若手演出家コンクー2013 最終審会  公演情報 若手演出家コンクー2013 最終審会 」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-5件 / 5件中
  • 公開審査
    今年に関しては最後の公開審査が一番長く感じた・・(苦笑

    2時間半、それぞれの作品のコメントに費やしたけど、
    30分くらいで良かったように思う。

    「面白かった」
    「自分には良く分からなかった」

    それで十分では・・今回の場合・・あの会場、空調キツイんだよなぁ・・(汗

    最優秀賞の人以外については、
    審査員の方々の読み込みが不足している分が多々あったようにも感じられなくも・・・あくまで個人的な感想として。

    シライケイタ氏へのコメントの際には、
    パンクバンドにコードの押さえ方の指導をしているように感じたし、
    山下氏の作品のコメントの際には・・・なんて言ったら良いのか・・良く分からない。困った、正直。

    個人的には、正直なところ、
    一番好きなのはシライケイタ氏。男性目線で言うと。
    観客賞としては個性で澤田氏。
    自分が審査員だったら・・山下氏だったと思う。女性目線で想像して。

    最優秀賞受賞作が嫌いと言うんではなく、
    バランスを取り過ぎてて自分の性格に近すぎてこういうのは逆に受け付けないところが・・(苦笑

    自分の感覚から一番遠いところをこういう賞ではチョイスしたいところだったなぁ・・。

    山下氏の作品、1時間を「長い」と評した審査員がいたが、女性の方々がいる前であれは、言っちゃいけないことではないんだろうかという気がしなくも・・。

    自分の奥さんや恋人とかに対して、
    「話が長い。言いたいことは分かってる」
    と言うんだろうか?
    まぁ、作品とは別としても、こういうのに人生観が現われる気が・・。

    自分の心の教科書には
    「1時間どころか10時間でも俺は大丈夫」
    と書いてあった(とさ♨

    各作品へのコメントと最終投票の間のトイレ休憩の間に
    小学六年生くらいの女子が現われて、
    審査員たちに
    「おじちゃん、おばちゃんたち、モテないでしょ?」
    とか言ってくんねーかな、と思って外出て遅れて戻ってきたけど、
    ボード見て、そんな夢みたいな話あるわけないか、と現実に引き戻された(苦笑

    自分はこういう賞では、
    目つきの悪い(が寂しがり屋である)捨て猫を
    選んで引き取るみたいな話を聞きたかったんだけど・・期待した自分が悪かったんかなぁ・・。

  • 満足度★★★★

    個性満載での面白さ
    たまたま、決勝進出のある芝居を、従前に観たものの再演として観にいったのですが、その空間や空気が面白く、チケットシステム(通常の1公演分の料金で4公演すべてを観ることができる)にも乗っかって、全部を拝見しました。

    ほんと、個性の被らない4団体、たっぷりと楽しむことができました。

    ネタバレBOX

    観た順に・・・

    1.山下 由 『ハミング イン ウォーター』

    Pitymanの公演としてこりっちに登録があるので、少し詳しめの感想をそちらに書きました。
    多分、戯曲を読んだだけでは伝わりえないであろう空気が、しっかりと舞台に紡ぎ出されていて心を奪われました。

    2.スズキ拓朗 『FRIEND~踊る戯曲~』

    評判は従前からきいていて、一度観たいと思っていた劇団主宰の作品ということで、わくわくと足を運びました。
    安部公房の戯曲はとても昔にですが読んだこともあり、また、他劇団で観たこともあり。
    舞台が始まると、忽ち美術にも舞台のミザンスの作り方や役者たちの動きに目を奪われる。ダンスなどにはそれ自体のメソッドで語るのではなく、物語にしっかりと紡ぎこまれて観る側を捕まえていく感じがあって。
    だから、戯曲に対して舞台が浮くことなく、着実に戯曲の世界を観る側に歩ませてくれる。そこには、演じることの洗練があり、戯曲のシーンが、作り手の
    表現と共に鮮やかに研がれ、切り出されているように感じました。

