ぱち太の観てきた!クチコミ一覧

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COUNT10 〜十離詩・夢十夜〜

COUNT10 〜十離詩・夢十夜〜

街の星座

王子スタジオ1(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

薛濤という人の人生と詩作をいくつかネットで調べて見て、『おそらくこうだろう』的な流れのイメージはあった。

舞台を観ていて、実際、構造としては上記に近いフォームというか形態のようだったのだけど、ただ観ていてどこかでそこだけではくくりきれないというか、溢れ出す何か、というのか、何かに似ているというか、引っかかる感じがしていたのだけれども…それが何だろうか?と、舞台に出てきた小道具とか、流れだとかをいろいろとを思い返して…それが何か?喉につっかえて思い出せないが、ただそれを思いついたら、きっとそのイメージに全て持っていかれそうな、それは何なのか?むしろ思い出さないほうが良いのではないかなどと思いながらぼんやりと歩いていた。

…いつもは電車でまっすぐ帰るのだけど、明日は休みだしバスに乗ったりして少し長めにゆったりと行こうと、街ゆくあしたは土曜日休みだし華金な雰囲気のほころんだ人々の顔を眺めながら、気付いた。気付いてしまった。それで文字通り全てが予想通り持っていかれてしまった(苦笑)…ただ、それをここで書くとみる前の人たちに先入観を植え付けるかもしれないので、ネタバレに書きます。ネタバレと言って良いほどのものかは知らないけれど…

ネタバレBOX

十の転落の人生。詩作。繁栄のただ中の長安で。これは何かに似ている。何だろう?と思ったら、思い出してきた。

2018年、まだコロナもなく、アベノミクスの勢いもあった、ウクライナの戦争もなかった平和な時代、まだ十代のビリー・アイリッシュを幕張の100人くらいしかいないステージで観た感じというのか、そのリリックを見ても不穏で不遜、そして真っ逆さまに奈落に落ちそうな不穏で不安な不思議なステージ…今考えるならそこには能天気な時代が目の前で一瞬で闇になり、不穏と不安が支配し始める不安定な時代の始まりを確実に予言していた。今みたいな派手なステージとかじゃなく、当時は必要最低限のセットだった。

そんなビリー(・アイリッシュ)…薛濤は長安のビリーだったんだ。若い女性たちにパワーワードを与えて申し訳ない(苦笑)。

繁栄のただ中で転落し、じきに戦乱の萌芽を感じつつ、金満の宴で詩を詠む。金持ちの玩具なのだから、指先一つでどこの気持ち悪いオッサンのところに飛ばされるか分からないが、とりあえず自分が気に入らなければ破滅しようが時の権力者に唾を吐きかける不遜さはあった(という伝説)。そういえば長安は当時の唐の西部に位置し、現代のアメリカで言うならL・Aのような場所だ。

今まで長安というと、自分のイメージとしては最先端の仏教を西域から輸入する最前線宗教都市兼権威@唐代というイメージだった。でも、こういう作品を観ると、今まで渋谷だと思っていた長安は実はL・Aだったんじやないかという気がしてきた。

僕はオッサンやオタクの欲望を具現化したようなアニメ声の女優より、世の中は全員敵みたいな不遜で不敵な女優のほうがはるかにエネルギーがあって素晴らしいと思うタイプなので(アニメ声も苦手ではないです、オッサンなので(苦笑))、素直に素晴らしく感傷的な詩作(裏に悲しみや反骨心を感じる)を使いつつ、素晴らしい詩人の人生を語り、また実人生ではアル中を憎みつつ自分もアル中ロードに片足を突っ込みかけて藻掻く等身大(自分はアルコールを飲まないが(苦笑))のヒップホップ的な物語(実話ではないと思うが)を語る、優しさや癒しの要素のあまりない気がする一人芝居を素直に素晴らしいと思った。

そういえば俳優の女性の髪型もなんか当時のビリーに似ている。当時は目の前の少女が、一瞬でブルーノ・マーズと肩を並べるビッグネームになるとは想像もできなかった。

でも、薛濤って人、考えれば考えるほど、ビリーだよ。日本でこんな感じの女性作家がいる?いやなんか、たぶん普通に文章で読むだけなら全くそんな頭に残らなかった。目の前でビリーっぽい髪型の女優が髪振り乱してアル中と薛濤の酔っ払ったんか知らんが当時めっちゃ権力あった男に酒宴でモノ投げつけた(事実なら酒宴は凍りついたろう)伝説を繰り返し語る一人芝居見てなんか、今の自分たちの等身大のストーリーなんだと、ようやく気付いた。帰り道だけど。

なんか夢十夜あんまり書けなくてすみません。
もびいる

もびいる

COMPANY<らなうぇい>

王子小劇場(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観ていてすぐに気付いた。

これは、いわゆるジャンプ方式だ。正確に言えばジャンプだけでもないんだろうけど、いま最も勢いがあって影響力があるように見えるから、あえて自分はジャンプ方式とも勝手に呼んでいる。

それは安部公房とかの不条理とかと似ているようで物語の構造が明らかに違う。

以下、ネタバレへ(汗

ネタバレBOX

最近、こりっちに感想を書き足してるうちに他の人から感想の感想を受けてテンションが下がって書く気持ちが落ちがちなので、何か言われる前に書く!(苦笑

勢いで。これも一種のジャンプ方式とも言えそうな気もする。現実世界で勢いで突っ走ろうとして大破する人間たちを(仕事場で)大勢見てきたが、これは劇作の感想だから良いだろう…しかし大破しないように(汗

(自分が勝手にそう呼んでいる)ジャンプ方式とは何か?それは恋愛の薄いテラスハウス方式とも言う。

そこでは物語は結果的に生み出される副産物。

物語が(勝手に)盛り上がるのに重要なこと、それは特徴的な登場人物たちの誰と誰がどう出会うかだ。推しの子なんかでは主人公が意識して(職業恋愛として)テラスハウス的な番組で行っていたし、多くの女性が認知機能の低下した少年漫画しか読まない男子に物理的に物を投げるなどして(傷害罪になる可能性を若さの勢いで蹴散らしながら)意図して引き起こそうとする現象の一つがそれである。現実世界ではスクールカースト的にも全く遭遇しそうにもない、百光年先のグレイと、四畳半列島のペンペン草の生えた万年床の住人が接近遭遇するようなカオティックな状況が、必然的に起きたと錯覚させる設定(ストーリーテリングの技巧により観客の脳に不自然さを感じさせないよう働きかけること)が必要。

