天中殺の観てきた!クチコミ一覧

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A.C.O.A.presents「スピリッツ オブ ジョン・シルバー」

A.C.O.A.presents「スピリッツ オブ ジョン・シルバー」

A.C.O.A.

atelier SENTIO(東京都)

2012/06/07 (木) ~ 2012/06/10 (日)公演終了

満足度★★

なぜジョン・シルバーなのか
開演前から役者たちが会場内にいて、入場してくる観客を迎えている。場内カウンターでは飲み物などを売っている。開演前にそういった雰囲気づくりをしているのは、別にいいと思うのだが役者が知り合いの観客と客席で雑談を始めてしまうのは、この劇団の関係者でもない人間にとっては違和感があった。
唐十郎の「ジョン・シルバー」をもとにしているが、台詞を割ったりしているためか、個々の役が立ってこなくて、ドラマとしての展開の面白さは少なかった。75分ほどの短い芝居で、歌も頻繁に入るわりには退屈した。なによりも唐の台詞を喋れるだけの肉体が圧倒的に不足していると感じた。男役を女にやらせるのもどうかと思った。唯一、小春役を演じた演出家でもある鈴木史朗だけが、猥雑な身体を持っているように思えた。音楽も同じような曲ばかりで、場を変化させるだけの高まりに欠けた。そして何よりも、今なぜ「ジョン・シルバー」なのかということが分からなかった。

水曜日のラララ

水曜日のラララ

ねこまる

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2012/06/08 (金) ~ 2012/06/10 (日)公演終了

芝居が見たくなくなる芝居
久々に本当にひどい芝居を見た。スーパーのバックステージを舞台にした人情コメディーのつもりみたいだが、まずは本がめちゃくちゃひどい。強引な説明的台詞ばかりで信じられるものが何ひとつない。さらに役者たちもまったく魅力がない。こんな役者を1時間半以上見ていなければならないのは拷問だ。しかし結局、いま東京で行われている大多数の無名劇団の芝居は、書けもしない自称劇作家が台本を書き、芝居の才能もない自称俳優が舞台に立っている。それでも東京では何となく続けられてしまうところが問題だと思う。ふだん芝居を見ていない観客がこの芝居を見たら、きっともう二度と芝居なんか見たくないと思うだろう。唯一、演出だけは職人的仕事ができる人間ではないかと思った。

ローザ

ローザ

時間堂

王子スタジオ1(東京都)

2012/05/16 (水) ~ 2012/05/29 (火)公演終了

満足度★★★

信じられたものと信じられなかったもの
ポーランド生まれのドイツで活動した革命家ローザ・ルクセンブルグをめぐる物語。彼女の死後、親しかったものたちが墓場に集い、ローザとは一体なんだったのかを、それぞれがローザを演じることによって検証する。

ネタバレBOX


ジャスミン革命以降、アラブの春をへて、変革後の新たな体制づくりの難しさが語られる今日、興味深い題材ではあるが、見ていて一番気になったのは、ロシア革命時代のドイツにおいて、非常に大きな影響力を持ったローザ・ルクセンブルグという人間が見えてこない点だった。
作者は、偉大な革命家ローザ・ルクセンブルグではなく、ひとりの女性としてのローザを描き出そうとしているのかもしれないが、役者たちの演技からは彼女の人生を垣間に見ることができなかった。もちろん、現代の若い日本人俳優が100年前のドイツ女性革命家の人生を舞台上で生きるなんてことはできるはずもないことかもしれない。しかし、いまを生きる人間の肉体を通して、一瞬でもいいから彼女のリアルな生を見ることができれば、劇として信じられるものも生まれたのではなかったか。今回の芝居を見て、信じられたのは俳優たちが等身大の自分を生きているということであり、俳優が演じている役を信じることは最後までできなかった。
edit

edit

shelf

atelier SENTIO(東京都)

2012/05/24 (木) ~ 2012/05/27 (日)公演終了

満足度★★★

劇としての展開がほしい
劇場内に入ると白い空間に7人の男女がいる。立っているものもいれば、座っているものもいる。みな白と金のグラデーションの入った衣裳。白い砂山には仄かに明かりが灯っている。シンプルだがセンスある舞台。

ネタバレBOX

内容はいくつかのテキストの合成だが、メインはソフォクレスの「アンティゴネ」とアーシュラ・K・ル=グウィンの「左ききの卒業式祝辞」。「アンティゴネ」のシーンは演劇的なところもあるのだが、その他の場面は論説的な台詞が多くて、劇が動いてこない。身体的な造形でもあれば見られるのかもしれないが、そのような目を惹くシーンのないまま約1時間の舞台は終った。使用しているテキストは、今日の日本において大変意味深い題材を提供していると思う。だが、それらが演劇的に躍動しない。劇を見る楽しみはやはり相反するものの対立とか、人物の変質にあったりするのではないかと思うのだが、登場人物の思想を物語っても劇にはならない。さらに唯一展開した「アンティゴネ」も真に生きている人間の性が見えてこなかった。上品な語りにおさまっていて人間同士のぶつかり合いになってこない。演出家はそのようなものを求めてはいないのかもしれないが、テキストの素材選びにおける視点に非凡なものを感じられるだけに残念な気もする。
また、アンティゴネ役の女優はその役を身体も含めて捉えていると思えたが、それに対してクレオン役の男優が、この役を理解していないように思えた。それは二人の台詞のやりとりに如実に現れていた。 
ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

die pratze

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2012/04/27 (金) ~ 2012/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

