tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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新・ワーグナー家の女

新・ワーグナー家の女

Brave Step 

アトリエ第Q藝術(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

福田善之戯曲の上演。宮本研等が物する歴史劇の範疇で、歴史上の事実が「今」を照射するその事の意味が戯曲の中で言語化される部分が、「時代」を微かに感じさせたが、微かに、であった。ワーグナーを父に持つ女、その娘に当る女が主たる登場人物で、証言と、対話が舞台上の事象として現出し、入り込んだ。
苦労しながらも一人語りの台詞を繰り出す年配女性の目(を中心とする表情)に、非常な既視感を覚えたが、「そういえば出演者は・・」と思い当たったのは観世栄夫であった。(顔が似ている事を特に記す事はないが、あの目の力は中々である。以前一度だけ篠本氏演出の読み芝居で目にしたが真正面では見られなかった。)
芝居は丁寧に作られ、タッチが良い。一つ一つの場面、出番を丁寧に作る。

ロリコンとうさん

ロリコンとうさん

NICE STALKER

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

スズナリで観る事の多い(というか殆ど)NICE STALKERの最初の記憶は同じくロリコンをタイトルに付した作。作中おじさんが「ロリコン魂」に開眼する(自認する)その対象となる役であった白勢女史が、今回も出演というのが楽しみの一つ。同じネタを(非難の目も顧みず)またやるからには余程のこだわりが?というのも一つ。その期待と予測はある意味で裏切られつつも最終的に納得な内容である。

ネタバレBOX

プロトタイプとは未完成の意との事。
初日の客の感想・意見を踏まえて翌日からの本チャンに移行するとの由である。
同じ料金を払った客に「同じものを見せるべきだ」という面を強調する演出家と「芝居は日々進化する、千秋楽まで挑戦し続ける」面を強調するタイプといる。後者ならプロトタイプと敢えて銘打つ必要はないだろう。初日をゲネの回とし、料金設定を変えるパターンは割と一般的だが、今回は呼称をこう変えるだけで概念が変わる。
この「変化の余地」のある回、という観念は役者の「構え」にも影響し「探り」の余地を与えたかむ?と思わなくない。噛みが4箇所ほどあった(別々の俳優の台詞)のはそれかな、等と窺いながら割と冷静に観ていた。
芝居のテンポ自体は序盤から緩め、というかリアリズム演劇のそれになっていたので、噛みが仇してテンポに影響した訳ではないが、もっと折り重なるようなテンポ感が欲しい、という欲求が沸いたのは事実で、2日目以降どうなったかなと、細かい所に意識が行く自分である。

劇中でロリ、を口にするだけで芝居はイロモノチックになるのだが、語られている話は切実で、特殊であるよりむしろ普遍的で、私の中では早々に「ロリ」に限らず、勿論LGBTもだが性愛に限らず、レッテルやカテゴライズといった人がやりたがる知的遊び(シナプス結合)が持つ暴力性という事を思い始めていて、従って終盤で白勢演じる女房(ロリ父の冒頭の述懐によれば「こんな俺を全て受け入れ程よく距離も保ってあげるから結婚してくれと言ってくれたので同居してる妻がいる」という、ドラマのぐるりを構成する(都合の良い)人物と見えなくも無いが白勢氏だけに曰くありげには見えている存在)が、本人がひた隠していた「ロリである事実」をデリカシーなく暴露かつ侮蔑して恥じぬ義兄(持ち前の軽いノリでロリ界隈に顔も出していた本人でもある)に対し、張り手をかます瞬間が、私には頂点だったりした訳であった。
「無理解」「勘違い」の象徴でもある義兄は、金に明かして孤独を埋めがちな妻の気持ちも顧みず、好き放題風俗に通いづめという憎めないキャラながら、結局三下り半を渡される事で「裁き」は一応為される格好である。
「小さき存在を愛でる」気持ちと、小児を対象とする性的関心との間はグラデーションに思える。軍隊等の閉じた世界で同性同士の性的関係が多いのは「たまたま性的志向を同じくする人が集まった」のでない事は自明で、統計的事実、とすれば、何らかの「制約」が小児への性目線を育てる、あるいは早熟な小児との出会いで目覚める(今作で取り上げられていた)、等による変化が起きたと考えられ、その観点はLGBT(性的マイノリティ)を忌避する人たちが法的サポートや平等化を拒む論拠にもなっていそうだ。
だが、環境や体験によって不可逆に変化する、という事はあり得る、と考える。そして人間が子孫を残すためだけに存在する、との思想でも持たぬ限り「子を産めるカップル」である事だけが市民権の条件だなどと言えないだけでなく、ある形態のカップル(あるいはまたはグループ、共同体だったり)が、下等だとする認識にも瑕疵がある(矯正する必要もない)のであり、「人に迷惑を掛けること」以外全て自由との基本倫理が参照される。
(もっとも日本では、よくドラマにも出て来るが間違った事はしていないが世の趨勢が許さない場合にその態度が家族、とりわけ将来のある子供に〈迷惑をかけてしまう〉事で伴侶に泣きつかれ正義を諦めるというパターン、これは日本社会の断面そのものであり、あろう事か正義を貫こうとする父が無知、独善的と描かれる事が多いのである。敗北の美学を描くなら「負け」の自覚があるからまだしもだが、結局日本のドラマでこの局面を打開するのは当事者本人の意志ではなく外的な変化だったりする。こうして「抗う」美学は衰退の一途という訳である。)
この芝居では大きな葛藤と小さな抗いが描かれている。話が大仰になるが、ナチスドイツでは皆がさして問題ない、または不要につき排除も致し方なしと思われがちな存在の抹殺を許し、以後は抗う理由を失くした。日本は「汚染水」と呼んではならぬ、なんてどこかの独裁国家と見誤る言論統制がいとも簡単に成立してしまう国柄。国情が変化するスピードはドイツどころでないかもしれぬ。
愛について語るときは静かにしてくれ

