体夢-TIME 公演情報 体夢-TIME」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-18件 / 18件中
  • 満足度★★★★

    飛躍するイメージ
    気づけば桟敷歴5年、本公演観劇8本目。チラシの暗示に違わず、(私の知る桟敷童子とは)異種の劇世界を堪能した。
    様変わりにも程がある、と言い放って拍手をしたくなるのは、毎回みせる舞台作りへの凝り具合を今回のような異種の芝居においても発揮された、という感想からだろう。
    話のほうは、東氏の頭に若返りが起きているのか、と考え込んだ程、架空世界の「架空度」、イメージの飛躍度が半端でない。初っ端から「憂い」の影が垂れ込み、シュールさを帯びるが、どこかコミカルでもある。この両面のバランスが絶妙であったと思う。後でパンフを読んで飲み込んだのは、今作は東氏が十代の頃初めて書き上げた戯曲(を改稿したもの)との事だ。
    舞台の作りは、装置の凝り具合はいつも通りだが明らかに傾向が異なり、不思議であったのは客席前に1.5m幅程の通路が左右に渡してある点。これまでの土着的なお話ではどちらかと言えば写実的な、草木とボロ屋なんかがあるほっこりする美術だったのが思い切り抽象的である。とは言え劇場を覆い尽くす感じの、胎内の心地良さに通じる作り込んだ装置ではあるが。受付付近で既に衣裳に着替えて立ち働く役者らの衣裳も様相が違い、『モモ』の灰色の男たちを連想させ、ファンタジーだと判る。音楽担当は同じだが既成曲(デヴィッド・ボウイを多用)の使用が目立ったのも、異色だった。これらが舞台作り上すべてうまく行ったとは言えない面もありそうだが、、フィクションを突き通した脚本と俳優の熱がこの不思議な劇を印象づけた。従来の群像劇風の中でもキー役の多かった大手忍がガッツリと主役(少年時代の体夢)として立ち回った事や、最後に来るカッチョいい装置ドッキリもいつもと違っていて、つまり「異種」の世界がガッチリと作られた事への驚き、なのでありました。次回作が不安で楽しみ。

  • 満足度★★★★★

    感じる…時間
    普通、時間は過去から未来に向かって流れると思われる。しかし、屁理屈は承知の上で、例えば砂時計は、上部が未来、括れた所が現在、そして下部が過去として見れば、時間の流れは逆転している。
    本公演は体夢(タイム)の悲惨な出生から物語が始まるが、9歳の時、15年後と初老期の自分が現れ、同時並行して存在する、という、通常の“時”の概念がない。将来から来た自分が告げる未来の姿とは…。

    ネタバレBOX

    ”絶望“が暗示されながらも今を懸命に生きる…その姿が健気で愛おしい。社会がパンデミックに侵され人類滅亡の寸前…その世は作為の結果か、それとも無作為が原因か。人間の愚かな行動・活動や見てみぬふりをするような無責任な態度に対する警鐘・批判が込められた骨太な作品という印象である。
    舞台セットは、奥行きを利用し、緞帳に代わる重層化した仕切りボードを開閉させる。その仕掛けで暗転に代わる状況転換を現し、さらに天井から役者が降下してくるという立体的な演出で、まさしく時空間を描いた。舞台全体が目に見えない“時“と”汚染”という抽象的なことを可視化できたと錯覚させたようだ。
    余談だが「指サック人形」は、最近話題の映画「寄生獣」に出てくるVFX映像「ミギー」を模したような…。

    今後の公演も楽しみにしております。

  • 満足度★★★

    辛口ごめんなさい
    私には消化不良な舞台に見えました。
    俳優さんは皆さん素晴らしいと思いましたので俳優さんに星をひとつつけます。

    ネタバレBOX

    私は脚本や物語に気持ちを揺さぶれて芝居を見る観客です。

    キャラクターに感情移入できれば、気持ちのフックに「なにか」が引っかかることで物語にあわせて持ち上がったり揺れたりして楽しむタイプなのだと思う。

    そんな私は「青二才」が愛を経て後「己を殺す」葛藤、もしくは「狂人」になるドラマのほうが見たかった。
    今作の主役のふわふわした感じは、私にとっては「だから、どうした」という感じで。

    でもいままでの桟敷童子とはまったく違う手触りを感じたので、回数を経て、この物語や世界観が育っていくのではとそこに期待しています。
  • 満足度★★★★

    楽しめました
    今までの桟敷童子とはちょっと変わっているようで、かなりファンタジー色が強かったですね。それでも現代的アングラのアーシーな感覚はそのまま。違った側面を楽しめました。

