『どんとゆけ』
渡辺源四郎商店
四国学院大学ノトススタジオ(香川県)
2020/02/08 (土) ~ 2020/02/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2020/02/09 (日) 15:00
はるばる観に来たのは、2009年の広島公演以来。覚えていたのはオムライスのくだりだけ、初めてみるような衝撃だった。
社会がどんなに変わって行っても、このような短絡的な凶悪犯罪を犯す人間を一掃することは出来ないであろう。であれば、何の罪もなく殺されてしまう側の家族の恨みも続く。
深い、深い、取り返しのつかない恨みを、どうしていけばよいのだろう。
裁判員制度の発足を契機に創作されたこの芝居、昨今の凶悪犯罪の加害者のニュースを見るたびに考えるもやもやを、改めて考え直させられる。
日本には死刑制度はあるが終身刑というのはないという。
ACDC公演「Jealousy Days(ジェラシー デイズ)」
公益財団法人広島市文化財団 アステールプラザ
JMSアステールプラザ 多目的スタジオ(広島県)
2019/03/16 (土) ~ 2019/03/17 (日)公演終了
満足度★★★★
去年だと一生懸命さの中にお稽古たいへんだったろうなって感じがほの見えたのだけれど、今年はひたすら楽しげで、観ている私もワクワクと楽しい。
微妙にずらして踊るダンスシーンがひとり一人を際立たせたし、動きが一斉になったときの迫力は壮観だった。今回男性ダンサーが5人も参加していて、男性のダイナミックさと女性の凛としたしなやかさの対比が面白かった。
台詞はほとんどないが、人間の身体というのは、なんと饒舌なものかと呆れてしまう。お話しするとき表情だけでなくボディランゲージも心掛けたい。
凛とした動きの中西あいさん、意外と器用なんだな井塚昭次郎くん、小柄なのに華麗な恋塚祐子さん、ぽっちゃり体形なのに意外と俊敏、オギエくん。私も禿げみになります、加藤よしたかさん。そしてゆりさん。等々、お芝居で見知った人もお初の人も、今後のご活躍を楽しみにしています。
毎年一回は、コンテンポラリーダンスを観に行こうと決めている。訳が分からないダンスは脳にはとってもいい刺激になるそうで、認知症防止にもなるらしい。
ACDC以外のステージも観に行ってみたのだけれど、興味深い印象はあったものの、「楽しい」かというと微妙だった。
結局、年一回の見物はACDCに定まったわけだ。公演の取り組みは、今年で10年目になるという。来年も楽しみ!
三島由紀夫「近代能楽集」より4作まとめて上演!『葵上』『班女』『熊野』『綾の鼓』
鳥の劇場
鳥の劇場(鳥取県)
2019/02/22 (金) ~ 2019/03/03 (日)公演終了
満足度★★★★★
三島由紀夫「近代能楽集」より『葵上』
もし私だったら「捨てないで」の一言だけは、惚れた年下の男には最後まで言えないだろうな。恋しい男を奪った若い女から、最後の最後に男を奪い返すラストシーン。心の中で密かに乾杯!これだから女はやめられないと思う。
舞台に流れる歌謡曲とその違和感の無さ、男優が演じる康子(生霊)に女の愛おしさと怖さが凝縮され、中島諒人の演出に喝采。三島由紀夫連続4作品上演の中で、最高に面白かった舞台である。(上演50分)
ドキュメンタリー
劇団チョコレートケーキ
ぽんプラザホール(福岡県)
2019/02/15 (金) ~ 2019/02/17 (日)公演終了
満足度★★★★
「キビるフェス2019」(福岡きびる舞台芸術祭)のチラシで劇団チョコレートケーキの公演が来るのを知り、すでに観た『遺産』に続いて観に行くことにした。
-その感染経路の一つは『薬』。-
1985年、後天性免疫不全症候群いわゆるAIDSの脅威が
日本の水面下に拡大しつつあった。とある製薬会社の社員の一人がジャーナリストに内部告発を行う。そしてジャーナリストと社員は日本医学界の深い闇を知る・・・(パンフより)
たった3人の役者で、歴史の中に埋もれた社会悪を描く力技とも思える手法だが、次第に解明される謎に、どきどきしながら食い入るように観た。フリージャーナリストの彼が聞き取り取材のために、調べておいた経緯をテープに吹き込む設定が、説明台詞を感じさせず、状況を上手く観客に伝えてくれる。
