ざくろのような 公演情報 JACROW「ざくろのような」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    会社は、まるで“ざくろの実”のようだ
    「人」という1つひとつの小さな実で構成されている。

    会社は人で構成されているはずなのに、人を幸福にしないことがあるのだ。

    (ついついネタバレボックスにだらだら書いてしまいました)

    ネタバレBOX

    現実に起こった三洋電機の買収・解体を思い起こさせるような作品。

    実際にある企業に似た、山東電機、松川電器、中国のハイミといった名前の企業が登場することで、技術力があるが業績不振の電機メーカーが大手メーカーに買収される、というストーリーから企業と人という視点ではあるが、どちらかというと経済系、社会派的な話ではないかと思って観ていたが、どうもそうではない。

    もちろん「企業と人」の話ではあるのだが、特に「人」に焦点を当てている物語だった。
    人がどうするのか、という話だ。
    それが「どう見えるのか」ということでもある。
    我々、「神の視線」から観ている観客が感じることは「人からどう見えるのか」なのだ。

    タイトルにある「ざくろ」という植物の実は、割ると中に赤い粒々が見えてくる。
    その粒々は、ミカンなどの柑橘類のような、「実の中身」というものではない。
    粒々1つひとつにタネがあり、その粒々の1つひとつが「実」としての存在を示している。
    つまり、ざくろの粒々のような我々は、ざくろという実を構成する1つの部品なのではなく、その1つひとつが芽を出し成長することができる、1つの実であるということなのだ。
    (タネに対して果肉の部分にあたるところが少ないので、食べても充実感に乏しいということは、横に置いておく・笑)

    つまり、「ざくろ(の実)」とは「企業(会社)」そのものではないのか。
    企業は、粒々、すなわち「人」の集まりであり、それが「会社」という皮、というか共同幻想みたいなものに包まれているだけであり、「企業の実態」とは「人」にほかならないということなのだ。

    「会社は」とか「企業は」とかのように、ついつい会社や企業を主語として1つの存在のように語ることが多いのだが、それは「皮」のことであって、実際はそれを構成している人の集まりのことを指しているのだ。しかし、「会社」や「企業」と言うときに「人」を思い浮かべることはほとんどないだろう。

    だから、「人=会社」なはずなのに、「会社にとって」のような理論で、いつの間にか本来の実態である「人」がないがしろにされてしまうことがある。それが酷い状況になると、「ブラック企業」などというものになってしまったりする。

    企業を構成する人が我慢したり、不幸になったりすることで、その集合体であるはずの「会社」が良くなるばすがないのに、だ。最近言われ始めている「人本経営」はそこから出てきた考え方なのだ。

    しかし、「会社にとって」という、どこから出たのかわからない声(や意思)によって人は我慢を強いられたり、不幸になったりしてしまう。

    この作品の登場人物たちも同様である。

    経営不振による買収からの、会社の解散(倒産・消滅)という不測の事態に遭遇したときに、消滅する側の会社では、あるいは買収する側の会社では、属する従業員たちはどのような行動をとるのかが、この作品で描かれていた。

    つまり、企業経営というような、経済的な範疇での、社会派的な物語ではなく、ここには困惑しつつも自ら決定して行動する人の姿が描かれていた。それは普遍的ものであろう。

    ほとんどの演劇がそうであるように、観客はあり得ない視線で舞台上の人々を観る。
    つまり、それは「神の視線」であり、物語の当事者ではないので、冷静に人々の行動を観察できるのである。

    買収される会社は、一部の人は気づいているように「今まさに沈没しつつあるタイタニック」のようなところにまで来ている。
    しかし、呑気に翌日のゴルフについて話をしていたりする。
    また、会社に残りたい一心で、上司を陥れようとしたりもする。

    そういう人たちを、「ダメな人だな」「イヤなヤツだな」と思って観てるのは、我々が「神の視線」から観ているからであり、実際にその立場、その状況に陥ったとすれば、どう立ち回るかわかったものではない。
    つまり、神の視線は「他人からどう見えるのか」がよくわかる視線でもある。

    神の視線から観ているから、舞台の上には悲劇があり、喜劇があるのだとも言える。

    それは買収される側(山東電機)の人間だけのことではなく、買収する側(松川電器)の人間も同様である。
    買収する側の人間は、冷静に、かつ冷酷に山東電機の社員をどう処遇し利用していくかを考え実践しているのだが、彼らもまた買収される側と同様に、「会社」という共同幻想の中に閉じ込められていて、その共同幻想、皮の「会社」の「意思」に従っているだけなのだ。

