まつがえの観てきた!クチコミ一覧

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FUTURE

FUTURE

ブラジル

駅前劇場(東京都)

2009/12/16 (水) ~ 2009/12/21 (月)公演終了

満足度★★★★

色気と狂気
辰巳さんとは面識があったが、生ブラジルは初めて。
作劇はふつうにうまい。役者はみんな素晴らしい。とくに堀川さん。これまでほかの舞台で見てたけど、こんなに女っぽい人だっけ。キーマンとなるにふさわしい色っぽさと狂気。堪能させていただきました。

ネタバレBOX

左右対称的な舞台装置。
これが非常に意味のある舞台になっていた。
同時間軸上の話とミスリードさせておいて違うという。
そこはうまいなとおもう。
が、左右の同時発話が上手い感じで噛みあって・・・
というのは上手い感じではなかった。
それが台本のせいなのか
役者のコナレの問題なのか分からなかったが
あれはあえてやらなくてもよかったのにと思った。

それ以外は素晴らしい。
辰巳さんやはり素敵でした。
モンキー・チョップ・ブルックナー!!

モンキー・チョップ・ブルックナー!!

アマヤドリ

シアタートラム(東京都)

2009/12/15 (火) ~ 2009/12/23 (水)公演終了

満足度★★★★★

80年代と90年代の幸福な融合、0年代の集大成
僕が観たのは初日なので、それから改善や変更などあるだろうから、僕の感想はそういう感想にすぎないのだけど、よかったです。ひょっとこ乱舞という形式が、より洗練され、より固まってきたという印象。そしてどの役者もうまい、キャラがたっている。あんだけキャラだちする役者がそろってる劇団もなかなかないんじゃないか?構成、セリフ、転換、すべてが小気味良く、音楽のようだった。

ネタバレBOX

チョウソンハさんのすごさは前から目についていたが、今作品については、彼は当然すごいが、まわりも負けず劣らずすごいということができる。チョウソンハが浮いてない。みんながレベルアップしている。

元来、広田さんは野田秀樹的なフィジカルシアター的なところから芝居を作ろうとしているのだろうが、近年の、ハイバイとかの青年団系(といっていいのか分からないけど)の成果を十分踏まえ取り込み、「ひょっとこ乱舞」的に昇華させたのが、本作品といえるのではないか。僕的には本作品を「80年代演劇と90年代演劇の幸福な融合、0年代演劇の集大成」と呼びたい。

乱舞が少ないとか、乱舞が邪魔だとか外野はいろいろ言うだろうが、これです。いまの広田氏の選択が正しい。これをどんどん研ぎ澄ませて言ってほしい。

問題を感じるとすれば、長所がひっくりかえって短所なりということなのだろうけど、こんだけ粒ぞろいの役者がそろうと、全員を立たせる芝居はなかなか難しい。書くのは簡単。だが、それを観客が受け入れられる形にするのは難しい。

こんだけ素敵な役者が集まった状況をどう活用していくかプロデューサーとしての広田さんの腕が試される状況なのではないだろうか。今後に注目です。
『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』

『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』

DULL-COLORED POP

サンモールスタジオ(東京都)

2009/10/07 (水) ~ 2009/10/13 (火)公演終了

満足度★★★★★

瞬間の芝居
『プルーフ/証明』はわかりやすい。ストーリーがもう評価の確定した本である。とはいうものの誰がやっても面白いわけではなく、あの水準に、持っていった谷賢一は当然評価されるべきだ。だが、それよりも何よりも、『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』にこそ注目すべきである。

ネタバレBOX

ちなみに、これを観た後に僕が見た演劇は

ハイバイ『て』

砂地『ナノクライシス ポルノグラフィ』

五反田団『生きているものはいないのか』

五反田団『生きているものか』

だが、どれもすばらしかったが

そのどれよりも、素晴らしかったのは表題の

DULL-COLORED POP『心が目を覚ます瞬間 ~4.48サイコシスより~』

だと思う。

最近で言うと、野田秀樹の『ザ・ダイバー』日本バージョンに匹敵する。

つまり、世界標準であろうということだ。

そして谷賢一が、この演目を単体でやったのではなく

もうひとつの『プルーフ/証明』と抱き合わせ販売したというのがナメている。

演劇をなめきっている。

そしてナメキルだけの才能があることを証明した。しやがった。

このすごさがどれだけの人がわかるだろうか。

本人も総括を書いてしまったので、

なんだか後出しじゃんけんみたいなことになるが、

『プルーフ/証明』は連続時間の芝居

『心が目を覚ます瞬間 ~4.48サイコシスより~』は瞬間の芝居

その両方をやれますよーみたいな演劇を舐め切ったことをしたのである谷賢一は。

そして舐め切れることも証明した。ひどい(笑)

