満足度★★★
アングラだった
がっつりとアングラであった。
劇団初見のため毎回こうなのかは判断できないが、宗教劇団の名の通り、いささか新興宗教じみたテイストの演出。演劇という枠組みを破壊しようとする試みは昔からあったような既視感をおぼえるものの、とにかくやりたいことをやってやろうという姿勢はたいしたもの。どこからそのモチベーションが湧くのか知りたい。
満足度★★
結局辞めるんですかね?解散ですかね?
主宰が逃げたとか、あと何人客が来ないと解散だとか。
そういうのが色々聞こえてくる。
赤字とか金が無いとか他のところからも声が上がってたりするので、大丈夫かなー。
ちなみに観劇するか正直迷った。
確実に今の自分は選ばないタイプなので。
当たり前に考えると見せてはいけない部分を見せている様なものだから。
逃げた主宰が架空のものだったら大したものだと思う(そうであればがらっと印象、評価が変わる)
でもそうではないのだろうなと自分は思う。
客席にいたんじゃないか、という噂も見掛けましたが、まあ、顔なんて知らんよ!
と思ったけど入り口に遺影が置いてありましたね。
初見だし、どうしてもドライになってしまうけれど、辞める選択肢があるならば辞めた方が良いと思う。
今、関東には芝居が溢れてはいて、そのせいで良い芝居があっても埋もれる状況。
個人的には半分以上無くなってもいいと思っている(芝居が大好きだからこそ言います)
それぐらいじゃないと評価されるべきものが評価されにくい状況は続いてしまう。
なので冷たいけど辞めたかったり、展望がないところは淘汰された方が全体の為には良い、と思う。
特にここは絶対にメインストリームにはなり得ない団体だということは明らかですよね。
参加されている役者のかたがたが何を目指してやっているのかそれはとても気になった。
この辺りは主宰の件が仕込みであろうと無かろうと同じ事だろう。
客入れの人数は何気に手厚かった。
二階席では何かもてなしをしていたけど、知った客しか近づけない雰囲気だったのでイケ好かないと思ってしまった。
途中休憩で席移動OKだったけど移動出来る場所が殆ど無かったので惜しい。
ラスト5分(終わってからの5分?)は正直面白かった。
でもそうするとあれだけで良かったんじゃない?
みたいな話が出てくる事になる。
否定はできない、かな。
オペ卓の人たちが開演前ずっとお喋りしていたけどゆるいなー。
それは有りなのだろうか。
「スタッフ大事だよね」みたいな事を話してたのも何となく聞こえてたけど、その通り、ですね!
オペ卓の人も「スタッフ」だよね?
こちらの頭カッテぇけど、客が居る中で恣意的な声が駄々漏れているのは違和感しかない。
満足度★★★★★
快便
ドアを入るなり、ピャー!!の雰囲気。見るだけで健康になれるような作品でした。当分便秘には縁がなく、今年の夏も乗り切れそうです。塚田さんらしき人、客席にいたような気がします。
満足度★★★★★
何だかよく分からなかった
・・んだけど、割と面白かった。
なんでかなー、って思うと、
「あれ、これって誰かの夢なんじゃないか」
と思った。
夢だったら支離滅裂なのは当然。
でも、個々のイメージが強ければ割と見れる。と、思う。
満足度★★★★
寡占資本主義を駆逐せよ!!
学校での授業という型に入れた今作。ベートーベンの第9を構成要素に取り入れている。ピャーの劇作家、塚田氏は、今回も失踪した。2年前の矢張り夏、学生芸術祭でもテーマは儀式であったが、この時にも失踪していた。思うに、この儀式は通過儀礼のイニシエーションなのではあるまいか? 本人が意識していようがいまいが、その要素を感じる。2年前も今回も、基本的に、描かれているのは、人間の根源的な欲望に関する事柄である。2年前は、喰う、寝る、セックスする等々が描かれていたのだが、今作では、若干、毛色が変わったものの矢張り、アメリカの植民地として収奪され続けるこの日本で、大人になるということは、即ち、本来自分達が抱えている様々で自然な在り様や、そこから自然に発露してくる帰結としての、自分の頭で考え、自分の頭・身体で生き、自分達の判断で意を決して、自らの意志に従ってアイデンティファイすることであった。然し乍ら、アメリカのプラグマティックな独占乃至寡占資本主義体制は、民衆が自らの頭を使って自らの行く末を決めることを肯んじない。何故なら、それを認めてしまえば、寡占体制は瓦解するのが必定だからである。寡占する側唯一の論拠は、彼らの方が、民衆より優れた判断を下し得るとの思い込みである。即ち、社会をリードするという役割は、彼ら特権階級だけのものだと思いあがっているに過ぎないのである。彼らは、豊富な資金と彼らのイデオロギーにお墨付きを与える御用学者及び、権力に媚びを売ることで権威として収まる御用インテリらの見解を拡散し、喧伝するメディアを巧みに操り、実は意味の無い文言をパブリシティーとして流通させることで、民衆を大衆化。愚民化するのである。然し乍ら、この欺瞞と瞞着に気付く一部の人間が居る。それがアーティスト達を含む本質を見る目を持った人々であることは言うに難くない。今回、塚田氏の穴を埋めたのは安藤 尚之氏、アーティストとしてのDNAをキチンと継承していると見た。出演した女優陣・男優も無論である。彼、彼女らの、内側を見つめようとする目、そして、そのような過程を経て外へ向かおうとする目に対して、飛躍的なジャンプが必要になることも含めて、キチンと付き合ってゆきたいと考えている。ピャーはラディカルで、それ故、愛すべき劇団なのである。(追記2014.7.11)
満足度★★★★
糞みたいな芝居!
もちろん褒め言葉ですよ。劇作家の塚田さんの失踪(受付に黒額の遺影?あり)をも取り込んだ作品。どこまで本当なのかネタのかわかりませんが(今回も脚本は安藤さん)、今日、途中まで客席の一番後ろに塚田さんいませんでした?