海の五線譜 公演情報 海の五線譜」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
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  • 満足度★★★★

    静かで孤独な恋物語

    『波の音は、わたしがまだ母のおなかの中にいた頃に聞いていた音に、よく似ているらしい。それは、青い海水ではなく、赤い血液の流れる音なのだという。北の国の母であれば北の海の波のような、南の国の母であれば南の海の波のような、そんな音を子守唄にして、命は育つのだろうか。私は、母がその頃、この星のどの海のそばにいたのかを知らない。知らないけれど、わたしもそこに居たのだ。

    浜辺で目を閉じる。大人になった私には、波の音は、ただいまと、おかえりを繰り返しているように聞こえる。

    ただいま、おかえり、ただいま、おかえり。

    いつかその音が、途切れるとき、私は何を聞くのだろう。』

     上記は、作者が書いたパンフレットに載っていた『あらすじ』である。登場人物の誰が喋っているのか、この文章だけでは分からなかったものの芝居を見終えて初めて、この話し手は「美雪」であると理解できた。美雪が家族と共に生まれ育った家の傍には海があり、母・典子が思いを寄せていた黒木との関係も海で始まり、海で終わる。(美雪の家の近くの海が、典子・和彦・黒木の三人が大学時代によく遊んでいた海なのである)

    「海」という言葉自体、あまり+なイメージを持つ人は少ないのではないだろうか。勿論、「真夏の海」「ビーチに水着」と娯楽的な要素は外せないが、「海」そのものを捉え直した時に我々が一番始めに直視するのは、他ならぬ海の色である。そう、「青色」だ。(「青」という色からは、「涙」「哀しみ」「冷静」「冷淡」など、やはりマイナスイメージなものを連想することが出来る。)その色からも、「海」というものと「孤独」というものを切り離すことが出来ないのではないか、と私は思う。そんな孤独な海を、「赤い血液」という人間の生への象徴と表現していること、加えて「不倫」という重いテーマすらも爽やかに、「ほんの少し」切なく表現できる作者の筆力に舌を巻かざるを得ない。

  • 満足度★★★★★

    青組ならではの作品でした
    痴呆が入ってきてる女性が出てきたので、もしや、重たいテーマ?と一瞬、身構えてしまったが、そんな事は、余計な心配でした。
    切ないけど、家族の優しい瞳がとても暖かで、柔らかに包み込まれるような、温もりが伝わってくる、素敵な作品でした。

    アトリエ春風舎という、小さな空間が、とても大きく広がりを見せる演出が良かった。
    時に海辺だったり空の上だったり、遠い過去なのに鮮明だったり、霧がかかったように、ぼんやりな印象だったりと、空間の彩りが豊かでした。

    母の若かりし頃の記憶、風景や想いだけでなく、あの日の風や陽射しが、残像として残るような、場面転換も上手い。
    いつもより、動きが激しいと言うか多いように感じたが、それ以上に、言葉で表せない想いや、理屈で割り切れない行動、とても情緒豊かな舞台でした。

  • 満足度★★★★★

    わずか95分間に、人と人との間に立つ波を、見事に表現していた
    青☆組を初めて観たときに、「なんて品のいい作風なんだろう」と思った。
    まるでビロードか何かのような手触りがする、こんな作風は今まで観たことがなかった。

    (ネタバレに長文書いてしまいました)

    ネタバレBOX

    時に、「昭和」を意識させるような時代背景が、その作風にマッチしていたりする。
    見終わったあとに、心地良さと、先ほどまで舞台の上にあった物語とその背景や前後を、反芻して帰宅する楽しさもある。

    しかし単に品がいいだけの作品ではなく、観客の心にさざ波を立てる(大波ではなくて)、センスの良さが憎いのだ。
    それを「切なさ」としか言えないボキャブラリーの少ない自分が情けないが、とにかくそうしたものが私の心を乱すのだ。
    しかもそれだけで終わらず、「未来」の「光」をキラリとラストに見せる上手さがある。
    それが、「いかにも」な感じだったり「取って付けたよう」な感じではないところに、吉田小夏さん戯曲の非凡さ、つまり、「品の良さ」を感じる。

