蟻のごちそう~The Feast of the Ants 公演情報 蟻のごちそう~The Feast of the Ants」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★

    なるほどなぁって
    海外の演劇祭向けに作られた作品って感じ。開演前の役者さんが醸し出していた雰囲気や上演中の芝居の上手さはさすがであると思うが,海外では日本的なものとして好評であろうが,日本では・・・ましてや英語での翻訳は興ざめ。面白う話とは思ったが,響かなかった。

  • 満足度★★★

    海外と日本
    演出はとても楽しく、雰囲気づくりはしっかりと出来ていて感心。
    始まる前のあのおどろおどろしい空気。
    そしてあのオープニング。

    しかし自分はあのオープニングやうたい文句なので、相当、度肝を抜かれるようなものだと思っていたから、ちょっと面食らってしまった。
    結構淡々としている所が多く、そこも想像とは全然違ってしまったし。
    きっと事前の情報で、期待が違う方向に半端なく膨らみすぎてしまったんだと思う。

    でも役者さんはなかなかステキで味が出ている方が多かった。

    ネタバレBOX

    最後、早送りみたいな感じで同じ流れを繰り返す。
    今まで時間かけてやった流れなのに、それをああやってしまうとは。
    なんて言うか、その感覚を狙ったのかは分からないけど、面白い。
  • 満足度★★★★

    相変わらず不思議なことやってるね
    まず、今回のタイトルが気になる。蟻のごちそうはニンゲン!

    以下はネタバレBOXにて。。

    ネタバレBOX

    舞台の冒頭、両腕を切り落とすシーンから入る。そして首。

    いったいこれはなんだ?!

    切り落とした両腕をクロスしてXにして見せる。


    その昔凶作の際に村で一番若い夫婦を神の遣いである大蟻さまにご馳走として捧げた」という伝説が起源とされる「身奉の儀」が五穀豊穣の儀式として執り行われます。

    蟻塚町の人々は蟻ではない。働かないからだ。どちらかというと、きりぎりすだ。

    セットは古びた木材を随所に使い昭和初期の臭いが漂う。ドア代わりの引き戸にはカランコロンと開けるたびに木の乾いた音が響く。
    その響きは神秘的というより、一種不思議な過去の記憶の音だ。

    そのドアのある床屋に町の人達がたむろしてはぐだぐだと毒づき合う。床屋の亭主とはよく言ったもので、暇があると遊女のところに入り浸り、そんなどうしようもない亭主に義理の妹は好意を寄せる。

    一方、働き者の床屋の妻と町内会長である床屋は冷めた夫婦生活を続けているが、義理の弟が姉に好意をよせてちょっかいを出す。

    雨は降り続け、やがて一之瀬川は氾濫するかのようになった時、愚かな人達は生贄の人柱を捧げる!なんて遊びになって誰か一人を川に突き落とそうとふざける。

    どこまでもノー天気な人たちなのだ。

    今回も全員が目の下にうっすらと熊飼ってます!状態のクマの持ち主メイクで終盤は前作と同じように、ターンテーブルをくるくる早く動かしたみたいに、早口で宇宙言葉をしゃべる。しゃべる!

    やがて川は氾濫し町全体が飲み込まれ水浸しになったが、床屋の一角だけは流されずにどうにかとどまる。が、しかし・・・床屋の家中にぎゅうぎゅうになって非難した住人達は家もニンゲンも縮んでちっさくなっていたのだった。

