テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』 公演情報 テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★

    別物として
    良くも悪くも、寺山修司の世界とは別物になっていた。

    寺山のモノマネのようなものは観たくなかったので、そういう意味では良かったが、ならばなぜ寺山の『無頼漢』を元にしたのかはわからなかった。

    反権力がテーマなら、中津留章仁氏自身のオリジナル脚本の方がよっぽど説得力がある。(流山児氏の作品は、寺山脚本のものしか私は観たことがないので、他の作品のことはわからない。)
    そこに寺山でなければならない抜き差しならないものは感じなかった。
    どんちゃん騒ぎをしていたという印象しかない。

    助成金をとるためや、客を呼ぶために、寺山をダシに使った企画なのだろうか、、、

    外波山文明氏はさすがの存在感だった。
    声優として有名な三ツ矢雄二氏も、存在感があった(と言っても、演技というより、やはりその声の存在感の部分が大きいが)。

  • 満足度★★★★★

    水野忠邦 VS 河内山宗俊
    社会派の中津留章仁さんが寺山修司の原作をどんな歌舞伎に書くのか期待していたが
    “体制批判と庶民のうっぷん晴らし”という歌舞伎本来の表現に
    時代を反映させて、見事な「平成の歌舞伎」になっていた。
    改めて寺山修司という人の作品の力を感じる。
    社会の底辺で生きる者に権力者の理想など机上の空論、
    お江戸が炎上すれば政権交代、というのは江戸時代か、平成の世か?!

    ネタバレBOX

    江戸後期、老中水野忠邦の過激な改革のせいで庶民の暮らしは窮屈になる一方だ。
    歌舞伎は取り締まられ、花火も禁止、女どもは商売が出来なくなった。
    遊び人の直次郎(五島三四郎)は、世の中を変える芝居がしたいと役者を志願する男。
    美しい花魁の三千歳(田川可奈美)と恋に落ち、
    悪徳商人森田屋に身受けされそうな三千歳を守ろうとする。
    三千歳は生き別れた母を探しており、人斬りになった兄を憂いていた。

    一方、権力者水野(塩野谷正幸)の近くにいながら、
    体制に批判的で“不良”オヤジの茶坊主河内山宗俊(山本亨)は
    松江出雲守の妾にされそうな上州屋の一人娘を五百両で取り戻す事を請け合う。

    お上に抗う歌舞伎者たちは河内山と共に出雲守の屋敷へ乗り込み、
    上州屋の娘と、やはり餌食にされようとしている三千歳を救うため死闘を繰り広げる。
    そしてついに江戸の町に火が放たれ、禁じられていた五尺玉の花火が上がる。
    河内山は二人を救い出せるのか、三千歳の母親は、直次郎の恋の行方は…?

    久しぶりに“暮れの12時間時代劇”を観たような気分。
    時代劇の楽しさ満載でわくわくした。
    強請集り(ゆすりたかり)で名を馳せた河内山宗俊の台詞もケレン味たっぷりで心地よく
    悪い奴ながら庶民の味方をする男は山本亨さんにぴったり。
    対する水野忠邦の端正なたたずまいは正統派時代劇風だ。
    塩野谷さんの権力の頂点に君臨する侍ぶりが素晴らしい。
    普通に脚立を担いで出てきた時は「電球でも取り換えるのか」と思ったが
    するする登ると仁王立ちで演説、侍の所作も美しく、鍛えられた動きにほれぼれした。

    直次郎役の五島三四郎さん、直情型の遊び人を粋な江戸っ子らしく演じとても良かった。
    谷宗和さん、水野の不正を暴こうと一座に紛れて機会を狙う元武士の役で
    「花札伝綺」に続いて拝見したが、とても“無頼”の似合う役者さんだと思う。

    現代の問題を論理的に追及しつつエンタメに展開するというのが
    中津留さんのスタイルだと思うが今回は逆だ。
    エンタメの中に社会問題を巧みに織り込んだ感じ。
    芝居がかった河内山の台詞など
    歌舞伎ベースでありながら台詞が柔軟で随所に現代的な笑いもあった。

    上妻宏光さんの三味線がもっと冴えるかと思ったが、歌声に埋もれてしまった感じ。
    公演中1度でもライブで演奏したら、すごい音だろうと思うとちょっと残念。
    衣装がチャチくなかったのも○。

