家族 公演情報 家族」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★★

    うむ
    親子で鍋を囲み、母が去るシーンが美しく悲しい。あのシーンがピークであり、幕でいいのに…と思いながら観ていた。観終えて分かった。父の涙からのあのシーンが確かに感情の頂点。でも、もっとぬくもりを残したかった訳ですね。後味が格段に違う。昭和の匂いがプンプンする、ノスタルジックな作品なのに、現代という驚き。人を愛し、大切に思えばこそのすれ違いが切なくも温かい。あのゆったりとした父が、母(妻)の病状を聞かされた時の目と、他界した息子の嫁とのやり取りの涙は、心をえぐられる。特筆すべきは、俳優としても出演しているmogmosの歌う『カントリー・ロード』の素晴らしさ。沁みる。「人生は、いつもちょっとだけ間に合わない」というサビの歌詞がヤバイ! グッとくる。 終演後にロビーでCD販売していて、迷わず購入。あなたも是非。

  • 満足度★★★

    2点の引っかかりが残念
    まず冒頭の男性3人の会話が「笠智衆トリオ」のようで頬が弛む。
    その後の会話も言い回しや間合いが小津映画風で、そう言えば一風変わった装置はローポジションのカメラアングルの演劇的な表現とも思える。
    物語も「東京物語」をベースにしておりいかにも昭和…と浸っていたが、途中であまり必然性が感じられない固有名詞が唐突に出てくることから現代の設定と知る。

    これが大いなる違和感。
    なんでそうやって時代を特定させてしまうのだろう?
    時代設定は観客の判断に任せれば普遍性も出るだろうし、そもそも本作は(先入観もあり)現代らしからぬハナシなのになぜここ数年程度のことに限定するのか理解に苦しむ。

    理解に苦しむと言えばもう1点、他の役はリアルな衣装なのに巡査役だけ制帽らしきものだけで記号化したのも不可解。
    制服にしないにせよ、あのシャツはないだろう。

    内容は装置の使い方なども含めて悪くないのにこの2点が引っかかる。
    そんな些細なことに拘らずに全体を見れば、とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれないが、堅牢なダムも蟻の一穴から崩れる…まではいかないにしても鰯の小骨が喉に刺さったような、ごく小さな棘が指先に刺さったような、そんな感覚。

    一方、2人の甥とキャッチボールをする叔父の見せ方や相似形な長男、長女、三男などは個人的にツボを突かれる。
    なお、メイン舞台となるアレの床部分のデコボコはけっこう固いそうで。昇り降りも含めて健康的だこと。(笑)

  • 満足度★★★★

    家族の普遍と時代の変遷
    たまたま小津安二郎の「東京物語」をBSで観ていて、
    それとは異なる舞台だからこそ描きうる精緻さもしっかり感じることができました。
    映画に描かれた想いの肌触りが舞台の空気に新たな感触として広がっていて、映画が紡がれた時代と演劇に描かれる今の視座から描かれる家族の姿の異なりに、この国の家族という概念の変遷を感じたことでした

    ネタバレBOX

    中央に東京とその家のスペースがおかれて、舞台上手と下手が兄弟たちの家。
    未亡人の主人公紀子について、その命日なのでしょうか、同級生たちが話を始めて、そこから物語に導かれていきます。

    東京にやってきた亡夫の両親を兄弟たちはそれぞれの事情で世話することができない。で、在京中、紀子は甲斐甲斐しく世話をするのは映画と同じ。
    ただ、舞台でしか描き得ない温度があって、舞台の作りや、シーンごとの重さのバランスが、物語の構図をすっと観る側に落とし込む力となり、その中に登場人物の距離感が息を呑むほどに丁寧に編み上げられていく。
    中でも紀子と義理の両親の時間が圧倒的、紀子が何度もつかう「いえいえ・・」という返事が一度ごとに異なるニュアンスを編み、場ごとの空気の細微を描き出していくことに心を奪われる。紀子、そして彼女と呼応してその想いを受け取る両親の一瞬ずつにがっつりと捉われてしまう。
    また紀子の義理の兄弟たちの家庭にしても、キャラクターの風情をすっと立ち上げる役者の力量に裏打ちされていて、雰囲気がまず訪れ、そこからそれぞれの事情が解けていくことで、彼らの日常がとても自然に観る側に伝わってくる。その感覚が紀子と両親の時間マージして、気が付けば、紀子を取り巻く世界がすっと観る側の腑に落ちてくる。

