ざくろのような 公演情報 ざくろのような」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-18件 / 18件中
  • 満足度★★★

    サラリーマンあるある
    こういう上司いる!と思いながらの観劇。
    ドキュメントとフィクションがミックスされ、見応えのある作品でした。

    ネタバレBOX

    最後の中国でのシーンは無くても良かったのでは。
  • 満足度★★★★

    非常に痛い
    ​企業モノに戻っての今作。サラリーマンとしては、観ていて非常に痛い。企業買収、リストラと個人の夢。今まで観た作品より若干ライトな描写を交えつつもその本質は変わらず緊張感が高い。会社と自分との関係に想いを馳せつつ観入ってしまった。

    ネタバレBOX

    何人かが二役をこなしているのだが、堤千穂の益子かおりから大下由麻の差が凄い。大下として出てきた時に、これ堤千穂で間違いないなと頭の中で当パンのキャスト表思い出すほどの別人ぶりには驚かされた。
  • 満足度★★★★

    人間って
    命の数だけ生き方があるんだろう。その是非はともかく。

    ネタバレBOX

    野間の選択が良くないとは、今の時代、言い切れないなぁ。。
    その技術の先に新しい世界があるなら、その場を求めて技術者、科学者は動く。
    現実、青色レーザー開発にあるように。
  • 満足度★★★★★

    ああサラリーマン
    サラリーマンにはすぐそこにある世界。しかしながら本作はそれほどシリアスではなかったように思う。説明にもある通り少し喜劇の要素も取り入れていていて「そうだよなぁ」と妙に納得してしまった。今回は胃が痛くなることもなく見ることができた。

  • 満足度★★★★★

    仕事に賭ける男たちの宿命
    こんな凄まじい葛藤も最前線で戦っている技術者たちならではないだろうか?どちらが正しいと言うわけではない。単に信念の違いだけで袂を分かつことになる。これが仕事に賭ける男たちの宿命なのだろう。多くの会社員はそれ以前に妥協や迎合を選択してしまう。お前は本当にそれで良いのか。この舞台からはそんな強烈な問いかけが聞こえてきそうだ。強い感銘を受けたが、会社員である私はやっぱり「蔦」を支持せざるを得ない。

  • 満足度★★★★★

    ざくろのような
    当日チラシに「最後まで肩の力を抜かずに・・・」とありまして、オープニングの大音量(最前列だったから?)で思わず入った肩の力は最後までそのままでした。平日のこんな時間にお芝居観られる人たちにはきっとひと事で、私もそうなので、へー会社と言うところはこんなものなのかととてもおもしろく観劇いたしました。研究を続けるために会社を捨てる野間のような生き方もありだと思いましたが、私にはどこまでもまじめな蔦にも共感できました。何人かが複数の役を演じていましたが蒻崎さんが個性的すぎて、当日チラシの配役をちゃんと見ていなかった私は会話が始まるまで「え?この人誰?野間さんの奥さんのような気はするけど、『あんたらに関わってたら自分もこのざまよ』と言い出す山崎室長?」と悩んでしまったのでした。野間はその奥さんにコップの水をかけられていましたが、その直前に奥さんに渡したのが離婚届だったからですよね?研究のためには奥さんすら邪魔なの?それとも優秀なプログラマーという奥さんを中国に連れて行く訳にはいかないから?そこらへんがいまひとつ分かりませんでした。

  • 満足度★★★★★

    会社は、まるで“ざくろの実”のようだ
    「人」という1つひとつの小さな実で構成されている。

    会社は人で構成されているはずなのに、人を幸福にしないことがあるのだ。

    (ついついネタバレボックスにだらだら書いてしまいました)

    ネタバレBOX

    現実に起こった三洋電機の買収・解体を思い起こさせるような作品。

    実際にある企業に似た、山東電機、松川電器、中国のハイミといった名前の企業が登場することで、技術力があるが業績不振の電機メーカーが大手メーカーに買収される、というストーリーから企業と人という視点ではあるが、どちらかというと経済系、社会派的な話ではないかと思って観ていたが、どうもそうではない。