    時代劇ファンとしては、リアルでない歌舞伎っぽいチャンバラも
    様式やお約束も、猥雑さも楽しかった。
    それに何と言ってもあのエネルギー、体制に反発し束縛を憎む精神が息づいている。
    オープニングを野外で行うという、いわば「河原でやっていた頃の芝居」の
    再現を宣言するような始まり方も、原点へのオマージュを感じさせる。

    あー、やっぱり悪漢が魅力的だと面白い。
    この底辺の人間の怒りとパワー、最近調子こいてる
    どこぞの腹イタぼんぼん宰相に見せつけてやりたいと思ったぜ。
  • 満足度★★★★

    当時の歌舞伎をイメージ!
    肩をはらないで、気楽に観られる大衆演劇的歌舞伎。
    江戸時代の歌舞伎はこんな感じだったのでしょう。
    楽しく観られました。
    開演前の野外(公園)でのパフォーマンスも何かこれから観るぞ的な雰囲気で新鮮でした。
    脚本は中津留氏で随所に社会派らしさが出てました。
    終演後のアフタートーク(流山児氏、三ツ矢氏、外波山氏)も興味深かった。

  • 満足度

    ならず者達による体制批判
    F/T連携プログラムで、原作が寺山修司ということもあり、先鋭的な要素がある時代劇を期待していたのですが、体制批判の意図が打ち出されてはいたものの、個人的に好みではない作風で、全然楽しめませんでした。

    幕末の抑圧された歌舞伎役者達がお上に立ち向かう物語で、繰り返される争いと、ギリシャ悲劇の様な呪われた血の繋がりとが描かれていました。

    現代的な音楽がBGMに用いられる以外はオーソドックスで、かといって歌舞伎の様な様式性も感じられませんでした。
    大声で台詞を言い大袈裟に動いて自身の存在をアピールする様な演技や、段取り感が表に出ている殺陣のシーンが延々と続き、疲れました。
    今年の流行語をもじったり、昭和から平成の映像を流したりして、現代においても同様なことが起きていることを示唆する趣向もありましたが、あまり説得力を感じませんでした。

    開演の前に、会場の向かい側の公園でプロローグが演じられましたが、偶然見掛けた人がお金を払って本編を観たくなる様な魅力もなく、わざわざ寒い屋外で演じる意義が感じられませんでした。

  • 70年代のアングラ観が、広く、大きい公会堂で発揮された



    「テラヤマ歌舞伎」は寒さ凍てつく中池袋公園に突如 姿を現す。百貨店のガラスの入り口にいる婦人が歩行者か、開店を待ちわびる買い物客なのか、解らぬ光景と一緒である。照らさた夜の都市公園は、たった10分間「祭り」の空間に包まれた。集いし人々はバーゲンで安い商品を購入するため 他人を押すことはない。寺山修司という怪物の面影を感じるために輪を囲む…。

    「世の中を変える演劇」があえぐ相手は権力である。今年度東京国際映画祭関連シンポジウム『ーMOVIE CAMPUSー第一部『時代劇へようこそ~先ず、粋にいきましょう』で文化庁の佐伯知紀氏(文化庁文化部芸術文化課 主任芸術文化調査官)が述べておられたコメントが よぎった。つまり、戦前の歌舞伎映画は「検閲を逃れやすい。故に最もその時代性が反映された」らしい。シンポジウムのオープニングに流された時代劇映画は幕末、悪代官に立ち向かう浪人2人と百姓達を描いた<活弁付き上映>『斬人斬馬剣』(デジタル復元版)である。明らかに今この時代の政府•官僚をもじった「テラヤマ歌舞伎」は、今この時代だからこそ再び歌舞伎を持ち出さなければならない悲劇だろう。

    寺山修司がカタカナの「テラヤマ」へ書き換えられ、末は「TERAYAMA」のローマ字へ変わる未来。「100年たったら見においで」というが、没後30年でカタカナ表記の男は、これからも書き換えられ続けるはず。

    大人数の歌舞伎が、江戸を書き換える。大人数の歌舞伎が、幕末を書き換える。殺陣こそ 未熟であった その大人数の歌舞伎は、時代そのものを別の身体に変えてしまった。「浸る」とは こういうことを指すのか。過保護の母から離れられなかった寺山修司。主人公の青年が代わって川に棄てた。かと思いきや、母は花魁にすくってもらい、作品の中でさえも、最後まで 息子にまとわりつく。





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