    台詞で多くを語らせずに、登場人物たちの心情の有り様や、変化を感じさせるのは、戯曲の良さもあるし、演出の上手さもある。
    もちろんそれを体現する役者の技量もある。
    「語りすぎない」ところの「隙間」の具合があまりにも良いのだ。
    そこに観客の「想い」や「経験」が見事にはまるから、作品はさらに豊かになる。

    今回の作品は、「切なさ」が「苦しい」。「痛さ」もある。

    話は少々脇道に逸れるが、青☆組の看板女優とも言える福寿奈央さんが、実は少し苦手だ。
    それは、作ったような笑顔や表情が上手すぎて、観ているのが苦しいからだと今回の作品で思い当たった。

    女の人は、忍耐強いと思う。
    忍耐強くて、少し無理をしてしまうことがある。
    そんな表情を、的確に、福寿奈央さんはしてしまうのだ。

    そんな表情をさせてしまうことが苦しいのだ。
    恋人とか妻とかそんな身近な女性にそんな表情をさせてしまう自分がいる。
    それがわかったところで、例えば、「大丈夫?」と聞けば、「大丈夫」と答えるのがわかっているだけに苦しい。

    だから、この作品の、劇中での「ごめんなさい」なんていう台詞は、とっても「苦しい」。
    「ごめんなさい」のニュアンスの違いも上手い。
    文字にすれば同じ言葉であっても、言葉の表情で、その言葉の持つ意味、重さが変わってくる。
    そうした、微妙な差が、とても染みてくる。

    この作品はどの立場で観ていても苦しいとか、痛いとか感じてしまうのではないか。

    妻の典子にしても、夫の和彦にしても、典子が好きだった健介にしても、だ。

    典子と健介は淡い関係で、典子は恋人の健介を捨てて和彦に走ったわけではない。
    その「淡さ」ゆえの、「結ばれなかった」関係だからこそ、典子は、健介との「あったかもしれない世界」を心の中で育ててしまったのだということは、この年齢になるとわかってくる。

    典子は夫である和彦に不満はないだろう。
    しかし、「心の中で育ててしまった、健介への気持ち」を、(和彦との結婚までに)きちんと葬り去ることができなかったのはよくわかる。
    結ばれることがなかったから(告白されて付き合っていないから)、きちんとした「別れ」がなかった。
    単に距離が離れてしまっただけ、なのだから。

    だからこそ、新婚旅行で距離が近づいたことで、育てていた心の中の気持ちが芽を出しそうになってしまったのだろう。

    男は、とても未練がましい。
    体験的に自分でもよくわかっている。
    女性はそうではなく、スパッと切り替えることができるものだと実感していた。

    しかし、実は人の気持ちはそんな簡単に切り替えることはできないのかもしれない、と、この作品を観て感じた。
    それは、「切ない」より「苦しい」ことであり、かすかにでもそうしたことに身に覚えのある人は、身もだえしたのではないか。

    そして、福寿奈央さんの、アノ表情である。
    内に秘めて、いや、押さえ込んで、笑顔を「(今の)最愛の人(たち)」に見せる。

    夫の和彦も、なかなか苦しい。
    典子と健介の淡い気持ちを知りながらの、プロポーズであるし、海辺での典子と健介の邂逅も目にしてしまった。
    なにより、「毎年(たぶん)、ミカンが送られて来る」ことで、健介が頭の片隅に居座っているのだ。
    さらに、典子は自分(和彦)のことを忘れそうになっている。
    自分(和彦)の代わりに、典子の頭の中には健介が今も、あの爽やかな姿でいるのではないか、と思うのも無理はない。

    健介には落ち度がある。
    家庭の事情で故郷に帰ったとしても、典子をつなぎ止めるために、手を尽くすべきだったと後悔をしただろう。
    そして、それをまるで罰するように、彼は独身のままだったらしい(遺品整理は健介の姉が行ったことなどからそう判断した)。

