「# FAFAFA-ファウスト」 「Like Dream and Dreams(ゆめみたい)」
DE PAY`S MAN
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/06/22 (水) ~ 2022/07/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
青年団系劇団の舞台ににユニークな振付を提供していた木皮成が、この度は棟梁となり構築したパフォーマンス。
アゴラ劇場の通常のステージ側(入口の反対側)に客席を組み、建物の3階に当たる会場内ロフトには中央に出力機材があり、世界を統べる佇まいのDJが音を出し、人間界を操る垂直関係が視覚化される。
パフォーマンスのカテゴリーはDanceであり、出演陣は踊れる俳優が主軸。だが、物語進行の各場面は多様なアイデアが盛り込まれる。
全体的な印象は、場面の精度・雄弁さに凸凹がある(鮮やかな瞬間もあるが停滞と感じる部分もある)。ファウストのドラマツルギーと作り手の距離感をもっと知りたく思ったが、題材へのこだわり、情熱を信じるに足る内容ではあった。演出の造形欲求を満たし、俳優の身体を解放する「場」としてのファウストなのか(間借り)、譬えて言うなら永住を前提のレジデンスで取り組む過程に俳優が参与するという関係か。テキスト重視のタイプ(後者)と見えたので、分からなさも含めて受け止めようと言う気になったという訳である。次の一歩を気長に待ってみたい。
ハヴ・ア・ナイス・ホリデー
第27班
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/07/07 (木) ~ 2022/07/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
音楽自身が生む高揚を劇に包摂する舞台を作るユニット、と認識しているが、今回は演奏が一人、プラスαの趣向で、そこ一点突破な劇構造だったな、と一日置いた後思えて来た。そう考えて漸く、私にとっての「第27斑らしい」範疇に戻って来た。つまりは実際の舞台はその狙い通りには必ずしも行かなかった、という結論になるが...致し方ない。。
架空の設定の特区での若者たちの群像が描かれ、擬人化された存在も登場するが、「SFは設定が命」と最近よく思う通りで今作も些か詰めが甘い。話の舞台は不老薬が配られる「未来の村」という特区での設定で、畦道が伸びるだけの過疎地に人を呼び込む政策意図がありそうなのだが、薬は有料であるとか、だから仕事を(自力で)見つけなきゃならないとか、幾分無理が(説明し切れてなさが)ある。だが、移住してきた若者たち(背景はほぼ説明されない)にとってのアジール的空間がそこはかと立ちのぼりそうなのが良く、ブラッシュアップされた舞台をまた観たい世界であった。
三好十郎の『殺意』
演劇企画集団THE・ガジラ
APOCシアター(東京都)
2022/07/01 (金) ~ 2022/07/09 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鐘下辰男の洗礼を受けた若者らが舞台で咆哮する。桜美林の学生よりは年嵩だろうが、身体的な限界を攻めてる感じとその限界が見える感じは同じ。ただし学生の方が俊敏だったりする。岩野未知は脇役で補佐に留まっていたが、激情と淡調の振り幅、罵声の中にも繊細さを滲ませる岩野レベルの演技者をつい想定して、若い演者たちの「届かなさ」を想像で埋めている自分。この脳内作業を凌駕して刃を突きつけて来る瞬間を待ったが、必死に、誠実に、堂々と演じる若者たちの姿を認めつつも、鐘下舞台とあれば期待してしまう「打ちのめされる瞬間」には至らずだった。演技の問題か、戯曲(台本)演出の問題か自分の鑑賞眼の問題かは不分明。
以前の鐘下ワークショップ発表から一段上を目指した「SAT」ならば(料金もまあ普通であるし)差引いて観る必要もないのだろうが、SATの文字を見落としていて若手役者が登場すると「そうだ若手公演だった」と、仕切り直して観ている。さらに、これが「ワークショップ発表」だったとすれば、やはり見方が変り、「にしては」の枕が付いて「凄え」となったりする。料金と中身が皆直結してる訳ではないが、されど価格。観客とは現金なものと思う。
複数役に書き直した台本は原作に忠実なようだが(鐘下氏の加筆に思える台詞もあったが)、現代に重ねられている事はそこはかとなく伝わる。
当日配付の鐘下氏の文章を読んでみる。
