心中天網島 公演情報 心中天網島」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-12件 / 12件中
  • 満足度★★★★★

    共感して…
    20代の頃、演劇研究者の故中山幹雄 氏から近世文学(鶴屋南北、近松門左衛門など)を学んだことを懐かしく思い出した。当時は、どれほど理解していたか定かではないが、「女殺油地獄」の朗読劇を発表したことがある。今でも写真とテープが残っており、恥ずかしいが記念でもある。

    さて、近松門左衛門の作品についてはチラシ説明で詳しく書かれているが、その魅力は、登場する人物が皆追いつめられて破滅の道を選ぶ。追いつめられる状況が物語であり、その道を選択せざるを得えない、そこに共感が生まれるのだろう。
    芝居は、その選択の過程が観客の機敏に触れることが大切だと思う。しかし、制作側が結果・結論を示しては面白くない。”どうして“は観客に委ねることで解釈が画一的ではない広がりが出来る。

    本公演は、近松作品の物語としては忠実であるが、その演出は生演奏音楽、舞台美術としての映写文字など新しい試みで観(魅)せていた。

    ネタバレBOX

    近松作品は、当時実際に起きて世間を騒がせた事件をもとに創作しているという。その中でも「心中物」は、世間の好奇心や同情が集まり人気があったらしい。この頃の暮らしは、元禄バブル期から享保の質素倹約へ閉塞感が漂い始めた時期である。人々の不満など疲弊した状況を、今でいうワイドショーのような驚きと好奇な目で見ていたと思う。当時は心中事件が多く、幕府は世の乱れを憂い厳しい取締りをしていたという。そんな世相と近松作品...人間の本音を浮き彫りにしつつ、覗き見る感覚が庶民に支持されたようだ。

    現代においても心中は世間の耳目を集めるが、今の心中動機としては、近松作品のような理由では弱いかもしれない。この心中という結末に向けての道行きが情感豊かに描かれるからこそ愛される。そこには今にも通じる人間の魂が観えるから繰り返し上演されるのだと思う。

    本公演は物語(現代ではストーリーに新鮮味がない)こそ忠実のようであるが、観せる工夫として独特の台詞回しを字映し、当時のゆったりとした動作が緩慢に感じないよう、生演奏によって”情”という 間 をつくる、など多くの特長を持たせている。そこには古典芸能を現代でも観やすく、さらには面白くする創意が施されており感心した。

    それにしても、江戸時代は庶民の娯楽であったものが、今では学問...本公演でも様式、丹誠というイメージがピッタリする。時を経て”伝統”的になっても、観られなければ廃れる。その意味で、この公演のような伝統を大切にしつつも新しい試みを続けてほしい。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    イメージがいまひとつ湧かない!
    唄、演奏、効果音とも素晴らしく、役者陣も上手いのだが、
    舞台セットがほとんどないことと、、台詞自体に意識が行き過ぎて私にとっては芝居内容のイメージがいまひとつ湧きにくかったです。
    役者の台詞と映像の台詞を確かめる作業はいささか疲れた。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい演出
    近松門左衛門の作品を、演劇として観たのは初めてだが、

    『伝統の手法を参考にしながら現代劇の手法を取り入れた演出を心がけました。』と、当日パンフに記された通り、その素晴らしい演出で物語に惹き込まれた。

    殊に、“舞台美術としての文字の映写”は、文字通り舞台美術として機能しており、更に物語が解りやすくなる、いい演出だ。

  • 満足度★★★★

    古典芸能
    俳優の方々の演技力の素晴らしさに圧倒されました。
    理解できない言葉がありましたので、必死な思いでした。

  • 満足度★★★★★

    心中
    三味線、薩摩琵琶、笛の演奏と歌は最高にすばらしいです。
    障子の手前と向こう側を離れて演ずるのは面白い趣向ですね。
    セルフの長いこと、セリフにすごい迫力があって圧倒されました。
    バックにセリフを投射されたので、少しはわかったが、昔の言葉遣い難しいですね。

