1
FT13 公募プログラム「地雷戦 2.0(薪伝実験劇団 [ 中国 ])」
フェスティバル/トーキョー実行委員会
演出家の真っ直ぐで美しい眼。
海の向こうの国には素晴らしい若者がいると分かった。
日本の若者も、この位信念を持って突き進んでほしいと思った。
短い人生で、回り道をする時間なんてないように思う。
2
ブルーノ・シュルツ『マネキン 人形論』
シアターX(カイ)
公演4回のうち3回観ました。
極めてアナログ。ある意味極めてポーランドらしい(苦笑
・・・噛めば噛むほど味が出る。
一度観ただけではたぶん理解不可能(苦笑
自分は2回目からようやく意味が分かってきました・・。
「シュルツの作品を愛して舞台を作るからには、駄作のはずがない」
と思って見続けました。
その信念に間違いはなかった(笑
・・シュルツの中からヴィトルド・ゴンブローヴィッチが顔を出してきた。
美しい混沌。しかし、きちんと観れば完全に理解可能だと思った。多少ポーランド語が分かっていればなお良いようにも思った。
個人的には、彼ら二人(シュルツとゴンブローヴィッチ)を見ただけで、日本文学を凌駕するポーランド文学の凄みが感じられると思う。
3
Teatro la Maria マリアシアター(チリ)
特定非営利活動法人舞台21
演出方法は割とシンプルかもしれない。
でも、男女の違いについてこれだけ的確に表す演出も、そうないんではないかな・・?
特に、女性の演出家は試してみても良いように思った。
ありふれた戯曲にも、様々な光を当てられるヒントに満ちた演出だと思った。
4
ルル
東京芸術劇場
役者たちの存在感に圧倒された。
考えてみれば、百年以上前のロンドンやパリには、
漂白された現代社会では想像もつかないような存在感を放つ人間たちがごろごろいたのかもしれない。
野獣のような光を放つ人間の形をした生き物たちを、役者たちは堂々と演じる。
彼らはパドックから、ローマのコロシアムの中に次々と解き放たれていく。
彼らにとって、存在感は光であり、台詞という武器を振りながら荒れ狂いつつ、
自分の立ち位置は完全に死守する。
セピア色の柔らかな光に満ちた写真から、
どぎつい殺人現場が踊り出してくるように感じた。
5
National Theatre Radu Stanca ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場(ルーマニア)「NORA ノーラ」
特定非営利活動法人舞台21
「ルル」と違って、こちらは非常に音楽的な作品だと思った。
天使と悪魔という二項対立で遊びながら、
神の視点で見るように、人の一生を短時間で解体して魅せる。
スピード感が素晴らしい。
6
バック・トゥ・バック・シアター「ガネーシャ VS. 第三帝国」
フェスティバル/トーキョー実行委員会
演劇の可能性について大いに教えられた。
役者たちの卓越した演技は、自分の視野・価値観について考えさせられた。
演出家は非常に鋭い手腕を発揮していた。
舞台を見ながらも、演出家の心のうちを観るというよりは、むしろ
逆に自分の心のうちを演出家に透視され、試されているようにも感じた(笑
美しいだけの舞台に意味はないと思った。
7
ラビア・ムルエ連続上演「33rpmと数秒間」
フェスティバル/トーキョー実行委員会
彼の作品を見るたび、その才能には驚嘆させられる。
若くてハード・ロック好き(だが悪魔崇拝者ではない(笑)なピーター・ブルックだと感じる。
もはや、優れた舞台作品の中に生身の人間は必ずしも必要ないと強く感じた。
8
tg STAN ティージースタン(ベルギー)「Nora ノーラ」
特定非営利活動法人舞台21
洗練。
その一言で形容される。
役者それぞれは限りなく自由ではあるが、舞台上の必要最低限のセットと、言い回しからにじみ出るエスプリで形作られる物語は、完璧に振付けされている。
地方の小さな劇団なんかは大いに参考にできると思った。
卓越した演技と、豊かなアイデアさえあれば、4人の役者で世界を回れる作品が作れるということがよくわかる。
9
三一路倉庫劇場(ソウル)『結婚』
タイニイアリス
韓国の力をまざまざと見せつけられた(苦笑
シンプルなテーマ。
・・でも、それで十分。
「死ぬときに、あの世には何も持ってはいけない」
あまりに当たり前。
そんなことは何千年も前の古墳を見るだけでよくわかる。
副葬品の数は少なくとも、愛される古墳は意外と小さいものである(笑
何万年経っても人間とは変わらないものであるように思う。
死ぬときに後悔しないためには?
自分の心に正直に生きることであるように思う。
特に大事だと思う人間には嘘を言わないようにする事だと思う。
この話、リアルではないかもしれないが、真実の美しい童話だと思った。
10
木菟と岩礁
伏兵コード
ベストテンに日本の劇団がほとんど入らなかったけれど、
それは女性の視点が欠けた作品が多かったからであるように思う。
日本は北朝鮮ではないが、
連日のようにニュースで報じられているストーカー殺人などを見ると、
北朝鮮の独裁者のような殺戮者予備軍が市井に潜んでいることがよくわかる。
それは多くの場合男性である。
女性演出家も、もう少し、女性がそうした過酷な環境で生きることの無力感などを前面に押し出した作品を作ってもいいように思うのだけれど、
なぜか少ない。
演劇が世の中を変える力を持たないという神話が蔓延して久しいが、
唯一の突破口として考えられるのは、女性の視点をもっと取り入れることであるように思う。
そういう意味では、女性の無力感、混沌、諦観などを鮮やかに描いていたこの作品が、
重い作風ながらも、国内の劇団では最も輝いていたように思う。
ちなみに自分はフェミニストとかそーいうんではありませんが♨