再/生 公演情報 再/生」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-18件 / 18件中
  • こういうのもあるのか
    ストーリー性やドラマ性が明確なタイプの面白さとは違うおもしろがさがあった。

    ネタバレBOX

    3回目が始まった時に、あーこりゃーくるなみたいな。
    ジャンルでいえば、コンテンポラリーダンスに近いかも。

    ブログの感想
    http://sakuteki.exblog.jp/15459426/
  • 満足度★★★★

    だんだんわかってくること
    白いスクリーンのほか、何のセットも無い空間。
    やがて1人の女性が客席の方から登場。
    彼女が“幸せ”について短く語ったあと、録音されたその声が繰り返し流れる。
    彼女に続いて5人の役者が登場、合計6人による「再/生」が繰り広げられる。
    まるで「再生ボタン」を押し続けるように正確なくり返し・・・。

    ネタバレBOX

    日常生活を表すような淡々とした無対象の動き。
    ハンドルを握ったり、テーブルを拭いたりするような動きが繰り返される。
    サザンオールスターズの「TUNAMI」やビートルズが流れ、
    曲が頭に戻って繰り返されると人々もまた同じ動きを始める。
    人々はすれ違い、交差し、営々といとなまれる日常が繰り返されていく。

    曲が変わって次第に動きが激しくなる中、人々は不意にバタン!と倒れる。
    それはまるで力尽きて二度と起き上がらないかのように見える。
    だがまた起き上がって続きを始める。
    憑かれたように腕を振り回し、五体投地のように倒れ込み、激しく足を踏み鳴らす。
    やがて音楽が止み、汗だくの人々は倒れ込んで激しく息を弾ませている。
    しばらくして 起き上がってまた客席の奥へと向かって歩き出して終わる・・・。

    この動きの合間に7月からのツアーの様子がリアルに語られる。
    横浜、京都、袋井、ソウル、福岡、北九州、青森と、
    それぞれの土地での印象や
    ひとつ終わった安堵感がにじむ劇団員のリラックスした会話が再現されて思わず笑ってしまう。

    説明するとこんな文章になるが、とにかく身体表現の雄弁さに圧倒される。
    激しさを増しても、動きは常に同じ腕の高さ、角度、勢いを保っている。
    「言葉」に頼らない表現は「言葉」の制限を持たない分自由に広がる。
    身体はその最強のツールであり、
    役者はそのツールを最大限に活かそうとする。
    アフタートークで多田さんが語ったところによると、あのくり返される動きは
    「アドリブで動いたあと、それを正確に再生している」とのこと。
    何度も同じ動きをくり返すうちに、だんだんと
    良い意味での慣れと安定感が生まれるのがわかる。

    曲が頭に戻ると一瞬うんざりした表情を浮かべつつ、
    手を抜かずにまた動き始める姿に
    前に進むしかない私たちの人生を垣間見る思いがする。
    そして時折静かに前へ歩み出て立ち止まり、
    はるか彼方へ視線を投げかけている。
    後悔か、不安か、疑問か、誰もみな幸せを求めているはずなのに
    その顔はあまり幸せそうに見えない。
    切羽つまったようなその表情をみていると、何だか涙がにじんで来た。

    くり返される日常の中に、時に大波小波が訪れ、
    私たちは翻弄され流されながら暮らしている。
    その素朴な幸せの手触りを確かめるのは皮肉にも
    望まない力によって日常が分断された時だ。
    何度も音を立てて倒れ込む人々の姿にその衝撃と絶望が重なる。
    今度は立ち上がれないだろうと思っていると、また立ち上がるのだ。
    それはまるでゾンビのようで、たくましさと同時にしかし痛々しさも感じさせる。
    私たちの暮らしはまさにこんな風に「再生」と「/(分断)」のくり返しだ。
    そしてこの日常が暴力的に損なわれることを
    私たちは今、ひどく怖れている。

    多田さんが
    「ツアー中、東と西とでは震災の受け止め方に違いを感じた」と言っていたが
    そうした地域性や風土をも、ライブで演劇の中に取り込む手法に
    ダイナミックさを感じる。

    私の好きな夏目慎也さんが今回もまた修行のように肉体を酷使していた。
    お疲れ様でした、夏目さん。
    「再/生」は、役者の痩せるようなストイックさで出来ている。
  • 満足度★★★