    典子が新婚旅行で健介の元に訪れたときに、一瞬火花が散るような感情が典子から現れたが、健介のそれとはシンクロしなかた。
    そのズレこそが、彼らが一緒になれなかったことを大きく表しているのではないか。
    そんな、ほんの小さなズレで、2人の人生は交差しても、結ばれることはなかったのではないか。
    そこが、実は健介と和彦との大きな違いだったのではないだろうか。

    2人が結ばれるときの「赤い糸」とよく言われるものは、実はそうしたタイミングとシンクロではないのか、と思う。

    典子がそのまま砂浜に留まっても、健介はそばにいるだけで2人は何もなかったように思える。
    時代背景がそうであるし、健介はそういう男であるように見えたからだ。

    典子は和彦と健介という2人の男の間で、波を立てる。
    いや、彼女自身が「波」だ。
    波は寄せては返す。
    波は男たちの足元を濡らし、大海原へ戻っていく。
    次に寄せてくる波は、同じものではなく、波の形も力も男たちには絶対に読めない。
    体内に海を持つ女性のことは、男には永遠にわからないのだ。

    海は、世界のどことでも繋がっているだけでなく、どの人とも繋がっている。
    海から生まれた生命は、いずれ大地へ空へ、海へと還っていく。

    典子はそう遠くない日に海に戻っていくのだろう。
    和彦は、それを感じながらも、(今まで通りに)生きていく。
    それが、夫婦なのかな。

    わずか95分間に、そうした人間模様と人の間に立つ波を、見事に入れたのは驚嘆してしまう。

    海流のように、舞台の上を役者が流れて、舞台の空気を少しかき乱すの演出のうまさ。
    さらにユーモアまであり、波のように舞台上を作品が動く。

    今回感じたのは、視野の広がりだ。
    青☆組作品の印象は、小津調とも言えるような、畳上からの視線だ。
    しかし、今回は、海と空、飛行機雲と沖合の船を描写することで、登場人物の視線の先に広がりを見せた。
    それが観客にも伝わった。

    光を織ったような舞台装置が印象的だ。
    舞台を邪魔することなく、煌めいていた過去の思い出や、キラキラ輝く海を想起した。

    5人の登場人物、典子 和彦、美幸、春江、健介が、それぞれに五線譜になって、歌を奏でていた。

    FUKAIPRODUCE羽衣の日髙啓介さんが、青☆組の舞台に出るということで期待していた。
    ロックで哀愁がある素晴らしい役者さんだと思っていて、ガッツリなストレートプレイの舞台で拝見したいと思っていたからだ。

    青☆組に登場する役者さんたちは、しょうゆ顔(笑)の印象がある。そこへ濃い日髙さんがどう絡むのかと思っていたが、見事にはまっていた。若い和彦さん役の荒井志郎さんとの対比だけでなく、後ろ姿がなんとも言えない。特に典子と海辺で会ったあとの姿がだ。日髙さんにしか出せない空気ではないかと思った。

    藤川修二さんが、健介ではなく、和彦だったということがわかる瞬間は、上手い、としか言えなかった。藤川修二さんのあたふたする感じが、見た目の年齢も相まって伝わるものがあった。

    典子は和彦とは違い、福寿奈央さんが1人で演じることで、昔に返ってしまった妻、それは年老いた和彦から見た姿であり、健介を思い起こさせる姿である、ということを見事に示していたと思う。
    若い姿の妻・典子は、和彦にとって、(今を忘れて)昔の時間に盗られてしまうような恐怖であったのかもしれない。