内部告発を決心した社員の動機に当事者にならないと、人の気持ちは揺れ動かないのだと気づかされる。
いかにも人の良さそうな小児科医を岡本篤が演じる。元製薬会社役員であり、戦時に人体実験を繰り返した医師である。
「人は医者の言うことは、信じますからね。」という台詞に愕然とした。信じなければ治療のために自分の体を委ねることができないではないか。真理の究明のためには人間は材料だ、なんて思われいるとしたら・・・。
怖くて医者にはかかれない。
3000人もの人体実験をした人間の手に、私たちの身体は委ねられてきたのだろうか。
ゼブラ
ONEOR8
一心寺シアター倶楽(大阪府)
2018/12/22 (土) ~ 2018/12/23 (日)公演終了
満足度★★★
旗揚げ20周年の劇団が、東京シアターイーストでチケット代2000円の大感謝祭をするというニュースを見た。大阪公演もあると知り、急きょ出かけることにした。
ていねいに作りこまれた舞台セットを観ただけで、来て正解だったと予感する。
役者それぞれの個性的な人物造形はひねりが効いて、その癖、舞台から受ける普遍性を損なわない。結末も予定調和にはならず、不条理ながら心にストンと落ちるような結末だった。ファンが次回作を観たくなるような舞台だ。
いろいろの思いがあったのか舞台挨拶で思わず涙声になっていた座長。たくさんの人に観て貰いたくて試行錯誤をしている間にあっという間に20年が経ってしまったのだという。
シアーターイーストで6日間9ステージのあと、水戸芸術館で2日、北海道各地で4日、岩手で1日、そして大阪一心寺シアター倶楽の2日間で千秋楽だった。
舞台を楽しんで見ながら、自分の理不尽なこころや行動に対しほっとできるような安心できるような後味が残る。
誰もいない国
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2018/11/08 (木) ~ 2018/11/25 (日)公演終了
満足度★★
ハロルド・ピンター作。東京乾電池以来の柄本明をちゃんと観ておきたくて出かけてみた。
この難解で訳の分からない作品を、取りあえず退屈させずに最後まで見せてしまうのは、役者が上手かったからなのか、そもそもの作品が面白く出来ていたのか判然としない。
ー果たして会話の内容が真実なのか一種のゲームを演じているのか、虚実のわからなさを楽しむピンターの世界
とチラシにあるように、いかに真剣に子細に台詞を追っても誰に何が起こっていたのかが、さっぱり解らないのである。
しかも、舞台の上方からぴっちょん、ぴっちょんと大きな水滴が降ってくるのだ。やがて水は舞台の後方全面で湖のようになる。転んだ柄本が衣装がずぶ濡れのまま台詞を喋り続ける。なぜ水なのか、意味は全く分からない。
休憩時間に、ロビーに掲示された演出家や出演者のインタビュー記事(写真参照)に観客の人だかりが出来ていた。
みんな訳が解らないんだなあとホッとする。
前日に末広亭の高座で聴いた柳家権太楼のマクラを思い出した。「こうして毎日落語を演じられることは、幸せだとおもうんですよ。お客さんがどう思うかは別としてね。」と。
役者というものも、時にこのような(難解な)芝居を演じてみたくなるのであろう。
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、屋外
移動
(公財)可児市文化芸術振興財団
吉祥寺シアター(東京都)
2018/11/07 (水) ~ 2018/11/14 (水)公演終了
満足度★
第一線で活躍する俳優・スタッフが可児市に滞在しながら制作し、全国に発信することを目的にしているという。
別役実作品にお馴染みの文学座の役者さんもたくさん出ていて、舞台初見の竹下景子も楽しみだった。
ところがこれがヒドイ舞台だった。
役者はそれぞれ雰囲気のある役作りで悪くなかったのだけれど、今どき珍しい暗転ばかりある舞台だったのだ。明るい照明の入り、高さのある舞台のせいか、大きな舞台道具の移動(別役作品でおなじみの電信柱、なぜこれを移動させるのか意味不明)があり、暗転のたびに幕が閉まるのである。
「暗転の多い舞台はツマラナイ」と以前に誰かが言っていた。まさにその通りだ。
幕を開けたまま進行させてもそれほど問題は無いように思えた。演出は別役劇初演出の西川信廣。
ご当地の可児市民はこの芝居をどう観たのであろうか?