    ただ、観終わって、戯曲の世界を戯曲どおりの枠のなかでがっつり楽しみはしたし、役者やダンサー、さらにアコーディオンと歌の醸し出す雰囲気にも心惹かれたのですが、なんだろ、これだけの表現力を駆使しているにも関わらず、戯曲の印象への忠実さがとても強くのこり、戯曲をこのメソッドで表現するからこその新たな広がりというか、表現だけではなく、その表現を手段として戯曲を踏み越えて訪れるなにかが、今一つ実感できませんでした。
    秀逸な舞台であったようには思うのですが、既存の戯曲に縛られることなく、作り手の創意に裏打ちされた作品を観たい気持ちの方が強く残りました。

    3.シライケイタ 『山の声ーある登山者の追想ー』

    骨組がとてもしっかりと作られた作品で、記録を読み上げるような外枠の説明にもあざとさがなく、観る側としてすっと世界に入っていける。
    シーンごとの緩急も強かに作られていて、その語り口にも、解けていく物語の時間軸に観る側を戸惑わせない端正さを感じる。
    中盤までは、観る側をしっかりと委ねさせる密度や緩急があって、その厚みにぐっと取り込まれる。
    また、描かれるものの視座を最後まで隠し通す力量も役者たちにはあって。

    ただ、惜しむらくは、後半の猛吹雪のシーンの映像というか効果が生む舞台上の質感がそれまでの語り口の密度とやや乖離しており、その部分だけが舞台の流れと異なったトーンに感じられる。
    そこまでのシーンは、終わって初めてわかることとはいえ、素舞台に近い中で役者たちが、光と音を纏いつつしっかりと主人公の視座から見えるものを立体的に紡ぎ出していたのですが、さらに加わるイメージが役者たちの描くもの
    をもっと広く浅く薄めてしまったようにも思われて。
    それでも、主人公の今を語るラストシーンには、そこまで積み上げてきたものから生まれる物語の新たな視野に捉えられたのですが、もし今回のような段取りで物語を描くのであれば、シーンの重さの作り方などにも更なる工夫の余地があるように感じました。

    4.澤野正樹 『FESTIVAL/ONOBORI ートーホクをヌぐー』

    男優のみの舞台。入場時からの劇場全体の雰囲気づくりもしっかりとできていて、観る側をうまく彼らの世界に導いていたように思います。
    ネタなどは鉄割アルバトロスケットなどのやり方を思い出すものもあったのですが、そこから表現しようとするものには、作り手としてのフォーカスを感じることができる。

    下世話であっても、基本的にハレのノリがそこにはあって、
    観客をしっかりと楽しませつつ、その奥にキャラクターたちの心情を
    描き出していたように思います。

    但し、舞台として観たときに、しっかりと作りこまれている部分と、細かい雑さが混在しているのが少々気になる。
    ダンスなどにしても、もしもその雑さで恣意的に勢いやウマ下手を表現しようとしているのであれば、必ずしも機能していない気がするし、逆にところどころに観られるしっかりと圧力をもった表現がふらつかなければ、もっと多くのニュアンスを作品に作りこめる感じがする。

    単にベタというのとは少し異なる奥行きも垣間見え、作り手が今後どのような歩みをするのかを気にさせる力は十分にありました。





  • 満足度★★★★★

    「山の声ーある登山者の追想ー」
    審査員の一人が言っていた
    「大竹野戯曲でコンクールに出ると言う志がまず素晴らしい」
    という言葉に、観劇前の自分の心情は尽きるように思う。

    多少でも舞台の上の世界に思い入れのある人ならだれでも、
    賞の付くコンクールに大竹野戯曲の、しかも登山もので臨むという覚悟に
    息を呑んでしまうんではないんだろうか・・(苦笑

    しかも演出家が出る二人芝居・・

    これは、あの狭い「劇」小劇場のステージがボクシングのリングに変わるに違いないという期待を持たずにはいられないんでは(笑

    いつもはチラシを見てもどんなんだかよくわからない舞台の連続。

    そんな中で、劇場に向かう足取りがこれだけ軽い日。

    自分はサッカーを見に行くと、目の前のサイドの選手がボールを持つといつも「勝負、勝負!」と大きく声をかけるんだけど、
    きょうはそんな必要もないんだよね?

