エレジー 公演情報 エレジー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-12件 / 12件中
  • 満足度★★★★★

    あまりにも素晴らしい!
    会場に入ると個々の観客椅子にラップで綺麗に包んだ真紅のバラが置いてある。
    およそ生まれてこのかた、真紅のバラなんてプレゼントされたことがないワタクシは、なんだかとっても嬉しくなった。そして平幹二朗主演の舞台を4000円というチケット代で観られるという設定も良心的だと思う。そのせいもあってか、この日はキャンセル待ちの観客が受付で列になって並ぶという反響振り。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    裏日記はこちら→http://ameblo.jp/misa--misaki/

    当日パンフは舞台上の登場人物が映されていたが、あちこちの劇場で置きチラシしてあったフライヤーに映ってる平はリア王の平。笑
    手抜きにもほどがあるのだが、やっぱ4000円だから?笑

    キャストは5人。今更ながら平幹二朗の厚みのある演技力に感動した。

    偏屈でがんこな老父・平吉(平幹二朗)は凧の研究家であり、昔は高校の生物教師だった。現在の平吉の家は八年前に平吉が頭金を出し、息子の草平がローンを支払うということで買った古家だが、その後、草平は平吉の意にそぐわない女優の塩子(山本郁子)を伴い、家を飛び出す。平吉が死ねば、家は草平の手に入るため、家を離れた後も草平はローンを払い続けた。残酷で荒涼とした家族の姿は、草平の急死で浮上した残りのローンの支払い問題により、大きく変化することになる。

    ある日、ローンの督促状を持って塩子が平吉の家にやってくる。対立する平吉と塩子の間に、やがて奇妙な愛情が生まれ、平吉の弟(坂部文昭)、塩子の伯母(角替和枝)、塩子に求婚する青年医師(大沢健)を巻き込んだドラマに展開していく。 という筋だが、この物語に登場する女性2人はノイローゼだ。一方で平吉はあるはずのない踏切が見えて、平吉の弟に鐘が鳴ってるから渡らないように注意を促す。この注意を弟はボケたと勘違いする。ちなみに登場人物の5人とも独身。


    ・・・というように物語全体が「老い」をテーマに孤独な老人がどう生きるかを見つめなおそうとした作品だ。老いて尚且つ、一人で暮らしてるような人間は知らず知らずのうちに自由な精神が宿ってしまうから、他人と暮らすこともおっくうになり、と同時に孤独も噛みしめるはめになるのだ。そうして一人で気楽に暮らしていると、いつのまにか周囲と適応できなくなり、本人にとっては周囲の方がねじくれているように感じてしまう。

    一方で塩子と平吉は嫁舅以上の感情を持ち始める。終の棲家にもならんとする家を巡っての人間模様、失った息子への悔い、残された息子の嫁に対するほのかな恋心などを盛りつつ主人公・平吉の頑固で孤高なたたずまいが美しい。

    だが、平吉の頑固さ故に塩子からの独白を受け入れられなかった矢先、塩子は交通事故で亡くなってしまう。亡き息子の草平が何とか人の期待に応えようとするあまり、裏目に出てしまう人生やこれと似たり寄ったりの平吉の弟、相反する強い精神の平吉の生き様も描写しながら、笑いと悲しみの中で、親子や兄弟関係をはじめ様々な人間関係のゆがみが浮かび上がる。そして終盤は孤独な老人2人の姿を映して終わらせる。

    舞台は笑いも随所に散りばめながら重厚で考えさせられる物語だった。角替和枝のトボケタ役も素敵だった。老人となった平のハマリ役な舞台だったが、現実に亡くなった息子・沖雅也との幻影と被ったような作品で平自身、想うところもあったに違いない。
    それにしても素晴らしい舞台だった。
  • 満足度★★★★

    渋い
    演技、渋すぎるくらいに渋い。

  • 満足度★★★★★

    重厚!
    平幹二朗さんが見られて良かったですが、

    ネタバレBOX

    1983年の作品とはいえ、平吉ってそんなに年寄り臭いかな、全体に設定年齢よりも高めに感じました。

    いくつになってもお兄ちゃんはお兄ちゃん、ですか。そんな頼りない弟でも、息子が戻って来ることを信じて住まわせなかった兄平吉。その平吉はいくつでしょう。65歳くらいかな。弟は60歳手前?草平と塩子は40歳手前?

