ぬけがら 公演情報 ぬけがら」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    現在を奮い立たせる記憶
     次々と脱げて、若返っていく父たちのそれぞれにトボケた味わいと、ダメ〜な息子のやりとりを微笑ましく、けれど、どこか身につまされる思いで見守りました。また終盤、それまで一見、リアルな日常性に根付いていた舞台空間(内容はまさしく不条理ですが)が、飛行機(爆撃機)の音と共に歪む瞬間に胸を突かれもしました。これはダメ男が立派な中年として立つための物語であると同時に、たくさんの時間=歴史についての物語でもあるのだな、と改めて感じ入りました。
     名古屋で活躍中の実力派キャストを集めた公演は、満員御礼。全体的に「手堅い」感もありましたが、目標の一つであった「地元の演劇を盛り上げたい」という思いは充分実現したのではないでしょうか。チャーミングな父たちはもちろん、今ひとつピリッとしない主人公を演じた平塚直隆さんのヨレっとしたムードも忘れられません。

  • 満足度★★★★★

    完成度の高い名作
    名作の再演はやはり名作。
    名古屋の魅力的な役者がそろってたっぷりと楽しませてもらった。

    特にお父さん一人一人が全く違う個性で、その統一感のなさにもおもしろみを感じた。スタートシーンから衝撃的で演劇の面白さをいっぱい味あわせてもらった。

    長久手市文化の家 風のホールが素敵だったことも付け加えておきたい。

  • 満足度★★★

    レベルは高い、でも満足はできなかった。
    岸田戯曲賞を取ったというシナリオに少し期待しすぎたか。役者も個性的でレベルが高くなんら遜色はないのだが、満足はできなかった。どうせなら、最後はハッピーにまとめてしまうような、そんな物語性を期待してしまったのは事実。ただ、それはターゲットの問題かもしれない。地元の皆さんはとても楽しそうにしていた。幅広い世代が見に来ていた。それは事実だし、ローカルにこだわる姿勢があるのであれば、応援したい。

  • 満足度★★★★

    若返る父とともに戦後の日本を振り返る
     岸田國士戯曲賞を受賞した9年前の初演は、文学座の松本裕子さんが演出されていました。今回は作者である佃典彦さんが初めて演出されます。

     しっかり建て込まれた具象の美術に嬉しくなりました。主人公卓也の年齢から考えると、築40年以上の集合住宅の一戸でしょうか。下手面側に玄関のドア。ドアを開けて家に入ると下手上部には父の部屋があり、手前にベッド、奥に仏壇があります。父の部屋のすぐ右、舞台の中央上部の奥にはトイレのドアがあり、その右側には洗濯機。続いて上手袖までは台所です。トイレから2段ほど降りて、舞台下部中央から下手は廊下。上手面側にかけては居間があり、その真ん中に丸いちゃぶ台。居間の上手奥には大きめの冷蔵庫があり、上手端はベランダへと続く引き戸になっています。

     ぎっしり満員の客席で、どんどこと笑いが起こりました。劇団や出演者のファンも多かったようですが、私も大いに笑わせていただきました。笑い声に交じって鼻をすする音も聞こえていたんです。登場人物の置かれている状況は悲惨で、笑ってる場合じゃないんだけど、それでも人間は笑うんですよね。3.11の大震災の時も私は怒って泣いて笑っていたし、きっと戦時下の日本人もそうだったのだろうと想像しました。同じものを観て笑う人もいれば、泣く人もいる。演劇作品に大切なことだと思います。

     『ぬけがら』を観るのは横浜未来演劇人シアターでの上演(演出:寺十悟)、文学座での再演に続いて3度目でした。佃版はアットホームでべたっとした温かい雰囲気があり、ごく普通の家族の、身近な話だと感じられました(たとえあり得ない事件が起こるとしても)。登場人物はどうしようもなく情けなくて、滑稽で、でも可愛げがあります。俳優の個性を生かし、会話のとぼけた間(ま)に独特の味わいがありました。名古屋を拠点に活動してきた演劇人が集結し、その土地ならではの空気が生み出されていたのではないかと思います。

     暗転中に懐かしい音楽やニュースの声が流れ、私が聞き覚えがあるのは30年前まででした。それより昔になると大河ドラマのようなフィクション性を帯びていき、自分の記憶の限界に気づきました。約10年前の戯曲なので、携帯電話は出てくるけれどスマホもタブレットも出てきません。でも、これからも色んな世代の観客に幅広く通用する戯曲であり、演出だと思いました。

     大きくてきれいな劇場ですが、整理番号順でもない全席自由席でした。劇場入り口に長い列が出来ていて、入場するまでにかなり並ぶことになりました。できれば指定席にして欲しかったです。