    何も考えずに観たはずなのに
    ストーリーを期待していた自分にがっかり。
    せっかくの多田さんの作品をうまく受け入れられずに残念でした。
    それでも、ビートルズの中でも一番大好きな「オブラディオブラザ」を
    数回聞けて良かったです。

  • 満足度★★★★

    再生・再生・再生・再生・再生…・・・
     観劇に際しては、できるだけ先入観を持たずに見ようと心がけてはいるのだが、この『再/生』にはかなり意表を突かれた。
     最初にモノローグ、途中にちょっとした会話が行われはするものの、80分間、男二人、女四人の役者は、伴奏に合わせてただひたすら踊りまくるだけなのだ。しかしそれは決して無秩序というわけではなく、綿密に計算されていることに少しずつ気付かされていく。
     すると、最初は「踊っているだけ」に見えていた舞台が、俄然面白くなってくる。そこに演劇的な仕掛けがちゃんとあって、人間やら人生やら世界やらを象徴するものも見えてくるようになるのだ。
     実際、よくこんな変な演出を思い付いたものだ。客によっては「これは演劇なのか」と憤慨するのではないかと、余計な心配までしたくなってしまう。斬新と言うよりは「勇気がある」と呼んだ方がいいのではないか。
     この舞台には無駄な説明は一切無い。独白や会話は必要最小限に抑えられている。それはつまり客に媚びていないということである。だからと言って、前衛を気取って抽象的すぎる演出を施しているわけでもない。基本は単純なのだ。ただ「踊り続けること」。それだけで観客に伝わるものはきっとあると、演出の多田淳之介は信じているのだろう。それは、演出が「演劇の効力」を信じているということであり、またそれによって喚起される「観客の想像力」を信頼しているということでもある。
     我々は信頼されているのだ。これを愉悦と呼ばずして何と呼ぼうか。この舞台から何を受け取るか、あとは我々観客の側の問題である。

    ネタバレBOX

     何もない舞台、背景は白いスクリーン(照明で俳優たちの影が映る)。
     舞台に散らばって佇む六人の男女。中央の女性が、おもむろに語り始める。
     「私は、自分が幸せでないことに気付いた」と。
     長い間があって、曲が流れ始める。
     サザンオールスターズの『TSUNAMI』。
     踊り出す六人。それぞれのダンスは全くバラバラで、統一性が全くない。コンテンポラリーなダンスを踊る女がいれば、軽やかにステップを踏む男もいる。器械体操的な振り付けの男や女もいる。
     見ているうちに、それらのダンスが、一人一人の生活と人生を象徴しているように感じられてくる。生真面目さや頑固さ、器用と不器用、軽快さと鈍重さ、人間は本当に様々だ。
     彼らは舞台を縦横に動き回る。しかし、交錯しても彼らが関わり合うことはない。二人で手を取り合ってダンスすることは決してない。そこに群衆の中の孤独を見出すことも可能だろう。あるいは逆に、集団の中にも埋もれることのない屹立した「個」を発見し、快哉を叫ぶことも可能だろう。
     解釈が観客に任されているのは、まさしくその部分だ。

     かかっている曲が『TSUNAMI』であることも、我々に様々な想像を誘う要素になっている。
     あの東日本大震災後、某音楽番組で、オリコン一位になった曲であるにもかかわらず、題名が呼ばれなかったという曰く付きの作品だ。
     もちろん、もともとの『TSUNAMI』は東日本大震災とは何の関係もないラブソングである。だからこの曲が使用されていることに何かの「意味」を見出そうとした場合、それは震災に関連付けるか付けないかで全く変わってくるだろう。
     「これは震災後の復興、人々の再生をテーマにしたいのだろう」と解釈するのももちろん観客の自由だが、そもそも『TSUNAMI』という題の曲であることを知らない観客なら、「解釈」のしようもない。普通に彼らは恋のダンスを踊っているのだろうと思うだけだろうし、その解釈が間違いであるということもない。

     ただ既にここで「再/生」というタイトルが示す通り、『TSUNAMI』は二度「再生(リピート)」されるのである。
     この「繰り返し」が重要な意味を持ってくるのは、次の曲だ。
     