    あまりにも老いを強調した演出ですが、65歳と40ちょい前なら理解できます。

    家を出た息子はどんな男だったのかと考えていました。骨のある男を想像していましたが、それが仲間内で寸借詐欺まがいなことをやっていたことを聞き、さらに平吉の弟に性格が似ているとを聞かされると、なるほど兄から調子良くお金を借りて、督促されると2ヶ月くらい後に返すととりあえず言い訳する弟と同じような、ああ典型的なローン延滞者タイプだなと得心しました。

    一方の塩子と彼女のおばさんも二人は神経症的タイプとして描かれており、本作品は一族の業といったものをずいぶん意識していると感じましたが、ちょっと極端過ぎる嫌いはありました。

    惹かれ合った平吉と塩子ですが、平吉が躊躇している間に少し自暴自棄になった塩子が交通事故に遭って死に、二人の関係が突然断ち切られてしまう終わり方はとても切なかったです。
  • 満足度★★★★★

    「老い」ることで、向き合わなければなければならないことが、ずっしりとのしかかってくる
    「喪失」「後悔」…。
    そして、辛すぎる物語。
    平幹二朗さんの圧倒的な存在感が、素晴らしい舞台。

    ネタバレBOX

    なんて酷い話だろうと思う。
    年老いた者から、大切な息子を2人も奪うなんて。
    1人は本当の息子、そして、もう1人は息子と一緒に暮らしていた女性で、、主人公・平吉が、「理想の息子は、おまえ(塩子)にヒゲを生やしたような男だ」と言った塩子だ。

    対する塩子は、「女として見てほしい」と平吉への想いを募らせるが、平吉には塩子に息子が見えているので、実るはずもない。

    平吉は、塩子を通して、息子を見ていて、塩子は、平吉に自分が愛した男の面影を見ているのだ。

    よって、平吉は息子を2人亡くし、塩子は愛する人を2度失うことになる。

    絶対に、正確には交わらない2人の想いが、失ってしまった息子・夫という微妙なベクトルの違う像によって交わっていく。

    それは、平吉の住む「家」によって、偽りの糸がつながる。
    失ってしまったということを認めたくない2人が交わす、家のローンの約束が哀しい。
    それが、逃避であったとしても、ほかに逃げ場もないのだからしょうがない。

    平幹二朗さん演じる主人公が、大切にしている「凧」が象徴的。
    「糸の切れた凧は…」と言う、平吉と塩子。
    まさに大切な人を失ってしまった2人は、「糸の切れて」しまった状態であり、どこに行くのかわからない。
    不安定な精神状態にある。

    平吉は、息子の行状を知ることで、さらにもう一度息子を失うことにもなってしまう。

    だから、平吉にはありもしない踏切が見え、塩子はせっかく脱したアルコールに手を出してしまう。

    長く生きていくということは、喪失と向き合うことである。という当たり前のこと、しかし、誰もが見たくない現実と向き合わされてしまう作品だと思う。

    それは、手にしていた「凧の糸」が、ぷつりと切れてしまうことだ。今まで手に感じていた感触が、すっと、なくなっていく。
    家族、友人、知人という、多くの糸から感じていた感触が、1本、また1本と消えていくのだ。

    そして、平吉のように、「ああすればよかった」「こうすればよかった」の後悔の繰り返しが、歳を取るということだということなのかもしれない。言っておかなければならなかったことだけが、心に残り、それが溜まることで、身も心も残骸になっていく様のようで、平吉にだけ聞こえる踏切の音がとても辛いのだ。
    残ってしまった者の上に、「後悔」の2文字が降り積もる。その重みに耐えていくことが歳を取るということ、というのはあまりにも辛すぎるのではないだろうか。

