(でもないだろうが)大きな舞台を十分な準備の上に演出できる演劇人の弾むような表現の喜びと若さが反映している。寓話劇、社会劇、ミュージカルなどと簡単にカテゴライズできないみずみずしい舞台が出現した。
二つ目。主演・秋山奈津子。現在、この役にこれ以上ふさわしい女優はいないだろう。不良育ちの成り上がりの田舎娘と、際限のない金を持ち、夫をはじめ自分の世界を「殺されたって死なないわ」とどんどん変えてはばからない貴婦人の「おんな」の両面を演じ切っている。その表現力の幅の広さ!「殺されたって死なない」存在感が舞台を圧倒する。
三つ目。非常に時宜を得た公演であること。確かこの原作は冷戦期、米ソの原爆競争を背景に。米ソの中間にあった永世中立国スイスで、敗戦国のドイツ語で書かれた作品と記憶している。このドラマがいまも生きているのは現代社会の不幸としか言えないが、ここで取り上げられている人間の小さな営みの数々に込められた不幸のタネは常に芽を出す機会を狙っている。現在の世界情勢の不安はここにすでにあったという事を教えられた。
スタッフワークが無駄なく舞台に溶け込んでいる。美術。衣装。もよく統一が取れていて素晴らしいし、音楽(国広和毅)もうまい。新劇のベテランで固めた脇が、地力を発揮して歌の場面などそつがない。
ここのところ、何やらわけの解らぬ公演ばかりで呆れかえっていた新国立、久々のヒットである。正直なもので、いつもはガラガラの客席がほとんど埋まっている。
ロビーで広告を見ていたら、秋にはフランスから招聘劇団がやってくる。オデオン座だ。ところが演目はなんと、「ガラスの動物園」という。エエツ!?折角何年かに一度の招聘公演ではないか!フランスの芝居を見せてくれよ! 新国立のわけの解らなさは収まりそうもない。




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