  • 満足度★★★★

    賛否両論、さまざまな意見を見て
    観てからかなり日数が経ってしまいましたが、「今までとはひと味違う桟敷童子の世界」に賛否両論、さまざまな意見があるようなので、コメントすることにしました。桟敷童子は「風撃ち」以降、毎回観ている思い入れのある大好きな劇団です。しかし、これまで観た3本の本公演はどれも同じ作風、同じテイストの作品に感じられ、正直言って前回の「海猫街」では、「海」がテーマになっている点が同じということもあって、最初に「風撃ち」で受けたほどの面白さと感動を感じませんでした。作品としては「海猫街」の方が上だったようにも思いますが、初めて観た時ほどの新鮮さを感じなかったのが理由かもしれません。
    そして今回の「体夢」ですが、作品自体は楽しめたし、「ひと味違う」点の興味も満たされましたが、「桟敷童子らしさ」が少なかった点が残念に思いました。作風とテイストの違う作品は番外公演でも観ていますが、その時でも「らしさ」は満載でした。それが今回はちょっと違いました。劇団の持っている個性と作品のマッチングに少し違和感を覚えました。それは創る側演じる側の問題というよりは観る側の問題(劇団に対して先入観を持って観てしまった)かも知れません。しかし、これまでの路線を続けていたら、新たな観客を獲得できても、古い観客は少しづつ離れていくかも知れません。その意味で今回の作品が劇団としての幅を広げ今後さらに飛躍するための1ステップとなることを切に願います。
    「劇団の個性と新たな進化の両立」は老舗劇団に共通の難しい課題だと思います。差し出がましいようですが、演じる側に立った経験のない私が敢えて言わせていただくと、「桟敷童子の劇団員さんが演じて楽しい」作品が「観て楽しい」作品になるという気がします。ぜひその方向に向かうことを願って今後の公演を楽しみにしたいと思います。

  • 満足度★★★★★

    ヒトというカオスに夢はまだあるのか
    多くの男たちにレイプされ水底に沈められた母から生まれた待夢。彼は復讐を誓うが、レイプ犯は全員、既に自殺してしまっていた。

    ネタバレBOX

     人口を激減させたパンデミックに罹るよりは、死を選ぶ者達の圧倒的多数の中で、彼らの自殺が特段意識されることもなかった。だが、ムッソリーニ政権下での黒シャツ隊、東氏が、今作を書くに当たって触発されたというギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」の背景にあったナチズムの影を、矢張り見逃すわけには行くまい。無論、現在、この植民地で行われている宗主国一体化(集団的自衛権行使)なども射程に入っているのは明確であろう。ナチズム勃興当時、ドイツのインテリ層はヒトラーを愚か者と見做し、あんな人間に政権奪取や維持は不可能だと笑っていた。丁度、今、我々が、ホントに無脳(能と書かないのは、間違いではないぞ!)な安倍を無脳だと言っているのと同じことだ。車の両輪のように、情報隠蔽をその本質とする特定秘密保護法も施行されている。この悪法が、戦前の治安維持法より性質が悪いこともまた明白。この先、政権が狙ってくるのは、共謀罪であろう。これらは、情報公開法と公文書管理法に対するあからさまなアンチテーゼであることは言うまでも無い。
     今作で問題となるパンデミックをこと政治に掛けて読み込むならば、こんな具合にも読めるのだ。作中、このパンデミックは、ウィルスによるのでもないことが強調される。接触、空気感染等の心配もない。而も、罹ったら最後、あらゆる欲望を喪失する。そして、掛かり易い状態とは、パニックに陥ったような時である。冷静を保つことが唯一罹り難い方法なのだ。だが、病理学的な対処は一切できていないし、既に人口の大部分が失われている。
    無論、今作は、そんなに限定的に読み込むだけでは、埒があかないし、待夢が、9歳、24歳、そして初老の形で現れるのも、作品内だけで読み込めないことを前提としている。何故なら、同一人物が、3世代に亘って同時に存在している物理的次元に対する表現が入っていないからである。合理的な考え方として出てくるものは、背景にある創造者の問題である。そして、創造者は、タイムを自由に行き来しているのだ。恰も夢の中の出来事のように、説明し難い、それでいて、酷く懐かしく魅惑的で非合理な当にカオティックな状態を、その子供時代の混沌として表した作品と言えよう。
    没入できるかできないかで評価が分かれるとは思うが、いくらでも深読み可能な作品であり、ヒトという生き物が、今後、食物連鎖の最上位として、存在して良いのか否か迄も問う内容であるとも読み込める作品なのである。
  • 満足度★★★★