    もちろん「企業と人」の話ではあるのだが、特に「人」に焦点を当てている物語だった。
    人がどうするのか、という話だ。
    それが「どう見えるのか」ということでもある。
    我々、「神の視線」から観ている観客が感じることは「人からどう見えるのか」なのだ。

    タイトルにある「ざくろ」という植物の実は、割ると中に赤い粒々が見えてくる。
    その粒々は、ミカンなどの柑橘類のような、「実の中身」というものではない。
    粒々1つひとつにタネがあり、その粒々の1つひとつが「実」としての存在を示している。
    つまり、ざくろの粒々のような我々は、ざくろという実を構成する1つの部品なのではなく、その1つひとつが芽を出し成長することができる、1つの実であるということなのだ。
    (タネに対して果肉の部分にあたるところが少ないので、食べても充実感に乏しいということは、横に置いておく・笑)

    つまり、「ざくろ(の実)」とは「企業(会社)」そのものではないのか。
    企業は、粒々、すなわち「人」の集まりであり、それが「会社」という皮、というか共同幻想みたいなものに包まれているだけであり、「企業の実態」とは「人」にほかならないということなのだ。

    「会社は」とか「企業は」とかのように、ついつい会社や企業を主語として1つの存在のように語ることが多いのだが、それは「皮」のことであって、実際はそれを構成している人の集まりのことを指しているのだ。しかし、「会社」や「企業」と言うときに「人」を思い浮かべることはほとんどないだろう。

    だから、「人=会社」なはずなのに、「会社にとって」のような理論で、いつの間にか本来の実態である「人」がないがしろにされてしまうことがある。それが酷い状況になると、「ブラック企業」などというものになってしまったりする。

    企業を構成する人が我慢したり、不幸になったりすることで、その集合体であるはずの「会社」が良くなるばすがないのに、だ。最近言われ始めている「人本経営」はそこから出てきた考え方なのだ。

    しかし、「会社にとって」という、どこから出たのかわからない声(や意思)によって人は我慢を強いられたり、不幸になったりしてしまう。

    この作品の登場人物たちも同様である。

    経営不振による買収からの、会社の解散(倒産・消滅)という不測の事態に遭遇したときに、消滅する側の会社では、あるいは買収する側の会社では、属する従業員たちはどのような行動をとるのかが、この作品で描かれていた。

    つまり、企業経営というような、経済的な範疇での、社会派的な物語ではなく、ここには困惑しつつも自ら決定して行動する人の姿が描かれていた。それは普遍的ものであろう。

    ほとんどの演劇がそうであるように、観客はあり得ない視線で舞台上の人々を観る。
    つまり、それは「神の視線」であり、物語の当事者ではないので、冷静に人々の行動を観察できるのである。

    買収される会社は、一部の人は気づいているように「今まさに沈没しつつあるタイタニック」のようなところにまで来ている。
    しかし、呑気に翌日のゴルフについて話をしていたりする。
    また、会社に残りたい一心で、上司を陥れようとしたりもする。

    そういう人たちを、「ダメな人だな」「イヤなヤツだな」と思って観てるのは、我々が「神の視線」から観ているからであり、実際にその立場、その状況に陥ったとすれば、どう立ち回るかわかったものではない。
    つまり、神の視線は「他人からどう見えるのか」がよくわかる視線でもある。

    神の視線から観ているから、舞台の上には悲劇があり、喜劇があるのだとも言える。

    それは買収される側(山東電機)の人間だけのことではなく、買収する側(松川電器)の人間も同様である。
    買収する側の人間は、冷静に、かつ冷酷に山東電機の社員をどう処遇し利用していくかを考え実践しているのだが、彼らもまた買収される側と同様に、「会社」という共同幻想の中に閉じ込められていて、その共同幻想、皮の「会社」の「意思」に従っているだけなのだ。