     ザ・ビートルズ『オブラディ・オブラダ』。
     デズモンドとモリーの恋を歌った楽しい曲でありながら、解散寸前のビートルズにとっては何の愛着もない歌であり、アンチファンも少なくない。「ワースト・ソング」のアンケートを取ると、必ず上位に来るという歌でもある。
     「オブラディ・オブラダ」というフレーズには「人生は続く」という意味があるとされるが、実は適当な囃子ことばに過ぎない。
     これが実に8回、繰り返されるのである。アフタートークで多田氏が「5回くらいがちょうどいいんだろうが、あえて8回繰り返した」と述べていたが、実際には3、4回繰り返されたあたりで、ウンザリしてくる観客も少なくなかろうと思われる。もっとも私の場合は、その4回目あたりで「覚悟」を決めた。
     多田氏はご存じないようだが、アニメファンにはこの「8回繰り返し」は『涼宮ハルヒの憂鬱/エンドレスエイト』の八週連続放送というやつで「免疫」ができているのである。繰り返される理不尽な日常に無理やり付き合わされる、というのは、実は「現実世界」でも往々にして起こりうることなのだ。「エンドレスエイト」とは、まさしくそのメタファーであった。

     ここがこの『再/生』という舞台を評価するかしないかの分かれ目にもなるのだろう。
     人生は単調な毎日の繰り返しである。その永遠に続く牢獄のような世界に堪えうるかどうか、それに堪えた者だけが「超人」となりうると説いたのはニーチェだったが、さて多田氏がニーチェの永劫回帰の思想をこの舞台に持ち込むつもりで「八回繰り返し」などいう冒険に挑んだのかどうか、それは分からない。
     しかし少なくとも、実際の舞台で「見えてくる」のは、同じ曲に乗せて同じダンスを繰り返しながらも、少しずつ「疲れていく」、しかしそれでもなお「踊り続ける」俳優たちの姿である。
     たとえ単調で陳腐な毎日であっても、私たちはその平凡さに堪えてこの世界で生きている。「エンドレスエイト」の終了後に交わされる、俳優たちの「焼肉談義」。何の変哲もない会話が、ありふれた日常が、実は私たちの「平和」の象徴なのではないか。
     いつ果てるともしれない「オブラディ・オブラダ」の果てに投げかけられた、「カルビって、三人前ぐらい食べれません?」という腑抜けた言葉が、愛おしく感じられるようになるのだ。

     相対性理論の『ミス・パラレルワールド』、続いて『ラストダンスは私に』(歌い手は越路吹雪でないことは確かだが、誰がカバーしているかは分からなかった)が一回ずつ、これは「再生」なし。
     曲は「ラストダンス」なのに、これで終わりにならないところ人を食っている。クライマックスは次の曲。

     perfume『GLITTER』の三度リピート。
     最も激しいダンスを披露したあと、俳優たちは床に倒れ伏す。
     これまでも「立っては起き上がり」という「再生」を繰り返す動きを全員が繰り返していたが、今度は完全に力尽きたように、床に大の字になり、荒い息をして、そのまま身動きもできずにいる。
     しかし曲は繰り返されるのだ。立ち上がり、再び踊り始める六人。汗を飛ばし、服も乱し、それでも「再生」し続ける彼ら。歌詞の「なんでもきっとできるはず」というフレーズが、彼らを応援していると言うよりは、揶揄しているように聞こえてしまう。
     妥協のないその姿勢には、「ここまでやってこそ俳優」という言葉を捧げずにはいられなくなるのだ。「キラキラの夢の中」にいるのは彼らだ。

     ジョン・レノン『スターティング・オーバー』がかかり、彼らは舞台から去っていく。余韻と言うよりは、呆気に取られたまま、拍手をすることも忘れて彼らを見送ってしまったが、改めて俳優たちの「気力」と「体力」に惜しみない拍手を送りたい。

     公演を重ねるごとに、曲が変わり、台詞も変わり、ダンスも多彩になっていくようである。人生の数が人の数だけあるように、『再/生』の舞台も千変万化していくのであろう。数年後、また『再/生』が再生されることがあれば、それはどのような形を取るのか、観てみたいと思う。

