tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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大きくなった未来

大きくなった未来

時々、かたつむり

シアター711(東京都)

2023/08/09 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

ユニット名は初めてでなく、確か「何か」あったな、というだけで足を運んだのだったが、もう7、8年前になるが一度見たら忘れない「ひょっとして乱で舞ー」なるタイトルの公演を打った所だとは後で気づいた。ひょっとこ乱舞(現アマヤドリ)を模したタイトルを見ておいおいパロるなら少なくとも十倍は知られた名前でなきゃパロってる事自体分からん人が大半じゃね?と突っ込ませて記憶に残させる技に嵌ったという訳である。でこの芝居を観たのかどうかというと、調べてみてもどうやら観ていない。仄かな記憶はこの舞台には知った人が出ていて、上演していた時に同じ下北沢でその俳優と出くわし、挨拶をした事。自分はその舞台を観ずに別の公演を観ており、その俳優に同道していた年輩の演出家がその芝居のプロデューサーの事を知っていて下の名前を呼んでいた・・とまでを書きながら思い出した。
言ってみればその程度の「縁」であった。
という事で、さて芝居の方であるが、不眠がたたって冒頭と終盤を除いた中盤を(頑張って起きようとは勿論したが)ごっそり見逃した。そこで台本を買って帰ったのだが、眠ってしまったのがあながち体調不良のせいばかりとは言えない「分からなさ」に満ちている。出演者の関係性までは明確だが各人と各人同士のエピソードが「書き切れてない」というより「詰め切れてない」印象で、対立もあるがそれより同意と共感に帰結する事が多い。分かり合った事にすれば、当人同士そうなんだから「ああそうなんだ」でそれ以上突っ込めない。寄り添う心と、突き放す心は紙一重で、忍耐が尽きれば霧散してしまいそうな関係が多いように感じる。それは、対立とは自分のこだわり(生きる事、どう生きるかとう事、何を得たいかという事等々)が相手の存在と齟齬を来たす事で生じる、という事は相手は必要な存在としてある、という前提がある。その対立がどう克服されたのかが、むしろ重要で、その部分が(どの組合せの人間関係にも)決定的に弱い、というのが一番大きな感想だ。
和解や融合が結末となると、それまでの苦い経過が報われる、という構図が作れるが、良い結末を先取りして後付けで苦い経過が織り込まれている、という順序な気がしてしまう。もし時系列に、ある問題が生じていて、そこに相手がそれほど寛容な人間でなかったり、自分の事で汲々としている状況があったりすれば(という事は社会状況がもっと厳しくなれば、という要素を含むが)、成立しない和解や融合である。どんな状況にも関わらず相手を思い続けて行く、という境地に至ることは、それ自体至宝なことで、即ち「なぜそうなれたのか」が重要なのであり、「そうなれた」という結末は言わばどうでも良いのである。
エピソードの切り取りも断片的で、もう少し練り込みがあって良い気がする。上述の事に通じるかもだが、観客が抱いた興味をある程度満足させるまでの「語り」を人物にさせてほしい。「共感したい」が観客の本性。

イエスタデイランド

イエスタデイランド

青春事情

劇場MOMO(東京都)

2023/08/23 (水) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

昨年のプラザソルの二本立て企画が生・青春事情の初見であったが(正確には劇団公演ではないが)、その良質な舞台の印象が今回、芝居が始まってまず小屋のしつらえ(舞台と客席の案配?)に落ち着かなさを覚える自分がいた(劇場は初めてでないのだが)。お芝居、という感じがする。入り込むまで少し時間を要した(書き割りの中の人の出ハケといった芝居の「約束事」を飲み込む力が減退しているのか、スズナリや芸劇のような現実=我々とフィクション=舞台とを緩衝する「黒」の配分が優れている劇場で「贅沢な観劇」をしすぎたせいか..)。約束事を飲み込む作業は最後まで続いたが(芝居とはそういうものとも言えるが)、しかしこの劇団の持ち味、力である所の不意を突く琴線に触れる台詞が中盤に登場して以後は、刺激を鋭意消化し、スムーズに見れた。

ゴメラの逆襲・大阪万博危機一髪

ゴメラの逆襲・大阪万博危機一髪

笑の内閣

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/08/17 (木) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地元関西のネタとあって万博への高間氏の皮肉おちょくりが炸裂しており波状攻撃。維新との距離感も、拡大鏡で見る如くで興味深い。途中「脚本はここまで」と高間が言い、ひと悶着ののちウルトラQのような1エピソード完結型のが数編続く、という奇妙な展開だったり、常連俳優髭だるマン「愛」を折々に語るという「内輪」な真情吐露など、演劇そのものをおちょくっているかと思いきやそこはそうでもないようで。
反維新ありきの内容が、私には当然の前提で違和感ないが、さにあらずの人が観てどう感じるか・・興味がある。