今を生きる日本人、とりわけコロナ後の姿が語られている。戦後日本人の姿を告発的・暴露的に描いた三好十郎という作家は、本作でも戦前から戦後に橋を渡してその歩みをストリッパーに一人語りさせ、あるインテリゲンチャの変節スキャンダルを暴露させる。
鐘下台本は「語られる」人々に身体を与え、群像劇の様相となる。
だが、観ながら感じたのは、一人語りなら語られる人々は完全な主観を反映し、どう受け取るかを観客に委ねる。言葉が大きな比重を持つわけだが、これが役者の身体を借りて登場すると、語り手の統御を離れて存在してしまう。すると、様々な解釈が可能となる。これを言っては実も蓋もないが、この違いを埋めるのは大事である。「三好十郎の『殺意』より」と題した理由も納得する次第だ。
原作を「想像」し思いを馳せる。彼女が目撃し体験した事は、今この世の中を見る眼差しに深く反映している。左翼言論人の「現在」の素行の描写には、当時権威を持っただろう者たちへの私怨を感じなくもないが、彼らが語る「論」の虚しさが三好氏にその想像をさせたとも。
ただ鐘下氏は知識人の転向を描いたものとしてこの作品を規定するのは「矮小化」であると言う。
今現在の日本人は、昔読んだ萩尾望都の漫画『百億の昼と千億の夜』の「A級市民」に似ている・・このA級市民の説明はないが、想像を膨らませる事はできる。
鐘下氏の感覚に寄り添えば、戯曲の最初にストリッパーが冒頭で言う「世の中は広うございます」の「広さ」を、本当の広さとして感知できているかに疑問を呈する。この「広さ」を忘れて自分たちは「生きている」と錯覚している姿こそ、A級市民的だと言う。
例えばネットやニュースで見るウクライナ状勢に、広い世の中を実感するのも矮小化の一つであり、実感した気でいる錯覚がA級市民的である、と言う。
この一文には「言い切れてなさ」を感じる。また少し考えてみる。
JACROW#28『鶏口牛後(けいこうぎゅうご)』
JACROW
座・高円寺1(東京都)
2022/06/23 (木) ~ 2022/06/30 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
とあるアパレル系会社の中堅女性社員を主人公にすえた、一風変わった趣向の企業モノ。山東商会に勤める雨宮(川田希)は次のトレンドを見据えた新しいファッションを生み出すプロジェクトを半年間率いて今、部長(谷仲恵輔)、課長(佐藤貴也)、素材製造会社の担当者・武部(菅野貴夫)の前で若い部下たちと共にプレゼンをしている。
ファッションショー風な演出で、目を楽しませた開幕の後、照明が「会社」の現実に引き戻す。
拍手をして労う課長。労いつつも鋭く批判する部長。結果は不採用。だが審査側の3人が部屋を出ると、部長は強面を崩して自分が手掛けたブランドの新バージョンとしてアイデアを反映しようと無邪気に提案をする。
雨宮らの新ブランド<つなぐ>とは、環境問題をトレンドに押し出し、リサイクル素材(再生ビニール)100%のカジュアルを客単価17,000円で提示。
一方部長が手掛ける<エコ×××>は単価10,000円。これに再生素材を「幾らか」混ぜて13,000円で売り出す事となった。元のプロジェクトはこのチームにそのまま移行し、雨宮はチーフを任命される。一応は飲んだが、しこりは残っている。
素材会社と試行を重ね、単価13000円で可能なのは再生素材25%まで、との結果が出た。「これで環境に配慮した服だと言えるのか」と、雨宮の疑問は勢い高まる・・。
この舞台の趣向はパンフに解説があった。即ち、ベースとなる話の後、主人公の選択によって二つの異なる話「牛後」「鶏口」の両バージョンが展開するという。で、上記までがベースとなる話だ。「牛後」はその後、雨宮が会社にとどまって努力するケース。もう一つの「鶏口」は再生素材100%の商品を販売する新会社を設立するケース。
実を言えば、「混乱もあり得るので書いた」というパンフの解説を読まなかった私は、混乱のまま劇場を去った。二つの物語ではなく、「巻き戻し」の技を使いながら一つの話を描いた、と見たのであった。・・雨宮は会社に残って我慢の末、融資を取り付けた取引銀行の担当からあるベンチャー素材会社を紹介される。「良い出会いがありますように」と、舞台装置の中央に開いた神々しく光の溢れ出る扉の中へゆっくりと入って行く雨宮。このバージョンは「牛後」。2バージョンある、と観客に判らせるヒントは、雨宮のプライベートのシーンにある。タロット占いがその小道具である。
三姉妹の長女である雨宮には二人の妹がおり、一人は既婚、一人は婚約者(雨宮の部下でもある)がいる。
早くに母を亡くした三人が身を寄せるのは、育ての叔母と雨宮が住む家。下手側の装置の高台には広いリビングか屋上があり、ざっくばらんな会話が交わされるが、姉の現状を知った三女が、叔母の得意なタロット占いを勧めるのである。