愛について語るときは静かにしてくれ

コンプソンズ

OFF OFFシアター(東京都)

2023/08/02 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

配信で鑑賞。唸る。

現象グラデーション

現象グラデーション

Oi-SCALE

サイスタジオコモネAスタジオ(東京都)

2023/08/28 (月) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久々二度目のこの劇団。前回観た時から5年は経っていそうだがその時の芝居は独特な設えであった。本人にしか分からない、だが確かにそこにありそうな、いや感覚としてはここに間違いなくある甘く酸っぱい郷愁のような、時間の儚さ、言わばクオリアとしての景色を焼きつけたい「願望」だけは伝わって来るそんな感触で(芝居としては反則なのだがもうそうするしか手がない的な、悪く言えば傍若無人なそれであった)。
その内波間に消えゆくものか等と勝手な残酷な想像をしていたのだがしぶとく作り続けている模様で前回と同じ久々のコモネスタジオを懐かしく訪問した。
前の観劇でも感じた特徴、映像的なアプローチ、これは手法というより「焼き付けたい」願望の発露が言葉に、場面の切り取り方に、作品そのものに窺える作りである。ドラマというより詩の劇と名付けたくなる。全体で1時間20分、3編の短編は悪くなかった。が、断片なのには違いなく、詩集を読むと同じく2、3編読んでもまだ感性の腹がくちくなるまで、もう少し観たい気にさせる。

多彩な作品が拝めるならセット価格(2回セットと3回セットとある)はリーズナブルに思うが、短編6+中編1を3・3・1でコンプリートするものの、組合せはバラバラなので、これは全部乗せよりも幾つか乗せに誘導するプログラムになっている。(コンプリートを想定するなら、組合せを固定したA、B、Cプログラムとするのが常道かと。(配信があれば・・他作品を観たい人は多いのではないか。)

「真っ赤なお鼻」の放課後

「真っ赤なお鼻」の放課後

劇団銅鑼

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2023/08/23 (水) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

そう来たか・・うむ、まずまずである。具体的な「夢」を見つけた主人公。夢を見つけるために進学を目指す友人たち。明らかにラッキーな主人公のはずであるが、前途多難な夢である事も知る。だが彼女にとってそれ以上に「師匠」の助手見習いを通して出会った数々から、確かなものを手渡された事、そしてそれは「もらった」事のラッキーさに埋没するより先に、自分の中に変化を起こす本物の「体験」となっている。このリアルを描き出した事がこの作品の核であり魅力であり手柄である。
主人公は母が口を酸っぱく娘に押し付けて来る「安定」に反発していたが、最後は(自分の夢により現実的に近づくために)進学を選ぶというラスト。ジブリの「耳をすませば」の主人公・雫が己への挑戦(物語を書くこと)を終え、一受験生に戻る風景が重なるが、この舞台の少女は不確定な現実の中で、確かな手応えを掴みつつある、という感触を残す。立ち止まる事の大切さを教える。芝居はクラウンの芸披露も含めて軽妙な一編にまとまっていた。

ある転換で、鷲崎氏の照明が今回も何気に心憎い場面を作っていた。(これは照明家からの提案だろうか、それとも演出・・と気になる。)

アフタートークでは演劇教育界では知られたお人と演出大谷氏との対談が示唆深く面白かったが割愛。そこで冒頭「感想」として語った「自然な語り(声を張らない)がよかった」は特徴の一つでもある。師匠のクラウンと主人公が運転席と助手席で、運転上の手間を挟みつつ、心の赴く時と間で発語される会話が、殊更に攻め立てて来ない言葉が、ひたひた迫って来る。劇中のオイシイ場面(名場面)と言える。

きいて、はなさないで

きいて、はなさないで

オイスターズ

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/24 (木) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