遺産
劇団チョコレートケーキ
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2018/11/07 (水) ~ 2018/11/15 (木)公演終了
満足度★★★★
七三一部隊で人体実験を行なった医師と、被験者(マルタ)に接して働いていた特別班の隊員の現在と過去が交錯しながら舞台は進む。
いかにも人の好さげな今井医師(岡本篤)は他の医師が口実を付けて断ったマルタの人体実験も引き受けてしまう気弱なところがある。同時にその今井が平然と白衣を血に染めて人体実験を行なう。
マルタは「丸太」からではなく、素材という意味のマテリアルからつけたものらしい。まさに実験素材だったわけだ。
生きた人間をも解剖したという七三一部隊の人体実験の被害者は3000人にも上り一般市民の中国人も多かったという。
いっそ、医師の彼らが人間の皮をかぶった悪魔であったなら、私たちはどれほど心を撫で下ろしたであろうか。
時代の流れと大きな組織の動きの中で、私たちはどれだけ自分の良心と自分の行動を律することができるだろうか。同じ過ちを犯さないとは言えるだろうか。
『ソウル市民』『ソウル市民1919』
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2018/10/14 (日) ~ 2018/11/11 (日)公演終了
満足度★★★★
久々に本拠地アゴラでの青年団本公演である。一番前のベンチ席で観劇。篠崎家の客間(居間?)が目の前にあり臨場感たっぷりだ。
以前観たときは、最初から舞台に登場する叔父役だった山内健司が凄く印象に残っていたので、今回は太田宏だったのでオッと感じる。その山内健司が主人の宗一郎役で登場した時には感慨ひとしおだった。観客の私も少し齢を取ったわけである。
まるで篠崎家の一員のような気分で家族の会話や訪れる訪問者との会話に興味津々だ。
さり気なく無邪気に交わされる朝鮮人たちへの差別意識。
差別意識は、こんなふうに意識することもなく、ごくごく普通の人の中に染み込んでしまっている。そのことに私は気づくことが出来ているだろうか。
三谷文楽『其礼成心中』
パルコ・プロデュース
博多座(福岡県)
2018/08/17 (金) ~ 2018/08/19 (日)公演終了
満足度★★★
2012年東京・パルコ劇場での初演された三谷幸喜作の新作人形浄瑠璃は評判で再々演され、このたび博多座で上演されることになった。(ちなみに今回もA席は9500円、通常の古典文楽の公演は5000円~7000円だと思う)
公演に比べてチケット代が高いという評判も聞いていた。3000円のB席₍2階席)が取れたので観に行くことにする。
休憩なしの2時間公演。文楽の人形を操りながら作者の三谷の前説がある。東京出身の三谷だが、博多もふるさとだという。
義太夫節の中に「クライマックス」や「タイミング」「パトロール」というカタカナ言葉が入っても、さすがに我が朝の古典芸能!難なく自然に謡いこなすのはお見事。
噂の水中シーン(主人公夫婦が淀川に飛び込み心中をする)では、半兵衛は泳ぎが上手く、抜き手を切って女房のおかつを岸に助け上げてしまう。水中を泳ぎ回る文楽人形は初めて見たが、3人遣いなのでこんなことも可能なのだ。
文楽人形では表情は動かないけれど、細やかな動きが見どころ。やはりオペラクラスを持って来るのだったと悔やんだ。
古典の文楽に比べるとかなりスピーディに進展していたが、人形の動きと台詞と地の文を義太夫節で語るので、やはり人間の芝居よりはだいぶまだろっこしい。
義太夫節の心地よさに、ついついうとうとした瞬間もあり、シチュエーションコメディがお得意の三谷芝居では、聞き逃しは致命的だったかも。あらすじを知っている古典作品であれば、要所要所の見どころだけを味わうこともできたろうが。
終幕シーンの「情けは人の為ならずじゃなあ」という半兵衛の台詞は不思議とグッと心に沁みた。
昨今のボランティアばやりの中で、体力も健康にも自信がない私は指を咥えて忸怩たる思いをしていた。私にもできる人助けがきっとあるに違いないと気づかせてくれたせいかもしれない。昔から言われる「情けは人の為ならず」。よい心がけだと思う。
広島には大きなホールはあるが、演劇専用のいわゆる「劇場」はない。博多座の華やかさが私は大好きである。
その頬、熱線に焼かれ
On7
JMSアステールプラザ 多目的スタジオ(広島県)