    実を言うと、描かれているものは、スカイツリーがあるような今の肌触りからすると少し古風な感じがします。家族の事情や紀子の家に義理の両親が泊まっていることは今の感覚からすると少々奇異にすら思えたりもする。にもかかわらず、舞台にはかつての家族が当たり前に抱いていた感情を解ききほどく力があって、その違和感を溶き、やがては観る側を浸していく。冒頭の同級生の風情にしても、子供たちの遊びにしても、少々セピアががかった色を感じたりもするのですが、作り手はかつてこの国では当たり前だった温度の記憶を観る側にしたたかに蘇らせていくのです。
    観終わって、役者達の人間描写のしなやかさに感じ入りつつ、その先に、舞台に醸された感覚に浸り自らの幼いころの親戚などのことを思い出していました。

    ただ、この舞台に小津安二郎が映画に描いた世界を重ねると、家族や親族のありようを次代の流れの向こう側とこちらから見ているような気がする。
    随所に登場人物たちの家族という概念に対する想いの普遍を感じたりもするのですが、そうであっても、映画を観終わって残ったのは、作られた時代(1950年代)のそれまでの日本の濃密な家族の絆が東京という街や核家族化の時代の流れに崩れていく中での孤独や不安だったし、この舞台に描かれたものは、そんなものをはるかに通り越した時代の、むしろそのような家族のつながりですらオールドファッションというか懐かしいぬくもりに思える感覚だったりする。

    たとえば東京を訪れた母親がすぐに亡くなるのは映画も舞台も同じ。でも、その先に紡がれる、紀子や残された家族の心情は二つの世界で全く逆の歩みのように思えた。そこに、この国が歩んできた時代の揺らぎや変遷がすっと浮かんできたりもして。

    実は、終盤に現れる映画にはない設定の未だ自らの家族を持たない末っ子が、今の家族の感覚を一番背負っていて、それは不安定だけれど、でもとても今のありようにも思える。
    舞台に描かれた家族の感覚が、この先の時代の時代にどのような変遷を遂げていくのか、劇場を出ての帰り道、吉祥寺の人の流れに身を任せながら、家族の形というものは、いつの時代にもどこか定まりきれずに、でもきっと時代の歩みに折り合って、崩れることなく移ろい、変っていくのかもしれないなぁなどと思ったりしたことでした。
  • 満足度★★★★

    静寂
    入場してまず思ったのが舞台のセットが素敵だということ。空間の使い方がいいなと。
    そして本編ではも間というか静かさを大事にしているんだなと。セリフを次々と繰り出すわけではなく、行間や心情をこちらで思うことのできる間。あれはいいなぁ。そしてタイトル違わずとても「家族」について考えさせられる。やっぱり家族ってのはいいよねと終演後に間違いなく思うでしょう。

    ネタバレBOX

    特に家族全員が揃って談笑の場面は本当に理想の家族だと思うし、あの場面で出演者でもあるmogmosさん歌唱の「カントリーロード」がかぶさって泣かないわけがない。
    あれは本当にいいシーンだった。
  • 満足度★★★★

    みてきた
    ウィザードオブおづ(おづの魔法)ですね。
    ばあさんのパジャマの柄が、私の実家で織っていた布地の柄と似ていたので泣いてしまいそうでした。

  • 満足度★★★

    時代感覚にズレが...
    小津安二郎監督の映画「東京物語」の雰囲気は出ていた。特に台詞は鷹揚があまりなく、ゆっくりと話す。映画では広島県尾道市から両親が子供たちを訪ねて来るというもの。両親キャストはその口調(方言)を真似ていたようだが、第二の故郷が尾道市である自分には違和感があった。また台詞の「間」がやはり気になるほど...間延びしていた。
    全体的に映画を意識したため、昭和時代が色濃くなり、平成版「東京物語」としての斬新さ、面白さを欠いたようだ。

