おぼんろ番外公演
~月が死んじゃうときの音~
実演鑑賞
レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)
2013/09/16 (月) ~ 2013/10/08 (火) 公演終了
上演時間:
公式サイト:
http://www.obonro2012-9.net/
期間 | 2013/09/16 (月) ~ 2013/10/08 (火) |
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劇場 | レンタルスペース+カフェ 兎亭 |
出演 | 末原拓馬 |
脚本 | 末原拓馬 |
演出 | 末原拓馬 |
料金(1枚あたり) |
2,000円 ~ 2,000円 【発売日】2013/09/07 あまりに貧しい方は、お気持ちだけか、もしくはお菓子などでも結構です。 |
公式/劇場サイト | ※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。 |
タイムテーブル | 9月 16日 14時~、 16時~ 20日 18時~、 20時30分~ 27日 18時~、 20時30分~ 10月 6日 14時~、 17時~、 20時~ 8日 14時~、 17時~、 20時~ |
説明 | ■創作日誌■ ■9月28日■ 3日目、6ステージまでを終了し、折り返した。6ステージは決して多い数字ではないけれど、一回ごとに稽古をし作品を詰める時間があるのが功を奏して、確実に自分の中で芝居が沁み込んでいくのがわかる。久しぶりに、ただ物語をしたい衝動のみで物語りをしているような気がしている。消費されれば痩せていくのは感性もまた同じ。たまには無茶をして、肥えさせてもらわないと立ち行かなくなるのである。とにかく幸せな気持ちで上演している。週に一回、そこかでり芝居をする生活。変な話、このまま老人になっても案外幸せなんじゃないか自分は、なんてことさえ思ったほどだ。 ■9月17日■ やってみて初めて分かることがある。脱臼するほどのフルスイングで空振らないと、わからないほどには自分は低クオリティだ。痛いのはたぶんひとより超苦手だから、1時間後には進化できる。やってみる勇気もない奴に空振りのことをアレコレ言われる筋合いはない。失うものが何一つなくて自殺紛いに物語り続けたのはわずか3年前らしく、いまは、当時は持っていなかったものをいくらか持ってる。自分だけの所有でなかったりもする。唯一の宝物であるそれらを案じて、がんじがらめに静止してるのは、無理だ。航海に出てよかったと、台風の置いて帰った月を見上げて確信した。やってやる。 ■9月16日■ 初日。SFXを思わせるほどの暴風雨のなか、9時に劇場入り。極めて些細な照明をいじり、としもりに舞台監督を頼み、場当たりをする。この日は音響操作も照明操作も、プライベートでの親友に頼む。貧乏が憎いぜ、とも思うが、幸せは感じる。時間がないので、ゲネプロは二倍速。人間と言うのはすごいもので、前日に10時間稽古しても習得しきれなかった演技が、寝て起きるとできるようになっている。とかとか感動しているうちに、メイクの時間。ヒロトさんじきじき、1時間かけて変身する。台風の中訪れてくれた参加者たちを抱きしめたい衝動に駆られる。もし自分がアンパン素材で成り立っていたら、いざと言うときはこのひとたちに食べてもらおう、なんて思う。12時から17時までのわずか5時の間に、ゲネを含む3ステージ。ムチャクチャなスケジュールだけど、路上の頃を思い出して心地良い。終わるなり、稽古を始める。次は20日。早くみんなに会いたい。 ■9月15日■ 演出の案は出続ける。深夜2時だけれど、延々作業。何年もなじみの松澤さんに電話をし、無茶なお願い。それでも、「・・・やるか!」と答えてくれる彼を、ああああああ、愛してるぜ。 ■9月14日■ クワハラヒロト氏によるメイク合わせ。衣装もついに完成。衝撃のクオリティ。写真撮影に三浦麻旅子さんが来る。広報大庭さんは撮影現場の隅で作業。スタッフに囲まれると、幸せになる。信頼と言うのは心地よすぎる感情だ。あとは自分ががんばるだけ。やってやる、と思う。 ■9月11日■ 稽古、稽古、稽古。その他の仕事はもちろんたくさんあるけど、最優先で、稽古。稽古は、大前提、けっこう大変である。セリフを入れようとする作業然り、できない動きをできるようにする作業然り、脳や体が悲鳴を上げる。筋トレの苦しさを想像してみると良いかと思う。ここで妥協したら、一生カス。 ■9月10日■ 出演したラジオにて『坊、航海!』の宣伝。このハンガーボーイを含む独り芝居ツアーのことで、読み方は「ボン・ヴォヤージュ」である。