     「“東京”デスロック」と言いつつ、多田氏は東京から拠点を埼玉県に移し、地方での演劇振興に力を入れてくれている。
     それは、かつてそれぞれの地方が「クニ」の文化として独自の発展をし続けていたにもかかわらず、明治以降の中央集権制で崩壊してしまったこと、そのことが日本文化全体の沈滞に繋がってしまったことを認識した上で、どうすれば「再生」は可能なのか、と多田氏が自問自答した結果なのだろう。
     我々観客は芝居を楽しんで観るだけだが、問題は、このような新劇の流れとも、多田氏が所属していた青年団「静かな演劇」の流れとも違う「面白さ」を受容できるキャパシティが、我々観客の中にどれだけ培われているか、その点に集約されるように思える。
  • これまた“予想外”
    繰り返される音楽に合わせて、男女が踊り狂う85分。

    ネタバレBOX

    いわゆるセリフのある“演劇”ではなかった…。インスタレーションというか、パフォーマンスというか、コンテンポラリーダンスというか・・・。もちろん、作品を観ながらいろいろと思うところはあったのだけれど、あまりにも想像していたものと違っていたので、完全に乗り遅れてしまった。最初からそういうものだとわかっていれば、そのつもりで観たのに。ラーメンを食べに行ったら、フランス料理が出てきて、まぁおいしかったからいいけど、みたいな感じだった。
  • 満足度★★★★

    だんだん楽しくなってくる
    どんな芝居か全く知らずに観に行った。

    役者たちはダンスのような動きをし、音楽がかかる。
    音楽に合わせるように、または合わせずに役者たちは動く。
    音楽は何度もかかる。同じ曲、別の曲と繰り返される。

    これが合わない観客には苦痛でしかないだろうなと思える。
    しかし、これを楽しんだ観客には、観客それぞれの世界が広がったのではないだろうか。
    私はこの舞台に人生を感じ、輪廻を感じた。そして単純に生への賛歌を感じた。

    アフタートークで、特に意味を作っているわけではなく、観客が感じ取ったものが舞台。関係性は観客が勝手に感じ取り、作る。というようなことを多田さんが仰られていたことに納得。

  • 満足度★★★

    はまると面白い
    途中から、作品がわかってくると観ていて面白い。
    しかし、役者さん、体力をかなり必要とします。
    お疲れ様でした。

    ネタバレBOX

    「再/生」、予備知識なしでは導入はつらいが、
    再生しているんだとわかると、
    同じ動きと微妙に違う動きがあったり
    お客さんで観点が違うとおもいます。
  • 20110724
    (^・ェ・^)

  • 満足度★★★★

    まさしく「再/生」
    まさしくタイトル通り「再/生」な内容でした。セリフはほとんどなく役者が絶えずダンスのように動きを繰り返すのですが、その集中力、覚悟、身体から湧き出てくる意思のようなものが感じられ飽きることなく観ることができました。演出家が役者を信じてるのも伝わってきました。見逃さなくて良かった。

  • 満足度★★★★

    場所と作品があっていた
    東京デスロックはもちろんお名前はよく聞いていたんですが、あまり足を運ぶ機会に恵まれず、昨年KAVCでやっていた多田さんが演出されていた作品を拝見したくらいでした。その時は、集めた俳優さんたちとワークショップを通じて作品を作っていたので、どこらへんまでが多田さんの魅力か分かりにくい部分がありましたし、観るにもすこし体力が必要だったように記憶しています。

    今回は非常にちいさなスペースで、間近に役者がいるということがとても魅力的に集中力を保っていたように思います。

    こういった作品…と言うと怒られますが、観客を突き放したような? 実験性のある? 作風は関西でも増えてきているように思いますが、東京周辺の劇団ではそれが観やすくなってきているような気が近年します。単純に自分が見慣れてきただけかもしれませんが。

    終演後のアフタートークもカフェスペースのようなところで、いろんな人とお喋りしながら感想を言い合えたのも、大きなプラスだったと思います。

    とにかく、場所と作品がよく合っていて、とてもいい作品でした。

  • 満足度★★★★

    演劇だからこそ表現できること
    全国ツアーの内、横浜公演のみで上演された、多田淳之介+フランケンズver.を鑑賞しました。
    集団自殺するために集まった若い人たちが興じる最後のパーティーの様子を3回繰り返して描くことによって、演劇というフォーマットでしか表現しえないような生き生きとした質感を強烈に感じさせる作品でした。

