森の奥 公演情報 森の奥」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★

    俳優陣は素晴らしかった! しかし・・・
    平田さんがご自分で自身の脚本を演出するのに比べると、イマイチ台本への理解が行き届いていない部分があったような気がしました。役者の芝居が素晴らしかっただけに、それがとても残念でした。
    でも、良い作品だったと思います!

  • 満足度★★★★

    リーディングのおかげで
    内容をほとんど知っていたから、純粋に作品を味わえました。しかも、リーディング版の俳優のキャラと見くらべる楽しさもあって。それにしても何で海外の俳優ってキュートな人が多いんだろ。

  • 満足度★★★★

    同類!
    まず、言いたい!
    折角の字幕付きなのに、字幕の出し方が役者のセリフと合ってない。
    セリフに対して、字幕が遅かったり早かったりして、チグハグなんだよね。練習不足です。


    以下はネタバレBOXにて。。

    ネタバレBOX


    コンゴに生息する類人猿「ボノボ」を飼育する人々が一室に集まっての会話劇。

    ここではサル研究者や言語学者、農学者、心理学者、観光業者が真面目に研究成果やプロジェクトの実現に向けて話し合ってる。

    ボノボ同士を掛け合わせて猿を人工的に進化させて人類化しようというもの。
    ネアンデルタール人やピテカントロピスは人間に進化するのに500万年かかった。我々はボルボの人類化を50年で進化させよう、というもの。

    それぞれの学者は成長ホルモンに詳しかったり遺伝子操作のエキスパートだったりするから、やけに自信に満ち溢れちゃってる。

    一人の学者が言うには、人間は猿が突然変異して幼児化したものだ。と説明する。
    それって・・・(・・!)人間は猿以下なんじゃあ??

    学者達は、ボノボ同士の掛け合わせはクローンボノボとは違うレベルとか、ジャングルの人たちは普通にボノボを食料にしてるとか、同じ種同士で殺し合いをするのは人間だけだとか、風刺的なセリフも飛び交いながら、ボノボの多夫多妻制度にまで話が及ぶ。
    要はボノボのセックスは乱交型で一夫多妻制に見られるような非対等ではなく、オスもメスも対等な乱交型との説明で、だからこそ、チンパンジーに見られるような子殺しはボルボの世界ではない、という。誰の子か分からないからだ。
    もしも、殺してしまった子が自分の子、という可能性も含んでいるから。という説明だ。


    観光業者はこの地を猿のテーマパークにしたい。と収入面を考え、一方で心理学者は自分の5歳の息子が自閉症なのを理由に、自閉症のボノボ、つまりノックアウトボノボを作って研究したい。と言い出す。更に他の研究者達は研究費捻出の為に、多少の猿の尊厳を見逃しても観光業者の考えを受け入れ、研究費の援助を希望する。

    それぞれが自らの思惑通りに要求する。要するに猿だ!(^0^)


    お堅い話ばかりでなくシンデレラのかぼちゃの馬車に話が及んだり、日本の島の伝説をしたり、日本は組織を組みたがると耳が痛い話もする。



    最後の場面では二人の学者が「たまにこうやって解放したくなるんだ!」と猿真似をする。



    ワタクシ、この時、思いました。
    もしかして・・・この学者達は本物の学者が作った、ボノボを人工的に進化させて人類化した「新型ボノボ」なのかと・・。

    もしそうだとしたら、新型ボノボ学者が自分達の更なる進化の為に研究してる図、ファンタジーでしょう?(^0^)



    ボノボも人間も大差ないです。
    もしかしたら近い将来、新型ボノボが人間を超えます!

    ファンタスティック!(^0^)

  • 満足度★★★★

    楽しめた
    字幕付きということで、観劇がかなり制約されとしまうかと思っていたのだが、実際は、それほどではなく、かなり楽しめた。
    くすっとしてしまうユーモアの中で、「さて、どちらを選ぶのだ」というテーマをじわりと突きつけられた。

    ネタバレBOX

    「猿と人間のどちらかを殺さなければいけないとすれば、どっちを殺すんだ」という台詞に表されているように、人間の病気を治すためという目的で人工的にノックアウトモンキーをつくりたいという意見と、人間と猿の違いは長い生物の歴史の中で、ほんの一瞬なんだ、つまり、その違いは、人種の違い程度だ、とする意見がぶつかり合う。
    これは、ボノボという人間に近いといわれる猿だけのことではなく、そしてさらに動物実験という特殊なことだけではない、人の他の生物との関係についてもう一度考えてみようというメッセージではないかと思った。
  • 満足度★★★★

    おもしろい演劇ってどういうものなのだろう?
    とても眠かったんです。どうがんばっても意識を失う瞬間が何度も。でもおもしろくってたまらなかった。どんな話だったかつなげられない、でもどの場面をとってもわくわくした。言葉とかストーリーとか、もちろんそれも重要な要素だけど、そういうのを乗り越える力もあるんだなあと、体感。字幕があるからつい追いかけちゃう、けど、そんなものより目の前の存在。外国人だから、言葉が通じないから、意思の疎通ができないから、って何も伝わらないわけじゃない。むしろそれで感じられるアンテナが研ぎ澄まされました。ま、寝ましたけど。それでも満足。こういう企画に感謝です。字幕を無視して、存在だけでびびっともう一回感じたい。

    ネタバレBOX

    物語は気にせず、とはいっても、やはり平田オリザ脚本のすばらしさも感じました。そこから生まれる感情っていうものが日本人だけじゃない、誰にでも通ずる普遍的なものであり、その時の表情やジェスチャーや間も、万国共通なんだな、と認識。初対面の会話の空気の途切れ感、チンパンジーの子殺しを止めに行く場面や、最後の猿のまね、笑ったり泣いたり、忙しすぎ。
  • 満足度★★★

