TERAMACHI 公演情報 TERAMACHI」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-12件 / 12件中
  • 満足度★★★★

    圧倒されました
    制御された肉体の力と美しさ。エネルギーに圧倒されました。
    初めて触れるジャンルだったのでその意味でもとても面白かったです。

  • 満足度★★★★

    人間の魅力を感じた
    ダンス公演というより演劇としても楽しめた。

    舞台空間から京都の街が浮かび上がり、何より北尾亘がその街を愛しているのだなということが伝わってきた。随所にセンスを感じ、一人一人のダンサーに魅力を感じた。途中まで観て、北尾亘の振り付けは舞台上でダンサー(あるいは役者)がきらめく瞬間を見たいのだなとわかった。

    私は残念ながら京都の寺町に行ったことがないのだが、この公演を通じてとても興味が湧き、実はこの夏、行ってこようと思っている。それを感じさせる力がこの作品には確かにあった。

  • 満足度★★★

    ダンスだからことできることは何か
    個人的には踊りという表現は嫌いではない。具体的にしてしまうとこぼれていってしまうものを、なるべく自分の思う形で昇華させたいという気持ちは応援したい。だが、それを「趣味」の次元ではなく、見ず知らずの誰かを感動させることが「プロ」であり、もしそこを目指すなら、もっともっと努力が必要だろう。ただ、一人ひとりのダンサーのレベルはすごく高かったと思う。

  • 満足度★★★★

    地に眠る力が人体に宿り、踊り出る
     京都の寺町通をテーマにしたコンテンポラリー・ダンス作品でした。提灯が吊下がっている和のムードの劇場で、着物と現代服を融合させた衣装をまとった若いダンサーが踊ります。大人数で動きをそろえるシーンのコンビネーションの面白さが特に印象に残りました。ソロや少人数のシーンでは体の形や動きの特徴などをつぶさに観察して、人間一人ひとりを味わいました。

     歌舞伎の振付や文楽の手法などを取り入れ、セリフを話したりマイクを使って歌ったりする演劇的な部分も多くあり、楽しみながらチャレンジしているようでした。若者が心身を使って真剣に日本のルーツを探ると同時に、自分たちの今も突き詰めて、その成果が活かされていることに好感を持ちました。

     外国人観光客や地元の商店街の店員、お寺のお坊さんなどが登場して、京都の風景を軽やかにコラージュしていきます。私は寺町通のことは全く知らないのですが、舞台上で迷いなく動く人々を見て、描かれているのは紛れもない寺町通なのだと信じられました。

     下手袖に設置されたスタンド式の照明が、上手方向に向かってほぼ真横から舞台を照らしていました。客席から照明器具が見えているのは、もしかしたら配置ミスなのかしらと何度か考えました。もし意図的だったのなら、俳優が照明を触る動作をするなどの工夫があるといいんじゃないかと思いました。

     緻密な動きが美しくて見とれたのは岡本優さん。振付・構成・演出の北尾亘さんの、意図と動きが一致していてブレない姿も目を引きました。

    ネタバレBOX

     下手の花道(のようなスペース)で、2人の女性が会話をする場面から始まりましたが、現代口語のセリフをアドリブ風に話すのがあまり上手には見えなかったです。しゃべり言葉だとしてもセリフを決めていた方が安定感があったのではないかしら(決めていたならすみません)。劇場と衣装が和風で統一されていますので、いかにも演劇風な会話で始めても違和感なく幕開けできたのではないかと思いました。

     昼間の寺町通は表の顔。一見さんお断りのお店や夜な夜な常連客が集まるクラブなどの裏の顔が出てくると、ぐっと妖艶さが増しました。圧巻はラストシーンです。羽織っていた着物風の衣装を脱ぎ捨て、現代のカラフルなカジュアル・ルックになったダンサーたちが、地響きを立てて踊り始めます。現代から生命の起源までさかのぼり、古代の植物や生物が眠る地層を揺り動かすような、野性味あふれる振付でした。寺町という土地にもともと備わっている力が地鳴りとともに湧き出し、今まさに躍動する若者の身体を借りて、その姿を現したように感じました。

     終演後に北尾さんからお話を伺うことができました。京都の実際の地図のように稽古場の床にも碁盤の目の印を貼って、交差点などに実在する地名をつけたそうです。出演者が稽古の段階から具体的に想像をしていたから、本番でも風景が立ち上がったのだと思います。

     音楽は公演のためのオリジナル曲もあるようで、声を録音してサンプリングしたような曲が新鮮でした。「恋に恋するバンビ」の歌(?)で踊る、ラテン系のリズムの場面が楽しかったです。
  • 満足度★★★★★

    いい!
    本公演は初。めちゃめちゃかっちょ良かった~

  • 満足度★★★★

    京都
    ダンスでしっかり街をイメージさせてくれたところは見事でした。
    後半部分は少し解らなかったですが、バレエを感じさせる踊りは独特なものを感じました。導入が会話からだったので、もう少しストーリー性があれば、もっと良かったように思いました。

  • 満足度★★★★

    「京都的」なるものの距離感
    何年も前だが、寺町通で大雨に降られたことがある。京都のライブハウスに行くのに、夜まで時間をひとりでつぶさないといけない時だった。昔ながらの喫茶店、老舗文房具店、衣料品店などの並ぶアーケードで雨宿りした記憶が、この『TERAMACHI』を観ながら思い起こされた。