しかし、今回の劇の舞台は、おそらくジャンプほどはファンタジー色のない近未来(たぶん)。そこにはバチカンからの使者もいなければ、到底現実とは思えない子供じみた空想を神業的な技巧で具現化するアシスタントもいない。己の技で表現するのみだし、そもそも上の階のコンビニで買ったコーヒーを飲んでるような観客に、二時間(テンションのピークに到達して物語を小一時間進めるのだとしたら、30分でマッハのテンションに到達する必要がある、そんなんピエール・バルーにも無理だろうたぶん観たときないけど♪)でいきなり凄いテンションの芝居を見せつけても、観客たちを百光年彼方に放置しグレイ化させるのは間違いない。劇団10年くらいやって固定客以外いないのならともかく…それはそれで寂しいかもしれないがッ。

じゃあ、どうなるのか、というと、盛り上がらない。

そもそも今回の設定は、どうやら赤の他人が真の七人兄弟をめざすという、黒澤明が七人の侍で二時間で成し遂げられなかった偉業(兄弟愛≧助っ人(世間の漠然としたイメージ…何となく))を、生の俳優が観客たちが凝視する目の前でリアルに披露するという無理ゲーだった。舞台のなかで戯曲が完全に完成してここにのっていればだが。ただ、実際に兄弟姉妹がいる人ならわかるが、兄弟姉妹はそこまで信じ合っていない。いないよりは運命共同体的な雰囲気の中で多少外敵に対抗できる味方となる可能性があるというだけで、実際には遠くの兄弟より中学高校の同級生とかのほうがはるかに信頼出来るし信じられる。悲しい話だが(苦笑

そんなのは可能なのか、しかも物語もそれほど盛り上がる気配もない、あと私のような自他ともに認めるオッサンの目からすらと、なんかみんなやたらとオシャレだし…カッコ悪く走り回る汗っかきのボランチ(カッコ悪くなくてもいいが)的な俳優なしで物語進むの?これ、(みんな気づいてると思うが、演劇もサッカーと同じでみんなストライカー(おしゃれでクール)だと物語は進まない。ボランチがいないと)。と思ってたら、どうやら劇作家の投影らしき作家の卵らしき俳優の男が汗をかき始めた。なぜ投影だと思ったかというと、この俳優、とても作家には見えない男前だし、なんか女子にもモテてるけど全く気にしてないからだ。こんな作家はいないだろう…たぶん!(THE先入観)

果たして物語は進むのか…?作家の投影は足掻く。ジャンプ作家がインタビューとかで、登場人物を配置したら物語勝手に走り出したんですよ、とか書いててそれを真に受けてテラスハウスやったら何も進まなかった、こんなん約束(誰も約束したないが)と違うぞ、と言わんばかりに。

その後も作家の投影?の焦りとは逆に、七人兄弟を目指す寄せ集めの男女の汗と涙は特になかった。そしてやがて、特徴的な登場人物たちが出会って兄弟を目指せば絶対に自分が考えつかないような物語が次々と生まれると思っていた、どうやらその七人兄弟式テラスハウスの出資者らしき男の焦りは頂点に達し、いつしか失業していて、その集まった男女に支払われるはずの謝礼の雲行きも怪しくなるのであった。

ひょっとしたらこういった物語に似た物語は過去に存在していたのかもしれないが、この舞台のようにこの物語で登場人物たちが舞台のうえにポチポチ出てくる登場の仕方と、テラスハウス的な目線というか…そういう役者の動きが共存しているのはあまり記憶になく、物語がどうというよりかは、発展させる余地が大きい演出手法のような気がして新しい気がした。
ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

あまい洋々

王子小劇場(東京都)

2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/03/13 (木) 19:00

こういうのって難しい。物語の評価と同時代性や切迫感という観点をどう評価するかだ。

自分の周りでも事件かどうかの話が多かった。当然だと思う。あまりにそんな事件が多すぎる。周りの人たちが騒がないのを不審に思うのは当然だと思う。悲しい話だが、一般の人たちにとっては、故人の心情やプライベート(法律的に故人にプライベートはない)なストーリーより、女子高生を殺した殺人犯が権力を使って警察の捜査を止めて野放しになっているかも知れない、という不安のほうがはるかに強いと思うので、騒いで警察に捜査を促すのは必然だと思う。警察も人員不足で証拠がないとなかなか捜査をしてもらえないからだ。

自分の周りでも実際、似たような事件があり、いろいろと考えながら見ていた。ちなみに会社内の身近なひとか1年ほど前に不審死して、警察が上司たちを捜査していたことがある。死因が分からないと不審死になる。現在でも毒殺だと死んだばかりで検死しても死因がはっきりしないことがある。今でも殺されたんじゃないかとの噂が絶えない。8年前ならなおさらだ。こうした事件は全く人ごとではない。

こういう事件性と劇作とを分けて考えるべきなのかは何とも言えないけれど、人間の生命がゴミのように扱われて消費されている時代においては、よくある話のようだが極めて同時代的な物語(最近は邪魔な人間がいると憎悪がなくても簡単に殺す人が多い)とも言え、そういう意味では演劇的だと思う。

学校教育では、社会に蔓延する暴力や無知について教えてくれない。YouTubeも官公庁のホームページも教えてくれない。

実は教えてくれるのは演劇くらいである。演劇経験者が社会の底辺にいることが多いからとも言える。それは悪いことではない。たいていの組織を支配すら人たちは暴力的である。トップの公人級だけが法律と弁護士たちに監視されているが、その直下の人たちはバイキングと変わらない、そんな組織が多い気がする。自由人たちは野蛮なバイキングの支配を逃れて食べていければ、奴隷同然の生活を送る一般的なサラリーマンよりマトモな人が圧倒的に多い気がする。昔の演劇人たちを河原の人たちのように言ったことがあったが、河原からみてみないと社会の病巣に気づかないことがある。あるいは実感しない。

実際自分も以前会社内で殺されかけて(実話)警察署に行ったが、捜査しようとしたところで、噂では副社長(教育長との噂もある)から『そいつは頭がおかしいから捜査するな!』という滅茶苦茶な理由の指示が署長に出てストップしたという…そして警察の人たちは逆になんで捜査が中止になるんだ、上からの指示らしいがどうなってんだ!と目の前でブチ切れていた。しかし結局はわざわざそんな連絡をしたおかげでヤバい副社長だと自分で証明した。(警察の人たちには次は110番しろと言われた)。でもそれも結局誰かが騒いだから問題になったので、騒がなければ問題にならない。騒いだからとんでもない会社があると全国の警察に知れた。マスコミより警察の情報網に載せるのが次の犯罪を防ぐのには有効である。

