満足度★★★★
味
朝緒の心象風景を視覚化した世界と思われる。そして朝緒とかかわる人々も、朝雄の心の中を風景を見る。劇中であらわれる"代行"=真実じゃない姿を、人はなかなか見抜けない。でも、父親が持ち歩く"おしんこ"、「これがあれば戻って来られる」と、視覚が頼り無くなった世界で、味覚が道しるべになっているのは面白い。
満足度★★★★★
記憶は確かかって事。
過去~現在~未来を、記憶を元に行き来しているようにも見えるけど、それ、本当にあったこと?
という話かなと思った。
その人、本当にいた?それ、未来の可能性のひとつで、実際に起こる事じゃないかもしれないよね?
そんな話かなと思った。
「田端」という「覚えてもらえない少女」が文字通り水先案内人となって、一方向に流れない時間の旅をする。
心に浮かぶ記憶と肉体に残る記憶の隙間を埋めながら疾走する展開が、うん、探偵もの!って楽しさも。
名前がどうでもいいって所もポイントなのかな…
どうでもよくないけど。
名づけてもらって初めて人格が実体化する「美雲」もいるし。
「自分の未来が見えない」と悩む高校生くらいの娘を持った、心配性で悲観気味のお父さんの脳内での妄想物語と思うと、それもまた楽しい。
「これを観終わって、どうとでも思っていいよ!」
って感想の自由を許された話でもあるのかな。
イムズ苦手だけど、こういった組み方と効果であれば平気みたい。
おもしろかった~!
前作の「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」がさらに進化した感じ。ここまで想像力を要求される芝居を久しぶりに見た気がしますが、それがまた非常に楽しかった。難しい感じも全然しなくて、演出と役者の力を感じました。今後、さらに進化していくであろう長塚ワールドが楽しみになりました。
満足度★★★★
今回も長塚作品は好みだった。
長塚作品はいつもわかりやすい。
言葉でそれを上手く説明はできないのだが、感覚的に「わからない」と途方に暮れることがない。
今回は人間の不確かさ、世界が構築していく姿など、私好みの題材で特に楽しめた。
いつもは演技力に不安を感じる中山さんも今回はそれほど無理のない役で安心だった。
満足度★★★
導入は、ん
でしたが、設定が見えてくると素直に入り込んでいけました。
あんなに広い舞台は、イムズならでは。
正面からだったので個人的には楽しめました。
大千秋楽ならではもありと。
満足度★★★★★
ゆえにその名をバベルと呼ぶ
たった今、演劇でしか表現できないことは何か、そのことを常に念頭に置いて作劇している点で、長塚圭史は演劇界の最前線を走り続けている。
“目玉をなくした女”朝緒(中村ゆり)と、その友人たち、教師、両親、目玉を探すべく依頼された3人の探偵、といった人々によって、何となく物語らしいものは紡がれていくが、彼らの「旅」は時間と空間が混濁した奇怪な迷宮に囚われ、出口はいっこうに見えない。
肝心なことは、世界の中心にいる朝緒が“目玉をなくしたことを自覚していない”点にある。長塚圭史が観客に問いかけているのは、この世界を認識している我々の自我そのものが極めて不安定で、個々人の思い込みや妄想によってかろうじて崩壊を免れていて、しかしそのせいでコミュニケーションの基盤となる共同幻想を持ち得なくなっている現実をどうしたらよいのか、ということなのではないだろうか。
他者との関係を認識できない我々は、自らを「孤独」と規定することすらできないのである。
満足度★★★
クール
目玉がどこだと探す設定とか好きですが、彼女達の迷い込む荒野に私も迷い込んで途方にくれてしまいました。いつもは阿佐ヶ谷から何かキリキリとしたものを感じるのですが、今回はクールな肌触りでした。
満足度★★★★
あっという間
ストーリーの詳細を想像したあと、続きの展開で自分の想像の答え合わせをするということを繰り返してました。理解しようと物語に集中したためか、あっという間だった。こういうスタイル、私は好きです。