    柿喰う客から客演している永島敬三の身体には目をみはる。柿喰う客の俳優の中で、実は今いちばん好きかもしれない……ということを思った。それくらい、身体が雄弁であり、撃ち抜かれた。雄弁というのは、暗闇の中にぼうっと立っていても、それが永島敬三だということが瞬時にわかるという意味だ。個人の持つ物語が漏れだし、強い引力を形成している。中川絢音もよい。着物のかたちをした衣装を、身体の延長上にあるものとして見事に振り回していた。着慣れない形の衣装というのは難しい。踊りながら衣装に身のこなしを制約されていなかったと特に言えるのは、先述の二名と北尾亘だったように思う。

    全体をとおして観た時に、女性の踊りは勇壮であり、男性はたおやかに見えた。重心を落とした独特の「土着的身体性」(北尾がBaobabで実現しようとしている身体である)の振り付けがそう見せるのだろう。

    ただ、作品全体を京都の「どこ」に働きかけるか、もっと言うならどのコミュニティに向けたものなのかに自覚的であってほしい。「京都的」なるものの距離感のうまさは十分に、冒頭から示されている。ダンサーふたりが開演を待つ様子を演じながら、京都弁でちょいちょいやり合うのだ。まず道で出会ったふたりのすれ違い方がよい。顔を見合わせ、微笑んで互いに同じタイミングでマリー・アントワネットのような優雅な会釈をする。その様子がたまらなく私の中の「京都」のイメージと合致し、わくわくするような始まりだった。

    しかし、この作品を京都に持っていって上演するとして、たとえば通り一本違っても、コミュニティ同士微妙かつ絶妙な距離感があるだろうし(それが京都という街だろう)その中で、寺町通というモチーフが東京都三鷹市で上演された時とどのように異なってくるのか、構成の上で練ったものをまた観てみたい。

  • 満足度★★★★★

    とても楽しかったです
    ダンスのこういった舞台は初めてでしたが、最初から最後まで、とても楽しく観させていただきました。
    ダンスの動きもとてもかっこよかったし、表情や立ち位置など、目線をどこに集中したら良いか迷うほど、どこを観ていても楽しかったです。
    京都寺町には馴染みのない自分でも、面白かったです。
    こういった舞台をまた見たいと思いました!

  • 満足度★★★★

    思いきり!巻き込まれる!
     ベタベタの「エンターテインメント」でもなく、情動を前面に押し出す「感情表現」でもない、ダンスで状景をつくり、身体と状景との隙間も見せる、その手法がうまくハマっていたと思います。寺町通りの白日夢(?)を語るくだりは特に印象的で、この作品のテーマをうまく伝えていたのではないでしょうか。冒頭の仕掛けも、決して珍しくはありませんが、この方法、テーマなら、観客も共に「巻き込まれる」面白さがありますよね。
     テキスト(せりふ)や音楽(特に歌詞のあるもの)の使い方、美術や照明も含めたシーンの作り方には、まだ考える余地がありそうですが、それらもすべて「可能性」だとさえ感じます。小さな実験、遊戯性に拘泥するのではなく、舞台の上に「世界」を立ち上げようという、近年のコンテンポラリーダンスでは(たぶん)珍しい気概にも、打たれるものがありました。
     弾力のある動きも魅力的で、このアーティスト、集団の「思い切りの良さ」を見せつけられた気もします。

  • 満足度★★★★

    楽しかった!
    はじまり方が面白くスッと舞台に集中して観ることができました。ダンスと言葉が入り交じり、ときにコミカルでときにかっこいい雰囲気の舞台は見飽きることがありませんでした。音楽も変わった曲が多く印象に残ります。

  • 満足度★★★★

    ぶぶでもどうぞ
     舞踊劇という形なので、通常の演劇とは全く異なる。科白は殆ど無いし、デフォルメされていたりもする。様々な仕掛けが楽しい。ぶぶでも・・・。とは、京の特性を表すとしてよく引き合いに出される話だから、説明はしない。音響、照明も気の利いたものだ。楽しまれたい。

    ネタバレBOX

      京の都は難しい。信頼される迄に大変な日時が掛かる。これは、京都に暮らした人間にしか分からないだろう。何せ、十代の女の子が、病葉の美を称揚できる程のセンスを持った町だ。なまじっかな美意識が太刀打ち出来る訳が無い。一方、東男に京女とは良く言ったもので、それだけのセンスを持つ京都女性なればこそ、東の国の武骨は、微笑ましくも映るのだろう。Baobabは、この点に着目しているように思える。彼らがずっと主張し続けてきた“土着的身体性”に日本舞踊や歌舞伎の美意識を織り込んだ今作では、歌舞く姿勢と三鷹から京への距離は距離として突き放す意識的所作が相俟って、時に動の中の静を、転じて静の中に汪溢する靭い動を感じさせる。このように組み立てられたパフォーマンスは、人体の持つ表現の可能性を感じさせて美しい。特に、Baobab代表の北尾 亘の切れのある動き、硬軟両様の身体の使い分けは見事である。
     因みに、踊り手各々の立ち位置だが、京の町の碁盤目状の其々の道筋、交差などにキチンと従っている点も隠し味だ。
     宿題は、動から静へ、静から動へ移行する際の一瞬の静止点をキチンとトメとして表現仕切ることだろう。北尾氏自身語る歩行という基礎の確立、深化が望まれる。但し、不合理な動きをして腰を痛めぬように。
  • 満足度★★★★★

    今生きている舞台
    ダンス公演になじみがなくても、いろんな要素や記憶に訴えかけてくるので、次第に京の町を歩いて出会っていくような気がしてきます。音も素敵。
    かわいかったり鋭かったりしなやかだったり、身体の動かし方や人の個性がくっきりしていて、旧くもあり新しくもあり未来でもあり。最後はただただ圧倒…

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