    ある畳敷きの部屋に集まった男女8人が薬を飲み、酒を飲み、音楽に合わせて踊り狂い、倒れるという30分に満たない流れを繰り返す構造なのですが、単純に繰り返すのではなく、1回目では薬を飲んだ後の場面から始まり、集団自殺の集まりとは分からさせず、ただ馬鹿騒ぎをしているだけに見せかけて2回目で真相を分からせ、馬鹿騒ぎの中に秘められた必死さを感じさせる構成が見事でした。

    3回目の最後にみんな倒れた後にまた冒頭の曲、『DON'T WORRY BABY』(BAY CITY ROLLERS)が流れ、4回目が繰り返されるのかと思いきや、薬を飲まずに舞台を退場していき、生きることに対しての仄かな希望を感じさせ、後味の良い終わり方でした。

    役者たちは同じことが繰り返されるとは知らないかのように最初から全力で踊り、繰り返される度にどんどん疲労して行き、3回目では台詞を言うだけでも一苦労という状態なのですが、消耗して行くに連れて逆に役者たちの演技ではない素の個性が輝いて見えてくるのが印象深かったです。

    台詞があまりなく、踊りもちゃんと訓練されたものではないものを3回繰り返すという演劇としては異例の作品ですが、物語の展開ではなく、人間が目の前にいるという存在感で観客の心を動かすという点では小説や映像では表現で出来ないことをしていて、まさしく「演劇的」な作品だと思いました。

    疲れて行く役者とは反対に、繰り返される度に明るくなる照明と大きくなる音量(3回目は普通の演劇公演ではあり得ない程の大音量でした)の効果が素晴らしかったです。

    『TSUNAMI』(サザンオールスターズ)、『Shangri-La』(電気グルーブ)などのヒット曲が雰囲気作りのBGMとしてではなく、劇中で実際流れる音楽として最初から最後までカットせずに流されるのが、音楽に対するリスペクトを感じられて気持良かったです。

    デスロックver.を観れなかったのが残念です。来年キラリ☆ふじみで上演があるので、そちらを観に行くつもりです。

  • 満足度★★★★

    掴まれる
    両バージョンを拝見。

    どこか抽象画を観るような感覚もあるのですが、
    一方でぞくっとくるような生々しさも感じる。

    形は違っても、両それぞれの色で
    心を捉えられるものがありました。

  • 満足度★★★★★

    (たぶんというか、間違いなく脳が騙されていると思うけど)快感!
    再演みたいだが、前情報まったくなして観た。
    それは正解だった。

    にしても、東京デスロックは、やっぱりとんでもない劇団。
    これを最後までやり切って、かつ、この気持ち良さ。
    素敵すぎる

    ネタバレBOX

    ダンスというよりはポーズの連続。
    どこまでがアドリブでどこまでが決まりなのかは判然としないが、ときどき入る「再生(リプレイ)」で、全部がアドリブではないことに気づかされる。

    『再/生』というタイトル(真ん中に/が入っているものの)や大音量のサザン『SUNAMI』、そして‪相対性理論『ミス・パラレルワールド』‬なんて曲が流れたりするから、やっぱり3.11を意識して観てしまう。「再」と「生」と分けて考えるとなおのこと意味が増してくる。
    SUNAMIとか大変なことが起こっての、「再生」というとらえ方だ。

    それはまったく見当違いかもしれないが、ここを端緒にして観ていくと、「日常」という言葉が浮かび上がる。
    「日常」を「再生(蘇らせる・リボーン)」すること、それはすなわち「日常」が何の疑いもなく「再生(リプレイ)」続けていたように見えた時間への希求。

    「日常」の「再生(リプレイ)」(していたように見えていたこと)は、貴重なものであったと認識せざるを得ない3.11後の世界にいる。
    「日常」の「再生(リプレイ)」は、完全なる「再生(リプレイ)」ではなく、同じように繰り返されていても、1日として同じものは存在しないことにも気づく。