同じアパレル業界の大手に勤める三女は、飽き足らない現状の反動からか、姉が会社から受けた扱いに不満を持ち、独立を勧める。これに対し堅実さを求める次女は三女を叱り、自分らの生い立ちを思い出させようとする。父は酒に溺れて死んで行った。大きな会社・組織に就職する事が何よりだ、とは叔母の口癖でもある。次女は不動産会社に勤める夫が時折、ネットの仮想通貨にハマっているのを見咎めつつ、「家計には手を付けないで」とだけ釘を刺して我慢している。これが後に離婚話の火種になるが、妻が「勝負」を嫌うのに対しこの夫は「勝負の無い人生って何だ」と真逆の考えを持つ。彼が雨宮に表参道の物件を勧めていた理由は、自分の業績になる事以上に、心底良い物件だから志の高い人間に使って欲しい思いがある。こうして私生活の中でも「安定か冒険か」、牛後か鶏口かの葛藤がある。
「鶏口牛後」とは本来は「大きな組織の末端にいるより小さくともそのトップになれ」と言った意味のようだが、この作品では前半の「牛後」を「大きな会社の中で自分のあるべき姿を見つけよ」といった意味とし、後半の「鶏口」は本来の意味としている。
さて暗転の後、実はもう一つのストーリーが始まっているのだが、私は雨宮の開業が前半の「続き」だと見たわけだった。その前にタロット占いの「結果発表」(カードにスポットが当たり、天からの声が聞こえる)の二度目が挟まるのだが、眠気もあったのだろう、大した意味とは捉えず、スルーした。
後半の鶏口バージョンでは、表参道の店は好調。新ブランドのコンセプトは注目され、雑誌にも取り上げられ、ネット上での発注数も上っている。が、歯車が軋み始めるのは、山東商会の部長が雨宮の「つなぐ」ブランドの先行きを過敏に意識していて、好調だと聞くなり妨害に走ってからの事。
ストーリーとしては、この部長の行動は「理がない」にも関わらず、これが功を奏するというのが難点である。もちろん「趣向」であるので、これを楽しむのが主眼ではあるが・・。
雨宮に振りかかった災難は、まず、彼女の思いを最も理解し、起業した後も二人三脚に見える程に意欲に答えていた素材会社リバースの武部が、震災後自分を拾って今の会社を紹介してくれた部長への恩義から、「取引ができない」と言って来た事である。
ただし表面上はリバースが会社の経営状況から「取引先条件」を改定し、「つなぐ」はそれに該当しない事になってしまった、という説明だった。だが物語は二転三転する。取引できるの条件の一つに「全額前払い可能な場合」とあった。直前、(リバースとの順調な取引が前提とはいえ)銀行から「融資」決裁が伝えられていた。従って条件はクリア出来る。山東商会を突如訪れた雨宮と、部長とのやり取りの中でそれは明らかにされ、最後に雨宮は「リバースとの取引が出来る事となった」と告げ、こう付け加える「あなたが介入していなければ」。部長の良心に迫った訳である。
ところが、物語の方はリバースの決定は変わらない。武部からの電話を受け取った雨宮の表情でそれが判る。現実はそのようなものだ、という空気が流れる。
ここは中々承服しがたいものがある。裏取引的な手回しを部長がやるにしても、個人的恩義のある武部にしか圧力はかけられないだろう。山東がリバースの発注元として力を利用するにしても、ある会社とは取引するな、といった要求は正面切ってはできまい。そもそもリバース側に素材を「売る」相手を限定する意味など殆どなく、あるとすれば踏み倒しのリスク(それは今回のケースには当たらない)、あるいは一度設定した単価が見直し対象になるといった事はあるだろうが、それなら再交渉という選択肢がある。このしこりが、その後の展開に響く。
「牛後」バージョンの終盤に新たな素材会社を雨宮に紹介した同じ銀行員が、小道具も共通にしたのだろう、表が青の「事業計画」を手に、「(融資決裁の結果を伝えて)雨宮さんの事業計画が素晴らしかったからですよ(毎度の定型句)」と言い、「相手さんも褒めていました」と、新たな提携先を示唆する。ところが、その会社は実は山東商会であった。
これも銀行員の台詞のリフレインだが、「Aは資金と販路はあるが、アイデアと技術がない、Bはアイデアと技術はあるが資金と販路がない。AとBを繋ぎ、結果ウィンウィンウィンをもたらすのがわが社のモットー、倍返しです」(ウィンが3つなのは一つがわが社の意)。
まとめれば、牛後バージョンでは、社内で素材含有率の頭打ちを乗り越えようとする雨宮にベンチャーの存在が現われ、その出会いに期待、という所で終了。