観るお化け屋敷vol.2「45分」

観るお化け屋敷vol.2「45分」

下北沢企画

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

昨年の第一弾「カーテン」が中々の出来であったので、「45分」?短い、と思いつつもわくわくで足を運んだ。短い、とは言え本物の化け物屋敷から友達が30分も出て来なかったら焦るだろう。
開演前に案内されるショートお化け屋敷コース(そう言えば子供の頃手作りでを作った事を思い出す)を抜けて客席につくと、各所に人形がぶら下がり、舞台はスズナリの前身である古いアパートを思わせる障子戸が奥にあり、各所に暗がりがある。みょんふぁが前口上を一くさりやってから、アパートの部屋番号201から順次エピソードが・・。
季節物。怪談は嫌いでない方だが生舞台である事の潜在的なインパクトは意外と効いているな、と。「あそこには何かがある」という感覚を(フィクションと分かっていても)残す。毎年やるのは大変そうだが、定番になるといいな。

我ら宇宙の塵

我ら宇宙の塵

EPOCH MAN〈エポックマン〉

新宿シアタートップス(東京都)

2023/08/02 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

千秋楽当日券で滑り込んだ。耳に心地よい声と滑舌と自在なテンションコントロールの「職人芸」が小沢道成/EPOCHMANのエンタメ性の支柱であった事を久々に思い出した。前に観たのが「鶴かもしれない」OFFOFFバージョン(2016)でなんと7年ぶり。この演目は昨年本多劇場、その前が駅前劇場、その前がOFFOFFだから小劇場出世コースの旅やってるな~と遠く眺めておったが、調べてみるとEPOCHMAN初期の拠点名大前KID AILAKがこの一人芝居の初演で自分はそれを観ていた。OFFOFFで観たのは(珍しく書込みをしていないが)舞台の風景もその時の気分も覚えているので確かだが、KID AILAKの方は書込みが残っているのに全く覚えていない。ただこの公演にいたく感心したからOFFOFFのも観たのだろう(推測)。

EPOCHMANの発祥は、虚構の劇団が年一程度だろうか、時折開催していた俳優による創作発表会に出した作品だったと改めて調べて知った。この発表会は5回目位だったかのを中目黒WOODで一度観たが中々充実した作品群で驚いたものである。小沢氏は恐らく第一、二回あたりで既に独立公演に耐え得る戯曲を書いていたのではないか・・凡そ10年になるEPOCHMANは当初は3~5名規模の芝居を打ち、その後は一人、プラスαといった規模の公演を打ち、コロナ後の21年、22年にも「鶴」以外の作品を出していた。
活動の表面的な一部しか知らなかったEPOCHMAN、。今回久々に「賑やか」と言える俳優連が、集っての群像劇は、趣向たっぷり、叙情たっぷり、機微にも富んだテキストと演出で、シアタートップスという劇場の大きさも最適な舞台であった。
出入りは中央の床に据えられたフタを開閉して行うのみ。舞台は黒い紙質のものを天井から縦に折り目を入れた風合いの壁で囲まれている。そこに星が映し出され、落書きが描かれる。
今作のゲスト的俳優・池谷のぶえ演じる母は、「父を亡くした」息子が自分の世界に籠もりがちなのを持て余していたが、あるとき姿を息子は姿を消し、顔面蒼白となる。心当たりを当たり、息子に会ったと思しき人らの証言を手がかりに、息子を「発見」していく(そこには自分の知らない息子の姿もある)。それを裏付ける息子の本当の声、思考のプロセスと現在地を、ついに目の当たりにする母。なお考え続けている息子がふとある結論に行き当たる瞬間を共にし、二人は出会い直す。

テキストを追う自分としてはドラマ的な停滞を感じる所はあるが、受け入れがたい肉親の死を受け入れる方法を、小さな子どもが(父との流儀に従って)何か科学の謎を解く鍵を発見するときのような作法で見出す顛末は、ドラマの明快なフィニッシュとなっていた。(涙に溺れさせる最終場面はむしろ息子の言葉を淡々と聞くラストであっても良かったようにも。)

熱く、沼る

熱く、沼る

トローチ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2023/08/06 (日) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