    この劇団は好きなんだけど・・・
    まず,この劇団は接客が良いよね。メイク済の役者さんによる開場後の席への案内も丁寧できちんとしているし,これだけ席が狭くて満席状態で遅れてくる客もちらほらなら開演が遅れるのも仕方ないよねと思うも,「開演が3分遅れて申し訳ありません。只今より~」と,よく通る声で宣言があり,芝居が速やかに始まる。5分も10分も開演が遅れて平気でいる(と思われる)劇団は,ぜひこの姿勢を見習って欲しいところである。さて,問題の芝居だが・・・賛否両論あるのわかるなぁ。新たな挑戦はわかるんだけど,アングラ色が強くて苦手かも。これまで観た桟敷童子の芝居が良すぎただけに,ちょっと否定的に思えてしまう。これまでの路線で行ってほしいなぁ。とはいえ,舞台装置,役者さんの演技はさすがです。苦手感があり入り込めない部分はありましたが,それでも十分芝居を堪能させていただきました。

  • 満足度★★★★★

    流石である。
    仕事で少し遅れてしまいましたが、受付で丁寧な対応。演者がスタッフもやっており、座席対応も良くていつも姿勢が謙虚。前列だったので何か来ないかとビクビクしていましたが、思ったほど被害(良い意味で)はなく、しかし迫力はあり。
    舞台装置の迫力、細かいところは何かしらあるけど、しっかりとした芝居でアングラでも分かりやすい部類のストーリー展開。海猫街の方が好みだけどこちらも充分な面白さでした。バックステージツアーは時間なくて残念。長年観てきた方からすると、色々変化もあるのかもしれませんが、私は観れて良かった。

  • 満足度★★★★★

    とても良かった!!
    初めて観る劇団です。最初は、唐十郎?風なのかなと思って観ていました。物語が進むにつれて、これは黒テント?寺山?古典的な群像劇?いろいろ考えて観ていましたが、その内どうでも良くなりました。これが桟敷童子なのですね。子供の夢を大人に託して、磨かれた役者たちの手で紡ぎ出された、世紀末のおとぎ話。なるほど、ファンの人が大勢いるのも納得です。最後は絶対に、後ろの壁が開いて、バックの夜景の中でエンディングを迎えるんだと思っていたけど、開かなかった。そういう劇場ではなかったか、あは。でも、今まで観たことないくらい美しいラストシーンでした。また、観たいと思います。

  • 満足度★★★★

    大人向けファンタジー。
    これまで観てきた桟敷童子の芝居とは一味違う”ファンタジー色”の強い作品だった。

    ネタバレBOX

    ”3人の自分”を主人公に、夢とも現(うつつ)とも付かない無国籍&幻想的な世界観は、これまで観てきた和テイストで土着的な舞台とは違った雰囲気で、新鮮に感じられた。


    ただ個人的にはもう少しエンタメ性が欲しかったかなぁ。
  • 満足度★★★★

    初めての桟敷童子
    おもしろかった。
    東さん演出の舞台は観ていたので、なんとなくの雰囲気はわかっていたのだけど、やっぱり初めての劇団を観る時はドキドキした。

    最初は少しだけ入りづらかったのだけど、後から引き込まれていって、
    集中してた。

    ネタバレBOX

    欲望がなくなる奇病。
    食欲もなくなって食べないようになって死んでしまう。
    でも欲望がないから争いもない。
    もし死なないとしたら争いがない世界のほうがよくないかな?とか
    欲望がないってことはこうやって芝居を観ることもないし、つまらなくないかなとか?
    そんなことを考えてた。

    最初に入りこめなかったのは体夢の母が襲われてるシーンが嫌だったから。

    役者さんも気になる人ができたし、また観に行きたい。
  • 満足度★★★★

    芯に流れる劇団魂は不変
    長年のファンの方が開演早々帰られたりもして賛否両論渦巻いているという劇団桟敷童子の公演に出かけてきた。これは、知り合った役者もりちえが所属している関係からであるが、劇団としてもなかなか実力のある団体で一度観ると次作もみたくなるという衝動に駆られるからでもある。