    彼ら自身の意思で業務を遂行しているわけではない。
    つまり、いつ立場が逆転してもおかしくないのだ。

    観客は買収する側(松川電器)の室長の冷静な判断と計画を観て「冷酷だな」「会社の命令だからな」「会社がなくなっては元も子もないし」と、いろいろなことを考えるだろうが、それは安全な神の視線の側にいるからなのだ。自分がその室長の立場だったらどうするのか、情に流されずに業務を遂行できるのかということだ。

    室長は、この仕事をどう考えているのかの本音は、室長とその部下の課長との会話で、室長がふと漏らす台詞からうかがえる。彼女(室長)の「人」が見えてくる一瞬であり、この台詞はなかなかうまいと思った。

    副部長が部長を追い落とすような仕掛けをしたり、蔦サブリーダーが副部長に昇格することで、彼のリーダーだった野間に本年を叫ぶように吐露するシーンは、なかなかだ。
    なかなかイヤな姿だが、ひょっとしたらどこか天井から眺めている神の視線によれば、自分たちの姿なのかもしれないのだ。

    サブリーダーの蔦が副部長になって、(野間が辞めて中国のハイミへ転職したいと思っていたことを知っているのにもかかわらず)あそこであんなこと言うか、と観客は思ってしまうが、それも冷静に観ている神視線の観客だからこそわかることなのだ。後悔先に立たずとはよく言ったもので、我々もそんな過ちをしてしまっている。

    山東電機の上司と部下たちに欠けていたのは、心理的契約と言われるような相互理解の関係だ。
    暗黙に理解し合えるような関係があったとすれば、買収する側に対しても組織として対応できただろうし、野間に対して営業系の役員が振ってきた急ぎの案件も、うまく対処できたのではないだろうか。

    野間と蔦の関係でも同じだ。
    蔦は「上司の命令だから野間の言うことを聞いてきた」というが、単にそれだけの関係であって、野間と蔦の間にはそうした暗黙の相互理解がなかった。
    だから、立場が逆転してしまっても、それは生まれることがない。蔦は押さえ込んでいた気持ちを吐き出すだけだ。

    野間は正論を言っているようで、組織の一員としては問題がないわけではない。
    それも実際に同じ組織にいれば、わかるのではないだろうか。

    舞台の上での人間模様はとても面白かった。
    それは戯曲自体もそうなのだが、役者がとてもいいからだろう。

    室長を演じた榒崎今日子さんは、あいかわらず感情を殺して仕事を遂行するという姿が、刃物のように鋭くカッコがいい。
    野間を演じた小平伸一郎さんは、オタクな感じを漂わせて神経質な感じがとてもよかった。
    サブリーダーの蔦を演じた狩野和馬さんは、野間をしっかりと支えている人というイメージから副部長になるということがわかってからの、感情の爆発が凄い。こんなに感情を剥き出しにしたのは見たことなかったと思う。舞台の上に釘付けになった。

    中野副部長を演じた谷仲恵輔さんは、やっぱり上手い。どんな役でも自分の姿にしてしまう(ほとんどがイヤな役なのだが・笑)。部長の前で泣いて見せ、呑みに行こうとするときに蔦に呼び止められ、こちらを振り向いたときに、実は泣いてなかったということがわかる顔には、ゾッとした。人の暗部を一瞬で見せてくれたようだ。
    鈴木副部長を演じた佐々木なふみさんは、有能な上司でありながらも(野間は認めていた)、同じ女性社員に対し毒女的、お局様的な毒の滲ませ方が上手い。ロッカーの福山は笑ったけど。
    部長を演じた吉田テツタさんの、呑気で人がいいけど無能そうな上司の空気感がいいし(まるで子どものような逆ギレのところとか)、中国人に切り替わったときの殺伐感もいい。