二度目のトローチ。コロナを挟んで一度目から随分経ったように感じたが、「一年半ごとに一作」と主宰が自己紹介した通り、前作が延期となり、リベンジ公演があり、という事で作品としては前々作を観た勘定。小松台東の松本哲也作で「熱さ」と役者が手練れであった印象。今回は深井邦彦作品の吟味と相成ったが、俳優が魅せる舞台、かつ熱い人間ドラマとの印象は変わらずであった。
人物は、何があっても笑ってる女主人公(ここでは泣くだろう場面で、突如クスリと笑い出す演技は堂に入っていた)、舞台であるスナックに集い、暮らす事となった不器用な男たちと少女、ハラスメント満載な男たち、職場(スナック)の先輩女性=ママ(現在は亡くなり主人公が店を任されている)、旧ママ時代からの常連で常識的な男一名。
ほどよくフィクション、ほどよく現実味のある展開である。
舞台を締めるのはハラスメントな言語である。これを担うのが辻親八(スナックのオーナー)、有馬自由(主人公の夫)、若い俳優(今控えがなく..小説家志望で「人間模様」を描くためにスナックに出入りする若者)。ふとしたタイミングで繰り出され、いつしかズンと響く。脚本としてはこの部分に個人的には感心し、俳優がこれをうまく消化していた。現代をうがって身につまされる。スナックのオーナーはたまに店に来て、調子よく喋って出て行くが、女及び貧乏人見下し発言を悪びれもせず。主人公女の夫(開幕時点では離婚した、となっている)が妻を公然と「ババアだから(セックスなんてしない..15年間)」と言う。わざと意地悪く言う、ではなく「それが当たり前」という観念が聞く人間の前に立ちはだかる。小説家志望は若いのに殊勝、と周囲に溶け込んでいたのが次第に陰りが見え始める。「人を昆虫とでも思ってんのか」と、日ごろ穏やかな住人に鋭く突っ込まれる。
スナックの元ママとは、ライバル関係のような、一定距離感のある風であったが、時間経過とともに、不思議と友情・連帯が密かに結ばれているような微妙な塩梅がうっすらと。彼女は亡くなるのだが、その死が自分を捨てた母に会いに来た娘と女主人公を出会わせ、「行き掛かり」でスナックを任され、とドラマの進展を促す。
最後の幕下ろしは、読めてしまうため時間消化にやや間延びしたが、現代日本人の精神生活のある意味核心に触れたと自分には思えた充実した二時間強であった。「いつも笑ってやりすごす」女主人公が、一言だけ、オーナーの言葉をやんわり、だが毅然と否定する瞬間。お芝居ではあるが現実においても、あの一言を口に出来るか否か常に試されている事を思わされ、それが厳しい現実の中の光明にも思える。

宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓

宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓

チェルフィッチュ

吉祥寺シアター(東京都)

2023/08/04 (金) ~ 2023/08/07 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久々のチェルフィッチュ。昨冬のKAAT「掃除機」は岡田利規のだったか(やや煙に巻かれた作品)。その前は・・と記憶を手繰れば、同じくKAATでの新版「三月の5日間」(3月の五日間?)、その前か後か定かでないが、震災を契機に作られた「現在地」を映像で見た割とすぐ後、と記憶するが少ない俳優使ってトラムでやったやつ(「現在地」に通じる静かな喋りで睡魔に勝てず最後の拍手で目覚めた痛恨のやつ...近くの若者がいたく感じ入ったと感想が漏れていたが)。
その前となるとやっぱKAATで、長い題名のやつ(これはかなり昔)。あとは映像で例の「三月の..」、これは確かに中々のインパクトだった。この劇団と自分の距離感を考えると意外に観てはいる。
さて今回の作は宇宙船というシチュエーションの面白さ、そしてこのシチュエーションならあり得そうな人種国籍不問なメンバー、そして発達したAI等のアイテムが(この宇宙船の中での共通語と設定したらしい)日本語、あるいは別言語だが芝居上日本語が使われているという演劇的環境の中で存在する面白さがある。やはり、と言うか、平易な単語を使う岡田テキストにも関わらず、作者岡田利規の意図は見事にヴェールの向こうに潜む。「チェルフィッチュを観た」という感覚が残らない。
演劇表現者としての連続性が、岡田氏の場合どこにあるのか、文字やトークで表現している割に謎である。

六英花 朽葉

六英花 朽葉

あやめ十八番

座・高円寺1(東京都)

2023/08/05 (土) ~ 2023/08/09 (水)公演終了

実演鑑賞

千秋楽前日が休日になり、電車を降りる都度疾走して汗水泥で劇場に駈け込むてぇ事もなく贅沢な観劇日である。
と言っても既に大いなる勘違い。「大正」「昭和」とあるから各時代を舞台にした別の話(又は続き物)と思っていた。昼の大正バージョン、もとい大正チームが面白かったから昭和の話も見ようと高円寺で暇つぶし。しかし話は大正から昭和を跨いでたし、台本も一種類(2バージョン収録で1200円たぁあやめ十八にしては良心的)と修正の余地はあったにも関わらず思い込みとは怖いもので、金子侑加の口上に「あ、同じだ」と思いながらまだ包装は同じだが中身が違う作りだろうと期待して待ってる始末。
だが悟った瞬間、残る楽しみは「配役の違い」だけとなった訳で正直落胆を禁じ得ないのであったが、装置や楽隊の贅沢さ、その楽隊に前回同様(芝居にも絡む)こんにゃく座の座員がおり、どうやら今回の歌役者(島田大翼)は夜のチームで主要キャストを務める模様、と見るなり目を輝かせている自分なのであった(ただしそうなるとその登場までが些か退屈にもなるが)。しかし芝居を観始めた頃は俳優で芝居を選んだり別バージョンを観たくなるなんて事はまずなかったが、今やミーハーな、いや普通の芝居好きである。