ちなみに、「連続時間の芝居」と「瞬間の芝居」をわかりやすく言えば、「ストーリーのある芝居」と「ない芝居」、あるいは「映画になる芝居」と「映画にならない芝居」というか「映画になるかもしれないがなったとしても人の入らない芝居」(笑)とでもいおうか。

それこそ、「連続時間の芝居」は丹念に表現することが求められる。そこに必要なのは忍耐であり、苦痛を我慢することであり、大人の目をもつことだ。一方、「瞬間の芝居」はすべての観念から自由になることが求められ、逃げ続けることが求められる。そこで必要なのは、わがままになることであり、少しの苦痛も我慢しないことであり、子供の目をもつことだ。

『プルーフ/証明』では、登場人物たちの心の交流変化、ストーリーに感動する。

『心が目を覚ます瞬間 ~4.48サイコシスより~』では、人間の想像力が自由であることに感激する。

僕は、谷さんと堀奈津美さんが服を着こんでいるところとか、風船を割るところとか、まきちらすところとか、思い出すだけでも泣けてくる。何に泣けるかというと、自由であること、そっせんして自由であること、自由には無限の可能性があること、だがその自由にさえ終りがあること、終りがあることなんて谷賢一は十分わかってる。わかってるがそれでも自由であろうという精神を体現しようとするところ、ドンキホーテであろうとするところ、泣きながら、そして笑いながら上りつめる、…いとおしい人間と言うちっぽけな魂を抱きしめようとする行為、僕は、あの瞬間に世界が終っても満足したと思う。そんな芝居であった。

谷賢一はもう演劇の世界に戻ってこなくていいよ。怖いから(笑)

『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』

『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』

DULL-COLORED POP

サンモールスタジオ(東京都)

2009/10/07 (水) ~ 2009/10/13 (火)公演終了

満足度★★★★★

祝福されたる未来の証明
ほとんどイスとテーブルぐらいしか何もない舞台で4人芝居。2時間半。音楽の使用も最小限だ(というかあったか?思い出せない)。そんなんじゃ、ふつうはもたない。空間的にも時間的にももたない。もちろん出演者が、寺島しのぶとかなら別だが、小劇場程度の人間がいくら出てもふつうはもたない。が、もたせた。そこがすごい。そして、あの世界がもった理由。それは、ひとえに、清水那保。そこにつきる。

僕は「小部屋の中のマリー」からしか谷さんの芝居を観ていない・・・あ、柏でやったロミジュリが一番最初か・・・まあダルカラを観たのは「小部屋の中のマリー」からなので、清水さんを観たのもそれからなのだが、僕は不思議な感慨をもっていた。

・・・谷さんは劇団の主演女優・清水那保をうまく使えていないんじゃないか・・・という感慨。

「小部屋の中のマリー」のマリーはハマリ役のように見えるが作りものな感じがどこかある。それはブランヴィリエ侯爵夫人も同じ。清水さんの芝居には常に作りものの感覚があった。谷賢一の要求水準(演技の要求水準ではなく物語にかかわる「存在」としての要求水準)があまりにも高いため、清水那保ががんばって背伸びをしているという感じが常にあった。

しかし、『プルーフ/証明』のキャサリン役。
今回はどんぴしゃりと過不足のないハマリ役になったと言っていい。
数式でいえば「キャサリン=清水那保」だ。

ネタバレBOX

(中略)

わからないが、谷賢一は、劇団活動を休止するギリギリにして、はじめて清水那保を100%使うことのできる演目を見つけることができたのかもしれない。nを無限大に飛ばした。これは偉大なことだ。毎回自分を100%出したり、他人を100%使えたりしているなんて思うバカは死んだほうがいい。自分が自分であることに人は迷い続ける。だが谷賢一はついに清水那保を発見した。あなたがあなたであることを示した。これはすごいことだと思う。最後のギリギリにそんな演目を間に合わせることがシャレている。谷賢一らしい。

