満足度★★★★
質実でもって剛健じゃった。
「仮名手本忠臣蔵」通し読みを浅草木馬館で拝見して以来の遊戯空間「草迷宮」は、岸田理生脚本のそれでなく泉鏡花の原作(原文?)に即した忠実な舞台化(動的なーディング)で、都心の幹線道路から一歩だけ入った梅若能楽学院という古びた外装の内側に磨かれて光る能舞台を「借景」に、堂々と展開されていた。
原作に当たっていないが、小説の「読み」か、もしくはそれを下敷きにした作りになっていて、「地の文」も登場人物が台詞として発している。(コロスも居て、冒頭には導入の儀を行ない、以後は場の内外で場面を象徴する動きをする。)
話はなるほど能に近かった。ある土地を訪れた旅の僧が、まだ日の浅い殺人事件とその現場となった邸の事を知らされ、赴き、あれこれあってどうしたという話である(細かくは把握できなかったのでご勘弁)。
小説の文のテンポで展開するため、朗読の雰囲気は堅固に残り、中々つらい(眠気との闘いの)時間も正直あった。 しかし原典のリーディングという土台を据えた上で、台本を手から離して全力の演技でそれを行なうという路線は、ありそうで無かったかも知れぬ。エンタメ効用の低い割には難儀な作業を、力のある役者がこなしており、正に「質実剛健」と呼びたくなる舞台だった。
演技の面だけをとれば、質素(簡素)から醸される幽玄とはかけ離れた、温度の高い、声を張り上げる演技で(特に女性の役)、能舞台を生かせたかどうかに若干の疑問。
あとは俳優の位置取りなど構図にこだわっていたようで、正面客席から観たかった。
満足度★★★★
能…
随分前になるが、「能を観に行こう」と誘われたのに「飲みに行こう」と勘違いし、飲食街とはほど遠い国立能楽堂に連れて行かれた、笑うに笑えない恥ずかしい思い出がある。
さて今回も失敗した。開場時間前に到着したが、既に多くの方々が並んで待っていた。自分としては、中正面見所で目付柱が邪魔にならない席に座りたかったが、やはりその位置(列)は先客がいた。やむを得ず正面見所で橋掛りからの登場が立体的に観える席へ。正面だと役者の表情や横の動きはよくわかるが、前後の動きや足運びが観難い。
物語は、明治の文豪・泉鏡花の「草迷宮」であり、その妖(怪)しげな雰囲気は、能における現実と夢、この世とあの世が交錯する「幽玄」な世界観にぴったりであった。その演出は照明の「幽冥」のようなトーンが、まさしく「幽明」を感じさせる。
さらに、正面・鏡板の老松の絵が、この物語の舞台場所である三浦半島の大崩(おおくずれ)であることから、磯馴れ松のように見えるところが不思議である。
満足度★★★★
得心
良く夢幻能という言葉を聞くのだが、それが実際何を意味するのか? どうしても得心がいかなかったのだが、今作を拝見して漸く合点がいった。要は“無”なのだ。(中間追記2015.7.29)
満足度★★★★★
貴重な経験でした
鏡花を能楽堂でみると、芝居小屋よりも様式美の皮を被って、また新たな姿が観れて貴重な経験でした。能楽堂の照明があれほど演出できるのか驚きでした。チェロや太鼓、尺八も特徴的でした。役者さんも見応えありました。新たな『草迷宮』になってました。