ぶっちゃけこの劇団の印象というのは花組芝居(歌舞伎風エンタメ...実は見た事が無い)由来だろう口上や演劇的仕掛けでもって「落ちない」よう持ち上げ持ち上げして目標地点まで翔び切る人力飛行機の挑戦に似た時間であった。没入する時間がなく、テンションを維持して最後まで完走するという競技を見ている感覚だった。
無論観客によっては没入できるドラマなのかも知れぬが...だが観る者の没入を可能ならしめるのは隙を見せないようにする演出や演技ではなく、逆に俳優の無防備なまでの役人物への「没入」であったりするのである。・・あやめの初観劇以来、そこがずっと気になっていた。
さて今回は題材も良かったが、無理ヤリ感な「上げ上げ」が感じられず、楽隊の使用や舞台処理の演出も堂に入って僭越ながら(たまの観劇だからこそ判る)成長の跡があった。
昭和と大正で若干の演出の違いがあったが、この若干の違いは各チームの出来と不可分なように感じる所があり、気づいたらまた記してみる。

スタンダップコメディ・サマーフェス2023

スタンダップコメディ・サマーフェス2023

合同会社 清水宏

小劇場 楽園(東京都)

2023/07/18 (火) ~ 2023/07/24 (月)公演終了

実演鑑賞

実演を観られたのが二晩目、ゲストにせやろがいおじさんの回で、やっぱしスタンダップはいいな~、健全だな、と思い直した夜であった。
他の回も配信で観たく、申し込んだがプラットフォームを提供するvimeoがトラブり、どうにか「多様性ナイト」視聴はできたが、以後暫くは配信チケット販売停止とのこと。要望があるので何等らの形で配信は実現したい、と主催者の弁。気長に待ちたい。観たい!

『つやつやのやつ』と『ファンファンファンファーレ!』(再演)

『つやつやのやつ』と『ファンファンファンファーレ!』(再演)

ムシラセ

駅前劇場(東京都)

2023/07/13 (木) ~ 2023/07/18 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初観劇の劇団。二本立てであったが、話は繋がっていた。お笑い芸人モノ。芸人界隈は人情喜劇の題材としては鉄板な所がある。そう思っていた所、一瞬食傷の感が走ったが、運びが巧く、俳優もうまく、「いそうな芸人」のデフォルメが秀逸で、これがネタに終わらずドラマの要素としてしっかり組み込んでいる点が優れていた。
ただ「芸人モノ」に胸を借りた感は残り、この劇団の本領を別の形で観てみたい。

オイ!

オイ!

小松台東

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/03 (木) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

久々の感がある小松台東(と言っても一公演見逃したくらい?)。開幕、暗がりで登場人物らが出入りし、動いている意味深な断片があり、やがて明転して六畳間ほどの座敷。オープニングのMはちょっとフォークで生ギターにメロディが「珠」をイメージさせるシンセ音(ハモニカとビブラフォンの相の子のような)で爽やかな青春物なのか「敢えて」の引っ掛けなのか・・という微妙なラインの出だしにまず満足。黒い制服を着た男ら4名。セーラー服の女子2人と私服が一人、オヤジが一人。
高校生らしさを演じる面白さ、関係性が徐々に見えてくる面白さ。表情の奥に何かが潜んでいる風情が、ちょうどいい。
彼ら高校生の頭上には「将来」という重しがのしかかっている。そんな中にも男女の出会いはあり、地方の町ならではの「地元にとどまるか都会に出るか」を巡る悩みがあり、なりたい職業と家庭の事情との葛藤がある。そうした青春期の鬱屈には青春期ならではの昇華の方法があり、不安の雲が垂れこめる未来であっても「未来」は彼らのもの。・・カラオケで熱唱する男らの歌をBGMに冒頭見せた動きとは異なるそれぞれ動き方・居方で群像を表わす。懐かしさに胸がざわつく。
人生讃歌と言って良い作品だが、個々人の実在感がこの作品世界を支えている。中でも小椋氏はモダンでは見ない、寡黙で時折言葉を選んで喋るキャラに終始説得力がある。それがラストに繋がっている。他、キャラにあった俳優面々の佇まいがオイシイ。

少女都市からの呼び声

少女都市からの呼び声

Bunkamura

THEATER MILANO-Za(東京都)

2023/07/09 (日) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

花園神社境内での新宿梁山泊版の同演目のテントを観たばかり。劇場と俳優陣は異なるが同じ金守珍演出の舞台、どんな違いが?両方観る価値は・・・「きっとある」とは思ってみるものの、入場料はえら高。出演陣の中に桑原裕子、三宅弘城、風間杜夫らの名を見て「観たい」とチケットを取った(俳優で決める事が多くなったな..)。最終週のチケットが二週間前に取れたので席の埋まり具合が気になったが、劇場に入れば3Fサイド席(見づらい席)以外さほど空席はなく、ただし(昼公演だったせいか)98%女性だった(いやもっと上だったかも)。
俳優陣を見て食指を動かされたとは言え、すぐ忘れる自分。桑原氏、三宅氏は終演後に判った(耳に覚えのある声・・誰?)。観劇中見つけたのが松田洋治、ダチョウ倶楽部肥後、六平直政ら。が、見過ごしだろうか、風間杜夫を見ていない。風間氏がやりそうな連隊長など金氏がやってる。パンフの写真の衣裳は執刀医。あの場面に居た?カーテンコールでも見た気がしないが、サイトで特に告知などはない。もやもやが残る。
そう言えば松田洋治はかつてナウシカの少年役の声をやり、近年テントで汚れ役をやるのを見る度にそれを思い出していたが、金守珍がそれをついに芝居の中で口にしていた。(「確かあなたジブリに、出てたよね?・・アシタカ!」最も効果のありそうな所でこれを出す。流石。)