    だから、古い戯曲のせいなのか、ラストに塩子を死なせなくてもよかったのではないか、と、つい思ってしまった。
    それだけ感情が入って観ていたということなのだろうが、老いることの救いもほしかったと思うのが本音でもある。

    平幹二朗さんを観るだけで満足度の高い舞台だった。なんという存在感。しかも手が届くような場所で演じている。
    そして、塩子を演じた山本郁子さんとガップリ組んだところが、実に素晴らしい。これは本当に見応えがあった。
    また、塩子の叔母役の角替和枝さんは、あいかわらず、細かいところで、自分を出してくるところが凄い。ほんとに細かいちょっとした「自分」(笑)を必ず入れてくる。
    さらに、平吉の弟を演じた坂部文昭さんとの対比が楽しい。この重い物語にいいアクセントとなっていくのだ。

    ただし、残念なのが、セットだ。
    この舞台、やけに暗転とセットの展開が多い。
    しかし、単に横にするだけだったり、机や椅子の出し入れだったりするのだが、これは本当に必要があったのだろうか。
    第一音がうるさすぎる。
    屋外のシーンは、単にセットのほうを暗くして、セットの前で演じれば済んだのではないだろうか。
    もちろん、ラストシーンだけは、セットを完全に外すほうが(ここだけ暗転も長くして)効果的だったと思う。
    また、庭に見える木を模したような、背景のセットは、赤などのライトを当て、凧糸や絆を象徴的に表現していたのだろうが、もうひとつ見えにくかったのも、ちよっと残念。

    後援が、可児市ということで、客席の上には丁寧にラッピングされた深紅のバラが1輪ずつ置いてあった。
    失ってしまった者たちと、これから彼らへの「後悔」を胸に生きていく平吉へ、捧げる花のように感じ、可児市の特産品以上の意味を感じてしまった。
    バラを手に、舞台の気持ちを胸に帰宅した。
  • 満足度★★★

    みた
    役者陣がいいものを見せてくれた分、場面転換の雑音が残念だった。この作品には、きちんきちんとした美術より、(たとえばイキウメが得意としているような)柔軟に転換できる装置を考えた方が良かったのではと思った。
    また、笑いを誘う場面が散りばめられていたから、3時間近くを乗り切れたが、一方で、本来はもっと暗く、静謐な雰囲気のまま進んでいく作品かも知れないと感じもし、少し違和感があった。一幕での人間関係の成立過程に、結構な力技を感じたが、戯曲のせいか演出のためか分からなかった。

  • 満足度★★★★

    清水脚本と平幹二朗はすごい
    平幹二朗の存在感がすごい。芝居全体のバランスもよい。しかし、暗転の多さと暗転の中での場面転換の音が集中を切ってしまう。もったいない。もう少し演出を考えた方がいいのでは。

  • 満足度★★★★★

    胸打たれるほろ苦さ
    観劇の前日に、清水邦夫氏の盟友でもあった蜷川幸雄氏と、同時代に新宿を拠点として活動した唐十郎氏による初の公開対話を聴きに行き、60年代後半当時の「時代の熱気」を懐かしく思い出した。

    平さんは先日の劇団四季でのシャイロック役のときもそうだったか、今回も「お芝居を観た」という以上の想いが心の中に残った。

    それは私自身が年をとり、「老いの苦さ」を悟り始めたことが大きく関係していると思う。

    清水さん、蜷川さん、唐さん、平さんそれぞれの演劇に対する熱情を自分の中で反芻しながら観劇したという点で、感慨深い公演となった。

    蜷川さんと清水さんが一緒に芝居していた当時は、映画が終わった夜9時半から新宿文化のアートシアターで上演されていたこともあり、観たことがなく、
    旧作は大学生によって上演されたものを観て、とても好きになった。