鶏口バージョンでは、理にかなった起業が私怨を抱いた元部長の横槍で敗北、相手会社にも大きなしこりを残し、結局元鞘に戻る(これをポジティブシンキングで明るく前向きに言う)。つまり銀行員の台詞は単なるおだてであり、実態は「敗北」。しかも敗北の原因を作った会社に「出戻る」という無惨な結末なわけである。(それを決定づけるのは、最後に雨宮が自己紹介する台詞「はじめまして、山東商会の、雨宮です」。芝居はなぜか爽やかに終わる。
雨宮はポジティブ思考で、「なぜ今まで気づかなかったのか」と、提携の選択肢を口にするが、「牛後」では元々のアイデアを蹴り、それを単独で実現しようとした試みを邪魔した山東商会が、なぜ今更、雨宮の案を飲もうと言うのか、この山東側の「変化」が判らない。
もっと分からないのは、「牛後」で銀行員が紹介したベンチャー(素材開発)が、なぜ「鶏口」では出て来ないのかだ。
「元鞘に戻る」は演劇的な構図ではあるが、後味は悪い。舞台は我々が「現実を苦々しくも受け止める」手助けではなく、苦々しい現実に傷つかずに済むようオブラートに包む方法を伝授しているかのようである。
痛々しい女性の姿に、「そこは突っ込まないでいて上げよう」と、誘導されてしまうがそれでいいのか、という感覚が脳ミソの端っこに残る。それをほじくり返してみた。
対立と葛藤、和解の可能性といった、溜飲を下げる場面が作品の質を押し上げているが、ストーリー自体には不服が残る。
小林秀雄先生来る
ハルベリーオフィス
駅前劇場(東京都)
2022/07/01 (金) ~ 2022/07/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
壱組印が2003年に初演、2008年に再演した演目で、当時の舞台に出演していた藤﨑卓也氏が企画し念願を叶えた舞台という事らしい。壱組印で大谷亮介が演じたカッコ付き「小林秀雄」を、藤﨑卓也氏が演じる。この作品の勘所は禁ネタバレであるが、よく書けている。作者の原田宗典の娘が、原田マハだったのネ(関係ないが)。
正義の人びと
オフィス再生
六本木ストライプスペース(東京都)
2022/07/02 (土) ~ 2022/07/05 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「正義の人びと」6度目の上演という。Corichの過去公演ページの2公演を見ると役者数が少しずつ減り、今回は戯曲上の役は5名(他一名は作者の役)、上演時間も1時間45分で、大胆にテキレジを入れていると思しい(俳優座での上演と比較してもだいぶ削られている)。
演出が印象的だ。地下の一室の会場は、中央に地上階から階段がくの字に下り、奥側に大きく死角があるが、タイプ机が置かれ、作者カミュらしい男がタイプを打ったり佇んだりしている。役者も役人物として奥か上手ドアから出入りする以外は、ゆっくり移動したり佇んだりする。奥からの光が中央の「オブジェ」によって幻想的に動き、ドラマを胚胎す場所(あるいは歴史、あるいは人間の想念)であるかのように揺らめく。
物語は帝政ロシア時代の末期、大公暗殺に至るテログループの群像劇であるが、「正義」とその「実行」(暗殺)との乖離に揺らぐ人間心理が活写される。女優5名の内4名は男の役をやり、これが殆ど違和感も不足感もなく、非情な任務を自らに課する事となった緊迫感が、それぞれの個性において表現されていた。
ストレートな俳優座の上演より、戯曲の中心軸をとらえ、回した独楽の如く整然として切れ味がある。
ただ、暗殺を遂げ囚われの身となったカリャーエフの元に届いた大公夫人(未亡人)からの手紙が読まれるくだり、何処か冗長な感じがしたのだが、今言葉にしてみると・・
それまでの「内向き」の言葉の世界を表すに相応しい劇場環境と演出が、この時初めて、「外からの」声によって心がかき乱される、その瞬間として何等かの変化を見たかった所、「声」は相変わらず内なる心の問いのように響いている(演出的な工夫として、散在していた縦長の板(実は鏡だった)が彼を囲い込み、罪責感と向き合わせられるといった意味を付与していた)。
その声は、カリャーエフが元来持つ繊細で豊かな感性が、自らの良心から発する言葉とも思えるので、外界の、つまり実在の他者が物理的存在として現前した感じがしない、という憾みだ。
(そこが星5にはもう一歩、と思わせた要因のようである。)
しかし繰り返しになるが、愛を信じる故に悩むカリャーエフ(岩澤繭)、その恋人で爆弾製作を担うドーラ(あべあゆみ)、メンバーの扱いに長け理解力を示しつつグループの規律を重んじるアネンコフ(磯崎いなほ)、絶望と心中するかのように復讐の徒として暗殺計画を遂げようとしているステパン(加藤翠)、最初の計画で実行部隊となり、失敗によって心が折れた若いヴォワノフ(嶋木美羽)と、その演じ分け(役人物の内面化)には深く感じ入った。