    座って動く滑稽な動きで全員が同じ方向に同じようにちょこちょこと滑るように動く。一糸乱れず。その光景はまさに蟻なのだ。

    ワタクシは目眩を感じた。やっぱり彼らは妖怪なのだ。
    川の波が町を飲み込み町が一瞬紫色に変じて波打った刹那、縮んだ彼らは縮んだことに気がつかない。

    ちょこちょこと動く彼らを見て、いつだったかあのような光景を見たことがある、とふと思った。・・・そうだ、宇宙人の襲来のシーンにあんな光景を見たのだった。

    そして舞台の上ではちっさくなった人達が両腕を切り落とすシーンになる。そして首。

    冒頭と同じように切り落とした両腕をクロスしてXにして見せる。半分に縮んだ腕を掲げて。生贄のシーン。


    働かない、愚かだ、ということは自滅と同義語ですね。

    「なあ、まいち(床屋の主人)よ、この町は沈むぞ。」

    「大丈夫ですよ、それより祭りだ!祭り!」



    彼らの作る芝居には一種異様な雰囲気がある。その異様な雰囲気はなぜかワタクシの記憶を刺激する。いざその時に臨むとき人生が走馬燈のように脳裏を駆けるというが確かにニンゲンの脳というのは妙な働きをする。彼らの舞台はなぜか、ずっとずっと遠い昔に見たような記憶があるのだ。だから彼らの舞台はワタクシにとって前世の記憶の呼び水みたいなものだ。





  • 満足度★★★★★

    楽しかったです!
    こういった本格的な現代劇は初めてだったので、正直自分に理解できるか不安でしたが、変に難しく考えずに、その場で自然に目がいった部分を追いかけているうちに物語に引き込まれていきました。

    登場人物も素人には多くて覚え切れないのでは?と思っていましたが、とても個性的な方ばかりで簡単に覚えられました。
    最近の映画を観ていると、登場人物ばかり多くて派手なCGを使うだけの作品が多く、終わった後に何も残らないパターンが多いのですが、この作品は見終わって2日後の今でも各キャラクターが鮮明に思い出せます。
    当然、ここまで完成度を高めるには役作りの為の苦労も相当な物だったと思います。

    また、これも私が未熟なだけかもしれませんが、あれは何が言いたかったんだろう?あれはこういう解釈で良いのかな?という部分もありました。
    でも逆に自分なりの解釈で納得した部分もあり、もしかしたら最初から明確な答えはなく、観た人間それぞれが考える部分を残してくれたのかなという気もします。

    これも推測ですが、あえて日本風にアレンジせず、エジンバラで絶賛されたままのスタイルで構成してくれたのでしょうか?
    英訳もあえて簡潔にし、観たままを自由に感じて欲しいといった思いを感じました。

    素人の感想なので、的外れなコメントかもしれませんが演劇という物に興味を持たせてくれた劇団・関係者の皆さんに感謝したいと思います。

  • 満足度★★

    ちょっと期待はずれ
    舞台のセットや衣装などは雰囲気がでていて非常に素晴らしい。また、開場時間に客席に入ると、そこには幕が開くまで、これから出演する役者が椅子に座っていたり、パフォーマンス(?)をしながら歩いており、おのずと舞台への期待度は高まった。
     が、いざ始まってみると、海外では受けるだろうことはわかった(和のテイストというか、歌麿というか)が、日本の舞台ではちょっと表現がきついかも、とおもった場面が多数。セリフに対する英語の通訳も入っていたが、そこで演技のリズムがいったん止まる感じがして、日本では不要に思えた。

  • 満足度★★

    うーん・・・・・
    ・・・・・うーん・・・・・
    何と言ったらいいのか・・・
    一言で言うと、どうも私のところまで舞台で発せられているはずの「熱」のようなものが届いてこなかったようだ。
    なんとなく、舞台の上だけでいろいろ起こっているだけで、ぼーっと見ていた。ちょうど音を消してTVを見ているような感覚。
    始まるまでの高揚感は一体どこへ・・・。
    全体(衣装・美術)から醸し出される雰囲気はいいんですが。

    ネタバレBOX

    あちらで上演するために、いろいろな工夫をしているのはよくわかるのだが、どうやらその「いろいろな工夫」が「主」になっているように感じてしまった。文字をいろいろな方法で見せたりとか。でも、特別、ストーリー的に「文字」にこだわっているわけでもないし、あくまで、ストーリーを追わせるだけの工夫でしかないように思えてしまう。
    女性の翻訳ナレーションの口調とか声のトーンが、新幹線の車内で流れる到着案内によく似ていたのは、どうなんだろうか。
    始まるまでに、役者たちがうろうろ、ブツブツつぶやいていたり、提灯が飾ってあったりという導入には期待感が高まったのだが、それは徐々にしぼんだ。全体の雰囲気からはもっとドロドロした猥雑さを期待したのだが、それはほとんどなく、かといって、スマートでもない。
    広い舞台をわざわざ狭くして使っているとしか思えないのもイマイチ。それも、意図して狭く使っているようでもないし(もちろんラストは別、というか、そのラストのためにも奥行きや左右の幅を感じさせてほしかった)。
    ただ、前のほうに座っていた観客の中には、実にいいタイミングで笑ったり反応をしている方が若干いたようだが、その人たちが関係者でないのであれば、この雰囲気に満足している人もいるのかもしれない。
    最後まで見ててわかったのは、どうやらこの劇団は、たぶん狭い、役者の息や汗が身近に感じられるような、ギュッと詰まった空間で見ると、結構いいのかもしれないということだ。次回は、高円寺の狭い場所での上演らしい。それを見たらわかるかもしれないのだが・・・。
  • 満足度★★