役者さんの使い方が贅沢を通り越して勿体ない感じがしたのが残念だった。
満足度★★★★
目の前のシーンを楽しむ
昨日の大阪公演初日を見てきました。
まさか、阿佐スパをABCホールで見れるとは思いませんでした。
ストーリーを理解しようと考えながら見ると、ちょっと混乱するかも。
目の前のシーンを楽しむ。
そういう見方をすれば、より楽しめるようになります。
最後は見入っちゃいました。
満足度★★★★★
難解だが、それが良い
1年半前の公演を観た時は、自分には合わないのかも?と思いつつ、再度チャレンジ。
かなり難解な展開なのだったが、なぜか、どんどん引き込まれていった。前回観た時と何が違うのか判らないが、とにかく素晴らしかった。
ただ、どう素晴らしいか説明してと問われると難しく、しいて例えるなら「たけしのコマネチ大学数学科」で難解な数学を説明されて、理解できたが、説明出来ない感覚。
パンフレットを読むと自分の理解した感じで間違いが無いと思う。長塚さんの脳みそは凄い。
満足度★★★
抽象画のような現代劇
現実感の無い唐突な妄想に撹乱交錯しそうな観劇体験、無地のジグソーパズルの1ピースをいろんな所にはめ込んでいったら、静かに時間が過ぎて行ったという感じ。スムーズに乾いた世界から出てくれば良いのに気持ちの整理が上手い事出来ず。頭ん中は、もや〜〜とした霧がかかっていた感じで途方に暮れた状態。ちゃんと説明出来るかと言えば自信ない。でも、つまらなかったというわけではない。他国の言語を使って上演されても違和感無いような話だった。
もう一度見たらまた違う解釈になりそう。
満足度★★★
強引な不可解
出だしは良かったと思いますが、
途中かなり強引というか無理な構成・流れに感じました。
後半、相当まとめ上げてきましたが
全体的には途中のマイナスが響いた感があります。
過去の長塚作品と比較すると
構成面での詰めの弱さが目立っちゃいますね。。。
時系列や場面転換を強引に転換すること自体は
さして問題無いのですが、
それ自体に意味があるのか、またそこに観客をスムーズに引き込めてるのか、
そこに難があるようです。
満足度★★★★★
おもしろかった。
プレビューも観ましたが、プレビューのときよりさらに頭フル回転。台詞を噛み締め、記憶の断片を繋ぎ合わせることの楽しいこと!ワクワクしながら観ました。その数々に対して「??」なところがあるのに、見終わったときに爽快感がありました。
人はいろんなとき、いろんなことに躓き、悩み、七叉路で行くべき道を選べず立ち止まるけれど、なにがあっても人はひとりじゃないということを忘れたくないと思いました。
オープニングがとくに好きです。
満足度★★★★★
断片化され攪乱されつづける…
シンボリックで抽象度が高い、洗練されたセリフと構成で、
静かに静かに迫ってくる舞台でした。
「いま・ここ」に暮らす
私たちの日常や心性が題材でありテーマです。
そうした私たちの日常経験や気持ちのありようが
断片として提示されていきます。
それらの断片は、
演劇上の、ストーリーや時間・空間、役割を
攪乱させてくれます。
そうした、断片化され攪乱されつづけるしかない
私たちの「現実」の暮らしそのものを
演劇世界から逆照射していると感じながら観ました。
すごく好きな芝居だったので、福岡でも観ようと思っています。
満足度★★★
アートとして
アートとしては、非常にきれい。
セットも照明も、役者さんと取り回しもきれいだし、斬新。
でも、私には、"熱さ"が感じられなかった。
きれいなんだけど、なにか表現のうわべではなく中身の熱さが
私には届いてこなかった。
ただ、斬新さは非常に刺激になった。
満足度★★★★
散らばらない感覚
冒頭から暫くは、
ただ刹那を追うような感覚でしたが
目をそらさせない質量のようなものが舞台にあって
終演時には「今」の風景に包まれておりました。