    いくつか蜷川演出による作品も観ているが、本作は、これまで私が観た作品とは少し違う感じの作品だった。

    だが、「記憶」について書かれている点では共通している。

    可児市は私の父の晩年の思い出につながる土地で、二度ほど所用で訪れたことがあり、いただいた名産品の薔薇を見て胸がいっぱいになった。

    ネタバレBOX

    平幹二朗演じる主人公の老人・平吉に、亡くなった自分の父親の晩年の姿をも重ねわせてもいた。

    ひねくれたものの言い方をする一方で、愛すべきユーモラスな一面もある老人。

    聞こえないはずの踏切のイメージが平吉には去来する。

    年を取ると見えない、聞こえないはずのものが迫ってきたりするが、それを単に「ボケの兆候」で片づけよいものかどうか。

    老人の幻覚には、背負ってきた人生が見て取れる。

    平吉は最初は意地悪爺さん風なのだが、亡くなった息子と暮らしていた塩子(山本郁子)との交流が描かれるうち、平幹二朗という俳優の「男の色気」がにじみ出てくる。

    私は「名優」や「名演技」の安売りは好まないが、彼こそまさに名優という形容にふさわしい人で、もっと経験の浅い若い俳優を名優と形容したら、平幹二朗クラスの俳優を何と呼べばよいのかわからないではないか。

    平吉の弟(坂部文昭)が塩子の伯母(角替和枝)と語らううち、消防車のサイレンで火事を知り、そわそわ嬉しそうになる場面に清水作品の「炎」のモチーフが盛り込まれている。

    塩子と伯母は共に神経を病んで入院した経験を持ち、互いに相手のことを「カッなると刃物を振り回す」と主張する。

    このエキセントリックな一面を持つ2人の女性に兄弟が惹きつけられていく経緯が面白い。

    塩子を異性と意識しながらも理想の男性像を訊かれた平吉が塩子がヒゲを生やしたような男性だと答える。

    塩子は「私は女なんです」と訴える。

    平吉の心の中には息子と塩子はある意味一体化しており、一体化させることで矜持を保っている面もあるようだ。

    それだけに、美化されてきた息子の偶像が塩子の遠縁である交際相手の青年医師(大沢健)によって一気に叩き壊されるのが傷ましい。

    我が子であれば息子の欠点も平吉はそれとなく見抜いていたはず。

    平吉に心をかき乱されていき破滅する塩子は、いかにも清水作品のヒロインらしい。

    ただ、塩子の劇中劇シーンが浮いた印象で私にはちょっと気恥ずかしく感じられた。

    清水さんの作品にはこういう場面が時々登場し、ドキッとする素敵なシーンであることが多いのだが・・・・。


    普通のホームドラマではない、なかなか手ごわい戯曲。

    家族を描いた清水作品の場合、学生による上演でも凝った舞台美術が考案されるようだ。

    下手のリビングの部分が可動式で、戸外のシーンでは後方に下がるようになっているが、工夫とはいえ、何となくしっくりこないものも感じた。

    まるっきり抽象的でシンプルなセットというわけにはいかない作品だとは思うので、難しいところ。






  • 満足度★★★★★

    上質な芝居に心洗われる2時間半
    上質なお芝居に心が洗われるようでした。平幹二郎さんの台詞は一言一言がとても豊かで、人としての奥行までもが感じられもので、沈黙の演技から聴こえる声は、しんしんと降り積もる雪のように静かに心に落ちてきました。激情からではなく、静かに、ただ静かに言葉が降り積もるのです。不器用なまでに実直な人生には笑いも悲しみも同じように在って、それは時に微笑ましく、時に涙をさそう切なさとして、心に迫るのです。台詞の外側から伝えることの多いお芝居に、平幹二郎さんの懐の深さと色気を感じました。
    「エレジー」は28年も前に書かれた戯曲だそうですが、いい戯曲は時間を超える力もあるのでしょう、すこしも色褪せてみえません。 そして、お花はいついただいても嬉しいものですね。観劇でお花を贈ることはあっても、いただくことはめずらしいので、とても、とても嬉しかったです。帰宅してさっそく花びんにうつしてあげました。可児市の薔薇園、いつか行ってみたいですね。

