満足度★★★
寂しいラスト
仮面に鳴りものと最近の定番な演出で
今回も不思議な舞台となっておりました。
ピラカタが良かったので古事記のマヨワと現在
どんな風に関わるのかと思いましたが
アナザーピラカタという感じでありますが
舞台が大きいせいもあり、密度は薄まっていたのかな?
正直、過去のマヨワのシーンとか現在との
関連性が無いまま、パッと3男に引き継がれる
ラストは何か寂しさを感じました。
猪とか薫とか好きな所はあるけれど、期待が大きくて
ちょっと物足りなさも正直感じてしまいました。
満足度★★★
難解でした
演出や音はすごく良かったです。圧倒されました。ただ、ストーリーはちょっと難解でした。終演後にシアタートークがある回に見に行けば、また違った印象だったのかもしれませんが、自分での解釈が追いつかないうちに物語が進んでいってしまい、分からないまま終わってしまった印象がありました。
満足度★★★★
団体力。
演劇でないとつくれないものを観た、という感じがした。
以前から思っていたことだけど、団体が持つ力がすっごく強い劇団なんだと思う。
で、その団体力が、観るたびにアップしてる印象。
難解ではあるけど、生音とか、体感できる部分が大きく作用してくれたので退屈することはなかった。
ただ、場面転換がスムーズに切り替わるのでなく、こまぎれになっている印象を受け、次々と出てくるエピソードが並列的に感じられたのがちょっと残念。
満足度★★★★
演劇的
とても演劇的らしい舞台なのかなと思いました。
自分の解釈と折り込みの説明が違っていたので、解釈としては間違ったかもしれませんが、表現がとても面白かったです。
古事記を再度読み直してみたいと思います。
「団地」 と「自然」の薄暗さの対比
座•高円寺という広い舞台スペースを、非常に効率よく使ったことに目を疑う。
「団地」はコンクリートの集合体であるが、人里離れた「人的な森」と表現することも 可能だろう。
例えば、多摩ニュータウン。
「多摩の森」は希少な日本のタヌキが生息する、極めて自然豊かな地域だった。
ブルドーザー等の重機で土地を切り裂き、「多摩の大地」を東京湾へ流したのは人間自身に他ならない。
多摩モノレールも、西武鉄道も開通してはいるが、しかし 東西南北の地域文化から分断されてしまっている。
森の中に突如、現れた巨大団地シティは、新しく生活を追い求める若い夫婦が集まった。
出身県、仕事を異にする数万の国民が(中流上層)、周囲で田んぼを耕す農家の近くへ引っ越してきた。
ただ、彼らは独自の「団地コミュニティ」を形成し、外の人間を排する。かくして60年代〜70年代初頭にかけて「団地コミューン」と呼べなくもない自治組織が生まれたのであり、そうした意味において 一種、団地は日本列島の「人的な森」であるといえるのではないか。
宮崎駿が映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年 スタジオジブリ)で伝えたかったことは一体、何だったのか。
核心に、このニット•キャップシアターなる関西の劇団が真っ向から答えたのである。
「少年王マヨ」は古事記にも登場するらしい。
おそらく、ほとんどの観客は「少年王マヨ」なる存在すら知らなかったはずである。私も、名前を 存じ上げなかった。
ニットキャップシアターの、音、光、舞台美術の相互効果作用は 独自のものを感じる。
「団地」という現実を扱っているののに、「幻想」的な雰囲気を醸し出す。
大元のテーマは具体的な事象だが、ストーリーは摩訶不思議であり、普通は「理解できない舞台」となる。
ニットキャップシアターは、「幻想」を炊き、劇場に それを充満させることで、両立する舞台を造り上げる。
冒頭の、夜の団地シーンは 圧巻だった言わざるをえない。
舞台上には、十数名の役者が立つのにもかかわらず、「存在感」が皆無なのである。
団地少年は「存在」する、しかし他は夜に漂う不気味な揺らぎであり、およそ人だとは思えない。
後半のブルーベリー農園も、やはり そうだった。
「小鳥のさえずり」である。
といっても、役者達を小鳥に間違えたわけではない。
「雰囲気」こそ背景であり、舞台セットであり、時代であり、現実だったのだ。
それは、新聞記事を読むニュースキャスターだった。
「団地で火災が発生し、その炎で虫を退治しようとする住民」
「理解できない」といえば それまでだが、役者の口調は事実関係を誤りなく 説明する用意があった。
団地のコンクリート+住民同盟と、自然界。
それは、ダーティーな「戦争」であって、団地少年だった「少年王マヨ」が自然界側に付いたのは作品の重要なポイントだった。
元々、古事記に記載された物語が そのような骨子だったのだから、当然といえば当然だろう。
つぎはぎの布であっても、1枚の白い布であっても、ダイナミックであれば、強い威力を発揮する。
単調なメロディを繰り返し流すことで、観客は病み付きになる。
この舞台は、「団地」に対しては否定的な印象を感じえないが、「昭和」の「大きいことはいいことだ」社会構造は受け入れているのではないか。
ちなみに、私にだけアンケート用紙が織り込まれなかったのは何故か、残念だ。
満足度★★★★
考えるな、感じろ!的で私は大好きです。
好きなキーワードばかり集まっているから萌えを通り越して性的に興奮しそうでやばかったです。(すみませんキモくて)
好きな人はたまらなく好きだろうなという気がします。
満足度★★★
神話と団地
神話的世界と団地内の閉じた世界が繋がった不思議なスケール感を持つ物語を、様々な演劇ならではの表現を用いて描いた作品で、おどろおどろしい中にうっすらとユーモアが存在する独特のテイストが印象的でした。
『古事記』に描かれている不幸な短い一生を送ったマヨワの墓がある丘を造成して団地を作った為に、団地の住民に呪いが降り掛かり、目に怪我を負ったを少年にマヨワ(=目弱)の霊が乗り移る物語で、メインストーリーはそれほど複雑ではないのですが、1人複数役で普通の会話の文体とナレーションの文体が入れ替わりったり、構成も団地の住民のエピソードが断片的に挿入される形なので、複雑に入り組んだ印象が強く、そのことによって独特な世界観へ引き込まれました。
団地の棟を表すアルファベットが振られた縦長のパネルが舞台奥に間隔を空けて立ち、両サイドには様々な楽器を乗せた台が2つずつあり、床面は白いラインでで描かれた長方形によって演技エリアが区切られているという真っ黒のシンプルな空間がスタイリッシュで、その中で展開されるドロドロとした物語との対比が鮮烈でした。
役者達が木の形のポーズをして森の情景を表現したり、人や人以外の生き物を白い布人形で表したり、効果音や音楽を役者の声や楽器演奏で表現したりと、電気的な技術はあまり用いずに人間のアナログな技術で様々な表現をしていたのが、呪術的雰囲気のある物語にマッチしていて効果をあげていました。
所々に素晴らしいシーンがあったのですが、全体としては芯が弱く感じられたのが勿体なく思いました。
満足度★★★★
ワクワクしました。
ストーリーが飛ぶため、自分の頭で整理するのが少し難しかったです。しかし、動きや効果音全てのレベルの高さに圧倒されました。演出が素晴らしい!