    日本人の評価として・・・
    観劇させて頂きました。この作品は様々な点で日本的です。舞台美術・表現・演出・・・確かに海外で公演されたらたとえ台詞が無くても演技表現だけでもまさに日本の独自の手法を用いた作品とかなり高く評価されるのも頷けます。が、日本人としての視点から観るとどうこの作品が思えてくるか・・・さまざまな日本的なものを取り入れそれを生かしていますが、その一つ一つを辿っていくと日本人なら思い当たるものに辿りつき、どこかで観たものに行き着きます。外国の方ならばまさに独自の手法と絶賛されても、日本人ならばそれらがどこから来たか思い当たるものがあり、言わば潜在的には「どこかで観たことがある」というものがどこかについてまわります。言うなれば芸術表現とするならば完全に独自に生み出したものかと言う点で若干評価に減点しなければならない部分的なものがあるかもしれません。そしてこちらの劇団が過去にもっとも評価が悪かった公演があるのも頷ける作中の性的表現をどう評価するかです。この作品の性的表現は海外では評価されるかもしれませんが、日本人には実に思い当たる生々しい感覚です。リアルさを出すならばこれを評価しますが、ある程度年配の方にとってはこの表現は受け入れられません。日本人の古くから伝わる道徳観では人前でこの作品の性表現を観ることを恥じるか、生理的にこの段階で作品の良い悪いではなく受け入れることを拒絶します。この作品が小劇場で公演されたならば実に興味深く観劇できたかもしれませんが、この公演の劇場の規模と海外での高い評価を前面に出した宣伝により、自分の観劇した公演では年配の観客の方が実に多かったです。が、性的表現のたびに大きく舌打ちする方もいらしたのも事実です。劇場規模と海外での評判だけで観劇された方ならば、普段の観劇は大きな規模の劇場でオーソドックスな作品をときおり観劇される方が多いかと思いますが、年配でその方々にとっては生々しい性的表現を受け入れた方よりも拒否し作品自体をこの時点で当サイトでならば星1つの評価をされる方もそれ相応の人数が出るのが当然だと思われます。たとえ芸術的表現だとしても日本人の道徳感覚では人前で観るものとして受け入れられないのです。そして、この日の観劇で自分の隣に座られたのは母親に連れられてきた小学生でした。自分が親ならば舞台観劇による教育よりも道徳観を身につけてもらうことを優先しますが、お子さんを連れられてきた母親の顔は観劇中ずっと引きつっていました。海外での高い評価を受けたことを大々的に打ち出すのも結構ですが、日本人の古い道徳観でこの作品を観劇された場合どのようなことが起こるかも考慮し、配慮しなければならない年代の方がこの日の観劇にどのくらいいたのかと、どうしても思えてきます。海外での視点と日本人としての視点では当然この作品の評価は変わるように思えます。自分個人の視点で観れば充分評価すべき演技や面白い演出など見所も多いですが、こちらの劇団は海外での高い評価を受けており、自分個人がごく当たり前の日本人の感覚としてして観劇した場合どのような厳しい評価を与えたとしてもこちらの劇団には影響しないと思いますので、通常ですと自分の場合星3つに届かないと思った作品は観劇記を書きこまないことにしていますが、今回だけは事前に十分に配慮すべき点が多かった気がしますので、例外として日本の古い道徳観で作品をギリギリ高く評価した場合の星の評価をさせていただきます。

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