最後は奥で作者を演じていた長堀博士氏(立ち姿を初めて見た)がつかつかと前に出、一人挨拶して終演を告げたのも、そぐわしかった。
サイは投げられた
劇団アンパサンド
アトリエヘリコプター(東京都)
2022/06/23 (木) ~ 2022/06/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
女優五名様によるナンセンス不条理おちょくり世相風刺入り脈絡ありそでなさそな愛と希望ほのぼの死屍累々スポコン人情劇である。(分からん物を名付けると長くなる)
五反田団系列、だろうか。新年工場見学会に似た乾いた笑いを誘うが、台詞の端々に現代風俗と皮肉がセンスがよく混じり、心地良い。だがストーリーは迷走気味。他の選択肢もあるがこちらを選んだか(作家は)、と思いながら観る。「こっちでなきゃならんかった」と思えるかどうか(戯曲の完成度のバロメータ)は疑問が残る。ナンセンスだから「何でもあり」ではあるのだが。。鄭亜美に電話で二度もアレやらせていた・・これは定番なのか。
ほりぶんの要素があったな(体を張らせたい意気込みとか)。
パンドラの鐘
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2022/06/06 (月) ~ 2022/06/28 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
昨年初観劇した(内容も初めて知った)戯曲。元は蜷川幸雄が野田氏にオファーしたものだとか(初演1999年)。他の演出家に手渡すべく書かれた戯曲を昨年は熊林弘高氏、今回は杉原邦生氏の演出で観る。真逆である。
熊林演出版は、静けさと透明感があって私は好んだが、今回はほぼ対極に振り切ると知って何故チケットを早々に仕入れたのかと言えば、出演陣、特に葵わかなの名があった故で。
朝ドラ「わろてんか」をネットで全編観終えた後、独特な笑顔で「こなしてる」葵わかなのプロフィールを見て驚いたのが出演時の年齢(20歳そこそこ)。他で目にしなかった名前を芝居のチラシで発見し、その舞台はコロナで流れたが、それで「今度こそ」とギアがかかったようである。純愛物やコメディならまだしも、野田氏の屈折戯曲を彼女がこなせる気が全くしないのに、である。杉原演出舞台も、甚だ失礼ながら「KUNIOハムレット」以来成功作にまみえた記憶がない。「外れだろうな」と期待をしていないのに楽しみに足を運んだという奇妙なケース。
舞台は意外にも、「パンドラ」の正解とは思えない出来(予感どおり)にも関わらず、楽しく観た。約めて言えば杉原邦生演出は「異化」に彩られており、一方戯曲にあるのは、眠っていたリアリズムの怪獣が姿を現わす大詰めのカタルシス(又はカタストロフ)。時系列無茶苦茶でもそれを捻じ伏せる言語力が売りの野田戯曲に対して、熊林演出は正しく、言わばレイヤー幾層も重ねる形で処理していた。軽々と捲ったり戻したりし、最後は一挙にそれを捲って「原爆」という歴史のリアルを見せる。現代と古代が、明確な区別とその侵食の具合が判るように熊林演出は見せ、全体には霞をかけていた。演技陣では古代の女を演じた村岡希美のキャラが立って関係が明確であった。
これに対し杉原演出は古代と現代の区別、それぞれの超課題、二つの関係性等が、演技を通して明確に伝わって来るという具合には行かなかった。演技陣が揃っていながらのこの状況は、少々残念である。ただ、明るい照明の中でハキハキと演じられる芝居は、「台詞を聞かせる」面で誠実さはある。熊林版では「雰囲気」で聞き流していたらしい台詞が聞こえて来たりもした。その事により、古代と現代の関係の(戯曲の)破綻具合も浮き彫りになるが、ボルテージが高まる終盤の高揚は否定しがたい。
感動の演出であるが、しかし原子爆弾の秘密が埋め込まれた古代王国の鐘を、敵方から守り切れず長崎の町を壊滅させてしまったと、現代(この芝居では現代=戦時中)の男が嘆き、それと古代の男とが「共鳴」するのであるが、因果関係を超えた殆ど「詩」の世界が、杉原演出では即物的というか「字義通りでございます」となる。
杉原氏の天然さ加減(そう仮定してみると合点が行く所も)は持ち味であり、欠点を補って余りある面もありそうではある。
さて我らが葵わかな女史は、声の良さが必死さ一辺倒の演技を補い丸みを持たせ、(杉原氏に通じるかもだが)天然ぽさが(人物造形とは関係ないところで)華を与えている感もなくはない。大型俳優が並ぶカーテンコールは壮観ではあるが、もっと「役」の存在として見えたかった。
ジョージ・オーウェル〜沈黙の声〜