    改めてフライヤーを見ると写真が語っているな、と感じた。
  • 満足度★★★★★

    新しい血の力
    作り手の紡ぐ時間の透明感は今回も健在で、それゆえに浮かび上がる心の揺らぎや因果の係りのようなものにも強く惹き込まれました。

    その一方で客演の役者が新たな血を流し込んだような印象も残る舞台でした

    ネタバレBOX

    FUKAIPRODUCEには劇団員が以前に客船したりもしていて、繫がりもあったのだと思いますが、今回日高さんの醸すものがとても良い意味で劇団員が踏み込まなかった感情の汚れのようなものを編みこんでいたように思います。

    そのことで、時間の質感が、より物語から観る側がリアルに抱く感触に近いものに感じられました。
  • 満足度★★★★★

    カンパニーとして
    力を感じた。異世代の俳優が所属していることの強みだろう。当たり前に家族の姿が立ち上がる。そこにいつも上質なノスタルジーが漂う。心をギュッと締め付ける吉田小夏さんの本と、そこに登場人物が確かに生きていると感じさせる俳優の力量に、ただただ敬服する。

  • 満足度★★★★★

    「固有である」ということ
    アトリエ春風舎の空間に申し分なくはまった・・というより使いこなした舞台。黒光りする古い木板の床や、少なく不便な出入りルート、そして空間のサイズそのものも「虚構空間」へと動員して、普段は頭から離れにくい「春風舎で見ている」感覚を、忘れるほど完成度は高かった。
     多言を弄しても掴まえる事の出来ない美、瑞々しさ、もう一つ(いや沢山)去来させるドラマ上の「何か」には、ただただ作り手の充実した創造の仕事がしのばれる事よ、と返すのが精一杯である。
     終演後、階段を上った出口にややご高齢の夫婦が居て、見送りに出た役者二人程に嘆息を漏らしていた。ふだん劇場に行きつけている様子でない、何がしか縁故あって時々芝居を見に重い腰を上げてやってくる、そんなタイプ(勝手な推量だが)に見えたその女性は何度も「よかった、よかった」・・と、幾ら言っても言い足りないとばかりに繰り返していた。一足先に劇場を出た後、その夫婦と私以外客がなかなか出てこない。「そうだやはり台本を買っておこう」と階下に下りて購入。チラと見ると多くが客席に座ったまま、舞台のほうを見ていたりアンケートを書いている。
     この光景が全てを物語ってるナ・・と良い気持ちになって劇場を離れたものであった。

     青☆組観劇は多分3度目くらい。存在は随分前に知っていたが、チラシの体裁等からイメージしていたのは「女の子らしい可愛い日常を描く小品」。ところが意外に骨太な構成をもつドラマを書く。 特徴は「過去のある時代」の風景を、往時をしのばせる「嗅覚」に訴えるような風俗をうまく取り込んで、世界を再現、再構築する。青☆組の舞台の重要なポイントだろうと思う。
     過去へと遡り、「その時代」でしか起こりえないディテイルを組み込んだドラマが展開する。この「時代性」のこだわりは、話じたいはフィクションだが「確かにこういう時代があった」、という事実のほうに重きが置かれているということである。 その時代にも人々は健気に、懸命に生きていた、その証であるそれらの風俗が、逆に現在を照らしてくる。 様々な「変化」を疑わず(携帯電話の普及が如実)、次々と過去へ置き去られていく、この「変化」への鈍感さ(適応のよさ?)は実のところ、「支配する側」には大変都合のよろしい性質に違いない・・・とそんな事も思う。