    演出的にはホテルの喫茶室のシーンがなかなかだと思った。
    普通はウエイターの設定はまどろっこしくなるので、割愛することが多いのだが、この作品ではいちいち注文を取り注文の品を持って来て、を見せる。しかし、それがまどろっこしくはならず、むしろ会話を途切れさせたり、間となったりすることで、ある種のリアリティを感じさせるのだ。
    これはなかなかできないと思う。
    前作『消失点』でも同様に、婦警さんを登場させることの上手さを感じた。

    ただ、後日談のような中国企業のシーンは必要だったのだろうか。
    野間は、妻に離婚届を出したことで、(そのことは蔦との会話に出てきたように)中国企業へ転職する意思が固まったことが、観客にはわかったのだから。
    蔦が殴りかかるなんていうのは、どうなんだろう、と思った。

    ラストにロボットが机から落ちるシーンがある。
    人である前に「会社員」である者をロボットにたとえ、それが壊れた様を見せたのではないかと思った。

    ……野間が中国で突貫開発した電池が不具合を起こしてしまうということを暗示しているというのは、……深読みしすぎか(笑)。
  • 満足度★★★★★

    楽しめました
    いつもながらのJACROWの濃厚なドラマですが、今回は原点回帰と銘打っているだけあって、共感しやすい内容で、話にすんなりと入っていけました。当たり前のことですが、どこでも使える技術や能力のある人は嫌な組織に縛られる必要はないので。

  • 満足度★★★★★

    面白い!
    面白かった!サラリーマンの悲哀をストレートに描いたドラマ。いつもの、「息がつまるような濃密な空間」とは少しだけ違ったけど、幕が開いてから終演まで無駄がない演出(展開)で、寝不足状態なのにウトウトすることなく観入ってしまう臨場感。蒻さんの存在感もさすがだ。1時間40分がアッという間に終わってしまった。

  • 満足度★★★★★

    企業とは、人とは
    重厚な人間ドラマを魅せてくれた素晴らしい舞台でした。、凋落した大企業の研究部が中心の舞台で、研究部の面々や周辺の人物が実に良く描かれている。まず、脚本がとても面白い。
    登場人物それぞれの立場や考え方があり、細かい所作にもその人物、一人一人の性格や情緒が良く分かりました。
    公演中なので、以下ネタバレで。

    ネタバレBOX

    買収、ヘッドハンティング、リストラ、昇進等等、サラリーマンである私には実に興味深く、また良く内情を解っている舞台だと思いました。
    開発中の最新技術とは別に、営業からの至急案件など、その最たる場面かとも思います。(この場合、営業が悪い訳では無いとも思います。)
    企業では、独自性と協調性、短期開発と長期開発など、ともすれば相反する事の両立を必ず求められます。その辺のニュアンスが実に良く描かれておりました。終盤の、天才研究員とそれを支え続けた研究員の会話には、胸が熱くなりました。
     
    役者さんは、皆演技力が高く、2役している方も多くおられましたが、髪型や服装などでその違いを出し、実に上手く演じられておられました。

    最後、テーブルの上で動くおもちゃで終演しますが、余韻が残る終わり方で大変好きです。


  • 満足度★★★★★

    続編期待!
    とりわけ技術系サラリーマンには近すぎる位の芝居だったのではないでしょうか。細かいところはさておき、NHKの技術者の海外流出のドラマの舞台版のようで臨場感に溢れていたと思う。
    ただ、私としては、本当観たいのはその後どうなるのかである。
    中村氏の独自観点からの続編大いに期待します。
    アジアの中では圧倒的にノーベル賞受賞者が多い日本、自分の主張だけを正当化し何でもありの金儲け主義の成り上がり某国に魂は売らないで欲しいと切に願う。彼らは、日本人の技術を吸収すれば必ず日本人を切り捨てる。そういう国だ。

    ネタバレBOX

    研究一筋の優秀な若手技術者野間は中国しか選択肢がないのか、
    本編の台詞にもあるように国内の同業他社からも勧誘があるだろう。
  • 満足度★★★★★

    ざくろは人肉の味?
     今作に描かれたような状況の本質を敷衍してみた。すると”ざくろのよう”なのは、ここに描かれた一企業の事例にとどまらず、我らの国民性一般に関わる問題に見えてきた。(追記後送)