清水那保=キャサリンという発見、その僥倖によって、ダルカラの、今後あるかないかわからない未来は輝かしいばかりに照らし出されることになった。だから僕たちは安心して谷賢一を、そして清水那保を待つことができる。今回の作品『プルーフ/証明』の成功こそが、彼らの祝福されたる未来のなによりのproof/証明なのだから。
世田谷カフカ 

世田谷カフカ 

ナイロン100℃

本多劇場(東京都)

2009/09/28 (月) ~ 2009/10/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

言うまでもなく素晴らしいが…
ケラさんはすごい。僕が言うまでもなくすごい。で、今回の「世田谷カフカ」もぎゃふんと言わされるぐらいすごい。だが、もっと違うものが見たくなったのも事実。その理由は、三宅弘城さんの好演。

ネタバレBOX

いつも思うことだがケラさんのバイタリティに感心する。
冒険をする。
お得意の手も使う。
作品としてちゃんとしている。
えらい。

作品としては
①カフカの諸著作
とくに「失踪者」「城」「審判」
のストーリーを中心としながら
②現実の世田谷区で芝居をしているナイロンの舞台裏
そして
③カフカ自身の人生
これらが交差してストーリーが紡がれていく。

もちろん面白い。
さすがケラさんだと思わずにいられない。
舞台の使い方も素敵だ。
珍しく学生演劇っぽい乗りも悪くない。
横町さん素敵。
ダンス素敵。
カフカ役の中村靖日さんハマリ役。

だが、たくさんのストーリーを同時並行的に配置し紡いでいくというスタイルが生み出すことなのだが、常に観客はメタの視点を持つことを要請され、したがって、なにかに入り込むことができない。

これはケラさん自身の狙いでもある。

「意外性に富んだ筋運びに夢中になるうち、いつの間にか登場人物に感情移入して、一緒に泣いたり笑ったり怒ったりする。そんな楽しみ方が演劇鑑賞のスタンダードになっているのだとしたら、今回の公演を観て、面食らい、戸惑う人も少なくないかもしれない。」

だが、僕は入り込みたいと思ってしまった。

それは、ひとえに三宅弘城さんの演じる「失踪者」の主人公カール・ロスマンが素敵で、ほかの筋の主人公をはるかに上回るパワーを発揮していたからであると思う。

たくさんのストーリーを同時並行的にコラージュして配置し、そこから浮かび上がる「カフカ」なるものを食すというのが狙いの演目なのだろうが、ハカラズモ独り目立ちをしてしまっている三宅弘城さんのおかげで、「カフカ」なるものよりも、「カフカ」が作品「失踪者」において何を描いたか、のほうに興味を抱いてしまったのだ。

そうなると、僕は「世田谷カフカ」よりも、三宅弘城さんを主演に据えた「失踪者」を観たい。ケラさんがあれをどうするかを観たい。

「失踪者」の舞台化といえば、松本修さんの「アメリカ」があり、これはとても刺激的で素晴らしい作品だった。そしてケラさんの「世田谷カフカ」にも、松本修さんの「アメリカ」に影響を受けたようなシーンがいくつか散見された。

では、松本修さんと真っ向から戦ったらどうかと思うのだ。
ケラさんの演出し、三宅さんが主演する「失踪者」がみたい。
それが「世田谷カフカ」をみた僕の感想だった。
魂℃OUT~ソウルドアウト~

魂℃OUT~ソウルドアウト~

劇団ナグラチーム

池袋GEKIBA(東京都)

2009/05/14 (木) ~ 2009/05/18 (月)公演終了

満足度★★★★

参加型エンターテイメント
・構想はすばらしい。

・しかし各所で構想がすべっている。

・それを指摘することができる参加型エンターテイメントと考えれば、これほど面白いものはない。

・その代り、この参加型エンターテイメントに参加した人は、今後とも木田友和を追跡し時に褒め時にダメ出しをし育てる義務を負う。

・それをちゃんとやった人には20年後偉くなった木田君から何らかの配当を受けることができる。

・しかし、その配当は「スマイル0円」の可能性が高い。

ネタバレBOX

ネタばれボックスを開けさせといてなんですが、ネタばれはありません。
でも、ネタばれボックスあけるとき、グリコのおまけを見る時のような楽しみあるよね。僕はたまに無性にネタばれボックス開けたくなります。

それはそうと、本公演ですが、非常におしい公演です。
おいしい公演じゃなくておしい公演。
いや、おいしい公演であるのかもしれない。
詳細はブログに書きました。
トラックバックのところにある
「山崎努さんならそう言う。」というエントリーがそうです。