その副社長も任期満了で今月で解任される。教育長はその前に外された。…当然だが…でも、そういうのは割と普通らしい、一部の町ではだが。ちなみに副社長はとても良い人だが、詐欺師に騙されやすい。殺そうとした人が、私はあいつに脅迫された、と言われたらすぐ信じてしまう。脅迫した人がなんで警察に行くのかは分からないが、嘘でも信じてしまう、らしい。今まで自分の街の自分より強い人には遭遇したが、他の町から来た自分より強い人には遭遇した経験がないのだろう。そういうのが多い。詐欺師は自分では警察署を騙さず、権力者を騙して警察署を止める。そんな街ではいくら街が綺麗でも薄気味悪い犯罪が多い気がする。

とりま、世の中は危険がいっぱいなのに、子どもたちにはその知識が少なすぎる。かといって今みたいな僕の特殊な経験だと、なかなか実感がわかないから自分のパターンに落とし込めない(自分も当時いろんな人たちから話を聞いて冷静に対応した)し、結局はあり得そうなラインを見極めてストーリー化するしかない。教えるために。それは教育的な観点ではなく、世間の勝手な物語に騙されないようにと言う意味で。猫の視点にして話を客観的に落とし込むとかの手法に着目した夏目漱石はいま考えても本当に凄いと今でも思うよ。他人の物語も身近に可愛く語れるのだから。テレビは大金持ちの息子がパンピーのふりをして楽に生活しているイメージしか流さないから、危険なんて最初から存在しないような錯覚に陥るが、そのような既得権益で護られていない層にとっては社会をサバイブするのは無人島で生きるより過酷である。

ネタバレで世間話から離れて作品の分析を試みてみたいので、続く予定で

若手演出家コンクール2024 最終審査

若手演出家コンクール2024 最終審査

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2025/02/25 (火) ~ 2025/03/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/02/25 (火) 19:00

一作目初日観てきました。

これから毎回書きます、が、初っ端から何も考えずに観て、難しいものから観てしまったと言う感想が第一。でも、これは選べない。自分の空いてるスケジュールに入れたらこうなった。

いつも思うのだけど、こういったコンクールは審査する方も、観ながら個人で自分の中で順位付ける方も順番が重要。

サッカーの試合で言えば序盤で、まだ自分のなかでの若手とか演出について今年の道筋を考えている段階で、もう答えを出せと言わんばかりの作品だった気がする。それが申大樹氏。とにかく物量勝負。ただ、演出目線で言うならだいぶリスキー。何と言っても原作が小川未明。早稲田露文というだけで、親近感が凄い。おまけに戦前の先進的なインテリ特有で、社会主義に感化されて児童教育にひかれ、その後身近の社会主義者の惨殺などでビックリして急速な国粋主義者になったりなど、見る人の視点によって戦争を体験したうえでにじみ出る純粋な反戦ファンタジーなのか、それとも時代の変遷を経たうえで児童文学の権威としての勢いを保つための小芝居で見せかけで作り物の反戦フェイスなのか、すべての作品で感じが分かれる。厳しいようだけど。コンクールでこの選定は逆に難しい。自分的に小川未明の再評価は90〜ゼロ年代。平和で牧歌的な時代。だからこそこの甘い反戦物語が新鮮に見えたのかもしれない。ただ今は嘘と欺瞞と小芝居の時代。甘いオーラを出していたら例え役所からでも安心してると買収されて町中から嘘つき呼ばわりされて町を追い出される厳しい時代(目撃した)。誰も信用出来ない。今は残念ながら甘い物語に酔ってる余裕はない。ハッキリ言って友達以外は全員嘘つきなのが普通(ヤバいまちに言ってるって言うようなもんだけど)。貧しい街ではそんなのが普通。豊かな街でも他の町から来た貧しい者が買収されて嘘つきになる。そもそも豊かな街では一番学歴の低いのが役所だったりするから、誰もそんなに信用してない。(ただ個人的な体感だと、多摩とか立川とかではそんなんないかも)小川未明の再評価され始めていたゼロ年代ならまだ世の中も多少は良かった。というわけで甘すぎるのは少し厳しい。現代は学術的な組織分析と、それを悪用する道化師たちとのいたちごっこが常に続いている。役所が率先してそんなことをする。たぶん動機は政治的。くだらない与太話は心を無にしてスルーするのが安全対策。

貧しい街では全員嘘つきだが、豊かな街では昔からの住民は嘘をつかないが、他の町から来た貧乏な人が役所に買収されて嘘をついて追い出される。信じられないが本当。豊かな街で一番学歴の低いのは公務員だから、豊かな街の豊かな人たちは公務員でも信じない。自分たちよりバカだから。今の時代の人たちに、国に言われて素直に死ぬ気持ちが理解できるのだろうか?今なら普通に裁判やデモしてるよなーと思う。そういう意味では作品全体に懐かしい明治大正な感じがあり、どうしてもレトロになってしまう。これは同時代感が少なめなのでリスク。

おまけに原作者は戦時中国粋主義者で時代を生き延びた。夢見がちで早死にするより、小芝居で生き延びた原作者の人生のほうが学ぶところは多い。残念ながら。でも作品としては素晴らしい。地方自治体から補助金を貰って、甘い夢を提示しながらこっそり原作者の人生に興味を持つきっかけを与えつつ、かつ人々に人生の潤いとは、意味とは、と深く考えさせるきっかけを与えると言う意味なら、これが劇団を生き延びさせる演出家としての答え。そういう意味では深いテーマでもある。物語は甘い一時の夢を見せる手段で、肝心なのは原作者の人生として、それを審査員に納得させることができれば優勝。ここほど批評的な口先が評価されるポイントはない。非情な話だけど、演出家の最大の仕事は政治的に無色を示して甘い夢を提示し、お上から補助金をいただいた上で役者に演技の自由度を保障するところが大きい。完全に作品を分析したうえで敢えて表現しない決断も重要。しかし人生は短い。そんなことしてたら何も表現できないまま人生は終わってしまう。難しい。

審査員たちも思い入れが大きいはず。もちろん自分も。東大と違って早稲田の露文は特に変わり者しかいないだけに、他の町から来て評価されるのかかなり難関。個人的な感想。すみません。