    ネタバレBOX

     サンヨー電気が画期的な電池を作っていたのは、多くの人が覚えているだろう。だが、松下に吸収合併された。今作は、あの件を題材にして創作された作品である。実際、バブル崩壊以降の日本は、アメリカの禿鷹ファンドの恰好の餌食となり、国民の側を見ずにアメリカの顔色ばかり伺っているが故に無能な官僚や政治屋、それに輪をかけて無能な、というより覇気も見識も正義感も職業倫理もない最高裁と警察、内調等のせいでいいように毟り取られ、国民生活は逼迫の度を増した。無論、公僕や我ら主権者の代理人に過ぎない政治屋共にこれだけでかい面をされるのは、国民がしっかりしていないからである。
     だから、利潤しか追求しない企業に尽くしたりするのだ。社畜と言われてもいいらしい。余りにも当たり前で言うのも恥ずかしいほどだが、我らは、サラリーマンである前に人間である。そして、ヒトは他の生き物と地球上の環境を分かち合って生きなければならない。一方資本主義社会にあって、企業は利潤しか追求しないのは当たり前、そして社員と企業とは、契約を結んでいるだけである。従って、他の誰もできないようなことができたり、その能力を持つ者が、特に研究などの場合、自由に振る舞うことができれば、まして待遇が今までより良ければ、そちらへ移るのは当たり前すぎるほど当たり前のことなのだが、社畜に甘んじている社員にはそうではないらしい。寧ろ彼らは事務レベルで優秀な研究者の上席に立つことができれば、普段から溜め込んでいる劣等感の意趣返しができると耽々と狙い澄ましているのである。いわばコンプレックスの捌け口を求めているだけだ。こんなことばかりやっていたから、F1人災が起きてしまったのではないのか? 実際のサンヨーがどうであったかは知らない。が、今作でチームリーダーは研究者としては、世界トップレベルの人物として描かれている。実際、自分も大学時代寮生活をしていたので、様々な学部の学生や院生と付き合っていたものだが、研究科目によっては、ノーベル賞も取っている先輩を排出している大学の、工学部の連中の持っていた雰囲気を、野間を演じた役者さんはよく出していた。実際、どこか、のほほんとしているというか飄々とした所がある連中が確かにいるのである。数学や理論物理の連中にもいるのだが。
     By the way,日本の組織というのは、窮屈な所が多くて、自由闊達な意見を潰すことが多いので、面白いことをやる連中が出る研究室も限られてくるようだ。単に会社組織と個人という対比や、組織内の天才的才能とサラリーマンという名の社畜の生き残り策の違いということでは片付かない儒教的な目上崇拝や、それをベースにした滅私奉公の論理が、この植民地の活路を塞いでいる。かつて天皇のみが主権者であった時代、裕仁は現人神とされ、国民は総て天皇の赤子とされていたのだが、現在はアメリカが裕仁の居た位置に鎮座しているという訳だ。公僕である官僚共は、何を勘違いしたのか、現在は主君、アメリカに尻尾を振り滅私奉公に必死、国民は眼中にないのは、観ての通りだ。政治屋もそうである。川内原発が再稼働するまで約2年の間、燃料棒は冷却されており、原発即時廃止にもってこいの状況だったのだが、核物理の基礎も理解できないほど能力の低い安倍とその郎党の政治屋や推進派首長、地方議員などは、今後更なる核の塵を出し、放射性核種で取り返しのつかない環境破壊を起こすことにどう責任が取れるというのだろうか? 
  • 満足度★★★★

    いろんな見方が
    あ、ここで幕なのか、と ちょっと残念。

    様々な人物の中でも 一番共感できたのは 野間。


    彼のした選択は 裏切りという言い方もできるが

    私は あの選択に ほっとした。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい!
    引き込まれました。経営と人事、本当に難しいと思います。