    ネタバレBOX

     岸田賞の講評にもあるとおり、舞台上で「人間が脱皮する」というアイデアが秀逸です。1人のはずの人間が年齢ごとに複数人、同時に舞台に存在するのは、演劇ならではの効果があります。

     母の葬儀が終わって49日を迎えるまでのお話で、家には80代のほぼボケた父と一人息子の卓也が残されています。卓也は勤務中に交通事故を起こして郵便局員の仕事を失い、同時に浮気もばれて妻に離婚届けを突きつけられてしまいました。男2人所帯のわびしさが漂う中、突然トイレで父が脱皮して、60代、50代、40代と徐々に若返っていき、卓也は全く知らなかった父の人生に出合い直していきます。戦争から命からがら生き延びて、平成になって死んだ父の人生は、日本の戦後史そのもの。観客にとっては、日本人が生きてきた昭和を知り直す旅になりました。

     30代、40代の父は遊び呆けていて、敗戦後に「総無責任化」していく日本人をあらわしているようでした。50代で胃潰瘍の手術をし、60代では喫茶店に通うのが日課になっていました。そして80代で認知症に。20代の父が一番の好青年でしたね。年代ごとに違う俳優が演じるので当然といえば当然ですが、父は10年ごとに別人のように変わっていきます。きっと誰もがそうなのでしょうね。人間は変わるのだと肝に銘じようと思いました。

     大鍋に入った冷や麦を食べる場面では歴代の父が勢ぞろい。元気はつらつの若い父から老いてボケた父まで、そして卓也も含む男たち全員の腹を満たしてやる母の姿は、昭和の日本を支えた主婦の象徴にも見えました。卓也の妻はモダンダンスの振付家で、浮気相手の女性はシングルマザーの派遣社員です。現代の働く女性の姿も描き、女性像、母親像、家族像の変化が鮮やかに示されました。

     卓也が離婚届で折る紙飛行機は、父が戦時中に乗っていた飛行機のイメージとつながり、飛行機の車輪故障で胴体着陸をした父が、母と偶然出会って恋に落ちるエピソードへと行きつきます。卓也は、突然思い立ったように、「墜落男」という映画を撮り始めました。「墜落男」というタイトルは、飛行機で死にかけた父と、平凡で幸福な人生から転落した自分を重ねているのでしょう。父たちが舞台を降り、劇場後方に向かって客席通路を歩いて成仏していくのを撮影する姿から、卓也が映画部だった大学時代の気持ちを取り戻し、再生への一歩を踏み出したのがわかりました。

     そして冒頭の場面に戻ります。卓也は映画「ロッキー」の真似をしてランニングをして、生卵5つと牛乳を飲み、離婚届けに判を押して、妻に渡します。が、すぐに復縁を願って婚姻届けも出してみるのです。母から安定が一番と教えられ、それに従ってきた卓也にあるまじき行動です。大勢の父と会ったことで変わったんですね。妻はもちろん承諾しませんが、嬉しそうに微笑んでいました。

     黄緑や薄い青など、幽霊が出そうな感じの照明の色味が良かったです。ハワイアンのダンスシーンは舞台全体が黄色に染まり、踊る人々は幸せそうだけど悪夢のようにも見えました。明るい音調なのに切なく響くハワイアン・ミュージックは、人生をかえりみるのにぴったり。そんな中で、お鈴をチーンと鳴らすのは滑稽でほろ苦かったです。ウワンウワンと響くセミの声は、終戦間際の8月を想像させました。
     
     主人公卓也役の平塚直隆さんが、絶妙のとぼけた間(ま)で何度も笑わせてくれました。生卵5つと牛乳を2度も飲むなんて、本当にお疲れさまです。20代の父と見つめ合う場面は、日本人がいかに変わったのかがよくわかって可笑しかったです。
  • 満足度★★★

    名古屋の名優たちの共演
    第53回岸田國士戯曲賞受賞作を、佃典彦自身による演出での初上演。開場直後から長蛇の列が出来て、長久手文化の家の客席が地元の人で満員になっていくさまを見るのは、東京から来た観客としては興味深かった。香港の団体の上演も観てみたいと思ったが、日程上断念せざるをえず、残念だった。

    脚本に関しては、すでに戯曲賞を受賞しているので一定の揺るぎない価値が付されたものであるとの認識だ。10年近く前の作品だけあって、描かれている年代などは少し古いが、鑑賞の妨げには全くならない。それは作品が時を超えての上演に耐える、古典としての風格と実績を兼ね備えていることの証である。名古屋の名優たちが多数出演しており、次々登場する父親役の俳優たちが本当に素晴らしかった。特に、小熊ヒデジ(てんぷくプロ)の縦横無尽ぶりは、観ていて本当に引き込まれ、尊敬の念がわいた。