だから、見に行ってください。
僕の言っている意味が分かります。
いいんです。
素晴らしい心意気です。
かなり面白いことをやろうとしている。
しかしそれが滑っている。

見に行って
心離れそうになっても
頑張って汲み取ろうとしてみてください。
「ああ、なるほどそうか」
思うところがなからずあります。
これ、ひょっとして化けるぞ的な。

だから
ぜったい行け。

行ってみて。

お願いだから。

よくわからないこと言ってますが、
逆に、この僕の感想が、彼らの芝居の客足の足を引っ張らないことを祈ります。

でも、ほんとうに見に行ったほうがいいです。
ムサシ

ムサシ

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2009/03/04 (水) ~ 2009/04/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

創作する者の使命
蜷川幸雄、井上ひさしの覚悟と創作家が背負っている使命をひしひしと感じた3時間半であった。

ネタバレBOX

シンプルイズベストはお能の世界。

劇構造もお能の型を踏襲したものでした。

なのでラストの幽霊落ちは予想の範囲。

演出もセリフも明らかに夢幻能を志向しており、
最初の廃寺を再建して・・・といいうようなあたりから、
夢幻能の形式を前提にすれば、
この幽霊落ちという展開は、物語の冒頭から十分予測されていた。

そして予測可能であることは全く傷ではない。

予測可能な範囲にありながら、
見事な現代的解釈を施されているからである。

とは言うものの、
もしも「がっかり」する余地があると言うならば、
幽霊のあの説得如きで、
武蔵と小次郎が決闘をやめてしまったこと、である。

今回の「ムサシ」ものすごいチャレンジをしている。

それは能という古典の形式を取り、
宮本武蔵という古き実話に材を取りながら、
911以降の中心的課題の一つである
「復讐の連鎖をいかに断ち切るか」
という現代的問題をみごとに取り扱っているということだ。

だから、
あのような幽霊の説得で、決闘をやめると言うのは、
このせっかくのチャレンジを、
子供だましというか、おとぎ話にしてしまっている。

そのようなことで
「復讐の連鎖が断ち切れない」
ことは誰でも知っているからだ。

その点を非常に残念には思った。

が、
役者のレベルの高さ、演出の素敵加減、脚本の妙。

これは、うなるに値する。

日本最高峰の演劇がそこにある。

しかし、だからこそもったいないのだ。

あそこで、決闘を辞めさせることが真にできるならば、
この作品は政治的な、そして哲学的な意味においても最高傑作となっていただろう。

エンターテイメントという装いをとりながら、
恐るべき破壊力を持った作品になったはずだ。

結局、
おそらく、井上ひさしさんにも、
まだ「復讐の連鎖を断ち切るための方法」について、
明確な回答がないのだろう。
だから、あのラスト、
能の形式としてはまっとうであるものの、
現代人の胸に刺さらなかった。
ということなのではないかと思う。

芝居後、金子監督とともに楽屋を訪れた。

そこで出演者の方たちなどから、
脚本が完成したのが、初日本番の3時間前だったとの話を聞いた。
通しを一回もできずに幕が開いたことが奇蹟だと言われていた。

本番の3時間前。

その時までの井上ひさしさんの闘いを思う。

世界と戦う。

今という時代と戦う。

人間と戦う。

その瞬間は世界のだれよりも人類のことを考えていた。

ボロボロになりながら、最後の一瞬まで戦う。

できれば、もう一週間ほしい。

いや一日でもいい。

しかし、

あと3時間後には幕が開く・・・

井上ひさしさんは決断をしたのだと思う。

幕を開けることを。



「復讐の連鎖を断ち切るための方法」

そんな難しい問題をいますぐに答えられるわけがない。

だが答えねばならない。

その答えを探す葛藤は幕を開けた今も終わってはいない。

だから井上さんはまた本を書かねばならない。

すべてに決着をつけるまで。

その答えが見つかったときに、
「ムサシ」は本当の意味で完成するのかもしれない。

そして、その答えを見つけるのは僕でもいいのだ。

それを知ったとき、ちょっとむふふと思った。

やる気が出た。

僕ら脚本家にはまだするべき仕事が残っているのだ。

http://alotf.cocolog-nifty.com/nikki/2009/04/post-19a2.html
パイパー

パイパー

NODA・MAP

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2009/01/04 (日) ~ 2009/02/28 (土)公演終了