  • 老いと家族を問う
    平幹二朗ら5人の役者の円熟な芝居と地方公共劇場の志の高さに、どっぷり浸かれる3時間弱。

  • 満足度★★★★

    詩の塊
    清水邦夫の戯曲は、詩の塊のようだと思う。
    美しい言葉や情景が、でもなめらかでなく、ゴツゴツとぶつかってくる。

    美しい舞台だったと思う。
    身近にありそうな卑近な想いを、平幹二朗さんの圧倒的な存在感が、ただのホームドラマではないところに昇華してくれる。
    (正直、平さん存在感あり過ぎのところも。。。(^^;)

    ただ転換時間がかかり過ぎで、集中がとぎれてしまうのはちょっと。
    あと、これは好みの問題だけど、もう少し抽象的なセットの方が、この作品には合う気がした。

    名優ぞろいで、みなさんすばらしい演技だったのだけど、どこかにもう少し”今”の空気が欲しかった。
    充分”今”に耐えられる本だと思うのだけれど。

    ネタバレBOX

    薔薇は、私はありがたくいただきました。
    ただ、やっぱり持て余して、公演中がさごそやってる方もいらっしゃたので、公演終了後にいただいた方が良かったかもです。
    でも、いい香りでした。

  • 満足度★★★★★

    最高です。
    名優揃いの珠玉の舞台。

    平幹二郎さん。

    凄い!凄い!!凄い!!!

    平さんの所作。表情。背中。

    そのひとつひとつがボクの体の心底まで染みていく!

    どの台詞も、文学作品の名文のように吸収されていく。。。

    舞台上の平さんが「プリン冷えてるか?」と言うだけで、深い意味を探ってしまいそうなくらいに、平さんの口から発せられる一言一言が深く感じられるんだよなあ(←当然のことながら、「プリン云々」のセリフはございません)。

    「シブイ」という言葉が陳腐に感じるほどの存在感!

    でも、堅苦しい小難しい芝居ではありません。

    家族の情を描いたホームドラマといっても良いのではないかと。

    普段、芝居をご覧にならない人を誘っても、充分存分に楽しんでもらえるようなお芝居です。

    もちろん、良いのは平さんだけではなく・・・出演する俳優さんすべてが良い!

    そして、交わされる会話のテンポ、内容ともに良い!!

    舞台装置も良い!

    仕掛け装置なので、暗転は長いけど、その間はストレッチができるし・・・なんと言っても、舞台の余韻に浸る時間を与えてくれるから・・・この暗転の長さは、ボクは好き。

    つまり、全部良い!!!笑

    あまりの至福に、ボクは思わず、販売ブースを出していた岐阜県可児市(←主催者)の薔薇ジャムを買ってしまった(笑)

    東京公演初日だけあって、観客のほうも豪華。

    ミーハーなボクは、休憩中のロビーでキョロキョロ周りを見てた。
    何人かの俳優さん、演出家さんとは、ド厚かましくも握手していただいたけど・・・出演者のひとりである角替和枝さんの御主人には声をかけられなかった。
    大大大ファンで、息子さん(二人ともご主人ソックリ)の芝居を見に行くくらいにファンなのに・・・緊張して声かけられんかった。無念じゃ!!!

    あっそうそう。
    座席に当日パンフに薔薇が一輪添えられています(ラッピングされてます)。
    その薔薇は、決して意味深なものなのではなく、岐阜県可児市の名産が薔薇だから。

    これから観劇なさる方は、薔薇をやさしく持ち帰れるようなバッグを持っていかれたほうがよろしいかと。

    ま、隣の女性に手渡したい方は、ご自由に!笑

    (休憩挟んでの2時間45分の芝居です)

    ネタバレBOX

    ラストは唐突。
    でも、人生なんてそんなことの連続なのかもしれない。

    せつなく哀しい。

    残された者は「切れた凧は、風にまかせて・・・」と自らを慰めるしかないけど、「自分が凧糸の調整具合を間違えたから、切れてしまったのではないか?」と思ってしまうのも人間。

    哀しいなあ。

    でも、親がいて・・・思ってくれる人がいて・・・仲間がいて・・・苦しみもがく状況も、いつかはおさまる。。。

    苦しんでいる人の苦しさを分かちあって、一緒に抜け出すまで傍にいられたら・・・そんな人間になっているか?今の自分!