    ネタバレBOX

    映画では高度成長期に向けた時代背景から、子供たちの生活(仕事の活況)に追われ、両親の面倒が見られない事情があった。今回の公演では、その子供たちの生活環境があまり描かれず、単に亡き息子の嫁に預けたという印象である。そこには子供のエゴしか見えてこない。
    説明にある「今日の核家族化と高齢化社会の問題を先取り」という謳い文句は虚しいだけである。

    脚本は「東京物語」をオマージュしており、新鮮さは少ない。演出についても、昭和時代なのか平成(現代)なのか曖昧な感じである。確かにスカイツリーという台詞があるが、その佇まい、衣装、台詞の”間”が昭和を引きずるようだ。

    その時代感覚のズレが気になり、公演に集中できなかったのが残念である。
    次回公演に期待しております。
  • 満足度★★★

    久しぶりのマコンドー
    3年前に観たのを最後に敬遠していたが、新メンバーと客演陣が素敵なので興味を持ち久しぶりに観劇。家族をテーマにした涙腺をくすぐる作品。主人公・紀子を演じる趣里さんを初めて観たが、折れそうに細いのにしっかり声が出る所作の美しい素敵な役者さんでした。役者みなさんがステキ、物腰や所作が美しく、絶妙なポイントで流れる歌にもヤラレタ。原作の映画をきちんとは知らなくとも旧き佳き・・・を感じたものの映画を知っていた方が面白いのだろう、とは思った。

    ネタバレBOX

    気になった点が数カ所。(1)亭主関白風な男達がズボン下に股引を履いていたかと思えばスカイツリーに液晶テレビに携帯ゲーム機が出たりと、不確かな時代設定が見え隠れし、おかげでストーリーに集中できない場面もチラホラ。(2)前方で観たのですが、高い位置のステージへ頻繁に上り下りする主人公の黄色いロングスカートから時折見え隠れする黒い膝サポーター、苦笑。(3)長男と長女とが両親に箱根旅行をプレゼントしたと話すくだり。箱根の海とか堤防とかセリフにあったけど、箱根から海を見るのもなかなか難しい上に堤防は無かったはず?・・・二人が知らない前提なら良いのですが、映画でそういうシーンがあったのだろうか?
  • 満足度★★★

    映像と舞台の「間」の歪み
    小津映画を元にしてる為か全体的に緩やかな流れ。設定は現代だけど言葉使いや接する態度がたおやか。映像で見ている分の時間的な「間」はさほど苦にならないけど、この舞台についてはその「間」があまり生かされてないような気がした。
    高台の舞台セットなので前方より後方席から見たかったかな。赤いヤカンはここでも目立つ。
    約2時間10分。

    ネタバレBOX

    映画のオマージュが前提なのか、時代設定は現代だけど、現代の耳馴染む言葉使いでもないし、衣装もほぼ全員がアーガイルチェック柄。かつて流行した形なので今見るとレトロチックでややダサめ。男の人はズボン下にステテコ履いてるし。なのに東京見物で「スカイツリー」に行きたいと言うセリフ、部屋の小道具に東京タワー、と多少ちぐはぐさな面に「?」と思った。
    喪失した哀しみを体験した肉親以外(紀子)から教わる家族の大切さ、風景が映える挿入歌。あのままあそこで終わっても良かった気がしたが最後の紀子と義父との会話が活きる締め方。ただ全員集合しての終わりの見せ方はもう少し工夫して見せて欲しかった気がする、あの見せ方だと蛇足ぽい。

    多賀士、安子の老夫婦を演じた康さん伴さんの2人が永年連れ添った感が見えて微笑ましく、まだそんな年齢ではないと思うがびっくりするほど老夫婦だった。そして笠智衆氏を彷彿とさせた。
    紀子と志保の関係もまた女同士というより、義理姉と義理妹として相手を思いやる関係が見え、いい人なんだろうな、というのが見えた。
  • 満足度★★★★