満足度★★★★★

帰ってきた野田秀樹
シスカンパニーを離れてのNODA・MAP第一回目の本公演。
そこに現れたのは野田さんが本当にやりたかった今の演劇。
その姿は、始まりの頃の野田秀樹に似て
それでいて、いままでの歴史をすべて包摂する。
ぜひ目撃されんことを。

愛と青春の宝塚~恋よりも生命よりも~

愛と青春の宝塚~恋よりも生命よりも~

フジテレビジョン

新宿コマ劇場(東京都)

2008/12/02 (火) ~ 2008/12/22 (月)公演終了

満足度★★★★★

死ぬほど舞台が好きで、ほんとうにそこに命をかけた人たちの話です。ぜひ観て欲しい。
ぶっちゃけ舐めてました。

TVドラマの舞台化、そして宝塚・・・

誘われなければ行かないでしょう。

で、観た結果・・・

すごく良かった(T_T)

王道を舐めてはいかんね。

何度も泣くのを我慢したが最後には決壊してしまった。

いろいろ品があるわけですよ。

こういう舞台を僕が作れるとは思わないけど

わかりやすく、しかし苛々せず

長いけど、長さを感じさせず

抑えるところをきっちり抑え

エンターテイメントとして観客を満足させる。

その見本のような芝居がここにあります。

東京は今日が最後ですが

地方公演はこれからまだまだあります。

しかし、コマ劇場って宝塚歌劇の生みの親の小林一三さんが作られたんですね。

そのコマ劇場最後の公演がこの「愛と青春の宝塚~恋よりも生命よりも~」であることはほんとうに素敵なことです。死ぬほど舞台が好きで、ほんとうにそこに命をかけた人たちの話です。ぜひ観て欲しい。

ネタバレBOX

湖月わたるさん演じるトップスター・リュータンがかっこよくも可愛くて素敵です。

石井一孝さん演じる演出家影山の歌が素敵です。

大鳥れいさん演じる娘役トップのトモの美しく狂った感じが素敵です。うちの劇団の安川結花にはこの役をやらせたいなあ(笑)。
あれから

あれから

キューブ

世田谷パブリックシアター(東京都)

2008/12/13 (土) ~ 2008/12/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

観るべき☆
爆笑が起こりまくるわけだけど、同時に、激しく泣きたくなる気持ちもあふれてきます。ケラさん、やっぱすごいなあと思わされました。観に行ってない人はぜひ行くべきです。

ネタバレBOX

とくに僕がキュンキュンしたのは、主筋ではないのですが、赤堀雅秋さん演じる弟と渡辺いっけいさん演じる兄とのシーンです。赤堀さん素敵過ぎる。「立川ドライブ」はありきたりな話で「は?何ゆえこんなので評価されてるの?」と思った僕ですが、役者としての赤堀さんはかなり好きかも。いや赤堀さんというよりも、ピピという人物が僕が好きな人物なのかもしれないけど、赤堀さんがそれをうまく演じていた。「馬鹿」がマイブームになりそうなぐらい。
苛々する大人の絵本

苛々する大人の絵本

庭劇団ペニノ

はこぶね(劇団アトリエ)(東京都)

2008/04/11 (金) ~ 2008/04/26 (土)公演終了

満足度★★★★★

一本の曲線を生み出す母体としての「場」
タニノさんは、「はこぶね」というアトリエに、ある等高線図のようなうじゃうじゃした磁「場」だけを作り上げており、毎日の「初期値」は、その日の偶然で、ポトリと置かれるものなんじゃないかと想像されるほどのもの、いや実際そうなのかもしれない。もしそうでないとしても、そういう可能性を残してある演劇・・・つまりペニノの表現するものは、物語という「一本の曲線」ではなく、その「一本の曲線」を無数に生み出す母体となる「場」、その「場」のあり方なのである。

顔よ

顔よ

ポツドール

本多劇場(東京都)

2008/04/04 (金) ~ 2008/04/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

こうきたか。
所詮人間は顔だ。
なんてことで1本作品を作ってしまうのがスゴイ。

ネタバレBOX

最後の夢落ちについてはありがちっちゃありがちだけど、まあ、ありっちゃありかな。
春琴(しゅんきん)

春琴(しゅんきん)

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2008/02/21 (木) ~ 2008/03/05 (水)公演終了

満足度★★★★★

「陰翳礼讃」は必読
「エレファント・バニッシュ」の光、「春琴」の陰。世田谷パブリックシアターの闇の中に、見てはいけないもの、本来あるはずの無い愛、永遠の白い肌をみる。「陰翳礼讃」を読んだうえで観劇することをお勧めします。