「授業」Super Steam Through(授業フェスティバル参加)
これは面白い。面白いというかバカバカしい。とにかくここまでぶっ壊してくれると逆に爽快感がある。

ネタバレBOX

だがそれは飽くまでも、はじめにつばめ組のリアルな「授業」があったからで、それを見た上でこそ楽しめる見立てのパフォーマンスなのだ。しかし、レッスンを現代ダンスをすべてマスターするためのダンスレッスンに変化させたセンスは素敵だ。惜しむらくはこの劇の本質にあるコミュニケーションの不可能性をダンスで魅せてくれたら完璧だった。
女中がつねに「家政婦は見た」といった感じで覗いているのも効果的だった。さらに彼女が電動ノコギリを稼働させて、逆さ吊りの女生徒に向かうシーンは、これまで見たどんな「授業」よりもインパクトのある幕切れだった。
ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

die pratze

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2012/04/27 (金) ~ 2012/05/13 (日)公演終了

満足度★★

「授業」劇団つばめ組(授業フェスティバル参加)
開演前にアコースティックなゆるい生演奏と、即興絵画が行われている。

ネタバレBOX

それと本編との連結が見えてこないが、聞いていて、見ていて、心地良いものではあった。教授役はどこまでが素なのか分からない脱力系の演技。それに比べて女生徒役は多分に作っている感じがしたが、歯が痛くなるシーンは説明的なものや、過剰なものが一切無くリアルに思えた。女中役はなんだか新劇的なリアリズム臭を感じた。だが、教授が女生徒を殺すに至るところに変身が見えないのは、劇としての面白みに欠けるように思えた。台本上には「ナイフ」とあるのを、「カッター」としたのは原文のカッコウの鳴き声を生かす意図か。
昭和神曲煉獄篇

昭和神曲煉獄篇

劇団阿彌 GEKIDAN AMI

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2012/04/12 (木) ~ 2012/04/15 (日)公演終了

満足度★★★★

静謐なる舞台
正方形の舞台の上手下手に演者が座る箱が数個置かれている。舞台はそれだけでいたってシンプル。演者は能を思わせる体勢で重心は低い。言葉は明瞭で直接的で余計なものはない。要するに演者も舞台と同様にシンプルな表現になっている。

ネタバレBOX

描かれている世界は、幻想的な悪に対するテロ行為だが、何故その行為にまで至ったのかは明確ではない。すべては精神病理学の範疇で発生した事件と思えるほどに、過剰でかつ自虐的な思いの果てのテロリズム。これをどう捉えるかは受け手に委ねられているのかもしれない。
しかし、秀逸なのは舞台に立ち現れた静謐さである。不要な喧騒に包まれた現実の中で、この空気をも止める静けさは他に代えがたいものだ。           
ALL UNDER THE WORLD

ALL UNDER THE WORLD

燐光群

笹塚ファクトリー(東京都)

2012/03/19 (月) ~ 2012/03/26 (月)公演終了

期待はずれのパフォーマンス
見るべきものは何もない。舞台で繰り返されるのは、ありきたりなエピソードの断片。これは果たして公開するべきものなのか疑問を持った。

ネタバレBOX

舞台は何もない。ひとりの白人がすわっている。開演前に声が流れていて、浜に打ち上げられたクジラの事とか、放出された大量の放射能の話などが聞こえてくるので、この劇団お得意の社会的なドラマが展開するのかと思いきや、その期待はまったく裏切られて、いまどきの若手劇団やパフォーマンス集団がやるような、ちょっと身体を使ったパフォーマンスが始まる。しかし、パフォーマンス集団のような身体の統一性が確立されていないから、表出のレベルが低く、とても見られたものではなかった。津波っぽいエピソードなんかも出てくるが、それも単なるつけ足しという感じで、胸に迫ってくるものは全くない。何よりも骨太のコンテクストがないから、すべてが散漫に過ぎていく。さらに役者のレベルが低いから目も当てられない。
もしかしたらこの外国人演出家は何らかのメソッドがあるのかもしれないが、質の良くない役者を使って数ヶ月稽古しても、芸術的な表現を成立させるのは無理だろう。
阿呆船