  • 満足度★★★

    文字の投影
    古典的な言葉遣いだったので、正直すべてを理解できなかったけれど、
    後ろに文字を映し出すことによって「そういう言葉か!」とわかるのがよかった。
    また、ト書き部分というのか、会話以外のところを拍子木きっかけで役者の動きを止めて文字を読ませるという演出も面白い。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい!
    『心中天網島』は,男と女の話だ。治兵衛は,意に添わない結婚で子どもまでいるが,気が付くと遊郭の小春に夢中になって身を崩していく。実の兄はひどく心配する。自分の娘を傷ものにされたと,おさんの父親は激昂する。二人は,世間の厳しい批判の中で,心中にいたることになる。

    言葉の使い方が,特殊なので全体的にわかりにくい部分があった。しかし,それはそれでよく聴いているとなんとなく感じとれる。かえって,迫力があった。

    今回一番の魅力が,三味線と,琵琶と,横笛だった。邦楽を聴く機会は意外と少ない。とりわけ,笛の演奏に興味がわいた。

    近松門左衛門の世界は,歌舞伎とか,浄瑠璃の世界。そこは,少し敷居が高い。そちらの世界はマニアが,古典芸能を支持し,守っているところ。私は,たまにはのぞいてみたいと思うが,チケットが手にはいるか,心配がある。

  • 満足度★★★

    観てきました
    映画では近松門左衛門の作品は観ているのですが、なかなか私には画面を追って考えている間に舞台は進み

    セリフを理解するのにまた必死で感情移入する余裕もなく
    なかなか歌舞伎など見慣れてない私 頭がついていけなくて。


    年配の方がたちは満足そうでした。経験を積めばまた変わって来てくれることを祈りつつ

  • 無題1641(15-330)
    19:00の回(やや曇)。

    18:20会場着、受付(整理券あり)、18:30開場。

    正面に白い布(スクリーン)、左右に障子のようなもの、床に小さな男女の人形が横たえてあります。

    19:04前説(105分)、19:05開演~20:55終演。

    「近松門左衛門」「心中天網島」は聞いたことがある、程度しか知らない(馴染みない)のでこの機会にと思い観に来ました。

    古典芸能の素養が欠けているため本作の良さがつかめない、ということはどうしようもないことですが、よいきっかけにはなったのではないかと思います。

    観客のおひとりがご自分のとなりの席にバッグを置き、後から来るであろう方のために席をとっているのかと思っていましたが、どうも誰かを待っていたのではなくそのまま開演、終演後はわびれる様子もなく出ていきました...だいぶご年配の方。

    当パンで大筋はわかったもののセリフのニュアンスまで踏み込めず。

    先日、他の公演で琵琶が使われ、また聴きたいと思っていたところでした。

    調べると、青田さんは「ありがとうの夕陽(2014/7@中目黒)」を観ていました。

  • 満足度★★★★★

    こんなの初めて!
    あの時代が、場面が、活き活きと蘇る。発語としての日本語の美しさ、面白さが、見事な語りと演奏で盛り上がる。己の語彙の乏しさを超えて流れに呑み込まれた。‘時代物’の新たな魅力に目を開かれた気分。

  • 満足度★★★★★


     近松門左衛門の心中物の中でも最高傑作の誉れ高い今作であるが、義理(人が人として守るべき人倫の道)と人情(例えば恋、己の理性で律すること能ぬ本能の齎す欲求)の機微を、これほどドラマチックにまた悲劇的に同時に美的に描いた作品は古今東西実に稀である。(追記は文化的なレベルで述べる。前段はここまで。追記2015.11.1午前3時)