劇団印象-indian elephant-
駅前劇場(東京都)
2022/06/08 (水) ~ 2022/06/12 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
「ケストナー」「藤田嗣治」に続き今作も映像での鑑賞となった。
前作より構造がシンプルで、この著名な小説家・エッセイスト・ジャーナリストの「内側」を覗けた。二つの軸があり、一つはインドとの関わり、一つは彼が影響を受けた、マーレー・コンスタンティンと名乗る作家(これは作者の創作だろうか)。男性と思わせて実は女性であったこの作家は、ナチスが世界を征服した近未来を描いた処女作で文壇に衝撃をもたらした(オーウェルの「一九八四」を連想させる)としているが、作者は彼女をオーウェルの前に姿を現わし、女性が己自身を名乗って生きる困難さを語らせ、問いを投げかける。同時にオーウェルもその当事者となる「闘い」の同志とも見える。
インドとの関わりは、イギリス政府がインドにおけるナチスの暗躍=ラジオ放送を使った反政府(反植民地)気分の醸成に対抗し、ラジオ放送の作家としてオーウェルを招いた事で具体的な形をとるが、ラジオ局にはイギリス在住のインド人もおり、戦局や情勢によって彼らとの関係も変容する。インド生まれのオーウェルは植民地経営を担った父親がおり、彼らにとってはイギリス人・政府を代弁する立場に見える。時代は反ファシズムの機運、インドでもガンジーらが独立運動により意思を表明している中、「戦争が終れば英国政府はインドを解放する」という前提が共有されているが、何が本当かは分からない。
大日本帝国の台頭も彼らの視野に入って来る。インドの独立派の中には日本をアジア解放の旗手として歓迎する動きがあった(既に対米開戦、マレーシア・インドネシアを落としている)。だが、英国内だけでなくインド本国でも英語を「強要」されている状況に疑問を呈する「反植民地主義」を採るラジオ局内の友人も、日本のアジア進出を歓迎する動きを始めようとしていたが、もう一人の友人である女性が、朝鮮半島の植民地化を例に「解放どころか、自分らの言語と名前を朝鮮人に強要している」実態を告げ、相手を苦悩させる。
口角泡を飛ばす演技が、舞台にメリハリを付けているが、中津留作品に通じる議論劇の要素は、外国を舞台にしたフィクションである事で馴染んでいる感じも受ける。
下谷万年町物語
新宿梁山泊
花園神社(東京都)
2022/05/12 (木) ~ 2022/06/25 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
本作初観劇。誤解を恐れず言えばストーリーは何でも良い。瞬間の煌きが唐十郎@梁山泊の真骨頂。
六平直政の古巣での出演は30年振りなのだとか。パンフに熱っぽく書かれていた六平氏の文字は、劇団を出て羽ばたき続けてきた自分の視界に、雲間から顔を出す劇団の姿を見出したという趣旨を述べていた(高みから下りてきたのではない、という意味を込めたかったのだろう)。彼は三幕にようやく「お市」という風俗(おかま)の元締めとして女装で登場し、長口上を言うのだが、不思議な感覚であった。爆弾キャラでハチャメチャに掻き回す光景を想像していたが、意外に折り目正しく繊細である。
一方の見どころな役は、ヤクザな界隈の手練れ共の手を逃れて健気に生き抜こうとする元娼婦(蜂谷眞未)と若者二人(中嶋海央・二条正士)の三人組(唐組で観た「黄金バット」にもあった“3”のチーム感がいい)。ヒロインの蜂谷は「娼婦・奈津子」で度肝を抜く存在感を見せたが、通じる役で今回も圧倒した(見事というしかない)。常連の大鶴氏、松田氏他の面々、また紅日女史が五人の女性コロスの一人に収まっているという贅沢な陣容。役者一人一人、隅々までポテンシャルが高く、もしやこれも六平効果か...? とふと思った。
夏芙蓉/ふぶきのあした
くじら座なごや
スタジオ空洞(東京都)
2022/06/17 (金) ~ 2022/06/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
劇団名の由来にひどく納得したので観たくなった。60分以内という制約がある高校演劇だが、高校演劇「臭さ」を感じず新鮮に観た。「学園物」だが普遍性がある。二作品の最初は5人、後のは大勢。人物のキャラ分け、演者の演じ分けは明瞭できめ細か、目が醒める。
「ふぶきのあした」の女生徒(ふぶき)は見覚えあり、確かMyrtleArtsの第Q藝術公演にて私が「涙を抑えて欲しかった」と書いたお人であったが、今回も見せた涙は芝居にそぐわしかった。
絶対に怒ってはいけない!?