    粗筋は・・・と書こうとしたが、これがなかなか難しい。人々にレイプされ死んだ女性から生まれた体夢という少年が、未来から時を逆戻りして現れた自分の未来の姿である青二才と狂人2人とともに、世の中にはびこっていた奇病を退治する。というか奇病を抑えこむ不思議なチカラを持っていた体夢が、様々な体験を経て奇病を収めていく。しかし、しかし、奇病というのは人間性の回帰であり、結局は輪廻のごとく繰り返し現れては消えていくものなのであった・・・・というような。そうか、ここからもういつもの桟敷童子の公演とちょっと違うかも。

    さて、舞台はというと、いつもの様に桟敷童子色の演技で気持ちは舞台に引きつけられる。のではあるが、話の内容からか、演出の関係からか、時折舞台に流れる心地よい時間というか空間というかリズムというか、そういうものが壊される。それは出演者が突然全体舞踏というような踊りをしたり、スローモーションになったり、客から笑いを取るセリフだったり。まぁ、話が堅苦しくて気を緩めるシーンが無いので意図的に客から笑いをとったり、進行上スローモーションが効果的だったりする箇所もあるわけだが、どれも使い古されてきた手法だけに「桟敷童子もこういう手法を取り入れるんだねぇ」という思いを持ったのは確か。特に全体での踊りというのは、舞台転換や役者の着替え時間が必要という場合にのみ認めるという自分にとってはちょっとガッカリだったかも。しかし、それを除いたら桟敷童子らしさの芯のようなものは確実に舞台を支配していた。
    役者の的確適度なテンションとその維持、舞台を左右奥行き高低と3次元にくまなく使い切る動きには、いつもながら感心させられた。
    特に、体夢を演じた大手忍はなかなかの演技達者。客演の劇団円の2人の存在感もバッチリ。いやぁ、この2人、アジのある役を演じきっていましたなぁ。もりちえはというと、後半の娼婦役の印象がなかなか強かった。
    それにしても、この劇団、今回も誰を主役に作品を演じても舞台をつくり上げることが出来る演技の上手い役者が揃っているなぁと感心させられたのだった。

    最後に、今回の舞台、賛否両論が渦巻くというのは分かる。おそらく、全体を流れる筋書きがもっと太く、そして陳腐な演出がなければ否の部分はかなり少なくなるのではないだろうか。今回の公演が、今後更に躍進するための方向転換というか微妙な舵切りになり得たかどうかは、次作以降の舞台ではっきりするだろう。さらなる洗練された演出を期待している。

  • 満足度★★★★

    もっと笑っていいトコ、

    本作の作劇により、今後もしばらくは足を運ぼうと思わせる仕上がりだった。

    とても取っつき易くすっきりとした印象の舞台。多少センチメンタリズム寄りな軽さを感じつつも楽しめた。

    *座席の間隔はもう少し広くならんのかなァ、とても窮屈で時折集中力が途切れるから、ここのハコは苦手・・・。

  • 満足度★★★★

    新型桟敷童子、発売中!
    従来は暗色だったチラシが白を基調にしたものになったことから漠然と抱いていた予感が的中?
    桟敷童子としては異色の作品となった。
    最初は「作風が変わった」と思うも、作風と言うよりは題材が変わったと言った方が的確かと思い直す。
    抽象というよりむしろ素に近い舞台で描かれるのはハードSF、時間の環、ゾンビ、ナウシカ、英雄伝説などどこか既視感のある世界だが、複数組み合わされている上に桟敷童子流に変換されているので明確に思い出せないのがまた巧いところ。
    そうして戦争や殲滅戦、欲望などを取り上げて語るのが新味。
    どちらかと言えば物語よりもテーマを重視した感じか。
    そう言えば洋楽…というか英語の歌詞が付いた歌を使うのも初では?
    さらに普段よりもアングラ色が濃かったのではあるまいか。
    これはこれでアリと思うが、賛否は分かれそうだよね。
    あと、カプセル兵団の某作品(内容)や別役実作品(ビジュアル)も連想。

    ネタバレBOX

    しかしここでも人形を使うとは…(謎)
  • 満足度★★★★★

    無題1335(14-384)
    13:00の回(晴、寒い)。12:15会場着、受付、12:28外で整列、(自由席)12:30整理番号順に入場、何時ものように暖かい対応。5作目、大手さんは「シャワー(2014/10@風姿花伝)」を観ました。座って舞台をみると、鬱蒼としたものではなく、無機質、冷たい美術。13:00前説(110分)、開演〜14:54終演、バックステージツアー。当パンの役名、元ネタがわかるものが多い。