    それは音楽が同じ楽譜による演奏であったとしても、演奏者や楽器、場所、時間、演奏者の気持ちなどによって、必ず同じではないことに似ている。

    舞台の上のポーズは、音符であり、それを「台詞」や「日常」や「大音量の音楽」でアレンジしつつ繰り返されていく。
    同じようで同じではない。デジタルではない、肉体による「再生(リプレイ)」だからそれは当然であり、それが当然のように延々と繰り返される。

    極々個人的な感覚的な気持ちの良さの回数だけ繰り返される。
    だから、苦痛に感じる人もいて当然だ。

    「日常」の「再生(リプレイ)」は、苦痛でもあり、幸福でもあることが、わかった今、感じるこの舞台がある。
    快感でもあり苦行でもある。

    舞台の上の俳優たちは、「日常」を演じている。
    その姿には、「苦痛」もあるが、「快楽」の表情も浮かぶ。それが失われつつある「日常」の表情。舞台という繰り返しの中にあっても、異なる「再生(リプレイ)」。

    役者たちの本気度は熱い。死ぬ気でやってるようだ。
    手抜きはないところにも快感を感じてしまう。観客も(たぶん)演じている本人たちも。観客のほうは「疑似的」ではあるが。

    やり切った後の役者の無表情は、すでに演技(していること)ではないとしても、また、演出家が意図してる、してないにかかわらず、これは演出で演技だ。

    ここまでの感想は、大音量の音楽などなどの諸々に騙された(会場のサイズも大いに関係あり)、単なる妄想であったとしても、そうした「非日常的日常」の、この気持ち良さ、このヘンテコな感覚はほかでは味わえない。

    東京デスロックは、やっぱりとんでもない劇団だ。
  • 満足度★★★★★

    フランケンズ恐るべし!必見!
    横浜まで行ったんだから、前から気になっていたフランケンズも見てみた。
    ホントは誤意訳が見たいんだけど。
    まあいいや。
    こっちは初演にかなり近いらしい。
    ラストは変えたらしい。
    だから落ちがなくなっている。
    落ちなんかなくたって構わない。
    助走がない。
    全員が初めから100%の演技を発揮してぶっとばしてる。
    フランケンズ恐るべし。
    客に絡まないバナナ学園みたいな。
    しかも全員の演技が素晴らしく調和している。
    それになんだか楽しそう。
    でも2回目は少し良くない。
    3回目も。
    何度繰り返しても1回目のように新鮮にやれないと。
    アフタートークで演出家が5回しか稽古してないと言ってた。
    それでこの舞台か!
    素晴らしい。
    フランケンズは良い共同作業ができる集団なんだね。
    今日追加公演あり!必見!

  • 満足度★★★★★

    必見!
    高野しのぶさんの初演のレビューを見て見に行くことにした。

    助走があった。
    つまり、役者の演技の調子が出るまでに少し時間があった。

    でも役者達はダンサーでもないのによくやっている。
    ほめてあげたい。

    途中からはとても面白かった。
    良いもの見せてもらった。
    行って良かった。
    この舞台はこのまま推し進めていくとダンスになっちゃうね。
    そこまでやる必要はないけど。
    というか、ここまでが限界でしょう。
    ここから先は、もう完全にダンサーの仕事だよ。
    間野さんはダンスもやる人らしいけど。

    こういう実験的な舞台をやる人たちは貴重だよ。
    こういう人たちが演劇を進化させてくれる。
    間野律子が良かった。
    助走があったけどね。

    今日で終わり。
    急きょ追加公演あり。
    必見!
    見る前にネタバレも見ておいて。

    ネタバレBOX

    大音量が苦手な人にはお勧めしない。
    かなりの大音量なので苦痛を味わうことになるかも。
  • 201107191930
    201107191930@STスポット/終演後PPT有

  • 満足度★★★★

    タダフラ版は追加公演あり。
    デスロック版・タダフラ版ともに鑑賞。デスロック版コンセプチュアル・アートだと思って観てもいいかも。タダフラ版は追加公演あり。

  • 満足度★★★★

    演劇?
    と言うよりダンス?パフォーマンス?のようでした。(デスロック版)

    何か伝わるものは確かにありました。
    役者の息遣いや汗、照明が印象的でした。

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