ネタバレBOX

舞台の方は劇場規模を活用し、テント版とは異なるアプローチでダイナミックな舞台となっていた。物乞い集団が冒頭登場していきなり大正琴を集団で弾くのが圧巻。スペクタクルな、憎い演出が止まらない。配役もハマっている。
大概目くらましに遭う唐十郎作品だが、この舞台でこの戯曲の構造、魅力がよく判った。とりわけ「オテナの塔」という謎のアイテムが、敗戦後の満州を彷徨う連隊の視界の中に浮かび上がる様が、劇的である。(プロジェクターでこの搭のイラストを映していたが、画として「搭」を登場させたのは初めてではないか。)
搭を目指して進軍するという彼らの存在が、ある蠱惑的なイメージを持って感覚された。敗戦=価値体系の崩壊の中、目標を失った軍人(そして日本人?)が、遥か先の「搭」なる聖地・向かうべき目標と据えて、自らを奮い立たせている状況のメタファー・・。戦後においては異形である彼らの姿(横井正一や小野田寛郎も珍品として本国に迎えられたと記憶する)は、戦後日本人の原初モデルであり、自らのアイデンティティを戦後いともたやすく捨てた大多数のエセ日本人が対置されていると(私には)見えた。
そして昏睡状態にある男「田口」がその夢の中で探し、出会う妹(昏睡状態で見た夢だとは後で分かる。それまでは過去彼が体験した出来事、とも読める)。
兄が居場所を突き止めた時、妹は明るく兄を迎え入れるが、「なぜ急にいなくなったのか」と言い募る兄に彼女は、ある重要な仕事のためにガラス工場をここに移転したのだ、と説明する。兄を気づかういたいけな妹の出来過ぎた風情が、現実離れした感を醸すが、その感じ(不安)はやがて当たる。
彼女は彼女のフィアンセと共に、自分の身体をガラス化する実験に入れ込んでいた。このエピソードがこの作品の中心となっているのだが、これが夢落ちとなるに至ってエピソードのメタファー化を余儀なくされ、オテナの搭と相まって幻想的なラストに辿り着く。
そのガラス工場のくだりの続き・・。妹のフィアンセは偏執狂な男で、ちょうど新興宗教の教祖のように女を騙して己の野望の手段とする人物の典型のよう(そして彼も彼女に依存している)。
女の方は彼に身を捧げる自分自身に陶酔し、未知なる崇高な目標が彼女を上気させている様子である。その上気の具合からフィアンセとの肉欲と不可分なのではと危惧させるある種の女性の状態を、(過去の女優もそうであったがそれ以上に)咲妃みゆが演じる。彼女は久しぶりに会った?兄の手を取って自分のヴァギナを触らせる。と、ガラスで出来ている。子どもを産めない体で良いのかと兄は言い、妹は次々と孕ませられる世の女性たちと一線を画した存在に自分はなるのだと答える。

現実の田口には妹はいない。現実では病室の前に、親族がいないためだろうか、呼び出された男(とその婚約者の女性)がおり、看護師に「あなたは田口さんの親友ですか」と訊かれ、その証拠になるかも知れない事実を伝え、親友だという事になる。
彼が田口について伝えられる事(観客も知る事)は、彼の腹を切るとそこから髪の毛が出て来た、というこの事実。これが物語の始まりを告げる。
男は、田口が自分の分身をこの世に使わそうとしているのか、と呟く。最終場面で漸く冒頭の「現実」場面に戻った時、男は田口の「妹」(具現化した田口の分身)と出会い、彼女は自分の相手として男を選ぼうとする(ちょうど亡霊が現世への未練から生者にとりつく感じ)。婚約者がいるからと距離を置こうとする男に、彼女はこの世の常識や慣習を根本から崩す言辞を繰り出し、男を揺さぶる。危機を感じた男の婚約者が、妹と対決し、吹き飛ばされるが、やがて幻に過ぎない妹は抜け殻のように消えて行く。

田口は眠りから醒め、元の鞘に戻るのではあるが、「無かったこと」にしてはならない何かを残す。即ち、引き算をしてゼロになったかに見える現実に唐十郎は演劇で抗う。幻である所の妹の姿、そのはるか向こうに見える「搭」を神々しいまでの演出で刻印する。
バナナの花は食べられる

バナナの花は食べられる

範宙遊泳

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2023/07/28 (金) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