2018/08/15 (水) ~ 2018/08/16 (木)公演終了
満足度★★★★
原爆乙女のエピソードは聞き知っていたが、実際に渡米した彼女たちの複雑な心境は、舞台を観て初めて思い至った気がする。それにしても、弱いものが、他の人のささやかな幸運を妬み、足を引っ張り合うのは日本人だけなのだろうか。
出迎えたアメリカ人に抱きしめられケロイドにキスをしてくれたという経験を話す女性が、「こちらでは挨拶なのかもしれないけれど、いつも俯いて暗い顔していた自分が、そうされたことで、自分の中で何かが変わったの」という台詞がことに印象に残った。
移植手術で亡くなってしまった彼女が、残された仲間たちに問いかけながら必死で励ます姿に希望を感じた。見送った後に泣き崩れた彼女の悲しみを私たちは忘れずにいたいと思う。
オイル
天辺塔
JMSアステールプラザ 多目的スタジオ(広島県)
2018/07/27 (金) ~ 2018/07/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/07/27 (金)
初日を観た。客席のオジサン率が高い、観客席でお疲れさまコールを交わす若い観客の多い地元劇団の公演とは、さすがに雰囲気が違う。前回の天辺塔の公演の「オイル」は文字を組み合わせるシーンと大国教授役の恵南牧さんくらいしか記憶にない。今回の舞台は、広島人による広島のための『オイル』だった。
大地に噴き上がるオイルに古代出雲と戦後の島根との二つの世界を交差する気の遠くなるような膨大な台詞が飛び交う。追いかけるだけで精一杯で頭の中が大混乱。野田秀樹の芝居はいつもそうなのだ。負けを認めようとしない腹切りをする古代人が怖かった。
ところが、その内に私の脳ミソは台詞を必死に解釈しようとするのを止め、特定の台詞だけ、貪るように吸い込み始める。
広島に原爆が落ちた時、電話線からのヤマトの声が、ふっと途切れる。投下の瞬間である。
劇の進行につれて、舞台の背景に白い描線で描かれるのは地獄絵か、あの世にあるという天国なのか。
こんな舞台が観られれば、よそにわざわざ野田の芝居を観に行く必要性を感じない、そんな舞台だった。
シアターコクーンの舞台では巨大なゼロ戦が舞い降りたが、天辺塔はハシゴ状の小道具で舞い上がる双発機をイメージした。シンプルさが魅力。動き易そうな古代人の衣装もチャーミングだった。
ヤマト役(恋塚祐子)とヤミイチ役(恵南牧)がカッコいい、富士の母ノンキダネ役(中原榮子)のお袋像も目を惹いた。
私は広島生まれでもなく、ここに越してくるまではヒロシマはイメージの地名だった。広島の苦しみは想像するしかない。さらに「平和への願い」を強いられる悲痛さも・・。
「ムイカ」再び
コンブリ団
広島市東区民文化センター・ホール(広島県)
2018/07/28 (土) ~ 2018/07/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/07/28 (土) 19:30
作・演出のはしぐちしんは青春時代をここ広島で過ごしたのだそうだ。広島に対する思い入れも強い。
車椅子で登場したはしぐちが前説から路面電車の駅を伝って広島の街を紹介しながらいつの間にか舞台が始まる。
終演後のアフタートークのゲストはライターの大場久美子さん。東京の観客はいやですねえ、こう、ちょっと反り身になって、どんな芝居をみせてくれるんだいと、斜に構えた感じでと言うと、はしぐちさんは同意するでもなく、大人の反応。地方の観客はもっと純朴に見てくれるということらしい。
だが、私には7月8月と目ぼしい芝居は大概が原爆がらみのお芝居で、まるで広島の観客はリトマス紙かと気が滅入るのであった。
コンブリ団、ぜひまた広島に公演に来てほしいな。次は別の作品で。
【東京公演】劇団壱劇屋「独鬼〜hitorioni〜」
壱劇屋
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2018/07/12 (木) ~ 2018/07/17 (火)公演終了
満足度★★★
劇団壱劇屋は、舞台芸術口コミサイトのこりっちの年間の「舞台芸術ベストテン」で2016年と2017年に1位を獲得した人気劇団、野次馬根性で観に行ってみた。関西が本拠地の劇団だが、東京には毎年公演に来ていて今年は5年目とのこと。
作・演出・殺陣が竹村晋太朗の『独鬼』は、主演も竹村だ。
