満足度★★★
詰め込みすぎ
どうしても芝居にしたかった原作でなく○○祭だから仕方なくあるいはやむをえず採用したのだろうし、その舞台が東北だからという理由で東北に関することを盛り込んだのであろう作品は、難解というよりは雑多であり、そういう理由で作者の意思は薄弱気味で作品自体もちぐはぐなものになっていた。当パンでの文字による説明がなければ理解不能のシーンや演出があり、これらは恐らくは作者の意図をうまく反映させていなかったと思う。全体的にはどちらかと言えばおもしろかったのだがモヤモヤが残った。
世田谷シルク、初観劇
面白い、面白くないという秤では計れない作品でした。
演出が特徴的で、役者の身体能力の高さを感じました。
ただ、とても長く感じた割りに上演時間は約90分。体感時間が長かった分、疲れました。
原作は読んだことがないのですが、どことなく別役実を思わせ、好みが別れたのではないでしょうか。
英語しか話さない役、というのももちろんあるでしょうが、
英語が分からない人間にとってあの役の存在理由がよく分かりませんでした。
役者から感情などもっと発信されていれば、言語に捕らわれず楽しめたのかなと思います。
満足度★★★★★
無題881(13-320)
18:00の回(曇、なんとか雨はあがる)。17:11会場着、受付(整理番号付)、17:32開場(10番ずつ)、中の階段から会場へ、桟敷と3-4列目はベンチシート、2列目(段差あり)はパイプ椅子。天井から「竹」が数本ぶら下がっている。舞台には木製の簡素なテープル(3)と椅子(6)、左右には大きな(薄手の)布、劇中、役者さんはここに控えている。18:06前説、18:09開演~19:28終演。上が白で、下は赤の衣装、履物は黒。女性は真赤な唇。こちらは3作目、やないさん(白米少女)がでていらっしゃるのでみに来ました。昨日、型破りな英語劇をみているので、本作、興味深くみることができました。
満足度★★★★★
こんな形で舞台化されるとは!!
魯迅による原作『藤野先生』を読んだ上で鑑賞したが、まさかこういう形で舞台化されるとは!
客席と段差のない地続きの演技スペースには長机と椅子が数組、そして天井から吊られた幾本かの竹があるばかりで、主舞台である学校をはじめ具体的な場所を思わせる大道具は一切なく、役者は魯迅役の人を除いてみな巫女をモチーフにした衣装で登場。
白いYシャツに女優は真っ赤なスカート、男優は真っ赤なズボンをまとって演技をするのだが、この演技がクセモノで、動きがマイムさながらにコミカルだったり機械的だったり、マイムが高じて踊り出したり、詩のようなものを群唱したり、リアリズムとはほど遠いもの。
ようは今流行りの抽象舞台で、抽象舞台なら男女の性差も無視してOK!とばかりに、作・演出に加え女優も兼ねる堀川さんが男性である藤野先生を演じちゃうのもご愛嬌!
しかも、当パンには原作の要とも言うべき「幻灯事件にスポットを当て」たとあるのに、幻灯事件に割かれる時間はごく短く、原発事故を起こした我が国を皮肉っているのが明らかな挿話や、魯迅の級友のおきゃんな妹が秘かに思いを寄せている魯迅の部屋に可愛いイタズラをして帰るコミカルでほほえましいエピソードなど、原作にない話がてんこ盛り!
事程左様に、原作軽視とそしられても仕方がない仕上がりなのだが、巫女の装いをした女優陣はやけになまめかしいわ、ダンサブルなBGMはカッコいいわ、どんどん加速する音楽に合わせて役者たちが発狂したようにしゃべりまくり踊りまくる終盤の群唱&群舞は狂いゆく物語とリンクして観る者をハッとさせるわ、パフォーミングアートとしての完成度はバリ高! 『藤野先生』の舞台化作品という以前に、一つの演劇ショーとしてとても楽しめる。
批判を恐れず大幅に原作を改変して刺激的な見世物へと昇華させたチャレンジングなその精神を評価して、星は5つ。
上に「原作軽視とそしられても仕方がない仕上がり」と書いたけれど、革新的で惹きつける演出をしないことには『藤野先生』などという古典は見向きもされない可能性もあることを考えると、この演出でよかったような気もする。
バルブとしては、本作の観劇をきっかけに世田谷シルクという集団への関心が急上昇! おそらくは次回作も観ることになるだろう。
満足度★★★
違和感
身体表現がすごい!と思うけれども、ストーリーが良く分からず気づいたら終わってしまったなぁと・・。魯迅役に激しい違和感を覚えたまま、通り過ぎた一時間半でした・・。
一長一短
共催の劇団NATは、芝居の構成は骨太だったものの俳優のレベルは標準以下。全員同水準で抜きん出た者がいない。
一方で世田谷シルクは、NATに比べると俳優陣の演技レベルは総じて高いが、その分下手な俳優が紛れ込むと異常に眼につく。
ひとつの完結する作品としてみると、紛れ込んだ下手な俳優は観賞の邪魔だ。その一方で、低レベルで何の取り得もない芝居に観客として時間と金を払う必要があるのか?
何とも取り止めのないことを考えさせられた。
満足度★★★
竹藪の中
竹やぶの中を肩が触れ合うような距離で行きかうのに、互いを見ることはなく、ただすれ違っていくだけ。身体表現から、そんな印象を受けた。ただ話があまりに唐突だ。言わずに語る手法にしては、言わずに語る演技が未熟だと感じる。主役の男性の演技が気になった。目線はフラフラ、体もフラフラ、セリフはタイミングが遅れ、言い淀む。初舞台の学生のようだった。其れなりに有名な団体なのに、何でこうなったのか不可思議だ。
彼以外は、基本の役はありつつも色んな人物に器用になり変わりながら、話を進めていく技量があり、特に妹役と下宿の寮長役の芝居に目が惹きつけられた。セリフを身体にちゃんと染み込ませ、役として生きていた。
魯迅が学校を辞めた、その背景にあった事件を日本人が表現する難しさはある。だが、それでも、魯迅にとっての藤野先生をもっと描いて欲しかった。そして魯迅と言う人間に起きた革命を彼の主観のサイズで描いて欲しかった。魯迅の主観が物語中に存在しないから、俯瞰で景色をみせられているうちに終わってしまった感じがするのだ。
満足度★★
呆然
魯迅が日本に留学してから学校を辞めるまでの物語。でした。そして、何があらすじにあった「革命」なのか分かりませんでした。淡々と魯迅と周りの医学生や学校の事務員らとの日常が描かれ、いい加減退屈し始めた頃に、、突如魯迅が「I quit the school」と語り、作品がぶつっと切れるのです。
魯迅が学校を辞めるに至った、それまでの人生をひっくり返すようなカタストロフィがどこにも無いまま、です。作品世界の焦点がぼけているので、間に挟まれる身体表現が浮いています。思い返しても、場転を格好良くやった以上にどんな意味があるのでしょうか・・。役者のレベルは総じて高く、白と赤の衣装も雰囲気にあっており、身体表現も美しかったです。
魯迅役は一体どうしたんでしょうか?初舞台の方・・?こう言っては失礼ですが、素人にありがちな「手持ち無沙汰感」がセリフがないところで酷く感じられました。