ちなみに最終日の批評は観ていません。すみません。どうしても時間がなくて(汗

結論から言うと、四作品すべてバラバラだった。こういうのは難しい。特に受賞作はスキルフルで、批評しやすい作品だった。これは難しい。批評家の出番の出やすい作品は評価されやすい。そして東京2作品が対称的で、インテリな感じのメルトと、少しレトロだけど物量と役者の歌などで推す申大樹氏の2作品が対称的。それだけでも東京の演劇の繁栄が見れる。こういう作品の幅は地方では少し難しい気もする。ただ、このコンクール自体気のせいか突出して勢いがなければ首都圏以外が評価されやすい気もしていたので、不利な要素もあった。

両方ともある程度形が出来ていて、今後形を変えるのか、変える必要もあるのか不明な気もするので、審査員の腕の見せどころが少ない気もする。それも不利。

第10回東京学生演劇祭

第10回東京学生演劇祭

東京学生演劇祭実行委員会

王子小劇場(東京都)

2025/02/20 (木) ~ 2025/02/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

Aブロック観ました。

毎年どれかは見てます。

はねるつみき、あらすじとは裏腹に割と深刻な話だった。ただ、舞台上では笑いの要素が強すぎて、台本を読んでみないと分からないかも。

明日まで台本公開中だった。

いそいで読んでみてほしいです。あらすじだけだと世の中の深刻な病を表現したっぽいのが、全く分からないかも。

以降ネタバレで。

ネタバレBOX

感受性の強い人が障碍者で搾取され騙され、健常者のほうが変態で頭おかしいっぽい、と言うメインらしき登場人物ふたりの設定は、実感として非常によくわかる。

例えば知り合いのおばさんがどこかの役所に、障碍者を職員皆でいじめて隠ぺいしている、あなた方は区民の恥だ、と投書したが、調査もしないで破いて捨てて皆で笑っていた(←知り合いの地元の議員の人から聞いた)

市民の人たちは調査もしないで投書を捨てて隠ぺいだろと言って騒いでいたが、役所のほうは、私たちはなにも隠さないと言っていたらしい…。

公務員ですらこんなに欠損して頭おかしいのだから、世の中の荒みようたるや、計り知れない。

健常者のほうが欠損している、と言うのは、リアルにそうだと毎日実感する。嘘ついてナンボというか…役所が捜査されてんのに障碍者が捜査されてるとか言ったりして、わけ分からないのもあったよ…。障碍者なら何しても良いと思ってるみたいだよ。

障碍者が活躍できるようにとか言うとひいきみたく言われるけど、実際障碍者だったら弱いからなんでもやりたい放題とか考えるのは公務員ですらたくさんいるから、この物語を見てると本当に怖くなる。

障碍者にとっては基本役所の公務員ですら全く信用できない、と言うか本当に地元の議員くらいしか頼る人が居ないというのが非情な現実なので、この物語のように結果良い人だっただけで変態に障碍者であることを言うのは、かなり危険、なのだけど、この物語の凄いところは、そのあたりの少し眠気を誘いまくる(実際意識を失いかけた)あとで急になんかぶっ飛んだ幽霊が出現するところにある。

もしここで幽霊が出なかったらなんか…なんとか党とかなんとか党とかかな、とか思いそう。自分は記憶力だけはめちゃくちゃ良いので、北朝鮮に拉致されたらこの物語のチャイナさんならたぶん無傷だろうけど、自分は薬漬けにされて馬鹿にされて帰ってきそう…(苦笑

続く

楽屋 ~流れ去るものはやがてなつかしき〜

楽屋 ~流れ去るものはやがてなつかしき〜

ルサンチカ

アトリエ春風舎(東京都)

2025/02/15 (土) ~ 2025/02/24 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/02/19 (水) 19:30

最初、なぜ『楽屋』をやるのかよくわからなかった。

だけど実際に舞台を観てみたら非常によくわかった。わりとメジャーな脚本と言う印象だけど、個性と歴史観と女優の魅力が非常によく出る舞台だった。

ちなみに、いつも思うのだけど、近代演劇とは果たしてモダニズムなのだろうか?とれともプリミティブなのか?

…それは日本では、戦前と戦後と言ってもいいのかもしれない。戦前と言っても、昭和14年ころを境に全く違う。それまではジャズなどアメリカ文化が盛んだった華やかな時代、それ以降は戦中。戦後はナショナリズムのモダニズムの夢敗れた自由な時代。つまりプリミティブ。

日本は戦争の前後で割と自由な時代を二回経験した。その自由な数十年間は、なんだか個人的には日本の文化のなかでは宝のような期間で、その豊穣の時代があったから日本の文化的豊かさがあったんじゃないかな、とも思う、今はないけど。


その合わせ鏡のような自由を映しながら二人の女優が舞う。髪型も似ていてお互いをディスりあうが、観客として見るなら正直、そこまで違うのかな、とも思う。それが原作者の意図なのかは知らないが、舞台の上で観測するなら極めて近似した二人の女優である。違うのは二人の年だけ。ただ戦前は豊かだったためか少しアメリカ的、戦後は同じく戦争でめちゃくちゃになって貧しかったフランス的のようにも映る。それは感情移入なのかは知らないが。映画という分野で言うなら逆かもしれないが、演劇という分野では少なくともそうだっと自分には見える。貧しくて自由な時代は、人目を憚らずに内省的になれるから、貴重である。それはあるいは政治家が内省的になるからかもしれない。…そんなことを、まさに不景気で内省的だっ90年〜00代に父親が総理大臣をしていた高校の同級生のことを考えながら思う。なんだかそんな感じだ、と。ただ、そうした雰囲気も舞台上では女優の色によって自由に演出され、そういう意味では歴史的でありながら余白に演出家や俳優の色がにじみ出る非常によくできた脚本と言っても良いのかもしれない。

モダニズムとプリミティブを感じるのは女優の元々の印象ゆえか。

ここにアニメの影響の強かった原作の時代以降の80年代〜の影響が見れなかったのは少し淋しいかもしれない。あるいはここが演出家の腕の見せどころだったのかもしれないと舞台を観ながらふと思う。

(ネタバレに続く)

ネタバレBOX

精神病院か墓場から抜け出たような女優が出現するが、これは1900年代近辺の芸術作品によく出る類型と言っても良い。その時代は多くの作品で精神病者をネタ元にした。ただし当時の芸術作品は精神分析のいまの進歩に及んでいない気がする。そもそも表現形態からして相性が悪いように自分には見える。多少は道化の要素を含み、当時だから許された類型の一つとして現在では慎重に扱ったほうが良い型のような気もする。そもそも現代には文学の歴史を知らない人も多いから、注意が必要かも。