平塚氏の出るオイスターズを見ると、ナンセンスな劇の要をやはりうまくこなして回している。出ないオイスターズも観てきたが今は人材不足か・・と余計なお世話な想像をする。別役作品と同様、この人の不条理系作品も、役者に求める技量と負荷が一定程度大きい。
中学生の男子役が4人、変なカツラを頭に乗せて特徴づけているが、正に中学生こそバカでアホで奇っ態な所で一本筋が通っている「不条理」と呼ぶに相応しい世界、だったなと思い出させる所があって、ナンセンスな展開の中にも懐かしさがある。でもって、吐かれた言葉が結果的に皮肉があったりする。この絶妙なバランスがこの芝居に不思議な深みを与えてもいる。良い芝居だ・・オイスターズにこの感想?とは思うが正直な感想。笑って面白かったし、良かった。

迷い羊はつきあかりに

迷い羊はつきあかりに

劇団ロオル

小劇場 楽園(東京都)

2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

数年前に知った(この役者が書いて上演してんの?へー)劇団の情報に行き当たり漸く目にしたのが昨年の一人芝居オムニバス。言わば番外編的な公演だったが今回は一編の作品だ。何か原作があってリーディングをやって、朗読劇風で・・といった前振りが若干頭にあっての観劇。独特の語りに吸い込まれ、最後まで連れて行かれた。
主人公は自分が書きつけた日記を読むように語るが、ヒロインと言える女性(の未来の存在)、他の役も地文を語る場面が時折差し挟まれる。台詞の場面と、語りの部分の分量比といい、文体といい、センスがある。都会に出てきた純情青年の青春の体験が、何か人生の本質を穿つもののような、そのように語られる事で何かが報われるような、あのほろ苦い時間がややセピア系に寄せた照明の下、再現されていた。中心となる男と女の距離感=関係性はありありと想像され、他の人物も同様、その微妙な距離感の表現が絶妙でそこにも魅入らせるものがある。
秘かな才能がどの方向へと開かれて行くのか、密かな楽しみ。

ネタバレBOX

一つ、最後の主宰の挨拶で口にしていた、○○プロジェクトと何とかとの合同企画、といった説明は、パンフにもウェブにも載っておらず、紹介するならきちんと文字にも記す等しておく事とセットで、紹介してほしかった。(その主体が劇団にとって「他者」なら、記載の無い事を詫びる事になるだろうし、「自身」(自分が立ち上げたに等しいプロジェクト)なら「パンフ等に記してはいないが」と断って説明する、くらいの丁寧さがあっていい(はず)。
何か咄嗟に口をついて出たような、防御に出たような発言に聞こえたのは察しが良すぎだろうか。全くの誤解だろうか。それともプロジェクト的な動きを考えていてネーミングを含めて未公表だったが、一定の手応えを得たので「実はこうだった」と言いたくなった、のか(これは好意的解釈)。。
(語られる言葉は芝居の外であっても大事だと考えるので敢えて記した。)
大きくなった未来

大きくなった未来

時々、かたつむり

シアター711(東京都)

2023/08/09 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

ユニット名は初めてでなく、確か「何か」あったな、というだけで足を運んだのだったが、もう7、8年前になるが一度見たら忘れない「ひょっとして乱で舞ー」なるタイトルの公演を打った所だとは後で気づいた。ひょっとこ乱舞(現アマヤドリ)を模したタイトルを見ておいおいパロるなら少なくとも十倍は知られた名前でなきゃパロってる事自体分からん人が大半じゃね?と突っ込ませて記憶に残させる技に嵌ったという訳である。でこの芝居を観たのかどうかというと、調べてみてもどうやら観ていない。仄かな記憶はこの舞台には知った人が出ていて、上演していた時に同じ下北沢でその俳優と出くわし、挨拶をした事。自分はその舞台を観ずに別の公演を観ており、その俳優に同道していた年輩の演出家がその芝居のプロデューサーの事を知っていて下の名前を呼んでいた・・とまでを書きながら思い出した。
言ってみればその程度の「縁」であった。
という事で、さて芝居の方であるが、不眠がたたって冒頭と終盤を除いた中盤を(頑張って起きようとは勿論したが)ごっそり見逃した。そこで台本を買って帰ったのだが、眠ってしまったのがあながち体調不良のせいばかりとは言えない「分からなさ」に満ちている。出演者の関係性までは明確だが各人と各人同士のエピソードが「書き切れてない」というより「詰め切れてない」印象で、対立もあるがそれより同意と共感に帰結する事が多い。分かり合った事にすれば、当人同士そうなんだから「ああそうなんだ」でそれ以上突っ込めない。寄り添う心と、突き放す心は紙一重で、忍耐が尽きれば霧散してしまいそうな関係が多いように感じる。それは、対立とは自分のこだわり(生きる事、どう生きるかとう事、何を得たいかという事等々)が相手の存在と齟齬を来たす事で生じる、という事は相手は必要な存在としてある、という前提がある。その対立がどう克服されたのかが、むしろ重要で、その部分が(どの組合せの人間関係にも)決定的に弱い、というのが一番大きな感想だ。
和解や融合が結末となると、それまでの苦い経過が報われる、という構図が作れるが、良い結末を先取りして後付けで苦い経過が織り込まれている、という順序な気がしてしまう。もし時系列に、ある問題が生じていて、そこに相手がそれほど寛容な人間でなかったり、自分の事で汲々としている状況があったりすれば(という事は社会状況がもっと厳しくなれば、という要素を含むが)、成立しない和解や融合である。どんな状況にも関わらず相手を思い続けて行く、という境地に至ることは、それ自体至宝なことで、即ち「なぜそうなれたのか」が重要なのであり、「そうなれた」という結末は言わばどうでも良いのである。
エピソードの切り取りも断片的で、もう少し練り込みがあって良い気がする。上述の事に通じるかもだが、観客が抱いた興味をある程度満足させるまでの「語り」を人物にさせてほしい。「共感したい」が観客の本性。