台詞は無く、眩い照明と大音響の中で、初めから終わりまで激しい殺陣の応酬が続くという新感線も真っ青な派手派手芝居であった。
ずっと一人で生きて来た殺されても死なない鬼、彼は普通に生きることに憧れている。ふとしたことで託された赤ん坊の女の子と生きることになった50年の間に彼は何を思ったのだろうか。虐げられたものを守ろうと身を挺する女を救うため、鬼は止めどない争いの中に身をおくことになるのだが。
前売り券で最前列の席だった私は、派手な立ち回りで舞台を駆け抜ける役者の起こす風を身体で感じる。最初は台詞の無い中で何とか意味を探そうとしたが、人が殺し合う立ち回りのカッコよさについ見とれてしまった。残虐さや残酷な印象はなく、ハラハラどきどきの連続だった。
最終場面で鬼がもたれていた大木に、女と一緒に育ち後に鬼を狙う男が、女の簪で何かを彫りつけている。鬼の姿を彫って、最後に鬼は死ぬのかなと想像したが、彫りあがったのは、合掌する女の姿だった。
老いて女が死んでしまった後も鬼は生き続ける。派手なチャンバラ劇ではなく、なんか深いものを感じさせる。
アフタートークのゲストは、下北沢の本多劇場グループの本多愼一郎さん。台詞がなくても分かるので、海外公演もいけるかも等と言われていた。鬼役の竹村晋太郎が喋るとコテコテの大阪弁である。いつか下北沢の全劇場制覇を目指したいとのこと。
壱劇屋は2008年に活動開始なので、劇団創設10年である。その意気軒昂なところが何とも羨ましい。
ウィルを待ちながら
Kawai Project
こまばアゴラ劇場(東京都)
2018/07/04 (水) ~ 2018/07/18 (水)公演終了
満足度★★★
題名はゴドーを待ちながらのもじり、劇中にさまざまなシェイクスピアの戯曲の台詞が引用され、台詞が代わる度に世界観がクルクルと変化する様が楽しい、筈だ。
如何にも芝居を観つくしている東京のお客さん好みの芝居で、そもそもシェイクスピアの芝居を数えるほどしか見ていない私には、交わされる台詞がどの芝居のものかが直ぐにはピンと来ないのだから、けっこう疲れる芝居だった。
ただ、ドーバー海峡で自殺をしようとするグロスター伯(田代隆秀)と騙して助けようとする息子のエドガー(高山春夫)のシーンが繰り返し演じられ、ここは「リア王」の場面だと分かった。当人が飛び降りて死にたいと思うと、実際に飛び降りなくても死んでしまうのではないかと怯えるエドガー。虚構と現実はどちらが勝つのか?
舞台は終始、二人の役者だけの芝居で、キャッチボールのように紗王の台詞を言って作品名の当てっこをする場面では、有名ではないコアな台詞を言いあって勝ち負けを競ったり。
アフタートークは、役者二人と河合祥一郎とゲストの松岡和子の4人のシェイクスピア談義。小田島訳に馴染んだ田代隆秀がつい、以前の台詞が出てしまうなどと話していた。
調べてみると、シェイクスピアの訳者ごとにハムレットの台詞も、
福田恒存「生か死か、それが疑問だ」
↓
小田島雄志「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。」
↓
安西徹雄(主に演劇集団円)「生か死か、問題はそれだ。」
↓
河合祥一郎「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」
↓
松岡和子「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ。」
のように流行が移り変わってきている。今は、松岡和子訳が人気らしい。
芸術は細部に宿ると言うが、東京の観客相手でなければ上演されないであろう芝居だったということでは、いい記念になった。
日本文学盛衰史
青年団
吉祥寺シアター(東京都)
2018/06/07 (木) ~ 2018/07/09 (月)公演終了
満足度★★★★★
珍しく(!)大評判の新作本公演、楽日にぎりぎり間に合った。高橋源一郎の原作は、それぞれ四場の葬儀シーンで上演される。障子を開け放すと日本庭園が望める。葬儀場へ続く廊下の手間に弔問客のための膳が並ぶ広々とした大広間といった奥行きのある舞台。
一場は明治27年5月の北村透谷の葬儀、
二場は同35年9月の正岡子規の葬儀、
三場は同42年6月の二葉亭四迷の葬儀、
四場は大正五年12月の夏目漱石の葬儀、
終始舞台上に出ずっぱりの島崎藤村(大竹直)と田山花袋(島田耀蔵、女性弔問客の座布団に突っ伏す)が狂言回しで、場面が数年後の葬儀へと転換されていく。