     今回の芝居、隙やほころびが殆ど見られない完成度をみた。もっとも、本当に良い作品に「完成」という言葉は使いたくないものだが、敢えて使うなら、この「完成」に対し、ひねた私はまず困惑するのである。
     演劇という芸術が「完成」をめざす営為であるのは当たり前なこと。だが、皮肉なことに「良い終わり方」で気持ちよくなる分、考えない。それでよいのか、と考えてしまう。
     今作も、「気持ちよく」終わる。感動がひたひたと来る。「海の五線譜」に感動したのならその所以は何か、私としては掘り返すべきなのだが、ただ感動の後味のまま、寝かせておきたい心情がある。
     しかしそれでは×だと、自分の声が言うので少し書いてみる。 ・・劇中のエピソードは決してありきたりではない、珍しいと言えるだろう、ただし誰しもこの程度の逸話は持っているものかも知れない、と言う程度のものでもある。 絶妙に独自性のあるお話を通して、この芝居は人生、愛、世代の継承、自分自身とは何かについて、問いを静かに投げかけている。
     この台詞に無い「問い」が可能であるのは、優れて「固有」な、確かに「そこにあった」お話としてリアルに再現されているからだ。
     しかし同時に、「固有」なものとして現前しているほど、一回性の生の儚さが息を吹き込まれた人形のように存在してしまっている。これはもう儚み、いとおしむしか手の出しようがない。
     かくして、この物語の登場人物---皆が皆切実な生を生きている---の輝きや「存在」感は、手の内におかれた命のようにそっと胸にしまいこむしか、やはりないのだ。 謙虚にそのことを認め、作者、そして俳優諸兄にありがとうを言いたい。

  • 満足度★★★★★

    遅ればせながら、感想など
    気になりながら、一度も観られなかった劇団だが、
    観終わって、これまで観て来なかったことを後悔した。
    早く書きたかったのだが、所要に取り紛れ遅くなってしまった。

    狭いアトリエの舞台で、
    抽象的でシンプルなセットを十二分に使いこなした演出が、なんとも秀逸。
    そして、それに応える俳優陣の頼もしさ。
    どちらが欠けても、これだけの完成度にはなり得なかった。
    灰汁を取り去って、上質の味わいだけを残したスープのような、
    こんな俳優陣を使える、
    ここの主宰は幸せである。

  • 満足度★★★★★

    木綿のような肌触り
    “青☆組”は本作が初見。

    その舞台は、まるで“小説”を読み進めていくうちに、その世界に入り込んでしまう感覚のようであり、
    そして、「木綿の肌着のように“やさしく自然な肌触り”で物語が紡がれる。」そんなイメージ。

    丁寧に創られた舞台に、心地よい充足感をいただきました。。。

  • 満足度★★★★

    約95分
    とても美しい秘密がみずみずしく描かれていました。

  • 満足度★★★★★

    -
    いつもながら時間軸の使い方が心地よい。

  • 満足度★★★★

    透き通っている
    青☆組 の作品を見て感じるのは、清らかな清流からオゾンを吸収しているかのようだ。人間関係の描き方も、染み入ってくる。見終わって、体が少し軽くなったように感じられた。

  • 満足度★★★★★

    リピート観劇したい
    初青☆組観劇。噂に違わぬ実力派劇団。
    ここは本当に素晴らしいね。日本的情趣に富んだ佳作。 ああ、何とかしてもう一回観たい。

  • 満足度★★★★

    蜜柑
    面白い。95分。

    ネタバレBOX

    和彦(藤川修二・荒井志郎)…典子の夫。大学のサークルの後輩だった。典子の想いに不安を感じている。
    典子(福寿奈央)…最近、記憶障害が出始め、健介への想いが強くなる。なぜ、和彦と結婚したのか思い出せない。
    美雪(大西玲子)…典子らの長女。典子に言一時忘れられる。健介の甥との手紙から健介の死亡と典子とのやりとりを知る。
    春江(小瀧万梨子)…典子らの次女。夫と別居中。サーフィンを始めた。
    健介(日高啓介)…典子と恋仲にあったが、父の脚の病気の件で実家に戻り、典子とは別れることとなった。

    好き同士でも、流れで別々の人生を歩んだ二人と、現実に長い時間をともに過ごし家庭を築いた二人。どっちも素敵だなーなんて、率直に思った。基本静かめな舞台だけど、ハネムーンで元彼とデートするなんて、ドラマチックな展開もあって、いい感じにくすぐられた。浜辺に佇む典子を探し当てた和彦が、自分とのことはいいからと、家族として受け止めようとするラストも○。
    苦味と甘みがいいバランスの作品だった。