イエスタデイランド

イエスタデイランド

青春事情

劇場MOMO(東京都)

2023/08/23 (水) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

昨年のプラザソルの二本立て企画が生・青春事情の初見であったが(正確には劇団公演ではないが)、その良質な舞台の印象が今回、芝居が始まってまず小屋のしつらえ(舞台と客席の案配?)に落ち着かなさを覚える自分がいた(劇場は初めてでないのだが)。お芝居、という感じがする。入り込むまで少し時間を要した(書き割りの中の人の出ハケといった芝居の「約束事」を飲み込む力が減退しているのか、スズナリや芸劇のような現実=我々とフィクション=舞台とを緩衝する「黒」の配分が優れている劇場で「贅沢な観劇」をしすぎたせいか..)。約束事を飲み込む作業は最後まで続いたが(芝居とはそういうものとも言えるが)、しかしこの劇団の持ち味、力である所の不意を突く琴線に触れる台詞が中盤に登場して以後は、刺激を鋭意消化し、スムーズに見れた。

ゴメラの逆襲・大阪万博危機一髪

ゴメラの逆襲・大阪万博危機一髪

笑の内閣

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/08/17 (木) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地元関西のネタとあって万博への高間氏の皮肉おちょくりが炸裂しており波状攻撃。維新との距離感も、拡大鏡で見る如くで興味深い。途中「脚本はここまで」と高間が言い、ひと悶着ののちウルトラQのような1エピソード完結型のが数編続く、という奇妙な展開だったり、常連俳優髭だるマン「愛」を折々に語るという「内輪」な真情吐露など、演劇そのものをおちょくっているかと思いきやそこはそうでもないようで。
反維新ありきの内容が、私には当然の前提で違和感ないが、さにあらずの人が観てどう感じるか・・興味がある。

観るお化け屋敷vol.2「45分」

観るお化け屋敷vol.2「45分」

下北沢企画

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

昨年の第一弾「カーテン」が中々の出来であったので、「45分」?短い、と思いつつもわくわくで足を運んだ。短い、とは言え本物の化け物屋敷から友達が30分も出て来なかったら焦るだろう。
開演前に案内されるショートお化け屋敷コース(そう言えば子供の頃手作りでを作った事を思い出す)を抜けて客席につくと、各所に人形がぶら下がり、舞台はスズナリの前身である古いアパートを思わせる障子戸が奥にあり、各所に暗がりがある。みょんふぁが前口上を一くさりやってから、アパートの部屋番号201から順次エピソードが・・。
季節物。怪談は嫌いでない方だが生舞台である事の潜在的なインパクトは意外と効いているな、と。「あそこには何かがある」という感覚を(フィクションと分かっていても)残す。毎年やるのは大変そうだが、定番になるといいな。

我ら宇宙の塵

我ら宇宙の塵

EPOCH MAN〈エポックマン〉

新宿シアタートップス(東京都)

2023/08/02 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

千秋楽当日券で滑り込んだ。耳に心地よい声と滑舌と自在なテンションコントロールの「職人芸」が小沢道成/EPOCHMANのエンタメ性の支柱であった事を久々に思い出した。前に観たのが「鶴かもしれない」OFFOFFバージョン(2016)でなんと7年ぶり。この演目は昨年本多劇場、その前が駅前劇場、その前がOFFOFFだから小劇場出世コースの旅やってるな~と遠く眺めておったが、調べてみるとEPOCHMAN初期の拠点名大前KID AILAKがこの一人芝居の初演で自分はそれを観ていた。OFFOFFで観たのは(珍しく書込みをしていないが)舞台の風景もその時の気分も覚えているので確かだが、KID AILAKの方は書込みが残っているのに全く覚えていない。ただこの公演にいたく感心したからOFFOFFのも観たのだろう(推測)。