    そんなことを思いながら、吉祥寺の駅まで歩きました。

    この公演は、19日まで。

    もう一度観に行こうと思っていますが・・・誰を誘うかすっごく迷う!

    できることなら、みんな誘いたい!

    そんな芝居でした。
  • 満足度★★★★★

    名戯曲と名役者のコラボ、期待に違わず
    平幹二朗さんと山本郁子さんの共演にひたすら興味が湧き、観に行きました。

    素晴らしい!!

    大人向きの情感溢れる名舞台で、わけもわからず、何度も涙が頬を伝いました。

    とにかく、キャストが素晴らしい!!これには文句のつけようもないのですが、反面、スタッフワークが、雑で、その点が非常に残念でなりませんでした。

    それに、いつも感じるのですが、どうして、西川さんの演出ってこうも野暮ったいんでしょう?文学座の「モンテクリフト伯」の舞台が、あまりにも庶民的で絶句したのを思い出します。

    塩子の劇中劇シーン、ちょっと目のやり場に困りました。
    もっと演出の工夫で崇高なシーンになりそうな所が、非常にもったいない!!

    できれば、この作品、鵜山さんの演出で拝見したかったと思いました。

    客席に、1本づつ丁寧に包装されたバラの花が置いてあって、私は、家に直行するだけで、ありがたく頂戴しましたが、中にはありがた迷惑な方もいるのでは?と気掛かりでした。大きな袋とかないと、観劇中、花を膝に置いていなければなりませんし…。
    たとえば、終演後に、スタッフが、お客さんに手渡しで観劇お礼を述べつつ渡し、不要な方には辞退できる機会も与えて下さった方が、せっかくのご厚意が生きるのではと感じました。

    チラシのセンスもイマイチで、これでは、せっかくの佳作への誘い度が低下するように思います。

    ネタバレBOX

    清水邦夫さんの戯曲は、リアルタイムでは拝見する機会がなく、最近になって、何作か観劇するようになりましたが、劇作に、人間を温かく見守る目を感じ、大変筆力のある作家だと一気にファンになりました。

    この作品も、声高でなしに、人間愛に満ち、家族への言うに言われぬ情念が生き生きと照射されて、台詞の一つ一つに、心を揺すられる想いがありました。

    たくさんの名優が相次いで逝ってしまい、今やこういう静かな情感に満ちた芝居をできる人は平さんを置いて他にはいないのではと思います。
    台詞、表情、佇まいに、こんなにもリアルな役作りができる役者さんは、そうはいないなあと、芝居の世界に感動しつつ、片側の脳が、役者平幹二朗の存在のありがたさにも感動を禁じえずにおりました。
    期待したとおり、山本郁子さんと対峙する場面では、名役者の名コラボに、何度も涙腺が緩みました。

    特に、糸の切れた凧に言及する場面は秀逸でした。

    弟役の坂部さんも、当意即妙な名脇役ぶりで、このややもすると、情感一色になりがちな芝居を活気付ける役目を体を張って全うされていました。
    角替さんの、エキセントリックな伯母役も、見事はまり、好配役。

    それだけに、セット転換時のスタッフの手際の悪さが、せっかくの名舞台に水を差し、残念な気がしてしまいました。
    特に、前半の静かでジャージーなBGMが、セット転換の騒音にかき消されたのは、雰囲気を損ない、気が殺がれました。 

    ローンを払い続け、各人の想いがこもった家にしては、セットに重厚感がないのも、芝居の真実味が薄れ、惜しいところに感じました。

    個人的好みから言えば、死んだ草平の生前の悪行が暴露される部分に、やや唐突な違和感を若干感じてしまう点はありましたが、総じて、登場人物それぞれの想いが、自分にも思い当たる卑近な感情であったので、全ての登場人物に、共感し、家族への自分の想いが不意に脳裏に過ぎり、観劇中ずっと、切ない気持ちになってしまいました。

    しみじみとした、人間賛歌の芝居だと思います。

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