    ネタバレBOX

    だからこそ、日本のシェイクスピアとも評される、近松作品の心中物の中でも最高傑作との評価が為されるのであろう。まあ、一般受けする評価などはハッキリ言ってどうでも良い。問題は、観た自分が評価できるか否かに掛かっているからだ。結論から言えば、自分は高い評価を下す。現代日本との直接的関連性を演出家が直接的に意識しているかと問われれば、その点では若干弱いと思う。だが、今作を今、掛けることを選び取った嗅覚ともいえる感覚は確かなものだと思うのである。
    愚衆ならいざ知らず、現代日本を単刀直入に見る目を持つほどの者ならば、日本がアメリカの植民地であることくらいは自明であろう。そして植民地として収奪され、誇りを奪われ、奴隷ですら持ちうる反抗の自由・権利を奪われて唯々諾々と従っている体たらくを情けないと思わぬ者は居まい。
    近松の生きた時代、国と言えば各藩の領内、そして各藩を統べるのは、徳川幕府であった。して、徳川幕府は何をやったか? 儒教のうち朱子学を幕府御用の哲学として採用し、以て人倫を支配、各藩が持つ軍事力に対する抑えとしては武家諸法度・参勤交代を加えた。天皇家を中枢とする公家に対しては禁中並びに公家諸法度を用いて縛り付けたのである。無論、江戸時代の人口構成の90%以上を占めた庶民からは、総ての有効な武器を取り上げて反抗の為の道具を奪い、豊臣 秀吉の検知以降、人民の所在を明らかにすることに努めたのみならず、538年に伝来し国教ともなっていた仏教のイデオロギー的側面を骨抜きにし、ここでも御用宗教即ち御用哲学と為して、檀家制度の元、人別帳の徹底化・人民支配に利用したのである。百姓が、人口の90%以上を占めた時代の実態は、水呑み百姓が大多数であり、長子相続という形式を守ってさえ食うや食わずの生活であったから、その生活の悲惨は、容易に推察できる。最も端的にそれが分かるのは人口の増加率によってである。1603年から1868年迄の増加率を観てみれば基本的なことは足りる。私見によれば今に至る日本人の畜生根性は、太閤検地によって人別帳を明らかにされ、刀狩によって反抗の為の手段を奪われた民衆が更に徹底的にイデオロギー的にも宗教的にも為政者によって収奪された江戸時代の簒奪によって完成されたと思っている。即ち人民は、数百年、馴致の歴史を持っているということだ。
    当時の世界の識字率の平均と比べて圧倒的に高い日本のそれは、この人口増加率の低さに矛盾したデータとして現れるのだが、そのことの意味する所が、今作の眼目でもある。
     江戸時代の日本語と三味線(中竿)、横笛、琵琶、太鼓、拍子木などと南京玉すだれのような形態のもっと重い木で作られた自家製の楽器などが用いられ、日本音階で奏でられるメロディー独特の声調とメロディアスな楽器としてのみならず、リズム楽器として用いられているのではないか(西洋の笛では殆ど考えられぬ)と感じられるような横笛の、空気を切り裂くような用い方が、時空を断ち切り、並行的な楽器のコラボレーションというより、輪唱のようなコラボレーションになっては、観客のイメージの中でいつか輪廻転生をも感じさせる。それが、今作にも表れる仏教観とも繋がり音楽と文学と哲学が微妙に折り重なりながら共鳴し合う。
     一方、ここには、道行以降異様に美しい日本語表現と共に、所謂封建制度下での制度的束縛より、人倫に悖るか否かの、即ち人としての倫理(義理)と恋(人情)に引き裂かれ苦悶する2つの実存の、深く切り裂かれた傷口から見える底知れぬ奈落へ、支えもなくずり落ちてゆく苦悩と共に、蟷螂の斧のように振り上げた反抗の意図もほの見えるようではないか。殊に五障の障りがあると山に入ることを禁じられる立場であった女性の小春が簡単に死ねないのはとどのつまり詰め腹を切らされるのが力の弱い女性であることの反証のようにも思えてならない。この辺りにも演劇の科白を単に意味を伝えるだけの記号ではないと捉えている演出家、篠本 賢一の姿勢が込められていると観た。
     無論、自分のように様々な理屈を持ち込む必要などなく、素直に様々な要素の輻輳する演劇のダイナミズムを楽しんでもらえれば、それで本質は掴めるように作られた舞台である。

  • 満足度★★★★★

    濃い!面白い!!
    三味線、薩摩琵琶、笛、太鼓、語り、影、文字の映像を使い、役者同士が対面しない演出は文楽の要素も感じられたりして、面白かったです。
    役者さんたちもとても味わいがあって、それぞれの役の心情を余すところ無く伝えてきて、素晴らしかったです。
    私はこの演目では兄の孫右衛門が好きなのですが、山谷勝巳さんの情け深く、情の細やかなお兄さんはとても素敵でした。彼らの心中姿を見たら、いっぱい泣くんだろうなぁ・・・・。きっと残された子どもたちも大事に育ててくれると思いました。
    簡単には死ぬことが出来ないラストもとても良かったです。

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