EPOCHMANの発祥は、虚構の劇団が年一程度だろうか、時折開催していた俳優による創作発表会に出した作品だったと改めて調べて知った。この発表会は5回目位だったかのを中目黒WOODで一度観たが中々充実した作品群で驚いたものである。小沢氏は恐らく第一、二回あたりで既に独立公演に耐え得る戯曲を書いていたのではないか・・凡そ10年になるEPOCHMANは当初は3~5名規模の芝居を打ち、その後は一人、プラスαといった規模の公演を打ち、コロナ後の21年、22年にも「鶴」以外の作品を出していた。
活動の表面的な一部しか知らなかったEPOCHMAN、。今回久々に「賑やか」と言える俳優連が、集っての群像劇は、趣向たっぷり、叙情たっぷり、機微にも富んだテキストと演出で、シアタートップスという劇場の大きさも最適な舞台であった。
出入りは中央の床に据えられたフタを開閉して行うのみ。舞台は黒い紙質のものを天井から縦に折り目を入れた風合いの壁で囲まれている。そこに星が映し出され、落書きが描かれる。
今作のゲスト的俳優・池谷のぶえ演じる母は、「父を亡くした」息子が自分の世界に籠もりがちなのを持て余していたが、あるとき姿を息子は姿を消し、顔面蒼白となる。心当たりを当たり、息子に会ったと思しき人らの証言を手がかりに、息子を「発見」していく(そこには自分の知らない息子の姿もある)。それを裏付ける息子の本当の声、思考のプロセスと現在地を、ついに目の当たりにする母。なお考え続けている息子がふとある結論に行き当たる瞬間を共にし、二人は出会い直す。

テキストを追う自分としてはドラマ的な停滞を感じる所はあるが、受け入れがたい肉親の死を受け入れる方法を、小さな子どもが(父との流儀に従って)何か科学の謎を解く鍵を発見するときのような作法で見出す顛末は、ドラマの明快なフィニッシュとなっていた。(涙に溺れさせる最終場面はむしろ息子の言葉を淡々と聞くラストであっても良かったようにも。)

熱く、沼る

熱く、沼る

トローチ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2023/08/06 (日) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

二度目のトローチ。コロナを挟んで一度目から随分経ったように感じたが、「一年半ごとに一作」と主宰が自己紹介した通り、前作が延期となり、リベンジ公演があり、という事で作品としては前々作を観た勘定。小松台東の松本哲也作で「熱さ」と役者が手練れであった印象。今回は深井邦彦作品の吟味と相成ったが、俳優が魅せる舞台、かつ熱い人間ドラマとの印象は変わらずであった。
人物は、何があっても笑ってる女主人公(ここでは泣くだろう場面で、突如クスリと笑い出す演技は堂に入っていた)、舞台であるスナックに集い、暮らす事となった不器用な男たちと少女、ハラスメント満載な男たち、職場(スナック)の先輩女性=ママ(現在は亡くなり主人公が店を任されている)、旧ママ時代からの常連で常識的な男一名。
ほどよくフィクション、ほどよく現実味のある展開である。
舞台を締めるのはハラスメントな言語である。これを担うのが辻親八(スナックのオーナー)、有馬自由(主人公の夫)、若い俳優(今控えがなく..小説家志望で「人間模様」を描くためにスナックに出入りする若者)。ふとしたタイミングで繰り出され、いつしかズンと響く。脚本としてはこの部分に個人的には感心し、俳優がこれをうまく消化していた。現代をうがって身につまされる。スナックのオーナーはたまに店に来て、調子よく喋って出て行くが、女及び貧乏人見下し発言を悪びれもせず。主人公女の夫(開幕時点では離婚した、となっている)が妻を公然と「ババアだから(セックスなんてしない..15年間)」と言う。わざと意地悪く言う、ではなく「それが当たり前」という観念が聞く人間の前に立ちはだかる。小説家志望は若いのに殊勝、と周囲に溶け込んでいたのが次第に陰りが見え始める。「人を昆虫とでも思ってんのか」と、日ごろ穏やかな住人に鋭く突っ込まれる。
スナックの元ママとは、ライバル関係のような、一定距離感のある風であったが、時間経過とともに、不思議と友情・連帯が密かに結ばれているような微妙な塩梅がうっすらと。彼女は亡くなるのだが、その死が自分を捨てた母に会いに来た娘と女主人公を出会わせ、「行き掛かり」でスナックを任され、とドラマの進展を促す。
最後の幕下ろしは、読めてしまうため時間消化にやや間延びしたが、現代日本人の精神生活のある意味核心に触れたと自分には思えた充実した二時間強であった。「いつも笑ってやりすごす」女主人公が、一言だけ、オーナーの言葉をやんわり、だが毅然と否定する瞬間。お芝居ではあるが現実においても、あの一言を口に出来るか否か常に試されている事を思わされ、それが厳しい現実の中の光明にも思える。

宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓

宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓

チェルフィッチュ

吉祥寺シアター(東京都)

2023/08/04 (金) ~ 2023/08/07 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久々のチェルフィッチュ。昨冬のKAAT「掃除機」は岡田利規のだったか(やや煙に巻かれた作品)。その前は・・と記憶を手繰れば、同じくKAATでの新版「三月の5日間」(3月の五日間?)、その前か後か定かでないが、震災を契機に作られた「現在地」を映像で見た割とすぐ後、と記憶するが少ない俳優使ってトラムでやったやつ(「現在地」に通じる静かな喋りで睡魔に勝てず最後の拍手で目覚めた痛恨のやつ...近くの若者がいたく感じ入ったと感想が漏れていたが)。
その前となるとやっぱKAATで、長い題名のやつ(これはかなり昔)。あとは映像で例の「三月の..」、これは確かに中々のインパクトだった。この劇団と自分の距離感を考えると意外に観てはいる。
さて今回の作は宇宙船というシチュエーションの面白さ、そしてこのシチュエーションならあり得そうな人種国籍不問なメンバー、そして発達したAI等のアイテムが(この宇宙船の中での共通語と設定したらしい)日本語、あるいは別言語だが芝居上日本語が使われているという演劇的環境の中で存在する面白さがある。やはり、と言うか、平易な単語を使う岡田テキストにも関わらず、作者岡田利規の意図は見事にヴェールの向こうに潜む。「チェルフィッチュを観た」という感覚が残らない。
演劇表現者としての連続性が、岡田氏の場合どこにあるのか、文字やトークで表現している割に謎である。

六英花 朽葉

六英花 朽葉

あやめ十八番

座・高円寺1(東京都)

2023/08/05 (土) ~ 2023/08/09 (水)公演終了

実演鑑賞

千秋楽前日が休日になり、電車を降りる都度疾走して汗水泥で劇場に駈け込むてぇ事もなく贅沢な観劇日である。
と言っても既に大いなる勘違い。「大正」「昭和」とあるから各時代を舞台にした別の話(又は続き物)と思っていた。昼の大正バージョン、もとい大正チームが面白かったから昭和の話も見ようと高円寺で暇つぶし。しかし話は大正から昭和を跨いでたし、台本も一種類(2バージョン収録で1200円たぁあやめ十八にしては良心的)と修正の余地はあったにも関わらず思い込みとは怖いもので、金子侑加の口上に「あ、同じだ」と思いながらまだ包装は同じだが中身が違う作りだろうと期待して待ってる始末。
だが悟った瞬間、残る楽しみは「配役の違い」だけとなった訳で正直落胆を禁じ得ないのであったが、装置や楽隊の贅沢さ、その楽隊に前回同様(芝居にも絡む)こんにゃく座の座員がおり、どうやら今回の歌役者(島田大翼)は夜のチームで主要キャストを務める模様、と見るなり目を輝かせている自分なのであった(ただしそうなるとその登場までが些か退屈にもなるが)。しかし芝居を観始めた頃は俳優で芝居を選んだり別バージョンを観たくなるなんて事はまずなかったが、今やミーハーな、いや普通の芝居好きである。

ぶっちゃけこの劇団の印象というのは花組芝居(歌舞伎風エンタメ...実は見た事が無い)由来だろう口上や演劇的仕掛けでもって「落ちない」よう持ち上げ持ち上げして目標地点まで翔び切る人力飛行機の挑戦に似た時間であった。没入する時間がなく、テンションを維持して最後まで完走するという競技を見ている感覚だった。
無論観客によっては没入できるドラマなのかも知れぬが...だが観る者の没入を可能ならしめるのは隙を見せないようにする演出や演技ではなく、逆に俳優の無防備なまでの役人物への「没入」であったりするのである。・・あやめの初観劇以来、そこがずっと気になっていた。
さて今回は題材も良かったが、無理ヤリ感な「上げ上げ」が感じられず、楽隊の使用や舞台処理の演出も堂に入って僭越ながら(たまの観劇だからこそ判る)成長の跡があった。
昭和と大正で若干の演出の違いがあったが、この若干の違いは各チームの出来と不可分なように感じる所があり、気づいたらまた記してみる。

スタンダップコメディ・サマーフェス2023

スタンダップコメディ・サマーフェス2023

合同会社 清水宏

小劇場 楽園(東京都)

2023/07/18 (火) ~ 2023/07/24 (月)公演終了

実演鑑賞

実演を観られたのが二晩目、ゲストにせやろがいおじさんの回で、やっぱしスタンダップはいいな~、健全だな、と思い直した夜であった。
他の回も配信で観たく、申し込んだがプラットフォームを提供するvimeoがトラブり、どうにか「多様性ナイト」視聴はできたが、以後暫くは配信チケット販売停止とのこと。要望があるので何等らの形で配信は実現したい、と主催者の弁。気長に待ちたい。観たい!