    ネタバレBOX

    三洋電機の吸収合併をモチーフに、山東電機のリチウムイオン電池を開発している部署が松川電器との合併で解体されていく過程を描いた経済ドラマ。

    合併を経験し、他の企業の営業譲渡にも携わったことがあるのでとても興味深く拝見しました。また、何十年も前の話ですが、三洋電機の社員からボーナスが現物支給だと聞かされたことも思い出しました。

    経営者は長期ビジョンと短期の稼ぎを考えなければなりませんが、貧すれば窮する、傾いた企業は判断能力を失っていて、また支援団との関係もあってか、正しい判断ができなくなるものですね。

    さらに、誰が技術開発に重要な人物かを見極めて慎重に行動していた松川電器でしたが、ナンバー2の扱いを見誤ったため、ナンバー1は中国企業へ転身してしまいました。技術者を評価し、どのような地位と権限を与えることが重要かという人事面の難しさを示していました。

    臨場感があり、引き込まれました。素晴らしかったです。

    ただ、前のシーンで使われたコーヒーカップに蒻崎さんが口をつけそうになったときはおえっとしそうになりました。やはり、都度新しいものを出すべきです。
  • 満足度★★★★

    揚力が足りてない
    とても観易い作り。
    扱うモチーフに目新しさは無いが最後まで楽しめます。前作と比べると物足りなさを感じる。

  • 満足度★★★★★

    凄ぇ!
    個人的な事情として,夜勤明け,仮眠も2時間程度,昼過ぎまで仕事して15時からの回に臨んだが,体調不良は否定できない,開演前から睡魔の空爆が始まった。そんな状況であるのに・・・芝居が始まったら,もう物語に引き込まれ,睡魔などぶっ飛んでしまった。凄ぇ芝居を観た。さすがはJACROW,前作もそうだったけど,「石榴」ですね。どちらにも生き方に「正しさ」はある。否定はできない。自分ならどう生きるのだろうか。それにしても,この芝居の説明文。ストーリーの説明をしないで,その芝居を説明しきっている。素晴らし良い。

  • 満足度★★★★★

    ざくろは。。。
    企業買収、親会社の統合戦略、買収された企業社員の恐怖感、疑念、リストラ、出るか残るか、プロモーション。まるで、テレビドラマを見るかのようなストーリーの流れでした。しかし、威圧感は凄い。明日は我が身かも。という自己投影からか。確かに肩に力が入る1時間45分でした。
    見かけは普通だけどその中身はグジュグジュしたザクロは。。。。

    ネタバレBOX

    日本の企業社会の不自由さに嫌気がさした野間が、何故、嫁さんに水を掛けられたのか?松川電器の部長に昇進した蔦が最後に野間を締めようとしたのか?それは、運命共同体のような日本の企業、企業人にとっては裏切りと映るのか?疑問が残るラストでした。
  • 満足度★★★★★

    無題1620(15-309)
    20:00の回(曇)

    19:15受付(整理券有)、19:30開場。

    オフィスらしい舞台、中央に長テーブル(6人掛け)、上手にデスク。下手にはコーヒーなどが(セルフ)用意されていて、よりセキュリティレベルが高い部屋に通じるドア、ロッカー。正面奥、本棚、ソファセット。

    黒い床、白い柱が縦横に、細く赤いラインが目を引きます。JACROW7作目。

    19:55前説(アナウンス、105分)

    客入れ中BGMなし、20:00開演~21:40終演。

    「資本&欲望」同士の対立は、通例、より大きいものが勝つ、理念などは関係ない、そういうことですね。

    ネタバレBOX

    長いこと「喰う側」「喰われる側」のどちらにも、また「仕掛ける」立場にいたこともあり、とても面白く観ることができました。確かにいろんな人がいましたし、それでいいと(今でも)思っています。そういった意味でもよくできた脚本、演出。何よりも役者さんが話の進行に従い、変わってゆくキャラクター(自身の立場)をみごとに演じていたと思います。

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