    終末SF的、未来の幻想物語、廃退、運命、少年だけが持つ力…ジュブナイル物の王道。

    劇中、D.ボウイの曲が聴こえてくる…どの音源?「Ziggy Stardust」は1972年リリース、今でも聴いている人はどのくらいいるんだろう。

    椎名さん…「アロマ(2015/1 予約済み)」に客演、ちょっと声をおかけする。

    ネタバレBOX

    以下、雑記

    時間を遡るけどタイムパラドックスはあるようで、ないような設定。

    絶滅しそうなわりには体制にこだわったり、自らのルールを守り通そうとする「ヒト」。

    「ザルカス」というネーミングはなんだろう…タルカスではないだろう。

    欲を喪失するという設定は考えてみると奥深いものを感じる。

    太古のマグマが固まったような岩盤は紙で加工したそうで、近くで見てもよくできている。

    次世代が新人類に進化するのは「Childhood's End」的。

    黒と白の大波は前方で見ているとかなりの迫力。

    ミッション・インポッシブル的な登場は巧かった。
  • 満足度★★★★★

    引き裂かれた夢
    まさに夢のように中心の物語から逸脱し様々に広がっていくイメージが面白かった。
    私は古くからの桟敷童子のファンではないので、昔の作風は知らないが、近年の作風からすると少しテイストが違う。
    平たく言えば、幻想奇譚というか、シュールレアリスム的世界。
    そのチャレンジ精神が素晴らしいと思う反面、強度としてはいつもより弱い印象。
    と言っても、このどのようにでも解釈できる世界を、そして多義的に張り巡らされたコードを、観劇後に色々と思い出し、考え直したら、観劇中にはわからなかった発見もたくさんあった。まるで夢解釈のような作業。
    解釈に頭を悩ませるという二次的体験も含めて、珍しい体験ができた。
    何より、今まで採用してきた方法と違う試みをするという姿勢が素晴らしいと思う。そして実際に新たな表現が見出されていたと思う。

    ※12/15:ネタバレの最後に追記しました。

    ネタバレBOX

    極めて多義的な作品なので、物語として一義的解釈しようとすることを作品自体が拒む。また、それを無理やり行うことは世界を矮小化することにしかならない。
    と言っても、それでは語りようもないので、敢えてその愚を犯し、ある一面から物語化し、私が考えたことを書く。

    世界に謎の疫病が流行し、終末の刻が近づく。
    その疫病は人間からあらゆる欲望を奪い、人を無気力にし、知性や感情すらも奪ってしまう。つまり抜け殻にしてしまうのだ。(と言っても、微かな感情は残っているようでもあるのだが。)
    それを食い止めるべく体夢がすべての疫病を呑み込むことで、世界はまた平静を取り戻すという未来が待っている。だが、元に戻ると再度人間は奪われていた欲望や利己心、悪意の限りを尽くすようになる。そんな世界を見るのに耐えられなくなった体夢は、再度疫病を野に放ってしまう。すると、またその疫病が大流行し、それは体夢が愛する妻にも襲いかかる。体夢はなんとか妻を救おうと試みるが、その時にはもはや疫病を抑える能力は失われている。そして妻を救うことはできないことに絶望し、記憶を失い狂人と化していく。
    自分(体夢)が疫病を呑み込んで世界が平静を取り戻した段階で自分(体夢)を殺せば、妻は疫病にかからなくてすむと思った体夢は、過去の自分を殺そうとする。それは自分の命、自分と妻との出会いも失われるが、それでも妻を生かしたいと体夢は望む。
    (その未来の体夢は「青二才」、記憶を無くし狂ってしまった体夢は「狂人」と呼ばれ、劇中に3人の体夢が存在するのだが。そこには、タイム、つまり「時間」という意味も付与されている。)

    これは物語の一部を取り出したものだが、この作品に描かれた「疫病」とは何なのか。
    作品内では、必ずしも悪いものというだけではないように描かれている。勿論、悪いものにも見えるが。それは、その核にある人間の「欲望」そのものが、「気力」という良い側面と、「我欲に満ちたもの」という側面の両方を有しているのと同様である。「無気力」である反面、「ある純粋性を有している」と。
    この構造の複雑さは、この二つの対立概念自体が、社会状況などと重ねて解釈しようとした場合にも、オセロのように二転三転してしまうことだ。
    国民は総白痴化しているということか?批評性も主体性もなくし、ただただ従順に振る舞う。もはやこの社会は疫病にかかっている?だが、純粋であることは悪いことなのか?むしろこの世界を支配している欲望が世界を滅ぼすのであり、疫病にかかっている者こそがむしろ世界を救うのではないか?いやいや、純粋無垢こそ我欲に溺れた者の慣れの果ての姿だろう、、、というように。
    (私が観たのは衆議院選挙前日、そういう意味でもとても感慨深い。)