劇団チャリT企画
駅前劇場(東京都)
2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
チャリT企画特有の「テーマ追求型演劇」の匂いがしない公演だった。今作のテーマが「パワハラ」であった事と関係がありそう。「乱暴な態度・言動」なんてものはどこにでもあり、普遍的だ。映画界、また演劇界のパワハラ・セクハラが話題になっているが、時代の過渡期にあって、パワハラを単純な善悪論で解決しようとするのでは、本質的な解決と限りなくズレて行く気がしてならない。
正しさが蔑ろにされた不透明極まりない政界、霞が関をお上に頂きながら、そこだけスッキリと「善悪」が見え、ある者が批判の的になる状況は甚だ怪しい。
この芝居では、やはり劇団を率いるリーダーの態度が、最悪の結果を招く顛末である。だが断罪型の結論をうまくかわしていて、後味は悪くない。
ゴンドラ
マチルダアパルトマン
下北沢 スターダスト(東京都)
2022/06/15 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
旧ユニットでは1、2度、新ユニットでは短編を一度観たのみで久々に池亀作のまとまった芝居を観た。丁寧な作りに少し感心。「為にする」要素を感じさせない台詞と自然な演技を楽しんだ。
小刻みに戸惑う神様
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2022/06/15 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
開幕と同時に既視感。ジャブジャブサーキットで観たやつじゃん。題名で気づかなかったの?と自問。「いや最近は一度中止になってタイトルだけ知ってる公演多いし」と自答。妙な形の初SPIRALMOON体験になってしまった(と言っても、はせ作品だから観に行った訳でもあって、仕方ないのであるが)。
しかし芝居はジャブジャブ版より緻密な演技・演出で、はせ作品特有の「如何にも伏線/如何にも回収」、いやそこまで求めてないよ的意味深場面や台詞が、この舞台では漂白され、じんわりリアリティさえ醸して来る。(幽霊は別にして)現実にあったら「奇譚」の類が、あり得る話であるかのように収まり、(死者の面影、ではないが)舞台も余韻を残した。
恭しき娼婦
TBS/サンライズプロモーション東京
紀伊國屋ホール(東京都)
2022/06/04 (土) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
衝動買いでチケットを取って観劇したが、体調すぐれず(が原因で)3、4場あたりで寝落ち。フレッド父(町議員)と娼婦リッジーの会話の最後あたりで覚醒した。後の展開から推せば、空白の間にリッジーが「言いくるめられ」、後に良心の呵責に悩む原因となる出来事が発生している。
「どう言いくるめられたのか」が抜けており、終演後も不十分感が残ったので後で戯曲に目を通せば・・
なかなかの中身が詰まっていた。わあわあと台詞が鳴っているのは聞こえていた(言葉の意味が全く入って来ないが)ので、少しの間かと思えば、三場がまるごと抜けていた(二場の途中で眠り、四場の終り頃=長議員の言葉にリッジーが言いくるめられる場面で目覚め、休憩となった)。
という訳で、戯曲から、舞台をある程度再構成して照合してみた。演出が何等かの狙いを定めて舞台を取りまとめた印象はあるが、それが何か。。
古典と言える小編(同作者の「アルトナの幽閉」の半分程度の尺か)の栗山演出舞台の印象は、かなり大雑把に言えば、栗山氏の自発的な仕事というより「請負仕事」、奈緒の持ち味をどう生かして「恭しき娼婦」を成立させるかに腐心したと見受けた。
冒頭、ミュートでつぶしたトランペットが鳴り、時刻不明の外明かりに目覚めたシュミーズ姿のリッジーをけだるく彩る。娼婦リッジーの「生態」に照準が当たるドラマかと思わせる。
が、これ以降「娼婦」が焦点化される事はない。娼婦である事による必然の展開はあるが、彼女が娼婦である事により「何者」であったのかが炙り出されて来るようなドラマではなく、黒人差別が猖獗を極めるある土地の「真実」を伝えるのに娼婦である必要はなく、(戯曲の問題なのか演出の問題なのか)どちらを軸に据えたドラマなのかがくっきりとは伝わって来なかった。
『器』/『薬をもらいにいく薬』
いいへんじ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/06/08 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
一度短編をチラ見した程度で、実質初観劇のユニット。完売のため当日並べる日を選んで「薬」を拝見した。
観客の忍耐力を当て込んだ間合いたっぷりの場面と、絶妙な跳躍とのバランス、状況の全てが判らなくともふいに胸を突く台詞があったりと、好感触であった。全体のバランスという事では冒頭、中程、終幕で流れる「如何にも・らしい」ラジオ番組が良い背景になっていた(声:松浦みる/野木青依)。放送は一方通行で完結しているがだが、ドラマのトーンと微かに近似性があり、ミクロな世界に「世間」という裏打ちを与える。