    序盤とか中盤のリズミカルなパフォーマンスの挿入も良かった。若い典子の笑ったり怒ったりの表情が魅力的。
  • 満足度★★★★★

    お見事!
    イントロから引き込まれましたね。見事な構成の脚本と演出、複数役をこなす俳優さんたちも実力者揃い。堪能しました。

  • 満足度★★★★★

    二役の妙
    大きな愛、この後が非常に気になります。

    ネタバレBOX

    宮崎と鎌倉を舞台に、現在と学生時代、新婚時代等の過去をテンポ良く転換させながら、やや若年性の痴呆症に罹り始めた妻が忘れてしまった重大な過去の秘密がそこはかとなく浮かび上がってくる話。

    スプライトとかバヤリースは今も売られている商品ですが、大学生にスプライトとしゃべらせるだけで一瞬でみんなに時代を分からせるのはさすがです。

    みかん好きの長女は丸い顔、次女は長い顔。長女役の大西さんは先輩の姉との二役で、長女の出生の秘密が窺い知れました。『星の結び目』で描かれた氷屋の長男と次男のようでした。

    そして、夫もそのことを知りながら受容していました。先輩の甥と文通を続けている長女が宮崎の地でその人と出会ったときに、その人があれっ伯母さんに似ていると気づいてからどのような結果になるのか、即ち宮崎に縁があるということになるのか、あるいはやや近親過ぎるということになってしまうのか、期待と不安でいっぱいです。
  • 満足度★★★★

    観てきた!
    およそ90分の公演でした。良かったと思う点を箇条書きに。
    ・役者陣のレベルが高かったです。全員が一人二役や三役をこなすのに驚きます。
    ・場転やモノの移動が鮮やかだった。
    ・後半のリズムが良かった。アカペラで物語に柔らかさを出しており、長い会話劇の舞台を飽きさせないように工夫されていた。

    ネタバレBOX

    物語は「なぜ結婚したのか?」という問いを妻を中心に夫婦、元恋人、親子の関係の中で語られます。自分が男のせいか、やや一方的に求愛を受ける女性に違和感を感じました。物語全体としては「上手く」まとまっていたとは思います。
  • 満足度★★★★★

    小夏ワールドを満喫!良かった!!
     重いテーマを扱いながらも、笑いと涙を織り交ぜつつ観る者を引き込む脚本と演出は流石!そして、時空を自在に行き来しながら何役もを演じわける役者さん達の力量にも感服!この世界は小夏さんならではの味わい。もう一度観たい。

  • 満足度★★★

    ネタばれ
    ネタばれ

    ネタバレBOX

    青☆組の【海の五線譜】を観劇。

    何気ない日常生活を細やかに表現する事が出来る劇団。

    自分の人生の伴侶の選択は正しかったのだろうか?
    そんな思いを妻・典子は、老いと共に痴呆が始まった自分に問いかけるようになっていった。
    学生時代の典子は、二人の男性の和彦と健介を好きになっていた。健介からのプロポーズも宮崎での農業生活を考えると断ざるえないのである。
    結局、典子は和彦を選んだのであるが、やはり健介への思いは忘れられない。
    そしてそれから数年後、偶然にも健介と再会する機会があるのだが、典子は同じ様に健介を断ち切ってしまうのである。

    女性作家が描く典型的な恋愛物語。
    現実的で、ロマンスを求めようとしても、求められない女性の最終選択は、いつだって世界中何処でも同じなのである。
    あのグレイトギャッビーのディズィーすらそうなのだから。
    そのロマンスを求められない女性が、ロマンスを描こうとするとたちまちに悲劇が起こるのである。
    それは男性にとってはシェイクスピアの悲劇と寸分と変わりないのである。
    そう、だから今作は徹底した男性の失恋の物語であり、そこに視点を持って行って観る事が出来れば、傑作である。

    最近の小瀧万梨子の芝居の上達度が半端ない。
    今、一番の注目株だ。

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