ラジオで、テーマ曲である“ハンガーボーイワルツ”を本邦初公開。とってもいい気分だった。病み付きになる。うちの芝居のテーマ曲が世界中のラジオで流れるようになったら、どんなにか素敵だろう。 ■9月8日■ 明け方に帰って来て仮眠から目覚めるなり、一本の電話をかける。昨日の衣装を身に着けて、ヘアメイクが気になった。衣装の世界観が強くなった分、頭部が生身では見合わなくなったのだ。電話をした相手はクワハラヒロトさん(http://www.rhea-tors.com/#!home/cknf)。以前、奇跡的な縁で出会ったのだが、その日スマホの画面上で彼の作品を観た時に本当に驚いた。ど真ん中だったのである。それなりに緊張はしたけれど、寝ぼけ眼を免罪符に「助けてください」と頼むと、まあ頼んでみるものである。お願いできることになった。 れいこさんと音響打ち合わせ、ひろえさんとの稽古を経て、21時ごろにヒロトさんの事務所へ行く。そこから、物語りの話をして、打ち合わせ。出てくるアイデアの凄さにむしろ頭を抱えそうになる。とにかく、アーティストとの打ち合わせは最高に楽しい。そしてなんと、本番にもメイクさんが付くことになった。 ■9月7日■ 依頼していた衣装がある程度完成したというので、第一段のフィッティングにゆく。衣装プランナーの永田さんはプランだけを描いて癌で入院中である。作業を引き継いだのは斉藤典子さん。実を言うと前本公演『ビョードロ』で映像を手掛けてくださった斉藤潤さんとは夫婦関係である。かのトレイラーで歩き続ける“ジョウキゲン人形”を創ったのが彼女。だもんで、斉藤家に伺ってフィッティング。打ち合わせで図面は見ていたものの、その後の試行錯誤により立体化した衣装を見て、息を呑んだ。今回は質感が重要になってくるため、幾晩も徹夜をし、様々なことを試してくれたらしい。そのまま完成に向けて作業と話し合いをし続け、終わったのは明け方の4:30。とってもクリエイティブな徹夜。 ■9月6日■ スタッフから「タクマプロジェクト」と言われる。 おぼんろのプロジェクトだけど、 今回は自分もガッツリ成長する場。 一年前は想像もつかなかったほどの、 目上のアーティストたちとのコラボレーション。 大きく成長をしたい。 ■9月5日■ 敬江さんと稽古。振付けてもらう。非常に集中力の高い稽古時間であったと思う。物語内容を深く深く話し合った上で、敬江さんが振付けに入る。稽古場にはテーマの曲が延々とリピートで流れている。非常に神聖な時間であった。今回のボヤージュは自分を高める挑戦をする意味も強い。これまでになかった引き出しを創りたい、そう相談して引き受けてもらった。得意な動きでやるばかりでは、ここから先に成長できない。自分が成長しなければ、おぼんろはここまでだ。逆も然りだ。やればやるだけ、上に行けると確信がある。 ■9月4日■ 深夜0時を寸前に、突然調子が出てくる。本編全体の音楽を決める。音響のれいこさんがいつも言うが、「おぼんろの物語りに、お父さんの音楽は本当に合う」。わかってはいるが、何万度でもひしひしと感じる。曲のチョイスひとつで芝居の内容はまったく変わる。演出段階では同じ物語をさまざまな味付けで楽しむことができる。えへへ。いいでしょ。 ■9月3日■ 本日情報公開である。盛り上げていこうぜや。 ■9月2日■ テーマ曲が完成する。我ながら自分の世界観は相当なクオリティだと信じて疑わないできたつもりだけれど、それが何倍も立体的に、深く深くなるんだから、ブッ飛ぶ。「立体」を越えて、四次元にまで手が届きそう。早くみんなに聞かせたいけど、もうしばし、おあずけでやんす。 ■8月29日■ 兼ねてから師事しているボイストレーナーの加瀬先生と打ち合わせる。『ビョードロ』が終わってから、肉体強化を目論んでレッスンの回数を格段に増やしている。先生には件の『ひと2』の時は演出を依頼した。自由劇場にスタッフとして参加し、実はシアターコクーンの立ち上げを手伝っていた人間だったと知ったのはけっこう後になってからである。新劇でやってきた先生に、拓馬はよく型破り演劇でやっていく相談をする。これが、なぜかとてもいいバランスを生んで化学反応するのである。 ■8月28日■ 高橋倫平、わかばやしめぐみと打ち合わせる、なぜか、秋葉原で。 主宰は俺であるけれど、先輩は2人であって、超親友だけど、ビジネス相手。複雑怪奇な関係である。とにもかくにも、メンバーに甘えて初めて立っていられる。それでいいと、自分自身思ってる。 ■8月24日深夜■ 岡山県にいる。連日こうづさんと連絡を取っているが、夜中にホテルでPCのジョゼッペを起動させると、フライヤーの完成版が届いていた。