    彼ら自身の意思で業務を遂行しているわけではない。
    つまり、いつ立場が逆転してもおかしくないのだ。

    観客は買収する側(松川電器)の室長の冷静な判断と計画を観て「冷酷だな」「会社の命令だからな」「会社がなくなっては元も子もないし」と、いろいろなことを考えるだろうが、それは安全な神の視線の側にいるからなのだ。自分がその室長の立場だったらどうするのか、情に流されずに業務を遂行できるのかということだ。

    室長は、この仕事をどう考えているのかの本音は、室長とその部下の課長との会話で、室長がふと漏らす台詞からうかがえる。彼女(室長)の「人」が見えてくる一瞬であり、この台詞はなかなかうまいと思った。

    副部長が部長を追い落とすような仕掛けをしたり、蔦サブリーダーが副部長に昇格することで、彼のリーダーだった野間に本年を叫ぶように吐露するシーンは、なかなかだ。
    なかなかイヤな姿だが、ひょっとしたらどこか天井から眺めている神の視線によれば、自分たちの姿なのかもしれないのだ。

    サブリーダーの蔦が副部長になって、(野間が辞めて中国のハイミへ転職したいと思っていたことを知っているのにもかかわらず)あそこであんなこと言うか、と観客は思ってしまうが、それも冷静に観ている神視線の観客だからこそわかることなのだ。後悔先に立たずとはよく言ったもので、我々もそんな過ちをしてしまっている。

    山東電機の上司と部下たちに欠けていたのは、心理的契約と言われるような相互理解の関係だ。
    暗黙に理解し合えるような関係があったとすれば、買収する側に対しても組織として対応できただろうし、野間に対して営業系の役員が振ってきた急ぎの案件も、うまく対処できたのではないだろうか。

    野間と蔦の関係でも同じだ。
    蔦は「上司の命令だから野間の言うことを聞いてきた」というが、単にそれだけの関係であって、野間と蔦の間にはそうした暗黙の相互理解がなかった。
    だから、立場が逆転してしまっても、それは生まれることがない。蔦は押さえ込んでいた気持ちを吐き出すだけだ。

    野間は正論を言っているようで、組織の一員としては問題がないわけではない。
    それも実際に同じ組織にいれば、わかるのではないだろうか。

    舞台の上での人間模様はとても面白かった。
    それは戯曲自体もそうなのだが、役者がとてもいいからだろう。

    室長を演じた榒崎今日子さんは、あいかわらず感情を殺して仕事を遂行するという姿が、刃物のように鋭くカッコがいい。
    野間を演じた小平伸一郎さんは、オタクな感じを漂わせて神経質な感じがとてもよかった。
    サブリーダーの蔦を演じた狩野和馬さんは、野間をしっかりと支えている人というイメージから副部長になるということがわかってからの、感情の爆発が凄い。こんなに感情を剥き出しにしたのは見たことなかったと思う。舞台の上に釘付けになった。

    中野副部長を演じた谷仲恵輔さんは、やっぱり上手い。どんな役でも自分の姿にしてしまう(ほとんどがイヤな役なのだが・笑)。部長の前で泣いて見せ、呑みに行こうとするときに蔦に呼び止められ、こちらを振り向いたときに、実は泣いてなかったということがわかる顔には、ゾッとした。人の暗部を一瞬で見せてくれたようだ。
    鈴木副部長を演じた佐々木なふみさんは、有能な上司でありながらも(野間は認めていた)、同じ女性社員に対し毒女的、お局様的な毒の滲ませ方が上手い。ロッカーの福山は笑ったけど。
    部長を演じた吉田テツタさんの、呑気で人がいいけど無能そうな上司の空気感がいいし(まるで子どものような逆ギレのところとか)、中国人に切り替わったときの殺伐感もいい。

    演出的にはホテルの喫茶室のシーンがなかなかだと思った。
    普通はウエイターの設定はまどろっこしくなるので、割愛することが多いのだが、この作品ではいちいち注文を取り注文の品を持って来て、を見せる。しかし、それがまどろっこしくはならず、むしろ会話を途切れさせたり、間となったりすることで、ある種のリアリティを感じさせるのだ。
    これはなかなかできないと思う。
    前作『消失点』でも同様に、婦警さんを登場させることの上手さを感じた。

    ただ、後日談のような中国企業のシーンは必要だったのだろうか。
    野間は、妻に離婚届を出したことで、(そのことは蔦との会話に出てきたように)中国企業へ転職する意思が固まったことが、観客にはわかったのだから。
    蔦が殴りかかるなんていうのは、どうなんだろう、と思った。

    ラストにロボットが机から落ちるシーンがある。
    人である前に「会社員」である者をロボットにたとえ、それが壊れた様を見せたのではないかと思った。

    ……野間が中国で突貫開発した電池が不具合を起こしてしまうということを暗示しているというのは、……深読みしすぎか(笑)。

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    2015/10/14 09:08

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