ちなみに舞台上の鏡はその精神病のメタファーである、と言い切れるように思う。

ここでようやく、ここに出る役者たちはひょっとしたら一人の女優のプリズムのような内面の多面性を表してるのかもな、とも思う。
語弊があるとあれだけど、精神病によって女性性を表現しようとしていると言っても良いように思う。この女性の多面性は、内面の多様性であるとともに観客に向ける女優の多面性でもある。気のせいかこの多面性が豊かなほど女優として優れていると見なされることが多い気がする。これは男優と違うところだと思う。

ここで舞台上の女優たちの視線が気になってくる。そういえば始まったときから、ずっと客席をみていた。鏡越しでも、直接でも。

男性と女性の多面性は違うと思う。

男性は垂直的というか、権力に対しては嘘を振り撒き、横では密談し、下には隠して蹴り飛ばす。そういう多面性。僕は今までそういう虚言癖の人間の屑を役所で嫌と言うほどよく見てきた。女性も多少はあるかもしれないが、どちらかと言うと360度に対して合わせ鏡のように相手の夢を映し出せることを至高の喜びと思ってるのではないかと思ったりもする、僕はだけど。

女優たちは観客を夢見ている。

それが病なのかは知らないが、渇望しているのが観客からはわかる。鏡は女優の観客の視線を増殖させる良い装置でもある。観客の渇望を病的と言うならば悲しすぎるから、喜劇であると同時に悲劇。

最後にラフマニノフとかではなくバッハにしたのが一種の答えなのかもしれない。

ラフマニノフは分析的で重層的で無比。多くの作曲家に影響を与えたが近づくものはいない。バッハは川の流れのようで神聖。オルガンといえばバッハ。

楽屋を読むにはラフマニノフかな、と思ったらバッハ。今まで夢見て乾いたまま死んだ魂へのレクイエムだからバッハなのか。

途中から狂おしいくらいの悲しみが、戯曲を蘇らせてくれて良いなと思う。

もうちょっと書き足します
きみはともだち

きみはともだち

果てとチーク

アトリエ春風舎(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/01/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

自分は二回観て、ようやくわかりました。たぶん歳のせいなのと、最近は二回観てようやくわかることに慣れてしまったのかもしれないな。

もちろん一度観て『分かった!』と思ったけど、試しにもう一度観て、この前のは全然分かってなかったな、もう一度観て良かった、ということが多い。これは脚本買って読むのとはまた違う経験だ。

まず他の人も書いているけど、このタイトルのともだちって、誰なんかな、というのを思う。これは登場人物全部当てはまるし、場合によっては物語の舞台の上にはでてこないもう一人の人というのも思い浮かぶ(そっちのほうが素敵なのかもしれない)。舞台の上にでてこない人の傷を思って想像できる心の優しさを持てるのかどうか。それがともだちの概念なのかもしれない。会ったことはないけど、『きみ』が傷ついたのをみて傷ついた人を見、きみの心の傷が想像できたから、きみはもう『ともだち』だよ、と思えたなら、舞台の上の人たちすべてがその人の『ともだち』なのだ、とも思う。それは家族でも恋人でも、きょうはじめて会ったばかりの人でも、みんなが『きょうはあの人のこと会ったことはないけれど想像できたから、みんなともだちだったね』となるのだ、とも思う。

こんなこと書くと、何甘いこと言ってるんだよ、とか言われそうだけど、まさにそうなんだ。自分がこんな甘いことを平気でスラっと書けるのも、『ともだち』がいるからなのだ。

世の中には超攻撃で、恐怖に駆り立てられて暴走し続ける人たちもいる。そのような人たちには、会社のお金を使って、利用できる価値のある人間かどうかを見極めて酒の席などに人を頼って割って侵入して仲間を増やすことしか考えられない人たちというのも存在する。そして横領して虚偽の報告書を作って自爆してクビになる、そんな人たちを大勢みてきた。登場人物の男性は、ひょっとしたらそんな人たちに今も囲まれてるのかもしれない。だとしたら可哀想だな、とか思う。

このような人たちには『ともだち』はいない。タダ酒でいい気にさせて利用することしか考えていない人たち。そんなのを僕は山ほどみてきた。そういう気持ちの悪さに意識できるかどうか、拒否反応を示して、なんかこいつ違うっぽい、と思えるかどうか、が正念場だとも思う。

割と社会的信用のある人たちはそんな人たち山ほどみてるからすぐわかるけど、社会に出てすぐの若者たちは見慣れてないから、戸惑ってしまう。

そこらあたりで『ともだち』かどうかが分かれてくる。会社のお金に取り込まれてしまう人、優しさを失わずに嘘を見抜ける感じの人たち。…そんなに気にする必要はないよ、とも思うけど、繊細だと気持ちの悪くなる。そうしたことにも気づかえるのか、社会に出てもひょっとしてマイナスになることしかなさそうだけど、たぶん、そんな能力。モヘー氏かっこいい♪

でもみんな小芝居を続けて演じてるんだ。悪いことをしていなくても、しなければならない小芝居の連続が、人生、なのかもな。

権力も人生にも限りがある、から小芝居もときには必要。悪いことしてなくても。繊細じゃない人に使える優しさはも有限だしな。
(もう少し書きたす)

音楽朗読劇『ピクシス・ノーティカ』

音楽朗読劇『ピクシス・ノーティカ』

たよりこと

王子小劇場(東京都)

2025/02/07 (金) ~ 2025/02/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/02/07 (金) 19:00

自分もteamバタフライ金曜日ソワレです。

チェロの生演奏があるのは良いですね。

あと、今回みたいに海が舞台だと、朗読劇のほうが良いかも。

開放感のある場所が舞台の設定だと、現地より朗読劇のほうがあっているのはわかる。それで生チェロがあるのは贅沢。

登場人物も、役者が限られた女優しかいなくても、女優は男性も異生物もいろいろと演じ分けられる人が多いから一体感があって、チェロとキーボードの生演奏と合わさってチーム全体のリズムが生まれて心地良い。