何度も何度も創り直してもらって面倒を懸けたけれど、最高の気分だ。勝ってくるぞと勇ましく、渾身の「ありがとうございます」を告げる。 ■8月23日■ 末原康志氏にテーマ曲の作成を依頼する。父である。珍しくも自宅にいたので、台所でお互いコーヒーを煎れにきた隙に話を持ちかける。物語は以前も読ませたことがある、今回のコンセプトなどを語って聞かせると、オウム返しばりのラリーで「こんなのはどうだ?」と返事をし、そのまま音楽室に入って行ったと思うと、数十分後、我が部屋をノックし、「デモができた」と言う。聞いて驚く。文系の自分にはわからないが、DNAと言うのにはなにか超常的な機能があるのだろう。 ■8月22日■ 金崎敬江さんと打ち合わせる。『メタモルリバース』に参加してくれた、女優であり演出家であり、振付家である。今回、振付けを頼むことにしたのである。台本を前に、あれこれとプランを語る。 ■8月21日■ 永田さんと衣装の生地などを買いに行く。ゲリラ豪雨に襲われる。永田さんは来週、癌の手術で入院する。ギリギリまで仕事を引き受けてくれた永田さんには頭が上がらない。でも、これがクリエイター同士のつながり方。その衣装で、とにかく何万回でもこの物語を紡ごうと誓う。面会が可能になったら病室に出張上演しに行くとも宣言して別れた。 ■8月20日■ 六本木にある、こうづなかば氏のギャラリーに押しかけて、作品のヴィジュアルイメージ作成を頼み込む。本を読んでもらったら、ものすごく膨大なイメージを抱いてくださったみたいで、2人で話し込むこと数時間。この作品は『ライオンキング』とか『ウィキッド』みたいな様子で、普遍的に愛される作品になって欲しい。そういう意味で、しっかりと看板を創りたいと思い立ったのだ。 そのままの足で原宿で衣装の永田光枝さんと打ち合わせ。出来ることは、する。めんどくさいだとか、予算がないとかで手を抜きたくない。どうしてこんなにモチベーションが高くなったのか自分でもわからないけど、世界中のありとあらゆるパフォーマーに、芸術家に、後ろめたいようなのはもう死んでも嫌だ。 ■8月中■ 情報公開に先行して、実はこの作品については動き回っていて。例によって大口叩いてしまってごめんなさいだけれど、たぶんこの作品は俺が死んで100年経っても読み継がれるような気がしていて、完成のためにできることはすべてやると決意。 ■8月頭2■ 藤井としもりに、その旨を相談する。かつて新撰組をテーマにした舞台でヤマナミケイスケ役をやった男だが、頭でっかちさがあまりにそのままであるが、自分にはない要素につき重宝する相棒である。石橋を叩く役割はこのひとと高橋倫平に任しているが、時に、どんでもないドつき方でゴーサインを背中バチンされる。 ■8月頭■ 『ひとりじゃできねぇもん2』で行った『月が死んじゃうときの音』という作品がある。地球上で、50人くらいにしか目撃されていない作品であって、まだ未完成であったと自分でも認識。そのまま放っておいた。 とある明け方だったか深夜だったか、夢を見た。ハンガーボーイが突っ立って、話しかけてくる。「もう一度、世界に解き放ってくれないい?」 まどろみの中本棚から引っ張り出して読み返したらなんだか涙が出ちゃった。新作としてやります。一時間にも満たないような、夢をみていたのかな?と言う感覚が残るような短編作品になると思います。 ■7月末■ 江古田ユニバースに参加することが決定。主催者の三田村龍伸さんの朴訥だけど芯のある姿に好感を抱いて、首を縦に振ることに。ザックリ言うならば「短編ならいくつもストックがあるでしょ?何かやりに来てくださりません?」というオファーだったわけで、そういうつもりだったのだけれど、新作をやりたい気持ちになる。 |
その他注意事項 | |
スタッフ | 脚本・演出 末原拓馬 音楽 末原康志 衣装 永田光枝(ゐ着るものや)、斉藤典子 宣伝美術 こうづなかば(Gallly Cord) 音響 志水れいこ 振付け 金崎敬江(miel) ヘアメイク クワハラヒロト(RHEA TOR'S Inc.) 映像コーディネイト 松澤拓延 エンドロール 山田晃 広報 大庭利恵 スチール 三浦麻旅子 企画・製作 江古田ユニバース・おぼんろ |
■9月28日■
3日目、6ステージまでを終了し、折り返した。6ステージは決して多い数字ではないけれど、一回ごとに稽古をし作品を詰める時間があるのが功を奏して、確実に自分の中で芝居が沁み込んでいくのがわかる。久しぶりに、ただ物語をしたい衝動のみで物語りをしているような気がし...
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