かなり以前に映像を使った妙なノリの芝居を観て以来の二度目。ご無沙汰の間に変化はあっておかしくないが、こういう戯曲を書く書き手とは思わなかった。現代風俗をがっつり織り込み、オーバー30の若者らを登場人物に紡ぐ。年寄りは若干置き去り感?だが「タクシードライバー」が古典と言える現代である。世俗と聖域の相剋は(ちょうど今読んでいる小説)「パンとサーカス」にも同じテーマを担う人物が居る。鬱屈した都市生活の中で、ある開眼に導かれ、「人のために生きる」を実践する中心人物と彼を取り巻く若者らの群像劇だが、特殊で、かつ凡庸な彼らの足跡が、凡庸故に輝く。
こいつ凄え、と思える人がクラスや、身近に居ても、いずれ彼らは世の片隅に場所を見つけて慎ましく生きて行く。形は平凡でも、彼を知る者は彼が放った光を覚えている。そんな輝かしく特殊で、しかも早晩埋もれて行く世の多くの平凡な物語の一つ。

イーハトーボの風のうた

イーハトーボの風のうた

ミルキーウェイ

ティアラこうとう 小ホール(東京都)

2023/08/01 (火) ~ 2023/08/03 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前知識ゼロの初の劇団。素朴でバランスの良いチラシ、芯がありそうな(微かな)気配、宮沢賢治・・ティアラこうとうなる施設も住吉駅も初めてで少なからず期待を高めて何とか開演前に辿り着いた。野外スポーツ施設や道路向かいの蟹江恩寵公園などの木々のエリアから、銀白の建造物が現われた時はホッとした。
小ホールには建物に向かって左側を下りて行く、ガラス戸を中に入ると正面に大会議室とあり、人がちらほらと吸い込まれていたが、そこではなく、左奥に受付が見えた。小ぢんまりしたホールだ。ステージが、狭い! それを60度位に円弧で囲む形の客席も、数十席といった所。新しい建築と思っていたがステージの板はこすれて古味を醸している。奥にグランドピアノ、その前には2メートルもない演技エリア、左右ともにはけ口がある。ピアノの脇にボンゴ等のちょっとした楽器と、イラストの付いたサイコロ型の箱(踏み台になりそうな)が2個だけ置かれたある。チラシを見ると、わずか9名の役者で、中には中々の高齢らしい顔も。
色々と予想を裏切られる中、物腰柔らかな男性が90分の上演時間を告げ、5分押しで開幕した。
懐かしい感覚が呼び起される。小学校時代に観たかも知れない、簡素な舞台、客席に語りかける表情豊かな役者顔、ピアノの伴奏・・。舞台の出自として演劇とは別の、「音楽劇」の発展の系譜がありそうだと少し前に確か書いたが、結論的には「どこでやってた人たちだろう」という興味をかきたてられる、中々まとまった完成度の高いステージだった。

最前列に座ったせいもあるが、ステージとの距離も近い。照明も明るくしており、そのため冒頭合唱に並んだ5人の年代(凡そではあるが)が視覚情報として飛び込んでくる。(この年齢の印象も終演後には些か変っていたが。)
だが、次第に芝居の世界が立ち上がり、耳に心地よい歌、音楽、簡潔でリズミカルな展開、やがて幻想の世界に入り込み、最終段では宮沢賢治の文字化された世界観が台詞で語られもした。
子どもを主たる対象に作られた演目のようであったが、最後にようやく顔を出す人間世界の矛盾のようなもの、風(自然)と人間との対立と共存といったテーマは、具体的なイシューに言及する必要はないにしても、現実のネガティブな事象にもう一歩踏み込んでも良かったのではないか・・と感じた。負の要素を乗り越えてこそ大団円は訪れる。

中盤から前のめりに見始めたが、チラシ、パンフと出演者を照合し、最後には全て把握できた(写真と現物の印象が違うので時間がかかる)。まず演出の男性(最高齢?)が冒頭から登場して「先生」そして「達二」(子ども)を演じる主人公。その後ろに黒衣裳でピアノを叩く演奏者は作曲者本人。その彼女が後半登場して演じたキャラが秀逸。透明な歌声が印象的な女性が、よく見れば脚本担当であった(グループ主宰とも最後に紹介)。演出の齢に近いと思しい女性は、低音の歌声に説得力がある、声を張らないちょっとした三部合唱が何気に聞かせる。多様な場面にそれぞれ合ったキャッチーな曲。終盤近い長尺のそれは間口10メートル奥行5メートルも無い小さな舞台の向こうに、広い世界を垣間見せた。
宮沢賢治作品を取り上げた作品を作り続けているという。
「欲を言えば・・」の話は先述したが、革新と発展が演劇(芸術?)が持つ本性だとすれば、この集団にとってどのあたりにその契機があるだろうか、と考えた。生み出された彫刻のような作品を磨き、深みのある艶を出して行く・・クラフトワークがそぐわしい世界もあるのかも知れない。が、、「演劇であってほしい」と願う私はこうした世界との折り合いをつける言葉を見つけられておらぬ。

ザ・キャラクタリスティックス/シンダー・オブ・プロメテウス

ザ・キャラクタリスティックス/シンダー・オブ・プロメテウス

お布団

アトリエ春風舎(東京都)