『つやつやのやつ』と『ファンファンファンファーレ!』(再演)

『つやつやのやつ』と『ファンファンファンファーレ!』(再演)

ムシラセ

駅前劇場(東京都)

2023/07/13 (木) ~ 2023/07/18 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初観劇の劇団。二本立てであったが、話は繋がっていた。お笑い芸人モノ。芸人界隈は人情喜劇の題材としては鉄板な所がある。そう思っていた所、一瞬食傷の感が走ったが、運びが巧く、俳優もうまく、「いそうな芸人」のデフォルメが秀逸で、これがネタに終わらずドラマの要素としてしっかり組み込んでいる点が優れていた。
ただ「芸人モノ」に胸を借りた感は残り、この劇団の本領を別の形で観てみたい。

オイ!

オイ!

小松台東

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/03 (木) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

久々の感がある小松台東(と言っても一公演見逃したくらい?)。開幕、暗がりで登場人物らが出入りし、動いている意味深な断片があり、やがて明転して六畳間ほどの座敷。オープニングのMはちょっとフォークで生ギターにメロディが「珠」をイメージさせるシンセ音(ハモニカとビブラフォンの相の子のような)で爽やかな青春物なのか「敢えて」の引っ掛けなのか・・という微妙なラインの出だしにまず満足。黒い制服を着た男ら4名。セーラー服の女子2人と私服が一人、オヤジが一人。
高校生らしさを演じる面白さ、関係性が徐々に見えてくる面白さ。表情の奥に何かが潜んでいる風情が、ちょうどいい。
彼ら高校生の頭上には「将来」という重しがのしかかっている。そんな中にも男女の出会いはあり、地方の町ならではの「地元にとどまるか都会に出るか」を巡る悩みがあり、なりたい職業と家庭の事情との葛藤がある。そうした青春期の鬱屈には青春期ならではの昇華の方法があり、不安の雲が垂れこめる未来であっても「未来」は彼らのもの。・・カラオケで熱唱する男らの歌をBGMに冒頭見せた動きとは異なるそれぞれ動き方・居方で群像を表わす。懐かしさに胸がざわつく。
人生讃歌と言って良い作品だが、個々人の実在感がこの作品世界を支えている。中でも小椋氏はモダンでは見ない、寡黙で時折言葉を選んで喋るキャラに終始説得力がある。それがラストに繋がっている。他、キャラにあった俳優面々の佇まいがオイシイ。

少女都市からの呼び声

少女都市からの呼び声

Bunkamura

THEATER MILANO-Za(東京都)

2023/07/09 (日) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

花園神社境内での新宿梁山泊版の同演目のテントを観たばかり。劇場と俳優陣は異なるが同じ金守珍演出の舞台、どんな違いが?両方観る価値は・・・「きっとある」とは思ってみるものの、入場料はえら高。出演陣の中に桑原裕子、三宅弘城、風間杜夫らの名を見て「観たい」とチケットを取った(俳優で決める事が多くなったな..)。最終週のチケットが二週間前に取れたので席の埋まり具合が気になったが、劇場に入れば3Fサイド席(見づらい席)以外さほど空席はなく、ただし(昼公演だったせいか)98%女性だった(いやもっと上だったかも)。
俳優陣を見て食指を動かされたとは言え、すぐ忘れる自分。桑原氏、三宅氏は終演後に判った(耳に覚えのある声・・誰?)。観劇中見つけたのが松田洋治、ダチョウ倶楽部肥後、六平直政ら。が、見過ごしだろうか、風間杜夫を見ていない。風間氏がやりそうな連隊長など金氏がやってる。パンフの写真の衣裳は執刀医。あの場面に居た?カーテンコールでも見た気がしないが、サイトで特に告知などはない。もやもやが残る。
そう言えば松田洋治はかつてナウシカの少年役の声をやり、近年テントで汚れ役をやるのを見る度にそれを思い出していたが、金守珍がそれをついに芝居の中で口にしていた。(「確かあなたジブリに、出てたよね?・・アシタカ!」最も効果のありそうな所でこれを出す。流石。)