    だって、演出家が勝負を掛けてることは目に見えてるんだもの(笑

    簡素な舞台。

    さっきと同じ審査員がピーター・ブルックの名前を出したけど、自分も同感だった。

    美しい。

    冬山のように。

    この世の果て、地獄。

    あるいはそこと対極にある、生まれたばかりの赤子のまるまるとした温かみ。

    夢と現実、生と死。

    ネタバレBOX

    命が尽き果てる瞬間は、こんなにも懐かしく美しいのか。

    言葉と肉体。拮抗して。

    ついに劇作家という名称を獲得せずに会社員として死んだ、素晴らしい作家の珠玉の言葉、世界。

    ただしそれには、塩屋から六甲を抜けて宝塚からさらに自宅までを駆け抜ける強靭な肉体の存在を感じさせねばならない。

    至難。

    でも、演出家はそれに成功したといって良いのではないだろうか?あるいは大竹野戯曲をこれだけのレベルでコンクールに持ってきた事実に目がくらんでしまっただけなのか(苦笑

    現在の演劇の王道とは違うかもしれない。

    でも、10年後の王道はこちらだろうと思う。そうでなければ、演劇なんか誰も観ない。
    勝負しなければ。命尽きるまで。台詞が尽きるまで・・。

    高い山に登り続けて、生きて還ってきた者だけが、10年後にも舞台の上に
    建っていられるんではないかな・・
  • 満足度★★★★★

    「FESTIVAL/ONOBORI ートーホクをヌぐー」
    アフタートークで審査員の一人が秋田出身だと言っていた。

    実を言うと自分の方は東京生まれだけれどじいちゃんが秋田の隣の庄内の殿様の子だかなんだかで、死んだ親父が昔ちょこっと言ってたけど。
    東京にいるけど東北にルーツがある人は非常に多いと思う。
    東京に染まらない東北独自の表現は意外と東京で受け入れられるのではないのか。

    関西で言うところの四国中国みたいに。

    日本海側は鳥取でも石川でもどこでも手工芸が盛んだけれど、
    秋田はとりわけ、土方巽を考えれば分かるように、
    土俗的な身体表現で秀でている。

    自分は特に秋田から次世代の土俗的な表現者が現われるのを待っていた(笑

    内容はと言えば一見凄くバカバカしいモノばかりなのだけれど(笑
    よくよく見れば、多少の秋田フリーク、東北好きを意識する人なら、
    東北、とりわけ秋田の土俗的な身体表現の欠片をあちこちに見出すことは容易なんではないか。

    この舞台のとりわけ素晴らしいところは、審査員の別の一人が言ってたのだけれど、
    子どもにも容易に分かるくらいシンプルで、非常に象徴的な場面が中盤にさりげなく挿入されている所にあるように思う。

    子どもにでもわかる。このことは非常に重要だと思う。
    難しい演出・技巧を凝らしても、子どもに伝わらなければ意味はない。
    今、誰が一番救いを求めているのかと考えれば子供だと思う。

    親たちは子どもたちの不安や恐怖をテレビの刺激で誤魔化したつもりでいる。テレビで人は救われない。

    NHKが社会問題とスポーツ中継にいくら多くの時間を費やしても、
    これだけテレビが普及している国において自殺者は減らない。

    眉間に皺を寄せて偏った報道をし、
    スポーツへの熱狂で疲れを癒したつもりになっても人は救われない。

    テレビで、津波や地震の恐怖を体感し、友達や家族と離ればなれになった子どもを救うことが出来ないのは明らかであるように思う。

    ・・じゃあ、どうするのか、と考えた末の結論がフンドシ・・?

    これ以上素晴らしい演出があるんだろうかと思ったりする。
    知らなかったかな?子どもってお尻好きなんだぜ(笑
    NHKだってフンドシで報道すれば、日本中でどれだけの命が救われるだろうかと思う(苦笑

    スーツでこの世の終わりのような顔をして
    陰惨な事件ばかり報道しても、
    「この世は地獄だ」と子どもたちに訴えているようにしか見えない。

    シェイクスピアだってフンドシで上演すれば幼稚園でだって行ける・・鴨。

    ネタバレBOX

    津波の恐怖におびえる人も、
    それにうるせえと罵声を浴びせ、玉ねぎを投げつける狂ったクッキング・マンも、
    どっちもフンドシ。



    孤独な食事のシーン。

    子どもたちは思うかもしれない。

    これは、人気のない仮設住宅でいつも一人ぼっちで食べる自分の食卓そのものだと。

    と、思ってたら、ついさっきまでブラウン管の向こうみたいに思ってた、舞台の上で暗そうに食事をしていた人(フンドシ)が、
    観客席までやってきて隣の人(not フンドシ)を舞台の上に攫っていった!