    東憲司作品の本質はそのアンビバレントにあると前々から思っていたが、
    この作品ほどその対極にあるものが引き裂かれたまま提示されているものもないのではないか。そういう点でも、とても興味深かった。

    唖(に周りの人には見える)の体夢がしゃべろうとすればするほど、誤解しかされないというのも、現代の社会状況を象徴している。また、痛みを負った少年二人の間では、その言葉が通じ合えるというのも。
    また、人が良く、損しかしてないゲノリ一等兵が、ひょんなことから権力を持ち、ヨギ議長に「お前は権力を持っただけで、偉くなった訳ではない」という主旨の台詞を言われ、さらにその権力からも引きずり降ろされ、手足をもぎ取られ、最終的には殺されるなども印象的だった。
    共に東憲司氏の声なき者、弱き者への視線を示していると同時に、それも必ずしも一義的ではないというのも素晴らしいと思った。

    蛇足だが、デビッド・ボウイやクラウス・ノミなど、ありものの曲を使うというのも妙に新鮮だった。(私も中学生の頃、よくそういう音楽を聴いていたので(今でも好きだけれど)、妙に青年期の感覚を刺激された部分もある。)
    ボウイの「タイム」がテーマ曲のように使われているが、
    どちらかというと、同性愛者であり、エイズにより39歳の若さでこの世を去ったクラウス・ノミの「The Cold Song」の方がこの作品の真のテーマ曲なのかと思う。
    体夢も基本的には同性愛者という設定であり、唯一愛した異性が妻だったということなので。この性に対しても引き裂かれている点も興味深い。
    また、その流れで言うと、
    集団強姦によって母の体に宿ったのが体夢であり、そして母は殺された。その母の恨みを晴らすことが体夢の生きる目的だった。恨みを晴らす敵が自分の父でもある。しかし、その父は疫病を畏れて自殺してしまう。体夢は幼少にして生きる目的を奪われてしまう。このような引き裂かれ方も凄いものがある。

    夢を思い出すように、色々と芋づるで出てきてしまうので、この辺で、、、。

    いずれにしても、とても面白い演劇体験だった。

    <追記:12.15>
    この疫病について、ふと最近の「さとり世代」に代表される現象と重なっているようにも思った。欲望(性欲、出世欲、物欲、、、)を失っている若い世代の現象と。古い考え方の者からは、批判されることも多いこの「さとり世代」(草食系なども近い概念)。だが、果たして本当に悪いことばかりなのか、、、。勿論、全肯定できる訳でもない。この微妙な感覚、まさにこの劇の中の疫病とそっくりである。
  • 満足度★★★★★

    シュールな芝居は苦手だ!の自分が...
    シュールなのに、『訳がわからない』ではない。ドロドロに見えて案外そうでもない。ストレートに入ってくる感じ。ある意味、スタンダードなのかもしれない。実際、カラフルに感じられたんだけど。寒い夜、終演後はスカイツリーが見下ろしてました。「どうだった?」そんな気がした公演でした。

  • 満足度★★★★

    神様
    面白い。115分。

    ネタバレBOX

    母マリア(新井結香)が強姦され殺された体夢(大手忍)の前に未来の体夢である青二才(石原由宇)と狂人(池下重大)が現れる。謎の奇病に怯える人々の絶望が溢れる世界で、体夢は活動家らとともに旅をする。奇病に対抗できる唯一の人間である体夢だったが、恋人マリア(新井結香)の死を回避しようとする青二才に殺されかけ、逆に青二才と狂人を撃ち殺す…。

    人の欲望を枯れさせるという奇病と世界観の設定が面白い。そこに、人間的な軸を通して絶望とちょっとの希望を表現している。ラストの幕を使った演出シーンはちょっと神々しくもある。終焉からの再生というのか。

    話的にはもうちょいメリハリのついた感触があっても良かったかなと。まあ面白かったけど。体夢の3人はみな演技が良かった。白塗りのメイクと照明効果といい、モノトーンな荒廃した舞台感は気に入った。

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