主要人物を演じた三名は「だんだん見えて来る」人物像を形象し、引き込まれるものがあった(特に「全部見えちゃってる」ハヤマのキャラ)。
夏至の侍
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2022/06/07 (火) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
音無美紀子と桟敷チーム、天晴れ。九州のとある町の老舗養魚店(金魚問屋、品種改良も手掛けかつては品評会で幾度も賞を勝ち取った)が、時代の趨勢に勝てず滅びて行く様を描く。
無論芝居の過程では復活の可能性は消えておらず、それは跡取り息子を台風で亡くした母(音無)の前向きな展望と執念に拠っており、娘二人が家を出ても家を離れなかった嫁(板垣桃子)との二人三脚で看板を守り来って二十年後・・たまたま、相前後して二人の娘が帰って来る、という場面から本編は始まる。
二人の娘の帰還は吉兆か凶兆か・・芝居は概ね、往事の人脈と信頼を担保に、壁にぶつかりながらも乗り越え・・という塩梅に進行すると思いきや、ある種の抗い難さ(一つの要因に帰せられない静かで大きな流れというべきもの)に取り囲まれて行く。しかしなお芝居は起死回生の余地を残すのであるが、最後に母は一人になる。
この時この母がその瞬間まで何を支えに、何を目指し、何に執着して生きてきたかが明らかになる。無言の立ち居で(つまり全身で)それを滲み出させる女優の姿に圧倒される。
貴婦人の来訪
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2022/06/01 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
2022年度第一期のシリーズ「声」第二作「ロビー・ヒーロー」に続いて、第三作を観た。1シリーズ3作中2作品観れて、しかも「当たり」というのは珍しい。
小川絵梨子芸術監督が打ち出す主催公演のテーマ設定やプロジェクトには理念先行の印象が勝つが、今回のテーマ「声」が何を照準しているかは判る気がする。もっともこの「声 -議論,正論,極論,批判,対話...の物語」は、演劇それ自体と言っても大過なさそうである。ただ、身体感覚に訴えるタイプの舞台、情緒に浸るタイプの舞台とは異なる領域を指していて、例えば日本という船を曳航するのが世論であるとすれば、そこには「言葉」と「論」が存在している。安倍某のようなトップが率先して「論」を破壊した焦土にあって、必要なのは言葉と論(理)が生まれる源(平たく言えば人間の営み)を見詰め直すことだと感じることしきりである(個々人の中に論があっても公論の場で有機的な交流=議論を阻む障害が・・以前からあったのだろうが・・目立つ)。そんな私の問題関心に応えてなおかつ面白い舞台だった。
ドイツ語圏スイスの劇作家ディレンマットの名を昨年あたりから目にし(「物理学者たち」)、今度また違う作品の公演があるとか。前世紀(冷戦期)の作家で寓意性が高い。今作では書籍なら帯、映画なら惹句になりそうな挑発的な物語設定があるが、それを「仕掛け」に来訪するのがとある貴婦人、これを演じる秋山菜津子がどハマり。彼女と相対する男を演ずる相島一之は劇が進むにつれ適役と思えてくる。
安部公房を思わせる思考実験に満ちた作品の持ち味がとてもうまく出せていた。
【公演中止・延期】熱海殺人事件~売春捜査官~
一般社団法人深海洋燈
新宿スターフィールド(東京都)
2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
6月リベンジ公演。
本ステージの他に若手公演が3ステージあり、こちらを観た。主宰の申大樹がProjectNyxで「これがやりたかった事!」とばかりの舞台を傳田佳奈主演で打った演目、思い入れがあるのだろう。本ちゃんを観たかったが断念、せめて若者バージョンをと日曜夜に初の新宿スターフィールド(久々のタイニィアリス)に踏み入れた。若手は4名で演じ一役を申氏が務めるが、熱海殺人事件のボルテージはこれでなくては、という高レベル。ハイテンションかつスピーディに繰り出す台詞と立ち回りそのものに胸倉を揺さぶられて泣ける、というのがこの演目の持ち味である事を思い出した。
と同時に、私としては深海洋燈の「次」をチラ見しようとする。つかこうへい的「感動」の形を今回くっきりと見せられた事で、ある種の限界も見えた気がした。つか的感動の片鱗は扉座の舞台にもある。(かく自認する扉座の「つか演劇」要素が、今回の観劇で遅まきながら判った。ただ、これは今演る事による感じられ方なのかも知れぬ。)
「風のセールスマン」「控室 Waiting Room」
若葉町ウォーフ
WAKABACHO WHARF 若葉町ウォーフ(神奈川県)
2022/06/09 (木) ~ 2022/06/20 (月)公演終了