    だが、名優たちを集めて上演しても、その上演から何を巻き起こしたいのかが見えづらい。仮に名古屋以外の場所でこれを上演できたとしても、パッケージングされた演劇を持ち運ぶだけになるのではないか。観劇体験として、これを観た人がいつか「あの時いいお芝居観たなあ」と思い出す、芝居のお手本のような存在になることを目指すのであれば満点だが、演劇の未来を刷新していくことが出来るかという点ではどうしても疑問が残ってしまう。

  • 満足度★★★★★

    「ぬけがら」「脱皮爸爸」連続上演・総評
     関係者でもなければ頼まれてもないけど、ツイッターまとめました→ 
    【劇団B級遊撃隊プロデュース『ぬけがら』+香港話劇團『脱皮爸爸』 
    http://togetter.com/li/675317?page=1 】


    「ぬけがら」「脱皮爸爸」を続けて観て、アーサー・ミラー「セールスマンの死」を思い出した。ちゃんと向き合えなかった父と息子。
     ミラーの戯曲ではどうしようもないラストを迎えたけど、佃さんの戯曲ではあんなにいろんな対話ができた。
     佃さんは、亡くなる前のお父さんに、文学座のこの演目を観てもらうことができた。
    (そして私は、まだちゃんと向きあってない。。。)


     そしてつくづく、今回のB級遊撃隊+香港話劇團・連続公演は、プチ国際演劇祭だったと思う。
     東京や横浜など(ひょっとしたら香港からもww)、各地からお客さんがみえて空気を共有(私も、津から来た方と食事しながら意見交換)。
     劇王の地・長久手ならではの空気感かも。

     こういう企画は難しいだろうけど、もっと観る機会がほしいなあ。
     と同時に、観客・演劇人にも、こういう自分に身近でない舞台を観る、貴重な機会を活かしてほしいと思います。

  • 満足度★★★★★

    香港話劇團「脱皮爸爸」観ました
     稽古中のツイートで、B級版出演・鹿目由紀さんが「ジャッキー」「スパルタンX」と呟いていたのが納得。
     最初はB級の自然体・心情芝居と違和感あるけれど、その不自然に切れ味いい力づく感が、だんだんと快感に(笑)



     とにかく、楽しませる前提の見せる芝居。B級版よりも要所要所に強いアクセントとインパクト。鍛え抜かれた役者の表現力が惜しみなく炸裂。男優の腹筋、女優の笑顔(グヘへ)

     ラストは、戯曲を読んだだけでは想像もつかない演出。「田園に死す」かと思った。。。舞台LOVEみなぎる。


     不条理劇というよりも、日常に非日常が隣り合わせになっている死生観には、メキシコ幻想文学的香りも(特に脱皮シーンの演出)。


     心情面では、B級版は明日へ向かう男に、香港版はあちらへ旅立つ父に焦点が合った感じ。
     共感性なら前者、浄化感なら後者か。



     演劇の作り方、社会でのあり方自体が、日本と違うのかなと感じた。
     香港版を観た後でB級版にひるがえって思いを馳せたり、同じ演目を別団体の連続で観れるというのが効いた企画。

     異文化と出会う、貴重な機会になりました。(総評へ続く)

  • 満足度★★★★★

    B級遊撃隊プロデュース「ぬけがら」観ました
     3年ほど前に同じ長久手市文化の家で、文学座の公演も観ました。
     あの時は、佃さんのお父さんがすぐ後ろにみえたなあ…



     2時間20分、戯曲の構成や演出の折り込みに、いまさら唸らされる。

     つかみはロッキーでOK。

     最初の脱皮した父とのやり取りを丁寧に描写した後、どんどんと脱皮がテンポアップ、ついには観客の視界での脱皮。

     その進行の中で、父と男のやり取りでの、それぞれの心情の揺れが。
     無邪気な喜び、変化する相手への戸惑い、自分の存在への不安。

     劇中の理屈も吹っ飛ばす大団円。

     そして、締めもロッキーww
     
     文学座とは違う最後のリフレインシーンの演出にも、妙に納得。
     演出は理屈を超え、受け手の自立した感性を刺激する。


     小熊さんら父役の男優がことごとく濃くて、集合シーンでは、母役の長嶋さんが光り輝いて見えた…(笑)

     平塚さんと中田さん・鹿目さんの丁々発止のやりとりも、心の襞の揺れが気持ちいい。

     そして、全編通して、平塚さんがごく普段通りに存在してるようにしか見えないという。。。



     とにかく、観ていて楽しく、それでいて切なくなり、自分の明日を考えたくなる傑作でした。

     引き続き、連続上演・香港話劇團「脱皮爸爸」へ。(続く)

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