リア王

リア王

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2008/01/19 (土) ~ 2008/02/05 (火)公演終了

満足度★★★★★

リア王とは彼のことだ。
平幹二郎さんは国宝級の美しさを持っている。

というか

彼の存在は、「富士山」とか「摩周湖」とか「グランドキャニオン」とか、そういう自然の美的造形に匹敵する。

74年の歳月をかけて刻み付けられた、そして彼でしかなしえない演劇的時間、その積み重ね、その皺、その声、その空間支配力、美しき涙・・・。もうそれ自体が息を呑むような「美」である。

そしてその「美」を表現するにふさわしいお題目、それが「リア王」だ。

野鴨

野鴨

メジャーリーグ

THEATRE1010(東京都)

2007/11/01 (木) ~ 2007/11/30 (金)公演終了

満足度★★★★★

魂の森
庭師タニノクロウの面目躍如。ふさわしい物語、ふさわしいキャストを得た「庭」は人間の悲劇を優しく見守る神々しき森となった。

散歩する侵略者(再演)

散歩する侵略者(再演)

イキウメ

青山円形劇場(東京都)

2007/09/12 (水) ~ 2007/09/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

フィクションがリアルを越えた夜
ある人がいる。

たとえば、そいつが告白する。

「おれ宇宙人なんだ」

そんな言葉がリアリティを持つはずがない。

だが、この芝居はその言葉に背筋の寒くなるような、そして、胸のキュッと切なくなるようなリアリティをもたせた。

アメノクニ/ヤマトブミ~Children Of The Sun~あまてらすうみのこたち

アメノクニ/ヤマトブミ~Children Of The Sun~あまてらすうみのこたち

innerchild

吉祥寺シアター(東京都)

2007/08/31 (金) ~ 2007/09/09 (日)公演終了

満足度★★★

「アニメ的、ゲーム的」
役者がいい。話しはかなりベタ。

ドラクル GOD FEARING DRACUL

ドラクル GOD FEARING DRACUL

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2007/09/01 (土) ~ 2007/09/26 (水)公演終了

満足度★★★

うーむ・・・
すばらしい舞台美術。照明。生演奏。役者。面白い設定。しかし何かが足りない。

エレンディラ

エレンディラ

ホリプロ

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2007/08/09 (木) ~ 2007/09/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

死にいたるまでホトばしる情熱の恋の物語
死にいたるまでホトばしる情熱の恋の物語。
惜しげもなく披露される恋する裸体。
苦しみも悲しみも恋もすべてを包み込む南国の風。
恋に胸打たれ号泣してしまいました。

THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

シアタートラム(東京都)

2007/06/22 (金) ~ 2007/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

私小説的な、あるいは批評的な
これはぶっちゃけレイプだ。

僕が・・・すなわち日本的な文化受容体が、独自の世界を言語的な差異で守ろうと言うのに、英国の役者たちは、その豊かな表現で、むりやりに僕らに意味を、物語を、肉体を、その体臭を伝えてくる。

それは客観視され、他人にどのように自分が映るかを知り尽くした計算高い表現だということで、それはそのまま演技を、私小説的なものと真逆にある批評的なものへと昇華する。男が女を演じ、女が男を演じると言うのも、批評的である。(それでは歌舞伎や宝塚が批評的なのかということは、ここでは置いておくとして)
日本版がリアル・・・私小説的・・・女が女を、男が男を演じ・・・肉体的表現が抑制されている・・・抑制されても意味を汲み取れる・・・その分、映像的な処理や理解できる日本語でたすけられてもいるから・・・僕らは日本人だから・・・ということと比較して、英国版は戯画化され、構造化され、客観化され、男女の表現は入れ替わり誇張され無理やり意味を観客の口に押し込める・・・レイプする。それは黒船だ。

しかし、日本人は・・・というか僕は、その客観化された物語を拒絶する。僕は日本人が好きだ。私小説が好きだ。客観性の無いblogの恥ずかしい日記が好きだ。という、なんとも肉体的なところに観客がもどっていかざるをえないというか、はっきり言って、僕は日本バージョンのほうが好きだし心に刺さる。というのは、単純に、世界的な事件で、英国人が死ぬより、日本人が死んだほうが、悲しいと言う、肉体的な親近感に通じる話だろうが、日本人は日本人だから・・・だから日本人なのだ。

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