    ああ、これはテレビの出来事じゃなくて実際に起きていることなんだ。

    ていうか舞台の上だとフンドシ7:notフンドシ1でフンドシが優勢だ!

    こうしてみるとフンドシ履いてない方が不自然に見える・・こともあるかもしれない。

    そういった中盤からのカタルシス。祭りの原型。



    自分は見ていて、これはきっと子供たちにも楽しんでもらえると確信した。
    とりわけ孤独や不安に苦しむ子供たちに。

    ほんのちょととだけつまらない事を言うなら、下ネタを完全に剥ぎ取り(もちろんそれでは面白さが1/10くらいになってしまうことは承知だが)骨組みの状態で分析し、
    純粋に演出的な手腕・身体性で捉えるなら、その中には子供が楽しめるための仕掛けがぎっしりとあったといえる。どちらかと言うと審査員よりか。

    ・・・つまりは自分の好みということだ(笑

    すべてのジャンプ好きに♨

    こういうのを韓国で上演すべきだと思うんだが・・。
  • 満足度★★★★

    「FRIEND~踊る戯曲~」
    「レベルが高い」

    なるほどな~、と思った。

    生音を使う、ということ。

    意外とこれで舞台の上のリズムは天と地ほど違ったりする。

    ミュージシャンでなくても生で音を出すと言うことはそれほど重要。

    特に不条理劇なんかでは物語のガチャガチャ感を上手く観客に伝えやすいと思う。

    自分は初演を観てないのだけど、初演を観た人には短いと感じたのか。

    自分は初演を観てなかったので、逆にちょっと長いと思った(苦笑
    上演時間59分だったけど、45分くらいが適当かな・・と体内時計で換算。

    コンクールなのだから一つ一つのシークエンスをもっと短くしてカットアップしていった方が自分は好みかな・・。

    一つ一つ数を数えるにしても、1の次もう8に飛ぶくらい贅沢に切り刻んで良いと思う。

    審査員が満足している?みたいのが自分にはちょっと意外。

    カラフルではあるんだけど、
    良いな、というパーツが飛び過ぎている印象。

    「なんでなのかな?」と思ったら、アフタートークを聞いて分かった。

    自分が良いな、と思うところは全ておそらく直前になって演出家が変えたところであったのだな。

    鮮度が命と言うことか・・。

    小さな舞台にとりわけ多くの役者。

    最初からちょっと懸念はしていた。

    この小さな舞台で役者が動き回るには緻密なチームワークが必要。

    全ての役者はそれを完璧にやってのけた。

    素晴らしい。

    その中で、演出家かつ主演のスズキ氏が微妙な(動きの上での)アドリブ・直前に変更した演出トリックを加える。

    自分が良いな、と思ったのは全部そうしたところだったように思う。

    舞台の上にスズキ氏の世界が良く表れていたと思う。

    それを良いと見るか、どうかだと思う。

    自分の観たい舞台と言うのは、基本、舞台の上の役者が全て変人というもの。

    変人が一人なら一人で良いし、100人なら100人出てたって良いと思う。

    舞台の上の人の数だけ色があると言うのが理想。

    そういう観点からすると、舞台上にスズキ氏の色が大きすぎると言うのが、ちょっと不満かという気もした。

    そうした面で光ってる部分をピックアップして音楽にのせてつなぎ合わせるなら、審査員に見せるなら45分もあれば十分だったのではないかと自分は勝手にカウントしてみた。

    観客として、ファンとして音楽を楽しみながら観るなら2時間でも良いと思うけど。

    今回はカナリアなPityman、大竹野戯曲の♨ドラゴン、ジャンプ好きには見逃せない?男道ミサイルと結構アクの強いのが集まってるだけに、その中ではちょっと色薄め?

    柏木氏がもうちょい出張ってくれば・・という気はしたんだけど(苦笑

このページのQRコードです。

拡大