    小津ワールド
    “小津安二郎に捧ぐ”とあるように、映画「東京物語」を彷彿とさせるシーンが多かった。
    笠智衆そっくりの話し方と、たっぷりの間、それに現代には不自然なほど丁寧な
    「~ですわ」「~ですの」という言い回しが再現され、まさに小津ワールド。
    日頃はぞんざいに扱いながら、ひとたび失えば痛切な哀しみに襲われる
    家族の普遍性が、“渡鬼”を超上品にしたような日常の中に描かれる。
    作者はこれを伝えるために、この作品を作ったのかと思わせるラストが切なく
    とても温かな気持ちになる。
    亡くなった夫を忘れることを拒否し、それでも次第に忘れていく自分を許せない紀子の姿は
    3.11を前に、「死んだ人を忘れること」を鋭く問いかけてくるようだ。
    MOGMOSさんの歌とギターが流れたあの場面で、一気に涙腺決壊。
    ひとつ疑問なのは、どうみても会話のテンポや古風な言い回しが昭和レトロなのに
    なぜ“スカイツリー”のある現代に置き換えなければならなかったのだろう、ということ。
    昭和のままで、いつの時代も変わらないんだなと思わせても良かったような気がした。

    ネタバレBOX

    劇場に入るとまず銀色に輝く舞台のセットに目を奪われる。
    中央に盆踊りみたいなやぐらが低く組んであり、客席側に傾斜している。
    奥の鏡がそれを映して観客にやぐらの床の上をさらにはっきりと見せる。
    銀色の床にはちゃぶ台、両脇には生活必需品らしき赤いやかんなどが置かれている。
    ここが物語の舞台となる部屋なのだと思って眺める。
    舞台の袖近くには上手下手に対称的に、洗濯物を干した竿が高々と掲げられている。
    昭和の庭先を思わせるつくりである。
    やがて正面にあった鏡がするすると奥へ引っ込み、やぐらへ上り下りする階段が見えた。

    ここは多賀士と安子の次男の嫁、紀子(趣里)の部屋である。
    次男司は既に亡くなって6年、七回忌の席ではかつての悪友達が
    未亡人となった紀子を気遣い、陰では見合いをさせようなどと話している。
    やがてその部屋に、七回忌を兼ねて東京見物に来た
    多賀士・安子の老夫婦がやってくる。
    長男・長女はいずれも自分たちの生活に忙しく、親の面倒まで手が回らない。
    結局仕事を休んで東京を案内し、自分の部屋に泊めたのは紀子であった。
    亡くなった息子の姓を名乗りいつまでもひとりでいる紀子に、老夫婦は
    「もう忘れて新しい人生を歩んでほしい」と告げるが、紀子は頑なに拒否する。
    「司さんを忘れたくない、なのに自分は忘れていく、それがどうしても嫌なのだ」と・・・。
    やがて安子が急死して、多賀士はひとり故郷に帰って行く。

    映画では名場面として名高い、ひとり田舎の居間に佇む笠智衆の姿で終わるが
    この作品ではそのあとが、現代に向けたメッセージとなっている。
    家族とは“血縁”ではない。
    家族とは“作っていくもの”であり、時間をかけて“成っていくもの”である。
    だから誰かを喪ってもひとりではないのだ、家族は続くのだという
    温かいメッセージを感じる。

    多賀士役の康喜弼さん、マイペースで鷹揚な物言いで笠智衆さんを完璧に再現、
    紀子に「もう息子のことは忘れていいんだ」と告げるところで一気に心情がこぼれる。
    フリーターの三男を演じたMOGMOSさんのギターと歌が素晴らしく
    多賀士と紀子が本心を吐露する場面が一層切なく優しい。

    作者の映画への深いオマージュが伝わってくる作品だが、台詞や間の雰囲気を
    忠実に再現した分、テンポがゆっくりでスカイツリーの時代設定に違和感を覚える。
    時代を昭和のままにしても家族の普遍性は語れたように思う。
    それにしても美しい言葉が交わされた時代だったのだなあ。
    そのことにわたくしとても感動しましたの。(←まじめにそう思っている)  







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