阿呆船

劇団 風蝕異人街

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/03 (土)公演終了

満足度★★

由緒正しきアングラ芝居
今時めずらしい由緒正しきアングラ芝居を見た。このようなアングラが、まだ最北の地には残っているのだ。

ネタバレBOX

舞台の奥に縄が何本か下がっていて、出港をイメージさせる場面では上裸の男たちがそれを引っぱる。上部から垂れ下がった褐色の布が船を象徴している。役者はみな白塗りで、早口でまくし立てる昔なつかしいアングラ芝居。寺山劇によくあったマッチを刷って台詞を喋る場面も頻繁にあったが、マッチが着いていない役者が結構いたのもご愛嬌。だってアングラにはハプニングはつきもの。役者たちの面構えも、行っちゃっている表情も、何だかとっても懐かしかった。しかし、セーラー服の女優陣を見て、大蔵映画を思い出してしまったのは、何故だろう・・・・・・
Ceremony2012-おひさまのほうから-

Ceremony2012-おひさまのほうから-

ストアハウスカンパニー

上野ストアハウス(東京都)

2012/02/22 (水) ~ 2012/02/26 (日)公演終了

満足度★★★★

花ひらく抽象性
同じパフォーマンスでもやる時期によって、こんなにも印象の変わる作品もないだろう。初演は確か2007年だったと記憶している。今回の上演は、この作品の持つ豊かな抽象性が花ひらいた。それは作品が変わったからではなく、現実が変わったからだ。

ネタバレBOX

舞台中央には、様々な色彩の衣服が堆く積まれている。男女8人のパフォーマーたちが、ひたすら歩き続ける。衣装の山にも足を踏み入れ、あたかも地ならしをするがごとく歩んでいく。その結果、山は均され、舞台全面にまるで瓦礫のような様相で拡がる。初演の時は、これを見て瓦礫だと思う人は恐らくいなかったはずだ。しかし、今やこれを見る観客たちは尽くあの東北沿岸の街に拡がる瓦礫を想起するだろう。そのなかを必死に歩きゆく役者たちは、ときに二人組みになり、互いを支えながら、あるいは担ぎながら行進する。この姿を見て、命がけで避難する被災者たちの姿を思った人も多いだろう。
だが、この作品が真に優れているのは、すべて観客の想像力に働きかけてくるところにある。それが、豊かな抽象性と思うところだ。
だが残念なのは、初演では衣装の中を転がり続けるパフォーマーたちが、気づいたら身につけていた衣服がすべて剥ぎ取られ、全裸になっていたはずだが、今回は全員下着をつけていたところだ。しかも、かなり生活臭を感じる下着もあり、その時点でこの作品の演者たちの無名性が失われてしまった。さらに、そのあとの場面で、落ちている衣装を身に着けていくという行動の劇性が薄れてしまった。
後半、役者たちが発する言葉も、それぞれの日常的なキャラクターをイメージさせてしまうものがあり、作品の硬質性を削いでいるきらいがあった。
しかし、多少の難点はあるにしても、2007年にはじめて作られたこの作品が、観客たちに震災の幻影を見せつけたことは間違いない。しかも、他の表現媒体ではありえない斬新な方法において。そのような舞台の底力を感じさせてくれる上演だった。
佯狂のあとで

佯狂のあとで

IDIOT SAVANT theater company

貞昌院(神奈川県)

2012/02/15 (水) ~ 2012/02/19 (日)公演終了

大いなる疑問
しかし、これは一体なんなのだろう。映像の世界でも、文学の世界でも、まだそれを直接的に描くことを躊躇しているのに、この劇団は先の東日本大震災をネタに稚拙な舞台を作り上げてしまった。この作者の罪は、万死に値すると思う。

ネタバレBOX

芝居は、横浜の曹洞宗の寺、貞昌院で行われた。客席は対面式で舞台の両端に映像を映すためのバネルがある。映像はたぶん合成だと思うが、被災地の瓦礫の中を役者たちが行進したりするもので、その意味は不明である。ひとつのパネルには能面が3つ吊るされていて、時おり一人の役者がつけるが、ただお飾りとしての装着で、それで演技をするわけではない。メインは剃髪の男と、猿のようなダンスを繰り返す女で、あとはコロス的に存在する役者が7人。ストーリーらしきものはなく、エピソードとして津波で死んだ者を抱きかかえて嘆いたり、死臭の漂う街の匂いについて語ったりしているが、それらがすべて絶叫芝居でまくし立てられる。役者たちは被災者たちに共感して演じているのだろうが、去年の3月11日以降、われわれがずっと見続けてきた映像などの情報を越えるものではなく、今さら下手糞な役者が現実にあった悲劇を再現しても、信じられるものは何もなく、逆に不愉快きわまりない。
そして、信じがたいことに突然ヒトラーの演説が挿入され、ホロコーストについて語られる。震災での大量死とナチズムの残虐行為である大量殺戮を作者は平然と並べるが、死ということ以外に何の共通点もない。この無神経な並列で、多くの死者たちを冒涜しているということを、馬鹿な作者は分かっていないのだろうか?
まず、この作者であり、演出家である恒十絲という輩に問いたい。この芝居を果たして被災者たちに見せられますか? 実際に目の前で肉親たちが無残にも死んでいった被災者たちが、この下手糞な芝居を見て、何を感じると思いますか?
存在してはいけない芝居というものはないという信条で、年間百本以上の芝居を見てきたが、この芝居が私の信条を打ち壊した。存在してはいけない芝居というものはある。
                                       

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