2023/07/18 (火) ~ 2023/07/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

少し時間が経ってつぶさに思い出せないが、一定の現実性を備えたSF=未来予想図である。ユニークなのは百年近く後の未来から、過去(近未来)へと遡って行く描き方で、サスペンスフルなスタートから私たちにより近い少し先の未来が、現実(現在)の延長として見通せる状況となっている。つまり一種の現代批評である。ちらばめられた批評性に満ちた言辞や事象は「今」に懐疑的な観客に刺さったのではないか。
俳優の演技も的確で隙がなく(時には笑わせ)重量感があった。

ネタバレBOX

上記コメントを書いて更に時間が経ったが、まだ掘り起こせる記憶を今の内に記しておく。
ぼんやりとした色彩は、墨を落としたような黒が水墨画のような濃淡を示して、舞台正面奥が観客目線では当然「聳える高さ」の実体として感覚され、それは審判者の玉座の高さのように見える(実際にそこに椅子が据えられている訳ではない)。演劇は神事に由来すると言われるのに合致して、ステージ側に神聖なるものが配されている感覚は、そこに何か具象を据えない限り観客が勝手に想定してしまうもの?
ストーリーの方はつぶさに思い出せないが、2100年代だか2200年代、あるいは2090年とかだったか、割と具体的な「時」が設定されており、今そこに立つ彼女は長い時を生きている、となっている。
いや、複数の登場人物たちの会話で語られる、いやいやナレーション(同一人物を複数でだったか、どうだったか)によってだったか、噂の、正体不明の、しかし実際に存在するらしい「それ」が、今問題になっている。それが冒頭であった。
そこは確か、何かの研究機関か、行政機関、比較的日常的に必要とされる業務を担っているそこに、「何モノか」が存在している、又は新たに配置されて来た、という風である。
その存在についての記録を紐解いたところ(手掛りは確かネーミングだった)、80年前だかにその組織だか関連の団体かに赴任した、という記録があり、謎を深める。
この芝居は凡そ4、か5場面から成り、3、4場面あたりでその存在=彼女が現役で働く人間であった頃のリアルタイムの場面となる。研究者か職員として何かに従事していた彼女は、ある業務の延長で、もしくは何らかの事情で、身体の一部のアンドロイド化に同意する事となる。か、または九死に一生を得た事故か何かでアンドロイド化せざるを得なかったか。
こうして冒頭の不気味な謎の答えらしきものの断片が提示される。
その後、彼女がどういう経緯でどうなったか、については具体的描写が無かったか抽象的表現で示唆した程度だったか、いずれにしても覚えていない。思い出せそうにない。
時を遡った21世紀中盤(私達からすると近未来)の世相が、ある仕方で描出されていたように思うが、これも思い出せない。
ただ、後半の場面では、ある種荒唐無稽なSF話が展開するが、リアリティの薄さを補って余りある「面白さ」で、釣り合いが取れていた感じは覚えている。

以上、メモ。
台本ないし映像、又はこの作品に関する文章などがあれば、それに触れてもう一度思い出してみたい作品。
ストレイト・ライン・クレイジー

ストレイト・ライン・クレイジー

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

一公演で同演目を3度観るというのは多分初。実は二回目を誤って最初観たのと同じ星組を観たがためにこれで花組を観なきゃバランス取れないし、と(こじつけて)「変化」を観たさに観劇した。
見比べは興味深い。プレビューは生硬さが却って無駄を削いだ芝居の輪郭を見せ、「おっ」と思わせたのだが、二度目は色々探り始めてか、芝居が少し「軟」に寄り、初日よりも台詞が回っていなかった(人がいた)のが残念だった。
日を置いて観た今回の花組は、熟した芝居。老舗劇場スズナリという演劇の精?が、芝居に微笑む瞬間があった。客席の拍手が程よく力強く響いていた。こういうのが正しい拍手のあり方。ダブルは必要ない。

舞踊詩劇「田園に死す」・幻夢活劇「チャイナ・ドール 上海異人娼館」

舞踊詩劇「田園に死す」・幻夢活劇「チャイナ・ドール 上海異人娼館」

吉野翼企画

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2023/06/15 (木) ~ 2023/06/21 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

書き込みを忘れていた。
面白い。絵空箱の使い方。寺山作品のモチーフが二作品に集約されてるような。チャイナドールは先日観た岸田理生の「糸地獄」に通じ、思い出せば昔初めて観た寺山ワールド「狂人教育」にも・・。
娼婦を通して、その存在性、精神性において(男に)優越する女性像。
「田園に死す」。映画は何十年前に観たか、という所だが、幻の母、故郷の面影を追い彷徨する(寺山自身の?)魂・・「身毒丸」「草迷宮」にも通じる・・。「比較」という作業が可能となる数の寺山作品を目にして、今更に感興にふける。寺山的世界観が貫徹し、吉野翼独自の自在な想像力に観客は遊ばせてもらった。演劇における「枠を破る」「遊ぶ」機能はまだ開拓地を残している。