    外語能力が欲しい
    平田オリザ作品は初めての鑑賞だったのですが。

    やっぱり好みだなぁと。
    個人的に動く芝居が好きなので…。
    淡々と続いていくストーリーは、
    会場内の気温もあいまって最初はものすごく眠気を誘いました。
    (冷房を切るのは演出だったみたいですが)

    しかしあれだけ何でもないシーンを舞台にしてしまい単純に「凄い」と思います。
    後半は集中して観ることができました。

    字幕を追っていると役者さんを見れないのがとても残念。
    すごくいい表情や動きをしているのに勿体無い。
    いや、これは自分の能力的に。
    外語がわかればもっと細部まで観れるんだろうなぁと。

    ネタバレBOX

    字幕の文字。
    「あぁ…いや…その」とか
    「なるほど…でも…いやなんでもない」とか
    日本語特有の曖昧さがあって。
    あれは日本を意図したものなのか、
    それとも外国でも日常会話では曖昧な表現が多発するのか、
    なんとなく気になりました。
  • 満足度★★★★★

    猿の地平で考える
    現代の演劇界で、僕ら一般人の目線をもって、世界を表現できる人は、平田オリザさんだけかもしれない。

    「森の奥」は、ベルギー王立劇場の依頼で、オリザさんが書き下ろした作品。完全な「乱交型」コミュニティを作ることで知られる、もっとも人間に近いと言われる類人猿、ボノボについて語る研究者たちの姿の向こうに、僕らをとりまく、地球規模の、人の世界がみえてくる。

    「他者」をめぐる、ともすれば、高いところから見下ろす形になってしまいそうな題材が、オリザさんの、どこまでも自然な言葉と、ベルギーの俳優たちの、演技を忘れたような演技に、僕ら市井の人々の目線が込められて、ごくごく当たり前にしみ込んでくる。

    感情が大きく揺れ動いたり、全く新しいものに触れたりということのない、地味な舞台。でも、ここは、喜怒哀楽から始まる、深い思索への、とても自然な入り口。僕は、この貴重な公演を、心から楽しんだ(できれば、もう一度観たい)。

    ネタバレBOX

    劇作家にとって、他国の劇場から、劇作のオファーがくるというのは、どういう気持ちのものなのだろう。オリザさんのこの作品には、そういうときに想像される、気負いのようなものが、全くない。それでいて、多文化と、自然と渡り合う、作家の姿が、はっきりと映る。

    プログラムの言葉を引用してみよう。「結局、ベルギー本国を舞台にするとぼろが出やすいので、旧植民地であるコンゴを舞台にして、しかも私の得意分野である霊長類研究の話題を書くことになりました。日本のお客様には、分かりにくいかも知れませんが、人間と猿の違いを描くことで、ベルギーの中にある人種間対立の問題が透けて見えるような構造にしたつもりです。」とある。

    自分の知らない国からの依頼を受けて、まず、その国について調べる。問題点を、テーマに据える。ここまでなら、なんとかなるかもしれないけれど、それを、自分の「得意分野」の話に紛れ込ませるとなると、相当の自信が必要だろうと思う。「霊長類研究」というような、国際的な得意分野をひとつ持っているかどうかが、これからの国際人には問われているのかもしれない。

    なにより、この「霊長類研究」の部分が、楽しい。ボノボは、完全に乱交型のコミュニティを形成。全てのコミュニケーションは、同性、異性を問わず、セックスに依存している。そんな世界では、例えば、特定の異性とのみセックスすることが「不倫」となる、とか。ボノボの社会のような、乱交型のため、誰の子供なのかが全くわからない親子関係の世界では、子殺しが起こらない、とか。物語は、こういう、類人猿の世界に関するコミュニケーションを通じて、世界各国から集った、心理学や言語学といった、立場も様々な科学者たちの、ぎこちないやりとりを、とても丁寧に描いて行く。

    僕は、同時に、舞台上の白人たちと、観客席の僕ら日本人の間に、無言のやりとりのようなものが生じたと、感じた。それは、もちろん、舞台から、客席にはたらきかけがあるというわけでは全くない。

    僕は、恥ずかしい話だけれど、舞台上に白人の役者さんたちがいる舞台に、最初、萎縮してしまった。僕らと、全く違う人たちだと感じて、狭いアゴラの、舞台と客席の間に、どうしようもない見えない壁があるみたいに、感じた。

    でも、それが、次第に、消えて行ったのだ。というか、消えてはいないかもしれないけれど、それを、意識しなくなったような気がした。「日本人」と「白人」というような、雑な区別が、「猿」と「人間」という、さらに雑な感じの、でもより根源的な区別を通して、個人間の差異に着地するような、そんな気がして、いつの間にか、舞台上の人々と、自分が、同じ地平(猿の地平というべきものかもしれない)に立っているような気がしたのだった。

    それは、多分、コンゴのジャングルを表現するための、冷房を切るという演出に助けられてのことかもしれない。舞台上の人々と同じように、僕らも、暑くて、服をはだけて、次第にだらしない身体を獲得していたから。また、オリザさんのオリジナルな言葉の、つまり自然な日本語の字幕にも助けられたのだろう(おおげさな言葉のない、とても親しみ易い言葉の字幕は、めずらしい)。

    このように、大きな気負いではなくて、細かいところに気を配るところから、アゴラの、「国際演劇月刊」は始まった。僕は、この姿勢を、信じる。ここには、巷に溢れる、自己満足の「国際交流」ではない、もっと自然なものが生まれると思った。そして、次の演目が、楽しみになった。

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