森鴎外(山内健司)と夏目漱石(兵頭久美、付け髭!)以外は、役者が何役もの作家や女中、それぞれの喪主を演じている。これが楽しい。
錚々たる大御所の作家の若き時代、デビュー当時の衝撃なども面白い。作家の人間像を描くというより、当時の「心で思ったことをそのまま文章で描く」ための悪戦苦労振りがユーモラスに描かれ、近代文学史に疎くても、詩を捨てた藤村や、華やかな一葉、晶子の逞しさ、啄木や賢治の清新さなど、身近に思い浮かべることができ興味深い。綺羅星のごとく文壇の有名人ばかりがお喋りを交わす様子は、文学好きには堪らないかも。弔問客には近所の人も加わり、二葉亭四迷を噺家?なんて聞いている。
島村抱月や坪内逍遥(志賀廣太郎)が自由劇場で上演される翻訳劇の訳のことで揉めたり、女中たちが楽しげにカチューシャを合唱したり。
四場では一挙に戦後活躍する作家たちが登場、それぞれ胸に坂口、太宰、芥川、康成などの名札をつけている。一気にお芝居ごっこめいた雰囲気、スマホで集合写真をとる高橋源一郎も登場する。
職工でも小説を読む時代を望んだ作家たちの苦闘の果てに、小説家が長者番付に並ぶ時代を経て、読者はやがて細分化され自分だけの小説を書き始める。芝居はその先の、ロボットが書いた小説をロボットが読む近未来へ。私たちが獲得した日本語はやがてどこへ行くのだろう。
自分たちの「言葉」をもっと大事にしなければと思った。
火星の二人
東宝芸能・キューブ
JMSアステールプラザ 大ホール(広島県)
2018/05/26 (土) ~ 2018/05/26 (土)公演終了
粛々と運針 ツアー
iaku
ぽんプラザホール(福岡県)
2018/06/15 (金) ~ 2018/06/17 (日)公演終了
満足度★★★★★
演劇は、愛や勇気や希望を与えてくれる華やかなものだと誤解されているのではないか。実は、私たちの人生にもっと必要で実用的なものなのだと気づく。
広島アクターズラボで生まれた五色劇場の試演会2 「新平和」
一般社団法人 舞台芸術制作室無色透明
広島市東区民文化センター・ホール(広島県)
2018/06/08 (金) ~ 2018/06/10 (日)公演終了
満足度★★★★
試演会②の「新平和」を観に行った。終演後にアフタートーク有り。
主人公の少女が人型の人形なので演技はしない。共演の役者は、この人形の表情や仕草が目に浮かぶような受けの演技が要求されるという仕掛けが絶妙。
主人公の少女の姿がありありと目に浮かぶというわけには行かなかったが、その代わりに原爆を通した様ざまな人物の日常が生々しく浮かび上がる。
諦め、やり過ごし、あるいは逞しく・・。悲惨な体験だったというのっぺりした印象の原爆が、個人個人の体験をとおして生々しく実感されることに驚く。台本としての台詞は無く、シーンごとに参加した役者たちがほぼ創作したものだという。
少女の初潮を描いたシーンが印象的だった。作者の柳沼昭徳はこんなにフェミニストだったかしらと意外だった。おそらく、参加した役者の大部分が女性だったために、彼らの共同作業のなかで創造されたに違いない。
特に悲劇的なシーンは無いにもかかわらずが、役者ひとりひとりが掴み取った感覚を観客に伝えようとする衝動が強い吸引力をもち、観客席で観ていて引き付けられた1時間半だった。
「Ten Commandments」広島公演
ミナモザ
JMSアステールプラザ 多目的スタジオ(広島県)
2018/04/05 (木) ~ 2018/04/06 (金)公演終了
満足度★★
東京公演を観た観客の感想をネットで調べてから出かけた。
芝居に吸引力が乏しく内容のどこに共感したらよいか当惑したお客さんが多かったらしい。少し気が重くなる。
ぽつぽつと席が埋まり、観客は30人ほどだろうか。
舞台はまばゆく青いアクリルの床に、シンプルなデザインのイスとテーブル。白い衣装の役者たちは素敵だった。
彼女の居間と同時に大学院の研究室にもなる。ほとんどが手紙文と独白の声、ことばを失った彼女ひとりの台詞が多い。
原子爆弾を発明した科学者と原発事故以降に原子力を研究し始めた研究者の彼らは、わたしには同じとは思えなかった。やはり違うような気がする。
詩のような言葉の流れは眠気を誘う。80分は限界だった。
残念ながら、私はことばの細やかな差異や意味のある繰り返しに気づくこともなかった。神経はぼんやりしたまま、何も刺さりはしなかった。長々と劇作家の愚痴を聞かされたようだった。
広島の観客として忸怩たる思いだ。