満足度★★★
不思議な世界
正直、ストーリーはよくわかりませんでした。
しかしながら、俳優たちの奏でる音(声も)や動きがとても印象的で、何か夢の世界に居るような気持ちになりました。
満足度★★★
興味深い演出
視覚的・空間的な部分での演出はとても面白かった。音楽の付け方もとても良かった。ただ「演劇」と思って観てしまうと、脚本や演技が弱く感じてしまった。
だが、「演劇」と思って観ずに、コンテンポラリーダンスか、どこかの国の民族芸能を観るような心づもりで観ていたら、より深く作品世界を感受できたのかもしれない。
満足度★★★★
なかなか凝った演出
舞台の両脇に様々な楽器を備えて、場面を生演奏で演出するのが、とても新鮮でした。
演者の表現は、想像力をかきたてるもので、楽しめました。
満足度★★★
うん、
正直、訳が分からないよ! 笑。 どういう文脈が理解できていれば理解可能になるのかもよく分からず。。ハハ。。 スイマセン。。 古代の文献の記述からイメージされる世界観のポップな形でのコラージュみたいな感じでしょうか。 パフォーマンス?アート?として、また、音楽的にはとても面白かったです! 怪しい呪術的な雰囲気がとてもよく出ていると思いました。 あと、途中の女性の歌声がもっと聴いてみたかったかな。笑。
満足度★★★★★
合うかどうかは分かれるかも・・
自分は好み。個人的には今年ベストの部類かな♨
・・まあ、人それぞれだけど。
浅草での子供鋸人と言い、前世紀末の関西は東京からでは見えにくいかもしれないけど、舞台として非常に豊潤であることに疑いの余地はない、と思う・・あくまで個人的な見解として(苦笑
非常に色彩が豊かで、音の要素も微妙。男性らしくない演出ぶりだったと思う。
男性の演出家で、これだけ繊細に、かつ色んな技術を目立たせないように忍ばせる腕を持つのはごま氏くらいではないかと思ったり。
物語の豊かさ、ユーモア、演出の微妙さと言い、
国内の若手の劇作家、演出家としては完全に抜け出しつつあるのではないかな、とも思う・・あくまで個人的な見解として。
役者たちの動きもピラカタ・ノートよりさらに動きがスムーズになっていてとても良かった。
ちなみにごま氏とは一切面識はありません、個人的な感想で・・。
満足度★★★
役者のエネルギーは感のじましたが。
私には難解であまり感動できませんでした。 芝居とは直接関係ないのですが、客席への誘導が少しくどいと感じました。
満足度★★
伝わりにくい意図
また芝居以外の部分から。。!
こんな事を思ったのははじめてなんじゃないかといったくらいなのですが、客席案内の人をうるさく感じてしまった。
声も良く通るし、できる方なんだと思いますが。
先ず「奥側が空いている」という情報を発信していくのは必要な事ですが、前の席が見やすいと固定概念を持ってやるのはよろしくない。
ワイドの広い舞台なので前は前で全体を目に入れにくくなるので、見やすいかどうかは客次第。
だからそれを聞いてもスルーする人ばかり。
もっとシンプルに案内する方がいいのでは。
何より、客が入ってくると都度全体に発する高い声で案内していたので、トーンが大き過ぎた。
そのがんがん耳に入るアナウンスは既に座っている客には必要無い情報であると思い至って欲しい。
特定の席を進めるならば対象の客を定めてやる方が良いと思う。
開演間近はそうしてたけど。
座ってもらいにくい席を埋める為にわざとやっているのかとも思いましたが、前の席が埋まった後「後ろの席になってしまうのですが。。」
と申し訳無さそうに言っていたので、あ本気なんだと。
鮮烈ではある
楽器や白布や白い人形や、目新しい表現が多くて、感心。
表現そのものは、かなり練られているんだと思う。
ただそれが、神話の何がモチーフで、団地の何の比ゆなのか、
私には理解できなかった。