当日パンフにもあったけれど、なるほどこういうことなのか、と思った。

ネタバレBOX

物語は意外な展開があった気がするけど、ひょっとしたら若い人たちには意外でもなく、納得できる展開だったのかも知らぬ、と思ったりもする。

重い話も波の音とリズムに包まれて心地よい。

一時間半で区切りの良い時間で、映画よりお洒落で素敵。最近映画観てると急に思いもしない展開になってドキドキすることもあるけど、そういうのもなさそうで安心。

いつか南の海に行ったら、登場人物のことを波のリズムに包まれて思い出せたら成功なのだろうかな。
九州戦風カミカゼバイト

九州戦風カミカゼバイト

劇団ジグザグバイト

王子小劇場(東京都)

2024/09/20 (金) ~ 2024/09/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観てきました。

土曜日ソワレ、玉置さんのアフタートーク回なり。

それもあってか、目の前の生の会話からいろいろ紡げて聞けて、よっしゃよくようわかったな、と膝打つことがいっぱいありました。それが演劇と言うもんダス。世間の人たちはよくわからんだろうけどなけどな…汗。

よくよく聞けばいまの若い人たちにはよう分からんかもだけど、まぁそれはともかくそんなんいやいや、歴史の教科書のなかに出てきそうな大昔、神武より昔のいまから2〜30年前とは違い、いまは配信で東京の演劇もふつうに全国、ファミレスとかどこでもリアタイでみんな観られる時代、ひょっとしたら福岡からすると東京よりマイアミのほうが近いかもしれない。とか思う今日このごろ。…そうだな、10年前と比べると情報格差はうんと小さい。地方の演劇人は、大きな声じゃ言えね!!が、東京で情報収集をサボったオッサンたち(自分含む汗)より情報の鮮度はもっと高いっ。それもあってか、東京以外の劇団も東京に来るにもそこまで不安はないのかもなのな。そうすると、東京での本番勝負は技巧ではないッ。熱量勝負の感情演技に力が入る。それも時代か。東京で野田秀樹(実は出身高校の遠い先輩であったりするから高校演劇の伝説を父兄からよく聞いたりもした)の時代から小劇場を知っていると言うような…斜め斜めな上から上からの目線での批評をしようとしたい気持ちを抑えきれない諸先輩がたの昔の演劇心を思い出させる燃える瞳に魂が宿る(前置き長くてすみません)。聞けば一年前から決められたキャスト、みんな熱くて誰も落とせないからお金はないが、クラファンの力で全員連れてくるのに成功。一年溜めた熱量だから、目にも役にも力が入る。

続くすまん…

サンタクロース(仮名)の死

サンタクロース(仮名)の死

くによし組

王子小劇場(東京都)

2018/12/21 (金) ~ 2018/12/25 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/12/21 (金) 19:00

最近ちょこちょこ見るけど、何気なく良い台詞が投げかけられるところが良い😉

ネタバレBOX

会話のなかで、あれ、これ噛み合ってるのかな?
って台詞ってあると思う。
なんでここでこう言ったんだろうみたいな。

ほぼほぼコメディなんだけど、そんななかでポイとハッとさせられる台詞がなんか、ヒゲ人として差別されてるサンタ顔の男が同じ施設で育った嘘つきのウソ田のことを言う『だってアイツ優しいから』だったり、人面トナカイ主宰の言う『アタイだって女子より男にモテたいんだ』(だったっけ?)だったりする。

端から見てるとなんで、このキャラここでそう言ったんだろ、みたいな気もするけど、そこがいい。

だってウソ田ぜんぜん優しそうに見えないし、トナカイは男性目線を気にしてるようにも見えないし。

でも、世の中にそういうのってあるよね。

たいていは表に出ないまま一生を終えるそんなフェーズが、ふいに目の前で生きてる人間の口からポイと出てくるの、演劇だなぁと思う。
アユカの世界

アユカの世界

アユカプロジェクト

王子小劇場(東京都)

2018/10/24 (水) ~ 2018/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/10/24 (水) 19:00

初日水曜日見てきました。
開演前からライブあって(知らなくて外にコーヒー買いにいって途中からだけど😅)最後まで声もつのかなと思ったけど、ちゃんともった。それだけで偉いなーと思ってしまった。

周りの俳優たちも目立たずそれでいてキャラも出ていて、カッコいい所もあって、良くできてると思った。

物語の書き手の優しさが伝わってくるところが良いですね😉

蒼いラフレシアの鼓動〜The beat of blue Rafflesia〜

蒼いラフレシアの鼓動〜The beat of blue Rafflesia〜

東京ジャンクZ

王子小劇場(東京都)

2018/08/15 (水) ~ 2018/08/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

見ただけで疲れが半端ないし、万人に勧められる演劇ではないけど、人に正論を言って満足して薄い人生を送る人を見るのに疲れたなら、確かに行った方が良いかもしれない。

苦しむ救われない雑魚の人生以外、日本の芸術に価値が無いとパルムドールが教えてくれたのは正しかったのかも😓

人を殺して 生きている

人を殺して 生きている

オザワミツグ演劇

王子小劇場(東京都)

2018/06/27 (水) ~ 2018/07/03 (火)公演終了

満足度★★★★★

思ったより凄く良かった😆

ギラついていて。

確かにこういう舞台は東京でしか出来ないかも知れない。

酷評してる人は照明と音響の転換も見てほしい。

腐った人生を美しく見せるのが演劇なのだから😉

ブラックマーケット1930

ブラックマーケット1930

ユニットR

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/06/27 (水) ~ 2018/06/30 (土)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/06/28 (木) 19:30

良かった。

やっぱり理生さんは良いな😆🐸

ブラックマーケット1930

ブラックマーケット1930

ユニットR

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/06/27 (水) ~ 2018/06/30 (土)公演終了

満足度★★★★★

良かった。

やっぱり理生さんは良いな😆

iaku演劇作品集

iaku演劇作品集

iaku

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/05/16 (水) ~ 2018/05/28 (月)公演終了

満足度★★★★★

『梨の礫の梨』を久しぶりに観た。一回だけだけど。

東京の観客からすると評判の悪いかもしれない激しいノリツッコミ的な会話のラリーだけど自分は大好き(笑

・・これ、ケンカなんとちゃう?

いや、愛情表現なんですよ。今はなきベトナムからの笑い声でその表現に触れてから、すっかりその虜になってしまったのだけど、これは、普段は黙々と仕事をしている女性の話なんだ。

ネタバレBOX

登場人物は二人だけど、5人いると考えた方が良い。

子どものときの母とハタチの母、死んだ27、8の母。もう35過ぎの娘と、7歳の娘。

死を考える人にこつんと投げかけられる小石になりたくて、でもなれなかった、振り向かせられなかった、7歳、たぶん人間の一番かわいかった時期にかかる容姿の時に母を亡くした、娘。

反抗期を母親にぶつけられなかった女の子は10年物の中途半端(自分は好きだけど)なマッカランをちびちび飲んで、つぶれ、ながら。昔母に連れてこられた酒場で母の亡霊に怒りをぶつける。

この声、本当に出ていたの?