ストレイト・ライン・クレイジー

ストレイト・ライン・クレイジー

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

久々に燐光群らしい切れ味の舞台を観た。
演劇との遭遇の「幸運さ」を実感していた演劇観始めの頃(感動そして衝撃を与える舞台に当たる確率がえらく高く感じたものだった)、燐光群の作品の幾つかもそれに含まれた。スズナリでは「最後の一人までが全体である」「だるまさんがころんだ」にやられたが、今回は当時を彷彿する舞台の空気感がある。ただし戯曲は坂手洋二作ではなく2005年以来燐光群が日本初演を重ねてきたデヴィッド・ヘアーの近作。「ニューヨークを作った」と言われる実在した男の人生を、彼の最も輝いた時代と、栄光に陰りが差す時代の二部構成で描く。スリリングな台詞の応酬は往時のアメリカ(1930年代)の世相が進歩を牽引する主人公(守旧派に当たる地主たちとの格闘もある)の信念に寄り添うという結果に着地したればこその躍動。辛辣さも程よい酸味である所、後半では意を尽くしての部下の批判も長年の同僚の助言も当人には届かない徒労感が宙に漂う。一人の人生はアメリカ現代史を雄弁に語らせ、時代と人とに思いを馳せる。

ネタバレBOX

時代的にはベトナム戦争前夜までで叙述は終わっているものの、大掴みの米国現代史にも見える。そして最後の最後に不意に暴かれる主人公の(殆ど無意識の仕業と思える)彼が過去為した決断の背後にある思考も、追い討ちを掛けるように彼の「変わらなさ」の弊害を傍証する。
「変化が起きている」と、主人公(大西)との長い仕事のパートナー(森尾)が言う。「間違っている」との語句を避けてはいるが、時代は「過ち」をただすことで乗り越える(日本では先人を否定しない(事によって現状を守る既得権者に否を言えない)ため、いつまでも自らは進歩できない)。
開拓地が残っていた頃までのアメリカ精神は市場を求めて外部を開拓する資本主義の原理に置き換えられる。車社会化という進歩を予見できてもその弊害を予見しなかった楽観主義の帰結も、戯曲は示唆する。
1960年代に潮目が変わり、懐疑主義が現代の基調となるが、大衆音楽を始めとする文化の爛熟は進歩と懐疑の絶妙な入会地の出現が、可能ならしめた。その後の米国史の画期は9.11と言えるのだろうが、ある意味では1960年代に首をもたげた人類の難題を巡って、今も迷走する人間の姿が作者には見えているのだろうか。
歴史上の人物ではなかったとしても、米国史を踏まえて刺激的な台詞たちで描かれた物語は現実的な問い突きつける。充実の二時間強、
ある馬の物語

ある馬の物語

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2023/06/21 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

トルストイの原作をソ連レニングラードの劇場が舞台化したのが1975年(マルク・ロゾフスキー脚色・音楽)。日本では青年座が1978年舞台化し、1983年書籍化(翻訳:桜井郁子)されているので、国内での上演はあっただろう。
今回の公演は、ロゾフスキー脚色版の新訳(堀江新二)、音楽監督に国広和毅を据えての舞台である。国広氏の名前に食指を動かされて足を運んだ。パンフのコメントでは、元の楽譜で当てていた金管(トランペット)を木管(サックス)4重奏とし、全編を彩った。白井晃演出は舞台中央にビデ足場を組み、機能性を重視して舞台を物語叙述に集約させていたのは好感が持てた。
馬と人間が登場する。馬の主役ホルストメールが成河、人間側は別所哲也。ホルストメールの運命に深く関わる馬に小西遼生、音月桂、馬丁や馬主ら人間に春海四方、大森博史、小宮孝泰、小柳友。
馬の存在が面白い。人間を最も理解する(心が繋がれる)動物と言われる馬であるが、擬人化しつつも動物性を帯びさせる。成河が演じるホルストメールは、鼻鳴らし、いななき、ギャロップをし、言葉を話す。人間が話す場面では「人間の目に映る馬」でありつつ、また動物的本能を持つ存在でありつつ、観客は彼が感情と思考を持つ存在である事を知っており、その心の動きを追う。時に彼の心はベールに包まれ、時にあらわれる。この重層性が素晴らしい。

或る女

或る女

演劇企画集団THE・ガジラ

シアター風姿花伝(東京都)

2023/06/30 (金) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

THE・ガジラのサテライト公演だった(本公演と勘違い)。だが鐘下流を具現する身体と感性は若手が相応しいのでは・・というのがこのかん観てきた舞台での印象だったりもする。
前作が三好十郎の「殺意」でこれも奔放に生きた(と周囲が見る背徳の)女性が主人公で、ポテンシャルのリミッター超えで若い俳優が孤高の役を演じる。
前後関係と人間関係図がようやく見えてくるのが終盤、舞台に表出する大部分である女と倉地との場面、とりわけ関係を決定づける場面の作りは唸る。「女が拒んでいなかった」ある痕跡を見せ、「手籠め」にしたと翌日罵倒する彼女が、己の理性が是としない関係を自身が心底から欲している事が浮かび上がる。
原作が事実に基づく小説だとは知らなかったが、自然に根付く女という性は常に文学的テーマ。醜聞と片付けられる赤の他人のエピソードに、これ以上ない距離に迫り、変わらぬ鐘下氏の「音」(驚かし)演出で叩きつけてくる。

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