家族 公演情報 オーストラ・マコンドー「家族」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    小津ワールド
    “小津安二郎に捧ぐ”とあるように、映画「東京物語」を彷彿とさせるシーンが多かった。
    笠智衆そっくりの話し方と、たっぷりの間、それに現代には不自然なほど丁寧な
    「~ですわ」「~ですの」という言い回しが再現され、まさに小津ワールド。
    日頃はぞんざいに扱いながら、ひとたび失えば痛切な哀しみに襲われる
    家族の普遍性が、“渡鬼”を超上品にしたような日常の中に描かれる。
    作者はこれを伝えるために、この作品を作ったのかと思わせるラストが切なく
    とても温かな気持ちになる。
    亡くなった夫を忘れることを拒否し、それでも次第に忘れていく自分を許せない紀子の姿は
    3.11を前に、「死んだ人を忘れること」を鋭く問いかけてくるようだ。
    MOGMOSさんの歌とギターが流れたあの場面で、一気に涙腺決壊。
    ひとつ疑問なのは、どうみても会話のテンポや古風な言い回しが昭和レトロなのに
    なぜ“スカイツリー”のある現代に置き換えなければならなかったのだろう、ということ。
    昭和のままで、いつの時代も変わらないんだなと思わせても良かったような気がした。

    ネタバレBOX

    劇場に入るとまず銀色に輝く舞台のセットに目を奪われる。
    中央に盆踊りみたいなやぐらが低く組んであり、客席側に傾斜している。
    奥の鏡がそれを映して観客にやぐらの床の上をさらにはっきりと見せる。
    銀色の床にはちゃぶ台、両脇には生活必需品らしき赤いやかんなどが置かれている。
    ここが物語の舞台となる部屋なのだと思って眺める。
    舞台の袖近くには上手下手に対称的に、洗濯物を干した竿が高々と掲げられている。
    昭和の庭先を思わせるつくりである。
    やがて正面にあった鏡がするすると奥へ引っ込み、やぐらへ上り下りする階段が見えた。

    ここは多賀士と安子の次男の嫁、紀子(趣里)の部屋である。
    次男司は既に亡くなって6年、七回忌の席ではかつての悪友達が
    未亡人となった紀子を気遣い、陰では見合いをさせようなどと話している。
    やがてその部屋に、七回忌を兼ねて東京見物に来た
    多賀士・安子の老夫婦がやってくる。
    長男・長女はいずれも自分たちの生活に忙しく、親の面倒まで手が回らない。
    結局仕事を休んで東京を案内し、自分の部屋に泊めたのは紀子であった。
    亡くなった息子の姓を名乗りいつまでもひとりでいる紀子に、老夫婦は
    「もう忘れて新しい人生を歩んでほしい」と告げるが、紀子は頑なに拒否する。
    「司さんを忘れたくない、なのに自分は忘れていく、それがどうしても嫌なのだ」と・・・。
    やがて安子が急死して、多賀士はひとり故郷に帰って行く。

    映画では名場面として名高い、ひとり田舎の居間に佇む笠智衆の姿で終わるが
    この作品ではそのあとが、現代に向けたメッセージとなっている。
    家族とは“血縁”ではない。
    家族とは“作っていくもの”であり、時間をかけて“成っていくもの”である。
    だから誰かを喪ってもひとりではないのだ、家族は続くのだという
    温かいメッセージを感じる。

    多賀士役の康喜弼さん、マイペースで鷹揚な物言いで笠智衆さんを完璧に再現、
    紀子に「もう息子のことは忘れていいんだ」と告げるところで一気に心情がこぼれる。
    フリーターの三男を演じたMOGMOSさんのギターと歌が素晴らしく
    多賀士と紀子が本心を吐露する場面が一層切なく優しい。

    作者の映画への深いオマージュが伝わってくる作品だが、台詞や間の雰囲気を
    忠実に再現した分、テンポがゆっくりでスカイツリーの時代設定に違和感を覚える。
    時代を昭和のままにしても家族の普遍性は語れたように思う。
    それにしても美しい言葉が交わされた時代だったのだなあ。
    そのことにわたくしとても感動しましたの。(←まじめにそう思っている)  







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    2015/03/06 02:37

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