自分は目の前のマスターには聞こえていたんじゃないかと思う。

とするともう一人の登場人物はマスター。

怒りを妄想の亡霊にぶつけるんだけど、その母親の優しさは誰のもの?

劇作家は男で、そう考えると、叫ぶ女性の声を黙って見守るマスターと、それまで支えてくれた風変わりな男たちの優しさなのでもあるのではないのかなぁとも思う。

とすると登場人物は一気に9人位に膨らむ。

舞台を観ながらカウントしてみた。少し笑えた。
この世にもう存在しなかったとしても、人の優しさは消えはしない。
優しさが胸に焼き付けられたその人がこの世から焼尽するまで。

激しいケンカみたいな言葉の応酬の中から紡ぎだされる見守る優しさ。ぼんやりとした、自分とマスター以外のだと7人ばかりの、もうこの世にはない残像を、瞼の下に、追いかけながら。

自分のとても好きな大阪らしい(笑

10年物のマッカランがあと10年で渋く甘く濁るまで、あとどのくらいホテルの部屋を掃除するのだろう。無言で。
男女逆転版・痴人の愛

男女逆転版・痴人の愛

ブス会*

こまばアゴラ劇場(東京都)

2017/12/08 (金) ~ 2017/12/19 (火)公演終了

満足度★★★★★

・・どうなんだろう?自分と同じ男性の反応は。

自分は凄く良く分かった。

自分の結論はずっと昔から変わっていない。女の人に施してもらうくらいなら、ボロ服を着て飢え死にした方がマシ。

そんな当たり前のことなのに分からない若い男性が大勢いる。自分にはそれがフシギでならない。この芝居は女性目線なのだけれど、自分はホモでもなんでもない普通の男なので男目線で内面観察した。

これがイケメンでもなく、むしろ醜い若い男性だったらうまくいったかもしれないのに。

ネタバレBOX

若い男は一見愚かだが、女性の下心を完全に見抜いている。
女性の若い男に対する援助が賤しいものか、そうでないかは完全に識別可能だ。
自分が居なくなってもやっていけることを考えているかどうか。

それは最終盤で完全に露呈する。

女性は、若い男性が自分無しで平気でやっていけることに我慢できない。
目の前の美しい遺伝子が自分と絡むことなく完全に運命の輪から抜け出すことを感じて発狂しだす。

考えてみればそれは最初からそうだったのだ。

若い男は最初からそれを完全に見抜いていた。

何で見抜いていたのかというと、それは目線以外の何物でもない。

これは最初からそういう芝居なのだ。

台詞というよりは目線の芝居。

正直言うと、男性がこうした目線を若い時に感じて居心地悪さを多少なりとも感じたことなしにこの芝居を女性のように体感するのは不可能なのではないかと感じなくもない。

女性は若い男が自分の不在で立ち行かなくなり泣いて許しを請う姿を渇望している。
が、現実は必ずしもそうはならない。

そうはならない男だから、庇護する気になったのだ。

・・考えてみれば、この若い男は最初から最期まで野良猫だったのだ。

美しさに魅了され、毛並みを整え、ご飯を貰っていても。

なぜ、顔だけで野良猫を拾うのか?ブッサイクで頭悪い野良猫を飼えばいいだけなのに。

まぁ、自分が野良猫だったら速攻ダッシュで逃げ出してボロボロのままバラ園の近くででも飢え死にした方が良いな・・(苦笑
『青いポスト』/『崩れる』

『青いポスト』/『崩れる』

アマヤドリ

王子小劇場(東京都)

2017/11/04 (土) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/12/01 (金) 19:30

『青いポスト』を見てきました。

青いポストなんていうと水曜日郵便局のことを思い出したりもしてしまうのですが、こっちはもっとブルーなポストさんでした。

最初はなんか白土三平かいな?とか思ってたんですけど、見てるうちになんか分かってきた気がしました。

ネタバレBOX

「おっぱいなんてこの世に存在しないと誓ったではナイカ(この瞬間ワタシこの子らの鼻の下に心のちょび髭が生えたのを見た気がしましたですイヤホント」な双子の姉妹が実はこの物語の中で一番可愛いんじゃないかいな~といち早く気付いた男性ほど、この物語を楽しむタイミングが早くなる!(これマジですわ

みんなでネコをかぶって、牽制しあって・・・なんかこの世界、男がいるはずなのにどっこも出てこない、何で?と思ってたがなんのこたーない。げんこつ団なんかもそうなんだが、女性は男性のことを見ていない。女性は女性にどう評価されるのかを死ぬほど気にしあっているのだ(とか別に偉そうに言うほどのことでもないけど

ひょっとしたら男性の観客は、ラストで消えた女の子(妹のほう)がどっかに攫われて殺されたんだと思ってるんじゃないのか?

その可能性ももちろんある。

でも、明記されていない。

判断は観客の心の中に委ねられているのだッッっ。

そんな中で自分が選んだ回答は「マトモな男に連れて行かれる」ではなかろうか。

いやいや~そんな伏線無いでしょう、と言われるかもしれないけれど、そんな伏線めっちゃある、と自分は少なくともそう思い込んでみた(確かじゃないけど

この姉妹が、女流小説家がデビュー前にドロドロの心の内を書き散らかした手紙を郵便局員からかっぱらって盗み読む場面がある。

その手紙の中で、男は彼女(小説家と思われる)と別れて別の子と住んで、病気になって元カノのケーキを食べたい~ってなって、その元カノはケーキを持っていくが今の彼女にお礼を言って捨てられて、元カノは今カノを刺し殺す。彼氏は病気で死ぬ。二人の死体を埋めるところで物語は終わる。

姉妹は男の移り気の原因をおっぱいの大小ではないかと邪推して、最初に書いたような台詞を言うのであった。男の移り気の原因が純粋に不純におっぱいによるものだけだとするならばっ、心は元カノのところにあったのではないのか、あるいは胃袋が。だとしたら本当に愛されていたのは誰なのか?幸せとはいったいなに?

次消される人ランキングトップの双子の姉の選出を盤石にしようとしてなのか、妹の方は町長の娘の友達の郵便局員をどら焼きで買収しようとする。

・・これは血を分けた姉妹の醜い争いなのか?