ネタバレBOX

舞台の方は劇場規模を活用し、テント版とは異なるアプローチでダイナミックな舞台となっていた。物乞い集団が冒頭登場していきなり大正琴を集団で弾くのが圧巻。スペクタクルな、憎い演出が止まらない。配役もハマっている。
大概目くらましに遭う唐十郎作品だが、この舞台でこの戯曲の構造、魅力がよく判った。とりわけ「オテナの塔」という謎のアイテムが、敗戦後の満州を彷徨う連隊の視界の中に浮かび上がる様が、劇的である。(プロジェクターでこの搭のイラストを映していたが、画として「搭」を登場させたのは初めてではないか。)
搭を目指して進軍するという彼らの存在が、ある蠱惑的なイメージを持って感覚された。敗戦=価値体系の崩壊の中、目標を失った軍人(そして日本人?)が、遥か先の「搭」なる聖地・向かうべき目標と据えて、自らを奮い立たせている状況のメタファー・・。戦後においては異形である彼らの姿(横井正一や小野田寛郎も珍品として本国に迎えられたと記憶する)は、戦後日本人の原初モデルであり、自らのアイデンティティを戦後いともたやすく捨てた大多数のエセ日本人が対置されていると(私には)見えた。
そして昏睡状態にある男「田口」がその夢の中で探し、出会う妹(昏睡状態で見た夢だとは後で分かる。それまでは過去彼が体験した出来事、とも読める)。
兄が居場所を突き止めた時、妹は明るく兄を迎え入れるが、「なぜ急にいなくなったのか」と言い募る兄に彼女は、ある重要な仕事のためにガラス工場をここに移転したのだ、と説明する。兄を気づかういたいけな妹の出来過ぎた風情が、現実離れした感を醸すが、その感じ(不安)はやがて当たる。
彼女は彼女のフィアンセと共に、自分の身体をガラス化する実験に入れ込んでいた。このエピソードがこの作品の中心となっているのだが、これが夢落ちとなるに至ってエピソードのメタファー化を余儀なくされ、オテナの搭と相まって幻想的なラストに辿り着く。
そのガラス工場のくだりの続き・・。妹のフィアンセは偏執狂な男で、ちょうど新興宗教の教祖のように女を騙して己の野望の手段とする人物の典型のよう(そして彼も彼女に依存している)。
女の方は彼に身を捧げる自分自身に陶酔し、未知なる崇高な目標が彼女を上気させている様子である。その上気の具合からフィアンセとの肉欲と不可分なのではと危惧させるある種の女性の状態を、(過去の女優もそうであったがそれ以上に)咲妃みゆが演じる。彼女は久しぶりに会った?兄の手を取って自分のヴァギナを触らせる。と、ガラスで出来ている。子どもを産めない体で良いのかと兄は言い、妹は次々と孕ませられる世の女性たちと一線を画した存在に自分はなるのだと答える。

現実の田口には妹はいない。現実では病室の前に、親族がいないためだろうか、呼び出された男(とその婚約者の女性)がおり、看護師に「あなたは田口さんの親友ですか」と訊かれ、その証拠になるかも知れない事実を伝え、親友だという事になる。
彼が田口について伝えられる事(観客も知る事)は、彼の腹を切るとそこから髪の毛が出て来た、というこの事実。これが物語の始まりを告げる。
男は、田口が自分の分身をこの世に使わそうとしているのか、と呟く。最終場面で漸く冒頭の「現実」場面に戻った時、男は田口の「妹」(具現化した田口の分身)と出会い、彼女は自分の相手として男を選ぼうとする(ちょうど亡霊が現世への未練から生者にとりつく感じ)。婚約者がいるからと距離を置こうとする男に、彼女はこの世の常識や慣習を根本から崩す言辞を繰り出し、男を揺さぶる。危機を感じた男の婚約者が、妹と対決し、吹き飛ばされるが、やがて幻に過ぎない妹は抜け殻のように消えて行く。

田口は眠りから醒め、元の鞘に戻るのではあるが、「無かったこと」にしてはならない何かを残す。即ち、引き算をしてゼロになったかに見える現実に唐十郎は演劇で抗う。幻である所の妹の姿、そのはるか向こうに見える「搭」を神々しいまでの演出で刻印する。
バナナの花は食べられる

バナナの花は食べられる

範宙遊泳

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2023/07/28 (金) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

かなり以前に映像を使った妙なノリの芝居を観て以来の二度目。ご無沙汰の間に変化はあっておかしくないが、こういう戯曲を書く書き手とは思わなかった。現代風俗をがっつり織り込み、オーバー30の若者らを登場人物に紡ぐ。年寄りは若干置き去り感?だが「タクシードライバー」が古典と言える現代である。世俗と聖域の相剋は(ちょうど今読んでいる小説)「パンとサーカス」にも同じテーマを担う人物が居る。鬱屈した都市生活の中で、ある開眼に導かれ、「人のために生きる」を実践する中心人物と彼を取り巻く若者らの群像劇だが、特殊で、かつ凡庸な彼らの足跡が、凡庸故に輝く。
こいつ凄え、と思える人がクラスや、身近に居ても、いずれ彼らは世の片隅に場所を見つけて慎ましく生きて行く。形は平凡でも、彼を知る者は彼が放った光を覚えている。そんな輝かしく特殊で、しかも早晩埋もれて行く世の多くの平凡な物語の一つ。

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