それともドラえもんとドラミのような美しい兄妹愛なのか?もぐもぐどら焼きうめぇ(買収されてないっス

不正行為は厳罰。買収はイクナイ。

もし妹が買収しようとしたなら次消される人ランキングトップに無条件で繰り上げ。そして妹、消える。マジかー。でも、年がよく分かんないんだけどまだ若い女の子が双子の姉のためっぽく買収したフリをしてどら焼きとか渡してたら可愛くない?とか思うのは男性目線なんで分析的な批評の場ではご法度ですたい、いや、ホントマジ、信じて

・・・・でも、あのどら焼き・・(ゴクリ(どら焼きが気になってるだけではない

ひょっとしてこの物語の中で唯一の愛情として描かれていたのは、あのどら焼きと、あと一つ食べ物の描写があった!あのケーキだ。

そうか、やはりあれは愛情だったのだ(ここまで物語仕立てで描いているけど見ているときはどら焼きを見た瞬間一瞬で分かりましたッス

結果、妹が消えました。愛情ゆえに。

自分が消え去ることで頭が一杯だった姉は残りました。いや、残されたと言うべきでしょうか。

だがよく見て下さい、

この女の子の中で一番素直に柔らかく女の子らしい愛情を表現できたのはこの子(妹)だけなんですよ!(涙(泣くなよ・・

だからドラえもんのようなナイスガイ(イケメンかは知らんが)に攫われたとみるのが妥当ではないかとワガハイ思いますたい

世の中インスタばやりで、「いいね」に飢えていて、オイラの同級生はみんなフェイスブックやってて、やれ「ドイツから帰ってきた」だの「ニューヨークの飛行機が飛ばない」だの書いていて、オッサンのいいねしかゲットでけてない、そんなことより若い女の子たちは色が一杯の「いいね」にみんな飢えているのになー。もっとカラフルにしろよフェイスブック、むさいんだよ、とか言えない・・まぁ男同士でディスるのはご愛嬌ってことですが・・

だがしかし、

色んなひとから「いいね」がない女の子はこの世から消えたようになってしまうのだ(恐ろしいこっちゃでイヤほんま。男で良かったー(-_-;)

でも、いいね、ばかり気にしていると、身近な人の優しさに気付かず取り残されてしまう。

素直に生きるって大事だよね(さんざ書いて普通のことしか言えへんのスンマセン((-_-;)
濁流サイダー

濁流サイダー

げんこつ団

駅前劇場(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

先週見かけた好きな薔薇の蕾の行方が気になって、前日向かったら閉まってた千葉の薔薇園に行ったら帰り人身事故で開演ギリギリ半分死にかけた(おまけにその蕾も咲いていなかった)なんて思い出も後になってみると夏のサイダーのようにシュワシュワと・・なるんかな?

ネタバレBOX

物語のなかで主婦が教祖として登場する。

そこでわ、部活で汚れたユニの洗濯も、部屋の掃除もすべて奇跡。

独身の自分が思うに、確かに奇跡でも起きないと男一人で気ままに暮らしてバランスのとれた栄養とご近所づきあいを両立させるなんて不可能なんじゃないかと思ったり(苦笑

そういう風刺というか不満?の毒が、物語全体にスパイスとして取り込まれているかどうかはともかくとして、日本社会が女性の犠牲の上に成り立ちかつ、ファンタジー課の架空の生き物「ブチョー」に支配された社会なのだということは分かった(自分とこのリアル部長は歴代99%凄くいい人(1%どうしょうもない))。

中坊の時は部活に忙しく疲れ切って飯をねだる純粋な生き物だった坊主たちも、そうした日本社会に毒されてなのか、大人になるとミサイル(最終兵器彼氏ですか?)になったり種子になってったりしてどっか飛んでいく模様・・とかいうとマジメな演劇にも見えるがそでもない。

やがては星の子のフリをしてパレードに参加しているところを実の娘に捕まったりして苦労が絶えないバーコードの目にも涙(泣いてなんかないやいTT
↑良く考えたらあのおじさん禿げてなかった。心のバーコーダーってことで(いいこと言った

本当に禿げてなくて良かった・・・ビバ、毛、ヘアーマンセー!!と思ったりして胸を撫で下ろしたりもするんですけど、目の前のおばさんたちはヅラをかぶって行進したりして・・まぁ確かにリアルに毛髪のフッサぁーなMENたちがもし仮にアルシンドのヅラをかぶって新橋のバーコーダーたちの前で河童祭りをしたりしたら流血沙汰になるのは明らかだが、下北沢でバーコードる分には・・というか今回バーコード率が良く考えたら低かったような・・なんでだろ?

出来たら部活帰りの中学生にジャンプより面白い演劇があるぜとオススメしたいところだったが・・ただ、シェークスピアの素養の必要はないが、サンリオ男子の素養は激しく必要だ。

ちなみにポムポムプリン好きの自分にはちょっと物足りなかったので、来年はあの怪しげな中国人めいたポムポムプリンの暗躍をもっと激しく見たいとも思ったりもした。

まぁ、男子もAKBよりサンリオに興味持つ方が健全ですわ(保証はできないけど(感想になってるんかな・・コレ(-_-;)>
『青いポスト』/『崩れる』

『青いポスト』/『崩れる』

アマヤドリ

王子小劇場(東京都)

2017/11/04 (土) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/28 (火) 19:30

『崩れる』観劇しました。
ラストを見て怖いと感じるか、刹那いと感じるか。

ネタバレBOX

ツーリングをしている全員が騙し騙され合っている。

…それはある意味自転車のレースのようで。
なるほど上手く書いているなあと思った。

宿の主人が同窓をリストラした若者をたしなめるが、それは自分の若い日を投影したのか。

言い過ぎたかもと立ち止まる所で崩壊が始まる。

嵐の中飛び出した若者たちだけは生き残ったんだうか?

よく考えればこんなこと、民間会社に入ればしょっちゅうで、自分も断ったが就活のとき、内定者と楽しく語らった後で別室に呼ばれて社長に気にいられたので誰をクビにしてもいいと言われた。

後で内定と一緒に周りに黙って辞退した。

賢明だとそうなんだ。辞めるにしろ辞めないにしろ。

誰にも言いはしない。だからこそのトップ指名。

そういう意味では賢明ではなかった。

あれは厳しさではなく優しさだったのか。
ロクな会社ではないので早く辞めたほうが良いよと。

それが良いのか悪いのか。
蜘蛛の巣。救いなのか破滅なのか。

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